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13月の解放区  作者: まつかく
1章 拷問部屋を探して
5/125

1-5 多すぎた名簿

小声の呼びかけを繰り返すうちに、数分だか数十分だかが無為に過ぎていった。

開けたドアの数も30は下らない。


かくして、憂理たちは何の手応えもないまま前回、『大人』と遭遇したあたりにまでやってきた。

翔吾はどこに居るのだろう、と憂理が微かな不安を覚えたとき、遼が手招きする。


「ユーリ、このドア他と違う」


郵便ポストのような穴が空いていることに遼が不審を感じたのだ。

「ああ、それ、たぶん連絡通路に繋がるドアだな」


なんとも複雑な構造だ。この連絡通路はどこに繋がっているのだろう。


「鍵はかかってないね」


遼が丁寧な動作でそっとドアを開くと、そこにはやはり奥へと続く通路が現れた。


「ここは行ったことがないな」


湿気を帯びた空気が頬に生ぬるい。

気後れしつつも遼の背中を追って憂理が連絡通路に入ると、エイミとケンタもそれに続いた。

五感を研ぎ澄まし、警戒を緩めないまま進んで行くと、憂理の聴覚を何かが刺激する。


それは唸り、遠く雷が雨雲にわだかまったような重い響きだった。胃の底まで伝わるような、重く、長い轟き。


「なんか……聞こえないか」

憂理が訊くと、エイミがうなずく。


「聞こえる……グルグルって重いなにか……」


エイミの言葉にケンタや遼も同意する。

「なんか……いる?」


「いや」遼がかぶりを振った。「周期的な音だし……。生き物じゃないと思う。きっと機械か何かの稼働音だと思う」


――機械。

閃きを得かけた憂理の思考は、ケンタの呟きに邪魔される。


「ユーリ、キタんじゃない? うわさの拷問マッシーンじゃない? ほれエイミ、いままさに誰かが拷問されてるんだ」


「やだ、やめてよ」


あれこれ考えていてもラチがあかない。

調べるべきドアもない連絡通路にあって、今とれる選択肢は進むか、退くか。むろん憂理は前者を選ぶ。


だが不安を煽るように進めば進むほど、唸りは大きくなり、やがて4人の足音を完全に掻き消すほどになった。

轟音が自分たちの存在すら隠してくれているようで、いささかに心強い。

どうやら壁の向こうに機械があるらしいぞなどと話し合い、憂理たちは歩きながら壁に手を当てたり、天井を見上げたりした。


ようやく連絡通路の突き当たりに到達すると、憂理はレバーノブに手を乗せた。

「みんなここまでの道のりは覚えてるよな? いざ何かあったら生活棟に戻るんだぜ?」


三者三様の返事が即座に返ってくる。憂理は深呼吸をひとつすると、そっとドアを開いた。

部屋ではない。また丁字路だ。


正面に壁があり、右と左に続く通路には5メートル間隔でドアが貼り付いている。

憂理はここにきて、抱えていた不安が動揺へ変わるのを感じる。


広い、広すぎる。あまりにも。

自分たちが暮らすに生活棟は充分過ぎるほどの居住空間である。スポーツ活動を除き、面積で困った事などほとんどない。

しかし、この階下までを含めれば、施設の広さが余りにも無意味に思え、薄ら寒さすら覚えるのだ。


「ポンプ室って書いてあるわ」

エイミが近接するドアのプレートを目を細めて読んだ。


轟音も頷ける。

やはり連絡通路の壁向こうには大型の機械設備があったらしい。


「地下水」遼が呟く。「たぶん染み出してくる地下水をポンプで汲み上げ、排出してるんだと思う。地下鉄みたいに。じゃなきゃ、湧き水で溺死だ」


「こっちは発電室って書いてる」


「ここは設備機械の管理エリアみたいだな」


水道や電力、根幹ともいえる施設インフラに関する機械が集中している区画らしい。電力はここから全館に供給されているのか。


「リョー。この階の見取り図みたいなモノはないか? 部屋は多いわ、連絡通路がゴチャゴチャわじゃワケがわからなくなる」


「管理室とか管制室とかにあるんじゃないかな?」


「よし、いったんソレを探そう」


エイミとケンタが先行し、憂理と遼がその後をゆっくり追う。


「ボイラー室」


「ちがう」


「で……電算室?」


「ちがうな」


次々にドアのプレートが読み上げられ、そのたびに憂理は首を振る。


「あれ、行き止まりだ」


緑光が薄暗く気付かなかったが、たしかに通路が終わっている。しかし行き止まりに隣接するドアには4人の探していたプレートが貼られていた。

――管理室。


「ユーリ、ユーリ。ここだわ。はやく開けてみてよ」


「なんで俺が開ける役なんだ?」


「レディに危険な役をやらせる気?」


「よし」憂理はドアノブに触れる。骨まで染み入りそうな冷たさだ。


そっとノブを回し、そろりと開ける。

だが、ようやくドアを数センチ開いたところで憂理は動作を止めた。

――光、だ。


部屋から漏れ出した白光が、通路の緑と混ざっている。

――電灯がついてる!


危機を察した仲間たちが、憂理を残して素早くドア近くから身を引いた。なんとも薄情なことだ。


「……なかに、だれか、いる」


憂理は声を押し殺して言ったが、機械たちの稼働音にかき消されて、仲間たちに聞こえたかどうかはわからない。


同じくエイミも声を押し殺して何かを言ったが、憂理の耳には届かない。

ジェスチャーを見る限り、『なにしてんのよ! さっさとドアを閉めなさいよ、マヌケ』だろう。


しかし憂理のなかで、恐怖や危機意識よりも好奇心が勝った。

いまにも、ドア向こうにいる凶悪な『誰か』が、ガバッとドアを開き、襲って来るかも知れない。

そんな事は簡単に想像できる。


だが、その魅力的なスリルを前にして、身を引けるほど大人ではない。

自分はいずれ、この好奇心で身を滅ぼすことになるのかもな、と興奮する心の底で少し自嘲した。


そして仲間たちの必死のジェスチャーを無視して、ゆっくりと、それこそ数ミリずつドアを開き、中がのぞける程度の隙間を確保する。

内部からの白光が縦に伸び、のぞきこんだ憂理の顔面にも白い線を引いた。


それほど広い部屋ではない。

奥行きにして5メートル、幅は4メートルといったところか。これは洗濯室の半分ほどの面積だ。

壁際に並んだ書類棚のせいで、多少手狭に感じられる。特に、部屋の中央に陣取る机が大きくスペースを――。


憂理はハッとして眉を下げた。机に見覚えのある人物が座っていたからだ。

その人物は椅子に腰を下ろし、行儀悪く両足を机の上に放り出し、限界まで背もたれを倒している。

無造作な茶色い髪の下には鋭い二つの眼と、アヒル口――。


背もたれをギシギシやりながら、訝しげな表情で手にした紙へと視線を落としている。ここは断じて七井翔吾のオフィスではない。なのに、あの尊大な態度はなんだ。ローマ皇帝だって執務室でああはなるまい。


――なんて態度が悪い奴だ。ここはひとつ……。

憂理の服を後ろから誰かが引く。横目で見るとエイミとケンタが至近までやって来ていた。


「ねぇ、なにが、あるのよ」


「だれか居る?」


憂理はニヤリと笑っただけどで返事は返さず、隙間に向き直した。そして心のなかで1、2――3。

勢いよく、かつ素早くドアを開き、叫んだ。


「うおおぉぉ!」


「んうわあぁぁ!」


翔吾は不意を突かれてパニックを起こし、凄まじい形相で悲鳴をあげた。

そのままバランスを崩し、無様にも椅子から床へと転落する。腰の抜けた姿勢で床にへばり、ようやく状況を把握すると翔吾はわめいた。


「ちくしょう、許せねえ! 殺してやる! 絶対復讐してやる!」


ケラケラ笑ってエイミが言った。

「よく言うよ、ビビりの翔吾くんが。復讐とか絶対無理だね」


「んうわあぁぁ! はダサい」


ケンタも手厳しい。

そして最後に部屋へ入った遼は通路を右に左に確認すると、笑い声を閉じ込めるようにしてドアをゆっくり閉じた。



 *  *  *


5人も入ると管理室はさすがに手狭となる。

憂理は翔吾が足を投げ出していた机の角にちょこんと腰を下ろし、翔吾は椅子に座り直した。

遼はドア近くの壁に背中を預け、唯一のレディが立ったままにも関わらず、ケンタはパイプ椅子を譲ろうとしない。


「なんだ翔吾もノボルと合流できなかったのか」


「ああ」翔吾は頭の後ろに手を回し、また背もたれをギシギシやり始めた。


訊けば、どうやら翔吾も憂理らと同じようなルートを経由しこの部屋へたどり着いたらしい。


「それはともかく、だ。なんでエイミと遼がいるんだよ」


翔吾の視線が厳しい。特にエイミに、だ。――『遼はともかく』とでも言いたげな視線だ。

憂理とケンタがこれまでの経緯を順を追って説明するも、翔吾はアヒル口を尖らせたままである。やがてエイミが肩をすくめた。


「こんな面白い話、乗らないほうがどうかしてるじゃん」


「女は口が軽い」


「バカね。だからこそ女子のネットワークには色んな情報が飛び交うんじゃない。私は情報屋として憂理に雇われたの。ね、憂理?」


「ん、まぁナル子にも内緒にするって言うし、エイミは情報屋、遼は……」


「賢いから、テレビで言うコメンテーターだよ。俺たちの間違いを直してくれる」


ケンタが嬉しそうに言うと、遼が即座に反応する。

「コメンテーターが必ずしも賢いとは限らないよ」


「ほらね!」


嬉しそうなケンタを横目に、憂理はゆっくり頷いた。


「正直なところ、エイミや遼の協力があれば、色々やりやすい。俺たち三人じゃ足りないことが多いしな」


翔吾はしぶしぶといった様子で「ぜってぇ秘密だぞ。喋ったり裏切ったら許さない」とエイミに釘を刺した。

一方のエイミはニヤニヤと笑って「ハイハイ」とだけ返す。


この場が丸く収まったのはよいが、どうも女子というのは男子を子供扱いする。と憂理は複雑な気分になった。

女は男を幼稚だとか言うが、星占いや夢占いに時間を費やす方が、よほど幼稚ではないか。

ケンタは憂理が抱いた不満を微塵にも感じないらしく、翔吾に問うた。


「で。翔吾はここで何をしてたの? 休憩?」


「バっカ」翔吾は鼻で笑って、床に落ちてしまっていた数枚の紙を拾い、机カドに座る憂理に手渡してくる。


「なんだよ?」憂理は紙面に目を落としながら尋ねた。


「なんだと思う?」


「名簿か?」


「ああ、名簿だな」


数枚の紙面にはびっしりと個人情報が書き込まれていた。

本名、住所、連絡先。血液型に生年月日に両親の名前。これはそれこそ『女子』の占いマニアなどがヨダレを垂らして欲しがる情報じゃないか。


「これがどうした?」


憂理の疑問に翔吾は答えようとしない。ただ椅子をギシギシやるだけだ。

入り口近くにいた遼や、エイミも憂理のそばへやって来て、憂理の手にした紙を一枚ずつ受け取る。


「あ、あたし発見。ケンタの名前も発見。えっとケンタでしょ。菜瑠でしょ……。ユーリは……ええと、トクラ、トクラ、トクラユーリは……」


憂理も名簿をザラッと確認してみる。意外性もなにもなく、そこにはエイミの探している杜倉憂理の名があった。


「この名簿用紙、学長のか?」


「さぁな。……ただ、何だか違和感がある、だろ?」


――違和感?

憂理が翔吾の言葉に再度名簿へと視線を落とすと、横からエイミが呟いた。


「違和感は、これね……。ケンタのお父さんの名前――『金太』。こんな、アレな名前ありえない……」


「ちげぇよ! ケンタの親父なんてどうでもいい」


憂理も違和感を探すが、特におかしな点は見あたらない。


「ええと。ショーゴ、これか? ナル子の名字のヤバさか? ……『路乃後』。ジノゴ? ロノゴ?」


「バカね、ミチノウシロよ」


やはり貴族は違う。名字からして何だか高貴な感じがする。憂理が感心していると翔吾が苛立たしげに首を振った。


「ちげーってば! アホか、お前らはよ。名前とかそんなんじゃなくて!」


「……人数」遼がぼそりと呟いた。


「翔吾が言いたい違和感って、人数だよね?」


紙面を見つめたまま遼は動かない。


「ビンゴ! 正解! さすが」


「人数?」


「人数って?」


「人数?」


憂理やエイミ、ケンタにはまだ理解できない。翔吾が上機嫌になって、名探偵よろしく遼に解答を振った。

「では、リョー君。解説してあげたまえよ」


遼は軽く頷いて、紙面に対して指を立てた。そうして一行目を指差すと、スッと縦に最終行まで指を滑らせる。


「一枚につき、50行。つまり50人」


「うん」だか「ああ」だか「ええ」といった相槌。


「そして、憂理の持つ紙、エイミの持つ紙、僕の持つ紙はすべて違う内容だ。つまり、この場にある名簿だけで、150人」


――なるほど。

憂理はここでようやく、翔吾や遼の言わんとする事を察した。一方で、ケンタの呑気が言葉になって飛ぶ。


「それが、なんなの?」


「この名簿は、この施設で生活してる人の名簿。それは、僕たちの名前がある事からも明白」


「うん」


「違和感は、人数なのさ。僕たちは……生活棟にいる全員を合わせたとしても、150人もいない。だいたい70名前後のはずだ」


「正解! 倍近く人数が違う」


なるほど。たしかに気がつけば大きな違和感だ。憂理は首をひねり、唇を噛んだ。ひとつの疑問は、さらなる疑問を呼ぶ。

誰が居ないのか。誰が存在していて、誰が存在しないのか。なにげなく、憂理は名簿に並んだ名を一つずつ確認しはじめた。


だが、すぐにその作業の無意味さに気付くと、名簿自体から目をそらしてしまう。憂理は、生活棟に『存在』してる生徒の全員を知っているワケではない。

夢でも幻でもなく、生活棟で学び、食べ、遊んでいる生徒たち。その大部分の名前を知らない。

ゆえに確認のしようもないのだ。

それが、憂理には何やらソラ恐ろしく思えてくる。


――生きている幽霊。

脳裡をかすめたそんな単語。憂理はそれを振り払うようにして、翔吾に問いかけた。


「問題は、施設にいない80人がどこにいるか……」


「ああ、いくらなんでも多すぎる、だしな」


「俺の見た……やつれた女もこの名簿に含まれてるのかな?」


「さぁな。名前もわかんねぇし、確かめようがない」


――もう一度……行ってみるべきか。

あの助けを求めていた痩せぎすの女。あの女に話を訊けば、様々な疑問が一気に解決、氷解するのではないか。そのためには……。


「翔吾。見取り図……ないかな?」


「俺もそれを探してたんだよ。いくらなんでも、ここは広すぎるしな」


「よし、探してみよう」


言うが早いか憂理は書類棚に歩み寄り、端から順に書類を取り出しては、その内容に目を通し始める。

翔吾とケンタは机の引き出しを漁り、遼とエイミは積まれたダンボールをそれぞれに開いた。


「なによコレ。作業標準手順書……改訂?」


「ええと、バイオドライブ浄水システム概要」


「排水ポンプメンテナンス」


「超小型モジュラー炉……NKSS稼働点検。これ……」


遼が部屋の端で固まった。

めいめいが手にした紙資料から眼鏡の少年へと視線を集中させる。


「なんだよ」


「コレ……原子炉だ」


「原子力発電の?」


「うん、何かで読んだ事がある。小型原子炉……。NKSSなんて名前は初めて知ったけど」


遼が受けているであろう衝撃は、他のメンバーには微塵にも伝わらない。

皆が興味を失い、見取り図探しに戻っても、遼は原子炉の資料を見つめ続けていた。

「空調システム、酸素循環」


「下水処理バイオコーム……」


興味のない資料のタイトルを読み上げるのも骨が折れるものだ。飛び交う言葉は施設管理、いわばインフラに関する単語ばかりで面白味のカケラもない。

そうして数分だか数十分だかが過ぎた頃、団子髪の少女が呟いた。


「何よコレ……でかい紙ね。あーと『建築施設名、DDメサイアズフォーラム』? ……『施工、須佐見OCC建設』……」


「それ!」憂理は思わず叫んだ。「それだよ!」


「えっ?」


「それ、建築図面だろ!?」


憂理がエイミのもとに駆け寄った時には、すでにページが開かれていた。


「これがそう?」


見れば、複雑に線が交差しており一見にはただの模様にも見えた。

しかし線には細かく数字が書き込まれている。見る者が見れば、通路に始まり配線や配管まで一目瞭然なのだろう。


ぬっと図面に頭を突き出した翔吾が紙面全体を一瞥すると、顔をあげてニヤリと笑う。


「ビンゴー」


この図面があれば、施設の詳細な造りが視覚的に理解できる。閉じた新聞紙ほどの紙が緑色迷宮探索の心強い味方となるのだ。

自分の発見で、みなが色めき立ったのに気を良くして、エイミが得意げに腰へ手を当てる。


「大発見というワケね。さすがアタシ。エーミちゃん、まじパネース。じゃあコピーを……」


エイミが言い終わるのを待たずに、憂理はページを破った。必要とおぼしき場所、地下と生活棟の部分だ。


「ちょ! あんた何するのよ! アタシの図面!」


「こんなもん、隅っこで埃をかぶってたんだ。破ったところで、誰も気づきゃしない。それに、コピー機なんてここにはないぜ?」


「だな」


「たしかに」


男性陣の意見はすぐに一つとなり、むしろ『さすがトクラ氏、おやりになる』という賞賛の視線すらあった。

そんな男性陣を見回し、やがてエイミはため息をついた。


「……まぁ、いいわ」


憂理は破いた図面を手にしたまま机に向かうと、散らかり放題の机上に転がっていた赤ペンを拾い上げた。そして机の上を乱暴に片付けると、図面を広げる。


「部屋の線を赤で線引きするよ。部屋のひとつひとつが分かりやすくなるように」


机上から床に落ちた緑ペンを拾い上げ、ケンタが言う。

「じゃあ通路は緑で線引きする」


「よし、俺は赤を手伝う」


翔吾とエイミが赤を手伝い、遼は緑だ。

五つの頭を寄せ合い、へし合い、綿密すぎる建築図面に次々と部屋や通路を浮きあがらせてゆく。

図面で見る限り、やはり現在憂理たちがいる場所は、行き止まりの袋小路になっている事がわかる。憂理は管理室を赤で囲い、『管理室』と書き込む。


――この通路の角にある部屋がポンプ室で……その隣がボイラー室だったか。


「あの痩せ女が居た場所はどこだろう」


『大人』の足音から逃げて、迷い込んだ場所は……。憂理の呟きに翔吾が図面を指差した。


「ここが出入り口だったんじゃね?」


そして緑線引きの作業を続けるペンたちを押しのけて、翔吾の指先は移動して行く。


「この通路を進んで……。ここで俺とユーリは行き止まりに突き当たった、だろ?」


指はさらに紙面をすべり、昨晩の経路をなぞってゆく。連絡通路を通って、丁字路を奥へ、その突き当たり……。


「ここだな」


翔吾の指がピタリと止まった。

いまだ色付けされていないその領域は、図面を見る限り別区画のようだった。

この管理区画と同じように、連絡通路から数部屋に繋がっており、小部屋を含んだ袋小路になっている。


その部屋割りは、どことなくではあるが、憂理に牢屋を連想させた。憂理は脳内でその空間を描き、想像でその場へと訪れてみる。


連絡通路のドアから出ると、片側に看守が座っている。

やる気の感じられない看守が眠そうに雑誌を読んでいる。

看守を一瞥して通り過ぎると、すぐに鉄格子に歓迎されるんじゃないか。


そして、それをくぐり抜けると右から左にズラリと並んだ牢獄。鉄錆の臭いが鼻先に重い。ここは動物園かと錯覚するほどの光景、そして濃縮された『生物』の臭い。


冷ややかな鉄格子の一つから、白く細い手が伸びている。

虚空を掻くようにして、指をまげ、ただ憂理を求めるのだ。――タスケて。と。


「ここに……あの女がいるのかな……」


「だろうな。だけど今はノボルを連れ戻すのが先決、だぜ?」


図面を囲んだ五つの頭、そのうちの一つが頷いた。遼だ。


「全体をエリアごとに分けて、手分けして探すのが効率的だね」


遼は唇に人差し指をあてながら続けた。

自分たちは昼食を取っていない。

この上、夕食の時間までに戻らないとなると、不審に思う奴が出てくるかも知れない。

そいつが学長や深川に告げ口すれば、マズい事になる。

一度ならず二度までも立ち入り禁止区域に侵入しているのだ。決して罰は軽くないだろう。


「あたし、罰とか嫌だからね!」


高い位置で腕を組んだエイミに、憂理は言い放った。

「今さら、罰なんて怖くない」


不可解な地下。どう考えてもその謎を解き明かすべきだ。

地下で誰かが助けを求めている。それを罰則を恐れ知らぬフリなど、男として最低だ。

憂理の言葉に翔吾とケンタが大喜びだ。拍手喝采の典型的な見本を見せて、素早くハイタッチをして空中に乾いた音を響かせた。


「いえい、ユーリ! よく言った! やっぱ男なら、タフに生きないとな」


「それでこそ男だよ、うん。タフガイだよ」


『男』という単語は、男子たちの矜持を十分すぎるほどくすぐった。少なくとも、翔吾やケンタ、それに憂理とって『男』であるというのは特別な意味があるのだ。


しかしその特別な単語も、唯一の女子であるエイミの琴線にはまるで触れない。


「馬鹿じゃん」


翔吾は理解されないことに、むしろ喜びを感じているようで、胸を張る。


「女にはわからん。男には自分の世界がある」


ケンタがすぐに言葉を拾う。


「例えるなら?」


「空をかけるヒトスジの流れ星」


歓談室で見たアニメの歌を二人が合唱しはじめ、それを横目に憂理が頭をかいた。

「まぁ、俺たち男だから、罰なんかにビビってられないってこと。なぁリョー?」


「罰で済めばいいけどね……。まぁ僕は付き合うよ」


「……アタシだって気になるんだよ? 誰が地下にいるのか、学長が何を隠してるのか。でも……」


エイミが視線を落とした。

でも、こんな、すぐに露見するようなやり方では、無謀なだけ。馬鹿なだけ。


バレて駄目になったら、最初から……全部が……虚しいじゃない。

そんな風なら……。

エイミの言葉を遮って、翔吾が言い放った。


「嫌なら、いますぐそのドアを開けて、生活棟に帰れよな。誰も止めやしない。――んで、このことは誰にも喋んな。ホラ、さっさと帰れ」


その言葉は冷たい。

エイミは抗議したそうに唇を半分まで開いたが、言葉は出なかった。

そうして沈んだ雰囲気のなか、エイミはドアへ歩み寄り、音もなくノブを引くと、緑の世界へ姿を消した。


「翔吾! 言い過ぎだよ!」


諌める遼の言葉にも翔吾は動じない。


「いいじゃん。女なんて信用できねぇし、邪魔になるだけ、だよな、ユーリ? な、ケンタ?」


憂理は返答に困った。なんだか、自分が酷く思いやりのない人間になった気がする。

口ごもった憂理と同様に、ケンタも冴えない表情だ。小太りの少年は、目を伏せてポツリと呟いた。


「エイミ、ちょっと泣いてた」


憂理の罪悪感が、ようやく言葉となって漏れた。


「悪いことしたな……。図面みつけてくれたのに……」


「エイミが帰るならついていくよ。謝っとく」


言うが早いか、ドアに向かったケンタに、翔吾が何かを投げた。くしゃくしゃに丸まった紙……図面だ。


「女の手は借りねぇ。エイミが見つけたってなら、エイミが持って帰れよ!」


憂理やケンタに対しても完全にへそを曲げたらしい。ケンタは不快そうに床から図面を拾い、言った。


「翔吾、男らしくないよ。何てことするんだ」


「行けよ! さっさと!」


言われるまでもなく、無言で背中を見せたケンタはドアの向こうに消えた。




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