8-1 足元の現実
杜倉憂理はまどろみの中にいる。
生まれたての子猫よりも弱々しく、ただジンロクの背中に担がれている。
これは夢か? また、まだ、夢の中にいるのか?
憂理の意識の内側では、そんな自問ばかりが繰り返される。
この自問をいつから繰り返しているかも思い出せないまま、嫌気ばかりが疲れを呼ぶ。
考えるのも面倒だ。どうせ、次の瞬間には、見えている景色の全てが崩れ去り、まったく違う世界へ放り込まれるのだから。
多重構造の悪夢に取り込まれ、精神の座標がつかめない。だが不思議と、憂理は恐怖や不安を感じていなかった。
そんなネガティブな感情も、ただぼんやりとして、取るに足らない事のように感じられるのだ。
うつし世は夢、夜の夢こそまこと。
そんな言葉を憂理は聞いたことがある。だが、本人に現実と幻影の区別がつかなければ、そんな情緒にひたる余裕もない。
こうしている間にもジンロクの背中が消えて、次の異世界が始まるかもしれないのだ。
薄目を開けてみれば、翔吾がジンロクに何かを伝達しているのがわかる。
ナオは生意気に腕を組み、もう1人の女子はこちらを見つめている。耳にかかった髪、幼さの残る表情。
これは、どこかで見たような顔だ。
「と、杜倉さん……だ、大丈夫です?」
憂理はまどろみのなかで、話しかけてきた女子をじっと見つめる。
どこか――いつかの悪夢で出会ったような――気がする。
時間軸などわからない。いつか、それは遠くない過去。困ったような表情をみせ、じっと自分を見つめてくるその女子が、やがて憂理の記憶と符合した。
「あれ……? おまえ……ユキエの……?」
「えっと、そうです! でも今は違って、翔吾さんの弟子とか部下とか、なんだか、そんな感じで……」
ああ、また夢だったか、と憂理は失望してしまう。
たしか、ユキエに自慰を強要されたのは男子だった。『ちっちゃ』とユキエに性器を指差され、笑われたのだから。
だが目の前にいるのは女に見える。矛盾――これは、これが夢である証拠だ。憂理はそう判断して、力なく悪態をついた。
「なんだよ……ちくしょう……」
目を閉じて次の夢へ行こうとした憂理の耳に、翔吾の声が聞こえる。
「ツカサ! 憂理をかまうんじゃねーよ。そいつ、いまアホなんだからよ! アホが悪化するだろ」
「はあ、すみません」
翔吾という奴は、『どの世界』でも口が悪い。
その、まったくブレないサマは、もはや信頼の品質といっていい。工場をたてて、良質な『悪口』を詰めた缶詰を生産したいなら、七井翔吾を原料に選ぶべきだろう。
やがて、ジンロクの背中が揺れて移動が始まった。
無駄にリアルな夢だと憂理は思う。耳をすませばジンロクの骨がきしむ音まで聞こえるんじゃないか。
目を閉じたまま、憂理が耳だけを働かせていると、仲間たちの会話が聞こえてくる。
「ねぇ、七井さん、窒息とかありえるんですか?」
「さーな。わかんね。でもなんかちょっと息苦しくない?」
「わかりません」
憂理が思うに、現状ではまだ変化がない。
生活棟と最上階を合わせればかなりの広さがある。仮に、完全に新鮮な空気を遮断したとしても、生活棟そのものが有する広大な体積ぶんの空気でしばらくはもつだろう。
ボケたままでも、なんとなくそう思う。
やがてジンロクの揺れが止まると、その背中を伝わって声が聞こえた。身体を密着させていると、ジンロクの声がくぐもって聞き取りづらい。
「おい。マツオカ。放送は聞いたか?」
「ああ。でも……循環止めるとかナニ? できるのか?」
これには翔吾が答えた。
「地下階によ、そういう部屋がある。施設の機能を管理する部屋。たぶん、操作も放送も、そっからできんだろ」
「そんなん初耳だよ。でも……どうせこんなの半村のハッタリ……だろ?」
これはアツシの願望でしかない。
ハッタリか否かは、先ほどの半村放送を聞いた者なら肌で感じているハズだ。『ただごとではない』と。
憂理が薄目を開けると、こわばったアツシの顔が見える。
この場にいる他のテオットたちも似たような表情で、アツシと『おそろい』となっていた。表情自体は画一的であったが、小さな個性は見てとれる。額に汗する者、涙目になっている者……。
翔吾は『時間の無駄だ』と言わんがばかりにジンロクとツカサに言う。
「おい、行こうぜ」
だが、進行方向へ翔吾たちが顔を向けた瞬間、足は石化したかのようにその場に固定された。通路に人がいる。
それは憂理の薄目にも確認できる人物だった。
――タカユキ。
タカユキは通路の中央に立ち、ただ、こちらを見つめていた。
唖然としているのか呆然としているのか、憮然としてか。その全てを混合したような表情で、言葉の一つもなく、タカユキはただ杜倉グループを見つめていた。
それは、いつものタカユキではない。混合された表情からは露骨に『余裕』が欠けていた。
「なにをしている」
タカユキが静かに、言った。
それは猛るでもなく、威圧するでもない声だった。アツシなどは、その質問が自分に向けられたモノだと勘違いし、慌てて言葉を返す。
「タカユキくん、放送きいた?! 半村が空気とめるって!」
その報告にもタカユキは動じない。ただ仁王立ちのまま微動だにしない。
ボヤけた憂理の視界にも槍を手にしたタカユキは不穏に見える。
導火線の火花を限界まで飲み込んだ爆弾。火花が爆弾の中に飲み込まれた瞬間の静寂。そんな一触即発の緊張感があった。
「そうじゃない」不穏な空気を漂わせたまま、タカユキが問うてくる。「なぜ、憂理がここにいる?」
この質問を受けて、この場に散らかっていた視線の全てが憂理に集中した。
憂理は全身を覆う倦怠感に勝てないまま、軽口もなく、ただ晒し者のごとく視線を浴びるしかない。
憂理の立場からすれば、『なぜ、憂理がここにいる?』という質問は自身にも答えられない類の質問だった。
自分自身、どうして此処にいるのか、なにがどうなってジンロクに背負われているのか、まるでわからない。
多重構造の夢ばかりが思い出され、記憶は侵食され、どこまでが『リアル』であったのか判然としないのだ。
草原で仲間たちに置き去りにされたのは現実だろうか?
地獄で極楽鳥の背中に乗ったのは現実か?
あるいは夜中に天へ昇り、一晩じゅう天使とダンスしたのは?
どこかの港から、大きな客船が出港してゆくのも見た。船べりにまで乗客が溢れ、どこか滑稽ですらあった。あれも夢か?
下半身が溶けたのは夢だろう。
体の内部から染み出してくる白い快感に、下半身がドロリととろけた。凝縮された射精のごとき快感――。
背中から誰かに抱かれていたように記憶しているが――。
足は溶けていない。いまこうしてジンロクに背負われている時も、足腰には感覚がある。あれは夢に違いない。
しかし、また憂理は疲れを感じた。いまも夢の中かも知れないからだ。考えても無駄だ。
「なぜ、憂理がここにいる?」
タカユキがもう一度、訊いた。
いつもとは明らかに違う空気を漂わせる導師に、テオットたちは気後れしたらしく、不安げに互いの表情を読み合っている。
そんななか、慌てながらも松岡アツシは彼なりの説明する。
「えっと、俺も知らなかったけど、憂理、施設に残ってたみたいで……」
「松岡には訊いていない。なぜ、憂理がここにいる? 七井」
翔吾は笑うように微かに口角を上げているが、額の汗は隠せない。
付き合いが長い憂理から見れば、翔吾の内心が『やっべ。どうしよ』であることぐらいはわかる。
タカユキが手にしている槍。
その先端に取り付けられた刃物から、粘性の高い血液が垂れて柄まで朱に染める。
『なんやらに刃物』とはよく言ったモノだ。それは『ハンバーガーにポテト』はもちろん『月夜と狼男』や『魔女とホウキ』など比較にならないほど親和性が高い。
しかし、そんな『タカユキに刃物』を目の前にしても、七井翔吾は強がる。それはもちろん七井翔吾だからだ。
「なぜ此処にいる? じゃねーよ、ボケ。お前が監禁してた部屋から連れ出したダケだっての。テメーが知ってんのに訊くなボケ。おう、ツカサも言ってやれ」
「……ボ、ボケ」
「おう、ナオも言ってやれ」
「ボケェ!」
ツカサとナオの『追い打ち』を最後に、場は静まり返った。
テオットの面々は、翔吾の発した『監禁』という単語に疑問をおぼえたに違いない。
その意味を探るため、全員がタカユキへと視線を向けている。
沈黙には聞くべき価値がある。
だが、その価値を理解できない者もいる。たとえばアツシだ。
「タカユキくん。監禁って……憂理だけを……なんで?」
「松岡、みんな。そいつらを囲め」
憂理監禁について、釈明も弁明もせず、ただタカユキは命令した。
アツシは困惑を隠せないが、他のテオットたちは違う。
杜倉グループに対し、ぐるりとテオットたちが正対し、わずかな時間で簡易的な包囲が作られた。
憂理はぼんやりしたままで、いまいち状況が掴めない。が、自分や仲間たちに対して刃物が向けられている事ぐらいはわかる。
――なんか、ピンチ? でも、なんで?
状況が理解できない事が、不思議と滑稽で、笑えてしまう。タカユキが包囲の円に割って入り、翔吾の前に立った。
「七井。脱走も野垂れ死にも自由にすればいい。だが、憂理は置いていってもらう」
いま、タカユキが号令をかければ、その合図とともに10本は下らない槍が突いてくる。前後左右、360度から。
その包囲網に加わっていないアツシが、困惑のままにタカユキに訊く。
「なんで! タカユキくん! こいつら味方じゃないけど、敵でもないって! 憂理も翔吾もロクも、バカだけど、悪い奴じゃないんだって!」
「マツオカ!」タカユキが聞いたことがないほどの大声を上げた。「いつまで甘えてる! 非情になれと言った!」
タカユキは円から抜け出し、スッとアツシの前に歩み出た。
「悪い奴じゃない?! 世の中はな、そういう『ぬるま湯』のせいで腐ったんだ! 身内主義、縁故主義、それがどれだけ害悪か! それが正当な努力や順当な評価を踏みにじって来たんだ! 努力した者、苦労した者が報われる世界ではなかった! 血縁、資金力、人脈、内輪、それが競争を抑制し、内部から社会を腐らせる!」
怒声ではあるが、どこか澄んだタカユキの声が通路の遠くまで響いてゆく。
その声に導かれるようにして、遠くから単独行動していたテオットが集まってくる。
床に倒れていた者も、痛みをおして導師の元へ。
「いいか、マツオカ! 新しい世界に腐敗の温床は一つも許さない。七井たちはいい奴か? たしかにそうかも知れない。だが、秩序を乱す偽善者だ! 半村の排除にも、深川の排除にも、こいつらは自分の意見すら出さす、ただ『いい奴』であり続けようと逃げていた! 偽善だ! 許されざる偽善だ! 『真実の目』の活動を鼻で笑い、汚い世界でせめて美しくあろうとする俺たちをバカにする! 『悪い奴じゃないから許す』だと? それを認めれば、ただの馴れ合いだ! ひとつの例外は次の例外を生む! どんな罪人だって、誰かにはいい奴なんだ!」
ほとんど演説となったタカユキの言葉を憂理は半睡で聞いていた。
どの夢世界でもタカユキのいう事は良くわからない。論理が飛躍しているためか、あるいは常軌を逸しているためか。その両方か。
心動かされたテオットもいただろう。認識を新たにした者もいただろう。あるいは反感を覚えた者もあったかも知れない。
そんなテオットたちの内面に起こった心理的な作用を憂理には知るよしもない。だが、物理的な変化は不明瞭な意識下でも確認できる。
演説の終了とともにアツシが包囲網の一端に加わった。
アツシは刃物のついた棒切れを杜倉グループへ向け、沈痛な面持ちで言う。
「翔吾、ロク。ユーリは置いて行ってくれ。頼むよ」
憂理の常識に照らし合わせれば、刃物を向けながらの『頼み』は強要だの強迫だのと言うべきものだ。
だが、常識を覆そうとしているテオットたちに、そんな指摘は無意味かも知れない。
ぐるりと刃物持ちに包囲され、まるで白血球に囲まれる病原体にでもなった気分だ。
ウイルスに対しての過剰な免疫作用――憂理などには、『だれが』病原体なのかの判断もつかないが。
「やだ、って言ったら?」
翔吾が自らに向けられた切っ先を睨みながら訊くと、アツシは笑顔と泣き顔のどちらとも取れぬ情けない表情を見せる。
「カンベンしてくれよ、マジでさ」
「刺す?」
争いをやめる事を意味する、『矛を収める』という慣用句がある。だが争いをやめたくとも、今のアツシにはホコを収める先がない。
それについては他のテオットたちにも言える事だ。武器を向けること、それは要求を通すための手段でしかなかったはず。
憂理は無数の刃物を見つめながら、そんな呑気な事を考えていた。
武器による脅迫という手段が救いがたいのは、どの結果も結局は脅迫された者を傷つけるという事実だ。たとえその身が無事でも、尊厳は傷つくのだから。
そして、今この場合、きっとアツシ自身も結果的に『傷つく』事になろう。憂理はそう思う。
無責任なもので、当事者としての意識が薄い憂理などはアツシの境遇に同情すら感じてしまう。
進むも地獄、退くも地獄か。
杜倉グループに対し『逃げた』などとタカユキは評価するが、こうして四方を刃物に囲まれているのが立ち向かって来た証拠とも言えるのではないか。
それが『逃げ』でも『前進』でも、行き止まりまで来てしまった感は否めないが。
「さぁ、憂理をおろせ」
タカユキが包囲網の外からジンロクに指図するが、ジンロクは動かない。無骨に質問を返すだけだ。
「なぜユーリにこだわる?」
「新世界に必要な人材だからだ。憂理もそれを理解してくれてる。それに憂理は今、病身だ。弱っている憂理を無理矢理連れ出すなんて、君らのやっている事は拉致に他ならない」
これには翔吾が喧嘩腰で応じた。
「は? ラチとかなに? 勝手なこと言ってんなよ。マヌケ」
何本もの刃物に対し、翔吾の持つ小刀は武器としての存在感があまりにも薄い。
強行突破など自殺行為であり、試す価値すらない。
そうこうしているウチに包囲網がじりじりとせばめられ、仲間たちの身体が密着した。体を寄せ、翔吾が小さく囁く。
「ロク……やれる?」
「期待されても……困るが……。5人は」
目を合わせないまま、小声での会議が始まる。
「な、七井さん、僕も戦います!」
「……いや、お前、そういうの向いてねぇだろ」
「……戦います! 女の人だったら1人ぐらいならなんとか! 僕もやれます……!」
「とにかく、なんとか隙をつかなきゃ……だな」
ここまで黙って翔吾たちの小会議を聞いていた憂理は、薄目を幾分か大きく開けて、できるだけ大きな声を出した。
「おろせ! ロク、おろしてくれ! こんなとこで死にたくない」
「お、おいユーリ」
「下ろせって、言ってんだろ! はやく……!」
ジンロクが抱えていた憂理の太腿を離すと、憂理はズリ落ちる形で床に落ちた。
両足で床に踏ん張り、ふにゃけた膝に力を入れる。
怖いわけでもないのに膝が震え、想定より重い自らの体重を呪う。
ジンロクはひどく心配した表情で、憂理に手を貸そうとするが、憂理はそれを払いのけた。
「立てる!」
翔吾などは訝しそうに訊いてくる。
「いや、おま無理だろ。生まれたてのウマとかキリンみてぇだぞ」
「うるせぇよ。俺は新世界に必要な人材だ。こんなとこで刺し殺されてたまるかよ」
憂理は膝に手を当てて、なんとか『自立』を維持する。うつむいた顔の上っ面に汗が流れ、鼻先から床へと落ちてゆく。
自らの身体を構成する全ての細胞が鉛になったかのように重い。
「おい……。テオットのお前、手を貸してくれ」
憂理が言うと、二本の槍が包囲網から消え、2人の人員が素早く飛び出してくる。
堂島だの何だの、印象の薄い男子2人だ。
2人がそれぞれ憂理の左右に回り、憂理の腕を首に回して自立を補助した。ジンロクが心底心配そうな表情をしているのが、内心で笑える。
――ロク。お前、心配してばっかだ。
憂理が介助されつつ包囲網の外側へ連れ出されると、ほとんどの槍がその切っ先を天井へと戻した。
タカユキは勝利を確信したらしく、落ち着きを取り戻した声で翔吾に言う。
「……これでいい。さぁ七井、外でも何処でも地獄でも、好きなところへ行くといい」
憂理自身、どうしてタカユキに執着されているのかわからない。
だいたい、こんなバカな争いをしている場合ではないはずだ。怒鳴るにも、怒鳴り返すにも、酸素を消耗しているのだ。
大局を見極めれば、今は協力すべき時であって、意味不明の執着のために争うなど時間と酸素の無駄に他ならない。
だが、その執着が利用できるなら、今は最大限利用すべきだ。
――タカユキを入れて、この場にいるテオットは15名。
ぼやけた頭で引き算も足し算もできないが、意表を突けば勝算がある戦力差であるぐらいはわかる。
この反抗は、ジンロク頼みのギャンブルだ。
だが、今はギャンブルでも勝算が薄くともゲームを始めなければならない。
誰かにゲームプランを聞かれたら、憂理は細かい説明などせず、ただ『ジンロク』と答えただろう。
憂理は両脇にテオットを抱えたまま、大きく息を吸った。
新鮮な空気を肺の容量限界まで吸い込み、全身に酸素を供給する。
そして、意を決し、動いた。
右脇の男子、左脇の男子、それぞれの後頭部に手をあて、後ろ髪を掴む。
秒にも満たない一瞬で彼らの髪を『取っ手』とする。
そして、次の瞬間には最大の腕力によって――シンバルを鳴らすように――2つの頭部を自らの胸の前で衝突させた。キックオフだ。
不意をつかれた2人は、楽器ほどではないが、重い音を立て、次の瞬間には崩れた。
崩れゆく堂島の横腹に蹴りを入れ、もう一人には膝を見舞う。
人間シンバルが鳴る直前にはキックオフに気付いたジンロクや翔吾が動き出していた。
ジンロクに狙われたテオット数人は槍を天井へ向けたまま、戦闘態勢に入る前に沈められる。
ジンロクとまではゆかないものの、翔吾も鋭い蹴りで2人は沈めた。
わずか数秒で形勢は逆転した。テオットの人員はタカユキを含めて5人。しかも女子。
震える手で杜倉グループに槍を向け、頼りなくもタカユキを守っている。
「翔吾……武器」
憂理が床に転がる槍を拾い、翔吾に投げると、猫科の少年はパッと受け取り、テオット残党へと切っ先を向ける。
憂理はもう一本を拾い上げると、杖代わりに床に立てた。情けないが、立っているだけで精一杯の体力しか残っていない。
「憂理にぃちゃん!」
ナオが駆け寄って来て、肩を貸してくれる。幼い力で頼りないが、1人よりマシだ。
「あぁ……悪ぃな」
通路は腹や顔面を手で覆い、嗚咽を漏らすテオットたちが転がっている。アツシもジンロクの奇襲により、苦しげにのたうち回っていた。
翔吾は『生き残った』テオットに槍を向けながら、ツカサに指示を出した。
「ツカサ! 武器回収しろ! んでロクにも武器!」
ツカサは素早く床に転がった槍を、回収し、そのうちの一本をジンロクに手渡そうとする。だが、ジンロクはそれを受け取らず、ただタカユキを含む残党の前へと進む。
「もう、いいだろ。俺たちの事は放っておいてくれ」
そんな説得に対して、槍を構えた女子たちは無視を決めこんで、ただ歯ぎしりだけを返してくる。
刹那、護衛に囲まれていたタカユキが動いた。ノーモーションから手にしていた槍でジンロクへ突きを繰り出した。
しかしジンロクは半身をよじって不意打ちをかわし、そのままカウンター気味に固めた拳をタカユキの白面へと叩きつけた。
体重の乗った遠慮なしの一撃。その威力を首や顔面だけでは受け止められず、タカユキは身体ごと通路の遠くへと吹き飛ばされた。
憂理などは、思わず目を細めてしまう。ありゃ、死んでもおかしくねぇな。と。
「ユーリ。俺のにぃちゃん、すごいだろ」
ナオが自慢げに言う。
「ああ……ありゃあ……サムライだわ。ブシドーだわ……」
それにひきかえ、自分はなんだ、と憂理は情けない。
意識は不明瞭で、膝は笑い、ナオの肩と槍杖がないと立つことすらままならない。きっと、今なら生まれたてのウマやキリンと喧嘩しても負ける。
『護衛』たちは、吹き飛ばされたタカユキの元へと駆け寄って、2人は敬愛する導師の介護をし、2人は杜倉グループへ槍を向け、刃物より鋭い敵意丸出しの視線を突き返してきた。
「なにするのよ! ヤバンジンっ!」
野蛮人?
これには憂理も「参ったな」と笑うしかない。
武器による脅迫に対し、自己防衛したことを野蛮だと評価するのか。被害者と加害者の線引きが、あまりにも軽薄ではないか。
憂理は思う。
真実の目は余りにも近視眼的すぎる。眼鏡が必要なんじゃないか。もっとも角膜が曇っているなら眼鏡もコンタクトも意味はないが――。
憂理と同じ心境であろう呆れ顔の翔吾が、ジンロクの肩を叩いた。
「ロク、もう行こうぜ。こいつら、頭おかしいわ。まだ『頭が悪い』ってんなら笑えるケドよ。笑えねーよマジ」
「ああ、そうだな……」
ジンロクが再び憂理を背負い、ツカサ用、ナオ用、と数本の槍を拝借した。
見れば、ジンロクに一撃された少女が、痙攣と共に泡をふいていた。
翔吾が、彼女のまぶたを無理矢理に開き、白目を確認する。その行為は褒められたモノではないが、憂理にそれを諌める気力はなかった。
そうして、その場にテオットたちを残し、一行は蔵書室を目指した。
「ねぇ七井さん、なんで、タカユキさんは杜倉さんを残したがったんですか?」
素朴な質問ではあるが、それに答えられる唯一の人物は、まだ床に寝ているだろう。
勝手に翔吾が答える。
「ホモだろ」
「真面目に教えてくださいよ」
「お前な、そんなんわかるワケねーじゃん。アイツら本格的に頭おかしいんだからよ」
ジンロクの背中で憂理はツカサの質問を反芻していた。
――なぜ、俺なんだ。
だが、合理的な解答は一つしか導き出せない。答えは『夢』か、と。
これが夢なら、どんな疑問符も無意味。
夢などと言うものは合理的な不可解で、意味を探す方がナンセンスというもの。
半開きの目で夢うつつの憂理をツカサが覗き込んでくる。
「と、杜倉さん。大丈夫ですか? 熱とか上がってないですか?」
ツカサが気遣ってくれるが、果たして大丈夫なのかどうか、憂理自身にもわからない。
まだ夢心地で、現実感に乏しいのだ。
「おいツカサ! ユーリを構うんじゃねーよ。そいつ、まだアホが完治してねーんだからよ!」
「はぁ、すみません」
「だいたい、お前、やっぱ役に立たねえじゃん。ステータスが『アホ』状態になってる憂理でも戦ったってのによ」
「だって……」
「男なら、もっとタフになれ。俺とかロクみたく」
「ど、努力します!」
ここにきて、ああ、男だったのか、と憂理はツカサの性別をようやく正しく認識した。
ならば、矛盾は消える。
ツカサがその見た目に反して男子というなら、これは夢でなく現実だ。
――ようやく、戻ってきた。
それでも、『夢のほうが良かった』と言えるような現実ではあった。
現実なのに目で見るもの、耳で聞くもの、そのほとんどが非合理で、非人道的で、非現実的だ。
施設を満たしている酸素が、あとどれくらい持つのか――。
憂理は考えたくない。
まったく、いつだって現実はろくでもない。
* * *