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13月の解放区  作者: まつかく
7章 Evil and Flowers
66/125

7-4 屋根を探して

沈黙があった。


菜瑠自身、このような状況を想定していなかったワケでもないが、いざ身を置いてみると戸惑いしか生まれなかった。

――警察に通報。


それが今までの行動の大前提だった。だが、このような世界にあって、果たして警察が機能しているのか、はなはだ疑問である。


「じゃあ、俺、戻るわ」


仲間たちの沈黙を破ったのは翔吾だった。全員の視線を浴びながらも、悪びれる様子もなく、首の骨を鳴らし、言う。


「ロクもユーリもほっていけねぇし」


「でも!」


「駄目よ、翔吾! 絶対ダメ!」


「エイミ、ナル子。ここまで来りゃあ大丈夫だろ。念のためにケンタを預けとくし」


それでも抗弁しようとする菜瑠にむかって翔吾は手を広げ、珍しく苦笑を見せた


「笑えねぇんだよな。ハラっからよ。ユーリとかロクとかのこと考えると。なんか引っかかっちまう。だからもう止めんのナシな」


翔吾なりに、義理は果たしたという事だろう。こうまで言われては菜瑠も食い下がれない。


「んで、半村が追ってくるかも、だし、足止めもいるだろしな」


「手遅れかも」

遼がシャッターの隙間から内部を覗き込んで、つぶやいた。


「こっちに来てる。沢山」


慌ててエイミも覗き込んだ。


「ちょっ! ヤバイじゃん! 来てる!」


「隠れよう!」


「翔吾も! いまは!」


地面に下ろしていた荷物を背負うと、菜瑠たちはシャッター前から離れた。薄く積もった灰の下に、道路がある。


「見て」遼がシャッターを指さす。「少しずつ下がってきてる」


「そんなん待ってられっか! もう来てんだからよ」


「みんな! 早く!」


菜瑠の指示と同時に仲間たちが駆けだした。

「森に!」


舗装された道路の上には薄く灰が積もっており、足跡が残ってしまう。こんなものを残して行ったのでは追跡してくれと言わんばかりだ。


木々の乱立する森の中は、葉や幹に遮られて降灰がすくない。

仲間たちはバラけながらも森の中へ飛び込んでゆく。


久々に踏みしめる柔らかい地面。それは小さな感動すら呼び起こす。コンクリートの床とは違う、踏めば包み込んでくる地面。

走りにくくはあるが、新鮮でもある。


目にする光景も新鮮だ。

エイミや四季、仲間たちが木々の間を走って行く。自分が『外』にいるという現実が身にしみて感じられる。


「隠れよう!」


「あそこ! 木が倒れてる! あの陰に」


それを合図にばらけて逃走していた仲間たちが、倒木へと駆け寄る。そして、最後に到着した菜瑠は身を半分隠しながらシャッターの方へ視線をやり、状況を確認する。

木々の隙間から少しだけシャッターが見える。そして、そこから数人の人影が確認できた。


「追ってくるかな」


「たぶん」


「なんか、二手に別れたよ」


「手分けして探すんでしょ」


「もう少し離れた方がいいかも」


それぞれの頭が小さく頷き、倒木の陰から走り去る。

菜瑠に緊張感はあったが、恐怖心はなかった。半村奴隷たちが少人数に別れたということで、もし見つかったとしても対応できると菜瑠は踏んでいたからだ。

2人やそこらならば、圧倒的に優勢。黙らせるのは簡単だ。


そして森を走りながら、菜瑠は空を見上げる。

木立の隙間から望む空は、依然として黒い雲が垂れている。時折、薄く光り、こもったような雷鳴も。


ジンロクや憂理だけでなく、母も心配だ。

この世界に何が起きたのか。自分たちが地下にこもっている間に、どのような変化の時が訪れたのか。

わからない。なにも。


「もう、いいんじゃ」


息の上がったケンタが立ち止まり、誰の許可も得ずに背負った荷物を地面におろした。


「そうね。結構走ったし……」


皆が足を止め、ケンタを中心に集まった。小太りの少年は、例の水飴のような汗を見せて、早々に地面に腰を下ろした。

めいめいが木の根や地面に腰を下ろし、上がった息を整える。


「これよ、どうなってんだ?」


翔吾などはタフなもので、まったく息を乱していない。頭上の木々を見上げて、不思議そうに首をかしげている。


「灰が雪みたく降んのか、遼?」


唐突に問われた眼鏡の少年は、くもりかけた眼鏡をクイと上げる。


「さあ……。でも、そうだろうね。ほら、あそこの地面、灰の層がある」


つまり、それは複数回にわたって降灰があったと言うこと。


「なんか、すっごい冷えるね。今はちょうど涼しいけど……ねぇ、菜瑠?」


エイミがシャツの胸元をつまんで、ぱたぱた空気を送り込んで言う。話を振られた菜瑠は、うん、と頷き、四季を見る。

視線があった瞬間、四季は、無表情に言う。


「汗をかいたわ。シャワーが浴びたい」


ユキなども幼いながらにタフなもので、へばったケンタを揺さぶったりして遊んでいる。


「夜が……来るかな?」


遼が呟いて空を見上げる。

この暗い空に夜が来る。それは不安と焦燥を仲間たちの心中に芽生えさせた。

この森の中で夜を越すのか。それはキャンプなどと言う楽しい響きを感じさせない。


「御飯に……しようよ……」


へばったままのケンタが、ユキに揺らされながら、それだけは言った。



暗くはあるが、きっと夜ではない。夜になれば気温が下がるのは明白であったし、かといって移動を続ける体力も残されていない。

そうして、菜瑠たちは陽のあるうちにと手分けして折れ枝や幹を拾い集めた。ちょっとした窪地を中心にして薪を積み上げ焚き火床を作った。


「さっさと燃やそうぜ」


翔吾などは楽しそうに言うが、遼の表情には懸念があった。それに気付いた菜瑠は控え目に訊ねた。


「どうしたの?」


「いや。僕自身、臆病だなと思わなくも無いんだけど……」


遼は周囲をグルリと見回し、言った。


「ここらへん。獣とか大丈夫かな……。クマとか、野犬とか」


「いるの?」


「さぁ……。でも、ここはもう地下じゃないから……」


含みのある言葉だった。それにつぐ文節は『何が起こるか、わからない』であろう。

菜瑠も思わず周囲の森林を見回すが、囲んでくる木々以外、生物の気配は感じられない。

灰色の森に生命は存在するのか。


「お前らは考え過ぎなんだよなー。動物なんて蹴散らせばいいだろ。なぁ、ケンタよ」


「まったくだよ。びびることない。僕たちだって動物なんだし」




 * * *



杜倉憂理の用意したバックから、使い捨てライターが出てきたのは、どういうことか。

生活委員の『ナル子』として、セットのタバコまで探してしまいそうだ。

だが、それも今更でしかない。

このライターのおかげで、冷え込む夜に暖を取る事ができているのだ。今は感謝しよう。


「火、見るの久々……」


エイミが誰に言うでもなく呟いた。

焚き火を中心にして仲間たちが円になり、その仲間たちを囲むように木々がぼんやり照らし出されている。


見上げる夜空に月などはなく、ただ蓋をされたかのように黒い。

炎が爆ぜ、揺らめくたび、仲間たちの顔の影がゆれ、背後の木々もざわめく。


静かな夜だった。

この山を下りた場所、村なり市街地なりにも同じような夜が来ているのだろうか。

そこに『人』はいるのだろうか。


菜瑠は焚き火の前に座り、両膝を抱きながら、とりとめのない事を考えていた。

人類はこうして焚き火を囲んで歴史を始めて……。こうして焚き火を囲んで歴史を終えるのだろうか……。


仲間たちも何かしらの感慨に耽っているらしく、会話はほとんど交わされない。

エイミは菜瑠と同じように、三角座りで膝を抱き、四季はあぐらをかいて動かず、時折ペットボトルの水を口元に運ぶだけだ。


ケンタは体調不良を理由に、早々と寝床を作り、離れた場所で微かなイビキを聞かせる。くっついて眠るユキはイビキが気にならないのだろうか?

遼は小さなノートに小さな文字で何かを書き込んで、翔吾は拾った幹を小刀で削り、工作している。


やがて、遼が炎から少し離れて寝床を作り、四季が樹木に背中を預けて目を閉じ、ひとり、またひとりと睡魔に負けてゆく。


菜瑠は炎に薪を投じながら、膝に顔を埋めていた。

母のことを思い出し、憂理のことを思い出し、静かに自己嫌悪と戦う。



エイミがバックを枕にして寝転んで、しばらく。ようやく菜瑠は立ち上がった。

炎に背を向けて、ぼんやりと浮き上がる木々の間に足を向ける。

焚き火から離れるにつれて、温度は急激に下がり、果てない闇が眼前に広がる。


炎にさらされ火照った肌に、闇が、冷気が心地よい。


そうして焚き火の光がようやくで届く大樹の元へ行き、腰を下ろす。

仲間たちから見えない場所かどうか、確認し、目を閉じ、浅く早く呼吸をする。


そうして、ポケットの底からミートボールの真空パックを取り出した。過去には綺麗に並んでいた中身が、今は雑然として、数個は潰れてしまっている。


――開けたら、きっと日持ちしない。


持って数日。

それから先はどうすれば?

こんなふうに考える自分が嫌になる。とんでもなく嫌いになる。


だが、菜瑠はパックを開けた。

そして、ミートボールを一つつまみ上げ、恍惚としながら口元に運ぶ。

摂取する前から、想像によって生み出された快感によって、体が熱くなる。


自己弁護などしない。私はクズだ。どうしょうもない変態だ。そう自分を卑下することが、菜瑠の中にさらなる興奮を生む。

舌にミートボールを乗せ、ゆっくりと数度咀嚼し、やがてトロリと飲み込む。


期待に早まる鼓動が、離れた場所にいる仲間たちに聞こえてしまうのではないか。

鼓動だけではない。

腹から服をまくり上げる音、ズボンの金具を外す音。全部聞こえるのではないか、と菜瑠は興奮する。


――わたし、へんたいだ。


薬の効果よりも早く、菜瑠は、落ちていた。

自らの指で、快楽を追う。遅れて来た薬の効果が、圧倒的な波となって苦悩を押し流してゆく。

もう、戻れない。


そう自覚すると、余計に菜瑠は興奮した。

――わたし、クズだ。


――みんな、知ってる? わたし、へんたいだよ。


声が、聞こえるかも知れない。

なぜか、杜倉憂理を思い出した。





 *  *  *



分厚い雲の向こうに朝がやって来た。

薄暗くも光があり、少ないながらも色彩があった。薄目を開けた菜瑠が一番最初に見たのは、少女だった。

細い目、華奢な肩――。


菜瑠はすぐに意識を覚醒させ、乱れた着衣を正した。

いつの間に眠ってしまったのか。こんなあられもない姿を見られた焦り。予想外の状況への慌て。

そうしてもう一度、少女をみる。


「なにしてたの?」


見下すようでいて、見透かすようでいて、それでいて優しい問いかけだった。

「ユキエ……」


奴隷長の役職をもつ少女は、名を呼ばれても微笑みもしない。


「菜瑠ちゃん。なにしてたの?」


「……何も」


言うまでもない。見透かされている。菜瑠は警戒しながら立ち上がった。そして平然を装ってユキエと対峙する。


「私たちを……連れ戻しにきたの?」


ユキエはようやく唇に表情を作り、言った。


「そうね。半村様にそう言われて探しに来たわ。でも、びっくりね。外がこんな風になってるなんて。ホントに世界終わったの?」


そんなこと、菜瑠に答えられるわけがない。菜瑠自身もわからないのだ。

ユキエは戸惑う菜瑠を見つめ、少し嗤った、


「菜瑠ちゃん。《《見つけた》》のが私で良かったね。オナニーしてたんでしょ?」


「そんなんじゃない!」


「変態だね。外に出てすぐ……こんな場所で……。ここ、外だよ? 我慢できなかったんだね? 処女なのに、エッチなんだ?」


「違うわ!」


否定はすれども、言い訳など咄嗟に思い浮かばない。慌てる菜瑠をユキエの細い目が見つめる。


「私も処女」


唐突にユキエの口から漏れた言葉に菜瑠は反応できない。


「半村さまね、私としてくれない」


何を言わんとしているのか――菜瑠が反応できないでいると、そのままユキエが続ける。


「半村さま、他の子にはするのに。最近は私に触ってもくれない。最初は私がメインだったのに。……『してほしい』って思う私って、変態なのかな。菜瑠ちゃんみたく」


「ち、違うわ! 変態じゃない!」


「でも、もっと、好きになった」


ユキエの言葉を理解できない菜瑠に、奴隷長はクスクス笑う。


「菜瑠ちゃんって、完璧な女の子だと思ってた。ケド、実はとんでもないド変態なんだね。こんなトコで独りエッチするなんて。でもなんか、ホッとした」


「わ、私は!」


「いいの。わかってるから」


クスクスとユキエが笑い、それと同時に翔吾とエイミが駆けつけて来た。

菜瑠を守るように、ユキエの前に2人が立ちはだかる。その2人を見比べて、ユキエは笑う。


「怖い顔」


ユキエはスッと笑みを消して、言った。


「大丈夫よ。何もする気はないわ。探せ、って言われて来たけど、連れ戻す気なんてサラサラないし。もしそんなつもりなら、部下を連れて歩いてるし」


優雅に散歩というワケでもあるまいが、どうも様子がおかしい。菜瑠は少しばかり警戒を緩めた。


「ジンロクくんは……どうなったの?」


「どうもこうもないわ。少しケガはしたけど、殺されてはいない」


ユキエ1人に対して、こちらは3人。荒事になったとしても数の上では圧倒的に優位だ。

だがユキエはまったく動じる様子もなく、奴隷長としての品格すら漂わせていた。

エイミはすっかり殺気立って、ユキエに怒鳴りつける。


「ロクになんかしたら、許さないから!」


「あら。見捨てて行ったクセに、偉そうなこと言うのね」


これには翔吾が言い返す。

「見捨ててねぇよ!」


「綺麗事ばっかり……。まぁ、いいわ。ジンロクくんは私が守るから」


ユキエは森をゆっくり見回し、空を見上げ、肩をすくめた。


「あなたたち、『野垂れ死に』ね。出たはいいけど、外がこんなんじゃ警察なんて来ないでしょうし。……やっぱり半村様は正しかった」


菜瑠は毅然として反論した。


「それでも、正しい道を行くわ。世界がどうであれ、私が、私たちが変わるわけじゃない」


「うん、それでいい……。やっぱり、私の知ってる菜瑠ちゃんだ。でもね、菜瑠ちゃん……学長の授業覚えてる?」


ユキエは薄い微笑みのまま言う。

ダーウィンは言ったそうよ。

生き残るのは――もっとも強い者ではなく、もっとも賢い者でもない。

唯一生き残るのは、変化できる者である――。

それだけ言うと、ユキエはくるりと踵を返した。

そして、菜瑠たちに背中を向けたまま言う。


「菜瑠ちゃん。いままでありがとう。何度も助けてくれたこと、いまでも本当に感謝してる。でも私、いつの間にか性根から腐っちゃった。もっと早く会いたかったなぁ……」


そして、顔を向けないまま、ユキエは続けた。


「芹沢さん。私はアナタみたいな親友が欲しかった。本当に菜瑠ちゃんが羨ましい……。アナタみたいな友達がいれば……違ってたかもね……」


言葉は続く。


「七井くんも。杜倉くんから聞いたわ。私を『なんとかする』って言ってくれたみたいね。ありがとう……。でも、遅かったな……。もう、戻れないよ。戻れない。でも、ありがとう」


ユキエが泣いている。菜瑠は気付いた。

小刻みに肩を震わし、明瞭でない言葉。だが、どうすればいいのか菜瑠にはわからない。


「早く逃げて。すぐに私の仲間が来るわ。私、『ここには誰も居なかった』って言う。時間を稼いであげる。だから逃げて。少しでも遠くへ。ケンタくんと社倉くんにも『ありがとう』って伝えて。あの時、凄く、嬉しかった、って。『よき友人』のケンタくんと友達になりたかったって」


「ユキエ。一緒に……」


菜瑠が言えたのはそこまでだった。


「菜瑠ちゃん! 誰にモノを言ってるの? 私は野中雪枝よ。あの地下の、ナンバー2よ! 情けないけど、むなしいけど、わたし、もう誰にも否定されないランクにいるの! その私が見逃してあげるって言ってんの! ありがたがりなさいよ! 早く逃げなさいよ! 私の気が変わらないうちに! 早く!」


「行くぞ! ナル子ッ!」


翔吾がいち早く反応し、ユキエの背中を見つめたままの呆然とする菜瑠の腕を強引に引いた。

エイミもサバンナの野生動物のような速さで焚き火周辺にいる仲間たちの元へと駆け戻った。


「みんな! 起きて! 半村が来るよ!」


半村、という単語は決して好ましい響きではなかったが、それは目覚ましアラームとしては格好の効果を発揮した。

遼とケンタがむくりと半身を起こし、遅れて四季も起き上がる。


「行くぞナル子!」


「ユキエ!」

菜瑠が名を呼ぶも、ユキエは背中を向けたままだ。

そして怒鳴る。


「行け、って言ってるの! 命令よ!」


その怒号が朝の森にこだますると、遠くから声が返って来る。


「ユキエさーん! ドコですか!」


聞き覚えのある声――どこか幼く中性的な声だ。菜瑠の脳裏に自慰を強要された佐々木少年の姿が思い出される。


「はやく! 行け!」


振り向かないまま怒鳴ったユキエに、菜瑠はぺこりと頭を下げた。そして、素早く踵を返すと、仲間たち方へと駆け出した。

地面に転がっていた荷物を拾い上げ、両肩にかける。


「菜瑠! はやく!」


呼ばれるままエイミの背中を追い、『野営』の残骸を飛び越えた。

寝起きの鈍った体が、一瞬で熱を帯びるのを感じる。

エイミもとにかく愚痴を吐く。


「マジウザい! あいつらアタシらに何の恨みがあるっうの! 寝起きに、こんな! 顔も洗ってないし、ファンデも! アタシにブスになれっての!?」


よくもまぁ、全速力で走りながら舌が回るものだ。


「あの上ッ、道路がある!」


「行こ行こ、マジ全力逃走!」


手を泥と灰だらけにしながら急傾斜を登り、右に左に開けた場所へ。

降り積もった灰が露に濡れ、足元はぬめる。だが、森の中を行くよりははるかにマシというもの。


「どっち!」


菜瑠は遼に厳しい口調で尋ねる。


「ええと、西だよ、西。こっちが東だから、西はこっち!」


脱落者が出る直前まで走り、やがてケンタがギブアップを宣言したところで、ようやく菜瑠たちはスピードを落とした。


「ユキちゃん、大丈夫?」


荷物を免除されているとはいえ、幼いユキには過酷な行軍だっただろう。

少女は息をあげ、虚ろな目になりながらも、「大丈夫だよ」と答えた。

もう、かなり距離は稼げただろう。

半村だって、そろそろ杜倉グループを追うメリットに乏しい事に気付いてもいいはずだ。


「遼くん。西って何処へ向かってるの?」


菜瑠が問うと、遼は眼鏡の曇りを拭いて、呼吸を落ち着けて、やがてポケットから1枚の紙を取り出した。

小さく畳まれていたそれを、開いて、開いて、開いて。やがて菜瑠にもそれが地図だとわかる。遼は言う。


「僕たちがどこから外に出たかはわからないんだけど」


そう言って、地図の一部を指差す。

「たぶん、このあたりに今いると思う」


全員の頭が地図に寄る。


「で、この道をずっと西に下って行けば集落みたいのがあるよね。そこを通ってさらに下れば……街がある」


崩れかかったお団子ヘアーを気にしながら、エイミが訊く。


「そこまでって、どれくらいかかる?」


「今日中には無理、ってだけ言っておくよ」


「カーッ! ヤな言いかた!」


菜瑠は地図の道路を目で追い、一つの気になるものを見つけた。


「遼。これ……なに?」


菜瑠の指差した地点に目を凝らし、遼は片眉を上げる。


「なんだろ。この近く……だけど」


「民家じゃない? ほら、ここだけ森が切れてるし。民家なら助けを求められるかも

。電話でもあれば……」


遼の返事を待たず、エイミはテンションを最高潮まで引き上げた。


「キタじゃん! シャワーもあるでしょ! ゆっくり休めるし! ね、四季!」


「シャワーは浴びたいわ。浴びるべきよ。この中の誰かが臭うの」


全員の視線が離れた場所にいるケンタに向かう。


「また僕か……ハイハイ、どうせ僕だろうさ」


翔吾はため息を一つして、珍しく疲れた表情で頭をかいた。


「とりあえず行くか。誰かいたらオーライ。誰もいなくてもオーライ。どっちにしろ隠れられっし、だな」


「ソレな! 同感!」

仲間たちの中に、この方針に異議がある者はいないらしい。

エイミほどの勢いはないにせよ、菜瑠も行くべきだろうと思う。


「じゃあ、えっと……」遼は地図に視線を落として言う。「あのカーブから森に入ればショートカットできる」


「よっしゃぁい! 行くよ菜瑠!」


エイミが過剰な高揚のまま駆け出し、仲間たちはのらりくらりとその後を追う。

菜瑠は再び森に足を踏み入れる前に、空を見上げた。


相変わらず、分厚い雲が空一面を覆い、暗い。

この空が、街まで続いているのだろうか。だとすれば、街も平穏ではないだろう。

もし、警察が機能していないとなれば、その時、自分たちは何を頼れば良いのだろう。


そして、母は無事でいるのだろうか。この世界に、一体なにが起きたのだろうか。

立ち止まった菜瑠の横で、四季も立ち止まり、空を見上げる。


「四季。なにが起こってるの?」


「わからないわ」


天才、と評価される少女は、いつもこうだ。わからないものを無理やりに解釈したり、解説したりしない。ただありのままを受け入れる。


「すごい空だね……」


「学長は火山の噴火だと言ってたけど。私はそれだけでは納得できない」


「ねぇ四季。もし、警察が駄目だったら、どうすればいいと思う?」


菜瑠が不安げに訊くと、空を見上げていた四季が、唐突にクイと菜瑠に顔を向ける。

半開きの瞳、整いすぎた顔立ち。まっすぐに見つめられると、同性ながら、思わずドキッとしてしまう。心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。


「心配?」


「うん……。バカみたいだけど、ホントに世界が終わってたら――私、どうすればいいんだろう、って」


「私は何も心配してないわ」


「四季は……すごいね。強いよ」


「何もすごくない。ひとつの終わりは、ひとつの始まりとも言えるわ。世界が終わったなら、新しく始めればいいだけ。新しい世界を作ればいい。そしてきっと誰かがもう始めてる」


なにやら、いつかタカユキから聞かされたような事を言う。

菜瑠が半開きの瞳を見つめたまま、呆気に取られていると、四季が小さく微笑んだ。


「私はあなたが好き」


唐突な告白に思えたが、どうにも色気はない。幼い子供に『好き』と言われたような軽い感覚だ。だが菜瑠は慌ててしまう。


「えっ、えっと」


「貴女はいつも正しくあろうとする。私には理解できない事も多い。非合理的であったり、まっすぐすぎて、愚かだとも思う」


「愚かって……。そりゃ、四季とくらべたら……」


「でも、あなたの言動は、私の心のどこかに響くものがあるわ。貴女は私を『すごい』と言う。でも私もあなたを『すごい』とおもう。だから、あなたを支持してる」


「えっと、ありがとう……でいいのかな?」


「あなたが指導者になればいい。私はあなたが好き。だからついてゆく。微力だけど、あなたにつくすわ。この感情、好き、というのは理屈じゃない。愚かだとしても、理屈抜きに理由もなくあなたを信頼してる」


四季にこんなことを言われると、どうしようもなくタジろいでしまう。手のひらの上で踊らされているような気にさえなる。


「う、うん」


「だから、あなたと行動してる以上、私はなにも心配してない」


それだけ言うと、四季はスッといつもの四季に戻り、背中のバッグを背負い直して森へと進んで行った。


――新しい世界の指導者?

菜瑠には四季の真意がわからない。


励ますための言葉だったのだろうか?

ただ、『笑わない女』である四季が、これで2度も笑顔を見せてくれた。それが、菜瑠にはなんだか嬉しかった。



 *  *  *

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