12話 ツクルトアリス
あれから、俺はお茶を何杯も飲んでいた。それはそれは、アリスからお茶一日三杯の文言を喰らうまで飲み続けてしまっていた。
そして、すっかり日も暮れて何時かの時のように薪で休憩している頃。
「アリスお疲れ」
俺は何時間も馬車を動かしていたアリスを労うように言った。
「別に……こんなの当たり前よ」
そんな何時もの会話をアリスとしていると、気持ち良さそうに荷台の中で眠りこけていたメアを見つけた。
猫耳を時折、ピクピク動かし、少し暑いのか汗で紺色の髪が額にへばり付いている。
メアはショートボブなのでそれほど睡眠の邪魔にはなっていないが、俺は気になった。
「よいしょ、こんなもんかな」
俺は商品の一つである水のスペルが刻まれた魔道具の布を手に取る。
魔術の神童が開発した特殊なスペルが刻まれているので、剣以外に魔法適正がない俺でも発動は出来た。
そして俺は冷たくなったそれでメアの汗を拭き、首に巻いてやる。
これで幾らか楽になっただろう。
「た、たまに優しいわね……ツクルって」
「ま、気になったからしただけだ」
「あっそ……」
そして、アリスは何を思ってるのか薪に近づく。そんなことしたら暑くなるだろ? 何やってるんだ?
「熱中症になっても知らねーぞ」
「暑い……よ。ツクルぅ」
アリスは赤で統一された旅装束から着替えて、真っ白なワンピースの姿になっている。
やはり暑いのか襟をパタパタと前後に揺らしていた。時折、アリスの胸の片鱗が見えたが、俺はグッと我慢し、視線を逸し続けていた。
「ねぇー暑いってば!」
「暑いなら離れろよッ!」
「メアちゃんには優しくしてたのに……あたしにはしないんだ!」
こいつ、面倒臭すぎないか? 女というのはどいつもこいつも面倒な奴しか居ないのか?
そうやって全世界の女性を敵にまわすような思考をしている時。
俺はもう一枚、水のスペルが刻んである布を荷台から取り出した。
そして、薪の近くに座っているアリスの隣に座る。
「ほらよ、アリスお嬢様」
皮肉たっぷりでアリスに言うと、俺はアリスの顔に出ている汗をそれで拭った。
「きゃ、冷たい」
「汗なんか出しまくってっと、後から風邪引くぞ」
そして、布をアリスの首にメアと同じように巻く。アリスは瞳を真ん丸とさせて、
「……ありがと」
と言った。
◆
「よっし寝るかー」
俺達は薪での休憩を終え、馬車をまた動かし、見晴らしのいい道に出ていた。
道の両脇には魔獣が襲ってこないように魔除けの結界石がしっかり置いてある。
ここなら安心して寝れるだろう。
「んじゃ、おやすみー」
俺は何か忘れているような気がしながらも布団に包まった。俺の横では猫耳を生やしているメアが寝ている。
寝顔も非常にキュートだ。
しかし、眠りに入ろうとしていた、その時、何かが俺の布団の中に入ってくる感覚。
それは横向きで寝ている俺の背面から感じた。身震いしながら後ろを向くと。
「……やくそく」
そこにはアリスが居た。
「って! 何で居るんだよ! ……ん? あ、約束とかしたっけか?」
「……したじゃないッ」
「そうだったな。まぁ、安心しろ何もしねーから」
「しらないッ!」
そう言って、アリスは俺の布団を奪い去る。その横顔は腫れるように赤くなっていた。
取り敢えず、肌寒いから布団を返して貰いたい。
「よいしょっと」
「ひゃんッ」
一応アリスと一緒に寝る約束をしているので、布団に包まるアリスの元に入る。
アリスが女の子っぽい声を一瞬出したが、気にしないでおこう。
こういうのは気にしたら負けだからな。
肩と肩が擦れる程の距離。流石に俺も年頃の男の子なので心拍数が上がる。
直ぐに慣れて早く寝たいんだが、それは難しそうだ。
「どういう風の吹きまわしなんだ?」
「………………」
「返事は無しか」
なぜアリスが一緒の布団で俺と寝たいのか、俺には分からない。だが、この前、事故でアリスに抱きついた時のことをふと思い出した。
『あたたかったな』
あの時のアリスの本音。まるで、家族の温もりや優しさを全く受けていないかのように漏れた本音。
俺はアリスのことをまだ全然知らない。家族のことも、本のことも、何もかも。
いや、本当は『知っていた』んだ。
俺は、アリスが俺と一緒の布団で寝たい意味なんか最初から知っていた。
それでも、知らないフリをして誤魔化してきた。そして、気付いても行動には移さなかった。
それは、俺が弱いからだ。人の深い部分に踏み込み、自分の信念で相手を納得させる。
それは、そんなのは、ただの相手の気持ちを踏み躙る行為だと思っていた。
だが、それは本当にやるべきことから逃げるための言い訳でしかない。
本当のアリスの気持ちを蔑ろにする行為でしかない。俺は、アリスと本当の意味で向き合ったことなんて、ただの一度も無かった。
「なぁアリス……お前は……」
彼女は何時だってそうだ。どんな時も自分の気持ちを隠そうと、悟られないように壁を作っていた。
『べ、別に! 善かれと思って……』
『別に、こんなの当たり前よ』
『ツクルは、女の子の気持ち分かってないッ!』
そうだ、何時だってそうだった。
それは何故か? ただアリスが正直になれないだけ? いや違う。
彼女が人を信じきれないから。
何時だって寄り添って行けるような人が周りにいないから。
どんな時でも前を向ける仲間がいないから。
だから、俺は―――
「寂しいんだろ?」
そう言って、アリスを俺は抱きしめた。
「…………ばか」
確かな確信が、そこにはあった。思ったとおり、やはりアリスは抵抗して来ない。
アリスは寂しいんだろう。街の人の話を聞いて、アリスはずっと一人ぼっちだったと―――
「もう、心配しなくていいぞ」
―――それを知った時だ、俺はその時、何も言葉を掛けなかった。
馬鹿にするも良し、笑い話にするも良し、形は何であれ言葉にすべきだったのに、俺はしなかった。
何も出来なかったんだ。いや、出来るのにしようとしなかった。
それは、アリスのことを想ってしたことなのに、俺はそれがアリスを一番傷付ける行動だったなんて思ってもいなかった。
アリスは何時も、どんな時も、寂しそうだったのに。俺は……何もしなかった。
だから、俺はもう、自分に、お前に、嘘はつかない。今、誓うよアリス。
「アリス―――俺はッ」
「……………」
「あれ? アリス?」
顔を覗くと、アリスは安心しきった顔で眠っていた。それは俺が今まで見たアリスの顔の中で一番、幸せそうだった。
「まだまだ想いを伝えるのには、時間が掛かりそうだな」
俺はそんなことを口走りながら、優しくアリスを抱き締めて、安らかな眠りについた。
◆
朝。
「ねぇ……二人共にゃにしてるの?」
寝起きだ。耳が見える。もふもふしている耳だ。霞んだ目を擦り、背伸びをする。
視界が開け、腰を起こすと、アリスが俺の右腕に抱きついていた。
「本当に……お疲れさま……」
そうやって右腕に抱きついているアリスを俺は抱き締める。もう寂しい思いなんか絶対にさせない。
そう誓ったからだ。だって、アリスは俺の大事な……。
「おはようアリス」
「おはよう……ツクル」
「もう、寂しくないか?」
「――――ッ」
アリスが今、俺に抱き締められてるのを知り、顔を赤く染める。
何時もだったら超級のビンタが飛んでくるのだが、
「しばらく………このまま……がいい」
「はいはい」
そうやって、アリスが人の温もりと優しさを存分に感じるまでそれは続く。
心が始めて、通じ合えたと思った。
「にゃにしてるのッ!」
だが、その横では空気を読まない子猫が怒り狂って、俺達に罵声を浴びせ続けていた。