6-4 投降者
ベッドにこだわる杜倉憂理としては、不本意な眠りだった。
ステージ上の床も心地よい睡眠は提供しない。その浅い眠りは、乾いた音によって醒まされた。
カツ、カツと響く乾いた音。憂理が首だけを起こして音の出所を確認すると、体育室の片隅で翔吾とケンタ、ジンロクがチャンバラに興じていた。
木製のモップ柄が触れ合うたびに、カツカツと安っぽい剣戟の音がする。
「こう?」
ケンタが聞くとジンロクは頭を掻いて「違う」と否定する。
「ばっか、こうだよケンタ。だろ、ロク?」
チャンバラはストップし、ジンロクは首をかしげた。
「上手くいえんが、初撃からそうやって頭を狙うのはよくないな。簡単に見切れて、簡単にかわせる。上半身ってのは良く動くから、簡単にかわせる。鈍器の基本は、当てることだ。当てないと空振りしたときに大きな隙ができる。とくに翔吾は片手だから……」
ジンロクの解説は続く。
鈍器は多くの場合、その重量に威力が比例する。それがゆえにナイフなどとは違い、攻撃に失敗した場合のロスが大きい。ゆえに確実に当てる事が肝要。
一撃で仕留めようとするんじゃなく、まず当てる。当てて動きを止めるのを目的とする。
「じゃあさ、胸より下を狙うのがカタい?」
ケンタの質問を翔吾が小馬鹿にする。
「ばっか、要は軸だよ。軸。体の軸なら避けにくい、だろ?」
なるほど、これはジンロクによるケンカ講座らしい。ガツガツと食いついてくる生徒に、教師は困っている様子だった。
「うーん。軸、か。そうだな。とにかく、当てる、読まれない、それを気にしてやるべきだろうな。初撃で戦意喪失させるのが両方にとって一番安全だ。だから、ええっと」
説明を聞く限り、名教師というワケでもなさそうだ。だが、教え子の質問に真摯に応えてはいる。
「えっとな、昨日のカネダたちは、露骨だったから『運が良かった』と言ったんだ。アイツらは全員、胸より上ばっかり狙ってくるからな。誘ってかわせば隙を誘える」
「よし! ケンタ、実践テストやろうぜ」
「こい!」
2人は向き合い、間合いを取っては互いの足ばかり見ている。なるほど、覚えはいいが――。
するとジンロクが首を振った。
「視線でも攻撃を読まれるから、目視で狙いをつけるのは最後だ。目は相手の中央だな」
格闘技の試合を観戦するような気持ちで憂理が3人を見守っていると、ステージに遼が歩み寄ってきた。
「おきたね、憂理。おはよう」
憂理は観戦を続けながら、気のない挨拶を返した。
「うん。おはよう」
「憂理はやらなくていいの?」
「俺は本気だして第2形態から完全体になったら無敵だしな。遼は?」
「僕は好きじゃないから……」
話は変わるけど、と前置きして遼は続ける。
「今、朝の8時だ。すぐに出発といきたいところだけど、ちょっと待って」
「待つ?」
「T.E.O.Tの人に食料をわけてもらうんだ」
脱出後、街までどれくらいの時間がかかるかわからない以上、2日ぶんほどの食料を持って行くべきだから、と遼は言う。
「用意にどのくらいかかる?」
「1時間はかからないと思うよ。T.E.O.T次第だけど。まぁ貰えるだけありがたいし」
「わかった。そういうのは任せるよ」
憂理はようやく起き上がり、半身を起こした状態から仲間たちを見回した。
格闘教室の3人、それを座って見つめるナオとユキ。
エイミは座って菜瑠に髪を作ってもらっており、四季はまだ寝ていた。
「じゃあ」遼が言う。
「僕は準備をしてくるよ。朝ご飯はそこのダンボールに入ってるから自由に食べて」
「ん。サンキュ」
そそくさと遼がステージから離れ、体育室の出口から消えた。憂理はステージから飛び降りて、食事の入っているダンボールへ歩み寄った。
よくよく考えてみれば、昨晩も結局なにも口に入れていない。
ダンボールの中には煮物やら煮魚の真空パックばかりが入っており、憂理の食欲をそそらない。おそらく、昨日の夜に『人気メニュー』はあらかた食べられてしまったのだろう。
憂理はミジメったらしく悪態をつき、ダンボールをゴソゴソと漁った。
そうして底のほうにあったミートボールに当たりをつけると、それを取り出し、パックを破り、一粒を口に放り込む。
パサパサしてはいるが、タレが濃厚である。
「ん。悪くない」
出発まで、あとどのくらい時間があるのか。憂理はミートボールを食べながら、エイミと菜瑠のいる方へ歩み寄った。
「女って大変だよなぁー」
「ちょっと、食べながら話さないでよ。汚い」
髪を結われているエイミが、憂理を見上げて非難してくる。
「うるせー。頭にミートボール乗せてるくせに。コレも足すか? ん」
「いらないわよ! それにコレはお団子でミートボールじゃない」
「こんな時によう、髪の毛とかどうでもいいだろ」
「これはね、武装、よ。武装! 女の子としての戦いに終わりはないの!」
「ふうん……。まったく、誰と戦ってんだか」
憎まれ口を叩く憂理を、菜瑠が見上げてきた。
「ユーリも髪を作ってあげようか?」
「遠慮しとく。どうせボーズとかにするつもりだろ」
「罰則者らしく、ね」
憂理はミートボールを食べきると、そのまま二人のそばに腰を下ろした。
「ナル子はロクの格闘教室うけないのか? お前、スジがいいよ、たぶん」
「あんなの暴力だから」
「でも身は守れるぞ」
「必要最低限でいいの。力を持ちすぎると、すぐに力に頼るようになる――って学長も授業で言ってたでしょう」
「ふうん」
「ユーリは」エイミがニヤニヤ笑う。「もう少し強くならなきゃ、だわね。チカラが足りなすぎるのも、どうかだわ」
「俺は、本気だして完全体になったら強いからいいんだなぁ」
そうは言うものの、たしかに『力』は必要に思われた。
どれほど自分たちが正しく、どれほど崇高な思想があろうが、半村奴隷の暴力に屈せば全てはむなしい。
いつかだか学長も言っていた。『歴史は勝者が作ってきた。どの大陸でも、どの時代でも』
勝てなくとも、負けてしまわないぐらいの力は必要かも知れない。
「準備が終わり次第でるみたいだから、いつまでも髪いじくってんなよ」
憂理はそれだけ言うと、立ち上がった。
ダラダラと時間を潰していても仕方がない。遼の手伝いでもしようかと体育室をでると、中央階段前が騒がしい。
嫌な予感がしつつも憂理は様子を見に行った。
そこではT.E.O.Tたちが武器を手にしたまま円を作っており、なにやら不穏な空気を感じる。
円の中央には1人の少年が正座しており、T.E.O.Tたちから詰問されていた。
「なにやってんの」
「コイツ、亡命だってよ」
中央の少年が訴えかけるような目で憂理を見る。
どこかで見覚えのある顔だ。憂理が記憶をたぐると、ひとつの名前が浮き上がった。
――ウツノミヤ。
穴を掘っていた洗濯室に半村に連れられてガサ入れにやって来た奴隷――。
「嫌になったんです。おれ、あんなの耐えられない……もう、いやだ」
聞けば、奴隷少年は生活棟の状況を事細やかに訴えた。
半村奴隷だけになった生活棟では、すぐさま階級制がとられ、最下層に属する者への仕打ちは酷薄を極めているという。
むろん、その少年は最下層に属する。
宇都宮と名乗ったその少年によれば、最下層の奴隷はまさしく『奴隷』らしい扱いを受けているようだった。
食事の制限、入浴、着替えの制限、清掃から洗濯におよぶ強制労働、そして見回り。
なにより酷いのが虐待である。
彼ら最下層奴隷は1つでも階級の高い相手に反抗することは許されず、口頭でも行動でも反抗的な態度を取った場合、暴力によって報われる。
「ユキエさんが、ルールを決めたんです。みんな、手柄を立てたら階級があがるから、やっきになってて……。密告も手柄になるから、最下層でも裏切りばっかりで、ちょっと悪口言っただけでリンチです。もう、いやだ……こんなの」
お前らが悪いんだろ、と憂理は考えてしまうが口には出さない。
実際にやむを得ない『緊急回避』として半村奴隷になっていたジンロクのような者もいよう。全員が全員自業自得というのも、冷たい、突き放した意見だろう。
「とりあえず、導師に報告しよう」
T.E.O.Tが相談し合っているのを横目に、憂理は宇都宮少年に尋ねた。
「生活棟って、厳戒態勢なわけ?」
「えっ? ゲンカイ?」
「ちょっと通りたいんだけど、大丈夫かな」
「君らや深川のことをユキエさんが警戒してるから……見回りがいるよ。特に杜倉グループは絶対に逃がすなって指示がでてて」
「なんで」
「君ら、脱走するつもりなんだろ? ユキエさんはそれを阻止するって……。地下への通路は見張りで封鎖されてるよ。それに……」
「それに?」
「外はもう誰もいないんだろ? ユキエさんも、警察なんてもうないって。だからみんな、余計にやっきになって階級を上げようとしてるんだ。もう、ここしかないんだから」
「警察がいないんなら、俺らが脱走しても良いじゃん。ほっといてくれればいい」
「そんなこと、僕に言われても……」
なるほど、この少年からもたらされた情報で、少なくともユキエが『世界ハメツ信者』ではないことが推測できる。彼女の命令は矛盾をはらんでいるからだ。
おそらくユキエ自身も『世界ハメツ』に対して懐疑的であり、憂理たちに脱走されては困るに違いない。
確信犯的に世界の終わりを利用しているにすぎない。
だが、だからといって面倒が減るワケでもなかった。
「見回りって、頻繁にやってんの?」
「自主的に、だから……なんとも。でも侵入者を見つけたら『手柄』になるから、階級を上げたい人はしょっちゅう回ってる」
それは組織的に巡回をやられるよりもタチが悪いかも知れない。シフトなりで定時に巡回されているならば予測も対策も立てやすいが……。
「困ったね、ユーリ」
耳元での突然の言葉に憂理は寒気がした。
見ればタカユキの顔が近い。整いすぎた顔が涼しげに微笑している。
「生活棟は修羅場みたいだ。通り抜けは無理じゃないかな」
「別に困りゃしねぇよ。登山家は高い山だから登る」
「マゾいんだね」
「ほっとけ」
その場を去ろうと踵を返そうとした憂理の背中に、タカユキの声。
「食料の件、畑山から聞いたかい?」
「遼から? なにを?」
「進呈できるのは1日分だけだ。それが僕たちの出せる限界だよ」
「なんだよ、ケチケチしてんなー」
譲り受ける側として憂理の態度は褒められたモノではなかったが、タカユキは気を悪くしたふうもなく、微笑のまま肩をすくめた。
「僕たちも生きなきゃならない。地下階から持ってきた分もかなり減ってる。生活棟があの様子じゃそうは簡単に補充できないからね」
「わかったよ。サンキュ」
1日分の食料で麓の街までたどり着けるのか。考えれば心もとない量であるが、まったく無いよりはマシと言うほかない。脱出のルートによっては地下階で補充もできよう。
憂理は体育室へ戻ると、自らの寝床にどっしり腰を落とした。遼は依然として用意なり準備に駆け回っているらしく、姿は見えない。
抜け目ない軍師さまのことだ。おそらく食料以外の必需品もかき集めているに違いない。
ごろりと身を横倒した憂理に、菜瑠たちが歩み寄ってくる。
「準備。まだかかりそう?」
ああ、と気のない返事をする。
あとどのくらいかかるか、菜瑠は不安げに尋ねてくるが、そんなことは憂理にはわからない。仮に準備完了が1分後であろうが1時間後であろうが、実のところ大差はないのだ。
「下が修羅場らしい」
『手柄』目当ての警備と封鎖。それを聞いてしまった以上、簡単に通り抜けられる気がしない。
なるべくなら穏便に済ませたい憂理としては、考えねばならない。荒事となる事が明白であるのに無計画に生活棟へ降りるワケにもいかない。
雨が降るとわかっているなら、出かけたくはないし、最悪でも傘ぐらいは手にしていたいものだ。
仏頂面で高い天井を見上げる憂理から、面倒な事態を察した菜瑠が、小さなため息とともにぺたりと腰を下ろした。
「無理なの?」
「わかんね。でも……半村奴隷の暴走がいままで以上にヤバいみたいだ」
ほら昨日の、と憂理は昨晩の襲撃を例にあげた。
あれも新しく導入された『手柄ポイント制』に煽られたもので、半村奴隷たちは階級をあげるために躍起になっている――。
エイミが来て、座る。四季が来て、座る。
横たわった憂理を3人の女子が囲み、にわかにハーレム王にでもなったかのようだ。
とても脳天気に喜ぶ気にはなれないが。
「半村の下から逃げてきた奴がいてさ。その情報によると、俺らのグループは特に目をつけられてるらしい」
よくない意味で? と菜瑠。
脱走させないって事? とエイミ。
そのどちらにも憂理は「ああ」と答えた。
単純に生活棟を経由しての脱走ルートを想定していたが、計画の見直しが必要だ。
憂理の言葉に女子たちは黙り込んだ。
憂理はとりとめのない言葉をポツポツと呟いた。
タカユキがそうであるように、ユキエも『新世界』を創造しようとしている。
それぞれ方法論は違えど、自分の望む世界を構築しようとしている点は一致する。
暴力によって序列化されるシンプルなユキエ世界。
あるいは夢見がちとでも評価すべきタカユキの理想郷。
それらがこの閉鎖空間でいかに構築されてゆくか、憂理はかすかな興味を覚える。
だが同時に、どちらも、ろくでもないと思う。
『力』が全てという半村奴隷たちは、あまりにも短絡的に思えたし、かといってTEOT連中はキレイごとばかり口にするナルシスト集団に思えた。
自分なら、と憂理は自問した。自分ならどうするか。
だが、たいした閃きは得られない。
結局は既存のルールなり法なり規則に準拠した世界しか思いつかない。つまり憂理は変化を必要としていなかった。
「で、どうすんの?」
エイミによって空想から現実へと引き戻された。
「そだなー。できれば生活棟は通りたくない」
いっそのこと、透明人間にでもなれれば、などと無価値な仮定を考えてしまう。
菜瑠がいう。
「エレベーターは使えない?」
「いやナル子さん。エレベーターは電源がね……」
「そうじゃなくて、エレベーターの昇降路を登って、一番上まで出られないかな?」
「一階ぐらいならともかく、一番上ってなると、かなり登る事になるしな……。それに片手の翔吾には酷だろ」
「誰かが先に登って、縄梯子を垂らすの」
「誰が登んの?」
「ユーリ」
勘弁して下さいと言いたい。
「いやナル子さん、現実的じゃあないよ、それはよ」
「そうかな?」
「サルとかゴキブリとかスパイダーメンならともかく、俺も一応人間だから。それに一番上まで上がって、扉が開かなかったらどうすんだよ」
「何もしないよりはマシじゃない?」
「他の案は」
次はエイミだ。
「じゃあさ、じゃあさ、逆にエレベーターの昇降路を下ればいいじゃん? 1人ずつロープで胴体くくって、ゆっくーり、みんなで上から地下階まで下ろしていくの」
「で、最後の1人はどうすんだよ」
「さあ? ユーリが飛び降りる?」
――だめだこいつ。
次に四季を見る。機械少女はあっさり言った。
「掘ればいい。この階から洗濯室直通の穴を」
なるほど。またか。
どうにも斬新なアイデアは望めそうにない。
しかしながらと言うか、やはりと言うか、エレベーターに着眼すべきか。
この階には半村奴隷による見張りがなく、エレベーター前で作業していても妨害はされない。これは生活棟にいた時にくらべて選択肢が増えたことになる。
「ちょっと見に行ってみるか」
腹筋を使って一気に起き上がると、菜瑠とエイミも立ち上がった。
「なんだよ四季は来ないのかよ」
「行く必要がないわ。昇降路を使うなんて現実的じゃない。人間が自分の握力だけで自分の体重……」
菜瑠とエイミが四季の両サイドに入り、腕を掴む形で無理矢理立ち上がらせる。
「まぁ、まぁ、そう言わず。どうせ行くならみんなで行こうよ?」
ほとんど確保された容疑者のような形で四季を連行し、憂理たちは体育室から外へ出た。
誰ともすれ違わずに通路を進み、中央階段前を通り、やがてエレベーターホールまでやって来た。
そこに誰かいた。
開かれたエレベーターの扉は、口を開けた中にしっとりとした暗闇を見せている。その大口を前にして、1人の少年が穴をのぞき込んでいる。
「誰?」と菜瑠は不安そうであるが、憂理にはわかる。脱走奴隷の宇都宮だ。
菜瑠の質問に、連行スタイルのままの四季が答えた。
「宇都宮光輝。半村派」
あっさりと言った四季と対照的に、エイミは憤慨する。
「半村ドレーがなんでこんなトコにいんのよ! ちょっと! 通報よ、通報! T.E.O.Tに通報! 昇降路から侵入者よ!」
何も知らなければ、エイミのように考えるのが妥当だ。半村奴隷が昇降路を使って侵入してきたと。
「いや、アイツが投降してきた奴だ。でも……」
憂理の合図で立ち止まり、離れた場所から宇都宮を観察した。
――何やってんだ?
宇都宮はぽっかりと空いた四角い穴をのぞき込むようにしゃがみ、手にしていたレンチで内壁を叩いた。
金属同士がぶつかり合う無機質な音がきっちり3回。それが微かな余韻を聞かせて昇降路に反響してゆく。
「怪しいやつ」
憂理は観察を終え、足早に宇都宮へと歩み寄った。
「おい。なにしてんだよ」
予期せぬ背後からの声に宇都宮は狼狽し、危うく穴から転落しそうになる。
パッと憂理が宇都宮の肩口を掴み、通路側へと引っ張り戻した。
宇都宮は情けなく尻餅をついた姿勢で呼吸を荒げ、やがて落ち着くと非難めいた視線で憂理を見上げた。
「危ないな!」
「なにやってんだよ」
宇都宮は腰を抜かしたまま憂理を見て、菜瑠を見て、エイミ、四季と順に見上げて首を振った。
「脱走に使えないかって調べてたんだ」
一瞬、それが憂理には意外に思えたが、よくよく考えるとそれほど意外でもない。
半村から逃れて上階、T.E.O.Tのもとに来ても、半村奴隷には『裁判』が待っている。
「まぁ、お前らやりすぎたからなぁ」
事情はわかれど憂理とて同情はできない。身から出たサビとはこういう事を言うに違いないのだ。
憂理の冷たい反応に宇都宮は自分は悪行に荷担していない、と目の前で無罪を主張した。だがそれを信じるに憂理は宇都宮を知らなさすぎたし、だいいち興味がなかった。
つまり『脱走するなら一緒に』などとは口が裂けても言えない。菜瑠やエイミも宇都宮へ向ける視線は厳しい。
「き、君たちも脱走するんだろ? でもエレベーターは無理だよ。生活棟の階で止まったままだ。半村にも動かせないの知ってるんだろ?」
「半村にも動かせない?」
「えっ? 知らないのか?」
憂理は菜瑠を見る。菜瑠は首を振る。
次にエイミを見る。エイミは眉根を寄せて肩をすくめた。
最後に四季を見るが、連行スタイルのまま憂理と目も合わせようとしない。
「俺らは知らん」
宇都宮はゆっくり立ち上がり、表情を変える。
焦りに緊張、そしてかすかな嘲りが混じり合った笑顔だ。憂理はこういう顔をよく知っている。これは良からぬたくらみを内包する顔だ。
「へへ。知らないのか。エレベーター前に人員を配置してないから、てっきり知ってるモンかと……」
「いや、何も知らん。少なくとも俺は」
知らんモンは知らん、説明しろ。と、堂々とした態度で応じる。
「深川が地下階から上がって来る時に壊したらしいんだ。ちょっと前に半村が無理やり動かしたら、カゴが地下階と生活棟の中間あたりで止まって、そこで動かなくなった。理由はわからないけど、もう上がりも下がりもしない」
言われてみれば、である。
半村側が上階のT.E.O.Tを襲撃したいなら、エレベーターを使用して攻め入るのが最も簡単だ。
なのに半村奴隷たちは中央階段から攻勢をかけ、T.E.O.Tたちもエレベーター前に守備人員を配置していない。
半村派もT.E.O.Tもエレベーターを移動経路として考えていないのか。
――なら。
憂理は菜瑠ばりに腕を組んだ。
「エレベーターが使えないのはわかった。じゃあ、お前はなんでここにいるんだ?」
「言ったろ。脱走するためさ」
「昇降路を使って?」
「と、思ったんだけどね。やっぱり無理だ」
宇都宮は他の方法を考える、と呟いて、尻餅に汚れたズボンをはたいた。
「地上までは遠そうな感じだし、下はカゴが邪魔だ。諦めて他の方法を考えるよ」
そう言うと、憂理たちを避けるように足早に去って行った。
なにか、言いようのない違和感を憂理は感じた。それは残り香にも届かない微かな香り。だがその違和感を感じさせたモノは特定できず、ただ『怪しげ』と表現する以上の感想は生まれなかった。
「たしかにハードだわね」
ぽっかり空いたエレベーターの穴を覗き込みエイミが呟く。
昇降路から上を見上げれば、しっとりとした闇が続くばかり。かといって下も足をすくませる闇。しかし下の闇には微かな光が存在した。生活棟のエレベーター口から漏れ出してくる光だ。
あの光が漏れる場所まで降りてゆけば生活棟ということ。単純な話ではある。
「どうするの? ユーリ」
「コレを降りて生活棟ってさ、たいして意味なくないか?」
憂理は言った。
危険を冒して昇降路を使うからには、それなりのメリットがなければならない。
直接地上に出ることができる、もしくは地下階へ行けるならともかく、この暗闇を下って油まみれになりながら生活棟に出ることにメリットを感じられない。
そんな苦労を背負い込むくらいなら、普通に中央階段を下りていけば生活棟なのだ。
「中央階段って……生活棟の入り口を半村奴隷が封鎖してるんじゃないの?」
菜瑠の言はもっともな疑問である。
だとしてもこんな穴を下るよりはマシじゃないか。憂理はそういって踵を返した。
――強行突破。
全員がその覚悟を、その勇気を持てるのか。
だが、持たなきゃなにも始まらない。
半村が復活したのか憂理は知らない。
もし復活していたなら一筋縄ではいかないだろう。だが憂理には根拠のない自身があった。
――半村は、まだ回復してない。
根拠などひとつもない。ただ感じるのだ。
手柄ポイントなどという幼稚なシステム。新しく設けられたという階級制。
いま生活棟の全権を掌握しているのはユキエに違いない。
だとすれば、つけいるスキは充分にあるように思われた。
手札、などとは考えたくなかったが、憂理はジンロクの存在が自分たちの切り札、あるいは突破口になると思う。
それはジンロクの身体的能力を頼るのではなく、彼の人格を頼るモノ。
――ユキエがジンロクを傷つけるハズがない。
憂理の見立てによれば、ユキエは――。
* * *