7-7 残留組
「七井さん! なんか、また凄いことになってます!」
「見りゃあわかるってばよ」
「でも、あそこなんですよ、ジンロクさんが監禁されてる倉庫」
これはまさに、『交戦中』といったところだ。数メートル先では半村奴隷2人が、テオット4人に対して、狂ったように棍棒を振り回している。
強力な武器を携え、数の上でも優位に立っているはずの黒腕章たちだったが、ナイフで『刺す』という行為に気後れしているのか、攻撃は消極的と言わざるを得ない。
叩く、よりも刺す方が勇気がいる。ここにわずかばかりの人間性が見える。
「な、七井さん、どうするんですか?」
「まぁ、あれだよな。男なら、行くしかねーよな?」
「はい!」
翔吾がツカサの背後からその首に小刀を向け、ほとんど二人三脚のような案配で悠然と火中へと歩みを進めてゆく。
「七井さん、あれ、コスガさんです。テオットのほうには松岡さんも」
松岡アツシの名を耳にした瞬間、翔吾の表情は明らかに曇った。
「ああ、アツシはなぁ。モメたくねーんだけどなぁ」
翔吾の重いため息を首筋に感じながら、それでもツカサは前進した。
やがて、翔吾とツカサの接近に気付いた者から順に、交戦をやめ、数歩退く。
そこで翔吾の怒声が響いた。
「オラ! 聞け! このオトコ女の命が惜しかったら、無意味な争いはやめろ、ザコども!」
翔吾が威勢良く言うと、その場に存在する全ての目が、ツカサと翔吾に向けられる。
ツカサなどは緊張して仕方がないが、翔吾はますます大きな声で怒鳴る。
「オラ。さっさと散れ! コイツのチンコ切り取って、ガチの女にすっぞ! んで、お前らに告らせっぞ!」
「お前……」アツシが武器を半村奴隷に向けながら、訝しそうに目を細める。かぶったタオルからのぞく猫科の口元を観察している。
「お前、七井か? 翔吾だろ?」
「そんな立派でイケてる人物じゃねぇ! ただの怪傑『エイミのタオル仮面』だ! ザコども、ここは邪魔だから、ヨソにいってモメろ!」
エイミのタオル仮面に命令されたところで、半村奴隷もテオットも動けない。
お互いに武器を構えたまま、凍りついたように固まるだけだ。
ツカサは膠着してしまった状況を察すると、ワザと情けなく懇願した。
「た、助けてください! この人の言う通りにしてください! この人の、本気です!」
ある意味で、この状況での翔吾とツカサの登場は両陣営にとって救いであったのかも知れない。
『いつ刺されるか』に怯えていた半村派にとって、また『刺さなきゃ終わらない』と感じていたテオットにとって、この『人道的な退避』はちょうど良い着地点――渡りに舟だったと言える。
テオットの数人が控えめに武器を下ろし、ジリジリと退きはじめた。
だが、その茶番は『主演男優』の登場によって、終幕が先送りとされる。
「なにをしている」
ツカサは耳の後ろで、翔吾の落胆を聞いた。
「クソ、メンドい奴が……」
タカユキは相変わらずの涼しい表情で、その場にいる者たちをグルリと一瞥する。
「マツオカ。時間がない。急げ」
少なくとも、ツカサにとっては、威厳に満ちた存在に見えた。
堕落の聖人、などという別名は今のタカユキには似合わない。透き通った視線、憂いを秘めた涼しげな表情、これはまさに聖人だ。
「七井か」
「ちげーよ。今は世を忍ぶ仮の姿……エイミのタオル仮面だ」
「七井。てっきり、外へ逃れたと思ってたよ。まだいたのか」
「見逃せないアニメがあるもんで」
場は完全に凍りついていた。ザラつくような緊張が辺りを支配し、ツカサなどは言葉の一つも吐けない。
半村とは違うタイプのプレッシャーがあった。
「マツオカ。急げ。このチャンスを逃せば、全てが無駄になる。今しかないんだ。予定が狂いつつある」
「あ、あぁ……でも……」
突如としてタカユキが機敏な動きを見せた。
コンマ以下の速さで松岡アツシの武器を奪うと、迷いなく、槍の切っ先をコスガの太ももに突き立てた。
コスガは獣じみた悲鳴を上げて、刺さった槍に手を当てる。
だが、コスガの『抜こう』とする努力は無駄に終わった。
コスガが力を入れるより早く、タカユキによって槍は引っこ抜かれ、その凶悪な切っ先は、間をおかず、もう1人の半村奴隷を襲う。
避けることも叶わず、もう1人の半村奴隷も太ももへの洗礼を受けた。
グイ、と強く押し込んで、タカユキは被害者の悲鳴と同時に槍を抜き去る。
「マツオカ。急げ。半村を押さえないと、同じことの繰り返しだ。非情になれ」
2人の奴隷が悲鳴をあげ、床を転げ回るがタカユキは一瞥もしない。ただ、ゆるりとした動作で松岡アツシに槍を返却する。
「半村を探せ! ここが正念場だ。集合してしまえば制圧は困難になる」
タカユキの号令とともに、黒腕章たちの表情に決意がにじみ、そのまま通路を走り去ってゆく。
残されたのはタカユキと半村奴隷。そして翔吾ツカサの2人だ。
「お前……マジか」
翔吾の声にも恐れがあった。
なんの迷いもなく、人に刃物を突き立てる。それはツカサにとっても常軌を逸した行為に思えた。
翔吾だって刃物を持っている、だが、それは実効的なものでなく、抑止や脅し、あるいは自衛のためであることはツカサにも理解できていた。
だが、タカユキは違う。
のたうち回る半村奴隷を心配する素振りすら見せず、ただ微笑んだ。
「七井。こんな事は不本意なんだ。僕だって人を傷つけたくない。でも変えなきゃならないんだ。全部を。今は非情でも前に進まなきゃならない」
「お前、頭どうかしてんじゃねぇか?」
「外はどうだった? 七井? 世界はまだあったか?」
「あるに決まってんだろ。勝手に失くすんじゃねーよ。布団干してぇぐらい『いい天気』だわ」
ハタから会話を聞いていても、翔吾が強がっているのがツカサにはわかる。
男として強がっている、そう思う。これはネコ科の虎と、冷徹なる龍の対峙だ。
「七井。もう止めない。行けばいい。僕はここから始めるよ。新世界を、ね」
「お前、憂理の居場所……知ってるだろ?」
この問いかけに、タカユキは否定も肯定もしなかった。
ただ、翔吾を見据えて、唇で微笑む。
「七井。今から半村を殺すよ。そうすれば、全ては変わる。路乃後たちにも伝えて欲しい。戻ってくるなら僕は喜んで受け入れる。新しい世界創りに、君たちが居た方が心強い。人殺しは僕が引き受ける。誰も罪を被る必要はないんだ。だから……」
翔吾は突然、ツカサの背中を押して突き放した。
「じゃあ、コイツ受け入れてやってくれ。俺はお前のやる事に興味ねーから」
「な、七井さん!」
「お前な、半村奴隷にしちゃ、根性なさすぎ、だわ。んで半村が死ぬってなら、このままテオットの世話になれ」
「七井さん!」
ツカサの懇願を無視して、翔吾はタカユキに言う。
「コイツ、半村奴隷だけど、言うほど悪い奴じゃねーから。ナヨって女みてーだけど、一応、男だから。面倒頼むわ」
タカユキは微笑を崩さない。
「構わない。受け入れよう」
だが、ツカサは翔吾に詰め寄って、小声で抗議した。
「ヤですよ! 七井さん! この人、刺したんですよ! 見たでしょ!」
そう言って、ツカサはうめくコスガを指差した。翔吾も眉間のシワを深くし、険しい表情ながら、小声で返す。
「でも、半村よりゃマシ、だろ? 刺したっても、どーせコスガだし」
「ヤです! ボクは、僕は七井さんについて行きます!」
「いや、足手まといだから」
「七井さん! ぼく、頑張りますから! 見捨てないで下さい! 絶対ついて行きます、七井さん!」
「頑張っても、ショボイんだよな、お前」
「ひどい! さっき、役に立ったじゃないですか! お願いです、七井さん! 七井さんたら!」
こう言われては翔吾も弱いのか、顔をしかめて唸る。
そんなやりとりを興味なさそうにながめていたタカユキが、やがて小さく首を振った。
「七井。すまないが、時間がないんだ。僕はもう行くよ」
そして、ツカサを見つめて言う。
「君が『コチラ』に来たいなら、いつでも受け入れよう。七井との『別れ話』の決着がついたら、来るといい」
そんな、からかうような言葉を残して、タカユキは早足で歩き去って行った。
「ついて行きますからね!」
ツカサにとって、自分でも驚くほど自発的、積極的な行動だった。
杜倉グループに、ではなく七井翔吾という自由な生き方に強烈な憧れがあったのかも知れない。
ここで今までと同じように『流され』ていては、きっと後悔する。ツカサはそう思う。追いかけていたい背中がようやく見つかったのだ。今、勇気を出さねば、きっと後悔する。
翔吾はツカサの勢いに珍しく困った顔をして、頭をボリボリ掻いて、「まぁいっか……」と呟いた。
それが『肯定』に思えて、ツカサは嬉しい。内心で一番弟子を名乗ろうと思う。
師匠は刺された半村奴隷の傷を検分すると、肩をすくめて立ち上がった。
そして、2人に言い放つ。
「後で助け呼んどいてやる。だから、ウンウンうなるな。うるせーし。男だったら我慢しろよ。死にゃしない傷だ。たぶん、な。まぁ、死んだら、タカユキをタタれ」
コスガなどは、泣きそうな目で翔吾を見上げるが、翔吾は冷たい。軽蔑の色さえある視線を返すだけだった。
* * *
ドアの向こうには、ジンロクとナオがいた。
薄暗い部屋の中で、小さく千切ったダンボールを並べ、なにやら遊んでいる。
雰囲気は和やかであったが、ジンロクの姿は決して和やかではない。片目は腫れ上がり、唇も切れて、酷い有様だ。
ドアの向こうから現れた翔吾みて、ジンロクは弱々しく笑う。
「七井か。先に行けって言わなかったか?」
翔吾は満面の笑みで、軽口を返す。
「ロク、お前、ひでーツラだぜ? お岩さんと結婚できるな、お前は」
「そうか。自分じゃ、わからんが」
「あー。言い過ぎた。お岩さんにも振られるレベル、だわ」
翔吾が床に座ったジンロクに歩み寄り、肩にパンチを見舞う。そして、翔吾の声が少しだけ感傷的に響く。
「お前さ、かっこつけすぎ」
「お岩さんには、振られるらしいが」
ジンロクにもナオにも安堵の笑顔があった。
だが、すぐさまジンロクの鋭い視線がツカサに注がれる。
ツカサは硬直してしまう。
――坂本甚六。ドゲザーマン。
ツカサの知る限り、尋常ではない強さを誇る男。もしかしたら、この施設内で唯一、半村にも勝てるかも知れない男。
「ん、コイツは?」
「ああ、半村奴隷」
翔吾のデリカシーのない発言をうけてジンロクの目に鋭さが増す。ツカサはいささかに慌てて、いささかに狼狽して、それでもなるべく明瞭に自分の立場を説明した。
「え、えっと、僕は、佐々木司です。七井さんの弟子です」
シンプル極まる自己紹介ではあったが、コレには翔吾が面食らった表情を見せた。
「デシ? はぁ? お前、いつから?」
「さっき、決めました。僕は七井さんみたくなりたいんです。一番弟子です」
「いや、一番弟子は稲上ケンタだから」
「じゃあ、二番弟子でいいです」
「お前なぁ。俺の弟子は100番まで埋まってっから。憂理、ジンロク、遼にアツシ、エイミ、四季……」
「ともかく……」ジンロクが翔吾の言葉を切った。
「『敵』じゃないんだな?」
「はい!」
「じゃあ、それだけで充分だ」
ジンロクはのっそりと立ち上がり、無骨な掌を幼い弟の頭に手を乗せる。
「ユーリのバカ、探しにいくか」
* * *