1-7 大食堂にて
気怠い雰囲気に満ちた生活棟通路を進み、洗濯室のドアを開ける。
湿った空気が微かな洗剤の匂いを乗せて、薄暗い洗濯室から通路へと逃げ出した。
長細い洗濯室の奥にはケンタがパイプ椅子に、エイミが洗濯機の上にそれぞれ座っていた。二人に尋問されるような格好で、最奥にはノボルがうつむき加減で立っている。
憂理は翔吾、遼と順に顔を見合わせたが、翔吾はエイミが居るためかバツが悪そうに唇をゆがめた。探検隊の生還を祝うパレードがあるワケもなく、それどころかどこか不穏な雰囲気だ。
憂理がケンタの横に立つと、ケンタがため息をはいた。
「ノボル、何も言わない」
「ノボル探したんだぞ。どこにいたんだよ」
憂理も問いかけるが、ノボルは教師に叱られた時のごとくうつむいたままだ。翔吾はいささか不機嫌そうに問い詰めた。
「おい、ノボル! なんか言えよ! 黙ってんじゃなく!」
恫喝じみた問いかけも無駄のようだ。
「さっきから、ずっとこうよ。この人、いつもこうなの?」
そう言えば、ノボルとエイミはほとんど面識がなかったか。憂理は頭を掻いた。人見知りというわけでもないだろうが……。
「そうだな。あんまり喋らないケド……」
無口という性格も、いまの状況では歓迎されるべき個性などではない。これでは骨を折ったぶん、どこか損した気分になる。
「まぁ……」遼がそっと言う。
「とりあえず、ノボルの不在で騒ぎになることは未然に防げたね。夕食には間に合ったワケだし」
「そうだな。でも……知りたいことが増えた。『痩せ女』に『大人』。『消えた80人』と『ボイラー室の誰か』」
「ボイラー室って、アタシたちが前を通った?」
エイミが興味深げに身を乗り出してきた。大きく瞬く瞳から、好奇心が光になって溢れている。
「ああ。誰か……寝泊まりしてる形跡があったんだよ」
憂理が順を追って状況を細かく説明すると、エイミは肘を抱いて首を振った。
「なによココ……気味悪くなってきた……」
ただ沈黙があった。
自分たちの生活しているすぐ下は、異世界のような気さえしてくる。
刹那、短い静寂を破りドアが開いた。白光がすっと伸びてくる。一同はあわてて口をつぐみ、招かれざる侵入者へ視線を向けた。
「なによ、エーミ! こんな所にいたの!?」
菜瑠だ。眉間にしわを寄せて、抗議するような口調。高い位置で組まれた腕は高圧的で、高飛車だ。菜瑠の前に出ると、憂理は自分が下民になったように思える。貴族なんて存在に会ったことはないが、きっとこういう人種なのだと思う。
一方のエイミはバツが悪そうに、肩をすくめて、素早く洗濯機から飛び降りた。
「こんな奴らとつるんでたら、馬鹿が伝染るよ! さぁ、はやく食堂行こう」
言い放つと、菜瑠はすぐにドアから姿を消した。エイミは男たちの間をすり抜けながら、「ごめん、ごめん」と照れくさそうにドアへ向かう。
翔吾が口を開いて何かを言おうとした瞬間、立ち去りかけていたエイミが男たちにくるりと向き直り、大きな目を輝かせた。
「あ、忘れてた!」
そう言うと、ジャケットのポケットから折りたたまれた紙を取り出す。一枚、二枚、三枚、四枚。そして、一人一人にそれを配ってゆく。遼、翔吾、憂理、ケンタ。
「ごめんね、ノボルのぶんはないわ。帰ってきてるなんて、さすがのアタシでも知らなかったもん」
全員に紙が行き渡ると、エイミはにっこり笑って再びドアの前に戻った。
そして翔吾に向かってピンと腕を伸ばし、アヒル口を指さした。そしてイタズラっぽく翔吾の口調を真似て言う。
「秘密厳守、誰にもいうな、だろ?」
「あ、ああ」
呆気にとられた翔吾にニヤリと笑い、エイミは颯爽とドアから出て行った。
「なんだよ、あいつは」
呟いた翔吾を横に、憂理は手渡された紙に目を落とした。
それは丁寧とも複雑とも言える折り込みがなされている。女子特有の手紙折りだろう。
どこから開いて良いものかと思案に暮れていると、ケンタがあっさりと開いた。中央に指を差し入れ、強引に開いたのだ。
そして、紙を横に縦に、首を右に左に傾け、合点がいったように呟いた。
「あ、コレ地下の地図だよ」
ケンタに倣って憂理が紙を開くと、一面に簡略な図面があった。手書きではあるが、部屋と部屋、通路までがわかりやすく記載してある。
定規やカラーペンを使った図面は、見目にも優しく、わかりやすい。会場に戻った数時間を使って、エイミが書いたのだろう。
「これは助かるね」
遼の言葉に憂理も頷くしかない。各人がそれぞれに地図を持っていれば、迷うこともなくなるだろう。いまさらながら、追い返すようなマネをして悪かったなと、いささか照れくさい気持ちになった。
「色分けとか、書き込みとか。女ってこういう事が得意だよな」
翔吾もなんだか嬉しそうだった。
* * *
大食堂はその名の通り大食堂だ。だが70名全員を収容できるほどの食堂ではない。
ゆえに、2交代で順に夕食をとることになり、自然と前半グループ後半グループで仲の良いグループが形成される。
自分が前半グループでなかったなら、翔吾やケンタ、ノボルとも接点がないままだったかも知れない。エイミと菜瑠も憂理たちと同じグループであり、名を知っている生徒のほとんどが前半に偏っているのだ。
憂理たちは配膳列の最後尾に並び、トレイを片手に行列が動き出すのを待った。
行列に並んでいる他の男子児童に多少なりともアザが確認できるのは、昼間の騒動のせいだろうか。
粛々と行列は進み、配膳当番である後半グループの生徒に、物足りない量の食事をトレイに乗せられる。
今日は一膳のライスとポテトサラダ。ハンバーグはパサパサしているが、一応はメインディッシュである。後半グループの奴らは、前半グループに少なく食事を出して、自分たちが多く食べてるのではあるまいか――。
そんな事を考えながらトレイに食事をのせ終わると、憂理はいつもの席に向かった。
15メートルほどの長テーブルが3列になっているが、座る場所はだいたい決まっている。
他の生徒たちがそうであるように、憂理たちも仲の良いもの同士で座るのだ。憂理の正面に翔吾、その隣にケンタ、椅子を一つか二つあけてノボルが座る。今日は憂理の隣に遼が座った。
食前の号令のため、生活委員である少年が食堂奥に設けられたステージにひょこひょこ登る。あれはガクだ。
神経質そうに目玉を動かし、ガクがマイクの前に立つ。
「今日は、食事の前に大事な発表があります」
どよめきが長テーブルを駆け抜けてゆく。ガクは不穏な空気を気にする様子もなく、眼下でお預けをくらっている生徒たちを見回した。
「なんだよ、ガクの奴。うざってえ」
翔吾が嫌悪感丸出しで悪態をつく。ほとんどの生徒がそうであるように、ガクに敵対心を持っているのだ。
不愉快そうにスプーンの背で薄いハンバーグをペシペシ叩き、翔吾は呟く。
「ただでさえ不味いハンバーグが冷めちまう、だな。なぁ、ユーリ、食堂のハンバーグより不味いモノって、この宇宙にあるか?」
「食堂のドライカレー」
「たしかに」
見れば、少し離れた場所にいるエイミが、こちらに不安げな視線を送ってきている。憂理は静かに深呼吸をひとつして、壇上のガクを見据えた。
「学長先生、お願いします」
スッとガクがマイクの前から身を引くと、壇上へ続く階段を学長が上がってゆくのが見えた。
身長の割には頼りない体躯。ほとんどが白髪になった髪がゆれるたび、血色の悪い頬が見え隠れする。日に日にやつれが酷くなっているように思えるのは、加齢のせいなのだろうか。
――学長。
あの一見上品に見える銀髪頭の中には、様々な疑問の答えが入っている。そう考えると、老年の顔に張り付く温厚な表情も空恐ろしい。
学長はマイクの前に立ち、食堂全体を見渡してからゆっくり話し始めた。
「今日の午後。ちょっとした騒ぎがありましたね」
ざわめきが通り過ぎてから学長は続ける。
「初めは、ちょっとした騒ぎだったのを、一部の人が煽り立てたと聞いています。そこにいる……まぁ個人名はよしましょう」
タカユキはテーブルで頬杖をつき、退屈そうに眼前に持ってきたフォークを見つめている。「ケンカぐらいは仕方がない。腹が立つこともあるでしょう。けれどね、秩序は守らないといけない」
学長は穏やかな、それでいて毅然とした態度で言葉を続ける。人類の歴史は秩序とルールの積み重ねだ。木の棍棒を人類が握っていた頃から、それは始まっていた。
集団には秩序が必要で、それが失われれば人はケモノ以下に成り下がる。
野生生物にすら、原始的な社会学の姿を見ることができるのに、人間は時にそれを逸脱してしまう。規範や規律に閉塞感を覚えるからだ。
規範からの逸脱が新時代を、新世界を生む母体となるのも確かだ。逸脱の旗手である革命家は、停滞した社会をすっかり変えてしまう。
そして規範からの逸脱……革命という母親が何を生むのかといえば、やはり新しい規律や規範、新たなルールの策定だ。
結局、規律なしでは人は生きられぬのだ――。
「始まったぜユーリ」
「ああ、また罰が下るみたいだな」
それは『お決まりのパターン』と呼ばれるモノであった。学長がこうして歴史をからめて何かを言うときは、誰かを罰する時と相場が決まっているのだ。
「自己正当化だよね。――好きこのんで罰を与えるんじゃないぞ、お前らが悪いんだぞって」
遼が冷たく呟くが、そんな言葉は壇上の学長まで届かない。
「これから名前を挙げるものは、明日から3日間夕食抜き、自由時間も清掃に従事することとします」
ざわめきの多くは、アザや青タンを作っているものから上がった。胸ポケットから取り出した眼鏡を鼻にかけ、学長が一つずつ氏名を挙げ始めた。
早い段階でタカユキへの罰が確定したが、抜け殻の聖職者はまるで気にする様子がなかった。
相変わらず、死んだ目でフォークを見つめている。
祈るような気持ちで憂理がハンバーグと睨めっこをしていると、向かい側の翔吾も苦い顔でトレイに視線を落としている。
「翔吾は大丈夫だと……」
囁いた瞬間、マイクを通した学長の声で憂理の言葉は途切れた。
「杜倉憂理」
「稲上健太」
――アウト。
舌打ちをした憂理と対照的に、ケンタは絶望の表情だ。泣きそうなほど両目を細めて、唇を振るわす。
「夕食が、夕食が……」
朝食なんて、ショボイ、昼食でようやく普通。でも夕食は、夕食だけは。
青ざめた顔でケンタがそんなことを言う。
たしかに、3食の中で一番豪華なのは夕食だ。それがポテトサラダとハンバーグだけであっても……。
「以上。名前の挙がった生徒は騒動の罰を受けてもらいます」
それだけ言うと、学長は眼鏡を胸ポケットに戻し、ゆっくりと壇上から降りた。
「予想以上に、くらったね」
遼が言うことももっともだ。憂理だって5~6人ぐらいは想定していたが、12名ともなると、前半グループの3分の1に相当する。
後半グループにも懲罰に該当する生徒が居ることは明白であったし、そうなると全体で20名前後は罰を受けるはずだ。
「俺たちが逃げたあと、騒ぎは広がったんだな」
憂理がハンバーグをつつきながら言うと、ケンタは顔をしかめたまま頷いた。
「たかがケンカで3日は酷いよ。リョーはともかく、翔吾だけずるい。主犯格なのに」
「しゃーねーだろ。我慢しろって。ほら、俺のハンバーグ半分やるから、な」
学長が去った後の壇上に、ガクが悠々と舞い戻り、マイクの前に立った。
「では、いただきます」
ほうぼうから上がった『いただきます』の声が斉唱となって、食堂内に活気が戻った。賑やかさに満ちたテーブルで、ハンバーグの受け渡しをしている二人に、憂理は自らのトレイを押し出した。
「ケンタ、俺のもやるよ。ちょっと、エーミのトコ行ってくる」
嬉しそうにトレイを引き寄せたケンタを横目に、憂理は席を立ち、女子グループが陣取るテーブルへと歩み寄っていった。
だいたいの場合、男子生徒がほとんど会話なく食事を流し込むのと対照的に、女子たちの食事は会話に満ちあふれている。
やってきた余所者男子である憂理に、複数人から奇異の目が向けられる。が、そんなことに構わず、憂理はエイミの席へと近づいた。
「ちょっといいか」
エイミはスプーンの先端を口にくわえたまま、不思議そうに見上げてきた。
「話がある」
話の内容を察したのか、エイミはスプーンをトレイの端に乗せ、そろりと椅子から腰を上げる。憂理はエイミの肘のあたりを掴み、驚きの声を上げたエイミをぐいぐいと食堂の壁際まで連れて行った。
会話が聞かれる恐れのない場所まで来ると、エイミの方から言葉を始める。
「ご愁傷さま。で、あんたたちどうするの?」
そう言って、エイミは指を床に向けた。地下探索の続きについてだろう。手っ取り早くて何よりだ。
「翔吾とリョーは自由に動ける。ノボルを探すって縛りがなくなったから、この際、本格的に調べてみたい。あとで……風呂が始まる前に、洗濯室に来てくれ」
「そうよね、続けるよね? 今のままじゃ安心して過ごせないモンね」
「ああ。ワケのわからないままボーッとしてられない。痩せ女も助けてやりたいし」
「……菜瑠がね。アンタたちを警戒してる。脱走を企ててると思ってるみたい」
――馬鹿な。
脱走どころか、施設について深く知ろうとしているだけだ。しかし……。
「エーミ! 冷めるよ!」
すぐそばで上がった声に憂理が振り向くと、菜瑠が立っていた。明らかに不審の色がある視線が憂理に突き刺さる。
「うん、ごめんね。ありがと」明るく菜瑠に返答し、すぐ囁く。「……見張られてるよ」
パタパタとエイミがテーブルに戻ると、憂理は女子グループのテーブルをぐるりと見回してから仲間たちのテーブルに戻った。
ホームである奥のテーブルに戻ってみると、ケンタのトレイには、都合3枚半のハンバーグが乗っている。ノボルや遼の分も譲り受けたらしい。
「まったく……」
とりあえずは、一段落だ。椅子を引いて、横着に背中を預ける。
これからは計画的に地下を探索してみよう。
食堂に満ちた笑い声や言葉。そのすぐ下には機械音だけが唸る地下世界がある。
靴底のすぐ向こうは異世界なのだ。
――脱走……か。
憂理がぼんやりと喧噪の食堂を見回すと、死んだ目の聖職者と目があった。誰とつるむワケでもないタカユキは、ぽつりとひとりトレイと向かい合っていた。
寂しい奴、孤独な奴、などとは思えない。
タカユキの周辺には不思議なオーラが漂っており、彼が好きこのんで孤独を選んでいることは明白だ。
そこには寂しさなどなく、どことなく威厳すら感じさせる。目をそらす寸前、タカユキが憂理にむかって、微笑んだように見えた。
* * *