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13月の解放区  作者: まつかく
9章 1120億の孤独
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9-1b 消耗戦


生活棟の水位は、憂理の予想を上回る早さで上がりつつある。

膝上ぐらいまで水位が上がったせいで、大階段から下りたあとは慎重に歩かなければ足を取られそうだ。


「なんか……すげぇな、これ」


我ながら、無茶をやったものだと感心する。菜瑠などが残っていたら、この光景を見ただけで失神してしまうのではないか。前に進むたび濁水はズボンを濡らし、じわじわと重みを増して股間のあたりまで上ってくる。


それでもザバザバと派手に水をかき分けながら、ようやく半村寝所まで戻ってくると、翔吾が小窓に張り付いていた。


「なぁ、翔吾」


憂理が呼びかけても、翔吾は小窓に張り付いたまま動かない。寝所内で好きなアニメの最終回をやっていたとしても、こうはかぶりつくまい。

翔吾からウワのソラの見本のような返事が返ってくる。


「ああ」


「あのさ、本当の杜倉憂理ってどんな奴か知ってるか?」


「はぁあ? まだアホが治ってないのかよ、お前は。マジ、あのクスリでアホが持病になったんじゃねぇのか? やべぇぞソレは」


「俺さ、タカユキに『お前はホモだ』って言われた」


ここにきて、ようやく翔吾の顔が憂理へと向く。片眉を大きく上げ、口をマヌケに半分ひらき、唖然として言う。


「なにそれ。お前、ホモなん?」


「タカユキはそうだ、って」


「いや、ソレ、タカユキじゃなく、お前が決める事じゃねーの? そういうのってよ。よく知らんけど」


「まぁ違うけど」


「じゃあ、あんな変態の言うことマに受けんなよ」


「わかってるけど、断定されてさ、なんか不安になって。もし俺がホモだったら、どうすればいい?」


「あー。お前は。そん時はイイ男紹介してやるよ。稲上ってピッゲストな奴をよ」


「いやだ。選ぶ権利はあるだろ」


「ねぇよ」


「ともかく、なんか、断言されて動揺した自分が怖くなった」


「ワナだろ、ワナ。アイツ、なんとかセミナーの手口使うって遼が言ってたろが。なんか企んでんだろ。お前をワナにハメて、利益を……だろ」


「俺がホモで、誰が得するんだ?」


「ケンタ」


翔吾はいかにも『もうまじ馬鹿言ってんじゃねぇよアホ』という表情で再び小窓へと視線を戻した。

――そうだ。ワナだ。


タカユキは何かしら高度な心理作戦を仕掛けようとしたに違いない。だとすれば考えれば考えるほど、タカユキの術中ではないか――。


これ以上、タカユキの言葉に耳を貸すのはよそうと憂理は思う。

嘘も100回繰り返せば真実になると聞く。いつの間にかイツキを多少なりとも意識するようになったのも、イツキの『好き好き攻勢』――繰り返しの刷り込みのせいだ。これは洗脳だ。

憂理はようやく気を取り直して、訊いた。


「で、どうだ、半村は?」


憂理が訊ねると、翔吾は小窓に目を向けたまま肩をすくめる。

「わかんね。でも、なんかすげぇ気味悪いわ」


「なにが?」


「ツカサがどんだけ通信しても、半村のやつ無視ってる。さっきの全館放送してから、ずっとダンマリだ。画面にも映ってない」


小窓から寝所内部を覗く翔吾の目に、深刻な危惧の色があった。

半村に『打てる手』なんて、もう残されていないはず。半村がバカじゃないのなら、選択肢は2つ。降伏するか――降伏させられるか。

憂理はあえて不安を隠して言った。


「プライドが邪魔して負けた、って認めるのが許せないんだろ。でも時間の問題だ」


「だといいけどな。なんか、イヤーな予感がすんだよな」


半村がどうであろうと、地下階の水位が一定以上になれば安全装置が働き、ドアロックは全て解除される。

そうなれば憂理たちとて無事では済まないが、それは半村にも言えること。

翔吾は忌々しげに壁を叩くと、ようやく小窓から離れた。


「……なぁユーリ。半村よ……逃げたんじゃねぇか?」


「逃げ……た?」


「大区画から大型エレベーターに乗ってよ。外に逃げたんじゃ……ね?」


それは、憂理にとって『完全に想定外の選択肢』だった。

しかし、言われてみれば、たしかにそうかも知れない。半村の身になってみれば、水没し、機能しなくなった施設に執着する理由がなく、逃げてしまえばミジメに降伏する必要がなくプライドは傷つかない。


むしろ、憂理やT.E.O.Tという反乱分子たちに『キツイシツケ』を与えることができる。女子たちには愛想を尽かされ、反乱分子に生活棟と上階を乗っ取られ、頼みの地下階も水浸し――。

これはどう考えても――。


「マジかよ……」


「イヤ、わかんねぇけどな。ソレも無くは無い、だろ?」


無くは無い、どころか、そうなんじゃないか。そう思えてならない。勝ったのか? 半村が逃亡したなら、これは勝ったと考えるべきか。

――いや、違う。

半村、杜倉グループ、そしてT.E.O.T。その全員が負けたのだ。

半村がロックを解除しない以上、ロックの解除は安全装置の作動を待たねばならず、それは排水装置の水没をも意味する。


憂理は握っていたトランシーバーを口元まで持ってくると、オレンジのボタンを押した。

――水を……とめないと。


しかし、酸素はどうなる?

水を止めれば、安全装置は作動しないかも知れない。だが、酸素も供給されない。だが、このまま放水し続ければ、わずかな生存者を残して溺死する。

ジンロクたちが穴さえ開けてくれれば、酸素と脱出口を確保できるが、間に合わなければ?


憂理は目を閉じて、様々な不安を脳から排除し、正しい筋道を探した。

緩やかに冷静が取り戻されてくると、なすべきこと、歩むべき道が明確に見えてくる。

そして、確信と共に憂理はオレンジのボタンを押し込んだ。


「なぁ、タバタ。聞こえてるか?」


「聞こえてる」


「放水を一旦止めてくれ」


「えっ? じゃあ半村が降参……」


「違う。とにかく、水道を今すぐ止めてくれ。でも排水口はそのまま塞いでおいてくれ」


「どういうこと?」


「現状で、生活棟と上階に溢れてる水を、いったん地下階に流す。様子見だ。すぐにやってくれ」


返答には間があった。その『間』は、不服なり不満なりを表明する、いわば言外の言だった。それぐらい憂理にだってわかる。


「……わかったわ」


「頼む」


翔吾はいつになく真剣な表情で、通信を終えた憂理を見つめ、やがて微かに首をかしげた。

「止めんのか? 水」


「ああ。時間稼ぎする。半村が逃げたなら、ロックは解除されないかもだからな。酸素の続く限りジンロクに掘ってもらう。……最高のルートはなくなったかもだけど、続けなきゃどのみち死ぬ」


半村の降参と、それによる全館のロック解除。それが望みうる最高の結果だった。その道がなくなったならば、素早く見切りをつけ、次善の道を進まねばならない。

憂理は再びトランシーバーを口元に寄せ、ジンロクを呼んだ。


「ロク、どうだ、状況は?」


「少なくともブロックは3枚あるな。いま確認できた」


「仮に厚みが3枚ぶんだとして、どれくらいで人が通れる穴にできる?」


「わからんよ、それは。今は、やれるだけやるしかない。マズい状況か?」


「良くはない」


「わかった」


通信を終えると、憂理は天井を見上げた。

敷き詰められたパネルはずいぶんと濡れ、隙間からは水がしたたり落ちて来ている。

翔吾は『雨』を手のひらで受け、目で『やべぇな』と言う。そして憂理も見上げた顔面に雨粒を受けながら、『やばいな』と思う。


「間に合うかな……」


「ユーリの判断ミスじゃね? 半村がずっと下にいるって思い込んでただろ、お前」


「そだな……。アホだった」


「まぁ、俺もさっき気づいたし、しゃあねぇよ。でも最後までケツまくんなよな」


「わかってる。ちゃんと責任とるわ」


「責任とるって、どうやってよ?」


「あー。わかんねぇケド、結婚という形で?」


憂理が笑うと、翔吾は苦笑いだ。

「リアルにホモかよ、お前は。どっちが家事やんだ?」


「協力して」


「じゃあ嫌だな」


「俺だって嫌だ」


「じゃあ責任とらなくていいように、しっかりやれよ」


「そだな」


軽口の応酬を終えて憂理が天井から視線を下げてみれば、窓の向こうには不安そうなツカサの顔があった。

「杜倉さん……」


「お前、諦めてるだろ」


「えっ、だって」


「大丈夫だって。何が起こっても、大した事じゃない。死ななきゃ、死なない」


ツカサに無茶な論法をぶつけてみたものの、想定外の事態である事には変わりがない。翔吾との入籍を回避するため、いまなにをすべきか――。

握りしめたレシーバーが唐突に鳴った。


「あー。ユーリ。聞こえてるか」


「ああ……。どうしたロク」


「すまん。さっきの言葉を訂正する。少なくとも3枚、じゃない。4枚だ。……すまん」


「そか。ロクは悪くねぇよ。ありがとう」


「とにかく、続けるぞ」


「ああ、頼む」


通信を終えると同時に、どこからか湧き上がった虚脱感が憂理の全身を駆け巡り、気力だの体力だの胆力だのといったチカラを削いでいった。

――ダメだった。


『やれる』と無邪気に信じていた数分前の自分が、ただ滑稽で、呆然とするしかない。世の中はかくも思い通りにゆかぬものか。

何人かは死ぬ事になる。実感はなくとも、それは確実に。


もちろん憂理などは最後まで残るつもりではあるが、自分だって完全に腹が決まっているわけでもない。実際に――今はまだ足音すら聞かせない『死』が、実感となって忍び寄ってくれば正気を保っていられるかどうかわからない。


それはT.E.O.Tの連中にも言えることだろう。直視できる確実な死は、パニックを実らせる種となるだろう。

言えない。まだ。だがいつ言えば?


「おい、ユーリ」


前にも後ろにも進めず、ただ呆然としていた憂理の肩を翔吾が叩いた。

「どのみち、だろ? どのみち、俺らは半村に殺されるはずだったろ。だから何も変わってねぇよ」


憂理の心情を見透かしたように、翔吾が言う。

「誰か死んでも、全滅よりはマシ。だろ?」


「でも……誰が死ぬんだ? 誰が死んでいいんだ?」


憂理の問いかけは、人類が答えて良いたぐいのモノではない。命はどこまで行っても本人の所有物であり、他者の気まぐれで奪われて良いモノではないはずだ。

しばらくの間ののち、翔吾がその返答を――生命への冒涜を口から言葉にする前に、天井から声が響いた。


「――カスど……も! お前らのやったこと――な、猿以下の――だッ! 」


スピーカーが漏水にやられたせいか、その言葉の所々がノイズに変換されている。

――半村……! まだ!

何とも皮肉なことであるが、憂理にはその声が救いに思えた。

まだ半村が地下にいるならば、『最高のルート』も『ハッピーエンド』も生きている――。


だが、声の主は神でも天使でもなく救世主でもなかった。ただ半村だった。一条の光を見た気になった憂理の安堵は、一瞬で打ち砕かれることとなった。


「俺がヒヨって――通風口開け……とでも思ったか。なめ――な。今、防水……を機能させた。ここはな、センタールーム……ぞ……。ここだけはな……別なんだよ!」


半村の天声は、プツプツと途切れ途切れに響き、意味不明にも思える。

だが、最後に付け加えられた言葉は、ハッキリと聞こえた。その言葉も、その意図も、ハッキリと。


「死ね」


本物の悪魔であっても、これほどまでに冷酷に断言すまい。半村は降参しなかった。そして、依然怒りに任せて放たれる、明確な殺意だか害意。

だが、その『死の宣告』は憂理の脳細胞に閃光を生み、萎えかけた闘争心に火を付けた。全ての血液が燃料となり、一瞬で熱が上がる。


「ふざけんな! 誰が死ぬかよ!」


憂理は素早くトランシーバーを口元にあて、指示を飛ばす。

「タバタ! 放水を再開しろ! もう駆け引きは無い! 一気に行く! 手が空いたら、なるべく多く、浮くモノを用意してくれ!」


そしてオレンジのボタンを押したまま、ジンロクへも檄を飛ばした。

「ロク! もうナリフリかまわずやってくれ! 次の報告は、『成功』しか受け付けないからな!」


返事もないまま通信は終わり、憂理は全身で空気を感じていた。

生活棟、そして上階……その至る所に点在する者たち。その全員の意志が、統一された空気を憂理は肌で感じた。――ふざけるな、死んでたまるか、と。


「翔吾!」


名を呼ばれた翔吾の目にも、闘争心の片鱗が輝いていた。


「おう!」


「誰か死ぬかも、だ! 全員の脱出は不可能かもだ! だから最大限みんなが助かる方法を考えてくれ! ゼロミスを目指せ!」


「じゃあまず、ここから――だな」


言うが早いか、翔吾は突然手にしていたトランシーバーを寝所の方へと投げつけた。その行動を予測できなかった憂理には、一連の動きがスローモーションに見えた。

ほとんど全力投球されたトランシーバーは、宙でゆるりと回転しながら寝所上部のハメ殺し窓に直撃し、ガラスを砕いた。


細切れになった1秒の中で、ガラス片が繊細な輝きを見せながら、放射状に広がる。まるで無色の花火のように。

そしてその花火が完全に散ってしまう前に、トランシーバーは寝所内に到達した。


「な! 七井さん! なにを!」


再び流れ始めた時間の中で、ツカサが唖然として割れたガラスと翔吾を見比べる。

「ま、窓が! 割れて!」


「もう、ソコ、安全圏じゃねーから」


慌てるツカサに対し、翔吾はあっさりと言う。だが、たしかにそうだ。酸素の供給があったとしても、この寝所は水没を免れない。


「で、でも! 窓が! 空気が!」


「ユーリ。問題ある?」


「いや。グッジョブ」


トランシーバーがツカサの手に渡った事により、翔吾が自由に動けることになる。実に合理的で、一石二鳥で、一挙両得だ。


「ツカサ、俺らは他んとこ行くから、何かあったらそのトランシーバーで連絡な!」


「ま、待って下さいよ!」




 * * *


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