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13月の解放区  作者: まつかく
6章 エデンの地下で 
49/125

6-3a 裁判の裏で

憂理は無機質な建屋にいた。


まっすぐな通路が突き当たりの窓まで続いている。

建屋内を照らす明かりは、窓から差し込んでくる緋色の光だけだ。とても、薄暗くはあったが、神秘的でもあった。窓の外には夕暮れが訪れている気がするが、違うような気もする。とても静かで、寂しくて。


憂理はここが病院であることに気付いた。

緋色の差し込む通路のあちこちにストレッチャーや、カートがある。だがストレッチャーには誰も乗っておらず、カートには汚れた器具だけ。これらは置かれている、というよりも放置されたという印象を与えてくる。


天井や壁も清潔とは言い難い状態だ。剥がれかけた壁紙が壁のあちこちに黒い影を生み、天井だって今にも崩れ落ちそうな――。

静かだった。

少なくとも憂理の知っている『病院』というものではなかった。とても静かで、もの悲しくて、不潔で。不吉で。


窓へ向かって歩いて行くと、ひとつの部屋に明かりがともっていることに気がついた。

憂理は通路から外れて、魅入られるようにしてその部屋へ向かった。


扉を開く。これは手術室だろうか。

肌寒さすら感じさせる青白い照明が部屋中を照らしている。壁も、床も、天井も、全てが白いタイル張りだった。床には手術にもちいられる器具が乱雑に散らばり、ぎらぎらと銀の反射を見せた。


中央には手術台がある。

じっと見つめていると、その台に寝ていた人物がむっくり起き上がった。


そして、何か言った。

だが聞こえない。


その人物は上から下まで真っ白だった。

真っ白な包帯に覆われていた。皮膚という皮膚が包帯に覆い隠されている。

だが、『ミイラ男』ではない。これは『ミイラ少女』だ。憂理はそう直感する。

目も口も鼻も見えない。だが少女だ。


また、彼女が何か言った。

それは聞き覚えのある声に思えた。いつか、どこかで聞いたような声――これは自分の知っている人に違いない。

憂理は歩み寄り、少女の顔を覆う包帯に手をかけた。

聞こえないよ、と憂理は言う。少し声を荒げて、言う。


すると、少女が何か言った。だが聞き取れない。

憂理は包帯を破くようにして、少女の顔を暴こうとする。


剥く、剥く、剥く。だが顔は現れない。彼女は剥かれることに抵抗もせず、ただ包帯の奥から同じ言葉を繰り返している。


「……ったんだよ……ったんだよ」


だが剥いても剥いても、顔が現れない。包帯の山がタイルの床に築かれても、本体が現れない。

これはミイラ少女ですらない。タマネギ女だ。包帯そのものが実体であるかのような。


「終わったんだよ。終わったんだよ。終わったんだよ。終わったんだよ。終わったんだよ。終わったんだよ。終わったんだよ。終わったんだよ。終わったんだよ。」


木製バットより細い――『芯』とも言えない姿になった包帯少女は同じ言葉を繰り返し、やがて床の包帯山の一部となった。実体はなく、包帯しか残らなかった。



「ユーリ!」


呼ぶ声に気がつくと、目の前には菜瑠。眉間にしわを寄せ、心配そうにのぞき込んでくる。憂理はびっしょり汗をかいて、喉が潰れそうなほど渇いていた。


「どうしたの? 叫んだりして」


いつの間にか眠ってしまっていたようだ。覚醒しきらない頭に病院は依拠の不吉な印象だけが残り――尾を引いている。


「ごめん、夢……みてた」


「突然叫ぶから……びっくりした」


「ああゴメン、とびっきり嫌な夢だった……。俺、なんて叫んだ?」


「中身が、中身が、中身がない、中身がない、って。どんな夢だったの?」


目の前にしゃがみ込んで、不安そうにしている菜瑠を見ると、不吉とはいえ、たかだか夢などで怖がらせるのは申し訳ない気がして、憂理は誤魔化すことにする。


「ん……。ゆで卵を食べようとしたら、黄身がなかった。別に黄身が好きってワケじゃないけど、これじゃ『卵色』が今後は『真っ白』になるな、じゃあ『白』いらなくね? っていう夢」


適当に答えてみたものの菜瑠の不安を和らげる効果はあったらしく、彼女は呆れた顔で安堵のため息を吐いた。


「もう、ばかね」


「俺、どのくらい寝てた?」


「わかんないよ。いつから寝てたのかも知らないし」


「翔吾たちはまだか……」


「うん。エイミも」


これは、どうも別々に収監されたらしいぞ、とつたないい推理を働かせるが、そうして推理したところでその正しさを証明する手立てもない。


「ねぇ、ユーリ。ちょっと問題があって……」


薄暗い部屋の中であっても、菜瑠の表情が優れないのはわかる。


「また問題か。なんだよ?」


「うん……それが……」


「それが?」


しばしの間を持たせた後、菜瑠は小声で言った。


「……トイレ」


脱力が憂理の肩を落とす。なんだ、そんなことかよ、と。だがよくよく考えてみると、それが重大な問題――深刻な危機をはらんでいるいることが理解できてくる。


「うむ……。つまり、ウンコ?」


「違う! やめてよ、バカね!」


「じゃあションベンか」


「違うの! でも今じゃなくてもそのうちしたくなるでしょ!」


「たしかに」


憂理はその正しさを認めると、立ち上がり、激しくドアを叩いた。


「おい! トイレだ! ナル子がションベンだ! 今すぐ開けろ! ナルが手遅れにナル!」


だがドアの向こうから反応はない。誰もいないのか、あるいは無視しているのか。


「こんなトイレもないような場所に閉じ込めんのがお前らの望む理想世界なのかよ! 世界が汚れちまうぞ、ションベンで!」


いささかにデリカシーに欠ける物言いではあったが、事態は深刻だ。過日『お漏らし』で自殺――極端な手段に出た女生徒だっていたではないか――。


「ねぇ、ユーリ。実は……」


「なんだよ」


「トイレ……渡されたの」


これは日本語として不自然に思えた。トイレは渡すような物なのか? そんな疑問に首をかしげた憂理に、菜瑠は部屋の隅を指差した。「……あれ」


そこにはバケツがあった。


すぐさま、それが意味するところを理解し、憂理は嫌悪感を覚えた。

こんな、ぞんざいな扱いは失礼じゃないか。独房の死刑囚だってもうすこしマシな待遇で暮らしているはずだ。

腹立たしく思いながらも憂理はバケツに歩み寄って、それをまじまじと観察した。くすんだネズミ色のそれは、掃除に使うような無骨なデザインだ。

そうして中をのぞき込んでホッとする。ありがたいことに、まだ『未使用』らしい。


「これにするん? まじで?」


「私に聞かないでよ。閉じ込められた直後に、放り込まれたの。一言『トイレ!』って」


たしかにバケツはトイレとしての最低限の機能を果たすだろう。だが、受けて、溜める、それだけだ。それは床にするよりはマシという程度でしかない。


「本気かよ。――で、ピンチな奴いる? 俺はまだ大丈夫なんだけど」


「私も……まだ大丈夫。四季は?」


名指しされた機械少女は以前も憂理が見た姿勢のまま部屋の隅で三角座りをしている。彼女は菜瑠に名を呼ばれて、ようやく首だけを動かした。


「耐えてる」


「なんだよ。ヤバいんじゃん!」


「ヤバい、と表現するほどではないわ」


「大小どっち?」


「答える義務はないわ」


「あるだろ、お前。もしデカいほうだったら、そりゃあお前だけの問題じゃないんだぜ? この部屋にいる全員の問題として取り組んでいかねぇとよう。バケツにするにしても、しないにしてもよう」


「いずれにしても、耐えるわ」


こうは強情を張るものの、忍耐によって破局的結末が遠ざかるものでもない。時間の経過と共に生理欲求は高まるに違いないのだ。それは四季だけでなく、憂理や菜瑠にとっても悲劇的な結末への道だといえる。


「よし。次に誰かが通りかかったら、トイレの要求だけは通そう」


小用ぐらいならば男の憂理には抵抗がないが、さすがに女子にバケツをあてがうなど人権を無視した行為だと思う。フェミニスト団体に言いつければ、糾弾の槍玉となろう。


「ねぇユーリ。私もね……実はちょっと耐えてる」


――ああ、ナル子。


憂理は軽くため息を吐いて、頭を掻く。遅かれ早かれではあったが、実はかなりのピンチなのではないか。トイレ・クライシスなのではないか。

どうしたモノかと思案に暮れていると、四季が恨めしそうにバケツを睨んで言う。


「1回の尿量が平均300ミリリットル。そのバケツの容量が5リットル。1日平均6回排尿するとして1人あたりが生み出す尿量は1.8リットル。3人で5.4リットル。1日たらずでそのバケツの総容量を超えるわ」


「いや四季。そういうのはいいって」


「そのバケツを置いた人はその程度の想定もできない人なのか、あるいは長く閉じ込める気がないのか。正確に言えば、この部屋には水場が無く、私達は水分補給ができないから、排泄頻度は低下する。でも実際は尿量だけでなく――」


「わかった、わかった。なんとかしよう」


これは四季なりのT.E.O.Tへの非難なのであろう。そうしてドアに耳を当て、憂理は外の状況をうかがった。

遠く、誰かが怒鳴り散らしている声。金属的な何かが床に落ちる音――これは騒がしいと表現するにふさわしい。


――なにかあったのか?


だがドア越しで耳をすませているだけでは状況が細やかには把握できない。ここで思い当たるフシはひとつ、『半村派の排除』それが実行されているのだろうか。

やがて遠い喧噪からひとつの足音が近づいてきた。憂理はここぞとばかりに拳を硬く握り、ドアを叩き壊さんがばかりでノックした。


「おい! 話を聞いてくれ! ちょっと、マジやばいんだってッ! お前ら1日のニョーリョーの計算もできねぇのかよ!」


「にいちゃん中に誰かいるよ」


ようやくドアの向こうからの反応があった。幼い声だ。憂理はひときわ大きな声でがなり立てた。


「いるいる! いるよ! 閉じこめられてんだ! 出してくれ! 四季がやばいんだ」


「やばくないわ」


「待て待て。開けてやる」


今度は男の声だ。ドア向こうから響く――金属同士がガチャ、ガチャと擦れ合う音が今はどんな音楽よりも好ましく聞こえる。

やがて、薄暗い部屋に通路からの光が差し込んだ。いくらか温度の低い、いくらか湿度の低い空気が隙間から入ってくる。

最初にのぞいたのは小さな顔。次にのぞいたのは大きな顔。


「ん。なんだ、ユーリ。こんなところで何してる? それにナル子。あと……おまえ永良か?」


見ればジンロクではないか。幼い弟妹を連れて、不思議そうに部屋内をのぞき込んでいる。


「タカユキに閉じこめられたんだよ!」


「なんでだ?」


「知らねぇって。面談するとか言って、あの野郎ワナ張ってやがった。とんでもねぇ新世界だ。でも助かったぜ、ありがとな」


憂理が気安く弟妹の頭をポンポン叩くと、弟妹たちは顔をしかめて頭を逃がす。


「なあ、ロク。翔吾とケンタを見てないか? アイツらもどっかで捕まってると思うんだけど」


「俺は知らんな。だいたい、お前らを閉じこめて何をしようってんだ?」


何をしよう、ではなく、何もさせない、が正解であろう。憂理はドアの近くまでやって来ていた菜瑠と四季に目配せした。


「よし。まず、トイレに行ってから、だ。それから翔吾たちを探そう」


菜瑠がホッとした表情で頷くが、それとは対照的にジンロクは表情を曇らせて首を振る。


「おいおい探すって、いまはソレどころじゃないぞ。今からウロつくなんて止めとけ」


「なんで?」


ジンロクは通路の右を見て、左を見て、弟妹たちを押し込むようにして部屋に入ってきた。そしてドアに靴先を噛ませ、完全に閉まらないようにしてから言う。


「狩りだよ。狩りをやってる」


「狩り?」


「半村たちを排除するらしい。食堂で決まったんだ」


ジンロクの説明によれば、憂理たちの面談と同時進行で『裁判』が行われたらしい。

それは半村や深川を裁くものでなく、半村に荷担した者、つまりは半村奴隷を裁くものだったとジンロクは言う。


「誰が言い出したかわからんが、とにかく、カネダは有罪になった」


「有罪? そりゃツラからしてそうだろうけど、有罪にしてどうすんだ?」


「後に恨みつらみを残さんためらしい。罪を認め、罰を受けて、悔い改めればヨシとか言う話だったな」


誰が言い出したか。何のために言い出したか。そして何を基準に裁き、どんな罰を与えるというのか。憂理の疑問を察したジンロクは、問われる前に肩をすくめた。


「よくわからん。たぶんカネダも良くわからんかったと思うぞ。だから、アイツは逃げた。ヤバさ感じたんだろうな。俺だって感じたしな」


「そりゃあな」


「食堂でカネダが逃げた時、半村に従ってた奴の半数も逃げた。『次は自分だ』って思ったんだろうな。パニックだったよ。おかげで俺の裁判はウヤムヤになったが」


「逃げるってドコへ?」


「さあな。ただみんな武器を手にして殺気立ってる。たぶんカネダたちも必死だろう。俺は関わりたくない。もうこういうのはゴメンだ。ユーリも今は大人しくしとけ。死にたくも、殺したくもなかったら」


自分が監禁されている間に、そんな出来事があったとは。憂理は馬鹿馬鹿しく思う。

T.E.O.Tの連中も、器が小さい。『半村奴隷』の処遇を誤ればトラブルの元になる事は明らかではないか。

どうして火に油を注ぐようなマネをするのか。


確かに憂理自身、カネダたちへの憤りを忘れたワケではない。だが今は対立してる場合でもなかろう。自分たちが団結して半村なり深川なりに立ち向かわなければ、事態の悪化を招くばかりではないか。


「その裁判っての、タカユキの指示か?」


「いや、たぶん違うな。TEOTの連中、帰ってきたタカユキに叱られてたよ。たぶん一部の跳ねっ返りの独断だ」


ジンロクの観察が正しければ、これはタカユキにもコントロールしきれていない状況と言うことになる。


「とにかく、今はおとなしくしとけ」


ジンロクは手にしていた金具を倉庫の端に置いた。U字ロックを連想させる形のその金具が、ドアを閉ざしていたのだろう。


「でも、四季とナル子がやばいんだ。漏らしそうなんだ」


「やばくないわ」


「私だってソレほどじゃない」


「カッコつけんなよ。どのみちなんだから」


ジンロクは菜瑠を見て、四季を見て、頭を掻いた。


「でもお前たち目を付けられてるんだろう? でも……便所はしかたないな。俺が付いていくよ。何かの役には立つかも知れん」


そうして幼い弟妹に言う。「お前らはここで待ってろ。誰か来たら隠れるんだぞ」


しかし憂理は賛同できない。

ここは監禁部屋で、もし仮にT.E.O.Tたちが巡回に来た場合、憂理たちの逃亡が発覚し、ジンロクたちにも迷惑をかけることになる。ジンロクとその幼い弟妹が自分たちのせいで《《有罪》》とされたら夢見が悪い。


「いや待ってくれロク。トイレに行って、俺らはそのまま脱走するよ。このままこの施設にいたって、状況は良くならない。それに、危ないのは今に始まった事じゃないしな」


ジンロクは憂理の言葉を吟味するように黙り込み、やがて言った。


「相談なんだが……。俺たちも連れて行ってくれないか」


「ああ。ロクが逃げたいんなら、来ればいいよ。ここは『教育に悪い』からな」


「そうさせてもらいたい。じゃあ憂理たちはここにいろ。俺が七井たちを探してくる」


「いや。俺たちも行く。どうせ、遅かれ早かれだ」




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