8-5a たがための救世主
人の命は地球より重い――そんな事を言う者がいる。
もしそれが、正しいなら、いま杜倉憂理が預かる命は地球にして何十個ぶんになるのだろう。きっとビリヤードぐらいはできるに違いない。
「待ってくれ!」
憂理はなるべく大きく叫び、なるべく強く主張した。
「俺、そういうんじゃねぇから!」
『命』などというものは、唐突に預けられるには余りにも貴重すぎる荷物だ。
救世主としての栄光を固辞しようとする憂理の言葉を受け、イツキが群れから一歩踏み出した。
「ユーリくん、助けてくれるんだよね? ユーリくんなら、きっとできる!」
テオットの群からあがる匿名の声が、イツキの懇願を後押しする。
「助けて」
「半村に負けないで」
憂理はそれらを振り払うように、群から目をそらし、彼や彼女らの『他力本願』を軽蔑した。
とはいえ、憂理自身も『タカユキの手』に便乗しようとした他力本願の輩なのではあるが、彼らのソレは憂理から見ても余りにも盲目的で、考えなしのモノに思えた。口々に、杜倉憂理の名を呼び、口々に救いを求める。
「ユーリ」
タカユキは底の見えない瞳で囁いてくる。
「羊だ。みんな羊なんだ。誰かに毛を刈って貰わないと、誰かに守って貰わないと、誰かに導いて貰わないと、生きてはいけない」
仮にそうであったとして、憂理が羊飼いとなる筋合いも、道理もない。
積極的に生きる気がないのならば、雨が降るなら濡れればよく、狼が来たなら食われればいい。
「ユーリ。君が必要なんだ」
憂理はタカユキへ顔を向け、小声で反論する。
「お前ら新世界を作るんだろ? だったら自分らでなんとかしろよ」
「君が居なければ、新世界なんて虚しい。僕は……」
「なに言ってんだ?」
憂理とタカユキが面を突き合わせて言葉を交わしていると、ようやく入り口のあたりで待機していた翔吾とジンロクが『テオットの海』を割ってやってきた。
「ユーリ! 何やってんだ! こんな奴らほっとけ! 時間がねぇんだからよ!」
翔吾がテオットたちへ向ける視線は厳しい。それは軽蔑を通り過ぎて嫌悪まで到達しているようにも見えた。
憂理だって、彼らに対して決して良い印象を持っているとは言えない。
だが、思う。
彼らも、薬を盛られているんじゃないか。薬によって自我を修正ないし上書きされ、ただ操られているだけなのではないか。
作られた羊。もしそうであるなら、このまま見捨てるというのも冷酷で不義理なことではないだろうか。
憂理の間近まで歩み寄ってきた翔吾が眉間のシワをより一層深くして言う。
「さっさと行こうぜ。コイツら自爆なんだからよ!」
「行くって言っても、行く場所もない」
「だから探すんだよ」
翔吾に遅れてやってきたジンロクが、翔吾の言を後押しするように険しい表情で頷く。
そんな杜倉グループの小会議を横目にしていたタカユキが、大きな声でテオットたちを煽る演説を始める。
――みんな、自分が杜倉憂理にこだわった理由がすぐに明らかになる。
――杜倉憂理が我々の道を明るく照らしてくれる。
――半村の『攻撃』は試練でしかなかった。
――ここに残った僕たちは、真実を見る目を持っている。神に祝福されている。
よくもまぁ都合の良いことを並び立ててくれるモノだ。
憂理などはあきれてしまうが、テオットの面々は奇跡を目の当たりにしたかのように、その表情に喜びや安堵を浮かべていた。
この短絡的とも言える反応は、どうにも度し難い。
憂理はやがて決断した。
「よし……やる。救世主になってやる」
翔吾は片眉を大きく上げ、口をポッカリ空け、驚愕の表情のまま首を小さく左右に振る。
「はぁぁ? お前なに言ってんだ? 救世主になる、ってお前、自分も救えてね-んだぞ?」
「演じる」
ジンロクも訝しげな表情だ。
「どういうつもりだ?」
「利用する。コレだけの人数が居れば、一つの軍隊みたいなもんだろ? 言い方はわるいけど、コイツらを『利用』して脱走する」
テオットの組織力と杜倉グループの行動力。それらが正しく作用すれば、現状を打破できるかも知れない。
「いや、マジかよ、お前」
「俺さ、生きようと思うんだ」憂理は呆気にとられている翔吾とジンロクに、笑って見せた。
「さっき、決めた。生きるわ。んで、生きるためにできることは全部やってみる。徹底抗戦だ」
このまま死んだとて、きっと後悔はしない。後悔しないために生きる――と言う清廉潔白な理由は憂理にはなかった。
生きているという実感が曖昧なまま生きてきた。この杜倉憂理という名の命は、別に欲しくて得たモノじゃない、そんな風にまで憂理は思う。
『生まれたから精一杯生きろ』などと言うのは勝手な言い分に聞こえるし、『今日という日に感謝しろ』と言うのも軽薄な説教にしか聞こえない。
『ちゃんと生きる』ということは、生半可なことではない。
ただ、天国に居るであろう、天使の伝記作家を退屈させるようなマネはしないでおこうと思う。
『杜倉憂理、生まれる。杜倉憂理、死ぬ』
そんなアッサリと杜倉憂理の資料を終わらせられては、たまらない。せめて、給料分は働いて貰おう。
そして、伝記作家自身が、杜倉憂理伝に夢中になるぐらい、物語を、人生をひっくり返してやろう。
憂理は付け足すように言った。
「でも俺、テオットの連中とズブズブにはなりたくない。だから、向こうの代表者に指示を出して従って貰う。パイプ役だな」
「代表者って……タカユキか?」
「いや。アイツは信用できない」
「んじゃ、アツシにすっか?」
「いや、もっとこう、ハマり込んでる奴、テオットの中枢というか……」
なんの談合もなく、3人の視線がタカユキの演説を聴く2人の少女に向けられた。
サマンサ・タバタ。そしてイツキ。
憂理はぽつりと言った。
「イツキはダメだ」
ジンロクは理由も聞かず、次の候補の名を挙げる。
「じゃあ、タバタか」
3人の中で合意が結ばれ、ようやく小会議は終わった。
* * *
壇上から見下ろせば、自分がにわかに偉い人間になったような錯覚を覚える。
いつだかタカユキが『指導者を演じているだけ』などと言ったが、憂理も今、同じ道を行こうとしている。
自分は救世主を演じられるのだろうか。これだけの観客を前に、幕切れまで演じきれるだろうか。
演壇の両端を掴むように持ち、前傾姿勢ぎみに立つ。
顔は真っ直ぐ観衆へむけ、体調不良と不安を、体の一番深い場所に押し込めた。
そして、救世主を始める。
「杜倉だ」
名乗るまでもない名前を名乗り、全体を見渡す。
テオットたち、タカユキ、翔吾にジンロク。入り口の辺りには、憔悴しきったアツシも見えた。
「この中に、ロボットはいるか?」
返事はない。
「じゃあ、この中に、宇宙人はいるか? 酸素を必要としない奴は?」
観衆たちの多くが不安げに顔を見合わせた。『なに? 何なのこの人』だろう。タカユキのように彼らの望む、不安を取り払うような綺麗な言葉は吐けない。
世の中には3つのやり方がある。良いやり方、悪いやり方、そして杜倉憂理のやりかただ。今はそれをやるしかない。
憂理は続けた。
「じゃあ、この中に、救世主はいるか? いないか?」
憂理は少し間を置いて、全体を見回した。そして、言う。
「いないか? いや、いる。俺だよ。俺が救世主だ。お前らを救ってやる」
もちろん、自信も根拠も計画も、何もないハッタリの類だ。
「みんな知ってるだろうけど、今、俺たちは死にかけてる。あと何時間もつかわからねぇけど、酸素なしで生きられるやり方を知ってる奴がいたら、やり方教えてくれ。残りの時間、練習に使うから」
この軽口は理解されず、翔吾がニヤリとしたにとどまった。
観衆のほとんどは真っ直ぐな視線で憂理を見つめたまま、微動だにしない。観衆がコレではなんとも甲斐がないというものだ。カネダのようにヤジを上げてくれた方が喋りがいもあるのだが。
静かなる観衆のなかから、1人の少女が声を上げた。イツキだ。幼さの残る顔立ちの少女は、いつか倉庫で見せたような真剣な表情だった。
「ユーリくんなら、きっと助けてくれると信じてた」
そして、その隣にいたサマンサ・タバタも連動して声を上げる。
「でも、どうやって? もう時間も……。そこらじゅう封鎖されてるし……」
当然の質問だ。むしろ、憂理が誰かに尋ねたいところである。だが想定の中心から1ミリもズレていない質問でもある。
憂理は一切の動揺も見せず、ただじっとタバタを見つめた。
「不安か?」
タバタの目に動揺があった。少しずつ現実味を帯びる窒息の恐怖が、真実の目への信仰心を曇らせているのか。
少なくとも、死への恐怖を乗り越えていないただの少女がそこにいた。
「ハッキリ言う。今の状況は絶望的だ。できる事なんてほとんどない」
憂理の断言は、観衆たちに静かな動揺と狼狽とパニックを与えるモノだった。
シェイカーにそれらを入れて混合させれば、お手軽に恐慌という名のカクテルができるに違いない。
憂理は恐慌になる前に、氷を入れて混合酒に冷静を加える。
「キッツイよな。たまんねぇよな。フザケてるよな。でもマジだよ。このままじゃ、全滅だ」
まぎれもない事実を再確認し、そして一呼吸置いて続ける。
「これから、大事な事を言うぞ」
憂理は演壇に両腕をついたまま、全体を見回した。
1人1人、なるべく多くの者たちと順に目を合わせる。憂理自身が真剣で、軽口の一つも思いつかない。
シンとした広い体育室。その場にいる者の全てが杜倉憂理の言葉を待っている。
憂理は、最後の1人と目を合わせ終わると、言った。
「大丈夫だ」
それだけだ。憂理に言えることはそれだけ。なんの根拠もなく、なんの裏付けも、自信もない言葉。
だが、もう一度言う。
「大丈夫」
半分ぐらいの観衆から、フッと肩の力が抜けるのを見た。
この一言でわずかにでも救われた者はいただろう。言葉一つで楽にしてやれるなら、いくらでも言ってやる、何度でも言ってやる。憂理はそう思う。
背負ってやろう、その不安を。
「いろいろ、心配もあるだろうけどな。大丈夫だ。俺が言うんだから、大丈夫。辛かったな、怖かったな。でも、もう大丈夫だ」
根拠のない激励を根拠として、安堵が生まれた。
無から有を作り出した。錬金術師でもこうも上手くはやるまい。どちらかと言うと、詐欺師やペテン師の得意とするところだろう。
だが、大丈夫だ。憂理は自身にも心の中で言い聞かせる。きっと大丈夫。
「これから、しばらくは俺の指示に従ってもらう。従えない、従いたくない、って奴がいたらこの場を去っていい。足並みが乱れたら、どんな計画も駄目になる。無理強いもする気はない」
憂理の言葉に、その場を去る者は1人もいない。
上手くやれたか自分では評価しがたい演説だったが、悪くない出来だったはずだ。
「生きようぜ。生きにくい世の中かもだけど。タフじゃなきゃ、こんな時代を生き抜いていけねぇよ。じゃあ、せめて、タフなフリをしてやろう。全員がタフなフリしてりゃ、性格のゲスい運命の女神だって勘違いして、運命を変えてくれるかもだ。『あら? こんなタフい人たちが死ぬなんて、おかしいわね。運命修正しよ』ってさ。徹底抗戦しようぜ? 最後までさ。俺に任せてくれれば、生き残れる。信用してくれ。指示は追って出すから、それまでみんなも、生き残るアイデアを考えといてくれ。――んで、タバタ」
唐突に憂理に指名された少女は、きょとんとして自分に指を向ける。
「ああ。サマンサ・タバタ。お前は俺たちについてきてくれ。今後、全員への伝達はお前にやってもらう。美人の言うことは正しく聞こえるしな」
それだけ言うと憂理は演壇から両手を離し、壇上から降りた。
古人は3人寄れば文殊の知恵と言った。それが今は30以上いる。
知恵を司る神10人分だ。更にその10人の文殊を3人合わせれば知恵の神を超えるアイデアが生まれるんじゃないか。
――超モンジュ。
下らない思いつきに口角を歪めた憂理の元に、翔吾とジンロクがやってきた。
「お前、なにが大丈夫なんだよ。ビッグマウスじゃんよ。いや、オモロイけど!」
「結果、俺らは生き残るよ。そじゃなきゃ、終わるだけ。だから先に言っただけだよ。大丈夫って」
「まったく、ウソ臭ぇったらなかったわ」
どうやら主演男優賞は取り逃したらしい。だが最優秀脚本賞にはノミネートされたんじゃないか。
ジンロクが肩をすくめ、聞いてくる。
「で、どうするんだ? オオグチ叩いたのはいいが、実際は大丈夫じゃない」
「とりあえず、生活棟に下りよう。ツカサも何か情報を掴んでるかもだ。それに、学長がいる」
半村側からなら何かしら有益な情報が得られるかも知れない。学長も意識があれば、何かしら道を示してくれるかも知れない。
今はすがれるモノがあるなら、全力ですがるべきだ。
「見ろよ」翔吾がテオットたちをアゴで指した。「あいつら、マジで憂理が何とかしてくれるって思ってる。自分じゃなんもしねぇくせによ……腹立ってくるわ。タフなんは俺らだけじゃねーか」
猫科のタフボーイはそんな風に嫌悪感を隠さない。それは自分で道を切り開いた自負からくる軽蔑かもしれない。これにはジンロクが渋い顔をした。
「そう言うな。敵対するより協力し合えるなら、今はそれがいい」
ジンロクの言葉は正しい。自発的な行動が見込めなくとも、自暴自棄になって暴れられるよりはいい。少なくとも抑制のきいた集団とは言えるのだから。
憂理はテオットの集団を見つめながら言った。
「少なくとも、今までみたいにコソコソ隠れて行動する必要はなくなった。人数もいる。コレで何とかしなきゃ、救世主失格だ」
「元々、合格もしてねぇだろ」
「した。救世ギョーカイにコネがあってね」
「きたねぇな。俺もなりてぇよ」
「ともかく、ウダウダしてる時間もない」
3人が無言の同意を得た頃、ようやくタバタが憂理たちの元へやってきた。
「私は何をすればいいの?」
白い頬に血の痕跡を残したまま、真っ直ぐな目で聞いてくる。
「まだ、なにも。とりあえず、方針が決まったら、ここにいる奴らをまとめてもらう」
「まとめ役なら、導師がいるわ」
「タカユキはダメだ。今、俺たちは新世界を作るために必死こいてるんじゃない。生き残るためだ。テオットの立場とか主張とかいらない。むしろ邪魔だよ」
「杜倉くんは、新世界を誤解してる。私たちは、より良い環境をつくりたいだけ」
「だろうな。でも今は関係ない。目標は窒息を回避すること。それだけ。だからテオットの指導者には用がない」
冷たく言い放った憂理に、タバタはムッとした様子だ。だが、実際にタカユキには一枚も噛んで欲しくない。
「よし、生活棟に下りるぞ。抜け道を探そう」
* * *