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13月の解放区  作者: まつかく
8章 法外の法の下で
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8-3 生きる、こと

自らの危機感や恐怖感が鈍感になっているのか。

憂理は不思議な気分だ。現状で打つ手はなく、ただこうして天井を見つめて窒息を待つだけ。なのに自らの死に対する恐れは微塵にも感じない。それは、どこか安らかですらあった。


「なぁユーリ、どうするよ」


翔吾は椅子の背もたれを限界まで倒し、憂理と同じく天井を見上げている。

ナオなどは豪胆なもので、おびえる様子もなく憂理のテーブルに腰を下ろし爪の逆剥けを気にしている。


「……ケンタは?」


「外だよ、外。お前がグズグズしてる間に外に出た」


「外は……どんな?」


しばらくの間があった。憂理もナオも、せかす事なく、ただ翔吾の言葉を待つ。


「真っ暗だ」翔吾が天井を見上げたまま、率直な感想を述べる。「分厚い黒い雲が空いっぱい、だわ。変な感じ」


そういえばケンタがそんな事を言っていたなと憂理は思い出す。昼か夜かもわからない暗さだった、と。


「菜瑠たちも……一緒か?」


「ああ、ボロい家に待機してる。3日経ったら街に向かうように言っといた」


「……そか」


「とにかく、普通じゃねぇわ。灰みたいのが積もってる」


半村やタカユキの言う『終末』が来たのだろうか。憂理はまた目を閉じた。

全身を蝕む倦怠感が、ひたすらに体力を奪ってゆく。

半村も思い切った手段に出たものだ。奴隷とテオットを合わせると『男子』は40名を下るまい。それを切り捨てるなど、常軌を逸している。

憂理は目を閉じたまま、呟いた。


「俺たち……死ぬのかな」


「わかんね」


「でも……死にたくはないよな」


「ああ。そだな」


2人して天井を見上げながら、どこか他人事のような会話を交わす。

『生きている』という実感に薄いまま生きてきたせいか、死というものに実感がわかないのかも知れない。

ぼんやりとしたまま無為に時間を浪費し、やがて憂理は半身を起こした。

倦怠感だけでなく、嘔吐感まで感じる。自分は窒息の前に息絶えるのではないか。


「おい、憂理。無理すんなよ。ゾンビみてーな顔色だぜ、お前は」


「もう死んでる。ちょっとパソコン触らせてくれ」


「んだよ。どうせわかんねーだろ?」


テーブルの端から足を下ろし、憂理はおぼつかない足取りで翔吾の元へゆく。

「パソコンで遺書書くんだよ……遺書」


久々に出た憂理の軽口に翔吾はニヤリと笑い、椅子から立ち上がった。

「アディダスの限定シューズは翔吾くんに譲る、って書けよな」


「てか、お前も死ぬだろ……。そんな簡単に死ぬような愚かな奴に限定カラーはやれん……」


体調は最悪ではあるが、軽口だけは忘れない。

翔吾があけた椅子に倒れこむようにして腰を下ろし、憂理はひとまずため息を吐いた。


「クラクラする……。吐き気もする……。風邪か……コレ」


翔吾は憂理の代わりにテーブルへ腰を下ろすと、例の『クスリ』の説明をした。

タカユキが何らかの合成麻薬を杜倉グループに盛ったこと、翔吾が目の当たりにしたその効果。

憂理は椅子の背もたれに体重を預けながら『まじかよ』だ。

たとえタカユキが異常者であっても、そこまでするのだろうか、と懐疑的に考えてしまう。


「ナル子なんて、めちゃエロになったんだぜ? ナル子がだぜ? エロエロだぜ? もう、すんごいの」


「……ど……どうエロかった?」


責任感に基づく興味が1。好奇心が4の割合で憂理は訊ねた。無論、残る5割はスケベ心だ。


「いや、なんかよ、エーミとか四季とかにチュッチュしてよ、もう、乳とか揉みまくりーの、尻とか鷲掴みーの」


「お、おう。あのナル子がか……」


「まぁ、そんだけヤバい効果だって事だわ」


あのナル子が。

ピントの合わない思考力のせいで想像力がまるで働かない。それが口惜しい。


「遼がよ、深川がおかしくなったのは、そのクスリのせい、とか言ってたわ」


「タカユキが盛った、って事か?」


「いや、前からあったらしいんだわ。そのクスリ」


「俺も……そうなる?」


「さーな」


翔吾の説明によれば、それは自我や理性の抑制を弱める効果があるようだ。

なるほど憂理も納得する。各人の個性を『枠組み』と考えれば、それは固定観念や常識と言い換えることもできよう。常識からの自由を標榜するタカユキがその効果を利用したとしても、何ら不思議はない。自我などないほうが、操りやすい……。


急に、憂理は恐怖を感じた。今の自分は『正気』なのか――と。

酔っ払いは泥酔を否定し、精神を病んだ者は病んだ世界を正常だと錯覚するに違いない。だとすれば、自分はいつか見た深川のように『自分の世界』にいるのではないか。


夢とうつつを往き来する間に、自分は自分を見失ったのではないか。

表現しがたい恐怖が汗となって肌を湿らせる。

翔吾やナオに訊ねても仕方が無い。『自分は正気だろうか』と問えば、彼らは

『問題ない』と答えるに違いないのだ。現実の彼らではなく、『憂理の世界の彼ら』が。


自分は確かに此処にいるのに。それが証明できない。

脳が敵に回ると、人間はかくも弱いものか。『我思う、ゆえに我あり』などという言葉は、今の憂理を救ってはくれない。

憂理は恐怖の克服を翔吾に頼った。


「翔吾、なんかお前らしいこと言ってくれ」


「は? なんで? 俺らしいって何よ?」


「いいから……」


「俺らしい、って、俺が言えば何でも俺らしいって事じゃねぇの。たとえばコレも」


「意識がボンヤリして怖いんだ。目の前にいるお前の、どこまでが本物かもわからない」


「俺、丸ごと七井翔吾だぜ?」


「だから、何か『らしい』こと言ってくれ」


ほとんど無茶な注文であった。自分らしい発言を求められ、『らしく』発言できる者などそうはおるまい。

憂理自身、自分らしい発言を求められても相手を満足させられる自信などないのだから。

だが翔吾は、ぽっかり口を開けて、天井を見上げ、言葉を探した。


「そだな。えーと。今は……」


「……いまは?」


「半村が覚醒して完全体になったから、全村だ」


憂理は予想外の解答に思わず、笑ってしまった。

このひねくれた男は本物の七井翔吾に違いない。憂理の発想を超えるなら、それは間違いなく『現実の』七井翔吾だ。

同時に安心する。きっと自分は正気なのだと。

――少なくとも、今は。


憂理は椅子の背もたれから体を起こし、PCモニターに向き合った。


「生きよう」


杜倉憂理は思う。

生きることが素晴らしいなどとは、口が裂けても言えない。

全ての葉に陽光があたるわけではなく、人生は万人に豊かなものではない。


だが、戦う価値はある。

いまは、もう少し、仲間たちの冗談を聞いていたい。それだけで充分だ。それだけで戦う価値がある。

希望に目を輝かせるほど純粋ではなかったが、絶望などもっと性に合わなかった。白旗を揚げるにしても、その白地に『くそったれ』と大きく書いてやろう。


こういう時にこそ、やせ我慢して格好つけるのが男のありかたじゃないか。

無様でも、滑稽でも、最後まで吠え続けてやろう。憂理は思う。生きている犬は死んだ獅子に勝るのだから。

――最後の一瞬まで反抗してやろう。徹底抗戦だ。


「少しでも長く」



 *  *  *



憂理がマウスを握り、数分が経過した。

カーソルはあてもなく彷徨い続け、時間だけが確実に失われてゆく。

画面には変化があった。半村の寝所である元教室のドアと通風口が緑に変化したことだ。これは無論、憂理の手柄などではない。


なすべき事はわかる。だがなすべき操作がわからない。

天井を見上げるたびに目に差し込む照明の白が、いまは途轍もない冷たい色に見えた。

白は、いちばん虚しい色。すべての色を拒絶し、孤高の存在感がある。孤高であり、孤独の色だ。いまはそんな白がどんな色よりも自分に似合っているようにも思えた。

つぎに似合うのは、喪服の黒か――。


「どーよ、憂理」


翔吾は非協力的で、ただ状況だけを訊ねてくる。

どうも、こうも、ない。なにをどう操作すればロックを解除できるのか見当もつかないのだ。

ジンロクはどうなったのだろうか。ユキエを見つけ、半村部屋へ送り届けただろうか。


無情に秒を刻み続ける壁掛け時計の分針が、盤面を4分の1ほど回った。

普段は動いている素振りも見せないくせに、分針は憂理が目を離したスキに動いている。


やがて、寝所の緑がピンク点滅へと切り替わった頃、テーブルに座っているナオが行儀悪く浮いた足をブラブラさせた。


「憂理にぃちゃん、はやく」


急かされても、頼まれても、脅されたって、どうしようもない。

憂理だって、叶うならばこの席に誰かを座らせて、『はやく』と急かしたいのだ。

ナオと同じく退屈そうな翔吾が、ナオと同じく足をブラブラさせて言う。


「四季がいたらなぁ……あいつ、実はすげぇよな。ロボってかマシーンだけどよ」


そういえば、と憂理はボンヤリしたまま思い出す。最後に会った時、あの女、なにか言っていた。


「なぁ、翔吾……。四季って最後にパソコン触ったとき、なにしてたんだ?」


「最後? 最後ってーと……洗濯室に穴掘りに行ったとき?」


「ああ、あの時、四季なんか言ってたろ」


思い出せない。

ただ、四季はなにか憂理の心に引っかかるような事を言っていた。なにか……。

翔吾は記憶を想起しようと黒目を上にあげ、アゴをさする。


「俺が最後に言われたのは……」


「いわれたのは?」


「『邪魔しないで』だな」


なるほど、そうだろう。だが違う。四季が何を言っていたのか、思い出せない。


「憂理、なんか空気薄いわ」


翔吾がポツンと言う。言われて憂理も意識的に呼吸をしてみると、たしかに先ほどより少し息苦しさを感じる。


「あと……どれくらい持つのかな」


「わかんね」


見ればナオは豪胆なもので、テーブルに体を倒し寝息を聞かせ始めていた。


「なぁ、翔吾。外の状況を細かく教えてくれ」


「外って、さっき言った通りだ」


「どうだった?」


「真っ暗、ってケンタが言ってたの覚えてっか。ありゃな、雲だった。なんか空全体がビニール焼いた煙みたいので覆われててよ」


「タカユキが言ってた、世界の終焉は?」


翔吾は気怠そうに天井を見上げ、薄い反応を見せる。


「どーだかな。タダゴトじゃないってのは確かだけどなぁ。ヤバさは感じたわ。助けを求めるってもよ、それこそ俺らが助けを求める先の奴らだって、助けを求めてんじゃねーか、って」


日がな一日、時間の経過とともに破滅の信憑性が濃くなってゆく。

ここで半村が思い切った『強行淘汰』を行うのも、ある意味では予定調和なのではないか。

食料の備蓄は、この際どんな金塊よりも価値があるに違いない。

半村は、生徒たちの自由を奪い、食料を奪い、果てには呼吸さえ奪おうとしている。

そして、生命も。


これは、半村が世界の終わりを確信している事を意味するように憂理には思われた。

万策尽きた憂理が、とうとうPCデスクに足を放りだした。次に生まれ変わる時は、四季に生まれ変わろうと思う。

投げ出した足の踵がキーボードに乗り、画面表示がデタラメに切り替わった。


依然としてモヤがかかったような意識の中で憂理はボンヤリとそれを見つめていた。

やがて、蔵書室のドアがゆるりと開き、ジンロクが戻ってきた。

その表情は冴えず、その背中には誰かが背負われていた。

ツカサか、と憂理は目を細めたが、違う。これは本物の女子だ。

憂理より早く、翔吾が訊いた。


「誰だ? ソレ」


ジンロクはドアをゆっくりと閉め、PCデスクの近くまで来て、ようやく質問に答えた。


「ユキエだ」


そして空いている机にユキエを寝かせ、肩をすくめる。「気を失ってる」


「いや、ロク。ユキエは寝所に連れてくんじゃなかったのかよ」


憂理の言葉にジンロクは更に肩をすくめた。


「ああ。時間が間に合いそうになかったから、ツカサだけは行かせた。なんとかユキエを見つけた時にはタイムオーバーだった」


なるほど、それは仕方ない。

ツカサだけでも安全圏に逃れたのは幸いと言うべきか。ジンロクはモニターを覗き込み、憂理の冴えない表情と見比べる。


「どうだ? いけそうか?」


「……いや、何とかなるかどうかすら、わからん。タイムマシンがあったら、まずパソコン作った奴を殺しに行く」


「そうか」


ジンロクは憂理の頭に乗っていた濡れタオルを断りもなく奪うと、それをそのままユキエの額に乗せた。ツカサの形見である濡れタオルが奪われたのは少し寂しいが、彼の『上司』の元に戻ったのは縁の導きというものか。

憂理は尋ねた。


「ロク……。寝所の様子はどうだった?」


「窓から覗いただけだが……」


「ああ」


「思ったほど集まってないな。ツカサを入れて、5人ほど。しかも全員が半村奴隷だった。理由はわからんが、テオットの女たちは大半が外のままだろう」


これには憂理と翔吾が顔を向き合わせた。

5人とは少なすぎやしないか――。


施設にいるテオット女子は15名を下るまい。その者たちは半村による救済、『延命のチケット』をみすみす見逃したと言うのか。

なにかテオットの連中に『策』があって、半村による救済に応じる必要がないのか。

憂理は抜け目なく、状況を分析した。

――これは便乗すべきか。


使用法のわからないPCの前で、だらだら時間を浪費していても、なんの解決にもならない。正確な残り時間はわからないが、タイムマシンが発明されるより前に窒息に至るのは明白だ。


憂理はPCデスクに乗せていた足を下ろし、床を踏みしめた。

依然として膝に力が入らない。関節が溶けたかのような浮遊感がある。

それでも椅子から腰を浮かし、ゆっくりと立ち上がってみると、なんとか直立はできた。


「おい、ユーリ、なにやってんだ?」


「……タカユキんとこへ行く」


「まだアホが治ってねぇのかよ、お前は」


憂理はヒザの調子を確かめるように、その場で床を見つめながら屈伸し、言う。


「タカユキ。アイツ……なんか『手』があんだろ。だからテオットの女は1人も半村のところに行かなかった。アイツら、なに考えてるかわかんねぇけどさ……このさい俺らも『その手』に乗らせてもらおう。楽ができるなら、それが一番だ」


「なんだよ、せっかく蹴散らしたのによ!」


翔吾の気持ちもわかる。せっかくナイト気分で魔城から救い出した『お姫様』が、ふたたび敵地へ戻るというのだ。これはオテンバなんてモンじゃない。パンクだ。

だが、このままPCの前で首をひねっていても、ラチがあかないのも事実。グダグダと軽口を交わしている間に、酸素と時間は確実に少なくなっている。


「ロクは……ここを守っといてくれ。使い方はわからんけど、一応、生命線だしな」


憂理の言葉を受け、ジンロクは訝しげな表情を見せた。これは『大丈夫なのか?』だ。憂理はその表情に返事を返す。


「俺と翔吾で見て来るよ」


憂理には計算があった。

もし、タカユキが現状を打破する手段を持っているなら、必ず手を差し伸べて来る。

根拠はタカユキが憂理に向ける『執着』だけだったが――。


「いや、ダメだ。憂理が行くなら俺も行こう」


そう言って、ジンロクは眠っているナオの元へ歩み寄った。そうして、頬をペシペシ叩く。


「ナオ。起きろ」


やがて目覚めた幼い弟。その目の高さまで腰を曲げて、ジンロクは言った。

「ナオ、また少し出かけてくる。この部屋と、ユキエを頼む」


ナオは眠そうな表情のまま、口をへの字に曲げ、力強く頷いた。

「うん」


「頼むぞ。……じゃあ、行くか」


すると、翔吾が愛用の小刀を取り出し、ナオの小さな手に握らせた。そしてポカンとするナオに言い聞かせる。


「無闇ヤタラに使うんじゃねーぞ。ヤバイときだけ使う。オーライ?」


「オーライ!」




 *  *  *

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