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13月の解放区  作者: まつかく
6章 エデンの地下で 
53/125

6-5 少年と女主人

体育室へ戻ってみると、ジンロクによる『授業』はすでに終わっていた。


敷かれたままの寝床周辺に教師とその教え子たちが車座になって座っている。

車座の中から猫科の少年が憂理を見上げる。


「おいユーリ。このブタに一言いってやってくれよ。コイツ、シャワー浴びようとしないんだ。昨日の晩も入ってねぇのに」


ケンタを見ると、疲れ切っているのか、例の地蔵スタイルで固まったままだ。肩が動いているところを見ると、一応生きてはいるらしい。


「おい、ケンタ。シャワー浴びろよ」


我ながら、情けない。なぜ自分がいちいち母親のような事を言わなければならないのか。

するとケンタは憂理を見上げて、顔をしかめる。


「うるさいなぁ。汚れたら入るよ」


「汚れてるだろ。面倒なのはわかるけど」


菜瑠とエイミが露骨に嫌な顔をする。むろん、それらを向けられたケンタだって嫌な顔をする。


「ほっといてよ。1日や2日風呂に入らなくても、死にゃあしない」


「お前が死ななくても、周りが死ぬんだよ。入らなきゃ置いてくからな」


ここまで言われてようやくケンタは動き出した。

面倒くさがりというのは、本人以上に周囲も面倒なものだ。ケンタがタオルと着替えを用意しだしたのを確認して、翔吾は満足そうに頷き、肩をすくめた。


「で、どうすんだ。もう出るのか」


「そうだな。でも、脱出ルートが思いつかない」


憂理は偵察してきた昇降路の状態を細かく説明し、翔吾の反応を待った。


「普通に生活棟を突っ切っていけばいいじゃんか」


やはりか。このさい、シンプルな答えが一番正しいのかも知れない。


「俺もそれしかないと思う。でも、みんなはそれで良いのか? たぶん、あぶない目にあうケド」


まず菜瑠を見ると、彼女は真っ直ぐな視線を憂理に注ぎ、やがて無言で頷いた。

エイミを見ると、眉をしかめながらも菜瑠の動きに従う。

四季はピクリとも動かなかったが、そのぶん翔吾が派手に動いた。座ったままの姿勢でモップ柄をグルグル回して、言う。


「やるしかねぇ、だろ。降りかかる火の粉はよう。なぁ、ロク」


「そうかも知れんな。でも俺は自分と弟妹の身を守る意外はなにもしないぞ」


幼い弟くんは、幼いながらの厳めしい表情を作り、コクリと頷いた。

場にいる全員の意志は統一された。ケンタはどうせYESであろう。


だが遼はどうだろうか。あの軍師様は何かしらプランを持っているんじゃないか。それを確かめてからでも遅くはない。憂理は床に腰を下ろし、天井を見上げて言った。


「遼を待とう」


ジンロクの弟妹が朝寝を始め、だらしなく横になった翔吾がアクビをし、それがケンタに伝染したころ、ようやくダンボールを抱えた遼が戻って来た。


だがやって来たのは遼だけではない。


眼鏡の少年の右にはタバタ、そして左にはイツキが付き添い、彼女たちも遼と同じようにダンボールを抱えている。

イツキの目が憂理に止まると、憂理は本能的に目をそらした。


「……トクラくん。外に出るなら水もいるよね」


「ああ……。そうだな」


イツキとタバタがダンボールを床に置く。


「これ、ペットボトル。冷水機の水を入れといたから……」


「ああ。助かる」


居心地の悪さに憂理はイツキから目をそらしたまま返事をする。それでも横目に感じるイツキの視線が憂理の罪悪感をチクチクと刺激してくる。

全裸で抱き合った仲。一線を越えかけた男と女。


イツキに見つめられているのと反対側の頬に、翔吾やケンタの視線も感じる。


気まずい空気を感じとり、ピクリとも動かない仲間たちだったが、ジンロクは違う。

のっそりゆらりと立ち上がり、床に置かれたダンボールに歩み寄る。


「じゃあ……私たち行くね」


結局、視線を合わせないままにイツキたちが踵を返した。

背を向けたイツキ。その背中をチラリと見た憂理は自己嫌悪に胸を悪くする。なんだか自分がひどく卑怯者になった気がする。

ひどく軽薄で、ひどく冷酷な自分を発見したような気がする。


それでも一秒でも早く去って欲しい。それでこの気まずさから救われるのなら。

だがジンロクの声が彼女たちの足を止めさせた。


「待ってくれ」


その声にイツキとタバタはピタリと足を止め、申し合わせたかのように2人同時に振り向いた。


「このペットボトル。開いてるな。開封してる」


これにはタバタが応じる。


「ミネラルウォーターの入ってたボトルに水を入れただけだから」


「そうか。できれば開ける前のヤツをくれないか」


ジンロクの言葉を最後に場はシンと静まり返った。広すぎる体育室の、うすら寒い静寂。

無表情のイツキとタバタ。その瞬間の2人は、四季よりもロボ子だった。


好意で貰った物にケチをつけるのは、あまり褒められた行為ではない。ここで仲間の誰かがジンロクの無神経な発言を批難するか――と思いきや、誰も声を上げない。

ただ、ザラつくような緊張感だけがあった。


やがてタバタの唇が小さく動き静寂を破った。


「どうして」


「弟たちが腹を壊すかも知れんから――だ」


「それ冷水機の水だよ? 水道の生水じゃない」


ジンロクの考えは憂理にもわかる。

だが、『お前らが毒を盛ってるかも知れないから』などとは憂理の口から到底いえない。ジンロクの言葉は良く言えば率直であったが、悪く言えば愚直でしかない。

なにもこの場で新品を要求などせずとも、イツキとタバタが去った後、自分たちで中身の水を入れ替えれば済む話なのだから。


憂理は素早くフォローした。


「いや、水道水じゃないなら大丈夫だ。俺ら育ちが良すぎて、生水がダメなんで。な、ロク?」


「いや、そうじゃ……」


「大丈夫だってば、ロクよ!」


無表情のイツキとタバタにようやく表情が戻った。

それは申し合わせたような微笑。その2人の微笑に、どこか安堵の色があったように思えたのは憂理の思い過ごしだろうか。


「トクラくん、地獄の皇太子って言ってたのに水道水がダメなんて。なんだかカワイイ」


イツキなりの冗談。悪意なき軽口か、あるいは腹を探る言葉か。


「皇太子だから育ちが良すぎるんだよ。でも生水はマジで駄目。医者に止められてるんで」


「またー。お医者さんとかウソでしょー」


「ホントだよ。獣医だけどな」


イツキとタバタがケラケラと笑った。

――ナイス、トクラ。

憂理は2人の笑い声が消える前に仕上げに入った。


「じゃあ、そういう事なんで、サンキューな。引き止めて悪かった」


「うん」


再び彼女たちが踵を返したのを確認してジンロクに目配せした。仮になにか仕込まれていたとしても、騒がないほうが賢明だ。

自分たちの警戒で済むならば、最大限に警戒していればいい。現時点でT.E.O.Tたちを刺激して、得になる事はないのだから。


やがてイツキたちが体育室から出て行くと、ようやく憂理は緊張から解放された。


「……ロク。『何か』を水に混入されてても、中身の水を入れ換えりゃ済む話だろ。変に刺激すんなよなー」


これには菜瑠が反応した。


「なんか入れられてたの!?」


場に漂っていた奇妙な緊張感の原因を知ったことで、エイミや翔吾も騒ぎ出し、四季を除いた仲間たちの眉間にシワが生まれる。

皆が昨晩の憂理と同じく『まさか、そこまでしないだろう』と口々に言い合う。


だが憂理自身の見解は、先ほどイツキたちが見せた『安堵の色』によって変化していた。

ジンロクが頭を掻いて言う。


「反応を見ようと、カマをかけてみたんだが……。どうも深読みが当たってたんじゃないか」


昨晩、差し入れを食して以後、弟妹が体調を崩した件についてジンロクが言及すると、眉間の寄った顔のいくつかが青ざめた。


「でも……」ナル子の表情が険しい。「そこまでする意味ってある? 私たちを毒殺にでもする気ってこと?」


菜瑠の腕組みがジンロクに伝染する。


「わからん。俺だってそんな風に思いたくはない」


微かな引っかかり。それはジンロクだけが感じるものではない。憂理だって心の奥底のどこかに小さくささくれる何かを感じていた。だがソレが何なのかを明言できない。


「とりあえず……」憂理は疑念や懸念を振り払って言った。「準備はできた。だろ? 遼」


名を呼ばれて、ぼんやりしていた遼がようやく思索の世界から戻ってきた。


「……うん。そうだね……」


こいつも『ハッキリしない何か』を考えていたようだった。


「なんだよ。なんかあったの?」


「いや……。なんでもないよ。食糧の準備は完璧。リュックサックも」


エレベーターが使えない事を遼に伝えると、メガネの少年は別段驚いた様子もなく、ただ「そう」とだけ応える。


「よし……。じゃーいくか。生活棟を突っ切っていく


憂理は立ち上がり、仲間たち1人1人の顔を見回してから自分が思い描いた脱走ルートの説明をした。


まず、中央階段から生活棟に降りる。

生活棟では回り道となるが学長の様子を見るため医務室へゆく。

それから地下階へ。タカユキのノブを使い、地下階へ侵入し、ガクの様子を見る。今となっては解放しても良い。そして大区画へ。

以前の脱出の際に置き忘れた荷物も回収せねばならない。


最後に大型エレベーターを使用して地表近くまで上がり、脱出。説明が終わりきる前に、ケンタが手を挙げて質問した。


「シャッターはどうすんの? アレがあるから出られないよ」


「どうにかする。どうせ、どっかに昇降ボタンなり、コントロールパネルなりがあるだろうしな。開かないシャッターなんて、この世には存在しない」


こちらには遼も、四季もいるしな、と憂理が付け加えると、遼は頭を掻いた。

リュックサックに食料をつめて、ペットボトルの水を入れ替えて、ようやく準備が整った頃には昼前になっていた。


「よし……行こう」


憂理は3つあるリュックサックの1つを背負い上げた。

予想以上の重量にすぐさまギブアップを宣言したいところだが、ケンタとジンロクが担いでいる以上、手が空いているのはケガ人の翔吾と貧弱な遼しかいない。

この2人に押し付けるのも情けない話だ。


「重い?」


冴えない憂理の表情を察した菜瑠が気遣ってくる。


「ああ。床に穴が開くぐらい」


地下階まで直通の穴が開けば、脱出は楽になるかもな――などと軽口が浮かぶ。心配そうな菜瑠とは対照的に、エイミはニヤニヤ笑うだけだ。


「江戸時代の行商人みたいだわねー。似合うわー」


「じゃあ、リュックサックの中身は、お前らに売ることにする。タダで飲み食いできると思うなよ。行商なめんな」


軽口と悪口の応酬を繰り返しながら、一行は体育室の出口へと向かってゆく。

暴力からの逃避行。こんなものを『楽しいピクニック』とは到底言えないが、笑い声は絶えない。

しかし泣き声、泣き言の行列よりは遥かにマシだと憂理は思う。明るくやれるうちは明るくやろう。


なのにケンタが泣き言を吐いた。


「ダメ、ムリ、ヴェリーヘヴィー。誰か代わってよ。もう死ぬ、もう駄目、もう無理」


「かーッ。情けないな、お前はよ!」


「じゃあ翔吾が担いでよ!」


「アホか! ケガ人だぞ、俺は。ケガ人に重労働させたら、お前、あの世でナイチンゲールとマザー・テレサにド突き回されるぜ」


「じゃあ、遼。代わって」


「無理だよ。医者に止められてるんだ」


「医者に?」


「獣医だけど」


「パクんなよな」


遅々として歩みは進まず、口先ばかりが回転する。

それでもようやく体育室から中央階段付近へやってきた頃、菜瑠が憂理の真横にピタリとついた。


「……ユーリ。見た?」


「ん? ケンタの汗か? 水飴みたいでキモいよな」


「違う! そうじゃなくて。いまさっきエレベーターのほう見た?」


「いや。荷物が重すぎて床しか見てない」


すると、菜瑠が声をひそめて耳打ちしてきた。


「さっきの……宇都宮って人が、またエレベーターのところにいたよ」


「また?」


「うん。また昇降路をのぞき込んでた。怪しいと思わない?」


些細な事を気にする女だ。憂理はみじめに床を見つめながら前進を続ける。


「いやな、ナル子な。怪しいとか、怪しくないとかじゃなく、アイツはアホなんだ」


「……アホ?」


「そうだよ。アホだ。たぶん……さっき『昇降路からの脱出不能』を確認したのを忘れたんだろうな。アホすぎて」


憂理が話に取り合おうとしていない事に気付くと、菜瑠はムッとして腕を組んだ。

怒るのも理解できる。だが、身軽で気ままな菜瑠と違って、憂理は重労働を課されているのだ。歩くのが精一杯。

なんだか政治家と労働者のような格差すら感じる。


「気にしてもしゃあねぇよ。俺らには関係ない。考えてる余裕なんてない」


菜瑠はムームー言うが、いまさらエレベーター付近まで戻るワケにもいかない。


目の前には中央階段、T.E.O.Tのバリケード。ようやくで1つ目のチェック・ポイントにたどり着いたのだから。



 *  *  *



行商スタイルの憂理に代わり、翔吾が最前列で交渉にあたる。


事前にタカユキからの指示があったのか、門番をしていた少年たちは厳めしい表情を作りながらも道を開けた。中央の小道を封鎖していた椅子を手際よく撤去してゆく。


――なにやってんだろな。


憂理は少年たちの作業を眺めながら感慨に耽った。

ついこの間までは皆が規則正しく生活していた。それが今や派閥を作り、対立し、睨み合う。

憂理自身、『杜倉グループ』という第3極にカテゴライズされ、半村派でもT.E.O.Tでもない道を行こうとしている。

みなが仲良く手を取り合って――など幻想でしかないと理解はしている。

だが、こうも簡単に反目しあって良いものなのか。


「これでいいだろ?」


門番の少年が仏頂面で言うと、それとは対照的に翔吾が明るく応じた。


「おう、サンキューサンキュー。じゃ、俺らは行くから、後は自由にやってくれ。好きなだけ新世界を満喫しな」


皮肉まじりの謝意をあらわし、翔吾が先頭となってバリケードの小道へ入る。翔吾が手にしているモップ柄が杖のようで、憂理は海を割ったモーゼを連想した。

翔吾に続いてエイミ、ケンタ、坂本弟妹、四季、そして憂理の背中を菜瑠が押す。


「いこう?」


バリケードの海を越えて、憂理たちは生活棟へと降りて行く。

上階と生活棟の間にある数十段の階段。ここが思想の境界だ。利己的な暴力と、独善の秩序の境界。さらに地下階へ下れば、そこは自由へと続く空間。

天国というのは必ずしも『見上げる』ものではないらしい。


半村奴隷たちが占拠する生活棟も、やはりバリケードによって侵入者を拒絶していた。そしてやはり門番らしき存在がいる。


「なんだ、お前ら!」


門番の発した声は、憂理たちへの威嚇よりも、自分の仲間たちへの呼びかけにも聞こえた。


「通りたいんだけど」


呼びかけによって集まってきた半村奴隷たちが、バリケードの向こうでなにやら囁きあい、やがて返答がなされた。


「ダメだ。誰も通すなって言われてる」


「誰から」


「ユキエさんだ」


なるほど、やはり取り仕切っているのはユキエであるらしい。彼女の名前に敬称が付けられているのが、いかにも階級社会を象徴しているように思えた。


「じゃあ、ユキエを呼んでこい」


「お前ら、トクラグループだな」


「かもな」


門番たちは再び耳を寄せ合い、首をかしげ合い、やがて合意に達したのか『小道』の封鎖物を取り除いてゆく。

そうして通路は完成するが、門番たちは道を空けない。


「ユキエさんが来るまで、そこにいろ」


「なによ」エイミが厳めしい顔をして抗議する。「生活棟はアンタらのモンじゃないでしょ! なんでイチイチ許可をもらわないといけないのよ!」


そうだそうだ、と翔吾やケンタもヤジっぽく抗議する。

だが門番たちは議論するつもりもないようで、ただ仏頂面を並べるだけだ。バリケードは階段全体を封鎖しており、地下階への道も閉ざされている。


ユキエが来たとしても、地下階への通行を許可してくれるだろうか。面倒な手順を踏まねばならない予感が憂理の胃に負担を掛ける。そんな憂理の袖を菜瑠が引っ張った。


「ねぇ、学長先生の様子を見たいんだけど……」


――そういえば、そんな事を言っていたな。

本音を言えば、このまま地下階へ向かいたい憂理であったが、どのみちユキエから良い返事は聞けまい。

生活棟に入る大義名分、表向きの目的として『学長の見舞い』はちょうどいい口実かも知れない――。

それに憂理自身、学長から聞きたいこともあった。もし意識が戻っていたなら……。


「わかった」


憂理の返事とほぼ同時にユキエが『国境』へやってきた。

指導者としての威厳はない。相変わらずのユキエだ。もっとも指揮者としての『凄み』だけは感じさせたが。


「何の用?」


「学長の様子を見に来た。ここを通りたい」


とってつけの理由ではあるが、うってつけの理由でもあった。

だがユキエの細い目は、言葉の薄い嘘の膜を突き破って、憂理を突き刺してくる。居心地の悪い一瞬が過ぎて、やがてユキエが微笑んだ。


「なんで?」


「なんでってお前……。意識不明のままなんだぜ。気にならないのか?」


「気にしたって変わらない。死ぬならソレだけの話よ。どうせみんなタンパク質の塊でしかない」


無数の反論が脳裡をよぎって、やがて消えた。ユキエに対して議論を挑む気にはなれない。この女は諦めているのだ。人間の善意というものを。

言葉を返さない憂理に、ユキエが微笑のまま言う。


「でも、いいわ」


意表を突かれ、憂理はさらに言葉を失った。


「通りたいんでしょう? いいわ。学長先生のお見舞いを許可するわ」


ユキエは幽霊のような軽やかさでスッと道を空けた。

訝しそうな表情のまま翔吾が進むと、他の者もその背中を追う。ジンロクが弟妹をともなって通路を通り、次に菜瑠。最後になった憂理が荷物を気にしながらも通路を通りきると、門番たちが素早くバリケードを再構築してゆく。


見れば、翔吾、エイミ、遼、ジンロク弟妹は足早に医務室へと向かっており、憂理は後続グループとなった。


残されたのは四季と菜瑠。ケンタと憂理だけだ。ケンタなどは『残った』ワケでなく、荷物を下ろして休んでいるだけだが。


「おい。ケンタ行くぞ。立て」


「待って。すんごい重くて」


ケンタを急かして立たせようとする憂理を見つめ、ユキエが首をかしげた。わざとらしく、おおげさなアクション。


「ずいぶん、重そうな荷物ね? 何が入っているの?」


いやさ、脱走のための食糧だよ、などとは口が裂けても言えない。憂理はなるべく平静を装い肩をすくめた。


「大したモンじゃない」


「じゃあ、ここに置いていけば? 医務室に行くだけでしょう?」


「いや、だめだ。ダイエットしてんだ。コイツ、いい加減痩せなきゃ、本当にブタと区別が付かなくなるんで」


「へぇ。じゃあトクラくんの荷物は?」


「俺は、コイツと苦労を共有してんだよ。トレーナーみたいなもん。ほら、立てよ。カロリーと脂肪と魂とボンノーを燃やせ」


我ながら、よくもまぁコロコロと嘘がつけるものだと憂理は感心する。

だが、しょせんは上辺の軽口でしかない。ユキエ自身も荷物が脱走用だと気がついているはずなのだ。


これ以上の追求は避けたい。そんな憂理の気持ちを察したのか、菜瑠がユキエに言葉をかけた。


「半村は……。どうしてるの?」


「いまは寝てらっしゃるわ。怖い?」


そう言ってユキエはクスクス笑う。ユキエという人物から、いつかの殺伐とした雰囲気は感じられない。触れた全てを凍傷にしてしまうような冷ややかさが消え、すこし角が取れた印象を受けた。


「あなた、永良さんだっけ?」


四季が無言のまま頷く。ふうん、とユキエが値踏みするように四季を見つめ、やがて言った。


「あなた、処女?」


予想外の質問に時間が凍り付いた。デリカシーのない翔吾やケンタでさえ、こんな質問は口にすまい。

だが、下世話ながら気になる質問ではあった。黒目だけ動かして憂理が四季をると、機械少女は半開きの瞳でジッとユキエを見つめ返すだけだった。


「処女? 菜瑠ちゃんは処女よね?」


菜瑠も答えない。

気まずい雰囲気がどこからともなく湧きだして、憂理は妙な汗を頭皮に感じた。

なぜこんな事を訊く。そして、訊いてどうする。

この居心地の悪さ。先頃イツキの告白を受けた時とは異質の気まずさ。


見れば、ケンタも同じような気まずさを覚えているらしく、座ったまま黒目をちょこまか動かしていた。黒目が四季に止まり、菜瑠に止まり、ユキエに止まり、また四季に戻る。

居心地の悪さとともに、下卑た好奇心も働いているらしい。もっとも憂理自身も同じようなモノ。

そして、そんな自分に多少失望を覚える。


――ダメだ。

この状況を打破すべく、杜倉憂理は稲上健太を頼った。


「ケンタは?」


唐突に話を振られたケンタ。憂理は期待している。ケンタなら、多少の無茶でも上手く切り返してくれる――。

小太りの少年は一瞬ポカンとしたものの、すばやく目に力を宿した。これは閃きを伝える光。

だが、ダメだった。


「トクラくん。いつもそうね。いつも茶化して誤魔化して。……いまは邪魔をしないで」


ユキエは表情ひとつ変えず、憂理やケンタのでしゃばりを阻止した。そして、四季に向き直る。


「永良さん。あなた美人だわ。憎らしく思うぐらい。私なんて、骨格から駄目だから、仮に整形したとしてもアナタのようにはなれない」


ユキエの言葉に四季がまるで反応しないので、まるでユキエの独白のようになってしまっている。


「美人に生まれたってだけで、誰もがアナタに一目を置く。多少おかしな個性でも、アナタは許される。菜瑠ちゃんだってそう。可愛いから許されてる部分が沢山ある」


「そんなことねぇよ」


思わず口を挟んだ憂理だったが、女性陣の顔が一斉に自分へと向いたことで妙なプレッシャーを感じた。特に菜瑠の視線が重い。

憂理は自分の失態をすぐに理解し、補足した。


「いや、そうじゃないっていうのは、ナル子がブスとか、そう言う事じゃなくて、顔が良いから認められてるワケじゃないってことで。ナル子さんにしても四季さんにしても、努力してるんじゃないかなって、俺なんかは、思ったり思わなかったりする……わけだけど」


なんだか、弁明しているようで情けなくなり、言葉尻から勢いが消える。


「トクラくんは勘違いしてるわ。ブスは生まれながらに重荷を背負って、美人は生まれながらに羽を背負っているの。私が頑張っても80点も取れない。でもこの2人は努力しなくても70点はキープできる。そして努力すれば100点だって簡単に。ホント、腹が立つわ」


ここに来て、ようやく四季が口を開いた。


「100点、70点。――アナタの言うその点数は数値ですらないわ。基準の定めようがない。美醜なんて主観的なモノでしかないのに、それに得点を付けて一般論の飾り付けをするなんてナンセンスだわ」


ユキエの目に攻撃的な光。


「でも、アナタは美人よ。そして私はブス。二人して黙っていればアナタは知的に思われて、私はバカに思われる。アナタは全てが豊かで、私は貧しく思われる。アナタは清潔で、私は不潔。アナタは愛されて、私は憎まれる」


「そんなこと言われても困るわ」


「そうね。こんなの当てつけよね。それで訊いているのよ。アナタは処女?」


四季は時折まばたきを見せる程度で、微動だにしない。相変わらずの半開きの瞳でじっとユキエを見つめる。


「答える必要がないわ」


「これは、アナタのために訊いてるのよ。処女なら、さっさと捨てて欲しいから。菜瑠ちゃんもよ」


ユキエが言わんとしていることが理解できず、憂理はただ困惑した。ケンタも床に尻を置いたままポカンとしている。


「美人はね、人気よ。みんなセックスしたがるわ。だから処女ならさっさと捨てた方がいいわ。最初の1回ぐらいは『良い思い出』にしたいでしょう? だから好きな人とヤるといいわ。アナタたち美人だから、きっと相手もすぐにシテくれる」


菜瑠が神妙な表情で、問うた。


「何を……言ってるの?」


「鈍いわね……。その可愛い顔面の中身はカニ味噌? これからいろんな男にヤられる事になるから、準備しとけって言ってんの」


「いや、お前さ」憂理は唖然としたまま口を挟んだ。「なに言ってんの?」


「何度も言わせないで。今、この施設を支配してるのは半村様よ。半村様を頂点にしてピラミッドができているの。上層に属する者の命令は絶対。『させろ』と言われたらさせるしかない」


なるほど、宇都宮が言っていた階級社会とはこういうことか。ユキエは続ける。

「私はセックスを奨励しょうれいしてるわ。でも、簡単にさせたら意味がない。だから美人は比較的高い階級にしてあげてるの。そうすれば下級人間は手を出せないでしょう? そして美人をモノにするために一生懸命働くの。命令されないために、階級を上げるために――セックスするために、ね」


「アホくさ!」憂理は嫌悪のままに言葉を吐いた。「そんなんで、上手くいくはずないだろが!」


「そうかしら。人間って三大欲求を支配されれば、おのずと奴隷化するものよ。そして周囲全体がその色に染まればますます……」


「んなわけねーよ。いつの時代だよ。ジャワ原人、北京原人の時代でも上手くいくはずがねぇ」


「あら? 上手くいってるわ。階級さえ上げてしまえば、自分の好き勝手に振る舞えるんだもの。佐々木! 佐々木ツカサ!」


ユキエが名を呼ぶと、バリケードの番をしていた少年が、すぐさま駆け寄ってきた。少女か――と見紛うタイプの中性的な少年だ。


「はい!」


「あなた。オナニーして」


「えっ?」


「オナニーしなさい。いま、ここで」


佐々木少年の動揺が彼の顔面にアリアリと浮かんでいる。この衆人環境で、そのような行為ができるわけがない。


「で、できません」


「できる、できないじゃなくて、やるの」


「でも……」


ここで菜瑠のストップが入った。


「やめなさい!」


「菜瑠ちゃん。いつかもそうやって、私を助けてくれたね。いつも、凄く嬉しかった。だから、なるべく貴女のことを大事にしたいわ」


「そんな話じゃなくて!」


「変わったの。全部。環境も状態も施設も。それにはやく気付いて欲しい。……佐々木。ちゃんと出来たらポイントをあげるわ。次の階級にあがるに充分なポイント。出来なきゃ……わかるわよね?」


アナタは一人で生きているワケじゃない。一人で生きていけるワケもない。いま全部が変わった。そのなかでアナタに要求されているモノはひとつ。

命令、即、服従。


ソレが出来ないというなら、アナタこの社会にいられない。出来ないというなら、この社会にアナタは必要ない。


ユキエの説明は雪のように淡々として、佐々木少年に降り積もってゆく。まるで、この無茶な要求が正論であるかのように、雪化粧がなされてゆく。


「や……やりますッ!」


佐々木少年はヤケなのか、ほとんど怒号のような返事をして、素早くズボンに手を掛けた。そして、ズボンとパンツを同時に下ろし、下半身を露出させた。


――マジかよ!?


止める言葉も、なだめる言葉も思いつかない。きっと菜瑠も四季も、ケンタだって状況に飲まれている。

唖然とした視線が集中するなか、佐々木少年は自分のモノを握る。


そうして何度も刺激を加えるが、それは『平時』のままで大きくならない。当然だ。これほどの人数を目の前にして勃起など、まっとうな男なら不可能だ。


「あはは」ユキエは楽しげに笑い、首を振る。「ちっちゃ」


そんな罵倒を浴びながらも必死に刺激を続ける佐々木少年に、今度は優しくユキエが声を掛ける。


「立たないね。仕方ないなぁ。サービスしてあげる」


言うが早いか、ユキエは自分の服をたくし上げて、腹の部分の布を歯で噛んで固定した。露わになった肌に佐々木少年の視線が注がれる。そしてユキエは両手でブラをずらし、胸をも露出させる。


――こいつ、狂ってる!


もしかしたら、半村より、タカユキより、そして深川より狂っているんじゃないか。

ユキエの胸に佐々木の目も血走るが、それは股間に大した効果をもたらさない。

ユキエは噛んでいた服を手に持ち替え、煽るように叫ぶ。


「ほらッ! 興奮したんでしょ! はるか上の階級の私が、アンタみたいな下級のゴミムシに胸を見せてんの! ほらッ! もっとシコりなさいよ! もっと!」


「ケンタ! 立て! 行くぞ!」


憂理の言葉を受けケンタは電撃を受けたかのように立ち上がった。だがその目は佐々木とユキエに釘付けになっている。

菜瑠は完全に目を背け、すでに数歩立ち去っていた。


「四季! 行くぞ」


半開きの目で停止していた四季も、ゆるりと憂理を見て、小さく頷いた。


「これが現実よ! 菜瑠ちゃん! これが現実! 人間なんて、動物よ。言葉の通じる、より命令を伝えやすいだけの動物! みて、コイツ、みんなの前で!」


どこまでも深いユキエの闇。これは、もう救えるレベルじゃない。


「コイツ、あたしみたいなゲロブスのおっぱいで興奮してッ! みんなの前で、オナってんの! アタシの胸で、みんなの前でッ! 見て、菜瑠ちゃん! 見てッ!」


背中に浴びせられる言葉を無視して、憂理たちは小走りにその場を去った。荷物の重みなど、なんの苦にもならなかった。


――言葉の通じる、より命令を伝えやすいだけの動物。


ユキエの意見は、あまりにも『言葉』という概念を侮辱しているモノだったのではないか。きっと、言葉はあんなふうに使われて良いものではない。


『見て、菜瑠ちゃん』そう呼びかける声が憂理の心に不愉快な余韻を残している。

あれは、あの呼びかけは、ユキエにとって過去の自分との決別だったのではないか。――見て、もう私は昔の私じゃない、と。


虐められていた自分が力を、それも圧倒的な力を持ち、虐げられる側から虐げる側へと変わったという報告。権力によって得られた甘美なる変化。


醜い芋虫が、人目を引く蝶となったのか。

あるいは毒々しい鱗粉を振りまく蛾となったのか。


どちらにせよ、あまり感動的な羽化ではなかった。




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