6-2b 監禁
ナナコ、ヒルカ、カナ。3人のT.E.O.T女子に囲まれても、七井翔吾はひるまない。
「ワナ、罠。ワナ女だ。お前らはよ! 産地直送のイベリコは騙せても俺は騙せねぇぞ!」
「ワナって何よ! 失礼よ!」
「失礼なことあるか! だいたい、脱走しようがしまいが俺の自由だろ、ブタどもが!」
別室に連れ込まれてから、翔吾は強硬な姿勢を一切変えなかった。
脅しても駄目、なだめても駄目、むろん色仕掛けなど通じない。この調子ではどんな引き止め策も通じない――と面接官たちはようやく気づいた。
ヒルカが疲れた様子で翔吾に訊く。
「七井くん。あんた一人でも脱走するの?」
「ひとり?」
「一人よ。トクラ君が脱走やめたってさー」
「ウソ言うなよ。信じるとおもってんの?」
「ウソじゃないよ。イツキが説得したってハナシ。あの2人、付き合う事にしたんじゃないかなー」
翔吾は怪訝に眉を寄せ、少し考え、やがて不敵にアヒル口を歪めた。
「ねぇな。それは」
「ない事ないよ。事実だもん」
「ユーリに限ってねーんだわ。俺らは女どうこうで生き方を変えないんだよ。お前らにはわからん」
「裏切られたんじゃないの?」
「いーや。お前らが俺を騙そうとしてるんだ。だいたい試合中にメンバーを疑わないのが最高のイレブンってもんだ。どうせこれも罠、だろ?」
「ガキねー。男の友情を壊すのが何か知ってる?」
「壊れねぇから」
「金と車と女よ。アンタらには金も車もないから女で壊れる運命なのよ。んで壊れたね」
腕を組んだ3人の女子を前にして、翔吾は肩をすくめた。
「あそ。女の友情が羨ましいぜ。絶対に壊れないもんな」
「んー。そうでもないと思うけど……」
「いいや。壊れねぇ。なんでかわかるか? 元からねぇから、だよ」
「無茶苦茶いわないでよ! アンタ性格最悪だね!」
「無茶苦茶いうのはお前らだろ! お前らは夢占いと星占いで薄い友情そだててろ!」
放言暴言のやりとりに終始して、話し合いは平行線だ。こうなっては話し合いとも言えない、ただの口げんかである。
もっとも、譲歩する気がさらさら無い翔吾を説得などもとより不可能であった。
『脱走するな』と言われたら意地でも脱走するのが男の道だと考えていたからだ。
「もーいーや」ナナコがウンザリと言った様子で言う。「コイツ、無理だよ」
他の2人も同意見に辿り着いたようで、冷めた表情を見せる。
「無理無理」
そして面談の終了も告げずに倉庫のドアから出て行く。
ナナコが出てカナが出て、ヒルカが出た直後、入れ替わりに遼が入ってきた。そして押し込まれるようにエイミ。
そこでドアが閉じられた。
「アホのワナ女どもめ。今日のアンラッキーアイテムは七井翔吾だったな」
ズレた眼鏡の遼が聞く。
「どんな事いわれた?」
「ワナな事だ。看破してやった」
「アタシ、ドーシから施設に残るよう口説かれ攻めされたんだけど、カウンターで情報をせしめてやったわ」
「どんな」
「詳しい外の状況」
「破滅してるゥー、新世界最高ォー、だろ?」
「もっと詳しい話よ。まぁみんなが集まってから発表……。っていうか」
エイミと翔吾を後目に、ドアへ向き合った遼がつぶやいた。
「開かない」
「……かせよ」
翔吾が怪訝な表情でドアへと歩み寄りノブを回す。だが、やはり開かない。
ノブは回る。だが開かない。
「おい! なんか引っかかってんぞ!」
ドアを叩いて訴えるが、返事はない。
「おい!」
翔吾が叩いて、エイミが叫んで、翔吾が怒鳴って、エイミがわめいて。やがて頭をポリポリ掻いて遼が言った。
「まいったね、外から細工したんだ。ワナだったか。閉じ込められちゃったね。まさか監禁とは……。シンプルなことするね」
* * *
ドアから1歩踏み入った瞬間、憂理は強く背中を押された。
バランスを崩して、ト、ト、っと2歩ほど室内へ入った所で体勢を持ち直し、素早くドアへと振り返るがドアはすでに閉じられていた。
「オイ!」
ノブに手をかけ素早く開こうとするが、ノブがむなしく回るばかりで開かない。
「……めんね……クラ君。……ウソじゃな……が……イケな……」
ドアの向こうから微かにイツキの声がする。
「オイ! 開けろ!」
『話が違う』のは自分がハメられたからだ、憂理はすぐさま自分のマヌケを呪う。――『地下階ノブと食料を渡す』それを信じた自分が馬鹿だった。
何度ドアノブに踊らされれば気が済むのか。マヌケったらない。
「ユーリ」
呼ぶ声に振り返れば部屋の中には菜瑠がいた。部屋の中央にぽつりと立っている。
「ナル子……」
焦りとも困惑とも言える複雑な感情が憂理の胸を焼いた。これは罪悪感というものだろうか。
「私、ここで面談だったんだけど、閉じ込められて……」
とにかく平常心を装い、憂理は軽口に走る。
「次は俺と面談するか。ナル子のマヌケさについて」
「いやよ。マヌケって言うなら四季もそう」
見れば部屋の隅に四季がいる。三角座りでじっと憂理を見ていた。「お前らなぁ……三者面談かよ」
ため息を吐いて憂理はドアへと向き直った。サムターンをカチャカチャ回して、ノブも回す。
「無駄よ」四季が言う。「外から何かされてる」
「何かって、例のコンピューター制御的な?」
「違うわ。もっと原始的で物理的な手段で」
「ユーリも『残留』を要求されて断ったの?」
「いや、うん。まぁ……そんなトコ」
言葉を濁しながらドアを叩き、頑丈な金属に悪態をついた。そして誤魔化すように菜瑠に尋ねる。
「ナル子は何を言われた?」
「生活委員としての職務を果たせ、って言われたわ。脱走なんて無責任だって」
「一理あるよーな、ないよーな……。四季は?」
「言いたくないわ」
「ふうん」
きっと、自分が推測した通りの事が起こったに違いないぞ、と憂理は少し誇らしい気分。菜瑠が唇に指を添え、心配そうに言う。
「エイミたちは?」
「まだ面談かな……。こんなアホな事に付き合ってるヒマねぇのに……」
「どうしてこんな事するの? 私たちが外に出るのがイヤなの?」
憂理はドア横の壁に背中を預け、ため息を吐いた。
「たぶん、終わってないんだろ」
「終わってない?」
「ああ、タカユキの奴、さんざん世界の終わりを口走ってたけど、実際は終わってねぇんだと俺はおもう」
世界が健在であった場合、憂理たちが脱走する事により、警察なりレスキューなりの外部機関がこの施設にやって来る事になる。それが半村だけじゃなく、タカユキにも望ましくない事なのではないか。
タカユキはこの施設内に『新しい世界』を作ろうとしており、旧世界からの介入はその『新しい世界』の終焉を意味する。
だから、外の破滅を説いて脱走脱出させまいと苦心しているのではないか。
そんな憂理の仮説を聞いて、菜瑠は首をひねるばかりだ。
「そこまでして新しい世界をつくる必要ある? 今の世界ってそんなに駄目なのかな」
「TEOTたちは駄目だと思ってるみたいだな。俺はファーストフードとテレビがあれば、地獄でだって耐えられるケド、奴らは違うんだな。アイツら、世界が汚れてる、って言ってた」
「……汚れてるのは世界じゃなくて人間だと思う」
菜瑠の言葉に思わずドキリとしてしまう。
自分が先ほどイツキと過ごした時間を見透かされているように感じられた。
憂理は得体の知れない罪悪感を感じ、思い出される半裸の少女を脳裡から追い出そうと無理やり話を変えた。
「翔吾たちが『まだ』なら、これからドアが開くって事だよな。俺、ドア横でスタンバってるわ。開いたら二度と閉めさせない」
「うん」
ドアの横の壁に背中を預け、ずり落ちるようにして憂理は腰を下ろした。次に開いたらば二度とは閉めさせない。
菜瑠は落ち着きのない様子で部屋の奥へ、四季は動作を停止している。
誰も口を開かないまま数分だか数十分だかが過ぎて行く。
ドアのすぐ向こう側を誰かが走って行く音。あるいは歩いて行く者から漏れる囁き声。
研ぎ澄ませた聴覚がそれらを知覚するたび憂理はドアを叩き、叫ぶ。だがそれが無意味な行為であると悟ると、やがていちいち反応するのをやめた。
ここは生活棟のひとつ上の階、体育室のある階にあたる。T.E.O.Tたちが本拠地としていた部屋のある階である。シンプルに考えれば、ドアの前を通行して行く者はほとんどT.E.O.T関係者であることに疑いない。
やがて憂理はコンクリート壁に頭を預け、思索の世界へと入っていった。
こんなところで、こんなことをしている場合ではない。
こうしている間にも半村のダメージは回復し、手負いの深川だって復活するかも知れない。
そしてこうしている間にも腹は減って、こうしている間にも死体は腐ってゆく。
ガクはどうなっただろうか。不倶戴天の敵ではあったが、今更ながら申し訳なく思う。
学長の意識は戻っただろうか。あの人なら全てを知っている。施設内にただ一人残った『良識ある大人』なら、脱走にも手を貸してくれるかも知れない。
あの車椅子は何者か。名簿だけに残る数十名の生徒はどこへ?
あれからどれほど走っただろう。
どれほど痛めつけられて、どれほど打ちのめされた?
どれほど失望して、どれほど嫌悪して、どれほど悲嘆に暮れた?
なのに、疑問はほとんど解けていない。情けないったらない。
タカユキが言うように、本当に世界が終わっていたなら、自分はどうすればいいのか。親のもとへ、実家へ、故郷へ戻る。きっとそうすべきであろう。だが憂理は自分でも不思議なほどに『帰巣』に興味がわかなかった。
帰ってどうする?
みんな死んでたらどうする?
死んでなくても、滅んでいなくても、歓迎してもらえるとは限らない。
自分が捨てられたのではないかという疑念が、本人の気付かぬうちに杜倉憂理の人格形成に大きな影を落としていた。
――俺は……どうなるんだろう。みんな、どうなるんだろう。
つい先刻のイツキが脳裡に蘇る。
部屋から出る前、憂理はイツキにサイジョーの事を訊ねた。
だが彼女の口からこぼれた情報は、以前にエイミが仕入れた情報を更新するものではなかった。きっと、逃げた。地下から。それだけだ。
それよりも半裸のイツキが脳裡から離れない。
一線は越えなかった。
だが越えてもおかしくなかった。
床に服を敷いて、イツキを寝かせた。一面、灰色のコンクリート。鮮烈な白い肌。とろけそうな視線で見つめてくる少女。
だがあの瞬間。頭のどこかで繋がった過去の記憶が憂理の本能を蹴散らした。
倉庫、少女、裸体、セックス。
半村に襲われる菜瑠が目の前に蘇ったとき、憂理の興奮は一気に冷めた。我に返る、そういえば格好も付こうが、実際には怖じ気づいただけだった。
自分がどうしようもなく汚れた存在に思えた。
情けなくも勃起して、目の前の少女を利用して、自分の性衝動を満たそうとした。
杜倉憂理はヒーローになりたかった。幼い頃に見たテレビのヒーロー。あるいはオモチャの兵隊のような。
オモチャの兵隊はたくさん持っていた。みんな突撃銃を背負って、構えて、勇ましい姿だった。
たくさん並べて、キレイに並べて、自分の部屋いっぱいに戦争を作った。
だが幼い憂理は疑問を覚えた。彼らは誰と戦っているのだろう? 誰に銃を向けているのだろう?
ヒーローたちは誰と戦ってるんだ。ヒーローはどこから来て、どこへ行ってしまった?
少なくとも、自分はあんな風にはなれない。自分は年齢を重ねて、確実に大人になってゆく。
だが自分は汚くて、弱くて、臆病で。ただ大人になってゆく。
誰も、自分さえも救えないまま――幼少期の疑問に、なんの答えも見いだせないまま。
* * *