表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13月の解放区  作者: まつかく
9章 1120億の孤独
92/125

9-3 殺すことの出来ない獣


第九が響き渡り、内から外から少年少女たちが歓喜を味わっている。

憂理自身、勝利の美酒を味わっていたいが、現状ではそうしてばかりもいられない。


憂理はいち早く感慨から抜け出すと、呆然としたままのタバタへ声をかけた。


「タバタ! 今すぐ排水だ! 塞いだ穴を全部もどせ!」


大声で指示を飛ばされ、ようやくタバタは我に返り、そして返事を言葉にすることなく第九を浴びながら大きく頷くと、周囲のテオットたちに指示を出し、そのまま水飛沫を上げながら中央階段の方へと駆けて行く。


四季の『お土産』のおかげで、全館の封鎖は解除された。だが、まだ終わりではない。早く溜まった水を排出せねば、歓喜の歌を歌い、踊っているウチに溺死するハメになる。

歓喜の歌が葬送曲となっては、死んでも成仏しきれまい。


「こっからはどうすんだ、ユーリ」


翔吾などは勝利を確信しているようで、早速緊張感のない表情に戻っている。


「水をさっさと引かせて、全員の安全を確保だな。ロクの穴から外にでよう」


憂理は依然として嵐が去ったとは考えていなかった。

四季の『お土産』を全て理解してはおらず、『全解除』がどこまで作用しているかわからないからだ。

半村のセンタールームはどうなるのか――。


「杜倉さん! 七井さん!」


第九をかき消さんがばかりの大声で呼ばれ、声の方を見れば、ツカサが派手に水飛沫を上げながら駆け寄ってきた。

中性的な少年は、四方八方に水滴を飛ばしながら姿勢を低め翔吾の横腹に抱きついた。これはタックルと表現するのが正しい。


突然の突撃に翔吾は完全にバランスを崩し、ツカサもろとも水面にこける。

尻餅をつき、腹まで水に浸かりながら、翔吾は怒鳴った。


「ボケッ! 何すんだ!」


「七井さん! 僕、生きてます! ぜんぜん生きてますよ! すごい! やっぱり七井さんは凄いです! 杜倉さんたちは凄いんです!」


1年ぶりに飼い主と対面した犬でも、こうははしゃぐまい。飼い主の方はいささかに迷惑そうではあるが。


「当たり前だろ! タフな男は簡単に死にゃしねぇんだよ!」


「凄いですよ! 全部ひっくり返しましたよ! さすが七井さんです! 一生ついて行きます!」


憂理などは、ツカサが『歓喜の歌』の成分を摂取しすぎたのではないかと心配になる。余計な心配をしながらも憂理はツカサに歩み寄り、訊いた。


「ツカサ。通風口は解放されたか?」


「はい! 完璧に!」


「地下階の状況はわかるか?」


ツカサは翔吾に引き離され、ようやく腹まで水に浸かった体を起こした。


「えっと、それが、よくわからないんです。半村さまもカメラの前に姿を現さないし、地下階の図面をどうやって見るのかもわからないんで」


「シャッターはどうだ?」


「それは開いたのを確認しました! もう地下階に行けますよ!」


「そっか。良かった」


地下への道が開けたならば、地下階から大区画を経由しての脱走が可能になったという事。これで空気と逃走ルートは確保できた。

憂理はオレンジのボタンを押して、ジンロクを呼んだ。


「ロク。説明が遅れたけど、空気は確保できた」


返答には間があった。憂理がボタンから指を離し、トランシーバーをじっと見つめると、ようやくジンロクの応答が聞こえる。


「そうか。うん。さすがだな。音楽鳴って、何かと思ったが。選曲は、まぁ悪くないな」


「いや、曲は四季の趣味だ。あいつが全部の遠隔操作を無効にする『お土産』を残してた。そっちはどうだ?」


「まだかかりそうだな」


「そか。穴があかなくても、地下階からエレベーター経由で外には出られそうなんだけど、一応掘っといてくれ。地下の状況もよくわからんし、できれば半村には近づきたくない」


また返答に間があった。


「ユーリ。時間がかかるかも知れん。いま、テオット連中が引き上げて行った」


状況の変化を察したタカユキたちが、作業から離脱したと聞いても憂理に驚きはなかった。もとより『生き残り』のために共同戦線を張っただけで、目的が果たされた今、袂を分かつのも自然な流れ。

だがそれは憂理にとっても都合の良い事でもあった。


「いいよ。それで。テオット連中はどうせ外に出るつもりもないだろうしな。ほっとこう」


「ん。そか。俺とナオしか居ないから、少し手間取るかもだが、作業を続ける」


「頼む。俺と翔吾も向かうよ」


「ん。ようやくだな」


「まったくだ」


通信を終えた瞬間、ようやく憂理に実感がわいてきた。

――ようやく施設を出る。


遠くない過去、無邪気に目指していた脱走という目標。それが命がけの脱出となったのは予想外だったが、なんとか目的は果たせそうだ。

翔吾もずぶ濡れながらも余裕を取り戻している。


「ユーリ、じゃあこれ以上面倒に巻き込まれる前に、外に出ようぜ」


「ああ。そだな。ロクのとこ行って手伝おう」


「あの」ツカサが不安そうに憂理と翔吾を見比べる。「僕も、その、行ってもいい……ですか?」


憂理が翔吾をみると、翔吾は憂理をみた。

そうして二人でワザとらしく肩をすくめ、打ち合わせでもしていたかのように翔吾が言う。

「お前、ヘタレだしなぁ。なぁユーリ」


「エイミを狙ってんだって?」


「そんな! 違います! ヘタレじゃないですし、芹沢さんを狙ってるトカ、そういうのじゃないです! 約束したじゃないですか! 連れてってくれるって!」


あまりの必死な姿に、憂理は笑ってしまう。功労者の希望をムゲになどできるわけがない。


「嘘だよ。来ればいい」


「ホントですか! やった!」


「足ひっぱんなよ?」


翔吾が不肖の弟子へ手厳しい言葉をかけるが、ツカサはソレを跳ね除ける勢いで答える。


「はい! 引っぱりませんよ! 役に立ちます!」


「じゃあ、とりあえず学長を助けに行くか」


第九を行進のテーマとして憂理たちが移動を開始してまもなく、すぐにその行進は停止させられた。

――悲鳴?

立ち止まった憂理と同じく、翔吾やツカサもその足を止める。

どこか――生活棟のどこかから悲鳴が聞こえた。第九の荘厳なコーラスにまぎれて、たしかに悲鳴が響いた。


「杜倉くん! できない!」


トランシーバーから上がった混乱気味のタバタの言葉は、余りにも説明が不足していた。憂理がその『欠けている』部分を問おうとする前に、追加の情報が入る。


「深川が!」


遠くから響く悲鳴、混乱したタバタ。深川。これらの要素を見れば名探偵でなくとも何が起こっているのか推測できるというもの。

遠隔ロックで閉じ込められていた悪しき者。その封印が解かれたのだ。


タバタの報告を聞いて、もっとも早く動いたのは翔吾だった。

迷いなく、悲鳴の聞こえた方へと水飛沫を散らしながら駆け出した。猫科の本能を疑うことなく、憂理もすぐさまその後を追う。

深川と同じように封印を解かれ、通路に迷い出た半村奴隷の男子たちを横目に騒ぎの中心へと向かう。


やがてタバタと遭遇した。通路の壁に背を預けて座り込み、腰まで水につかっている。

頭から流れ出した血液がその整った白面をドス黒く汚し、乾ききらない鮮血が艶やかな髪を固めている。


「おいタバタ……?」


憂理とツカサは立ち止まってタバタに歩み寄ったが、翔吾は一瞥しただけで走り去ってゆく。

タバタはその名を呼んでもまるで人形のように動かず、胸の前にトランシーバを握ったまま、ただ頭を垂れていた。


「と、杜倉さん」


――死んで……?


憂理がタバタの前に膝をつき、その白面をのぞき込むと、瞼には動きがあった。半開きになった瞼が小刻みに生命の継続を伝えている。

しかし、その眼に生気はなく、気絶しているように見える。


「生きてる……」


「よ、よかったです!」


「でもヤバそうだ。痙攣してる」


「ど、どうしましょう」


「頭に一撃もらったみたいだな。ほら。ここ割れてるわ。血がすげぇ出て……」


「うう。深川先生がやったって事ですか」


「ああ。殺す気の一撃だな。これ」


憂理はタバタの脇にあったテオット槍を手に取ると、落としていた膝を上げた。


「と、杜倉さん、怖いです。こんなに血が」


ツカサはタバタの様子を見て完全に怖じ気づいたらしく、唇の血色を失っている。だが憂理とて同じ。以前、倒れた自分に対して深川が大上段に鉄パイプを振り上げた瞬間の恐怖が蘇ってくる。

人殺しとはこういうことか、と憂理の心胆を寒からしめた深川の眼。何の躊躇も戸惑いもない眼。


「こわぇよな、マジで。アタマ飛んでるぶん半村の比じゃねぇよ。……お前、ここにいて良いから」


憂理が言うと、ツカサはおずおずと首を振る。


「いえ、七井さんは行きましたもん。僕も行きます。行かなきゃ」


見上げた師弟愛だと思う。「そっか」とだけ返し憂理は槍の具合をチェックして、それが使用に耐えうるものか調べた。

棒とナイフは針金で頑丈に固定されており、しっかりしている。だが、この棒の太さでは深川の『フルスイング』を防ぐことは出来なさそうだ。

まさに突くことに特化した武器だと思う。先制しなければ、きっと自分もタバタのように――。



 * * *



憂理が騒ぎの渦中に辿り着いた時、すでに場は完全に深川の独壇場だった。


数人のテオット女子が水面に倒れ、中には浮いて――漂っているものまでいる。頭部からの出血が水面に美しいマーブル模様を作り、よどみがちな水流を視覚にわかりやすく見せていた。


この場に自分の両足で立っている者は、ただ3人。深川、翔吾、そしてパンク少女サトリ・アヤカだ。

そして、翔吾もアヤカも完全に『蛇に睨まれたカエル』の完璧な図を見せていた。

武器を持つアヤカがにじり寄ってくる深川に合わせてジリジリと後退し、翔吾は折れた棒きれを両手に持っている。やはりテオット槍は深川の一撃に耐えうるものでないようだ。


そして、深川は醜かった。

過去のどんな時より、醜悪で、邪悪で、獰悪――つまりは最悪だった。地獄の釜の蓋が開いても、これほどまでの存在は出て来るまい。


タールを被ったような乱れ髪、その隙間から見える目は片目が潰れたように閉じられ、眼窩がまるごとドス黒い。開いたもう一つの目の中では三白眼がキョロキョロと落ち着き無く動き回っていた。


手に握られた鉄パイプは、ますます異形に変形し、異様な深川と完全に融和している。魔女に杖と言ったおもむきだ。

ジリジリと下がるサトリ・アヤカが、憂理を見ずに言った。


「タバタ師長がやられた。みんなやられてる。この女、水道の蛇口を片っ端から壊してる。水が……止まらない」


「クソ、なんでこんな」


三白眼が憂理を見つけると、翔吾と憂理の間を小刻みに行き来する。


「杜倉。憂理。七井。翔吾」


朝礼の点呼でもあるまいし、名を呼ばれても返事する気にはなれない。


「お前らが、殺した。お前らが救世主を殺した」


憂理は翔吾の横まで出ると、槍を深川に向けた。


「殺してねぇよ。何もしてない」


翔吾も言う。


「何度も言わせんなクソババァ」


何度言っても無駄。そんな事は今の深川を見れば分かる。この女にはもう、学習能力はない。補習や居残りを課しても、きっと永遠に覚えてはくれないだろう。――彼女の終わりまで。


「神はいた! ワタシは道を間違った!」


唐突に深川が天井を仰ぎ、意味不明のことを叫ぶ。


「こんなトコロじゃなかった! メサイアズ・フォーラムは間違っていた! ワタシも羽美を間違って導いた!」


憂理は額にじんわりと汗をかきながら、思う。――間違いだらけだよ、本当に。


「神の声を聞ける者が居たのに! ワタシは間違って、こんなトコロにきた!」


「ユーリ」翔吾が臨戦姿勢のまま、呟く。「本格的に、イッてるわ」


憂理も構えたまま返す。「知ってる」


「マギーの見た夢は正しかった! この水もマギーは見ていた! なのにワタシは羊の群れから道を外し、こんな悪魔と偽善者ばかりの場所に来てしまった! 悪魔の導きにハマった!」


やはり深川を凝視したまま、翔吾が言う。


「コイツ、何いってんだ……? マギーの夢?」


その疑問に答えられる者は、いない。


「八つ目の夢! これは八つ目の夢! 未曾有の水害、裂けた大地を覆う水! マギーこそ真の伝道者だった! マギーの元にいれば、羽美も死ななかった! 救いがあった! まだ、まだ」


――まだ?


憂理が深川の言葉を脳内で反芻した瞬間、深川は動いた。

「まだ! 間に合う!」


天井を仰いでいた醜い顔が、クイと下がり、憂理と翔吾に凶悪な視線が向けられた。


「最後の前に! 携挙の前に! 悪魔を全て! 消せばッ! マギーと空へッ!」


憂理は背中に鳥肌が立つのを感じた。

本能なのか、第六感なのか、自分でもわからない何かが、危機を告げていた。


深川の『攻撃スイッチ』が入った事に気がついた瞬間、憂理自身も攻撃のスイッチを入れた。先制しなければ、殺られる。


ほとんど跳躍のような速さで深川が距離を詰めてくる。水面が噴火したかのように激しく飛沫を上げ、コンマ1秒ごとに深川という名の殺意が憂理に接近してくる。これは機械だ。憎悪を燃料とした機械――。人間じゃない。


逡巡するまもなく、憂理は決断し、槍を強く握った。

それこそ、持った部分から折れてしまうのではないかというほど強く。そして、異形の鉄パイプを振り上げて突進してくる深川にその切っ先を向ける。

戸惑いはなかった。やらねばやられるだけ。殺さねば、殺されるだけ。


そして姿勢を低めて、大きく引いた槍を全力で深川に突き立てる。空気を切る音もなく、ただ槍は深川の胸に到達した。

駆け寄る深川の勢い、全力で繰り出した突き。それの相乗効果は凄まじく、憂理のテオット槍は吸い込まれるようにして、深川の身体に穴を形成し、貫いた。


急に手応えがなくなり、槍の柄がどんどん深川の身体を通ってゆく。

時間は1秒が何万分割されたかのように細切れに流れ、そして緩やかな時間の中で、槍を胸に吸い込みながら深川が近づいてくる。


誰かが叫んだ。

憂理に出来ることはもう、なにもない。


槍を突き立てるにも、もうそれは深川の身体を貫通している。ゆるりと流れる濃密な時間のなかで、憂理はただ強く槍を握るしかなかった。

スローモーションの世界で深川が、手にした鉄パイプを高く振り上げるのを憂理は見た。

その角度、その高さ、その勢い。鉄パイプが振り下ろされれば、確実に頭蓋を砕かれ、即死する。それを憂理は直感する。


だが動けない。

いつか感じた感覚が怖気とともに憂理の全身を駆け巡っていた。あれも、あのときもこんな風だった。尻餅をついた憂理に、大きく狂気を振りかぶった深川。


そして、やはりあの時と同じように、憂理は動けなかった。ただ死に直面して、身体がこわばるばかり――。


「憂理ッ!」


遅延した時間の中で翔吾が叫んだ。直後、折れた槍が深川の右腕に突き刺さる。その切っ先は深川の二の腕をあっさり貫通し、深川の攻撃を阻止した。

だが、深川は凶器を放さない。


翔吾が素早く二の腕から槍を引き抜き、もう一度肘の辺りを刺した。

パッと散った血しぶきがうねるような曲線を描き、その赤が憂理の頬にも数滴かかった。

次の瞬間にはパンク少女の繰り出した突きが深川の首を貫く。


合計、三本の槍が深川の身体を貫き、彼女の動きを止めた。

そこでようやく鉄パイプが彼女の手を離れ、床の水溜まりに飛沫を上げて落ちた。


憂理を見据えていた片目の三白眼がデタラメに動いて宙をさまよい、口元にはピンク色の細かい泡が溢れている。


――こ、殺した。


「こっちだ! 深川がいる!」


遠くから声がして、無数の人間が駆け寄ってくる物音を憂理は聞いた。ザバザバと水をかき分け、叫び、近づいてくる。


瞬間、宙を追っていた深川の目が、キュッと動いて再び憂理を睨んだ。

これが果たして人間の眼か。自分と同じ人間の眼か。憂理は思う。

違う。これは人間の眼ではない。決して人間の眼であってはならない。

これほどの憎悪と、強烈な殺意、底知れぬ闇を持ち合わせた眼は、決して人間の眼であってはならない。


ピンクにまみれた口元が動けないままの憂理に向かって大きく開かれた。


泡まみれの唇、前歯の隙間に血液が入り込み、歯と歯の境界を際だたせている。

そして深川が叫声と共に、動いた。

身体に突き刺さる三本の槍をモノともせず、深川は強引に前のめりになり、その頭部を憂理の首元へと伸ばしてきた。


彼女のべとべとの黒髪からは、ふわりと、濃縮された脂と血の臭いがし、憂理の首に触れた彼女の鼻先が、一点の冷たさを感じさせた。

一瞬の出来事に状況が掴めないまま立ち尽くしていた憂理、その首に激痛が走った。


深川の歯が、憂理の首に突き刺さってくる。

噛み千切らんがばかりの力で歯が立てられ、真っ白な痛みが憂理の首を焼く。最後の武器を使い、最後の抵抗を見せる。

深川の獣じみた抵抗に対し、憂理の行動より早くタカユキの声が上がった。


「やれ! とどめを!」


その猛々しくも透き通った号令が響いた次の瞬間、テオットたちの手にしていた無数の槍が、深川を的にして突き立てられた。

深川の片目は以前、ケンタにより潰され、今や隻眼となっていたが、残った目も『槍の的』となった。


眼、首、腕、肩。

数本の槍が彼女を突く。ピンク色の血液と、ドス黒い血液、タールのような赤黒い血液。様々な赤が深川から噴出した。

血液にこれほど多様な色があったのかと感心するほど様々な赤や紅や朱が飛散し、その不吉な暖色が秋の山里のように深川を彩った。


だが、穴だらけにされながらも、深川は憂理の首を噛む力を弱めない。

眼も失い、腕も壊れ、呼吸も奪われ――それでも狂犬のように憂理の首をかみ続ける。


「殺せ!」


再びタカユキの声だった。

タカユキが深川の眼窩に突き立てた槍を更に押し込み、スプーンでジャムを混ぜるかのように手首をひねって内部をえぐった。

彼女の『内部』がかき回されるのを深川の歯を通して憂理は感じる。ぐりぐりだか、ごりごりだか、身の毛のよだつような感触を体験した。


そしてしばらくののち、深川は止まった。フッと、噛む力が抜けたのを肌に感じる。


1秒前まで全身全霊が込められていたものが、1秒後にはゼロになる。

怨念や執念、怒りに激情。それらが力とともに消え去るのを感じた。この消失に憂理は生まれて初めて、至近距離で『人が死ぬ瞬間』を見た。


「引き離せ!」


タカユキに言われるまでもなく、翔吾が深川の髪を鷲掴みにして憂理から強引に引きはがしにかかると、憂理の首の肌から深川の歯が抜け、それに変わって生ぬるい痛みだけが首に残される。


引き剥がされた深川は体中に槍を刺され、さながら奇形のハリネズミのようになっていた。


「大丈夫かッ! ユーリ!」


翔吾が血相を変えて憂理の首元をあらため、舌打ちを聞かせる。


「クソッ! 血まみれじゃねぇか! 食いちぎられてねぇか!?」


憂理は放心状態になりながらも、自らの首に手を当て、手のひらで傷を確認する。


――肉は……ある、食いちぎられてはない。


倒れた深川はゴミのように床にうち捨てられ、T.E.O.Tたちが更に槍を突き立てていた。死者に鞭打ち――ならぬ、死者に串刺しだ。

刺せるところを全部刺す――これが恐怖によるモノである事は心理学者でなくともわかる。

圧倒的な恐怖が、T.E.O.Tたちを過剰に暴力的にしていた。


第九の響き渡るなか、無数の槍が動かなくなった深川に何度も何度も突き立てられ、次々に穴を増やしてゆく。

その穴からあふれ出した血液が床の汚水をさらに汚く染め、槍の切っ先から宙に飛散する血液だけが鮮烈に赤く、強烈に赤く、美しかった。


もう、深川は死んでいる。きっと誰もがそれを知っていた。


だがボロ雑巾のようになった深川を取り囲むT.E.O.Tたちはまったく手を休めず、延々と刺し続けていた。

やめろよ、もう、死んでる。

そんな言葉が憂理の喉まで上がってくるが、首の痛みに引っ込み、消える。


「憂理、立てっかよ。コレ、包帯か何か巻かなきゃやべぇぞ!」


翔吾が血相を変えて言うのも仕方ない。

憂理自身、首を押さえた指の隙間から血液がとめどなく流れ出すのを感じる。指と指がぬめり、意識も不明瞭になりつつある。


「大丈夫だ……。狂犬病は心配だけどな……」


上っ滑りの軽口を叩きながら直立の姿勢になるが、膝が笑い上手く立てない。ただでさえ体調不良に悩まされていたところを、これは追い打ちに近い仕打ちだ。

首の痛みが薄れつつあるのは、早くも血が不足し始めているためか。


「おい! ツカサ! ユーリを医務室連れてくぞ! 学長に手当てしてもらう!」


スッと憂理の右脇の下に翔吾の頭が入り、間をおかず逆サイドの左脇にはツカサの頭が入る。

そうして2人の肩を借りながら憂理が一歩、二歩と歩き始めたところでタカユキの邪魔が入った。


「憂理。危ないところだったね。大丈夫かい?」


これには翔吾が応じる。


「大丈夫かどうか見てわかんねーなら、真実の眼ってのはマジ腐ってんな! どけボケ!」


「七井。憂理を頼む。僕たちはこのまま地下に降りて、半村を片付けよう。この施設を取り戻すんだ」


「勝手にやってろ!」


怒鳴る翔吾に倣って、ツカサも声を張る。


「勝手にやってて下さい!」


がなり立てる2人とは対照的に、タカユキは落ち着き払った声で淡々と言う。


「深川がそこら中の蛇口を破壊して回った。これじゃあ放水が止まらない。排水溝の栓を取り除いても、排水できるかどうかわからない。いそいで憂理を安全な場所に運んでくれ。ここからは僕たちが何とかしよう」


「だから勝手にやってろって言ってんだろがボケ!」


「七井。次にあった時、憂理が無事じゃなかったら――。お前を殺す」


深川の血に染まった槍が、翔吾に向けられた。今まさに『実用』された武器というのは脅しの効果を嫌がおうにも高めるモノ。

だが七井翔吾はひるまない。それはもちろん七井翔吾だからだ。


「おいボケ。ダレ様にソレ向けてんだ? 俺を刺すってんなら、一撃で殺す気で刺せよ? じゃなきゃ、俺より先にお前が死ぬぞ」


「七井。頼んだよ。僕はこのチャンスを生かさなきゃならない。新世界のため、救済のため……杜倉憂理の……」


言いかけた言葉を止め、タカユキは周囲のT.E.O.Tたちに号令を出した。

「いくぞ! 半村を捕らえろ! ここが最終局面で、第一歩だ!」


そして水飛沫をあげながらT.E.O.Tたちが走り去ってゆくのを憂理はもうろうとした意識の中で見ていた。

たしかに最終局面だ。まもなく全ては終わるだろう。


深川は死んだ。これ以上ないほど、死んだ。憂理は生きている。死に直面しても、まだ生きている。

深川だった物体を見つめ、死とはあっけないモノだと憂理は感じていた。


あれほどの執念や情念をもっていても、死ねば終わり。

――俺も、そうだ。


杜倉憂理という人生で学んだ技能、集めた宝物、知り得た知識、それらは死によって無になる。無になって、形ある肉体は腐り、やがてハエですらも見向きしないような物体へと変わり果てるだろう。


――『生きる』って、生きる価値あんのか?


ここにきて、ようやく学長の言った『受け継ぐ』という意味を憂理は理解したように思えた。

人は死ぬ。必ず死ぬ。あっさりと。


だから、技能も宝物も知識も、誰かに託し、受け継ぎ、連綿と繋いで――その虚しさを紛らわせようとするのか。その『死』に、意味を持たせようとするのか。


『生と死』について考え込んだ憂理は、やはり自分がネクラなのかも知れないと思う。自分の生命を脅かした深川にも感傷を覚えてしまう。


だがT.E.O.Tたちは躊躇無く、人を殺めることが出来るだろう。

自分たちを死に追いやろうとした暴君に、T.E.O.Tたちは一欠片の慈悲も感傷も持たないに違いない。

生命を脅かされた恐怖は、集団心理と化合して、人をいとも簡単に狂乱に落とし込む。


暴力による統治で君臨していた半村は、深川以上に苛烈な待遇を持って処されるだろう。


『残酷な死を迎えるだろう』

いつかタカユキが半村に向けて放った予言、その成就が間近に迫っていた。


暴力が、結局はさらなる暴力でしか打倒しえないというのも皮肉なこと。


歴史の勝者が連綿とそうしてきたように、T.E.O.Tも自分たちの行う暴力をもっともらしく正当化するに違いない。

勝者にとって都合の悪いモノは歴史の闇に葬られる。


ペンは剣より強い。100年先の未来へと敵の悪行を伝え、告発することができる。

ペンは剣より強い。たしかに結果はいつもそうだろう。


だが勝者とてペンを握って勝ったわけではない。争いの勝者が、勝利ののちに血濡れた剣をペンに持ち代えるにすぎないのだ。


歴史は勝者のペンによる独白でしかないのだから。死者は、なんの弁解も弁明も許されないのだから。T.E.O.Tたちは勝者となり、これから行ういかなる殺人も、きっと崇高な行為として理想化するだろう。


だが、憂理は違う。

深川を殺したという事実を、自分の一番深いところに刻みつけた。


生きるために、殺した。自分が死なないために、殺した。

消化できない思いが、ただ胸を焼く。

人を、殺した。




 * * *


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ