17話 運命と出会い、夢と別れる (2)
「宛がある訳じゃねーんだけどな」
そう、ボソりと独り言を漏らす。何か宛がある訳でも無いが、こうして俺は街を練り歩いていた。
アリスからゼルビアスタに入る前に幾らか金を貰ったので、それも有効に活用していきたい。
夜の街は昼と違って、かなり危ない雰囲気を醸し出している。金と小包をやり取りする者や、娼婦などの勧誘が目立った。
こりゃ男の子一人が歩いていても危ないかもしれない。そうやって謎の恐怖に体が蝕まれていた時。
これからどこに向かうか思考している時。
そんな時だ―――――
「こんな……時間にッ」
――――俺の目の前を一人の少女が通り過ぎた。
銀色の長い、いや、膝辺りまで髪を伸ばしている少女。肌は透き通るように白く。
瞳は若紫の色をしていて、月光を跳ね返す程の輝きを放っている。
アリスとは違って大人びた顔をしているが、そんな中にも稚さが残り、とても美しい。
アリス並の美少女だ。年は俺と同じくらいで、シンプルな黒いワンピースを着ている。
野郎に埋め尽くされた戦来の街にも屈することなく、優雅に悠然たる面持ちで歩くその姿に、俺は、一目惚れのような感覚に陥った。
「待ってッ!」
固まった体を動かし、声を出す頃には、少女は裏の路地に入ってしまっていた。
俺は直ぐに少女を追いかける。ストーカー紛いの行為を平然としているが、こんな時間に美少女が歩いていては危険すぎる。
特に、この辺りは野郎が多い。そんな自分の行為を無理に正当化させて、駆け出す。
「あの店かッ……」
予想以上に歩くペースが早い少女にやっと追い付き、影を見た。
少女はバーのような所に入って行き、俺も店を覗く。どう見ても、一見さんお断わり的な感じの店だ。
妙に入り辛かったが、意を決して店の戸を開く。
「いらっしゃいませ」
「ど、どうも……こんば………」
俺は言葉の続きを言うことが出来なかった。柑橘系の甘酸っぱい匂いがする酒か、ジュースを、銀髪の少女が口にしていて、その姿が洗練されていて美し過ぎたからだ。
「マスター、お代わりを下さい」
鈴の音のような声で、口にする少女。それから、やっと少女は空気のような俺の存在に気付く。
「人……なんでこんな時間に居るのですか?」
「それは俺の台詞だッ! こんな夜中に、こんな可愛い少女が、こんな場所に居るなんておかしいだろッ!」
彼女は「コホン」と咳払いして、
「こんな場所とはマスターに失礼です。今すぐ、その言葉、改めて下さい」
「あぁ。変に高ぶっちまったな。すまん」
「いえ、結構です。あと、私に変に話し掛けない方がいいですよ?」
「ん? そんなに俺って怪しいか?」
「確かに、少し怪しいですけど……それとは関係ありません。どこで誰が見ているか分かりませんし、私に近づくと貴方の立場が危ういです」
この少女は何を言っているのだろうか? まるで、自分が人々から嫌われているかのように、まるで、自分が疎まれているかのように話をしている。
「そっか。なら隣に座るぜ」
俺は彼女の忠告に耳を傾けることなく、彼女の隣に座った。予想通り、彼女は不満げな顔をこちらに向け、直ぐに、俺を咎めてきた。
「貴方は何をしているのですか?」
「いやぁ……ちょっとばかし、可愛い同年代の少女が居たんで口説こうかなと」
真実半分、虚偽半分の言葉を告げると、マスターが含み笑いをする。
戦来には訪れたばかりなので断言は出来ないが、こんな夜中に俺と同年代の少女が軽装でほっつき歩くのは幾ら何でもおかしいだろう。
俺は確かな疑問を持ちつつ、彼女に接近している訳だが、こんな些細なことからジークへの手掛かりを掴めるかもしれないのだ。
それから、老人のマスターは俺にウィンクをして来たので、俺もぎこちないウィンクで返す。
「頑張れ」と瞳で代弁してくれているのだろう、それに、マスターは空気を読んで、俺に注文をせがまない。
中々に分かってらっしゃる。
因みに、アリスとは恋人関係ではないので、断じて浮気ではない。断じてだ。
「なッ! 貴方は私が、こ―――いや、いいです。知らない方がいいこともあります」
「俺は君がどんなに悪人でも、疎まれていても、軽蔑しないぞ」
「そう……ですか。変な人ですね」
「何も知らない俺から言わしてみれば、君のことを軽蔑する人の方が変だと思うけどな」
マスターは、うんうんと頷く。それから、俺は酒を飲むのに抵抗があったので紅茶を頼んだ。
マスターは先から空気を読んで一言も話さない。本当に良い人だ。
「君もオレンジジュースか、俺と同じだな」
「これは果実酒です。貴方のような変な人と一緒にしないで下さい」
「ハッハッー! 厳しいな。でも、そのくらいで諦める俺じゃないぞ」
「鬱陶しい人は嫌われますよ?」
「その割には君、笑ってるじゃん?」
「……えっ?」
俺がそう言うと、彼女は口に手を当てた。指は細く、とても綺麗な手だ。
彼女は頬を少し赤に染めて、顔を振る。そして、パンッと顔を両手で叩くと真顔で俺を見つめる。
いやいや、流石にもう遅いから。
「そう言えば、君の名前教えてくれよ。俺はツクル、多分18だ」
「たぶん? ……本当に変な人。私はノエル、姓はありません。16です」
「ほぉ。ほぉほぉ」
ノエルか、確かに彼女にピッタリな名前だ。名付けた親は相当にセンスがある。
それから、俺はノエルに幾つか質問する。その中で、
「ノエルってさ、何でこんな夜中に街をフラついてんの? 昼間の方が安全だろ。夜は色々危ないし」
「昼は……人に会ってしまうので……出れないんです」
俺は、ノエルが人に会うとどんな厄介があるのか聞けなかった。
それは、彼女がとても辛そうな表情をしていたから、俺には彼女の深くまで入る勇気がまだなかったからだ。
そして、俺にはこの顔に見憶えがある。アリス。アリスの顔だ。
時折、寂しそうな顔を浮かべるアリスの顔と、この顔は、酷く、似ていたのだ。
(ここで聞かなかったら……また、後悔するぞ?)
俺の心がそう訴えかける。アリスと同じ顔をノエルはしている。
独りで寂しそうな顔。俺はそれに酷く見憶えがある。だから、俺は決心して口を開いた。
「寂しいのか?」
「はい?」
「寂しいのか?」
「いえ、違います」
「じゃあ、辛いのか?」
「ち………違います」
「それなら…………楽しいのか?」
「――――――ッ」
その質問にだけは、ノエルは回答しなかった。だが、その答えは、沈黙で分かった。
「帰ります」
そう言うと、ノエルは金を置いて席を立つ。俺のせいだろう。だが、俺は何一つ間違ったことはしていない。
そう、信じたかった。だから俺は、
「また、明日も待ってるぞ。ここで」
「――――――」
ノエルは返事をすることなく、店の外に出た。瞬間、見えた横顔には少しだけ哀愁が溢れていた。
◆
ノエルが帰宅し、一人取り残された俺は、彼之何度も悪態をついていた。
「はぁ、やらかしたか?」
俺は先程の事がまだ頭から離れていない。
紅茶をまたマスターに頼むと、マスターが俺を慰めてきた。
「あの娘は、幸せという悪態から逃げているのですよ」
「はい?」
「ですから、この老体、少しだけ、ツクルさんに期待しております」
「はぁ……」
マスターの言っていることが何となく掴めないが、頑張れということだろう。
こうやって背中を押してくれる人がいるんだ、俺も俯いてばかりじゃいけないよな。
そう思い、俺は顔を上げ、経験豊富そうなマスターに質問をした。
「明日来てくれますかね?」
「はい。あの娘はきっと、きっと来るでしょう。ツクルさんに会いに」
「だと、良いんですがね」
そう言って、俺は紅茶を飲み干し、店を後にした。
◆
「ただいま」
俺は馬車の荷台の中に入り、言う。視線の先には、眠り転けているアリス。
俺が出ているときとは顔色が少しだけ変わり、寂しそうだ。
俺は馬車に戻るまでの間、色々と街中を物色していたが、ついに何の手掛かりも見つけることが出来ず、馬車に到着してしまった。
俺は「はぁ」と溜息をつくと、そっとアリスの横に入る。そして、そっとアリスの手を繋ぎ、眠りにつく。
すると、遠くで何かの鳴き声が聞こえた。それは次第に大きくなり、
「にゃははは。いつこの本と最下位君が目覚めることやら……にゃは!」
暫くして、また鳴き声が聞こえた。これは何の動物だろうか? 猫だろうか?
そして、耳を澄ますと、
「楽しみにしているよ、贈呈者。世界を……変えてネ」
遠くで、猫の泣き声が聞こえたような気がする。空耳にしては、聞き覚えがあるような不思議な『声』だった。