2話 贖罪の始まり (2)
そして、その余りの威勢の良さに、顔を隠していたフードが翻り、彼女の顔が見える。
瞳は大きく真紅。美しい二重瞼が特徴的な端正な顔立ちをしている。
髪は艷やかでセミロング位の長さがあり、赤毛。眩く陽光の様な明るさを感じさせる風貌で、一言で表すと美少女。
服装は大きいフード付きの赤茶色な旅装束にブーツを履いていて、全体的に赤で統一されているが、ここまで赤が似合う女の子は見たことがない。
背丈は高くもなく、低くもなくと言った所で平均的だ。その想像もしていなかった容姿に、俺は尻込みしてしまう。
「な、なんとか言いなさいよ! 恥ずかしいじゃないッ!」
「す、すまん、少し驚いた」
「何に驚くのよ……まぁいいわ」
彼女は、「じゃあ」と一呼吸置いて、
「私はアリス! アリシア・レッドフォードよ。助けてくれて……そ、その、ありがとうね」
最後の瞬間に頬を赤くする辺り、人に感謝の言葉を言うのに慣れてないらしい。
少し前まで、あのジークとかいう鎌使いにビビりまくっていたのに、元気になったもんだ。
「どうもアリス。あ、俺の名前は……名前は……」
どうやら俺は大事な事を忘れていたらしい。そう、名前だ。
思い返せば、神様と出会った時にも教えて貰ってなかった俺の名前。今になって気付いてしまった。
「知ってるわ……名前、まだ思い出せないんでしょ? 千の英雄のことは、皆よく知ってるから」
「知ってる!? それは話が早くて助かる!」
「そうね、名前のことは後にして、今は他にやることがあるわよ」
アリスは横目で路肩付近を見ている。そこには、3人の騎士の死体があった。
「これは……この人達はアリスの……」
「知り合い、じゃないわよ。ほんとに知らない、通りすがりの騎士さん……なの」
苦虫を噛み潰したような顔で言うアリス。そうか、この人達はアリスが襲われている所を見て助けようとしたのか。
結果は………見る限り、だが。
「どうするんだ?」
「取り敢えず、一番近い街であるタナタートに戻って応援を呼んでみる。私のキャラバンには5人も乗れないから……仕方ないの」
キャラバン? 乗り物だと思うが……あ、そう言えば大きい馬車があったな。
そう思い、辺りを見渡すと、少し離れた所に大きな馬車のような物が見えた。
俺は3人の亡骸に小さく一礼をして馬車に歩を進める。死体を見るのはこっちの世界では始めてだ。
だから、一礼を下げるので精一杯。失礼なのは承知の上だが、俺はそんなことしか出来ないような弱い人間だ。
そして、歩いている途中、後ろからアリスの声が聞こえた。
「『恐怖』と死を司る神ゼノンよ、この騎士達に……慈悲と安寧を与えて下さい」
振り返ると、両膝を着き、正座の姿勢で手を組み、祈りを捧げているアリスがいた。
あれがこの世界での祈りの姿勢なんだろうか。正座とか少し前の世界っぽいなぁと懐かしい気分になる。
状況が状況なので感慨に耽ることは出来ないが、3人の騎士達に御冥福を祈りたい。
「待たせたわね………行くわよ」
赤く艷やかな髪を小さく梳く。アリスの挙動には、申し訳無さが滲んでいる。
だが、今、俺達に出来ることはこれが限界なのだ。そんな言い訳をして、馬車の前に立つ。
それから、俺は後ろを振り返り、
「いつか絶対に、この仇を討ちます」
そう言って馬車に乗りこむ。今は何も分からないこの世界、何も分からない自分自身。
そんな状況でも、俺の出来ることをやっていこうと、その時、心に決めたのだった。
◆
「凄いな。これが異世界の……」
馬車の中には、種々雑多な品々が広がっていた。形、質感、色彩、どれを取っても物珍しい品しかない。
特に珍しいのは文字が刻まれた壷で、口からは褐色の煙が出ている。
それは煙と例えるのが正しいのか分からないが、とても良い匂いを発している。
そして、俺は積み荷が沢山ある荷台から顔を出し、
「アリスは行商を?」
操縦席に慣れた手つきで出発の準備をしているアリスに声を掛ける。
「あ、あぁ……そうよ、売上はあんまりだけどね……」
やはり、アリスは先程の騎士の件で元気がないのか声にハリがない。それに加え、綺麗な真紅の瞳も霞んで見えた。
アリスはもしかすると『自分のせいで死なせてしまった』と自身を責めているのかもしれない。
だったらこんな時は、
「そ、そんなことないぞ! まだ子供なのに行商なんて凄い! えらい!」
「なんか色々とみえみえよッ! それに私は16なの! 立派な大人なのッ!!」
「あ、アリスが大人だったら俺は……俺は……18だ。俺の方が大人だな」
無論、年のことはまだ思い出してないので、真っ赤な嘘である。
だが、不思議なことに自分ではその位だろうなと、感覚で分かった。
予測になるが、他人から見てもその位には見えると思うんだが……。
「うるさい! うるさぁぁい! それ以上口応えするなら置いていくわ」
その言葉と同時に馬車が走り出す。アリスは操縦席で馬を動かしているが、本当に慣れているようだ。
それにしても、中々に大きい馬車なのに、馬は一頭しか居ない。
良く引けるものだと感心する。予想だが、この世界の馬の力は凄いのかもしれない。
それにアリスを励ますことも、最初は逆効果だったかと思ったが、どうやら効果があったらしい。
アリスの横顔には小さく笑みが浮かんでいる。その笑顔を引き立たせるように、赤い髪が風に揺られ踊る。
そんな小さい幸せが垣間見える。だが、
(なんだ? この感じ……)
アリスの笑顔を見た刹那、理由は分からないが懐かしいと思ったのだ。
それに神様と一緒に居た時にはアリスのことを初めて見たにも関わらず、謎の使命感が湧いていた。
もしかしたら、アリスは俺にとって……。
だが、アリスは今日初めて会ったはず。そんなの有り得ないよな、と自分の心の靄を晴らす。
そしてそんな思案に暮れていると、アリスがご機嫌な顔をしながら俺に言葉を投げてきた。
「そう言えばさ! 君の名前、思いついたの! 千の英雄って『自分の名前は一番最後に思い出す』らしいから、皆、前世とは違う名前をつけるのよ」
「そ………そうなのか、ありがとうな」
「なんか嬉しそうじゃないみたいね」
「いやいやいや! 嬉しいぞ! 今すぐ教えてくれ!」
不思議と冷や汗が流れた。そんな心境の変化がばれないよう、変に取り繕う。
「君の髪の毛! 珍しいからビックリしたんだぁー。黒髪なんて極東の【エルレイヴ】って国にしか居ないからね。だから、その国特有の名前にしたいなぁって!」
そんなに珍しいのか、と思い自分の髪に触れる。今気づいたが短髪だ。触り心地は短髪の割にあまり良くないが。
「そこまで考えてくれるなんて、ありがとうなアリス」
そんな他愛無い優しさに俺は親指を立て、サムズアップで返す。
アリスはハンドサインの意味が分からないのか、首を曲げる。そして、いきなりモゾモゾと動き出すと、
「べ……別に……」
「別に?」
「別に、良かれと思ってしてるだけだからッ!」
これまたどこかで聞いたことがあるような台詞を聞いてしまった。
これは、どこで聞いたのだろうか。何か思い出してはいけない何かのような気がして、俺は考えるのを止めた。
「わ、分かったから早く教えてくれ」
「よろしい、君の名前はッ―――」
あまりにも可笑しくないもの以外だったら、その名前にしようと決心していた矢先―――
―――急に世界が暗転する。
そして、現実と乖離する。
(おい、いきなり、またかよ………)
また、意識だけの暗い世界。双鎌の男、ジークに会った時とまるで変わっていない。
独りぼっちの世界。ここには俺しか居ないはずなのに、前だってそうだったのに。
だが、その時、またあの声が聞こえた。
『ツクル。あなたの名前はツクル―――』
『―――でも、ツクルは…………覚えているの?』
何者か分からない女性が言葉を放ち終わると同時、俺は現実に戻っていた。
現在はアリスが俺に命名する直前、即ち一秒も経っていない。不可思議な現象に頭が潰れそうになる、あの声の主は一体……。
そんなことを考えているとアリスが叫んだ。
「君の名前はッ―――」
悪寒がした、なぜか。
「―――ツクルよ!!!」
数秒、時が止まった感覚に陥る。
「嘘……だろ?」
「嘘なんか言う訳ないじゃない! それでどうなの? この名前」
彼女は真紅の双眸を輝かせ、確かにそう言った。寸分狂わず、あの声の女性と同じ名前を。
「―――――」
「ねぇ、返事は!」
「……あ、あぁ。いい名前だな! 有難く、その名前を使わせて貰うから」
「ほ、ホントに?! やったぁー! 見たわね、これが私の才能よ! これからよろしくね、ツクル」
「おう……よろしくな。アリス」
俺はそう言うと、静かに荷台に戻る。そして、丸く恐怖に怯えながら壁に背を預けた。
「怖い。俺は一体……前世で、何を……」
あの女性の声、何処かで聞いたことのある女性の声。
この事は誰にも話したくない。自分の問題だ。
これだけは俺一人で……誰の力も借りずに……解決すべきなんだ。
それが例え間違っていても……。俺は、この事を誰にも伝えたくない。
「俺は、何なんだ?」
自身の右手を見ながら言う。あの黒い壁、女性の声、漆黒の世界。
これら全ては偶然なんかじゃない。中には命を救ってくれた物もあるが、全て……。
それに、アリスとあの女性には何か繋がりでもあるのだろうか?
駄目だ、考えると恐怖で体が狂いそうだ。
「神様のやつ、俺に何を……」
それから、アリスはこの一時間、俺が拳を強く握っていることと、膝が震えていることに、最後まで気付くことは無かった。