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13月の解放区  作者: まつかく
6章 エデンの地下で 
56/125

6-7b 永良四季の流転

永良四季は自分の人生に飽きている。


幼い頃、四季はよく笑う少女だった。

証券トレーダーであった父と、美貌の令嬢であった母。四季はその知性を父から、その容姿を母から受け継いだ。

暖色に溢れた家の中で、四季はよく笑った。


母がしてくれる童話を四季は毎晩楽しみにしていた。

『三びきの熊』などは今でも良く覚えている。


ゴルディロックスという名の女の子が、ある日、森の中で熊の家を見つける。誰もいないことを確認すると、ゴルディロックスはその家に入った。


テーブルの上には三つのおかゆが置いてあった。

お腹がとてもすいていたゴルディロックスは、おかゆを食べようとする。

だが、ひとつ目の皿に盛られたおかゆは『熱すぎる』

ふたつ目の皿に盛られたおかゆは『冷たすぎる』

みっつ目の皿に盛られたおかゆは『ちょうどいい』


ゴルディロックスはみっつ目のおかゆを食べる。とてもおいしい――。


こんな童話を聞かされた四季は、いつもそうするように自分の考えを述べる。


「全部のおかゆを混ぜたら、3倍食べられたのに」


半開きの目でニッコリ笑って、四季はこんな風に口を挟む。ともすれば小生意気とも言える娘を母親は溺愛した。

「そうね、四季の言うとおりだわ。ママも今気付いたわ」

この子はパパに似て、頭が良い。きっと大人物になるに違いないわ。


褒められるのが嬉しくて、大好きな父親に近づいた気がして、四季はその知性を無意識のうちに磨くことになる。

大好きな父親は、いつも四季の上を行っていた。


「ゴルディロックスか。経済でも彼女の名を借りた状態があるな。バブルでも不況でもない『ちょうどいい状態』をゴルディロックス・エコノミーと呼ぶんだ。四季みたく……粥を混ぜるように、自分でその加減を作れたら一番なんだがな。大人という奴は滑稽に思えるほど不器用なモノでね。いつも粥で火傷ばかりしている」


父親の言う経済の話は幼い四季には難解であったが、自分の知り得た知識が多方面に繋がってゆくことに感動を覚えた。


だが、半開きの瞼がまばたきするたびに時は流れ、季節は巡り、永良家の春は終わりを告げる。


父親が『粥』で火傷をした。

多くのランダム・ウォーカーたちがそうであるように、『自分は特別』だと錯覚していた父親も熱狂の渦に巻かれて転落してゆく。溶けてゆく資金、魂をこがす圧倒的な熱。永良家の夏は静かで、狂っていた。


やがて、枯れて、失われてゆく秋が来て、資産のほとんどが処分された。

冬が来た頃には、一家は離散した。



母の知人を通して施設へ送られ、そこで四季は父親の自殺を知る。母親とも連絡が途絶えたまま季節が巡る。暖かくない春が来て、不快な夏が来て、孤独を思い出させる秋が来て、全てを無に帰する冬が来る。


何度もそれを繰り返し、やがて四季は笑わなくなった。

人間は多くの場合、本末転倒で、悲劇を演じる喜劇役者である。四季は大人たちを見てそう思う。生きるために働いているはずが、働くために生きている。

平和のために戦争をし、栄養のない食べ物を高値で買って、生殖と切り離したセックスに耽る。


愚かだと思う。

やがて、四季は他人に関心を持つのをやめた。他人に関心を持つことが無くなると、必然的に笑う機会もなくなった。


実際には存在しない数字だけの金を資本主義が信用創造で生み出し続け、やがて破綻の道を歩むのと同じく、人間もありもしない希望を生み出し続けなければ活動できないのかもしれない。その行き着くさきが破滅だけだとしても。

未来への遺産はなく、ただ負債だけが積み重なってゆくだろう。愚かだと思う。


なのに、なぜ。

なのに、なぜ自分はいま此処にいるのだろうか。


杜倉グループの最後尾で、永良四季はそんな風に思う。

自分も『ありもしない希望』にすがっているのか。それとも、喜劇的な感情に流されているだけか。


外へ出ても、帰る場所なんてない。

もしかしたら、広がり続ける宇宙のどこにだって自分の居場所は存在しないのかも知れない。


なのに、なぜ。自分はこの人たちと行動を共にしているのか。

それなりに野蛮で、それなりに感情的で、それなりに正義感があって、それなりに馬鹿な人たち。

居心地は悪くない。悪くないが故に思考停止しているんじゃないか。四季はそんな風に思う。


この集団が、この場所が、自分にとって『ちょうどいい粥』なのか。


独りに戻りたければ、いつだって戻れる。いまは、流されていよう。もう少しだけ。いずれ季節が巡るまで。


自分の能力が役に立つなら、この逃避行も無駄ではない。

そして見てみたい。荒削りとも、無軌道とも評価すべき希望を創造している杜倉憂理たちが、いったいどんな結末へ辿り着くのか。


やがてきたる結末が、ハッピーエンドなら、自分はもう一度笑えるかも知れない。

つまらない冗談で、馬鹿のように、何も考えず、なんの打算もなく、ただ腹の底から笑えるかも知れない。

そうなっても、そうならなくても、どちらでもいいけれど。


希望も絶望も、破滅と興隆。

光に闇に、負債と遺産、破壊と再建、自由と束縛、正義と不正。

全てをミキサーに入れてかき混ぜれば、『ちょうどいい』になるかも知れない。


――そうなっても、そうならなくても、どちらでもいいけれど。


半開きのまぶたの奥で、無感情な瞳が仲間たちを見つめる。


 * * *


医務室を後にして、中央階段へと向かう一行は通路のどこか遠くから漂ってくる緊張感を肌の一番浅い場所で感じていた。


深川という名をもつ危機、それが迫って来ている。

半村奴隷たちにとっては、敬愛する君主を傷つけた不倶戴天ふぐたいてんの敵であり、同時に『最強』の存在のはずであった半村に手傷を負わせた脅威であろう。


おそらく、半村奴隷たちが無意識に発する『緊張の分泌物』が臭いなき臭いとなって地下空間に漂う緊張感を醸し出しているに違いない。


無論、それは憂理たちとて同じこと。深川に出会えばタダでは済まない――。

あの中年女は必ず襲って来るだろう。そういう意味において、熊などよりもタチが悪いかも知れない。


今にも、近くのドアが開いて、鉄パイプを持った深川が――。

縁起でもないことを考えながら憂理が近くのドアへと目をやると、同じような事を考えていたらしい翔吾が、進路を外れてドアへ歩み寄り、取手に指をかける。

行動を察したエイミが素早く制止の言葉をかけた。


「ちょっと! やめなさいよ!」


「いや、なんか居そうな感じがしてよ」


「ホントにいたら、どうすんのよ!」


「わかんね」


無責任もここまでくると、すがすがしい。

気になるという翔吾の気持ちもわからないでもないが、捜す必要はどこにもない。捜しているのはきっと、向こうさんの方なのだ。


「いまは、面倒なこと避けるべきなんだから、余計なことしないでよ」


「まぁなー」


了承とも無視とも取れる返事をして、翔吾は肩をすくめた。そして、指に力をいれる。


「あれ?」


そんな翔吾を相手にせず、一行は前進を続けた。翔吾はなにか独り言をつぶやき、次に小走りで前方のドアへ駆け寄ると、再び指をかける。


「ちょっと! あんたアホなの!?」


信じられない、といったエイミの言葉を背中に受けても翔吾は返事をしない。なにかしら独り言を呟いて、もう一つ前方のドアへと駆け寄る。

そしてまた、開けようとする。

だが、どれだけ翔吾がドアを引いても、ドアはスライドしない。


「ここってよ。鍵かかってたか?」


行商スタイルの憂理は歩みを止めないまま、言葉を返す。


「しらね。でも、生活棟で鍵がかかってるドアってほとんど無いだろ」


「だろ? あっれー」


さらに前方へと走り、今度は向かって逆側のドアにも手をかける。そして、さら逆側。ジグザグに通路を行き来して、やがて翔吾は一行の方へ向いた。


「おかしいぞ。全部鍵がかかってる。ちょっと見てくる。遼、ついてこい」


指名をうけた遼は翔吾を見て、憂理を見て、やがて肩をすくめてから猫少年の背中を追って走っていった。


なんだか、妙なことになっているのか。状況が良くつかめないが、今の憂理に出来ることは、ただ前進することだけ。重い荷物にため息をつきながら、一歩また一歩と歩みを進めてゆく。


数分後、自主的な斥候せっこうに出ていた翔吾と遼が息を切らせながら戻ってきた。

その目に余裕はない。


「やべぇぞ」


「なにが?」


「この階、どんどん鍵が閉まってる」


すぐさま、遼の補足が入る。


「リモートロックだよ! きっと半村が深川を閉じ込めるつもりで、この階のドアをロックしてるんだ」


――ああ、魔法の奴か。

いささかに緊張感を欠いた憂理のつぶやきは、その先の状況を予測できていない証拠だ。


そして、斥候の報告を受けて一番最初に動いたのは、意外なことに四季だった。

半開きだった目を少しだけ見開いて、何を言うでもなく、ただ唐突に通路の先へと走り出した。

長い髪がフワリと舞い、細い体が躍動する。


「四季!」


菜瑠はその背中に叫んだ。だが機械少女は呼びかけには反応しない。もの凄い勢いで遠ざかってゆく。

四季が走る。これはなかなか見られる光景じゃないぞ、と憂理はまた緊張感のない感想をつぶやく。走り方がロボット調じゃないのがむしろ不自然だとも思う。彼女は人間かも知れない。


間抜けな所感の憂理をよそに、無数の『なぜ』が一行の頭上に湧く。それの回答だの解決だのを待たず、まずエイミが走り出した。次に菜瑠。

戸惑いながらも翔吾と遼が走り去ってゆく。


場に残されたのは、重い荷物を背負った憂理と、ケンタ。そして坂本ジンロクとその弟妹だけだ。


「なにがあったの?」


ケンタも緊張感に欠ける。


「さぁ……?」


「俺たちは、追わなくていいのか?」


ジンロクも抜けた反応だ。弟が、妹がジンロクを見上げて言う。


「にいちゃん。行こうよ」

「行こう? みんな行っちゃった」


「ん。そうだな。ハグれるのはマズいか。ユーリ、ケンタ。先行くぞ」


そういって、ジンロクは背中の巨大な荷物をモノともせず、大魔神のごとき勢いで駆けだし、遠ざかってゆく仲間たちの後を追っていった。


残された憂理とケンタ。


「ユーちゃん、行こうよ。みんな行っちゃった」


ケンタが出来もしないこと、心にもない事を言う。


「ん。そうだな。ハグれたので手遅れだが」


遠ざかってゆく足音だけがコンクリートの通路に反響し、あとにはシンとした静寂だけが残った。

よりによって、重い荷物。よりによって、ケンタ。


なんだか、仲間たちに見捨てられたような気がして、悲しい。

――俺、まだここにいるんだけども。


なんだか、憂理とケンタはとりとめもなく、ただ移動を再開した。重い荷物を背中に感じながら、何事もなかったのようにペタペタと前進する。今できることは、これだけだ。


「でもシッキーって走るんだね」


「びびったよな」


「走ったモンね。でもさ、どっちかって言うと、走るより――」


「飛んで欲しかったよな」


「そうそう。足の裏からジェット噴射してさ。スーパーロボ・ナガラ四季Z! って」


「ははは」


「ははは」


上っ滑りの会話が、なんだか空しい。『置いていかれた』という事実が、少なからず精神的ダメージとなっていた。

杜倉グループと呼ばれるだけに、自分が中心人物だと錯覚していたが、実際、杜倉グループというのはとんでもない烏合の衆で、スタンドプレーが有機的に組み合わさってるだけじゃないのか。


「でさ、ユーちゃん。スーパーロボ永良四季Zって言うぐらいだから、他にも沢山バージョン違いのロボがあってさ、永良五季、永良六季、永良初号季とかさ、ね、ユーちゃん」


「そのユーちゃんはキモいからやめろ。あとスーパーロボネタも、もういい。寂しいからって無理やり会話する必要もない」


「そだね……。みんな、どこに行ったんだろう」


「たぶん……」


憂理には思い当たるフシがひとつあった。

魔法の鍵、リモートロック、永良初号季。それらの点が、線となって繋がる先。

おそらく、蔵書室だ。


半村が生活棟を封鎖したとしても、蔵書室さえ押さえておけばロックは解除できる。

そして、一番重要なのはロックされる前に蔵書室へ入っておくこと。

どれだけ蔵書室内からリモートロックという魔法を操作できたとしても、その蔵書室自体から閉め出されては杖のない魔法使いだ。


おそらく、四季はそれを阻止するため、急いで戻ったに違いない。


「蔵書室だろな……」


「うぇぇぇえー。結構、遠いよ」


「そだな」


こうしてケンタと2人になってみると、遠くない過去の記憶が思い出される。

施設がこうなってしまう以前、共に過ごした日常。それらが断片的に浮かんでは消える。


体育室の罰掃除から、演技で行った殴り合い。さらには、はじめて出会った日。

1年やそこらの付き合いだが、それよりも古く感じるのは、思い出の多さゆえか、あるいは前世で何かあった仲なのか。

しみじみと無言の感慨に浸った。


ケンタとの思い出を噛み締めていると、その追憶のなかに憂理は何か引っ掛かりを感じた。


サイジョー。

そもそも、ことの発端はチビのサイジョーだ。

彼が拷問部屋へ連れて行かれたという噂から地下の探索が始まった。


サイジョーはどうなった? サイジョーだけじゃない。

痩せ女。あの深川の娘を殺したのは誰だ?

学長に聞いておくべきだったと憂理は自分の不手際を呪った。

しかし今から医務室へ戻れば、本格的にハグれてしまう――。今からでは、今さらだ。


とはいえ学長に聞かずとも深川羽美殺害に関してだけは、憂理のなかで消去法が働いていた。


まず、半村はシロだ。深川羽美について語った時の半村は、彼女に同情すらしていたように思う。勘でしかないが、半村はやってない。

学長も同様の理由でシロだと思う。


車椅子は? まさかサイジョーが?


そういえば――。

地下探索を始めた頃をもう一度思い起こした。


憂理、翔吾、ケンタ、ノボル。

その4人に遼とエイミが加わり、地下階の本格的な探索が始まった。

これまでの情報を整理すると、あの時点で地下階に『いた』あるいは『行けた』可能性のある者は限られている。


社倉グループとノボル。

死んだ痩せ女。学長、深川、半村。

車椅子の男にサイジョー。

生活委員のナル子とガク。


そして、タカユキ。


罰掃除の初日、タカユキは言った。

『地下は広いな、ユーリ』

たしかに、そう言った。あの堕落のキリスト様は、地下を知っていた。あの言い方から察するに、タカユキ自身も憂理たちとほぼ同時期に地下探索を始めた

とは考えられないだろうか。

あの時期。

つまりは、痩せ女の死んだ頃、だ。


憂理は背筋に冷ややかな物を感じた。タカユキが痩せ女を殺害した可能性を検討してみる事に躊躇すら感じる。


『まさかな……』と『いや、アイツなら……』が葛藤となって憂理の思考を支配した。


しかし、そうだとしてもタカユキはどうやって地下階へ行ったのか。

すこし考えて、憂理は嫌な閃きを得た。脳内で点と線が、灰色のシナプス同士が、光を伴って繋がる。


――俺たちを、つけてたとしたら?


気付かないうちに尾行されていた可能性。それは大いにあり得るのではないか。

タカユキ特有のスキルだと思っていた『トラブルに対しての嗅覚』――いつでも、どこでも、トラブルあるところにタカユキきたる。

それが、偶然ではなく、必然だったとしたら?


尾行していたなら『嗅覚』など必要ない。憂理たちがトラブルに遭遇したところに、何食わぬ顔をして姿を現せばいいのだから。


ここまで考えて、憂理は首を振った。

あり得ない。考えすぎだ。


だいいち、自分たちの後をつけて、何の意味がある。何の意味もない。

そうだ、何の意味もない。


思考疲れを感じた憂理は、リフレッシュを求めてケンタに話題を振った。


「なぁケンタ。痩せ女、どう思う?」


ケンタは憂理を一瞥もせず即答だ。


「僕よりは痩せてる」


これは正しい。だが欲しい答えではない。


「いや、そうじゃなくて、誰が殺したのか、って事」


「わかるワケないじゃん。わからないから深川も手当たり次第に襲ってくるんでしょ? いい迷惑だよ。あの人、国語の教科書じゃなく、道徳の教科書を読むべきだ」


これも正しい。


「そうだよなぁ」


「でも、僕ら生徒を狙ってるんだから、少なくとも深川は生徒がやったって思ってるんだろね」


憂理の脳裏にタカユキの顔がよぎる。一度根付いた印象は易やすと消えるものではない。

ケンタは一瞥もしないまま続ける。


「んで、一番ヤバいのは翔吾だろね。絶対狙われてる」


「そうかな」


「そうだよ。深川にとったら、殺しそこねた最有力容疑者だよ。刑事ドラマなら『やっこさん』とか言われるレベルの容疑者。次点で僕とユーリ。なぜならずっと翔吾とつるんでるから」


そうだな。と憂理は声に出さず同意した。

エイミを責めるつもりはないが、やはり地下で名を呼んだ一件が尾を引いていると思う。


それにしてもケンタも色々と考えているのだな、と憂理は感心した。

頭の中は食物なりドングリの事ばかりだと思っていたが、食物とドングリのあいまに自分たちの置かれた状況をキチンと考えているらしい。


「翔吾もそう思ってるから、深川を警戒してるんだと思うよ。襲われて、カウンターで殺すつもりかも」


「ぶっそうだよな」


「まぁ、大丈夫、大丈夫。襲って来ても僕が撃退するよ。稲上流棒術で。チョハー」


「なんだよ。ジンロク流だろ」


「独立したんだ。もうロクは越えたから」


次はライバルである七井流を潰して吸収するのだと稲上流棒術の始祖は得意げだ。色々考えてはいるが、やはりケンタだと思う。

かくして、行商スタイルの2人がゆっくりと、それでいて堅実に前進していると、やがて前方に人の気配を感じ取った。2人、3人、いやもっと多い。


「ケンタ」


「みんな、戻ってきたのかな?」


「たぶん……違うな」


この気配。独特の緊張感と、独特の禍々しさを持った気配。これは、現状でこの生活棟を支配する最大勢力、半村派のモノだ。


「隠れる?」


「いや、知らんぷりしてればいい。俺たちはタダの行商だ。都へ薬を売りに行くだけです――って顔をしてればいい。男なら前進あるのみ」


「そだね。じゃあ、うつむいて、ミジメったらしくしとく」


「それでいい。なりきるんだ、行商に。薬、売れるといいなーって。売れたら、都で絹を買って帰るんだ、絹を村一番の娘ッ子に送って結婚するんだ-って」


「おけー。じゃあ僕は村二番にする」


妄想を広げながら通路を曲がると、そこにはやはり半村奴隷たちが居た。5人のグループで、それぞれが鈍器を手にしている。

――またユキエかよ。


ヒマなのか、職務に忠実なのか、わからないが、これほど生活棟を徘徊されるとやりにくくて仕方がない。

半村奴隷たちは、決められたかのようなフォーメーションでドア前に位置し、ドアを引く。そして、内部を検分し、ドアを閉める。

深川を捜しているのは明白だ。


「いくぞ、ケンタ」


「うい」


2人はなるべく通路の端に寄って、ただの通行人を装う。だが、それはまったくの無意味であった。


「杜倉くん。お見舞いは終わったの?」


待ち構えたかのように、ユキエが接触してくる。当然と言えば当然だ。行商で通り抜けられると考える方がどうかしている。


「へへ、そりゃあもう」


心まで行商になりきって、憂理は卑屈に頭を掻いた。ならったようにケンタも頭を掻く。そうして申し合わせたかのように2人してへへへと笑う。


「他の人たちは?」


「それが、どうしたことか、ハグれちまいまして」


「訊いても無駄でしょうけど、深川を見なかった?」


「さぁ、見てませんが」


「この辺で、仲間が襲われたわ。あの女、このあたりに居るはず。早く見つけ出して処理しないと、面倒だわ」


そりゃそうだろう、と憂理は他人事のように思う。深川は究極のトラブルメーカーなのだ。火事は小火のうちに消すに限る。もっとも、すでに手遅れかも知れないが。


「オイ。彼氏」


好ましくない渾名。その呼び方をする人物は1人しか居ない。

見れば、半村がこちらへ歩いてきている。肩にバットを乗せ、額にはカサブタの残る傷。露出した肌の至る所に紫色のアザが見える。


「お前。なにやってんだ?」



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