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13月の解放区  作者: まつかく
8章 法外の法の下で
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8-6 戦うということ

水攻め。それは悪魔的なアイデアであった。

上手くやろうが、やるまいが、確実に何人かは溺死する事になるのだから。


だが蠱惑的とも言える魅力がある。半村に一矢報いる事ができる。それが魅力の成分の大半であるのも憂理には否定できない。


だが、半村一人のために、テオットたちの命を危険にさらして良いという道理も見つからない。痩せ女部屋に閉じ込めたままのガクも、ほぼ確実に溺死するに違いない。

まさに切り札というやつだ。

――まだ切れない。


もし、そのカードを切ったとして、生き残る人間は誰になるのか。エレベーターの昇降路に10人。その顔ぶれを自分が選ぶのか?

その10人に自分を含めるのは横暴であるように思えたし、かといって自分は救世主だから、と少ない椅子の一つに座れるほど厚顔でもない。


だがもし、選ぶとしたなら?

ジンロク、ナオには生き残って欲しい。これで2人。平等に各陣営から選出するなら、テオットからはアツシ他3名、半村奴隷からツカサ他3名。ここらへんが『落としドコロ』というやつだろう。


もちろん、翔吾には残ってもらう。救世主である自分が死んで、チンピラ猫である七井翔吾が生き残るなど絶対に許せない。世のため人のためにも、これがきっと正しい。


ツカサが何か掴んでいるのではないか、PCを通じて何かしら情報を送ってきているのでは、と淡い期待を胸に憂理たちは蔵書室へと戻ってきた。

フロートドアを通り抜けると、ユキエが意識を取り戻していた。

テーブルに寝かされた状態から半身だけを起こしている。そしてそのユキエに対してナオが厳めしい表情で小刀を向けていた。


「ユーリ! ちゃんと見張ってたぞ!」


なるほど職務に忠実なことだ。だが、ユキエとて歩く凶器などではなく、常に小刀を向けているのも褒められた行為じゃない。これではどちらが危険人物かわかったものではない。


「やりすぎだ。これじゃ、こっちが悪者みたいじゃないか」


憂理がたしなめると、翔吾やジンロクも続く。

「無闇に使うな、って言っただろアホ!」


「ナオ。下ろせ」


それぞれに叱られたナオは、ムッとして小刀を下ろした。そして小さく呟く。「ちゃんとやったのに」

ユキエは気にする様子もなく、憂理たちへじっとりとした視線を向け、やがてタバタを見咎めて目を細めた。


「杜倉くん、その人たちと手を組んだんだ? その子……タバタさん、人殺しだよ? 人を刺した」


ユキエによる非難にタバタは美しい顔をしかめ、奴隷長の少女を睨み返した。

一種異様な緊張がはしり、ユキエの細い目とタバタの大きな目が敵意むき出しで見つめ合う。

憂理は苦い感情を唇にだけ出して、言った。


「人殺し、ってならお前らのが先輩だろ。偉そうな事いうな。泥棒が強盗をケナしてるようなモンだ」


翔吾も続く。

「ユーリは正しい。どっちも、人殺しで、アホだ。お前らアホって共通点あんだからアホどうし仲良くしろ。目糞鼻糞なんだからよ」


タバタは翔吾にも敵視を向ける。


「へぇそう? 七井くんは杜倉くんの『金魚の糞』ね」


「はぁぁ? ソレ、上手いこと言ったつもりかよ? 糞とかユーリに失礼だろ、あやまれよな。お前らこそタカユキのコバンザメじゃねぇか。コバンザメ。知ってっか? 自分で泳ぎもしねぇでよ」


ユキエが2人のやりとりを鼻で笑う。


「あなたたち、綺麗ゴトしか吐けないと思ってたけど、クソ、って単語も知ってるんだね」


三勢力の首脳陣が一部屋に集まれば、こんな罵倒大会になるのも仕方がない事かも知れない。誰も引かず、譲らず、このままでは延長戦までもつれ込みそうだ。

いささか悪趣味ではあるが、勝負の行方を眺めていたい気もする。


だが、いまは建設的な事に時間を使うべきだ。言ってしまえばこのまま最後をむかえれば、全員が敗者となるのだから。

憂理は野暮ったく頭をかいて、言った。


「モメんなよ。全員、クソなんだからよ」


これにはテオットの急先鋒であるタバタが過剰な反応を見せる。


「は? 偉そうに言うの、やめてよね!」


「あのな。『偉そう』じゃねぇんだよ。偉いんだ。さっき俺に従いたくねぇ奴は去れ、って言ったろ。命令だ。生き残るためにはテオットとか半村奴隷とか、どうでもいい。モメんな」


タバタはキッと憂理を睨んだが、反論はせず悔しそうに唇を噛んでうつむいた。美人に嫌われるのは少し惜しい気もするが、権力とはなかなか便利なものだとも思う。

憂理はPCデスクへと向かい、投げ出すように腰を下ろした。


今は個人の思想や理想はそして経歴は何の役にも立たない。それを俎上に議論を戦わせるなど非生産的であるばかりか罪悪であるとも言える。

奴隷階級も新世界もどうだっていい。『生き残り』だけを目標にしなければならない。

ただ前を向け、黙って生き残れ。それが杜倉憂理という指導者の方針だ。


水攻めはギリギリまで待とうと思う。まだ、猶予はある。

生活棟と上階の水道を全て開放し、地下階へと流し込めば、地下階の空気が押し出されるに違いない。そうなれば窒息へ至る時間も少しは延長されるだろう。憂理はPCの前に座り、とりとめなく点滅するモニターを見た。


「ユーリ。変化は?」


「たぶん、ない。ケド……」


「ケドなに?」


モニターの右下に吹き出しのようなバルーンが表示され、青と白に点滅していた。憂理は何気なく、そのバルーンにカーソルを合わせ、クリックした。

すると、唐突にモニター中央に『窓』が表示された。その窓には端的な文章が見て取れる。


『七井さん、杜倉さん、ジンロクさん。こちらツカサです。チャット届いてますか』


「届いてるよ」


憂理は素直に、口頭で返事する。もちろん無意味だ。興味を持った翔吾とジンロクが憂理の背後に回り、モニターをのぞき込む。そして、三者三様に返事をする。


「きてっぞー」


「そっちはどうだ?」


むろん、どれも無意味だ。これは音声チャットではない。


「返事がないぞ?」


憂理が、ツカサの師匠に苦情を言うと、翔吾は眉間にシワを寄せてもう一度呼びかける。


「コラ、ツカサ! 返事しろ! 不安になるだろが」


それでも返事はない。三人は顔を見合わせて、肩をすくめた。

「聞こえてないのか?」


やがて訝しげだったジンロクの表情が、閃きの色を得た。

「文章でやりとりするんじゃないか? 前に、地下と生活棟で連絡とってたぞ。ナル子と四季が」


「文章で、ってキーボードで?」


たぶん、とジンロクが肩をすくめた。ならばやってみよう、と憂理はキーボードに正対し、二本の指でローマ字を追う。

文章を打ち、ソレを変換する。機械音痴とはいえ、変換ぐらいは出来るのだ。すこし誇らしい気持ちであるが、だれも褒めてはくれない。


『俺とクラだよ』


そして、恐る恐るでリターンキーを押すと、ツカサのチャットの下に憂理の発言が反映される。翔吾が画面を凝視して、小さく感嘆の声を漏らし、憂理の肩をゆさぶる。


「でたぞ、おれトクラです、って! なぁトクラ!」


「ああ。でたな」


今、モニターを囲む3人の上に効果音をつけるなら、『ドキドキ』だろう。固唾をのんで3人の目が『俺とクラだよ』を見つめる。

変化はすぐに訪れた。


『よかった。杜倉さんですね。僕はツカサです。こちらは状況に変化ありません。四季さんのアレも解明できてません』


憂理はその文面を何度も読み返し、小さく深呼吸すると再び二本の指で文章を作る。


『がんばって。こっちもがんばってる』


『怪我人の出血がひどくて、もうどうすればいいのか。半村様も動きがなくて。監視はしてるようなんですが』


『がんばって。お前だけがたより』


『なにかわかったら、すぐ報告しますね。そちらの状況はどうですか?』


『むり』


『わかりました、僕がなんとかして見せます! 役に立ちます!』


『おねがいします。こっちぇytrちゅいおp@「いswあふ』


突然、翔吾が横から手を出し、五本の指でキーボードを乱暴に叩いた。

「やめろ!」


憂理に怒られても、翔吾は満足そうだ。

「キーボードみてっと、ムショーに邪魔ってか、俺も押したくなんだよなぁ。前世でなんかあったんだろな」


『どうしたんですか! 杜倉さん!?』


文面からツカサの困惑がにじみ出てきそうだ。唐突に怪文書を送られれば、誰だってそうなるに違いない。憂理は翔吾の動きを警戒しながらゆっくりと文章を打つ。


『だいじょうぶ。前世が猫のやつがいてキーボードむちゃくちゃにした』


『七井さんですね。わかります。ぼくPC前に待機してるんで、何かわかったら言いますね』


『おながいします』


通信の終了とともに憂理は椅子の背もたれに体重を預けた。ツカサが四季の企みを看破してくれれば良いが、それが直接的に今の状況を変える保証もなく、胃に重圧を感じる。


「憂理、お前さっき学長になに言われてたんだよ」

天井を見上げた憂理に、翔吾が何気なく訊いてくる。


「お前が喜びそうなこと」


「えっ、なによ。ヤバいこと?」


今、翔吾の上に効果音を描くなら、やはり『ワクワク』が適当だろう。だが、憂理は学長案を言えずにいた。

自分の決断により、いくつかの命が失われる未来。それは決断しなかった未来よりも素晴らしいモノなのだろうかと、いささか倫理的とも哲学的ともいえる自問自答を繰り返していた。


これはトロッコ問題と呼ばれるものだろうか。

ブレーキの壊れたトロッコが暴走し、このままでは線路上にいる5人を轢き殺してしまう。

線路の途中にある分岐器を切り替えれば、5人は助かる、が切り替えた先にいる作業員1人が死ぬ。――あなたはどうすべきか。


5人のために、1人の命を差し出すのは正しいのか。

分岐器を切り替えることで、積極的に殺人を犯すことになるのではないか。

とはいえ、なんらかの信条にもとづいて見て見ぬふり、つまりは5人の轢死を容認するのも消極的殺人と言えるのではないか。

見過ごせば死ぬのは明白なのだから。


あるいは、その5人が全員半村であったなら憂理は迷わないだろうが――。


この問題に正解が存在しないのと同じく、今の憂理にも正解は得られない。

放置すれば全員が仲良く窒息することになるが、選択的に生存者を決めるのも酷薄な行為に思える。

半村の部屋にいる数人は助かるのが救いか。


「まいったな」


動物のつがいを選択的に箱舟へ乗船させたノア。

彼は、選択的生存を主導した聖人は、いったいどのような基準で『助けるつがい』を選んだのだろうか。


憂理は施設がこのような状況になる以前には、こんな選択を迫られるとは思いもしなかった。決断と選択はむしろ得意分野だと自負していた。

コーヒーにしますか? それとも紅茶にしますか?

そんな程度の選択になら「両方もらおう」と軽口も叩けるが。


代わり映えのないモニターを見つめながら、憂理がそんな事を考えていると、ジンロクが唐突にユキエに向いた。


「ユキエ。お前は半村の部屋に入れる。交渉して、入れてもらえ」


蔵書室で聞けた久々に建設的な意見だった。

これには憂理も賛成だ。ユキエは例のジトッとした視線を床に落とし、動かない。憂理は背もたれを限界まで倒し、言った。


「ロクは正しい。行けよユキエ。さきにツカサに言っといてやるから」


そんな風に背中を押されても、ユキエは動かない。ただボソッと呟いた。


「佐々木が裏切ってる。トクラ君たちと内通してる。私は知ってしまった。その私を半村様のところに戻したら、どうなるとおもう?」


これには翔吾が応じた。

「別に、ツカサのことチクったりしねぇだろ? あんなザコ、ほっといても大した害にねらねぇぞ? 偉大なるザコ」


「そうじゃない。私の気持ちの問題。これ以上、半村様を裏切るような事はしたくない。あの人は私を救ってくれた。誰にも出来なかったことをやってくれた」


つまり、戻れば必ずツカサの内通を暴露するという事を言いたいらしい。

なかなか見上げた忠誠心ではあるが、忠誠を誓う対象選別に欠陥があるのではないかと憂理などは思う。

憂理の視点から見れば、ユキエは利用されただけであって、半村の自発的な善意によって救われたわけではない。


支配するために都合の良い道具だった、とまで断じてしまってよいのではないか。

現に、半村はユキエを回収しないまま生活棟を封鎖し、手元に無いことで暴君が慌てたモノといえばユキエではなく『オンナ』だ。


ユキエ自身、じつのところ、それに気がついていて気付かないフリをしているのではないか。憂理がそんな事を考えながら奴隷長の少女を見つめていると、翔吾が彼女を測るような視線で言う。


「好きにしろよ。でもそれなら、ツカサは返してもらうぞ。もう俺の弟子なんだからよ。お前らにゃ渡さねぇ」


これは師弟愛なのか、それとも翔吾の所有欲なのか。憂理にはわからない。

だが少なくとも、このような感情が半村にあり、それがユキエに向けられていれば、奴隷長の少女も報われたかも知れない。悲しい忠誠だと思う。


「心の底から『奴隷』ね」


タバタの言葉がユキエに刺さった。

2人が睨み合うと、どこか姫と下民といった趣がある。タバタの見下した視線に対し、ユキエは怨嗟の視線を返し、冷たく言い放つ。


「自分が汚くない、って思ってる汚物が一番迷惑なの知ってる? 本人は臭いに気付かないモンでしょうけど」


「おい。モメんなって言ったろ」


憂理がたしなめるとタバタは菜瑠の如く腕を組み、斜めに顔をそらした。


「モメてない。事実を言っただけ。フクツの奴隷根性を褒めたまでよ」


「私も、綺麗ごとに目を輝かせる汚物に、絵に描いたような汚物って言っただけ」


女というのは、実に度し難い。

憂理は翔吾に解決を求めようとした――がそれより先に翔吾が耳打ちしてくる。


「みたかよユーリ、マジぐろす。女には気をつけような」


「うーん。ロク、なんとか言ってやってくれ」


指名されたジンロクはムウと唸り、やがて2人の女子に言った。


「なんというか、犬猿の仲、ってヤツだな、うん。でも、桃太郎では犬と猿が協力してだな、鬼を倒したわけだ。たまには協力してだな、力を合わせれば、困難にも立ち向かえると思うが」


タバタなどはジンロクの有難い説教を聞く気もないらしく、フッと背を向けて近くのテーブルに腰をかけた。

憂理は失望を溜息に変えて、胸から吐き出した。


「とにかく、モメんなよ。俺が桃太郎なら、お前らクビだぞ。仲間割れは、桃太郎とかキジまで危険にさらす」


翔吾も続く。

「そうだよ。俺が金太郎でも、仲間割れは許さん」


つぎは浦島太郎の登場を期待してしまうが、ジンロクは空気を読まない。


「ともかく、ユキエは半村の所へ戻った方がいい」


ユキエはその言葉に反応を示さず、ただタバタと正反対の位置へと移動し、テーブルに座った。


また翔吾が耳打ちしてくる。

「みたかよ、ユーリ。女ってワケわかんねぇな。なんで戻んねぇの? バカなのかな。気をつけような」


「うーん」


こんな事に時間と頭脳を使うことが煩わしい。


憂理は席を立ち、大きく深呼吸してみた。

胸いっぱいにまで空気を吸い込んでも、少し苦しい。肺の底に違和感が残る。


「よし」

そして一つの計画を胸に秘め、憂理は両手でパチリと両頬を叩き、そして、両眼を閉じ、もう一度両方の肺に空気を吸い込んで、言った。


「サマンサ・タバタ。仕事だ」


座ったままでタバタが憂理を見つめる。憂理は、わかりきった質問がくる前に、言葉を続ける。


「テオット全員で協力して、上階と生活棟の排水口を全て塞いでくれ」


部屋に点在する全ての顔が憂理に向けられる。

「全部だ。全部塞げ。遠隔ロックで入れない所以外、全部」


タバタの瞳が懐疑の色を強くし、整った唇が猜疑の言葉を吐く。


「穴? 意味わかんない。何を言ってるの?」


「トイレの穴、大の穴も小の穴も、全部だ。水が排水口に逃げないように」


言葉の意味に気付いた翔吾が、急に顔をほこばらせた。


「マジかよ、ユーリ。最高じゃん!」


やはり、翔吾が喜ぶ案であったようだ。すぐに気がつく――連想できたのは、そのような破壊行為に彼の願望が結託したからに違いない。

だがジンロクやナオ、ユキエやタバタは破壊的な連想が追いつかないらしく、ただ呆然としている。


憂理は野暮ったく頭をかいて、端的に言った。


「水攻めだ。地下階を水で満たす」


ユキエの目に驚愕が、タバタの目からウロコが、ジンロクは目を皿のように。

それぞれの目に反応があった。


「これから、生き残りのプランを言うぞ。目標は全員、生還だ」




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