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13月の解放区  作者: まつかく
6章 エデンの地下で 
51/125

6-3c 体育室での夜

「ケンタ。大丈夫か?」


そろそろ体力的に限界かと思われたが、憂理が心配して声をかけると、小太りの少年は息を切らせながらも明るく応じた。


「ケンタ無双だよ。百人でも千人でもやれる、こんなやつら」


「なんだとッ! ブタ!」


かくして第二幕が上がった。

憂理と遼が加わったところで多勢に無勢は変わりない。じりじりとセンチ単位の間合いの読み合いが交わされる。


「兄ちゃん」


無言のなかに不釣り合いな幼き声。見ればジンロクの弟が最前線へやってきていた。

幼子は必死の形相で武器を拾い、菜瑠のそばで構える。


「やめろ、ナオッ! 下がってろ!」


ジンロクの声が野太く響く。そこに大きく隙が生まれた。ジンロクに対峙していた半村奴隷がほとんど無音で武器を振り上げる。

ヒュ、と空気が切り裂かれたがジンロクは身をよじって回避した。


この一撃を皮切りに半村奴隷たちの反撃が始まった。

憂理は情けなくも身をかわすのが精一杯で反撃はできない。遼も、菜瑠も押されるがままだ。一つかわしても、すぐさま次の攻撃が襲ってくる。


刹那、ジンロクの弟がパッと最前列に飛び出して、手にした棍棒を振るった。幼い手に握られていたその武器はカネダの太ももを鈍く直撃した。

だが明らかにダメージは軽微。蚊に刺されたほど、というのはこのような場合を言うのだろう。

そしてその攻撃はカネダの身体ではなく、精神を刺激した。


「ガキがッ!」


カネダは殴られた足をそのまま武器に替え、ナオを蹴りつけた。無慈悲な蹴りはナオ少年の首のあたりを直撃し、少年はその威力のまま飛んだ。

秒にも満たない時間の中で、ほとんど反射的に菜瑠がカネダに突きを繰り出し、『小半村』を後方へ吹き飛ばした。


「ナオッ!」


ジンロクが弟へ叫んだと同時に弟が起き上がる。そして、咳をはき出し、震える腕で落ちた武器を拾おうとした。


「ロク! 前見ろ、前!」


憂理が叫んだときは遅かった。

弟の方へと向いていたジンロクの背中に、半村奴隷の一撃が直撃する。思わず一瞬、憂理は目を背けた。耳には低くも十分な威力を感じさせる音。


だがジンロクはピクリともしない。

まるで痛みを全身で吸収するかのように仁王立ちで、滑稽なことに打撃を加えた方が狼狽して見えた。『なんで倒れないんだよ!?』だ。

ジンロク担当のもう一人が、もう一度、ジンロクに向かって武器を振りかぶる。


「ロク!」


憂理の叫びはほとんど無意味だった。

武器が振り下ろされる瞬間、ジンロクは体をよじって向き直り、溜めの効いた右拳を半村奴隷へと放った。

体を半回転。これはフルスイングを越えている。放たれた拳はほとんど凶器となって襲撃者の下あごに直撃した。


拳を食らった者がその威力に崩れ落ちる前に、ジンロクはもう一人の敵の腹に拳をめり込ませている。

憂理が唖然とするヒマもない一瞬の出来事。ようやく憂理が唖然としたときには、ジンロクはケンタが相手していた者たちに標的を変えていた。


低い姿勢で駆け寄ってきたジンロクに奴隷たちは怯えを見せ、奇声とともに武器を振った。だがその横なぎは空気を切っただけだ。

低めた姿勢をさらに低くし、ジンロクは凶悪な歓迎をくぐりぬけた。そして立ち上がりざまバネのようにはじけ、一撃をアゴに見舞う。間を置かず、もう一人の顔面にも硬い拳がぶつかっている。


一瞬だった。

数秒の内に半村奴隷の4人が沈んだ。


しかしこれは正確ではない。正確に言えば、まだ2人は沈んでいない。最後の2人が完全に倒れてしまう前に、ジンロクは動いた。

――ライオンが狩りをしている。

憂理の脳裡をかすめた比喩は陳腐だった。だが、それが一番適当に思われた。


どう猛な獣となったジンロクは憂理を襲っていた者も『通りすがり』に沈め、さらに武器をかわし、遼の相手をしていたもう1人。

ほんの数秒の出来事だ。殴られ、吹き飛ばれた半村奴隷が、まだ宙に浮いているんじゃないか。ほんの数秒。だが菜瑠と対峙していたカネダには、危険を感じるに十分な時間だった。


だが、カネダは動けなかった。

武器を握ったカネダは、逃げ出すには強すぎたし、立ち向かうに勇気がなかった。

ただ、ひよっこの剣道家のように、前に、両手に武器を構えただけだった。

そして、それは無意味だった。


一気に間合いを詰められ、武器を1ミリたりとも動かすことなく、ジンロクの拳を顔面に受けた。そして二歩ほど離れたハマノがライオンの標的となった瞬間、最後の獲物は叫んだ。


「降参ですッッ! や、やめてッ!」


武器を捨て、両手をたかく上げ、完全に降参の構えを見せていた。

「た、助けて!」


スッとジンロクは攻撃姿勢を解き、そのまま弟のところへ駆け寄った。


――すげぇ。

憂理は最初から最後まで唖然としたままだった。


「すげぇ」


ケンタも呟いた。

まさに一瞬。自分やケンタが苦戦した者を、風に倒れる麦のように。

そして、早さだけではない。ジンロクの拳を受けた者は、7人全員が起き上がっても来ない。これは、風なんて生ぬるいものではなく、台風だ。


――全員を一撃で。


腹に抱きつく弟。その頭にポンポンと手を乗せるジンロク。さらに駆け寄ってくる幼い妹。ふたつのコブを下半身にまとわりつかせるジンロク。

このジンロクの実力を、憂理は知らなかった。

ジンロクというのは、世話焼きの、無骨な、不器用な、イイ奴ぐらいの認識でしかなかった。


「はは……。ロク……すげぇな、お前」


ジンロクは歩み寄ってきた憂理に大きなため息を聞かせると、不器用に苦笑いを見せた。


「つい、カッとなってな。あれだ、まぁ、運が良かった。憂理は大丈夫か」


「すごいよ! ロク!」


ケンタの目はすでに英雄を見る目に変わっていた。きっと、ジークフリードなりヘラクレスなりに向けられた視線は、こんなふうだったに違いない。


「あ……ありがとう。ジンロクくん」


菜瑠も呆然として、武器をカネダのいた方に向けたまま言う。


「ああ」


ジンロクは気取った様子もなく、幼い弟妹の頭に手を乗せてハマノへ視線をやった。


「もう、いいだろ。もうやめろ」


先ほども同じようなことをカネダたちに言っていたが、この『暴風』を見せられたあとでは言葉の威力も変わってくる。

ハマノは両手を上げたまま、泣くようなハニカミ笑いを見せて、何度も頷く。

そして、倒れたたままのカネダに駆け寄り、頬をパチパチ叩いた。

こちらとて無傷ではない。憂理の横腹はいまだに鈍痛が残っていたし、翔吾は尻を上にしてダウンしている。


「大丈夫? 大丈夫?」


エイミが血相を変えて翔吾の元へ走り、うつぶせの翔吾をがくがく揺らす。T.E.O.Tの連中も床に転がっており、なんとも悲惨な光景であった。


この襲撃にどんな意味があったのか、憂理にはわからない。攻めてきた半村派は蹴散らされ、守り抜いたT.E.O.Tも満身創痍。


結局、勝者がいたとは思えない小競り合いだった。




  *  *  *


T.E.O.T側の怪我人を近くの部屋に運び込んだところで、ようやくタカユキが現れた。状況はすでに報告されていたらしく、一直線に憂理の元へ歩み寄ってくる。


「助かったよ。ありがとう」


恨みや憎悪の視線をものともせず、やはり涼しげにタカユキは言う。


「部屋に閉じ込めたこと、悪かった。いまさら釈明しても仕方ないことかも知れないが、足止めするつもりなんてなかったんだ。ほんの15分ぐらいのはずだったんだけど、手違いがあってね」


そう言ってもう一度深く頭を下げる。その言葉を信用するほど、憂理はお人好ひとよしではなかったし、信用しようとする努力さえ放棄していた。ただ、これ以上の面倒がなければそれで良い――と、なるべく大人の対応を決め込んだ。


「もういいよ。それより俺たちは脱走するから、もう邪魔しないでほっといてくれ」


「ああ。わかってる。もう止める気はないよ。ユーリに嫌われたくないからね」


「よく言うよ、お前は」


すると、タカユキがスッと何かを差し出した。銀色の――丸みを帯びた――。


「ドアノブ?」


「ドアノブ」


これがあれば地下階へ行ける。憂理は思わず安堵の笑みをもらし、ため息を吐いた。

タカユキの内心がどうであれ、これは実際に助かる。引っ込められるより先に奪い取るかのようにソレを受け取ると、ノブにはタカユキの体温が宿っていた。


「提案があるんだけど、聞いてくれるかい?」


「提案? 聞くだけは聞く」


「今夜はここで休んだ方が良いと思う」


これはまた露骨に怪しいことを言う。憂理が見回せば仲間たちの表情も冴えない。ここまで、ありとあらゆるトラブルの製造元となってきたタカユキの言葉を警戒するのは当然で、これは『学習』と呼ばれるものだ。


「いや。その提案、却下」


憂理が端的に言うとタカユキの表情まで冴えなくなる。

憂理などは、そんなタカユキを見て、なんだか自分が冷たい人間になったかのように多少居心地の悪さを感じてしまうが、信用しろと言うほうがどうかしている。


しかし憂理の背後にいた遼が小さく呟いた。


「たしかに……今は夜だ」


タカユキは遼をチラリと見て頷く。


「そう夜なんだ。午後7時」


夜だからなんだと言うのだ。言いかけて憂理は気付いた。

気付いて遼に視線を向けると眼鏡の少年は目配せで応じた。今、施設から脱出しても外には夜が広がっている――。


地図に頼らねばならないほど道に不案内であるのに、月明かりだけを頼りに街までたどり着けるのか。――そもそも月明かりさえあるかどうか。

夜間の下山につきまとう危険。きっとそれは手の指では数え切れないほどあろう。


「うーん。遼、あっちでみんなに説明してくれ。出発を少し遅らせよう」


タカユキの提案というだけで懐疑の対象とすべきではあったが、施設の外がこれから夜を迎えるのは事実であり、出発には向かない時間であると言うこともわかる。

憂理の指示に遼は頷き、仲間たちはタカユキから離れた場所へと集まった。残された憂理はタカユキをのぞき込む。


「つぎに騙したら、許さないからな」


「僕は一度だって憂理を騙してない」


「さっき騙した」


「あれは結果だ。本当に申し訳なく思ってる」


タカユキがシュンとするのでやりにくい。

――本当に悪気はなかったのか。

そう考えて憂理はすぐに否定する。少なくとも『愛の告白』には悪意があったではないか。やはり信用できる人物ではない。


憂理たちが今晩の宿に体育室を指定すると、T.E.O.T女子たちによって幾つかの畳まれた状態のダンボールが運び込まれた。


――これで寝ろってか……。


ダンボールなどというものはベッドとして作られたモノではない。寝具として使うに『床よりはマシ』という程度だ。

翔吾とケンタはこの待遇に対してしきりに不満を吐いたが、布団はもちろん寝袋なども、この階に常備されておらず、T.E.O.Tたちもダンボールを敷いて眠っている――と聞いて諦めたようだった。


次に配給されたのはタオルと着替えで、これには女性陣が目の色を変える。特にエイミと菜瑠だ。


「ちょー気がきくじゃん!」


「やっと着替えられる!」


どうもT.E.O.Tの連中は生活棟から多少の必需品を運び上げていたようだ。


憂理たちは体育室のステージ前にめいめいの場所を決めてダンボールを敷き、配給されたタオルと着替えを『寝床』の上に置いた。見上げた天井は高く、寒々しくてなんだか落ち着かない――が、体育室ならば水場もシャワーもトイレも近くインフラは悪くなかった。

これ以上を望むのは贅沢というものか。


憂理は床に敷いたダンボールにごろりと身を横たえてみた。しばらくぶりに体重から解放された両足がじわりと熱を帯び不快感がある。仰向けになってみれば天井のライトが眩しく、目を閉じてもまぶたに赤い。

一定の距離で規則正しく並ぶライト。あまりにも色気のない人工の星座だ。


――この下で寝られっかな……。


寝そべったまま周囲を見渡せば、仲間たちが小さなグループに分かれていた。翔吾は憂理の近くに寝床を作り、座って包帯をほどいている。菜瑠とエイミはそそくさとシャワー室へ向かって行く。

遼が四季は2人してちょこんと座り、なにか喋っているが、盛り上がっている様子はない。

ジンロクは弟妹と仲良く寝床をセッティングしており、そこにケンタがくっ付いていた。ケンタがしきりにジンロクの戦いっぷりを賞賛しているのが離れていてもわかる。


そんな仲間たちの挙動をボンヤリと眺めていると、翔吾が声をかけてきた。


「なぁ、ユーリ。シャワー浴びねぇの? おれ包帯とったから浴びるけど――。って、なんだよ。お前眠そうだな」


「んー疲れた――。よくよく考えたら、ずっとマトモに寝てない」


「ああ俺も。眼の奥が重いよな。取り出して洗いてぇわ。コップに入れてカラカラってよ。でも寝る前にシャワーぐらい浴びろよ」


「さっきナル子とエイミがシャワー室に行ったろ。いま近寄ったら殺される」


翔吾は鼻で笑って、だらしなく寝床に倒れた。


「見たくもねぇよ。どーせ、シュウマイみたいな胸、だろ?」


「いや、どら焼き」


「あーやだやだ」


憂理の頭の中に菜瑠の裸とイツキの裸がよぎる。

どちらも『いい思い出』とは言い難いが、なぜにこうも印象に残るのか……。それらを散らしてしまおうと憂理は寝返りをうって呟いた。


「やだやだ」


「なぁ、ユーリ。ここ安全なのか?」


「さあ……。でもバリケードも見張りも追加されたらしいから、少なくとも半村奴隷と深川は来ないだろ。T.E.O.Tはともかく……」



 *  *  *


 *  *  *


憂理は半醒半睡の状態にあった。


目を閉じ、夢とうつつを行き来しながらも耳には仲間たちの会話が届いていた。


T.E.O.Tから食料の差し入れがあり、シャワー室で発見された陰毛について翔吾がデリカシーのない発言をしてエイミを怒らせ、ケンタと翔吾が何かに興奮して「天才、天才」と騒ぎ、エイミと菜瑠が天井のライトを苦労の末に消し、やがて誰ともつかぬ寝息。


憂理がふと目を覚ましたとき、体育室は真っ暗だった。

入り口の方にある非常灯だけが頼りなく光り、耳に聞こえるのはイビキと寝息だけ。


半身を起こすと、まだ脇腹が痛む。肋骨にヒビでも入ったのだろうか。


みんな、死体のように横たわっている。

翔吾とケンタは賢いもので、運動に使われるマットを敷いて眠っていた。憂理などは臭いが気になるので遠慮したいが、寝心地はよさそうだ。


暗闇の中で立ち上がり、手探りでタオルと着替えを拾い上げ、憂理はシャワー室に向かった。


熱い湯で身体を清めながら、次のステップを頭の中で整理する。

まず、夜明け前に生活棟へ下り、一気に地下階へ。地下階から大区画を経由して『ケンタの見た出口』へ。

外へ出る頃には日が登っているはずで、あとは山道を下ってゆくだけ。


学長はどうすればいい?

脱出を優先するなら、医務室へは行くべきでないが……。


濡れた体を拭いていると、シャワー室の隅に大量の衣類があった。翔吾たちの着ていた服にしては大量すぎる。

おそらくT.E.O.Tの連中も、脱ぎ捨てているのだろう。憂理も慣例に従うことにして、丸めた衣類を山に積む。


――誰か洗濯しないのか。

自分を棚にあげて、いささか無責任ではあるが、少なくとも今は洗濯などしている場合ではない。


だが洗濯物は溜まる。そして着替えの服は無限に湧き出してくるものではない。

洗濯物を放っておけば、やがて着るものに困るだろう。洗濯機のないT.E.O.Tの連中はどうする気か。

半村奴隷などは奴隷らしく『強制労働』にて処理するだろうが――。


新しい服に袖を通す前に、痛む脇腹に目をやる。

下腹部には紫色と赤のモザイクができあがっており、内出血していたことがわかる。そこはかとなくグロテスクだ。

本気の一撃とは、物理的威力のほかに呪いのようなモノが負荷されているのではないか、そんなふうにも考えてしまう。


頭にタオルを乗せたままシャワー室から出て、憂理は体育室の出口へ向かった。


なんとなく、アツシの様子を確認しておこうと思った。アツシはT.E.O.Tに属しており、憂理にとって決して『味方』とは言えない立場にあったが、決して悪い奴じゃない。


体育室の引き戸をそっと開けてみると、通路は明るい。緑色の非常灯だけかと想像していたが、T.E.O.Tたちは照明を落としていない。


そっと抜け出して、アツシたち怪我人が運び込まれた部屋へ向かう道中、中央階段の前を通りすがった。

先ほどよりバリケードは分厚く、高くなっており、半村奴隷への警戒が一段と高まっていることがうかがえる。中央にもうけられた通路も幾分か狭くなっていた。

椅子に座っているTEOTの門番たちは夜勤と言うワケか。寝ずの番とは恐れ入る。


先ほどまではアツシを含む男子5人編成で番をしていたが、今は2人の女子が含まれている。

考えてみれば当然だ。


『人員』というものは無限にわき出てくるものではなく、脱落者が出れば減る。

非力な女子までが駆りだされる、火急の事態というわけだろう。


見れば、夜勤の1人は憂理のよく知る人物だった。

うとうととしている門番たちにそっと歩み寄り、憂理は囁いた。


「おい。ノボル」


しかし、起きない。今にもヨダレを垂らしそうなほど口を開き、目覚めない。

職務怠慢もはなはだしい。

憂理がノボルの肩を揺すると、小柄な少年はビクッと反応した。


「ノボル。起きろ」


ノボルは座ったままで憂理を見上げてきた。だが言葉はない。ただ、夢遊病がごとき半開きの目でじっと見つめてくる。


「起きろったら」


「おきてる」


「お前、T.E.O.Tにこんなコトやらされてんのか」


「……」


「俺ら脱走するけど、お前どうする?」


「……」


無言で解り合えるほど、憂理はノボルと以心伝心の仲ではない。ケンタなら話も違うだろうが。


「どうすんだ?」


「導師が」


ノボルまでがタカユキをドーシなどと呼ぶのか。しかし憂理はあえて何も言わず、続きを急かした。


「ドーシが?」


「導師が言ってること、ホントだ」


「なにが? 新世界?」


「外のこと」


なるほど世界の破滅か。

憂理は最初ため息で応じ、やがて首を振った。


「どうだかなぁ。でもな、タカユキの言うことなんてイチイチ間に受けてたら、お前こんな時代を……」


「車椅子にきいた」


――車椅子。

憂理の記憶貯蔵庫から、地下階にいた怪人物が想起される。緑色の世界で、キィキィと車輪をならして徘徊する謎の人物――。


「あいつと……喋ったのか」


ノボルは無言のままコクリと頷いた


「で、その車椅子が、世界は終わったって?」


「言ってた。地下に行ったときに」


「それって、お前が戻ってこなかった夜のこと?」


また無言でコクリ。


「そんときに聞いた?」


「あの人の部屋で。でも誰にも言わないで、って言われた。友達だから話すんだって」


「友達になった? 車椅子と?」


また無言でノボルが頷く。

これは意外な事実だ。興味を引かれた憂理は、立て続けに質問を浴びせかけた。


どうして黙っていたのか。

車椅子は何者か。地下で何をしているのか。

彼の言うことは信用できるのか。


これに対して、ノボルはぶつ切りながらも返答した。


黙っていてのは、『誰にも言うな』と言われたから。

車椅子は病気で、地下で仕事をしている。

『友達』には嘘をつかない、と車椅子は言った、と。


なるほど、ノボルが布団という殻に閉じこもっていたのは、言うに言えぬ事情のためか。憂理は納得する。

では病気とは、仕事とは?

新たに沸き上がる疑問の中で、一番優先すべきものを憂理は訊ねた。


「ホントに世界が終わったって?」


「外、誰もいなくなったって言ってた。ハメツ」


「13月の解放区ってか」


「俺、ずっと黙ってた。でも導師は知ってた。ユーリも導師にしたがえ。あの人の言うこと、全部ホント」


――脱文明第1日。

ノボルは興味を引くために嘘をつくタイプではなく、ここまでの話は信頼して良いだろう。だが、だからといってタカユキに従うというのは遠慮したい。

たとえ世界が終わっていたとしても、新たに皆を導く指導者がタカユキというのは納得できない。

だが、ここまでの話で、なぜノボルがT.E.O.Tに属しているのかは理解できた。


「なるほどなぁ。じゃあ、車椅子の仕事って?」


ノボルは無言で首を左右に振る。


「知らないのか?」


コクリと無言のYES。


「で……脱走は?」


首が左右に振られる。NOだ。


「わかったよ。ま、意地張るのもいいさ。でも、マジで気をつけろよ」


先ごろアツシから言われた言葉を拝借し、憂理はノボルに背中を向けた。T.E.O.Tに参加するなど、正気の沙汰とは思えない。だが自分の正しさを確信していたとしても、それを強制するのは憂理の好みに合わなかった。

無責任、無関心とのそしりを受けようが、じゃあな、と言ってその場を去るのが楽でいい。


――車椅子ね。


通路を進みながら、その存在の不可解さに微かな不安を感じる。自分の知らないところで何かが動いており、何かが起こっている。


そんな事は当然であり、施設に来る前から今日に至るまで自分の知らないところで何かが起こっている。


誰かが牛を育て、殺す。だから肉が食える。

誰かが電気を生み、送る。だから頭上はこんなに明るい。


知らずに過ごせれば、それが一番幸せなのかも知れないけれど。


怪我人たちが収容された部屋へ入ると、そこに奇妙なモノが5つ並んでいる。

よくよく見れば、それが無数のタオルを乗せられた人間だということがわかった。


なるほど打撲をうけた箇所を冷やそうとした結果らしい。濡れたタオルがほとんど布団代わりになっている。


5人の中にアツシを捜すが、こうも顔まで覆われた『タオル人間』ばかりではどれが誰だか判然としない。


どのタオル人間も胸郭を上下させて呼吸していることを確認すると、憂理はそっと外へ出た。

ケンカにしてはやり過ぎだった。

半村奴隷たちは、半村の辿った軌跡をなぞっているのではないか。そう勘ぐってしまうほど過剰な暴力だった。


通過儀礼を経て、半村になろうとしているのではないか。暴力的であるところ、あるいは狂気的な部分をアピールすることによって、半村派内部における権力や立場を確立しようとしているのではないか。この、解放区で。


取り留めのない事を考えながら、憂理は体育室へ戻った。

皆を起こさないよう足音を殺し、ステージ前までやってくると、段差に腰を下ろした。

膝から下をブラブラさせて遊び、そのまま寝そべって床面の冷たさを楽しむ。


目がさえて眠れそうになかったし、意識だってたかぶっている。

だらしなく仰向けになったまま、憂理が今後のことに思いを巡らせていると、肌にふわりと空気の動きを感じ、視野に黒い影をみた。


「眠れないのか」


首だけ起こしてみると、ジンロクがステージの前に立っている。


「ベッドにはうるさいんで」


「翔吾やケンタみたいにマットを使えばマシじゃないか」


「言ったろ。ベッドにはうるさいんで。ロクも眠れないのか?」


「ああ」と短い返事と同時に、ジンロクもステージに腰を下ろし、憂理の横で言う。「ベッドにはうるさいんだ」


「パクんなよ」


「妹がトイレでな、起こされた」


「面倒見がいいよな。ホント」


ジンロクの弟妹思いには頭が下がる。十歳以上も歳が離れた弟妹を甲斐甲斐しく世話する様子は、兄弟というよりは親子にも思える。


「憂理。考えすぎかも知れんが、気になる事がある」


「なんだよ」


「さっきの差し入れなんだが……食ったか?」


「T.E.O.Tからの食い物? まだ食ってないケド?」


「ナオとユキがな、あれを食ってから腹を壊してるんだ」


何を言わんとしているか、憂理はすぐに察しがついた。だが、それはどうか。T.E.O.Tが食事に毒を盛ったなど、あまりに――。


「冗談だろ?」


「だといいんだが。実際に腹を壊してる」


腐ってたという可能性に思い当たる。

憂理は仰向けの状態から腹筋だけで起き上がり、ジンロクと並んで闇の中の仲間たちを確認する。


「みんなグッスリだぞ。ケンタなんてイビキまでかいてる」


「ああ、そうなんだ。俺自身も食ったが大丈夫なんだ」


「考えすぎ、考えすぎ。さすがにタカユキでも、そこまではやらねぇだろ。やる必要もないし」


「そうだな。考えすぎか。すまん」


仲間たちのイビキと時折きこえる寝言が合奏を聞かせている。憂理は再びゴロリと体を倒し、行儀悪く足をぶらつかせた。


「なぁ、ロク」


「なんだ」


「お前、すげぇ強いのな」


「たまたまだ」


「なんか格闘技てきなモンやってたの? 空手とかボクシングとか」


「そんなモン、習う余裕なんてなかったよ」


「余裕?」


「うちは貧乏だ」


「そうなん?」


「オヤジは酒。オフクロはギャンブル。気がついたら……」


「気がついたら?」


「俺はどうしょうもなくグレてた」


予想外の話に、憂理は思わずジンロクの背中を見た。

広くたくましい背中。憂理が黙って見つめていると、その背中が倒れ、ジンロクも仰向けになった。


「悪ガキがやる事は全部やった」


「ヤンキーなんか。だからケンカ強いの?」


「もう違うが。まぁケンカは強い弱いじゃなく、慣れの問題だ」


確かに現在のジンロクに不良という印象はない。だが『だった』と過去形で語られても憂理を簡単に納得させる何かがあった。


「負け知らず?」


「いや。10人相手にした時は、指もアバラもいかれた」


――そりゃ無理だろ。

憂理なら2対1でも限界バトルだ。

だが奇妙にも思う。どうして今までジンロクの強さに気付かなかったのか。

その奇妙さに理由を探して、まもなく憂理は解答にたどり着いた。


ジンロクは施設ではケンカらしいケンカをしていないのだ。

半村の時も、食堂でのいざこざの時も、ジンロクは相手の攻撃を避けたりかわしたりするばかりで、まったく反撃をしていなかった。


以前、この体育室で『罰掃除』を食らった時、弟にぶつかった奴を殴ったと聞いた。思い出されるのはそれぐらいのものだ。


「不良やめたのか?」


「ああ。色々あってな」


「例えば?」


「長い話だ」


「あいにく、時間だけは腐るほどあるぜ」


ジンロクはムウと唸って、長い話だと前置きしてから説明した。


ジンロクは、ケンカで勝利を積み重ねていた。勝てば勝つほど自分の居場所が家庭以外に生まれる気がしていた。

だが不良という生き方は、時には過度な暴力を必要とする。

それはジンロク以外の不良にも言えること。


その地区で名前も顔も売れていたジンロクは、賞金首のごとく執拗に狙われた。

度重なる実家への襲撃で、両親は精神をり減らし、やがて離婚した。

離婚すると母親はすぐに姿を消し、父親は新しい嫁を迎えた。


新しい嫁には2人の連れ子がおり、その幼い2人は不思議とジンロクになついた。


「母親が破綻した人格だったからか知らん」とジンロクは憂理に説明した。


だがジンロクにも業があった。

父親が再婚し、家庭が不安定な状況にあろうと、敵対する不良が気をつかう理由はない。

襲撃は繰り返され、やがて新しい母親も消えた。

幼い2人を残して。


「え? じゃあ、ナオとユキはロクと血が繋がってないのか?」


「そうだな。そういう事になるな」


「そりゃあ……複雑な」


「俺は、家庭を2つ壊した。どっちもろくでもない家庭だったが、うち一つは幼いあいつらの家庭だ。それが壊れた。俺のせいでな」


それからジンロクはパッタリと非行から足を洗った。

敵対する不良には徹底的に『落とし前』をつけられ、仲間だった者からも足抜けの『ケジメ』をつけられた。

だがどれだけ更生しても、ジンロクは父親からすれば家庭を2つ崩壊させた鬼子だ。

鬼子と血の繋がっていない幼子2人。父親にとって3人はすぐに邪魔者になった。


そしてサカモト兄弟は巡り巡ってこの施設へやってきた。


「もう、二度とやらんと決めたんだ。だから多少、荒事あらごとに慣れてるからって頼りにはしないでくれ」


壮絶な人生の片鱗を見せられた気がして憂理は言葉もない。


「憂理、このことは内緒にしてくれ。つい喋りすぎた」


「わかった」


不思議と、ジンロクの過去を知ったとはいえ、ジンロクに対しての印象は変わらない。

無骨で、弟妹思いの優しい奴。憂理にはそれだけで充分だったし、ジンロクの腕力に頼るつもりもなかった。


「なぁロク。お前、ここを出て、どこへ行くんだ?」


「さあな。他の施設に行くか……俺が働いてあいつらを養うか……。まぁ出てから考える。世界が終わってるなら別だが」


圧倒的な使命感がジンロクの強さを支えているのか。肉体的にも精神的にも。憂理にはわからない。


「そっか」


「そろそろ寝床に戻る。憂理も少しは寝ろよ」


「ベッドにはうるさいんで」


「はは。そうだったな」

ジンロクがスッとステージから降り、数歩離れてから振り返った。


「憂理」


「あい」


「前、臭いとか笑って……すまなかった。本気じゃない」


「わかってるよ。そんなことは」


「そうか」


頷いたジンロクが踵を返し、体育室の闇にまぎれて戻ってゆく。

様々な人生があって様々な思惑がある。憂理は今更ながらにそんな事を噛みしめていた。


仲間たち、そうじゃない者たち、敵対する者たち。全員の人生が今この施設内に交差している。運命の糸が寄り合い、触れ合い、摩擦すら起きていた。


その糸は人を操るマリオネットの糸か。

あるいは人を縛り、捕らえる蜘蛛の糸か。


どちらにせよ、ろくなものではない。




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