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13月の解放区  作者: まつかく
8章 法外の法の下で
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8-8 棄村での発見


駐在所の中は雑然としており、なにをどう調べれば良いのか菜瑠などは途方に暮れてしまう。

遼は暴力的にまで散らかった机に座り、何やら資料を熟読しており、四季は窓からのぞむ景色を眺めている。


おそらく、この駐在所内に降灰に関する資料は存在しない。遼のリサーチが正しければ、村が棄てられたのちに降灰が始まったはずであるからだ。

菜瑠は書類棚を順に見回し、その中からひときわ目立つ一冊の赤い冊子を抜き出して開いてみた。


それはどうやらアルバムであるらしく、古い写真が整理されてキチンと収まっていた。その中のひときわ古びた一枚に菜瑠は目を止める。


「この人が……駐在の片岡さん?」


駐在所を背景に、1人の警官がカメラに敬礼を向けていた。

撮影者に向けて見せる穏やかな笑顔が、片岡警官の温厚な人柄を表しているように思える。

多くの写真は集落の人々の生活を切り取っており、村人たちがカメラに向ける笑顔が撮影者であろう片岡への信頼を表していた。

つい、最近までこの集落ではこのような穏やかな生活が営まれていたのだ。

美しい自然と、季節に囲まれ、ゆっくりと時間が流れていたに違いない。


「綺麗な所だったんだね」


そうしてページをめくってゆくと、やがて一葉の古写真が、再び菜瑠の興味を引いた。

見覚えのあるような男性が、20センチほどの魚を手にして、誇らしげな笑顔を見せている。年の頃、30代といったところか。その男性の笑顔には確かに見覚えがあった。


「ねぇ、四季。これって……学長?」


景色からアルバムに目を落とした四季が、微かに目を細め、菜瑠の主張を端的に認めた。


「若い」


「うん。すごく古い写真だもん。これ学長だよね……」


ページをめくると、篠田学長と片岡警官が並んで映っている姿も散見された。

どうやら、連れだって渓流釣りに行っていたようだ。それも何度も。長きに渡って。


「知り合いだったんだね」


学長は、施設のある山の地権者だと言っていた。その関係で駐在と旧知の仲だったのだろう。片岡が居てくれれば、なにかしら力になってくれたに違いないが、今やその生死も定かでない。


「散歩してくるわ」


終始興味なさげにしていた四季がとうとう離脱宣言をし、駐在所から出てゆこうとする。


「待って、一人じゃ危ないよ」


菜瑠はアルバムを置いて追いかけようとして立ち止まり、遼を見た。すると、仕事に追われている総務省の官僚は小さく笑って肩をすくめる。


「僕が調べとくから、2人で気分転換してきなよ。四季にはこういうの似合わないしね」


小道を歩きながら、写真に収められた風景と降灰に染まった景色を重ねる。

過去には美しかったであろう。移り変わる季節があったろう。だが、今やその景色は荒涼として、花鳥風月を微塵にも感じさせない。


そして、あのワダチを残した2人は何者なのかという疑問が菜瑠の中に湧き上がった。どこか引っ掛かりを感じるのだ。

降灰以後にワダチを残したならば、村人が退去したのちに集落を訪れていることになる。

そして、家屋内を調べるといった行為が、彼らが集落の人間でないことを示唆しているように思われた。


――村に人がいないことを知らない……。


そんな仮定も成り立つ。

もし、エイミの言うように『救助』を目的としてやって来たならば、麓から来たに違いなく、そうであるならば麓には棄村となった事実が伝わっていない推測もありうる。


あるいはそれが『確認』という意味を持つ来訪であるならば矛盾は生じないが――。

無言のまま歩みを進めていた四季が、ピタリと足を止めた。

思索にふけっていた菜瑠はそれに気付き立ち止まるまでに数歩の距離を要した。


「四季。どうしたの?」


「クルマ」


四季の視線を追うと、確かに車が止まっていた。これが遼の言っていた軽トラックだろう。降灰に埋れて、薄汚れていた。

四季はスタスタと歩み寄り、運転席側の窓から中を覗き込み、菜瑠に向く。


「鍵が刺さったままだわ」


「盗まれちゃうね」


なんとも不用心なことに思われるが、これがこの集落での良好な治安状態を如実に表しているように思われた。過去には良い村だったに違いない。

集落全体が身内のようなもので、盗難への備えが不要だったのだろうと推察できる。

四季は言う。


「これに乗れば、麓までの移動時間を短縮できる。燃料も十分に入ってる」


「えっ?」


「借りるべきよ」


「だって、人のだよ」


法務大臣が盗難を教唆するなど、倫理的にも道義的にもあって良い事ではない。時が時ならその発言だけで失言問題として正義を振りかざすマスコミたちの槍玉となろう。

だが、四季はじっと菜瑠を見つめて、さらに言う。


「緊急避難。生きるために必要な行為と判断できる」


「それはそうだけど……」


菜瑠の中の正義感が、後ろ髪を引く。借りるなどと言うのは、都合の良い言い換えであって、これは窃盗だ。車泥棒だ。


「ダメだよ」


「そう……」


自分をバカ正直だと思いつつも菜瑠が否定すると、四季はそれ以上食い下がろうともせず、小道へと戻ってきた。


「四季ね、もし私たちが借りて、持ち主の人が急に車が必要になって困るような事になったら、すごく申し訳ないことじゃない?」


「正しい」


「歩こうよ。時間がかかっても、大変でも、歩こう? いつかは麓につくんだから」


「貴女に従うわ」


目の前まで戻ってきた四季が、なんだか無性に愛おしく思えた。

四季はバカ正直な自分を受け入れてくれる。そっと四季の手を取り、菜瑠は柔らかく握る。


きっと、『借りる』という四季の判断は合理的なのだろう。きっと、自分が馬鹿正直なのだろう。

だが、四季は説得も非難もせず、ただ受け入れてくれる。冷たい表情の下に優しさがあるのを感じる。菜瑠はキスの届く至近距離まで顔を寄せ、言った。


「無免許運転だよ」


「わかってるわ。それもダメなのね」


「うん。こんな時だからこそ、できるだけ法律は守らなきゃ。って言っても……不法侵入はしちゃってるけど」


「当法廷は緊急避難と判断する。無罪」


珍しい四季の冗談に、菜瑠は笑ってしまう。そして、乗っかる。


「異議なし」



 *  *  *



駐在所を覗いても、やはり遼が資料とにらめっこしているだけだったので、菜瑠と四季はそのまま本拠地である民家へと戻った。

天候が崩れる前に洗濯物を回収しておかなければならない。

ただの雨ならマシなのだが、灰まじりの雨に晒されては洗濯を一からやり直す羽目になる。


「まだ生乾きだね。囲炉裏のそばに干そう。なにか洗濯紐がわりになるものを探さなきゃ」


そうして洗濯物を取り込み、台所にあったビニール紐を梁や柱に張り、駄目押しの乾燥を行う。

――なんとか、やれてる。


不安や焦りはあるものの、施設を出てから自活できている。あり合わせの物で、あり合わせの生活ができている。それは、菜瑠にとって少しばかりの自信を取り戻させるものだった。

体の疼きは続いていたが、四季に慰めてもらうことで何とか自分を卑下しないで済んでいた。


洗濯物の処理が終わった頃、菜瑠がふと気付くと四季が窓際まで移動していた。例の半開きの目でジッと外の様子をうかがっている。


「どうしたの?」


「音がする」


また例のケモノだろうか。菜瑠は本能的に土間に置きっぱなしの長棒へ目を向けた。


「何の?」


「貴女にも聞こえるはず」


そう言われて菜瑠も耳を澄ましてみると、たしかに何か聞こえる。聴覚の処理限界ギリギリに何かが感じられる。低く、地面を這うような音。少なくとも、それはケモノの発する咆哮などではなさそうだ。

安心すると同時に疑問もわき上がる。これは何の音か。


「四季……。何の音かな?」


問われた四季はようやく窓の外から菜瑠に視線を戻し、ポツリと言った。


「エンジン音。クルマだと思うわ。そして、近づいてくる」


研ぎ澄まされた菜瑠の五感が危険を訴えた。ワダチを作った主が戻ってきたのか、と。本来ならば自分たち以外の人間に遭遇すれば安堵なり喜ぶなりすべきであろうが、なぜか菜瑠のセンサーは警戒のアラートを鳴らした。

機敏な動きで長棒を取りに行き、すぐに窓辺の四季に合流する。


「止まった」


「ほんとだ……。戻っていったのかな?」


四季はほんの少しだけ肩をすくめて『わからないわ』のジェスチャーを見せた。やって来たにしても、戻ったとしても、その理由が菜瑠にはわからない。

だが、数十秒ののち、静かな村に再びエンジン音が響き渡った。


「動いた」


「こっち来る?」


「止まった」


なんだか、妙なことになっている。長棒を握る手のひらはじっとりと湿り、状況を把握できないまま、居心地の悪い時間だけが過ぎていった。

やがて、四季が結論を述べる。


「エイミ。稲上ケンタ。坂本ユキ」


「えっ?」


唐突に上げられた名前の意味は、四季が説明するまでもなく菜瑠も解することになる。


「菜瑠ぅぅ! 帰ったよぉぉ」


寒村に響き渡るエイミの声。菜瑠が窓から上半身を乗り出して声のした方を確認すると、遠くから軽車両がやってくる。例の軽トラだ。


「ちょっと、四季! エイミたちクルマ乗ってきた!」


仲間たちの予想外の行動に四季の腕を揺らすが、四季はただ小さく頷くだけだ。

エイミは軽トラの屋根にだらしなくあぐらをかいて、満面の笑みで大げさなほど手を振ってくる。これは、海賊が私掠の成果を子供のように自慢する姿に近い。これは『見て、見て、すごいでしょ!』だ。

軽トラックは人が小走りする程の速度でどんどん近づいて、やがて本拠地民家の前に横付けされた。


トラック屋根から、お団子髪の少女がヒラリと飛び降り、軽快に窓辺へと走り寄ってくる。


「すごいっしょ! 軽トラゲットした!」


「エイミ、それ、窃盗だよ!」


腕を組んだ菜瑠に鋭く糾弾されると、エイミは満面の笑みを焦りの表情に変え、素早く運転席に座るケンタを指さした。

盗難車を運転する小太りのドライバーは、エイミ以上に満面の笑みで、菜瑠と四季とエイミの視線を浴びて親指などを立てている。これは『どうだい? 俺のクルマは』だろう。


エイミは盗っ人猛々しいケンタにむかって駄目押しのように指をさし、糾弾の矛先をケンタにそらした。

「アタシじゃない、ケンタが『借りよう』って言った!」


先ほどまでのこぼれるような笑顔はどこへやら、その表情は一転して被害者面にまで色を変えていた。まるで『私はハメられた』とでも言わんばかりだ。

運転席からのっそり降りてきたケンタは、どこか渋みのある表情で余裕の笑みを見せる。


「窃盗だって? ナル子、それは違うね。クルマだって誰かに乗られるのが幸せなのさ」


これは辞書に凡例として載るほどの『開き直り』である。罪を認めるどころか、それを正当化して、なおかつそれが善行であるかのように放言する。

菜瑠は検察官となって、組んだ腕をほどいてビシとケンタを指さし、異議を主張した。


「詭弁! 本来の持ち主に乗られるが幸せよ!」


だがケンタは揺るがない。


「ほほほ、これは手厳しい。だけどね、ユキが足をくじいて歩けなくなったんだ。歩行が困難になった幼子のためにクルマを借りて、それを罪というなら僕はキリストに誓って死刑になっても良い。でもねナル子、泥棒というならみんな泥棒だよ」


ケンタは深い考察を経た哲学者のように、遠い目でいう。


「僕たちは自然の恵みを自然から盗んでる。水も、野菜も、生き物も、僕たちはそれらを自然から盗んでるに他ならないのだよ。ながーい目で見れば、僕たちは地球という檻の中で終身刑を食らってるのではなかろーか。ほら見なさい、荷台のユキを。幼子の前で争いなんて、醜いことはよそうじゃないか」


尊大であるばかりか、大言壮語までろうする。だが確かに荷台のユキが申し訳なさそうに菜瑠を見つめ、目が合うとその視線を下に落とした。


「ナル子ねぇちゃん……ごめんなさい」


これはさすがの検察官といえど精神的にこたえる。

言葉に窮した菜瑠に向かって、ケンタは例の哲学者の笑みで言葉を続けた。


「どうかね、ナル子くん。君はこの可哀想なユキにまで罪を問うというのかい? 今言ったように、僕たちは寛大な大自然から多くのモノを借りて生きている。どうだろう、ここは僕たちも優しい大自然にならって、貸し借りに寛容になるのが真の平和に繋がるのではないかね。それでも僕を罰するというなら、いいさ、僕はユキのために死刑台にあがろう」


菜瑠はすっかり忘れていたが、稲上ケンタというのは杜倉グループの残党だ。

こと規則違反の言い訳や言い逃れに関して、杜倉憂理や七井翔吾に引けを取らない雄弁の士であり、施設内では舌鋒鋭くやりあった関係だ。

芝居がかった台詞回しがなんともシャクに障るが、幼子を言い逃れの材料に使うなど新手の手口で菜瑠はどう対応すればよいのかわからない。


だが今は四季がいる。裁判官であり弁護人でもあり検察でもあり、執行人でもある法務大臣だ。

菜瑠が裁定を望む視線を向けると、視線の集中した四季は感慨無く言い放った。


「死刑。もう殺すしかない」


これは温情のない判決だ。

菜瑠などには多少、情状を酌量する余地があるように思われたが、法務大臣は冷徹だった。法務大臣自身が『緊急回避』と主張していたのは数時間前だったが――。

自分が『売った』事が心苦しいのか、エイミがケンタへの糾弾を取り繕うように話題を変えた。


「とりあえず、とりあえず、ユキちゃんと荷物を中に運び込もうよ。ほら、菜瑠も四季も外に出てきて手伝って、はやく、はやく」


呼ばれるままに玄関口へとまわり、靴を履いて外へ出ると、入れ違いでユキを背負ったケンタが土間に入ってくる。

死刑囚は極刑判決に動じた様子もなく、ユキと童謡などを合唱して機嫌良くしている。タフな事だと思う。

靴をひっかけて外へ出ると、エイミが軽トラの荷台に飛び乗った。


「荷物って?」


「食糧見つけてきたのよ。袋詰めの米よ、米。日本人ならライス! ライス・ヒア-・ライス・ナウよ!」


訊けば、この米は他民家の納屋から『借りて』きたのだという。

これも窃盗に分類されるに違いない。だが食糧の調達に関して言えば、この灰まみれの世界でまともなモノを手に入れようと思えば、不本意ではあるがこういう形になってしまうのかも知れない。


車と違い、食糧だけは本物の生命線であり、この収穫を非難すれば遠からず餓死することにもなろう。

だが車はダメで食糧は良い――そんな自己矛盾に菜瑠は酷く落ち込んでしまう。


正しい事ってなんだろう。

そんな菜瑠の気持ちを見越したかのように、四季が菜瑠の肩に手を乗せて微かに微笑んだ。菜瑠にだけ見せる微笑だ。


「代わりに、稲上ケンタを死刑にするわ」


解決になっているような、そうでないような、複雑な気分。だが励まそうとしてくれる四季の気持ちが嬉しく、菜瑠は自らの二重規範を肯定した。

今は、成すべき事がある。前を向いて、進もう。借りたなら、いつか返せばいい。


「畑もね、全滅じゃなかったよ! 灰の下を掘ったら芋出てきたサツマイモ!」


そう言ってエイミが自らの顔の横に大きなサツマイモを並べて見せた。その笑顔につられて、菜瑠も元気よく言う。


「焼き芋できるね!」


「今夜は食料大臣じきじきに調理するよ! 久々の料理だわ」


パックでない食料を口にするのはどれほど久しぶりだろうか。

少なくとも菜瑠が施設にいた一年と半年ほどの間、食料はすべて真空パックでまかなわれ、生鮮を調理する機会など無かった。心中にわだかまる罪悪感を心の底に押し込んで、菜瑠は無理やり楽しい気分に浸った。


茶色の袋に詰められた白米をエイミと2人がかりで民家の土間へと運び込み、四季は芋や干し柿など、細々とした食材を搬入する。

調理というイベントにエイミやケンタ、そしてユキもテンションが上がるらしく、旧家の中は活気に溢れた。


「裏から薪取って来て。囲炉裏で焼き芋作る!」


「アルミホイルないの!? アルミホイル! ケンタ、台所を探して!」


「芋、洗ってくるね!」


「米も洗ってきて!」


「米はまだ」


ユキと四季を除いた者たちによって慌ただしく準備が進む。洗濯物は畳まれ、その表記サイズによって分類される。


「この鉄鍋で御飯炊けるかな?」


菜瑠が台所で見つけた鍋をエイミに見せると、エイミは肩をすくめて「なんとかなるっしょ」と軽く返す。


「一合、二合ってどうやって量るの? カップがないと量れないよ」


「そもそも『ゴウ』ってなに? なんでグラムじゃないの? 四季、知ってる?」


エイミは囲炉裏の近くに座っている四季に訊いた。

とうの四季は慌ただしい3人とは対照的に、呑気にユキとアルミホイルで折り紙などをしている。そしてユキの指導の元、丁寧にアルミを折りながら四季が応えた。


「180ccが一合」


こう端的に言われても、エイミや菜瑠には180ccをどうやって量ればよいかわからない。2人して顔を見合わせ、肩をすくめて、もう一度訊く。


「180ccってどうやって測ればいい?」


「合やグラムの分量にこだわる必要はないわ。米1に対して水1.2の割合を守ればいい」


なるほど、割合さえ押さえていれば計量カップは必要ない。菜瑠は台所から適当な湯飲みを持ち出してきて、計算する。


「ええっと、米1:水1.2だから……」


「どうすんの、どうすんの」


エイミは湯飲みを握り、遊んでくれるのを待つ犬のようにジッと菜瑠の様子をうかがってくる。

プレッシャーとともに菜瑠の脳細胞に負荷がかかった。なるべく効率的な計量法は――。


「ええっと。――この湯飲みに入る容量を10として、お米を5杯鍋に……入れるね。これで50?」


「うんうん」


「で……同じように水を6杯入れたら、1:1.2じゃない?」


「アンタ、マジ天才だわ。神」


そうしてコレが正解であるか、2人して四季へ目を向ける。だが四季は折り紙に没頭しているようで、視線に気付かない。


「四季おねぇちゃん、違うよ! そこ折ったらツルの首が折れちゃう!」


「もとより、首は曲がるモノだわ」


菜瑠とエイミは顔を見合わせ、自分たちのやり方を通す事の合意を無言で交わした。鉄鍋に五杯の米を入れ、2人で鉄鍋の取っ手の両端を持ち井戸の前まで運ぶ。米を入れた鉄鍋は存外に重く、足取りがふらつく。


「蓋ってあるのかな?」


「さーね。最悪、ケンタのケツでいいじゃん」


「やだよ」


井戸の前まで来ると、ポンプを菜瑠が動かし、エイミが米を洗った。暗い世界でも米は白く、水は清い。何気ないことであるが、ありがたいことだと菜瑠は思う。米をシャカシャカ洗いながら、エイミが呟いた。


「ねぇ、菜瑠。ユーリたち、追いついて来るかな?」


「廃屋に手紙残してきたから……道を下ってきてたら、合流できると思う」


エイミはしゃがみ込んだ姿勢で鉄鍋に顔を向けたまま、「そうだよね」と力なく言い、うわ事のように続けた。


「このままさ……。一生会えないかも知れないとか、考えない?」


明るいエイミにしては珍しい――陰鬱ともいえる湿った響きがあった。皆の前では見せない、芹沢エイミがそこにいた。


「会えるよ。きっと」


菜瑠自身も不安はあった。

深刻とまでは言わないでも、危惧なり懸念なりと呼ばれるモノを心中に抱えているからだ。だが、ここで安易にエイミの不安に同調しても、なおさら彼女を不安にさせるだけであろう。菜瑠は無理に笑って応じるしかない。


「大丈夫、大丈夫。あの人たち、ゴキブリよりしぶといからね」


「翔吾、きっと無茶してると思う……」


「生活委員やってて、杜倉グループだけは上手く指導できなかったの。いつも予想外のことするんだもん。だからエイミの不安も予想外に跳ね除けてくるよ。たとえば、いきなり空から降ってくる、とか」


「トランポリン用意しとかなきゃだね」


「うん。それで跳ねて、またどこかへ遠くへ行っちゃうんだろうけど」


エイミに笑顔が戻り、菜瑠は内心で安堵した。エイミなりケンタなりというのは、グループ内のムードメーカー的存在であり、エイミが沈むと全体の空気は致死的に暗くなる。陰鬱なのはこの黒雲の空だけで充分だ。


「菜瑠、米とぎ汁、お肌に良いらしいよ。今日のお風呂に混ぜてみる?」


「うーん。試してみたいけど、四季あたりが文句言いそう。『臭うわ』って」


「言えてる」


米を洗い終えると、2人は鉄鍋に湯飲み6杯の水を入れた。そうして更に重くなった鉄鍋を持ち上げ、顔を真っ赤にしつつも裏口から搬入する。


生きるというのは、なんと体力を使うことだろうか。



 * * *


ちょうど米が炊きあがった頃に遼も駐在所から戻り、早めの夕食会が開催される。

囲炉裏を囲んで、炊けた白米が食料大臣じきじきに配給された。あり合わせの器で量もそれに合わせたものになっている。

真空パックもエイミのアイデアで、小さな鍋で加熱され大皿に盛りつけられた。

あり合わせとは言え、食卓だ。


菜瑠などは白米が盛られた茶碗を見下ろしながら、どこか懐かしいものを感じてしまう。

芹沢エイミ食料大臣が、御飯粒のついた木製のしゃもじをマイク代わりに夕食前の音頭を取った。


「では、借り物だらけではありますが、今日の夕食はいつもより豪華なモノになりました。貸してくれた人と偉大かつセクシーたる食料大臣閣下に感謝しつつ、ありがたく頂きましょう。では、いただきます!」


それぞれの口からいただきますの声はあがり、それと同時に夕食が始まった。


「米、うんま」


「最高の出来!」


「ナル子、ハンバーグ小皿に取り分けて」


こうして仲間たちと食卓を囲んでいると、並んだ食材群が真空パックから『摂取』するだけの食事と違い、どこか生きているという実感を与えてくれる。


「御飯足りる? おかわりあるよ」


「僕の御飯、焦げてるところばっかだ」


どこか、オリエンテーションのような雰囲気があった。

それはキャンプよりも上等で、ホテル泊よりも野性的といった趣きがある。

借り物とはいえ、自分たちで得た食物は気分まで向上させてくれる。真空パックの食材までいつもに増して美味く感じられるのは、魔法の調味料がかかったためだろう。


「遼くん。なにか新しいこと、わかった?」


何気無く菜瑠が訊くと、遼は口元の箸をせわしなく動かしながら応えた。

「特には無いね」


そっけない対応であったが、菜瑠はそれを素直に受け取った。

だが、畑山遼の内心は、その冷静な態度とは裏腹に狼狽があった。

この日の出来事を記した畠山遼の手記には以下のような文章が残されている。


――この駐在所で調べれば調べるほど、この感染症はこの集落から始まったように思える。たぶん環境要因だ。


水か、食べ物か。動物からの感染か。原因はわからないけど、麓に感染者が運ばれた後も集落内ではどんどん感染者が増えた。そして感染者が運ばれた麓でも感染者がでたみたい。うつったんだろう。


感染者の生産地は、この村。たぶん。

ナル子には伝えるべきかな、って考えたけど無駄に不安を煽っても仕方ない。

どのみち、僕らの内の誰かがすでに感染してたら、治療法もわからず隔離もできないから全員にうつるだろうし。手遅れだ。

さっさと集落を出た方が良いのか。わからない。


もしかしたら、この一帯は隔離されたのかも知れない。

ワダチの人は検疫に来た? だとしたら、街へ降りて大丈夫なのか?

僕たちは感染してるかも知れないのに、麓に下りたら、感染を広げる事にならないか?


村が無人になるような状況だ。もし僕たちが感染していたとしたら、病院で薬をもらって「おだいじに」で済むわけもない。


暗い空に降灰。疫病。あと川が赤く染まり、イナゴでも大量発生すればヨハネの黙示録だ。

参ったな。キリスト教徒じゃないと救われないのか。ちゃんと改宗しとけば良かった。

とりあえず、現時点でみんなに感染の兆候はない。観察はしっかりやろう。

あと村に入る直前のガードレールに置き手紙を貼り付けて、それに気付くようにしておきたい。憂理たちが立ち入らないように。


全部が『考えすぎ』ならいいんだけど。

……それでも恐怖とかより好奇心のが勝ってるのが、僕自身の救えないところかも。




畑山遼が自らの知り得た情報を、意図的に仲間たちに発表しなかったのは賢明な選択だったかも知れない。この事実を知ったところで、自分を含め、仲間たちに出来ることなどなにひとつ無いのだから。


早々と腹を満たしたエイミがだらしなく足を放り出して、誰に訊ねるでもなく訊ねた。


「ねぇ。クルマどうすんの?」


その発言は、みなの視線を菜瑠へと集中させるものであった。菜瑠こそ法や倫理を遵守せんとする最右翼であるという共通認識が言葉でなく、視線で明るみに出る。


「どうするって……」


戸惑った菜瑠に、ケンタが例のエセ哲学者キャラを出してくる。


「ほほほ。菜瑠くんは視野が狭くて困る。もっと大きな視点で物事を見なきゃいけないね。つまり、この僕のように」


久々に腕を組み、菜瑠は考えこんでしまう。

ケンタが言うように大局的に物事をとらえるべきなのだろうか。

自分が100%正しいだなんて思わないし、清廉潔白のまま生きられるはずもない。そんな事は理解しているつもりだ。だが救援要請を優先させるために、犯罪行為を行うなどあってよいものだろうか。


以前、廃屋に不法侵入する時、エイミが言った。『法律が生きているかもわからない』と。


それが自分本位な解釈であることは否めないが、人はそうやって誤魔化し誤魔化しに生きて行くモノかも知れない。菜瑠自身もこうやって他人の家に屋根を借り、他人の食糧で胃を満たしているのだ。

菜瑠がそうやって自己嫌悪に押し潰されてしまう直前、幼いユキの姿が目に入った。


かわいそうに足首を腫らし、じっと菜瑠を見つめてくる。ケンタの言うように、この足で麓まで歩かせるのは酷というものか。

ただでさえキツイ行軍であろうに、それを一番体力のない幼子が故障を抱えたまま歩くなど――。


「クルマ……。借りよう」


菜瑠は言った。

仲間たちはその言葉を受け、懐柔の成功に空気を緩めたが、菜瑠自身にとってみればこれは敗北宣言だった。


ため息を一つつくたびに、自分のなりたかった者からかけ離れてゆく。

自分はこうやって、『仕方ない』『しょうがない』ともっともらしい理由をつけることばかり上手くなって、理想を諦めながら大人になって行くのだろうか。


だがそれも、仕方ない――そんな風に考えて、菜瑠は自重する。

やはり、言い訳ばかり上手くなっている、と。




 * * *

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