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13月の解放区  作者: まつかく
6章 エデンの地下で 
55/125

6-7a 学長という名の職員

少なくとも、『休憩』の定義を生徒たちに教えそこなった学長は、教育者失格かもしれない。


仲間たちは我さきにと懐かしき我が家に帰るかのようにベッドに飛び込み、イビキまで聞こえ始めた。

翔吾とエイミが『偵察』と称して医務室を後にして、30分ほど経過しただろうか。

憂理自身もベッドに腰を下ろし、じっと考え事をしていた。


脱出のルートはもはやひとつしかない。中央階段を強引に通行し、地下階から外へ。

それはモメ事もついて回るルートであるが、ほかに道がない以上勇気を持って先に進むしかない。


「火山ねぇ……」


どうも実感が湧かないが、外で何かが起こっているのは確かなようで、それは憂理に不安とも焦りともつかない感覚を引き起こさせる。

何かが起こっているならば、それを知りたいと思う好奇心。これは勇気とは異質のモノだ。


この施設はシェルターとしての役割も与えられている以上、ここに滞在していれば、しばらくは食糧や生活インフラなどに困ることはないのだろう。


だが、内情があまりにも好ましくなかった。新しい秩序を目指すタカユキの新世界も、数千年前に戻ったかのように野蛮な半村の秩序も、憂理の好むモノではなかった。


しかし、外はどうか。

外だって大災害により秩序が崩壊しているかも知れない。そして、新たな秩序が生まれていたとしたら。それが、今よりも悲惨な新秩序だとしたら。


そうならば、自分は、また逃げるのだろうか。自分の好む世界を捜して、また移動するのだろうか。

ならば、と憂理は考える。

自分も――新秩序を。


自分の暮らしたい世界を、自分で作れば……。


たとえば、学校とか面倒なモノが一切無くて……、腹が減ったら飯を食って、眠くなったら寝て、起きたら遊ぶ。

ハンバーガーにポテトにピザ。柔らかい布団に、大きな枕。


「うーむ……。素晴らしき新世界」


憂理は独り言を呟きながら、妄想の世界にはまり込んだ。

だが、ふと考える。食べ物はどうすれば? たとえばポテトはどうやって食べればいい?


誰かがハンバーガー屋を始めればいいか。それなら、ケンタが適任だ。デブの作ったモノは、なんでも美味そうに見えるしな。

でも、まてよ。ケンタはどうやってポテトを作るジャガイモを入手するんだ。


となると、畑がいるか。でも誰が畑を管理して収穫するんだ。

肉体労働は翔吾にでもやらせればいいか。翔吾だってポテト好きだろ。


待て。塩はどうする。塩がないポテトなんて、デブじゃないケンタで、善良な翔吾だ。そんなのあり得ないし、あってはならない。


塩は……海で取ればいいのか?

海水を乾かしたら、塩が残る。じゃあ、その役目は俺がやろう。ポテト好きだし。


あれ? 油は? 油で揚げるには無論、油がいる。

でもどうやって油をゲットするんだ?


油って、なんだ? サラダ油で揚げるのか? サラダ油ってサラダにかけるワケじゃないのに、なんでサラダ油なんだ?

いや、サラダはいい。野菜なんて、青虫が食うモンだ。サラダ油なんていらない。

油。どうやって?


憂理の思考は無意味に積み重なった。

たかだかポテトを好きなだけ食べる新世界を作るだけで、こんなにも手間がかかるのかと、いささか腹も立った。腹立ちまぎれに、寝ているケンタの頭をはたく。


考えてみれば、社会とは共依存の関係である。

ハンバーガー屋は、農家の協力がなければ成り立たない。収穫する者に加工する者、加工品を商品へと変える者。そしてそれを消費する杜倉憂理。


消費者である杜倉憂理は、その対価として金銭を支払う。

しかし、今や小遣いをくれる大人がいない。大人はどうやって、金銭を生み出すのか。無論、働いて。


「社会って良くできてるわ……」


しかし、自分の知っている『社会』はもはや存在しないのかも知れない。そう考えると心の焦りと虚無感を覚える。

脱走したところで外も似たような状況かも知れないじゃないか。居心地の良かった世界はもはや過去の物になってしまったのか。


だが外に出ないわけにはいかない。

長い目で見れば、この施設内が仮にどれほど安定し、仮にどれほど秩序が保たれていたとしても、長続きするはずがない。搬入された備蓄食料も無限ではないのだ。


半年前を最後に補給が途絶えたのだとすれば、やがて生活必需品が底を突くのは目に見えている。この半年、知らない間にかなりの分量を消費したに違いなく、目減りした食料を巡って今より酷い状況が生まれる可能性も否定できない。


出なければ。外がどうであれ。



「……杜倉くん」


力なく呼ぶ声が、憂理の思索を妨害した。見れば学長が首だけを動かして憂理の方を見つめている。


「学長……」


起き上がるほどの気力はないらしい。学長の動きと言えば、遅い瞬きだけだ。


「杜倉くん。君と路乃後くんが一緒に行動しているところを、生きてるうちに見られるとは思わなかったよ」


「しゃーなし、っすよ」


「いや……きっと根本では君たちは似ている」


そうかな、と憂理は思う。

規則やルールを遵守する菜瑠と、それらを忌み嫌い、法の外側にいたい憂理。

自己評価で言えば似ているとは言い難い。性格の悪さを競い合うなら、ほぼ互角と評価してもいいが……。

憂理は居心地の悪さを覚え、話をそらした。


「学長も脱走しますか?」


憂理の問いに学長は大きく息を吸い、大きく息を吐き、やがて首を振った。


「私はいい」


「でも、ここにいたら、マジで殺されるかも」


「そうかも知れん。だが私はいい。足手まといにもなるだろう」


「警察って……機能してますかね?」


「どうだろうな」


学長は自分の提唱した『火山噴火説』を引き合いに出し、唇を歪めた。本当は、終わっていない。きっと、終わっていない。

世界の終末。私は、そう思い込みたいだけなのかも知れない。

失敗した自分の人生の幕引きすら、自分で行う勇気もない。


「杜倉くん」


「あい」


「有史以来、世界の破滅は何度も叫ばれてきた。予言者や学者の叫ぶ世界の終わり――そんなものは数えればキリがない。だがね、一度として世界が終わったことはない。一つの街、一つの国家が滅びた前例は枚挙にいとまがないが、人類全体の破滅など、有史以来一度もなかった」


これは憂理にも理解できる。

一度も世界が終わっていないからこそ、こうして杜倉憂理は生きているのだ。


「人間は知恵のある生き物だ。そしてそれを次の世代に伝えてゆく生き物だ。歴史はそうやって繋がれてゆく」


「これって、テストに出ますか? ノート取ってなかったんで」


憂理の軽口に、学長はフッっと笑って応じる。


「出る。だが、いつ出題されるかは私にもわからない。わからないが、かならず試される時が来る。杜倉くん。人類はね、代を重ねてゆくたび、賢くなるわけではないんだ。ただ知識が積み重なってゆくだけ」


以前にもこんな事を言っていたな、と憂理は記憶をたぐる。


「われわれ現代人は、紀元前の人々と比べて、なんら賢くなったわけではない。ただ、知っているだけなんだ。地球が平坦な大地などではなく、球体であること。川の氾濫が神の怒りではないこと、雷が神の裁きでないこと。人間にとって、社会が、必要不可欠であること」


「はい」


「そとの状況がどうであれ、君たちは生きなきゃならない。生きて、知識を繋ぎなさい」


なにやら、ひどく大層な話になった気がする。だが、憂理は軽口を封じ、黙って頷いた。


「施設を出て、舗装された県道まで500メートルほどだ。県道を西に向かえばそこに山間の小さな村落がある。決して近くない道のりだが、歩き通せば二晩もあれば辿り着くだろう。そこで救助を求めなさい」


「その村が……駄目だったら?」


「さらに西へ向かえばいい。徐々に開けて市街地が目に入るはずだ」


「食糧足りるかな……。いまんとこ2日分しかないんだけど」


「地下に倉庫がある。コンテナに保存食が入っているはずだ。そこで持てるだけ持ってゆけばいい」


大区画のことか。たしかにあの倉庫にある分量なら、ケンタを5年は養えそうだ。

だが、憂理たちの背中はあまりにも小さい。どれだけ莫大な量の食糧があろうと、運搬できる分量などたかが知れている。頑張っても、5日分が限度であろう。


考え込む憂理に、学長はさらに助言を授ける。


「板ヶ谷集落――山間の西にある村落に、片岡という駐在が居るはずだ。彼に……篠田の所から来たと、これまでの事情を話せばきっと力になってくれる。最近は色々あって少し疎遠になってしまったが――私の古い友人でね」


「片岡さんだね。覚えとく」


「このフォーラムを主宰している本部は京都にある。そこの施設で君たちの親たちの一部が共同生活をしている。もし、帰る場所が見つからなければ、その道場を訪ねるといい」


「なんで、みんなここで住まないの?」


「統合監督部の連中は、一階……地表の建屋にはいた。君たちが知らないだけで、結構な人数がかの施設に関わっているよ。そして『子と親は引き離す』それが強烈な帰依きえを生み出す」


「キエ……? なんかよくわからないケド……」


「杜倉くん。私はさっき、自分が臆病だと言った。不安だとも」


「はぁ」


「そして、こうも言った。核が必ずしも国家間のみで使われるワケではない、と」


憂理が学長の言葉をゆっくりとかみ砕き、ようやく頷いたところで学長の言葉が続く。


「MFをふくむドゥームズデー・カルトにとって、終末は『既定路線』で『約束された未来』だ。世界の破滅、黙示録の世界。それが『来て欲しい』のではない、『来なければならない』んだ。予言は成就されねばならないし、人類は審判を受けなければならない――」


「ならない……」


「こんな事を言う私を君はバカにするかも知れないが、我々、ないし他の……」


「えっ?」


「いや、やはりつまらない推測はやめておこう」


「別につまらなくないよ?」


学長は小さく微笑んで、小さく首を振って、小さな声で続けた。


「……終末思想の歴史を紐解けば、破滅をうたう集団は、必ずと言っていいほど自発的な行動に出ている。温厚なものでは集団自殺、過激なものでは無差別テロ……。そうやって自分や周囲に害をなすことによって『終末予言』を成就させようとする。予言は成就されねばならない、と」


「メサイアズ・フォーラムも予言を成就させようと?」


「私だって、いささか考えすぎかと思う。だがね……。人の心は複雑で、常識で割り切れないものだ。そしてその複雑な心に宗教心という燃料が加われば……」


憂理は肯定も否定もできない。

学長の話はあまりにも荒唐無稽に思えたし、逆に荒唐無稽すぎて説得力があるようにも思えた。


「外の状況もわからず、情報が不足している。こんな状況であれこれ考えるのが臆病の証だな。もし、杜倉くんが『知る』必要に駆られたら、京都の南山城を訪ねるといい。そこに本部がある」


「俺の親もそこに?」


「どうだろうな。私は一施設の管理者でしかない。他施設のことや人事の動向はさっぱりだ。だが……」


「だが?」


「路乃後くんの――」


学長の言葉の途中、突如として医務室のドアが開かれた。ふわりと空気が動いて、肌をくすぐる。


「帰ったぜ」


現れたのは偵察に出ていた翔吾とエイミだ。エイミはベッドを埋める仲間たちを見て、眉にしわを寄せた。


「アンタたち! なに寝てんのよ! チャンスよチャンス! 寝てる場合じゃないって! なによ、菜瑠まで!」


エイミが大騒ぎして医務室内を駆け回り、寝ている仲間たちを次々に起こして回る。


「なにがチャンスなんだ?」


憂理に問いに、翔吾が答える。


「深川出没注意報が発令されたみてー。半村奴隷がそこらじゅう走り回ってる」


出没注意報と言われれば、熊を思い出してしまうが、出会えば襲ってくると言う意味で扱いが似ているのかも知れない。

なるほど、深川か。憂理は、半村が言うところの『ロックしすぎ』の女教師を思い起こした。脱出について回る問題の一つである。


――ケド。

憂理は唇に指を当てて考えた。


脱出への障害であった深川が、いかにも障害らしく暴れ回ることは、この際、好ましいのではないか。

深川が暴れ回って施設内が混乱すれば、それだけ憂理たちに対しての警戒も薄れるだろう。


「なるほど、チャンスか」


憂理は素早く自分の荷物へと駆け寄ると、部屋中に響くほどの大声で言った。


「行こう! 今しかない」


仲間たちのそれぞれが、それぞれの思考を経て憂理と同じ結論に達したらしく、皆の行動が早い。

口々に軽口や冗談が飛び交うも、出発を否定するものは1人も居ない。


思いのほか早く、全員がドア周辺に集合するも、菜瑠はまだ学長の側にいる。

置いてはいけない――そんな目で学長を見て、そして憂理を見る。そんな少女を見つめる学長の視線は思慮に満ちあふれていた。


「路乃後くん。杜倉くんと行きなさい。私は大丈夫だ」


「でも……」


「仕事が残っているんだ。やり残した……大切な仕事が」


それでも菜瑠は下唇を噛むばかりで動こうとしない。


「おい! ナル子! 行くぞ!」


「わかってる! わかってるけど!」


すると、学長が言った。



「ある……少女が、草原を歩いていた」


急に何を言い出すのかと、全員の視線が学長に集まる。


「草原に、鳥が横たわっていた。仰向けに寝て腹を見せて、軽そうな両羽を空に向けて」


学長の説教が始まる雰囲気を憂理は察した。こうして学長がたとえ話を始めるのは、多くの場合説教の前兆だ。

だが、その視線はいつになく優しい。学長の言葉は続く。


鳥を見つめながら少女は言った。「鳥さん。あなたはそんなところで何をしているの? なんだか、凄く滑稽だわ。具合でも悪いの?」と。


訊ねられた鳥はこう言った。「空が落ちてくるという噂を聞いたから、こうやって、落ちてきても僕が支えられるように用意しているんだ」


少女は笑った。そして言った。

「空が落ちてくるわけがないし、だいいち、仮に落ちてきたとしても、アナタのその小さな両羽で支えきれるわけがないわ。無駄よ」


すると鳥は言った。

「そうかも知れない、そうじゃないかも知れない。でも僕は僕に出来ることをやってる。君も、君にできることをしろよ」


学長は一呼吸置いてから、ニコリと笑った。


「私も私に出来ることをしようと思う。こんな体で、無茶だとしても、滑稽だとしても、手遅れだったとしても。……だから、路乃後くん。君も君に出来ることをしてほしい」


「学長先生……」


「行きなさい。もう、空は落ちてきている」


この言葉に決心が付いたのか、菜瑠は視線に力をみなぎらせて小さくお辞儀をした。


「行ってきます。助け、呼んできます! きっと!」


学長が頷くと同時に、菜瑠が小走りにドア前の一団へと合流した。

憂理はベッド上の初老の男へ小さくお辞儀をして、小さな声で別れの言葉を送った。


「俺も、俺に出来ることをします」


そして、一呼吸を置いてから気合いを入れる。

空は落ちてきているかも知れない。自分たちは非力かも知れない。全部が間違っていて、すべてが手遅れかも知れない。


だけど、今自分に出来ることがある。それは、恐れないこと。なるべく……諦めないこと。

杜倉憂理は両手で頬をパチリと叩き、声を張り上げた。


「さぁ! 行くぞ!」




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