14話 戦来万来(1)
気不味い朝だった。俺達はメアが駄々を捏ねて、聞く耳を持たなくなるまでまで抱擁を交わし続けた。
現在は朝食を済まして、馬車を再出発させ、小一時間経った頃だ。
「うぅ……見覚えがあるにゃん、この道」
荷台の横窓を覗きながら口にするのはメア。紺色の髪が寝癖でボサボサしている。
その無邪気で破天荒な姿は、面倒なアリスを世話している時に出る疲れを癒やすのには持ってこいだ。
そして俺はメアの黒い猫耳を不意に触る。昨日、メアの猫耳を一回触ったが、あれから何時間に何回か触らないと禁断症状が出るようになってしまった。
だから、度々こうしてメアの耳を触っている。
「にゃ! ……またさわった〜! このアリスだいすき変態剣士ッ!」
メアは俺達の熱い抱擁を間近で見てしまった。その時、アリスが涙を零したので、俺が無理矢理アリスを抱き締めたと勘違いしている。
本当に止めて欲しい。
「アリスは……その、仲が良い友達みたいなもんだ。ま、まだ恋人関係でもないし」
俺も今ではすっかり、アリスを意識してしまっている。俺はアリスのように頬を朱くして、メアに反論したが、挙動が挙動なだけに怪しさ満点。
信じる訳がない。
「そ、そうよ! ツクルはこ、恋人だったらいいけど! 今は違うし!」
アリス、今、本音が聞こえたような気がするが?
「もういいにゃよ。二人があつあつなのはよーく、メアわかったから」
俺達は反論すら出来ない。そう言えば、ゼルビアスタまで後少しで着くはずだ。
到着予定は今日の昼。メアをさっさと孤児院に返して、アリスと一緒にゼルビアスタの街を散策する予定だ。
少し、楽しみである。
「お。あの時の本か」
そう言って、俺の横に置いてあるのは召喚書と呼ばれる魔道具。
偶々、横を覗いたら本が手元にあったのだ。本のページを捲ると、この世界の文字とは違う文字で一面埋め尽くされている。
これはスペルと言って、十騎士の魔術の神童がエルフ族との戦争の後、長老から教授され人間に伝わったとされている。
何でも神童は、エルフ族が未だ人間の敵だった頃、その種族間戦争をたった一人の力で終わらせ、エルフ族が長年怯えていた強力な魔獣を討伐したらしい。
つまり、その対価で魔力に反応できる(魔素材を通してだが)特殊な文字を教わることが出来たのだ。
文字の並びと形にはそれぞれ意味があり、並び方や法則次第では無属性から基本四属性まで幅広く対応出来る。
正に夢の言語。現在は魔術の神童が開拓したスペルの扱い方は多岐に及び、戦闘から日用まで幅広く扱われている。
主に、魔素材に刻むのが一般的で、その魔素材を通して魔術を発動させることが出来る。
因みに、このスペルを扱えれるようになれば一生は安泰だと言う。
そして、この本の装幀には魔法陣が描かれている。魔法陣はスペルとはまた違う効果を持つものだ。
魔法陣とは決められた動作しか出来ないが、発動に必要な魔力の量も少なく済み、非常にコスパが良い。
魔法を発動する為の陣があったり、この本にされてるような補助の為の陣、他にも沢山あるとのことだ。
この魔法陣も魔素材に刻むのが一般的だ。そして、この魔法陣も魔術の神童が開発したものである。
最後に、結界だがこれは様々な種類があって一概には纏められない。
簡単に言うと『魔道具から自分の魔力で編み出す物』ということだ。
戦闘でも度々使うことがあるらしい。
「アリス。前々から気にはなっていたんだが、アリスの持っているあの本も召喚書なのか?」
「それは分からないわね。でも、例えこの本が召喚書だとしても欠陥がかなりあるわよ。それは難しい話だから置いておくけど。それに召喚書が発明されたのは20年程前だし、この本は代々レッドフォード家に継がれてきた家宝なの。召喚書なんて流石にありえないわ」
「そうか、そうだよな」
やはり、この本の解決の道程は険しそうだ。だが、今の俺には別に解決すべき問題が山程ある。
一つは、アリスと一緒にいると、時折聞こえる女性の声。暗い別の世界で囁かれる恐怖。もう二度と体験したくない。
そしてもう一つは、ジークのことだ。俺達がタナタートを出る頃には、近衛騎士団はゼルビアスタに向けて出発している。
既に捜索活動が始まっているだろう。あの集団は英雄殺しのプロフェッショナルだし、見つかるのは時間の問題だ。
そして最後に、俺の剣技のことだ。体験しているはずのない記憶。
そして、流れるような剣戟。
それに剣にだけある魔術適正と属性適正。これらは一体何なのだろうか?
俺の中に別人でも住み着いてるというのか、或いは……。
「あ、でも魔道具が開発されたのは十騎士の魔術の神童がイノセントに来てからだろ? でも、この本はもっと前にある魔道具ってなら、話が噛み合わないぞ?」
「そうね。だから、あたしの家系はこの本のことが何一つ分からないのよ。【ロストマジック】、太古に栄えた文明の残り物なんだから」
アリスが言うには、昔々は人間にも魔術の素養があったらしい。
それはイノセンツ創世記の話になるのでまた別の機会になるが。
とにかく昔から大切に保管された、珍しい品だということだな。
「ねぇツクル」
「なんだ?」
既に舗装された道に出ている馬車を器用に繰りながら後ろを向き、アリスは話し掛けてくる。
「これから戦来の街に行くのよ。だから魔術のことについてお浚いするわ」
「そうだな。行商の時に魔法関連の話もされるだろうし、売上にも影響するだろ。何たってアリスは行商としての戦力は皆無だしな」
「うるさぁぁい! 黙って話を聞くのよバカツクル!」
アリスがそんな言葉を放つと魔法についてのお浚いを始めた。先ず、戦闘魔術とは大きく分けて三つある。
一つは、自身強化型魔術。
もう一つは、放出型魔術。
最後に、変質型魔術だ。
自身強化型魔術は俺も発動したことがあるが、主に自分の筋力や体力、感覚を鋭くしたりする効果があり、自身以外には干渉することはない。
逆流石という魔素材を使って発動するのが主だが、他にも数種類あるらしい。
そして、近接戦闘を得意とする者が強化魔法を好んで使う傾向があり、逆に魔術師はあまり強化魔法は使わない。
次に、放出型魔術はグローブやロッドといった魔道具、即ち、魔術師がよく使う魔法だ。
火球や水波、風斬、土塊などを放出する。放出の仕方や量は多くの種類があり、それぞれに名前がついている。
魔術師は良く、この放出型魔術を使って戦闘をする。そして、放出する魔力の量が多ければ多い程、発生する魔法の量も増え、魔力の練度が高ければ高いほど、質のいい魔法を放出できる。
どちらもバランスが重要なのだ。
最後に、変質型魔法だが、これは魔術の神童が好んで使っていたと言われる魔法だ。
曰く、『変質さえ極めれば後は必要ない』とまで言わしめているが、実際に彼がどのようにして戦闘で変質型を使っていたのかは不明であり、彼が残した地形でしかそれは分かっていない。
そう、彼はイノセントに最も多くの地形を作った英雄と言われている。
彼は変質型魔法と放出型の複合魔法を使い、死に際に一つの海を作り、その前には数多の山と崖を作り、さらに火山さえも創造し、竜巻さえ起こしたと言われている。
そんな変質型魔法だが、並の魔術師が使えば、放出した火をさらに熱くしたり、水を硬くしたり、風を様々な方向に曲げたり、土を粘土のようにしたり、どれも欠片も戦闘では役に立たない。
つまり、上級の魔術師でない限り、変質型は戦闘では使われない。
日用品の魔道具では変質型は大いに活躍しているが。
他にも魔法には種類があるが、この三つ以外の魔法を全て特殊魔法と呼んでいる。
例えば、アリスが得意とする召喚魔術。これは一応、放出型の仲間らしいが、特殊魔法に区別されている。
次に、神様が俺に見せた謎の魔法。ロストマジックと言われる転移魔法などだ。
回復や光魔法、これは光属性特有の魔法であり、担い手は少ない。
そして、呪いや闇魔法。これらは闇属性専用の魔法だ。
基本四属性以外に光と闇があるのは、俺は始めて知ったがかなり珍しく、アリスもそれぞれ一回しか見たことがないらしい。
闇魔法、これは魔術の神童ではない別の十騎士の一人が恐ろしく極めているとのこと。
後は、十騎士と俺達千の英雄にしか使えない『人生結界』と呼ばれるものがあるが、珍しいので詳しく知らなくてもいいらしい。
いや、めちゃくちゃ『人生結界』ってのが気になるんだが……。
「ま、こんなものね」
「あぁ。これで話も合わせられるだろ」
俺は相槌を打つと、この日二杯目のお茶を口にする。あの文言を叩きつけられてから、俺は約束通り一日三杯しかお茶を飲んでいない。
「ついたのにゃ!」
メアがブルーの瞳を輝かせながら口にする。メアの視線の先にはかなりの大きさの検問所が見える。
その後ろには小さくだが街並みが見える。
「待ってろよ、ジーク」
俺は誰にも聞こえないように呟く。不思議な感覚だ。俺は奴と、また会う、と確信している。
だが、放って置いても奴は殺されるだろう。それでも、俺はジークと決着を着けなければならない。
あの日、この世界に始めて来た日だ。救えなかった三人の騎士、辛うじて救えたアリスの命。
俺は、もう、後悔だけはしたくないんだ。これは俺の身勝手な我儘なのかもしれない。
誤った信念なのかもしれない。
だが、俺は思う。男には一つ、絶対に譲れない信念がないといけないんだと。
『見限られてるな……私は……神からでさえも……』
あの日聞いたジークの言葉。まるで、それが寂しさを露呈するアリスのようで。
助けを求める人間の目をしているようで。だから、俺は、間違っているかもしれない。
いや間違っているんだろう。
なぜなら、俺は―――
「お前を救いに来たんだ」
俺はいつだって正直で在りたい。その在り方が例え、間違っているんだとしても。
もうアリスに昨夜約束してしまったんだから。自分を誤魔化すのは嫌だから。
例え、それが悪だとしても。俺は、俺を貫き通す。仇を討つと誓った相手を救ってみせる。
「あの顔は、俺に効く。だってアリスとお前の顔は―――」
ジーク・ヴァン・クリーフ。
アリスとは性格が全く違う。
だが、あの日見せたジークの表情は、煢然なアリスの顔と……。
「―――バカみてぇに似てんだから」
ただ、敵を救う理由は、それだけだった。