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13月の解放区  作者: まつかく
7章 Evil and Flowers
59/125

7-1a ナル子と菜瑠


洗濯室に駆け込んで来たケンタが、荷物を床に投げ捨て床穴を覗いた。その目はランランと輝き、どの少年よりも少年らしい。財宝の眠る穴でも見つけたかのようだ。

しかし、その表情が曇る。


「なんかさ、狭くない? 小さくない?」


これには『拡張担当』である遼が応じた。


「いや、大丈夫だよ。サイズKだ」


「んー。僕ぐらいのラガーになると、この程度の穴じゃ無理じゃないかな」


いちいちウルサいことではあるが、遼は「わかった」と眼鏡を上げ、再度拡張に取りかかった。

ジンロクも作業に参加し、穴を広げてゆく。

当のケンタは満足そうにうなづき、そしてその場に欠けている人物がいることに気付くと周囲を見回して、訊く。


「あれ? トクラッツィオは?」


この場にいるはずの憂理を探して、ケンタの首がグリグリ動く。席を外しているのは憂理だけではない。四季や翔吾もまだ蔵書室だ。


「憂理は、用事があるって」


菜瑠が言うと、ケンタは眉間にシワを寄せ、唇を尖らせる。


「アイツ、荷物をほっぽり出して! 行商のなんたるかを忘れたかッ!」


ケンタや翔吾、そして憂理が時おり口にする、このような『冗談と本気の区別が曖昧な言葉』にいつも菜瑠は内心で困惑する。

これは『社倉グループ』と菜瑠が合流した時からずっと変わらないものだ。


少し考えてから、気付き、内心で軽くウケて、少し落ち込む。自分にはユーモアセンスが欠落しているのだろうか、と。


以前なら『バカね!』と切り捨てていれば良かったのだが、今は違う。

自分は、社倉憂理に後を任された――という責任感が華奢な両肩にのしかかる。

自分は社倉憂理の代役を果たさなければならない、と。


――憂理なら、どう返すの?


秒にも満たない逡巡を経て、菜瑠は言った。


「ぎ、行商いなくちゃ、ギョーショーもない、ね」


コンクリートを打つ音が止まった。ケンタの目が、遼の目が、ジンロクの目、幼い弟妹の目が、菜瑠に刺さった。

これは予想外の状況だった。

――こんなはずじゃ……。


慌てた菜瑠は組んだ腕をほどき、必死で説明した。


「えっと、ほら、あの、今のはね、『ギョーショーもない』と『どうしょうもない』がシャレになってるのがユーモラスな……」


「やめて!」ケンタが赤らめた顔をそむける。「こっちまで恥ずかしくなるからッ!」


眼鏡の少年は闇夜にUFOでも見たかのようにポカンとしている。

「ナル子……が?」


「……わたしだって、たまにはユーモアぐらい言うのよ?」


恥ずかしくて、いっそ消えてしまいたい。そんな菜瑠にもジンロクは率直に言う。


「冗談にしても、酷いな、それは」


集まった視線が痛い。

ユーモアでなく、View Moreになってしまったと思う。


「いいから、早く掘って!」


腕を組んで『生活委員』スタイルに戻すと、作業員たちは首をかしげながら仕事に戻った。そして、囁くような声で誰かが言った。


「まったく、ギョーショーもないシャレだったね」


「誰!? 黙って作業しなさい! 急いでるのよ!」


「こういう場合は『了承しました』かな。それとも『ギョーショーしました』かな」


「今のは畑中遼ね!」


ヒヒヒとケンタが笑い、クククと遼が笑い、フフフとロクが笑う。

菜瑠はいたたまれない。なんだか、上手くやれなかったと思う。憂理のような軽口をたたけなかったと思う。ユーモアって難しいと思う。


「ナル子お姉ちゃん。頑張って」


幼いユキの慰めで、余計ミジメな気分にさせられる。

「べつに、大丈夫よ。そもそも頑張る必要がないもの。穴はどう?」


ミジメな作業監督の問いかけに、ジンロクが肩をすくめた。


「どうかな。結構広がったが。ケンタ、入ってみろ」


「オッケー」


ケンタは穴べりに腰を落とし、体重を腕で支えながら少しずつ床穴に腰を沈めてゆく。そして、太ももがスッポリ収まる事を確認すると、ニンマリ笑った。


「オッケー、オッケー。これこそサイズKだ。いい腕だね職人さん」


「どうも」


「いいわ。じゃあ、ケンタが先に降りて、ナオくんとユキちゃんを下で受けとめて」


「オッケー」


自然と指示が出せたのは生活委員としての経験が生きたためだろうか。菜瑠は少し自信を取り戻した。

――大丈夫、わたし、やれる。


見ればケンタが穴でモゾモゾとやっている。その姿が何やら滑稽で菜瑠の『社倉憂理なら何か言うはず』心を存分に刺激する。


「えっと、モグラのお父さん! みたい……だね」


また、上手くやれなかったと思う。



 *  *  *



「ナル子が先に降りろ。俺が最後に降りる」


「ううん。わたしが最後でいいわ。エイミたちも待ちたいし」


「そうか」


ジンロクは短い返事をして素直に穴へと足を降ろした。三つの行商リュックも先に下ろされており、準備は万端だ。

――それにしても遅い。


エイミたちは何をやっているのか。四季が手間取っているならいい。だがもし何かあったなら……。

菜瑠は統率を任された身として真摯に考える。


安否を確認しに蔵書室へ出向くべきだろうか。それとも、ひたすら待つべきか。

多くもない選択肢だが、菜瑠は決断出来ずにいた。


この2択。杜倉憂理なら、どうするか――。そんな仮定は無意味だと菜瑠自身が気付いている。

自分は杜倉憂理ではないし、だいいち憂理ならもっと別の、もっと多くの選択肢を思いつくに違いない。

迷って動けないままの菜瑠の肌をフワリと空気がなでた。なにげに風のやってきた方へと視線を向けると、ドアがゆっくりと開きつつあった。


――あっ。来た。


『待ち』が正解か。菜瑠はなんだかホッとして、小さく溜息を吐いた。どうも決断というのは苦手かも知れない。決断には責任が付いて回り、その責任に重圧すら感じて気後れしてしまうのだ。

これは真面目すぎる菜瑠が背負う大きな十字架かも知れない。


ドアはゆっくり開かれる。

泥棒がやるような、慎重な開きかた。音を立てない静かなやりかた。


きっと、あのドアの隙間から、脱色した茶色い髪がのぞく。

そして、快活な少女が再開を喜び、「ナル」と笑顔を見せてくれる。いつも菜瑠をホッとさせてきたあの笑顔を。


だが、違った。


菜瑠が隙間に見たものは、黒い髪だった。

エイミのものでなく、四季のものでなく、無論、翔吾や憂理のものでもない頭。

乱れた髪が顔面にかかり、落ち窪んだ眼窩のなかにある虚ろな三白眼。

深川の割れた唇が動いた。


「ヂノゴ、さんねー。会いたかったわぁ」


「ふ、深川先生……」


深川は菜瑠の存在を確認すると、ニッコリ笑って、それまでの緩慢な動作から一転、早送りにでもしたかのような素早さで室内に入り込み、音もなくドアを閉じた。


「ヂノゴさん」


ドアを背にして語りかけてくる深川。そこに菜瑠の知る『かつての深川』の面影は薄い。

ニッコリ笑う中年女というだけだ。だが、目が笑っていない。唇だけが三日月を描いていた。


「コレ、ダメかしら?」


そう言って、深川が手にした凶器を菜瑠の眼前に差し出す。曲がりくねった鉄パイプ。所々に血や髪が付着している。


「だ……ダメって? どういう……」


「これね、殺せない。叩くんだけどね、めいっぱい叩くんだけどね。意外と死なないのねー。ヂノゴさんも、コレじゃダメだと思う?」


菜瑠は自分が膝から震えていることに気がついた。身体の芯から怯えきって、足がすくみ、呼吸が浅い。

生命の危機を感じるが、逃走か闘争かも選べない。


「わたし、ダメとか……わかりません……」


「先生はね! ダメだと思うのよー。だって何十人も殺さなきゃ羽美が救われないのに、まだ全然殺せてないのねー」


「だ、誰かを殺すのが、救いだなんて、間違ってると思います……!」


スッと三日月が消えて、真顔に三白眼が並ぶ。


「黙れ」


菜瑠は視界の端で穴の位置を確認した。あの穴に逃げ込むしか退路はない。

だが、動けるのか。この直立不動で固まった身体が動くのか?

逃げ込むまで穴の存在に気付かれてはいけない。気取けどられてはいけない。


また深川がニッコリ笑う。


「前にね、今と同じ状況があったの」


「い、いまと?」


「そうよー。部屋には罪人と私の2人っきりで。罪人に逃げ場所がなくて、罪人の頭がちょうど叩きやすい場所にあって、罪人は生活委員でねヂノゴさん」


「わ、わたしは、ジノゴじゃない! ミチノウシロです! それに、罪人なんかじゃ……」


「黙れ」


これは、会話ですらない。


深川は議論はもちろん反論も意見も欲してはいない。自分の言葉を一方的に聞かせたいだけに違いない。

これはタチの悪いラジオ放送だ。

ただこの放送局は、音楽も流さないし、リクエストも受け付けないし、選局も認めない。流れるのはただ、一方的なおしゃべりと血のみだ。


そしてこのラジオは、DJとリスナーの距離が致命的に近い――最悪の生放送だった。DJがオンエアーを続ける。


「ヂノゴさん、アナタはいい子だったわねー。言いつけはキチンと守るし、悪さもしない。それに可愛いわー。天使みたいよ」


「て、天使とかじゃありません」


「いーえ、天使よー。他の餓鬼ドモとは、悪魔ドモとは違ったー。違いましたー。だから、殺すなんて、できないわ。できませんー」


――なら、その鉄パイプを離して。

そんな菜瑠の要求は言葉にならない。


「でもね! ヂノゴさん、気を付けなきゃダメ! あのね、知ってる? 悪魔って、多くの場合、天使や神をカタるものなの」


「わたしは……」


「クズみたいな低俗霊だって、高位の霊をカタるし、下級の悪魔は大天使をカタのねー。だからね、私は騙されないわ」


三日月の笑いがスッと消えた。


「この悪魔が」


深川の凶器が振り上げられた瞬間、菜瑠は思わず目を閉じた。自らの死から目を背けたかったのか、わからない。

真っ暗な世界。

目を閉じたまま生まれてきて、目を閉じたまま死ぬのか。


だが衝撃がやってこない。自分は痛みを感じる前に死んでしまったのか?

恐る恐るに薄目を開けてみると、床の穴から一本の棒が伸びてきていた。

見覚えのあるモップ柄が、穴から生えるように伸びて、深川の左眼に突き刺さっていた。


まず、深川の手から離れた鉄パイプが、床に落ちてカラン、と冷たい音をたてた。

そしてすぐ、リスナーの鼓膜を破るかのような悲鳴が洗濯室全体に響いた。深川の生み出す濁音だらけの奇声。悪魔の産声でもこうは醜悪であるまい。


「ナル子! 早くッ!」


かき消されそうな声はケンタの声だ。

穴から少しだけ頭をのぞかせるケンタ。世界一頼りになるモグラのお父さん。菜瑠は無我夢中でその穴に飛び込んだ。なりふり構わず、頭から穴に突っ込む。

ケンタの胸がクッションとなり、仲間たちの手が菜瑠を穴から引き下げる。


「早くッ! ナル子」


分泌された脳内物質が時間を間延びさせる。胸が穴を通り、腰が穴を通り、膝までの脱出に成功した。

だが、そこまでだった。


深川の手が菜瑠の足首を掴み、完全脱出を阻止した。

細い足首を完全に掴まれ、伸びた爪が皮膚に突き刺さる。

皮膚を破かれる痛みに菜瑠は悲鳴をあげた。だがそれも深川の奇声によってかき消される。


「引っ張れ!」

ジンロクが叫ぶが、言われずとも3組の手が全力で菜瑠を引っ張っている。


「体重かけろ!」


菜瑠の全身に内部的な痛みが加算された。全ての関節が外れてしまうかのような激痛だ。


奇声と悲鳴と怒号のオーケストラはケンタの全体重が乗った瞬間に終演を迎えた。


『プチッ』と鳴った不快な音を菜瑠が足首に感じたと同時に、全身の脱出が成功した。雪崩れて落ちてきた菜瑠を受けとめきれず、ケンタに遼、ジンロクまでが尻餅をついた。


「来る!」


遼の声とともに全員の視線が上方の穴に集中する。

菜瑠は、ぽっかり空いた穴に、黒い髪が垂れているのを見た。

ヌメるように髪が降りてきて、その中央に深川の顔。左眼を手で押さえ鬼のような形相だ。


「オニババめ! 翔吾のカタキ!」


ケンタが叫び機敏な動きでモップ柄を拾いあげ、深川の顔面に突きを繰り出した。

稲上流の棒術は見事に鬼女の顔面をとらえ、その先端が先刻ダメージを与えた左眼に突き刺さる。

パシ、と散った深川の血液がヌルい雨となって菜瑠たちに降り注いだ。


「引いた! 逃げよう!」


「ナル子! 背負うぞ! ナオ、ユキ、はぐれるな!」


言うが早いかジンロクが菜瑠をヒョイと担いだ。

深川の奇声を背中に聞きながら菜瑠たちは管理室を抜け出した。


非常灯の緑に染まった地下世界を遼を先頭にして駆け抜けてゆく。菜瑠はジンロクに運ばれながら、どこか傍観者的な感覚で緑の通路を見ていた。自分を客観視する事で、現実から目を背けていたかった。


ここはどこなのだろう?

わたしは、何をやっているのだろう?

ここにあるのは身を焦がす暴力と、いびつな自由。こんなモノを、誰が望んだのか。誰が受け入れるのか。

痛む足首に流れる血――その2つが『これが現実だ』と告げてくる。


――母の元に帰りたい。



 *  *  *



遼に導かれてたどり着いたのはダンボールが乱雑に置かれた小部屋だった。

ドアを閉めての小休止だ。


ケンタはすぐさま床に転がり、荒い呼吸とともに全身の肉を揺らす。ジンロクは弟妹を隅に座らせ休ませている。

菜瑠はダンボールに座らされ、遼に足首を診てもらっていた。痛みは引きつつあるし、それも皮膚の痛みだ。幸い、これは軽傷に分類されるだろう。


「なんか刺さってる。抜くよ?」


菜瑠がうなづくと、数秒ののちに痛みが走った。

遼は『刺さっていたソレ』を眼鏡の前に持って行き、首の角度を変えては検分する。


「コレ……爪だ。深川の」


なるほど、『プチ』と感じた音は深川の爪が剥がれた音だったのか。菜瑠は納得しつつも同時に恐怖を感じる。

爪が剥がれるまで足首を掴むとは、かなり情念深いものを感じる。

菜瑠自身、深川に恨みを買った覚えはない。だが、あの鬼女は尋常ならざる執着で菜瑠を逃がすまいとした。今さらながら恐怖に震えてしまう。


「酷いアザになっちゃってるね……」


遼が足首を見ながら、まるで自分が加害者であるかのような、申し訳なさそうな顔をする。


「大丈夫。歩けるから」


いまだ恐怖で膝が笑っているが、菜瑠は気丈に笑顔を作った。こういう時に弱音を吐いてはいけない、そう思う。

それよりも、問題は杜倉グループが完全に分断されたこと。

単独行動を取っている憂理。上階にいるであろうエイミ、翔吾、四季。


菜瑠は再び決断を迫られる事になった。どうすればいいのだろう。


「うわー。この爪、深川の肉がついてるよ……。ケンタ、ほら見て」


「そんなの、見たくないよ、気持ち悪いー」


「うえぇぇー」


ジンロクや弟妹にまで爪を見せつける。弟妹も「うえぇぇぇ」だ。だがさすがにジンロクは動じない。


「俺たちにも、10個ついてるんだがなぁ。だが、こうして見ると気持ち悪いな、たしかに」


そうして、一段落すると、遼が菜瑠の方を向く。


「で、どうするの? ナル子」


不思議となもので、憂理の後釜は菜瑠という無言の合意が仲間内にあった。

世の中には『仕切り』たくなくとも、勝手のその役が回ってくる人種が存在して、それが憂理であったり菜瑠であったりする。

視線を集めながら菜瑠は考える。そういえば、憂理はことあるたびに遼に判断を仰いできた。このグループの頭脳――。


「遼くん。これからどうすればいい?」


「んー。僕はナル子に従うよ。アレコレ外野から言うのは好きだけど、決断とか判断とか、苦手で」


「ここで待ってていいのかな?」


「合流したいけど……、深川が降りてきてるかも知れない。そうなると、うかつに動かない方が良いけど、深川が僕たちを見つけられないってことは、翔吾たちも僕らを見つけられないし……」


「先に進んじゃ駄目かな?」


これには遼が難色を示す。


「全員が『シャッター』までの道を知っているなら、それも良いんだろうけどね。シャッター前に自然と集まってくるだろうし……。でも」


「でも、みんなが道を知ってるわけじゃない……ね」


「うん。脱走に向けて進むつもりが後退してしまう事になりかねないね」


――どうにかして、連絡が取れれば楽なのだけれど。

憂理は『電話があればいいな』と軽口を叩いていたが、たしかに連絡手段は必要だ。伝書鳩を飼おうとは思わないが。

そのとき、菜瑠の脳裡に閃きの光が訪れた。閃きが呟きとなって唇から漏れる。


「……インターネット?」


「え?」


「四季ってパソコン使ってるでしょ? あれで、インターネットで、四季たちと連絡できないかな?」


遼の表情がパッと明るくなった。

「いけるかも! 前に四季が『地下階からダウンロードした』とか言ってたから、この階にもPCはあるよ、きっと! それを使えば連絡できるかも! ね!」


「インターネット、ね!」


「インターネットとは違うけど、ナイス・アイデアだよ、ナル子!」


――あれ? じゃあインターネットって何?

菜瑠のそんな疑問はケンタや遼の歓喜の声に掻き消されてしまう。しかし、問題は一つ解決しそうである。

PCで連絡が取れれば、安全に合流を図ることが出来よう。


「どこにパソコンあるかしら」


「近くの部屋を手当たり次第探してくるよ。CADをインストールしてるぐらいだから、それなりのスペックのがあると思う」


機械音痴である菜瑠には意味のわからない単語だらけであるが、なんとなく良い事だということはわかる。

遼が飛び跳ねるように部屋から出て行くと、床に倒れていたケンタが上半身を起こした。


「じゃあ、僕らはご飯にしよう。ナオとユキもお腹すいたろう?」


「へったー」


幼い返答にケンタは地蔵笑顔で頷き、すぐさま行商バッグに手を伸ばす。そうして中から数本のペットボトルを取り出して、床に置いた。


「食べ物は、なにがいい?」


ナオが「ソーセージ!」、ユキが「ソーセージ」


「そうか、そうか、たんとお食べなさい。たんと食べて、育ちなさい。ロクは何が良い?」


「ユキとナオに一袋は多いな。半分ずつにしてやってくれ。俺は何でも良いから」


「じゃあ、鶏唐みたいなやつにしよう。ナル子は?」


配給係の笑顔は、どうも自らの欲求に比例しているのではないかと訝ってしまう。だいいち、菜瑠はそれほど空腹ではなかった。


「私はいいよ。お腹すいてないし」


「駄目!」ケンタが視線を厳しくして、口をへの字に曲げる。「ちゃんと食べないと、ケガが治らないよ! 腹が減って無くても、気分が悪くても、とにかく食べるんだ。食べるチャンスがあるうちに食べる。それが生き残りの鉄則だよ。そうじゃないと、こんな時代を生き抜いていけないよ?」


どこかで聞いたような台詞が最後にくっついているが、あながち間違ったことも言っていない気がする。

菜瑠はケンタの勢いに押される形で、オーダーした。


「じ、じゃあ……。私はハンバーグがいいな」


ペットボトルとハンバーグのパックをケンタから受け取り、菜瑠はまず水に口を付けた。

常温の水が口内を洗い、胃へと落ちてゆく。


「パックがあかないよ」ユキが泣きそうな顔で大柄な兄に訴える。ジンロクはソーセージの真空パックを無言で受け取り、指先で開け口を作った。


そうして口の開いた真空パックを幼い妹に手渡しながらジンロクは片眉をあげた。


「なんか……ヌメるな、この袋は」


その言葉を受けて、菜瑠は自分の真空パックを検分した。


「漏れてるんじゃない? 穴とか……あいてる?」


「いや、わからんが」


「まぁ、穴が開いてたら真空じゃなくなってるよね、たぶん」


しかしヌメるビニールは気持ちの良いモノではない。菜瑠もヌメリ苦心しながらようやく開け口を作る。そうして、もう一度水分補給してから、メインディッシュに取りかかった。


そういえば、このペットボトル――T.E.O.Tから受け取ったまま中身の入れ替えを行っていない――。

だが、特におかしな味はせず、毒物の混入もなさそうだ。


杞憂というのはこう言うことを言うのかも知れない。




 * * *



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