6-6 医務室にて
ユキエの毒に当てられて、医務室のドアをくぐるまで誰も口をきこうとしなかった。
危機的状態での軽口こそが『杜倉グループ』と称される集団の、唯一の美点ではなかったか。
だが、その美点を実行するに、あまりにも気分が重すぎた。
憂理などはドア向こうにいた翔吾の脳天気なアヒル口に腹がたったほどだ。
「おせーよ。宇宙人にでもさらわれたかと思ったぜ」
ぞろぞろと医務室に入ってくる後続組に、先行した翔吾たちの視線がそそがれる。
「ちょっと……色々あってな」
「ふうん。まぁ、生きてりゃ色々あるしな」
「学長は?」
問いかけると同時に憂理は学長の所在を捜した。
一番右、右から2番目、その隣。そこに学長を見つける。
あいかわらずベッドに眠る学長は、最後に見た時から何の変化もない。施設の生徒たちが激変の中にあるというのに、学長だけは何も知らずに意識を失っている。
「生きてる……よな?」
「たぶん。息はしてる」
菜瑠が足早に駆け寄って、学長の様子を看だした。すっかり溶けた氷袋が、形を崩しては枕の横に広がっている。
憂理に先だってケンタが荷物を下ろし、憂理もそれに倣った。
空いたベッドに座る者、机の上に座る者、立ったまま壁に背を預ける者。ようやくのチェックポイントで、ようやくの重労働からの解放。もっとも憂理などは荷物よりも気分の方が重かったが――。
「で――。これからどうすんだ? 中央階段も半村奴隷がおさえてるケド」
それでも行かなきゃ。迷っている時間がどうしょうもなく惜しく感じたし、焦りもあった。このままこの施設にとどまって、いいことなんてひとつもない。
翔吾が遼にコメントを求め、それにケンタが加わり、エイミが笑う。ようやく戻ってきた軽口の応酬を横耳に聞きながら、憂理は学長のベッドへと歩み寄った。
氷袋を回収する菜瑠に訊ねる。
「学長……どうだ?」
「腫れはかなり引いてるけど……」
そうか、と小さく応じて、憂理はじっと学長を見下ろした。眼鏡も権威も失って、ただ眠り続ける初老の男。
こうして見下ろしていると、憂理の胸に奇妙な感慨が沸き上がってくる。
授業なんて嫌いだった。勉強なんて嫌いだった。だからいつも斜に構えて、学長の話も話半分、いや4分の1以下で聞いていた。
なのに、施設がこうなってから、ことあるたびに学長の言葉が思い出された。
そして、それらが思い出されるたびに憂理は悩み、考えた。
指針などと言う大層なモノではない。ただ考えるキッカケのようなモノを学長の言葉から得た。それを教育とよぶのか――憂理にはわからない。
だが、この初老の男の顔に刻まれたシワの一つ一つに『やるせない思い』が、『割り切れない思い』があるように思える。
学長も、もしかしたら、自分と同じように悩み、苦しみ、考え込んでいるのかもしれない。
そしてまた、自分と同じように怒りを覚え、悲しみに暮れ、思考の堂々巡りを繰り返しているのではあるまいか。
「あっ!」
学長の顔を濡れタオルで拭っていた菜瑠が、すっと手を引いた。
見れば、学長の瞼が小さな痙攣を見せ、それに呼応するかのように唇も震えた。菜瑠が自らの手を憂理の腕に絡め、ギュッと力を入れてくる。
憂理は、息をのんで、学長の小さな変化を見守る。
じっと観察していると、学長の眉間に新たなシワが生まれ、それも消えて――やがて瞼が開いた。
菜瑠の手に力が入り、憂理も眉間に力が入る。
学長の灰色の瞳が、天井を見つめ、閉じられ、再び開いて、憂理と菜瑠に向けられる。
「学長先生」
菜瑠が問いかけるように初老の男の名を呼んだ。だが反応はない。ただ彼の瞳は2人の若い男女に注がれる。
「学長先生」
もう一度、確認するかのように菜瑠が言う。すると、学長の乾ききった唇が動いた。
「路乃後くん」
学長が意識を取り戻した。憂理は自らの上半身に高揚をともなった震えを感じた。
菜瑠が憂理から離れ、学長の手を取った。
「君は……トクラくん」
「はい」
「私は……どうして……」
独白するかのように学長はつぶやき、やがて忌まわしい記憶を呼び戻した。
「そうか……半村くんが」
菜瑠がわんわんと泣くが、憂理はなるべく感情を押し殺した。
「無事じゃないけど、無事で良かったです。学長先生」
素直でない憂理の言葉に、学長は喉の奥で力なく笑い、空いた方の手を菜瑠の頭にのせた。
「いまは、どうなっているのかね」
「どこから説明して良いか……」
学長の意識が戻ったことに気がついた者たちが、ゾロゾロとベッドに寄ってくる。
周囲を囲まれた学長は、それぞれの生徒の顔に視線を配りながら、憂理の説明を聞いていた。
半村による支配、深川の暴走、タカユキの独立、世界終末説。
最後まで黙って聞いていた学長は、ベッドに横たわったまま、目を閉じ、「そうか」とだけ言った。万感の思いがこもったような、そうでないような短い言葉。
「学長。外はどうなってるんですか」
自分たちが脱走する心づもりであること、世界終末説が施設の内部にただならぬ影響を与えていること、憂理が言い終わるまで学長は目を閉じたままだった。
「路乃後菜瑠。杜倉憂理。君たち2人が共に行動しているのは……意外なことだ。いや……意外ではないのか。七井翔吾に稲上健太。畑山遼に永良四季。芹沢嬰美に坂本甚六、坂本由紀、坂本尚……」
「そういうのはいいから、学長。外どうなってんの?」
翔吾が不遜な態度で学長の言葉を遮った。
「半年前から連絡が途絶えたことは半村くんから訊いているんだね。ではどこから話せばいいか……」
学長は深呼吸するかのように肺を大きく上下させ、やがてポツポツと語り始めた。
最初から話そう、知っている者もいるだろうが、と前置きを置いてから。
メサイアズ・フォーラム。それがこの施設を管理する宗教団体名だ。そして、その新興の宗教団体がこの施設のある山を所有している。
無論、旧日本軍の研究施設があったことを知った上で地権者から買い取った。
地権者は債務処理の競売でこの山を手に入れた。山間を横断する高速道路の建設計画を耳にして、いずれ高値で売却できると踏んだからだ。
だが、高速道路建設計画は他の山の地権者が権利を売却しなかったことで頓挫、結局この地域の山は『ただの山林』となってしまった。
メサイアズ・フォーラムは旧日本軍の秘密施設があったことを知り、この山の地権者に売買を持ちかけた。無論、地権者はもてあました土地を売却するまたとない機会に飛びついた。『渡りに船』というわけだ。
そして、建設されたのがこの施設だ。メサイアズ・フォーラムの重要施設、通称メサイアズ・ファーム。東方に生まれると語り継がれた救世主。こここそが、その土地。教義では世界崩壊の前に救世主が生まれるとされた。
「えっと、意味わかんないんだけど」エイミが唇に指を当てながら首をかしげた。「アタシらが救世主ってコト?」
「芹沢くん。すこし違う。事実を言えば、『救世主が生まれる』のではなく、『救世主になる』場所でもない。『救世主だと思い込まされる』場所だ」
学長は目を開き、天井を見つめて続ける。
メサイアズ・フォーラムは、入り口――表向き――は神の救いを信じる敬虔なキリスト教の分派だが、実際にはドゥームズデイ・カルトだ。世界の終わりを信じる者たちの集団だ。
その終末思想に、救世主という色付けをたせば、信者から多額の金を引っ張れる。実際に、多数の親が自分の子供を『特別』だと信じていた。
無論、この施設にいる子供たち全ての親がそうではない。――『教育無償』の看板に騙された親も居る。
そう言って、学長は菜瑠の方を見た。
「終末カルトとして、この施設は完璧だった。最終戦争が起きても、破局的終末が訪れても、地下深くにあるこの施設に居れば生き残れる。シェルターというわけだ。そして、そのための設備も完璧を期された」
「小型の原子炉……ですか?」
遼が口を挟むと、学長は微笑んだ。
「畑山くん。知っているのか?」
「えっと……下の階で……」
「……そうか。だがアレは計画だけだ。この施設の電力をまかなっているのは地下水流を利用した水力発電と、地熱だよ。メンテナンスさえすれば、ほぼ半永久的にエネルギーを生み出す。100年でも、千年でもこの中に閉じ籠もれる」
学長は優しい目をして、その反面、唇だけを歪めて続けた。
この施設の機能をこうして実証することになったのは皮肉なことだ。実際に、外がどうなっても、普通にしばらくは暮らして行けることが実証された。
「じゃあ、外はホントに……」
「杜倉くん。あらゆる電波が絶えて、本部との連絡もつかない。外は昼も夜もない灰色の世界となっているよ。私自身、終末思想などというものをバカにしていたが、実際にこうなると……予言と言われるモノにも少しの事実が含まれているのかも知れない。終末は訪れたのだから」
「学長先生も……信者なのか?」
「私は、地権者だ。この山を投資目的で買った『資本主義の申し子」だよ。教師の仕事の傍ら、金を生み出すシステムを捜していた。資格を買われて雇われたんだよ。だから正直、教義などというモノには興味がなかった」
「で……教義は正しかった?」
「杜倉くん。私はね、腐っても教師だ。自分の生徒から『希望』を奪うようなことはしたくない」
「でも……終わったんでしょ?」
「……私は地殻変動による、火山の噴火を疑っている」
これには遼が反応した。
「でも、半年前からずっとなんでしょう? こんな長時間噴火し続けるなんて……」
「そうだね。だから破局的噴火というやつだと考えている。ちょうど、半年前に大きな地震があったんだよ。この施設でも揺れは感じたはずだ」
仲間たちが顔を見合わせ、首をかしげあう。
――あったかな。――あったかしら。
「その地震によって、地殻変動をきたし、一部の休火山が活動を始めた。無論、噴火をともなってね。巻き上げられた火山灰が電磁を帯び、通信はもとより太陽光も遮断する。深川先生や半村くんが主張する世界終末――これがその真相だと私は考えている。もっとも……ソレだけでは説明が付かないことも多いが」
「じゃあ世界は……」
「終わってなどいない。外で大災害やそれに起因する混乱が生じていることは確実だが、それもおそらく局地的なことだろう。この中部地方、東海、近畿あたりは壊滅的打撃をうけているだろうが、そこだけが世界ではないよ」
憂理は急に腑に落ちた気がした。
たしかに、ケンタの言う『真っ暗な空』も半村の言う『外界との連絡断絶』も、学長の説明で納得できる。しかし――憂理は考える。
「でも学長先生。それならどうしてこんな、施設内に閉じ込めるようなまねを」
「自信がないからだ」学長はきっぱりと言った。
「多くが火山の噴火で説明できる。規模が桁外れ、前代未聞ではあるが、説明は付く。だが自信がない。もしかすると、火山噴火などでなく、核戦争が始まったのかも知れない。そうならば、外は放射能にまみれ……」
「戦争なんて!」
学長の仮定があまりにも非現実的に思えて、憂理は否定した。核兵器による攻撃なんて、あまりにも荒唐無稽ではないか。
だが、学長の表情は崩れない。
「国家間での核攻撃など、ほとんどあり得ない。私だってそう思う。だが、核がテロの手段として使われない保証はないんだ。武器は使うために作られる。人類は『使える武器』だからそれを持ち続けてきた。そして、敵対しあっているのは国家と国家だけではない」
「でも……」
「わかるよ、杜倉くん。こんな仮定は現実的じゃない。でも、わからなかった。私では判断が付かなかった。判断が付くまで、閉じこもっていよう。臆病な私はそう考えたんだ。深川先生は反対したが」
深川にとって、この状態は『来るべくして来たもの』でしかなく、最終戦争の始まりでしかない。
この施設は善と悪の戦いにおいて、善の指導者を育成する目的で作られた。ならば、いまこそ神の名において神の子たちを送り出すべき。彼女はそう主張した。――実の娘が死ぬまでは。
「私はね、杜倉くん。深川先生とは違うタイプの理想主義者なんだよ。人間の力を、善意を、信じている。人間は神に頼らなくとも、救世主などいなくても、世界を守り、変えて行く事が出来る。そのために知識を分け合い、手を取り合うんだ。外がどうなっていたとしても、君たち若い世代がいる限り、『終末』なんてあり得ないし、絶望なんて存在しない。そう言う意味で君たちが救世主というならば、私は反対しない」
なにやら、ひどく大層な話になったような気がする。
宗教色を感じさせる授業などがあった気はするが、自分が新興宗教の主催する寄宿学校で救世主として教育を受けていたなど――。
自分の両親はむろん、この事実を知った上でこの施設に送り込んできたのだろう。だとすれば、この『教育』はあまり上手くいったとはいえない。憂理自身、教育を受ければ受けるほど、神の存在に疑問を覚えたからだ。
「地下階にリストがあった」
そういえば、と憂理が問うと、学長は表情ひとつ変えずに答えた。
「入居予定の児童たちだろう。フォーラムは宗教色を隠して、通常の寄宿学校としての募集も行っている。無論、その子供たちを通じて、親を入信させる目的もあるが。多くの場合、問題児たちが集まってきているのが皮肉なモノだが」
学長の目にはあきらめの色がある。
この人はきっと、フォーラムとは違う形で、子供たちを啓蒙したかったのだろう。
自分の得意とする歴史学というものから、人類の偉業を、ため込まれた知識を学ばせ、本当の意味の救世主を養成したかったのではないか。
「俺たち、脱走するよ学長。ここが何の施設でも、いまの俺たちには地獄だ。外に出られるルートを教えて欲しい」
「そうか……。エレベーターの鍵を……」
「半村が持ってる」
「ならば……地下階から貨物搬入の経路を使うと良い」
これにはケンタが反応する。
「なんかシャッターが閉まってたよ」
「そうだ……。あれは古いモノでね。ハンドルを回して開けなければいけない。シャッターの脇にハンドルボックスがあるはずだ。それを立てて、時計回りに回せば開くはずだ」
「学長先生もいこう?」
菜瑠が学長の手を握るが、学長は弱々しく微笑むばかり。
「私はいい。腐っても、この施設の責任者だ。それに……右足に感覚が無いんだ。しばらくは動けそうにない」
「でも!」
「すこし、疲れたよ。路乃後くん。少し、眠らせてくれ……。少し……」
そう言って学長はゆっくりと目を閉じた。胸郭が上下している所を確認すると、憂理は仲間たちを見回した。
「よし……。ちょっと休憩したら出るぞ」
その言葉に頷くどの顔も――救世主と呼べるタマではなかった。
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