8-10a 生き残る者
憂理と翔吾が連れだって生活棟に降りると、TEOTたちが右へ左へと大騒ぎで動き回っていた。
洗面所を覗いてみれば、指示通り排水溝はビニールでふさがれ、蛇口からは最大出力で水が噴出している。
活気があった。目標を見つけたことにより、どの少年も、どの少女も与えられた作業に嬉々として没頭している。これは喜ばしい事ではあるのだが、この盲目的とも言える行動力がT.E.O.Tの原動力になっていという負の一面も忘れてはならない。
そして、その熱狂の中にあって、冷静な者もいた。ユキエだ。
ちょうど食堂の近くで遭遇したユキエは、相変わらずの態度で憂理の前に立つと、何かが収められた袋を憂理の胸に押しつけてきた。
「なんだよ、これ」
「トランシーバー」
なるほど、思い出してみれば半村奴隷たちが深川狩りの時に使用していたモノか。上部の隙間から覗いてみれば、たしかにトランシーバーだ。
「なんでコレを?」
憂理が受け取らないままに問うと、ユキエは表情一つ変えずに言う。
「私が管理してたから」
「いや、そうじゃなくて、俺に渡して良いのかよ」
憂理の質問にユキエは答えず、ただトランシーバーを押し付けてくる。
「いいのかよ。俺に協力するってことは、半村を裏切るってことだぞ」
「……みんな、死んでいいと思う」
ユキエの言葉が理解できず、憂理は戸惑うしかできない。行動と発言の矛盾も、ここまでくれば哲学的に思える。憂理がユキエの意図を理解する前に、翔吾がトランシーバー袋を横から奪い、言い放った。
「憂理、もらっときゃ良いんだよ。マジ、女って意味不明だけど、意味不明なりに意味はあんだろ」
翔吾の言はモノを借りた側として褒められた態度ではなかったが、正直を言えば憂理とて同じ気持ちだった。
とはいえ、通信機は便利なモノだ。翔吾は床に袋を置いてトランシーバーを二つ取り出すと、片方を無理やり憂理に握らせてきた。
手にした重みは、それが憂理が幼い頃にサバイバルゲームで使用したような『子供のオモチャ』でないことを筋肉に伝えてくる。
「いいのか? コレがあったら、『みんな死なない』ぞ?」
憂理の軽口にユキエは小さく口角を上げ、目を伏せた。
「杜倉くん。天国信じてる?」
「天国?」
「そう」
「布団の中は天国だと思うけどよ」
「私ね、天国に行きたい」
伏し目のまま、ユキエは言う。
「苦しまなくて良いなら、天国へ行きたい。わたし、施設がこうなる前までは自分が天国へ行けるって思ってた」
でも今はもう行けない。もう被害者じゃないから。ユキエはそんな事を淡々と言う。
「俺らを助けるのが罪滅ぼし、ってやつか?」
「そんなつもりじゃない。ここはクズばかりだけど、死ぬべきじゃない人もいる。死んで欲しくない人もいる」
それが誰か、ここで問うのも無粋というやつだろう。どのみちユキエが答えないことぐらいわかる。
「キコエテイルカ、愚カナ杜倉、キコエテイルカ?」
突如としてトランシーバーからザラついた声が聞こえてくる。
見れば知らぬ間に翔吾が10メートルほど離れたところに移動しており、嬉しそうにトランシーバーを口元に添えている。この通信機器は決して『子供のオモチャ』などではないが、子供心から抜けきらない者の手に渡ればその認識もむなしい。
機械音痴である憂理はユキエに訊ねた。
「どうやって使うんだ?」
「チャンネルは合わせてあるから、オレンジのボタンを押しながら話せばいい。自分の発言が終わったらオレンジのボタンを放す」
なるほど、基本的なところは『子供のオモチャ』と同じであるらしい。憂理はレシーバーを口元にあて、通信を返した。
「おれ、トクラだよ」
「違ウ。オ前ハ『杜倉』ジャナク、『愚カナ杜倉』ダ。我々ハ宇宙人ダ」
「それをやるなら、コレじゃなく、扇風機に向かってだろ……」
「ソレハ正シイ」
憂理がレシーバーを下げ、一方的に通信を終えると翔吾は笑顔のまま駆け戻ってくる。たしかに便利だ。これがあれば時間的にシビアな水攻めの停止タイミングがはかりやすい。
「ユキエ、ありがとな。これ借りるわ」
ユキエは反応を見せず、ただ例のジトッとした視線を向けてくるだけだ。
憂理はレシーバーを指先に遊びながら言う。
「なぁ、ユキエ。天国なんてな、たぶん良いトコロじゃないぜ? 善人ばっかの世界なんて『清く、正しく』でつまんねぇよ。朝から晩まで教育番組見せられるようなモンだよ。俺ら、地獄で良いじゃん、そっちのがカオスでオモロイだろ。心配すんな。俺もお前も地獄行きかもだけど、そこでも楽しくやれればいいよ。そんときはヨロシクな。俺も翔吾もケンタも、たぶん地獄行きだから、そん時はまた脱走しよう」
フォローになっているのか、そうでないのか、憂理には判らない。
ただユキエが真摯に話を聞いているのは判る。よほどサマンサ・タバタなどより『聞く姿勢』が出来ていると思う。
「神なんて信じるなよ? アイツ、エコヒイキばっかすっから、神様も地獄行きだ。よっぽどさ、悪魔のほうが公平で平等だとおもわない?」
「そうね」
戻ってきた翔吾が訝しげな視線で憂理とユキエを見比べてくる。
「なんだよ? お前らできてんの?」
「ともかく、コレ借りるわ。ありがとな」
ユキエを置いて立ち去りながら、憂理は翔吾の持つ袋の中を確認した。
全部で四つ――。
「だれが持つべきかな」
「まず、俺だろ。んでユーリ。あと2つはロクとツカサでいいんじゃね?」
「タバタは?」
「どうせ、話になんねーしイラネーだろ」
どうも翔吾はT.E.O.T連中に否定的だ。『相容れない存在』というのは言うまでもないが、とはいえ身内だけで情報のやりとりをするのも効率的とは良いがたい。
「翔吾のをタバタにやる」
翔吾の反応より早く憂理は翔吾のレシーバーをパッと奪った。『あっ』という間もなく。
「俺の!」
「人の子よ。救世主様に従え。俺は今から学長のとこ行くから、翔吾はレシーバーをタバタとロクとツカサに渡してきてくれ」
「なんで学長のとこに?」
「報告だよ。『ごめん、学長死んじゃうかも』ってさ。あと聞きたいこともあるし」
「判ったよ」
聞きたいこと――それは翔吾にも聞いて欲しくないことだ。
自分が背負って良いのか、それすらもわからない問題。
TEOTや仲間たちに知られずに、失敗に備えて生存者を決めなければならない。
誰が生きるべきか。逆を言えば、誰が生きる価値がないか――になるのか。とうてい、自分1人でそんな事を決められるわけがない。
それこそ、そんなことは神だの悪魔だのに任せておければ、楽なのだけれど。
* * *
学長の軟禁されている医務室へ向かう道中、憂理はそこらじゅうの床に目を配った。
指示通り放水されてる。だがまだ通路の床を濡らすほどではない。
水が満ちるのが先か、空気が尽きるのが先か。半村が気付くのが先か、手遅れになるのが先か。
医務室のドアの前に立つと、憂理は小さくドアをノックした。なにから言おうかと迷っているウチに、小窓から初老の男性が覗いてくる。
「杜倉くんか」
「ごめん。半村を脅すために水を使うことにした」
学長はうつむいて何度か小さく頷き、やがて視線を憂理に戻した。
「謝ることはない。やれる事をやる。仕方のないことだ」
「半村が脅しに負けてくれれば良いんだけど……。もし、そうならなかったら……。誰を優先的に生かすべきかな」
憂理は内心で抱えていた問題を学長にぶつけた。
どれだけ考えたところで、自分がそれを決める権利があるのか、もっと言えばこの問題を抱える資格があるのかさえわからない。
すると、学長は端的に答えた。
「君が決めなさい」
学長の言葉が憂理にいささか冷たく聞こえた。突き放されたような、そんな気がする。『最悪の事態』にならないと憂理は信じている。だが、そうなった場合の事もしっかり考えておきたい。
陽気な人間が飛行機を発明するとき、憂理はパラシュートを発明するタイプの性格なのだから。
「杜倉くん。『大人らしいこと』を言わせてもらえば、救うべきは女子供だ。かよわい女性や、幼い子供を優先して生き延びさせるべきだろう。大人はこう言わなくてはならないんだろう。だがね、私にはそんな事は言えない」
「どうして」
「それが、感傷でしかないと考えているからだ」
「かんしょう」
「そう、文明化の感傷だ。たとえば、この施設の外が『平時』ならば、女子供が正解だといえる。外に救助隊が待機しているなら、彼女たちはすぐに保護され、暖かい毛布にくるんでもらい、ココアまで振る舞われるかも知れない」
「でも、いまは違う……」
「そうだ。現状を見れば、外に出ることが必ずしも生存となるワケではない。だとすれば、力も能力も欠けた者が無闇に救出されても、先に繋がるわけではない。ただ虚しく死を待つだけかも知れない。だったら、能力に長けた者、活力に溢れた者、知性が光る者――生き延びる資質に恵まれた者が、優先的に席に座るべきなんじゃないか」
学長はそこまで言うと、言葉を詰まらせた。
ただ目を伏せ、口元をへの字に曲げ、かなりの間を持たせた。
「こんな事を言うなんて、どうかしてると思うだろう。だがね、『生きる』というのは本来そう言うモノだと私は思う。生きていたくなくても生きられていた現代が、歴史の特異点だったんだよ。高度に文明化した人類はそのヒューマニズムにのっとり、社会制度の枠組みのなかで万人の生存を保証してきた。年齢性別能力を問わずにだ。だが、それが破綻したとき、人間は感傷に振り返るのをやめ、前を向かねばならない。そうでなければ、連綿と続いてきた歴史も知識も全て消え去るだろう」
学長の主張が、T.E.O.Tのソレや半村派のソレとも違うことは憂理にもわかる。そして、この主張が多くの人たちの耳に入れば非難されるであろうこともわかる。
それは柔和な――ある種の温かささえ感じさせる学長の口から出る言葉にしては――冷たすぎた。あまりにも。
――生きる能力のある者が生き残るべき。
女性や子供が『弱い』存在であるから優先的に保護されるべきというのは、憂理の信条にも叶う物であったが、学長はその弱さがネックになると言う。
「杜倉くん。君が決めなさい。無論、私は数に入れなくていい」
「俺も、だよ。そんで、逆らうようだけど、やっぱ女とか子供とか、そういう奴らを優先したい。俺ら男も別に強くは無いけどさ」
「そうか」
「なんかさ、上手く言えないケド、そこで格好つけなきゃ、今までの人生、格好つかない気がする。誰かに褒めてもらいたいとか、いいふうに見られたい、トカそういうんじゃなく、さ」
「君の決断ならそれでいい。もし何かあったなら、私の責任にしてくれればいい」
「俺さ、こんな事いうとガキっぽいけどさ。ちっちゃい頃、ヒーローになりたかった。誰かが困ってる時、いつも助けに来てくれる。で、正体を知られずに去るんだ。凄くカッコよくてさ」
照れ臭くて、憂理は小窓から目を伏せた。
自分でもなぜこんな事を学長に言っているのかわからない。心中に秘めるだけで、誰にも言った事がないにも関わらず。
「でも、なれなかった。気が付いたら、なんかボンヤリと大人に近づいただけだった。でもさ、なんか分かったんだよ。きっとヒーローも本当は弱かったり、怖かったりするんじゃないか、って」
「そうかも知れないね」
「いや、きっとそうなんだよ。大事なのは助けが必要だって気付くこと。弱いから弱い奴に寄り添えるんだよ。じゃあ、俺も一緒じゃんって……思える。今は」
憂理はようやく小窓を見上げた。
「いまさ、俺、救世主とか言われてんだ。なんも出来ないのに、みんなに『大丈夫だ』とか『任せろ』とか大口叩いてさ。でも、みんな救世主だとか言ってくれる。そんで、俺も出来る気になってる。実際はなんもないのに、大きくなった気がする。不思議だよな、凄いよな」
「杜倉くん。背伸びでもいい。そのうちその高さに身長が追いつく。ただ抱え込みすぎないように」
誰にも言えなかった心情を吐露して、憂理は肩の荷が下りた気がした。誰か1人にでも、強くない自分を見せて置きたかったのかも知れない。
「学長。前に……施設に残って『やることがある』って言ってたけど、ソレってどんな?」
今度は学長が視線を伏せ、しばらく黙り込んだ。
「……秩序が失われて久しい。世界がどうであろうと、私さえしっかりしていればこの施設内の秩序が失われることは無かった。私はその責任を負う義務がある」
学長の言葉はあまりにも抽象的で、どうとでも解釈できる。
こういうは場合しっかりと具体的な言葉を要求するべきなのだろうが、憂理はそうしなかった。学長の言外に滲むものを肌で感じ取れたからだ。
――半村を捕らえるつもりだったのだろう。
そしてきっと、深川も。そしてきっと、両者捕縛の先には悲劇的な結末が待っていたのだろう。
「ともかく、今もう全開で水を出しまくってるから、そのうち変化があると思う。学長もこのドアが開いたらすぐに逃げなきゃ。責任とかもう意味ないよ」
「そうかも知れんな」
「翔吾の話を聞くぶんには、外もヤバイみたいだ。逃げるったって、どこへ? って感じだけどさ。俺も……ナル子みたく実家目指せばいいのかな」
「路乃後くんは実家へ向かっているのか」
「わかんないけど、警察がダメだったらそうなると思う。そんな事言ってたし」
なんにせよ『待っててくれる人』がいるのは幸せな事だと憂理は思う。
誰かが待っていてくれて、逢いたいと思っていてくれるなら、どんな道のりも越えてゆける気がする。
だが、自分はきっとそうではない。
両親は結婚という結びつきを解除したいと願っていた。そして子供である自分がその結びつきを解きがたくする『鎖』であったことも理解している。
いまさら何処へ帰れと? いまさら何処へ戻れと?
歓迎されない帰郷をあえてするような豪胆さはなかった。どちらの元へ行っても自分は憎んだ相手の血を半分受け継いだ存在として扱われると思う。
「学長、俺、帰るとこないや」
孤独だ、などと格好良いことは言えない。
ただ自分が取るに足らないミジメな存在に思えた。それでも生きようと走り回っている自分が滑稽にすら感じられる。憂理が苦笑いを見せると、学長は困ったような表情を返した。
「杜倉くんのご両親は……離婚が成立したそうだな。お母さんの方は京都の本部に出入りしていたようだが……」
「会いたくないよ。迷惑だろうし。親父にしてもそうだろうし。また怒鳴られたり、殴られたりってのも嫌だしね」
「普段なら『ここが君の家だ』と元気付けるんだが、こんな時、こんな状況では……軽薄な言葉になるな」
「いや、いいんだよ。ただ、なんか、ふと皆が羨ましく思っただけ。ヒーローは孤独なモンだし」
学長は深い感情を伝える視線を憂理に向け、小さく言った。
「ここが君の家だ――なんて、言えないが、私を親だと思ってくれてもいい。私は結婚する機会には恵まれなかったが、こうして多くの子供たちの後見人になる機会は与えられた。どうやら私のセガレたちは出来の悪い者ばかりだが?」
学長はそう言って、苦笑気味に笑う。
「ナル子みたいのばっかなら、学長も楽だよね」
「そうだな。でも出来が悪い方が『教育』しがいもあるというものでね。親代わりである前に私は教育者でもある」
「学長、おれ学長助けるよ。おれ、なんとかする」
憂理が宣言した途端、ポケットに押し込んだレシーバーがガナりたてた。『一番デキの悪い息子』だ。
「聞こえっか! ディス・イズ・ナナイ・スピーキン! おい、ユーリ! YO! ボクらのネクラなトクラユーリ応答せYO!」
騒ぎ立てるトランシーバーをポケットから急いで取り出し、憂理は応答する。
「聞こえてる」
「俺、今、ツカサんとこだ。タバタとロクにはもうレシーバー渡したからな。お前、いま何処にいんだ? やっと床に水が溢れはじめたぜ」
「わかった。すぐ行く」
憂理は再びレシーバーをポケットにねじ込むと、学長に頷いて見せた。
「任せといて。俺らが『空を落とさせない』」
「杜倉くん。路乃後くんを頼む。彼女には助けが必要だ」
「いや、アイツ、俺よりヒーローしちゃってるから。アイツの前じゃ、俺のがザコだよ」
憂理は笑ったが、学長は笑わない。
「聞きなさい」
間があった。
聞けと言っておきながら、言葉にするのを躊躇したような間。それが迷いか、戸惑いか、ためらいか、憂理には判らない。ただ重大なことを言おうとしている空気は察することが出来た。
やがて、学長は続けた。
「彼女の母親は、もう亡くなっている」
言葉の終わりとともに憂理の時間が止まった。
――えっ、じゃあ……。
「彼女にはもう帰る場所がない。施設がこうなった直後……深川先生のロッカーから連絡の手紙を見つけた。路乃後くんが施設に来て、間も無くの頃に届いたモノだ」
憂理は情けなくも狼狽して、上手く言葉が出ない。
「えっ、そ、それって酷ぇじゃん、親が死んだのに黙って……。なんで、そんな」
「他にも大量に手紙を見つけたよ。都合の悪いモノは全て深川先生の元で止まっていたらしい」
「なんで……」
「わからない。だが、深川先生は、外界の出来事を知ることは無益であるばかりか有害であると判断したんだろう。ここは救世主を作る牧場だと信じていたからな……。外界との決別はカルトに珍しくないことだが」
それが理屈になっているのか、そうでないのか憂理にはわからない。
ただ、自身が捨て子だと認識している憂理とて、親の死亡報告ぐらいは聞いておきたい。涙を流すかは別問題として。
「杜倉くん。路乃後くんを、菜瑠を頼む。私はとうとうあの子にそれを伝える事が出来なかった。可愛がっていながら卑怯なことだが……」
「わかった。まかせて」
憂理は素早く身を翻し、翔吾待つ元へ駆ける。
たのんだよ、わたしの――自慢のセガレよ。
学長の発した、そんな小さな呟きに気付きもせず。
* * *