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13月の解放区  作者: まつかく
7章 Evil and Flowers
63/125

7-2c 脱落者の矜持


「に、兄ちゃん。だ、駄目に、駄目になりかけたんだ!」


説明にも弁解にもなっていない言葉を尚志が言う。

画面の中の半村は、その報告が気に入らないのか眉間のシワをより一層深くした。


「あぁ? んな事ぁわかってる! お前――」

半村の勢いが止まった。


「なんだ? お前、お嬢か? ナンでお嬢がソコにいる?! 彼氏の仲間も!」


その声は菜瑠を萎縮させるに十分な威力を有していた。考えないように意識していても、刻み込まれた暴力の記憶は簡単には消えない。


「どっから下へ行ったッ! ああッ?」


吸った空気が肺から出ない。気道の一番下でわだかまり、酸素を欠乏させる。

画面の中の半村が上半身をよじり、後方にいた奴隷を怒鳴りつけた。


「お前ら、ちゃんと見張ってたのかッ?! 下には絶対行かせンなって言わなかったか?! 言っただろッ! コイツらを今すぐ連れ戻せ! ユキエはッ、ユキエはドコ行ったッ!?」


加速度的に状況が悪化している。取り乱した半村の怒りが画面を通して菜瑠にも伝わってくる。

捕まれば、タダでは済まない。


――きっと、大区画だ。

菜瑠はそう思う。大区画に貯蔵、保管されている食糧や備品への執着が半村を慌てさせるのだ。それらは彼の掛け替えのない財産に違いないのだから。


「ナオシッ! そいつらを逃すな! ドロボーだッ、ハゲタカだッ!」


兄からの言葉に、尚志は明らかな動揺を見せ、挙動がますます不審になる。


「で、で、で、でも、ぼ、ぼくは」


「デモもテロもクーデターもねぇ! そいつらは悪党だッ! 犯罪者だッ! 逃がすな!」


尚志は食い入るように見つめていた画面の半村から、恐る恐るで菜瑠に視線をかえた。


「き、きみらは、悪い人?」


「わ、私たちは……」


縮み上がったままの菜瑠にかわり、翔吾が強気に応じる。


「悪くねぇよ! すくなくとも、お前の兄貴よりは!」


画面の中も騒がしい。

既にモニター前から離れた半村が、しきりに檄を飛ばしている。


「ユキエ! 俺が下に行く! カネダッ、グズグズすんな!」


――来る!

グズグズしていられないのは、コチラのほうだ。半村の怒りはただららぬモノ。逃げなければ、今すぐに。


「逃げなきゃ!」


返事はない、だが同意はあった。仲間たちの表情にも深刻な危惧の色がある。


「だ、駄目、だ、駄目だよ!」


言うが早いか、尚志が前傾姿勢になって、驚くような早さでドア前まで車椅子を飛ばした。

そして、伸びるいっぱいにまで両手を広げて出入り口を塞ぐ。


「だ、駄目、おおお怒られる、に、逃がすなって、い、言われた!」


出口に殺到しようとした仲間たちが、尚志の封鎖に戸惑う。尚志の表情、それはまさに『必死』の形相だった。


「だ、駄目! だめ!」


「うるっせぇぇーッ! どけ!」


「だ、駄目!」


尚志は必死だ、だがこちらとて必死。焦りと慌てと恐怖、混乱。それらは仲間たちを暴徒化させるに十分な要素だった。


「ケンタッ!」


叫ぶと同時に翔吾が車椅子の側面にまわる。ぼんやりしていたケンタも翔吾の動きにも反応すると、同じく側面に体を入れる。


「だ、駄目! 駄目、駄目、駄目!」


尚志の叫びは、ほとんど涙声だ。ドア前から『撤去』されんとするのを必死で車輪を掴み、拒む。

だが翔吾とケンタは無情にも彼の車椅子を力任せに側面から押し倒した。

カラカラと車輪が空転し、尚志は床へと投げ出される。


「行くぞ! 急げッ!」


ドアは開かれ、仲間たちが我先にと通路へ脱出してゆく。

車椅子は蹴られ、踏み乗られ、尚志は倒れたまま、ただ震える両手で頭を守っていた。


「ナルっ! 何してんの!」エイミが通路から呼ぶ。


「ナル子!急げ! すぐに来るぞ!」


「遼、大区画はどっち?!」


「こっち!」


「ナルッ! 早く早く!」


再三せかされて、ようやく菜瑠は駆け出した。倒れた尚志を見ないように顔を背け、通路へと躍り出る。

仲間たちのほとんどはすでに通路の遠くへと走り去っている。


菜瑠は最後尾から夢中で仲間たちの背中を追った。緑光の通路を駆け抜ける影。幾重にも反響する足音。

夢中で駆けながらも菜瑠はショック状態から立ち直れない。

倒された尚志の姿が網膜に鮮烈に焼き付いている。


ああするしか無かった。ああしないと、自分たちが酷い目にあっていた。


だが、良かったのか。あれで。あんな事をして、良かったのか。

果たして、私たちは、正しい事をしたのか。

脱走は正義だと菜瑠は信じている。現時点で唯一、信じられる正義だ。

脱走して、通報して、皆を助ける。それが正しいことだと。


そうやって、弱者のために身を呈するのが正義じゃなかったのか。

なのに、自分たちは弱者を足蹴にしてまで脱走しようとしている。

なにかが、おかしい。どこかが、おかしい。


あの尚志の表情、泣きそうな声。彼はきっと、このあと酷い目にあう。

弱者を虐げて進む道に、本当の正義はあるのか。弱者の涙で舗装された正義の道などあるのだろうか。


「ここだ!」


先頭を走っていた遼が、大きな扉の前にたどり着き、勢い良く開く。その途端にドア向こうの闇から風が吹いてきた。


「遼! 照明つけて!」


エイミに言われるまでもなく、遼は闇の中に飛び込んで行った。

次々に大区画への入り口に仲間たちが到着する。どの肩も激しく上下して、上がった息を整えている。


「まだ?!」


エイミの呼びかけに余裕は感じられない。


「つけるよ!」


その言葉とともに、大区画全体の照明が点灯した。

高い天井から白光が降り注ぎ、コンテナのビルを照らしだす。


「これが……」


その光景は菜瑠の中にわだかまっていた暗闇をも吹き飛ばした。

想像以上、それにつきる。

地下階を訪れた事は数限りないが、こんなに広いスペースがあったとは知りもしなかった。これは、規模からして違う。


「こりゃあ……すごい」


顔色の悪いジンロクが汗だらけの顔を引きつらせる。四季ですら、半開きの目を全開にしたほどた。


「こっち! 怖いから下を見ないで!」


エイミが目の前にあった階段を素早く駆け下りてゆく。遼、翔吾、少し遅れて菜瑠も続いた。グレーチングの足場になっている階段は無数の足音を、遥か下のコンクリート床まで反響させる。

先立って階段を下りきったエイミが右手と左手で方向を指し示した。


「食べ物はコッチ! 服はアッチ!」


菜瑠は階段を下りながら仲間たちに分割を指示した。


「男は食糧と水! 女は服と生活用品!」


「よっしゃあ! 任せとけ!」


「集め終わったら、エレベーターへ!」


階段を下り終わった者たちが、右へ左へ散ってゆく。

「菜瑠っ、四季っ、こっち、こっち!」


エイミが大げさすぎるほどな手をこまねいて呼ぶ。

生活棟から下りてきた半村が尚志の部屋へたどり着くまでの時間は?

そこから大区画までにかかる時間は?


わからない、頭の回転が追いつかない。確実に言えることは、無駄にできる時間は一秒もないという事だけ。


「ここ! 服は、このコンテナだよ!」


エイミが細い体を限界まで駆使して、コンテナのバーを引っ張る。

菜瑠が手を貸すまでもなく、コンテナはすぐに、隙間を見せ、やがて全開された。


「急ごう!」


内部には数え切れないほどのダンボールが詰め込まれ、申しわけていどに中央に細い通路が通されていた。


「どんだけいるの!?」


「9ッ、9人ぶん! 上着とズボンと下着!」


「靴下は!?」


「いる!」


手当たり次第にダンボールを開き、中に詰まっている物を確認する。

――ズボン! えっとサイズは……。

格安のバーゲンにやって来たかのように、エイミは衣類を引っ掻き回している。


「……こっちは下着だわ」

四季が相変わらずの調子で言う。


「下着、いる! ブラのサイズは適当に! 全員一緒でいいでしょ!?」


慌てる菜瑠やエイミと対照的に、四季は冷静だ。


「……小さいと苦しいわ。私と2人のサイズは違う」


「自慢ウザす! じゃあ全部デカいのいきなさいよ! 胸なんて、どうせすぐデカくなってやるわよ! 最悪、ティッシュ詰めりゃいいのよ!」


すると、コンテナの入り口に遼が現れ、何かを投げ込んできた。


「バッグだよ! 背負えるやつ!」


「ナイス!」


遼が投げ込んだバッグを入り口近くにいた四季が菜瑠とエイミに投げてよこす。

急いで服を詰め込んで、一息つく間もない。

――あれ……どこまで入れたっけ?


「上着オッケーェッ! アタシ、歯ブラシ捜してくる!」


狭い通路をすり抜けてエイミが飛び出して行った。

目まぐるしく状況が変化してゆく。願わくば、半村に追いつかれるまでに満足な準備ができますよう。


「四季、終わった!?」


四季は無言で頷く。


「出よう! もうみんな集まってるかも」


バッグを背中にかけて、菜瑠と四季はコンテナから外に出る。

ちょうど、エイミが戻ってきた。


「コッチ、コッチ!」


エイミは立ち止まらないままに菜瑠たちの前を駆け抜け、遅れまじと2人も後に続く。

闇に立ち上がるコンテナ・ビルを曲がり、薄暗い路地を駆け抜け、ようやく菜瑠たちは開けた場所へ出た。


眼前には鉄骨が剥き出しになった無骨な装置。

大型車1台は余裕で収まりそうなエレベーター。


これが噂の――。


それは初めて『ソレ』を見る菜瑠に奇妙な感慨を与えた。

旧時代の遺物であるような、それでいて荒廃した未来からやってきた機械のような。

――これに乗って、遙か地上へ。


そこは過去か、あるいは未来か。


「菜瑠、これ一緒に持って! 前に憂理たちが忘れてったカバン!」


感慨にふけっていた菜瑠は、軽く頭を振って無価値な妄想を頭から追い出した。


「四季ッ! その蛇腹トビラを開けて! 荷物載せちゃおう! 四季、眼ぇ開けて、眼ぇ!」


慌てる2人と対照的に、四季はやはりゆっくりとした動きだ。だがゆっくりながらも扉前へと足を運び、蛇腹を左右に開く。

ようやくで荷物をエレベーター内へと搬入したところで、騒がしい男子たちがコンテナビルの角から現れた。


どの少年もその背中や肩のキャパシティいっぱいにまで荷物を背負っている。いつかの行商スタイルといわれるやつだ。


「急いで! 半村がくるよ!」


「乗って! 乗って!」


エイミが蛇腹を開き、仲間たちを誘導する。

狭い隙間に翔吾が滑り込み、遼がそれに続き、ケンタ、四季、ジンロク、ユキ。

菜瑠も背負ったリュックを揺らしながらカゴへとなだれ込む。


ほとんど混乱をきたした菜瑠たちの耳に、ヒステリックな声が響いた。


「います! いました!」


蛇腹ごしに声のした方を見やると、大区画の入り口方面に数人の人影が舞っていた。

――きた!

菜瑠の心臓がこれまでになく高鳴る。だが、それは必ずしも不快なものではなかった。

自分たちは勝ったのだ。少なくとも、ゴールには到達した。


遙か地上へ。

なんの気もなしに見上げていた太陽と、肌を洗う風のふくところへ。手の届きそうな星空と、あかね色の空の下へ。


「早く! 上げて!」


カゴ内のコントロールパネルに向かって菜瑠は叫ぶ。その声の先には遼がいる。

だが眼鏡の少年は動かない。深いシワを眉間に寄せて、ただ困惑の表情を返してくるだけだ。


「早くッ!」


菜瑠の再三の命令にも、眉間のシワは消えない。


「ナオくんが……」


その言葉を知覚した瞬間、菜瑠はカゴ内を見回した。ナオが――ジンロクの幼い弟がいない。

そうこうしている間にも、遠く、灰色の人影でしかなかった半村たちが凄まじい勢いで接近している。


「なんでいねぇんだよ! ロクッ!」


翔吾が怒号にも似た声でジンロクをなじる。お前の管理下だろう、そんな響きが言外にあった。

遼よりも深い眉間のシワを見せて、ジンロクは重々しく首を振った。

そして、背中の荷物を乱暴に下ろすと、閉ざされた蛇腹を素早く開いた。


体ひとつ分ほど解放された隙間に身をねじ込み、ジンロクは外へと躍り出た。


「ロク!」


半村たちの接近は予想外に早い。すでに各個人の顔を判別できる距離まで迫ってきている。

ジンロクは鬼のような形相で蛇腹を閉め、外部のコントロールパネルへ駆け寄った。

刹那、ガクンとカゴが揺れ、エレベーターの上昇を全身に感じる。


「ロク!」


「ジンロクくん!」


カゴの内部から、口々に坂本甚六の名が呼ばれる。予想外の事態に、四季以外の誰もが蛇腹へ駆け寄った。

無機質な鉄格子の向こうでジンロクが重々しく口を開いた。


「ここは、俺に任せて……とか。そんなカッコいいことは言えんが。とにかく先に行け」


「アホか! お前一人で残ってどーすんだよ!」


「ユーリのバカもまだだしな。心配だから様子を見に行って……連れて行くよ」


ジンロクの額にはじんわりと汗が滲んでいる。体調不良も回復してはいないのだろう。

これは、間違ったヒロイズムだ。菜瑠はそう思う。こんな場所に留まって、無事で済むワケがない。こんなことを、看過できない。


「遼くん! 止めて!」


菜瑠の言葉に返事もせず、遼がコントロールパネルへ向くと、それはジンロクの怒号によって制された。


「やめろ! 畑中! どのみち誰かがここにいないと半村たちが止める!」


これは正しい。菜瑠の視界の端で四季がコクリと頷く。

追いついた半村たちがエレベーターを強制停止させれば、結局、自分たちは『カゴの中の鳥』でしかない。


そんな事は菜瑠にだってわかっている。

だが、少なくとも、菜瑠にとって坂本ジンロクは『善良な人間』だった。

幼い弟妹のため体を張る、不器用な男。優しい男。


そんな人間を『捨て駒』にするのは間違っている。菜瑠の正義感はそう訴えた。

きっと、杜倉憂理だって同じように思うはずだ。


「それでもいい! 遼くん! 止めて!」


ジンロクを見捨てて得られる正義など、意味がない。

涙で舗装された正義の道など、歩みたくはない。

そんな菜瑠の心境を察してか、遼はコントロールパネルのボタンに指をのせ、苦笑した。


「ここまで来て残念だけど」


そして駆け出しの学者は苦笑をスッと消し、ボタンを力強く叩いた。

ボタンが叩かれた音と同時に、大区画全体にアラート音が響き渡り、各所に設けられたパトランプが回転を伴って赤光を放った。

非常停止だ。


「やめろ、遼!」


全てを振り払うかのようなジンロクの声だった。


「全員捕まったら、誰が通報する! ナル子ッ!」


「こんなの、間違ってる!」


「間違ってていい! いまは早く行け!」


そんなやり取りを繰り返す間もなく、停止したエレベーターの前に半村たちがたどり着いた。

どの口からも激しく二酸化炭素が吐き出され、どの目からも敵意が発せられていた。


「逃がすな! 操作盤を止めろ!」


端的な指示を半村が出す。

だがコントロールパネルの前にはジンロクが立ち塞がっていた。


「はぁ、ドゲザーマンか……」


半村はひしゃげた三日月を唇につくり、鼻で笑う。

「お前な、トチ狂ってんのか知らんがな、邪魔するなら今度はドゲザじゃ済まんぞ? ああ?」


その言葉にも動じず、ジンロクはただ半村とその奴隷たちを見回し、そして落ち着いた声で言う。


「みんな、ユキを頼む」


その言葉に、幼い妹が過剰に反応した。


「兄ちゃん! 兄ちゃん!」


小さな両手で蛇腹を掴み、ガタガタそれを揺らしては近いようで遠い場所にいる義兄を呼ぶ。


「大丈夫だ。俺は後で行くからな。ナル子姉ちゃんの言うことをよく聞けよ」


「ジンロクくん!」


「遼ッ! 早く上げろ!」


「遼!」翔吾が眼鏡の少年の尻を蹴り上げ怒鳴った。「上げろ! これ以上、ロクに恥かかせんな!」


このやり取りは、半村の感情をことさら刺激したらしく、暴君の表情は醜く歪んだ。


「おい! カネダ! ドゲザをどかせ!」


暴君の命令にカネダがジンロクの前に出た。だが、それ以上のアクションが取れない。

カネダはその視線こそ凶悪であったが、その腕、その指には震えがあった。

ジンロクの強さを知ってなお、虚勢を張れるなら、それは勇敢でなく愚鈍と評価されるべきもの。

少なくともカネダには知性があった。それは、動物的本能と呼び代えても支障のないものだったかも知れない。


「ビビってんのか!? ああ!?」


敵からではなく、味方、それも総大将からの挑発だ。だがそれでもカネダは動けない。


「オイ! 4人がかりでやれ! お前ら、囲め!」


暴君の指示により、ジンロクの周囲に半村奴隷たちが配置される。


「やれッ!」


その号令とともに、カネダたち半村奴隷がブンと武器を振り上げた。

4本の角材がジンロクに焦点を定める。

それらは、ほぼ同時にジンロクへと振り下ろされた。四方からの同時攻撃。


菜瑠などは、思わず目を閉じてしまう。

だが、半村の指示の甘さは、ジンロクによって証明される。

ジンロクは振り下ろされた角材の一つを、目にも止まらぬ速さで掴むと、強引にそれを引っ張り、その引いた角材で他の角材を受け止めた。


乾いた音、流れる動き。秒にも満たぬ独壇場があった。

そして次の瞬間には、襲いかかった四人ともが拳と蹴りの洗礼を受け、宙に浮いていた。

喧嘩慣れ、などと評するに、それはあまりに芸術的ですらあった。


「遼! 上げろ!」


翔吾とジンロク。その2人の声がシンクロして遼を急かした。

瞬間、カゴがガクンと振動し、やがてゆっくりと上昇を始める。


「ヤれ! ドゲザひとりだろが!」


再び半村奴隷たちが小走りに駆け寄りジンロクを包囲する。だが経験値の違いは、その構えからして明らかだった。

数人で囲んでいるにも関わらず、怯えているのは半村奴隷たちのほうであり、まるで腰が入っていない。


「少しはアタマ使え! お前ら、カボチャより能無しか! ボケどもが!」


半村は怯える部下たちを手厳しく叱責し、素早く自らが手本を示した。

ほとんどノーモーションから、手にしていた金属バットをジンロクに投げつけられる。

回転を見せ、空気を切った金属バットがジンロクに迫り、唐突な飛び道具に不動の門番がひるんだ。


「やれッ!」


野太く響く号令に、数人の奴隷が角材をジンロクへと振り下ろす。さすがのジンロクも、バランスを崩したままでは捌ききれない。

一本を腕で受け止めたものの、ほとんどの角材がジンロクの体に直撃した。

そして、乱打。


それぞれの持つ角材が大上段から振り下ろされ、一撃。また一撃。秒をおかずジンロクの上半身に凶器が振舞われる。

だが、乱打の隙間を縫うようにして拳が伸び、一人、また一人と吹き飛ばされた。


囲んでいた奴隷の全てが床に倒れた時、ジンロクはまだコントロールパネルの前に立っていた。

左腕はダラリと下がり、頭部からは血液が流れ落ちていた。

だが、ジンロクはたしかに立っていた。


そうしている間にもカゴはぐんぐん上昇し、ジンロクから遠ざかってゆく。

菜瑠たちに出来ることはカゴの蛇腹に張り付き、ジンロクの勇姿を目に焼き付ける事だけ。

倒しても、倒しても、カネダたちは起き上がる。

これが一対一の勝負ならば、勝敗は決していたに違いない。だが、これは多対一。数の暴力だった。


やがて半村の罵声がかすれ、ほとんど聞こえなくなった頃、眼下の物陰から小さな人影が躍り出たのを菜瑠は見た。

それが――その取るに足らない小さな影が半村奴隷に捕まった瞬間、菜瑠はすぐ先の未来を予見できた。


占い師やアナリストでなくとも予測しえる未来があった。

声はなにも聞こえない。


だが、ジンロクが戦えなくなったことは容易に想像できた。

ジンロクを、ジンロクたらしめていたものが半村の手に落ちたのだ。そして、その結果は、ジンロクにジンロクらしい決断を選ばせるのだろう。


幸い――それは菜瑠たちを載せたエレベーターが、最上階に到達した瞬間ではあった。




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