6-1 新世界創造
人の意識が見えたなら、食堂内は極彩色の絵画よりも派手に見えただろう。
だが、それぞれの考えや思惑は、それぞれの小さな頭蓋骨の中にとどまっている。少なからず、それを表情として露出する者もいたが。
――面倒なことに……。
タカユキが『世界の終わり』を断言した。それは穏やかな水面に小石を投げ込んだようなもの。幾重にも重なる動揺という名の円い波が、静かに広がってゆく。
「僕らは、ここで暮らしていかなきゃならない」
さらに小石を投げ込むような真似をする。
「僕たちは変わらなきゃならない。もう頼るべき何者も存在しないんだ」
社会からの、大人たちからの『自立』。それを成し遂げなければならない。
幸い、それはたやすい事。幸い、それが正しい事。
もとより世界は間違っていた。経済と利権を政治の名の下に支配し、宗教心もいいように利用されていた。そして常識さえも。
タカユキの弁に熱が入る。
「僕たちは世の中にある腐敗や不正をこの眼で見てきた。悪い手本を見習う必要はない。僕たちで新しい世界を、新しい価値観を創造するんだ! 僕たちが『全世界』だ」
唖然として演説を聞く憂理に菜瑠が耳打ちしてきた。フワリと甘い香り。
「本気なの?」
知るかよ、である。タカユキの本心など憂理にわかるはずもない。だが、タカユキ自身……本気ではない――という印象を憂理は受けた。
タカユキは扇動者で、ここにいる者たちの不安を煽る事が目的なのではないか。
不安を煽り、自分のいいように操り、利用するための。
見れば、TEOTはタカユキの演説を『待ってました』と言わんばかりの表情で聞き入っていた。
タカユキの言葉が切れるたびに、何度も頷く。餌に反応する鯉よりも貪欲に見える。『もっと、もっと言葉を』――。
「わたし! 導師と一緒に新しい世界を作ります! いまよりずっと、ずっと良い世界を!」
講壇へ一歩踏み出したのはサマンサ・タバタだ。その目に迷いはなく、真っ直ぐにタカユキを見つめている。次に歩み出たのはイツキだ。
「私も! ずっとおかしいと思ってた! 人間とかお金とか社会とか、死ぬことだって! ぜんぶ誤魔化されてるように思ってた! 私も新しい世界を作りたい、誰も泣かなくて良い理想郷を! ね!? みんなッ!?」
イツキが振り返ると、T.E.O.Tたちが『俺も、私も』と恭順の意志を表明する。
T.E.O.Tのこうした尋常ではない熱気。これを過去に体験している憂理たちは比較的冷静でいられた。だが半村奴隷たちの多くはこのような情熱の波にあてられるのは初めてだったに違いない。
ジンロクやカネダまで、まるで超常現象でも目にしたかのように呆然としている。
落ち着いた様子で翔吾が憂理をつついた。落ち着いているどころかニヤニヤと笑みを浮かべている。一度、T.E.O.Tの会合に強制参加させられたせいで多少の免疫はついているのかもしれない。
「おいー。どうすんだよ。また盛り上がってるぞ。なんかオモロイんだけど」
「オモロクはねぇだろ」
「いやー、マジかどうか知らんけど、なんか世界の終わりとか、新世界とかテンションあがるわ。ゲームみたいじゃん」
ゲームであるならクソゲーだ。憂理はそんな軽口を自粛した。どうも雲行きが怪しく思える。
タカユキは何がしたいのか。このような形で世界の終末を説くなど、イタズラに混乱を招くだけではないか。
盛り上がるT.E.O.Tとは対照的に半村奴隷たちは所在なさげにお互いに顔を見合わせたりしている。
そのなかで1人、いまだ眼光を失わない人物がいる。
カネダだ。
壇上のタカユキを見上げ、殺気めいた視線を送り続け、やがて言った。
「誰が仕切んだよ」
それは当然の質問であったが、同時に愚問でもあった。壇上の聖者をのぞいて誰が指導者になるというのか。そんなことは常識であって、いまだ分数の割り算が怪しい憂理にだってわかる。
だがタカユキの発言は、憂理の予想を裏切った。壇上の聖者は動揺のない涼しげな目でカネダを見つめて言う。
「誰だっていい。カネダがやってもいい。あるいは誰もやらなくていい」
無数の疑問符が食堂にいる者たちの脳から生まれて宙を漂った。タカユキの言うことの意図が理解できない。それは憂理だって同じ事。カネダの表情には苛立ちと戸惑いがあった。
「あ? 意味わかんねーよ。誰が仕切るんだ、ってきいてんだけど」
「だから誰だって良い。必ずしも指導者が必要だと僕は思わないんだ。『集団には指導者が必要』という考え自体が常識にとらわれた物の見方じゃないかな」
「はぁ。でも誰かが……」そこまで言って、カネダはやめた。そして面倒臭そうに舌打ちをひとつ。
「僕だって戸惑っているんだ。まさかこんな状況に置かれるなんて。でもこうなった以上は前に進むしかない。新しい世界を作るしかないんだ」
どうかな、と憂理は訝ってしまう。最初からタカユキが何かしら暗躍してたんじゃないか?
そんな憂理にタカユキの視線が向けられた。
「どうだい。ユーリ。君が指導者をやってみるかい?」
憂理を指名した聖者の視線だけでなく食堂中の視線が杜倉憂理に集中した。T.E.O.Tたちの真っ直ぐな視線、半村奴隷たちの敵意に満ちた視線……『なんでトクラくんが?』『ハァ? 何でトクラが』だ。
憂理は居心地が悪い。視線を逃がす先がどこにもない。
――こんな奴ら、構ってられねぇ……。
「いや、えっと俺は……」
しんと静まりかえった食堂内に憂理の声が響く。自分の発言をここまで真摯に聴かれる日が来ようとは。
「やるかい? 憂理」
再びタカユキが訊いてくる。憂理は頭を掻いて、返答した。
「指導もなにも、俺は、コレの世話だけで手一杯なんで」
親指で背後のケンタを指すと、空気を察したケンタがすぐに応じた。
「大変なんだぞ。僕の世話!」
――いいぞケンタ。さすが!
これでドカンと笑いが起きて、そりゃあもう食堂中がドッカンドッカン笑いの渦で、ぜんぶウヤムヤに……。
しかし、笑ったのは翔吾だけだった。
そしてそのケラケラ笑いも、やがて静寂に飲まれていった。ひどく、気まずい雰囲気だ。
「じゃあ、カネダ。君がやってみるかい?」
全ての視線がカネダへと移った。しかしカネダも憂理同様に戸惑い、言葉を濁す。
「いや……そう言うのじゃなくてよ」
タカユキの行動は速い。すぐに次の者を指名する。
「路乃後。君は? 生活委員として」
慌てた菜瑠を見て、タカユキは間髪入れず次を指名する。
「タバタはどうだ?」
タカユキらしからぬ、厳しい声だった。檄を飛ばすかのような。
「マツオカ!」
「ジンロク!」
「イシイ! イシイ・サヤ!」
次々に指名されてゆく。だが誰もが戸惑うばかりだ。一通り名前を挙げると、タカユキは全員を睥睨した。
「誰も名乗りを上げない。でも、これでいい」
「なにがいいんだよ! なんもよくねー! 俺の名前が挙がってないぞ」
ヤジを飛ばしたのは翔吾だった。言われてみれば七井翔吾は指名されていない。
タカユキはクスリと笑って言う。
「じゃあ、七井。君がやるかい? 指導者を」
「そうだな、ちょっと考えさせてくれ……」猫科の少年は、秒針が動くより先に考えをまとめた。「やらね」
「だろうね。でもそれでいい。これでいいんだ。ここで名乗りを上げる人間がいたなら、僕はそいつを排除しようと考えていた」
憂理の背中にゾワリと寒気が走った。もし「やる」と言っていたらどうなって……。
憂理の感じた戦慄を他の誰もが感じたらしい。食堂の空気が凍り付くのを感じる。
「ここで名乗りを挙げる人間なんて、どうせロクなものじゃない。権勢欲にまみれた豚だよ。混乱に乗じて権力を握り、私腹なり私欲を満たさんとする豚。あるいは自分が他人より優れている、秀でていると考えている豚。新しい世界にそういう豚は必要ない」
――コイツ! 初めから!
タカユキの独壇場を破ったのは、菜瑠だった。「排除とか、おかしい!」
正義を信じる目だった。久々に見る『ナル子』だった。
「あなたの判断で排除される人がいるなんて、そんなの半村とかわらない!」
「そう思われても仕方がない。でも、これは第一歩なんだ」
「第一歩?」
「新しい世界に支配者を生まないための。人の下、人の上に人を作らないための」
「でも……」
勢いを失いかけた菜瑠を憂理が援護する。タカユキを睨み付け、一歩踏み出した。
「お前が支配者になるってだけの話だろ」
「ユーリ。誤解している。僕は誰も支配しない。ただ代弁者たろうとするだけだ」
「代弁者? だれの?」
「僕の声は、声なき者の声だ。みんながみんな僕たちのように、自分の意見をハッキリ表明できるワケじゃない。強い人間もいれば、弱い人間もいる。今まで人類は強者の意見をずっと採用してきた。金、立場、名声、なんだっていい、社会的なパワーを持つ人間が強者だ。ユーリや路乃後だって強者だ」
「俺は全然強くない!」
憂理の反論はほとんど意味をなさない。
「ユーリは強いさ。たしかに弱い部分もある。でも杜倉憂理は杜倉憂理であることを決して裏切らない。君は人に愛される才能がある。そして『格好いい男』であろうと背伸びしている。弱いなりに背伸びして、非情になれず、どこか信念を感じる。だからみんな君に言うんだ『どうするユーリ』って。君ならもし間違ったとしても許せるから」
何十人もいる場所で自分の人物評をされるとは思いもよらなかった。『そんなことない』と反論すればいいのか、そうじゃないのかまるでわからない。
意表を突かれた憂理をタカユキが追い込む。
「でも、ここにいる全員が強者たるワケがない。大多数は弱いんだ。不安で、怖くて、怯えて。流されるしかない人もいるんだ。救いが必要な人々が。だから、最初は僕が代弁者になる。全員の声がよどみなく通るまで」
――結局は『強者』。お前が支配するってことじゃないか!
憂理の反論を見越したように、タカユキは続けた。
「僕は誰も支配しない。僕は仲介でしか、司会でしかない。決めるのはみんなだ。そして、一番最初の議題に決着を付けよう」
ほとんど一方的な演説であった。反論を許さない、強さがあった。あがるであろう反論に対し、事前に用意していたかのような……。
「最初の議題は、半村の処遇だ」
場にいる全員が呆然とタカユキを見上げていた。
展開が速すぎて付いてこられない者もいただろう、タカユキの論理を反芻する者もいただろう、もちろんその言を疑いなく受け入れる者たちもいた。
「この議題は急を要する。全員の挙手で過半数を占めた方を是としたい」
「『ゼ』?」
翔吾の呟きに遼がフォローする。「『是』採択……良しとする、みたいな。あの人、急に難しい言葉を使うようになったね」
「多数決をとるってこと?」
エイミが小首をかしげながら菜瑠に訊いた。だが菜瑠も展開に付いていくのでやっとのようで、首をかしげながら「たぶん」としか答えない。
憂理は必死で考える。
浮かんでは消える思考の海に、明白な事がひとつ。それは食堂全体がタカユキのペースに乗せられているという事だ。
『半村の処遇』を第一の議題にする、それ自体がタカユキの扇動でしかない。
もはや、『世界終末』説への是非は既成事実となってしまっている。場が完全にコントロールされていた。
「でも民主的に決めるんだね」
遼が意外そうに言う。だが憂理にはタカユキの意図が理解できる気がした。
「裏が……あるんだろうけどな」
「裏?」
「いや、良くわかんねぇけど、なんか、おかしい。あいつ前に『多数決は正しくない』って説教たれてたのに、今は多数決で決めようとしてる……。まぁ、どうせ俺らは逃げんだし……。どうでもいっか」
場を満たす動揺にタカユキが制御をかける。
「これからみんなが……どうするにしても、半村のことは捨て置けない。これは半村に従ってきた者たちにも大事な問題だ。半村を排除するか否か、それを今から決めよう。ヤツが戻ってくる前に」
食堂の中央でスッと手が上がった。カネダだ。なにやら落ち着かぬ様子で、タカユキを見上げている。
「カネダ」
タカユキが指名すると、半村派のナンバースリーが枯れた声で訊ねた。
「ハイジョ……って。ころす……ってことか?」
タカユキは表情ひとつ変えず、止まった。そして場内に動揺が広がりきる前に、ようやく言葉を置いた。
「誤解しちゃいけない。必ずしも『殺害』という悲劇的な結果を望んでいるワケじゃない。この環境から排除する、それはどこかの部屋で監禁する、あるいは施設の外に追い出すことも含まれるだろう」
半村奴隷たちが不安げに顔を見合わせ、なにやら囁きあった。
「よし」憂理は決心する。「おれ排除に一票」
おれもおれも、と翔吾が言う。アタシもアタシも、とエイミが言う。しかし、憂理たちの気軽な決心に遼がストップをかけた。
「待ちなよ。やっぱりおかしいよ。これも何かの伏線だって。やっぱりワナだ」
「どんな?」
「わからない、でも参加したら負けのような気がするんだ。きっとハメられる。あの人、得体の知れない策士だよ」
言われて、憂理も考える。
たしかにそうだ。赤黒ゲームでも、演説でもそうだ。いつもタカユキには裏があって、それを美しい言葉でデコレーションしている。だがいつも完全に看破はできない。大体の場合気付いた時には手遅れなのだ。
そして、いまタカユキが壇上にあるという事実。この時点で自分たちはタカユキの描いたシナリオに巻き込まれているはずだ。完全に、ハメられる。
「なんか企んでるよなぁ……。ケンタはわかるか?」
「さぁ? でも半村はみんなの敵だしね。 考え過ぎじゃない? ですよね、ショーゴ先生」
「さよう。タカユキはただの変態だ。買いかぶるでない。エイミはわかっか?」
「不本意だけどさ、イケメンが何か言うと、ぜんぶ正しく聞こえちゃうのよねぇ……。ねぇナル?」
「好みじゃないから……。でも遼くんが怪しいって言うなら」
「今考えてる、今考えてるけど……わからないんだ、でも、きっと良くない事になる。もう少し時間を……」
メガネのずっと奥、知識を詰め込まれた脳が激しく回転しているのが見て取れる。赤黒ゲームでも遼は看破していたと思えば……。
「よし」憂理は手を挙げた。「ちょーっと、いいかー!」
場内のザワメキが一瞬やみ、無数の視線が憂理に向かってくる。その中のひとつ、タカユキの視線を確認すると憂理は声を大にして提言した。
「大事な事なんで、時間をくれよ! 考える時間! ちゃんとした考えをまとめたいんでー! 考えるんでー!」
タカユキは無表情でそれを受け、数秒の後にようやく頷いた。
「そうかも知れないね。考える時間は必要だ」そして全体に言う。「みんな、今から15分間、考える時間を取ろうと思う。今から15分だ。半村の処遇に対して考えをまとめておいて欲しい」
この号令と共に、食堂内は何十ものグループに分割された。
2人で顔を見合わせる者、4人ほどで寄り添う者。そのほとんどは半村派だったものたちで、T.E.O.Tはあまり集合せず、一言二言を交わす程度だった。
「よっし、15分だ。考えよ、遼」
しかし遼の表情は焦りに満ちている。
「いまので確信した、絶対におかしいよ。もう多数決は『やること』に決まっちゃってる! みんな……誘導されてる」
確かに気持ちの良い状態ではない。しかし向こうが策士でも、こちらには遼という軍師がいる。裏に存在する策さえ看破してしまえば、どうという事はない。
少し考えた憂理と違い、翔吾はあまり危機感を感じていない様子だ。
「操られてる、か。んーそうかも、だなー。でもまー多数決ぐらいなぁ。半村は『ヤバさ』だしなぁ。どうせ排除で決まり、だろ?」
「そういえば」ケンタがこれまた危機感無く言う。「シッキーはどこへ行ったの? トイレ?」
「いるわ、ほらあそこ、端っこ。あの子……電源入ってる?」
「わたし、連れてくるね」
そう言ってナルが小走りで駆けていった。近づいて、何か言って、四季が反応していない。もう一度ナルが何か言った。四季が微かに反応した。ナルが四季の手を引いて戻ってくる。
「遼、わかったのか?」
「演繹的にかんがえないと。排除は確実、そうなると次は排除の方法、それを実行する者、そのためには……」
考える事は大事だな、憂理は人ごとのようにウンウン頷いて、言う。「はやくな」
そして憂理はようやく連れてこられた四季に、到着一番、開口一番に問うた。
「四季はどう思うんだ?」
「排除」
半開きの目のまま、機械少女は言う。憂理はなんだか嬉しくなった。またケイソツだの短絡だのアホだの非難されるかと思えば、この女、意外に単純ではないか。四季が自分と同意見で少しホッとする。
「かー。お前はなんにも考えてないのな。こりゃあ罠だぜ? もっと粘液的に考えてだなー、先の事を計算して動かないと、お前こんな時代生き残っていけねぇぜ? 意外にアホなんだなー」
一瞬、四季の片眉がピクリと反応した。勝ち誇っていた憂理も即座に止まってしまう。半開きの目がじっと憂理を見つめ、言った。
「ギーゴ」
「え? ギ?」
「ギーゴ」
瞬間、「やりやがった!」翔吾が叫んだ。「ユーリが壊した!」
ケンタも叫ぶ「言い過ぎたんだ!」
集まった視線を意にも介せず、四季は半月のような瞳でゆっくりと全員を見回し、最後に憂理を見つめた。半村ともタカユキとも、ナルとも深川とも違う妙な威圧感がある。
「GIGO。ガーベッジ・イン・ガーベッジ・アウト。計算のしようがないわ。どれだけ演繹的に思考を積み上げても人間のやる事は予測できない。その場の状況、その時の感情、その場の空気で正解をも捨てる。そして偏向したものを正解だと錯覚すらするわ。錯覚、錯誤、誤情報、憶測、推測、それにまみれた今の状況で先を予測するなんて無意味よ」
「そ、そうか?」
「そうよ。人間の行動は1+1=2にはならない。そしてそうならないことも、なることも未確定。人間は計算じゃないわ。運動部の人は1+1=3とか4とか言いたがるけれど」
「俺は運動部だ!」日和った憂理に変わり、翔吾が抗弁する。「サッカーのイレブンは、戦闘力11じゃねぇ、メンバーによっちゃあ15にも20にもなる!」
「それは、そう思い込んでいるだけ。11は11よ」
コレには翔吾の顔も青ざめた。
「なんちゅうことを! 謝れ! イレブンに謝れ!」
「そうだよ、おまえ! いまタカユキの策を看破しようとしてる遼にも失礼だ! 謝れよな! イレブンにも、遼にも!」
唐突に話の引き合いに出された遼は、思索の世界からすぐさま帰ってきた。
「え? 僕は……」
「先の事を予測するのと、策を予想するのは次元の違う話よ。トクラユーリが『先を計算しろ』と言ったことに対する私なりの指摘をしたまでよ。違う次元の話を同じ土俵に持ってこられても困るわ。それにサッカーは関係ない。謝る必要はないわ」
「お前はーッ」
青筋を立てたところでどうにも勝てそうにない。思いのほかプライドが高いらしい。謝らせる事を諦めて、憂理は下手に出ることにした。
「いや、からかったのは悪かったからさ、遼に力を貸してくれよ。赤黒ゲームでもお前と遼だけ見破ってたじゃん。お前が頭良いのは充分に知ってるからさ。手を貸してくれよ遼がショートしそうなんだよ」
「いや、たぶんだけど」遼が申し訳なさそうに言う。「この件に関しては、僕のほうが向いていると思う。情報じゃなく、タカユキの性格によるところ大だからね。計算じゃないんだこればっかりは。人間の汚い部分とかやり口も考慮に入れて……」
「んでコーリョできたのか? あと5分ぐらいしかないぞ」
「ベストじゃないけど、ベターなのは……」
「なのは?」
「参加しない」
意外なような、そうでないような。憂理が仲間たちを見回すと、全員が憂理と同じ所感であるらしく、みなが怪訝な表情だった。四季は変わらないが、これは見なかったことにする。
なるほど参加しなければ巻き込まれることもない。
「でも……懸念が無いワケじゃない」
多数決に参加しない、それは理屈から言えば『集合体』から離反すると言うこと。今後の事の展開によってはそれを理由に不利益を被る可能性もある。
大義名分と、美辞麗句を最初に並べるタカユキなら『参加しなかった事』を盾に巧妙な攻撃をしてくるかも知れない……。
だが、今参加すれば、おそらく『責任』を負わされることになる。むしろ、責任を負わすことが目的なんじゃないか――。遼の結論はこうだった。
「やっぱ責任か」
「どういうこと?」
エイミの疑問に、遼が床を見つめたまま説明する。
「手口なんだ。そういう。あるいは対象者の汚点や負い目をさがす。もっと言えば対象者をなにかの悪行に荷担させ、それが自主的自発的であるよう仕向ける。そして、その悪行を行ったことを後になって徹底的に責めて、精神的ダメージや人格崩壊を起こさせる。そしてその『悪行の報い』としてさらに悪行を重ねさせ、負のスパイラルに巻き込み、時間を掛けて完全にコントロールする。もちろん、どの悪行も行う前は『正義』なり『教義』『必要悪』なりで装飾されてるんだけどね。――カルトや犯罪集団の手口さ」
「そんなんでヒトをコントロールできんの? 信じらんないわ。アタシは絶対大丈夫だけどなー」
どこか怯えを見せながらもエイミが言うと、遼は首を振る。
「簡単だよ。特にエイミは」
一瞬、場が凍り付いた。
遼はちらりと視線を上げ、場の氷結を見て、それでも意に介さない様子で続けた。深く、落ち着いた声。
「簡単なんだ。エイミ、君は特にね。……たとえば、翔吾の腕は誰のせいだ?」
エイミは少し首を引いて黙った。遼は宙を泳がせていた視線を、スッとエイミに固定した。
「あの折れた腕……。エイミのせいじゃないか?」
「おま! 俺のせいだよ! 俺がマヌケ……」
「翔吾は黙ってて! 大事な事なんだ! ちゃんと見つめ合わないとダメなんだ!」
だがエイミは答えない。動揺からか微かに涙腺が濡れて見える。
「エイミ。翔吾はこう言ってくれる、でも実際はどうだろう? エイミが地下で翔吾の名前を呼んだから。アレがなかったら、深川にも気付かれず、結果は違うものになっていたよね?」
エイミの視線がとうとう床に落ちた。
「みんなそう思ってるよ」
「いやさ、どっちかってーと俺のが悪いん……」
「ユーリは黙ってて! ちゃんと言っとかないとエイミが後で後悔するんだ! ちゃんと受け止めて、ちゃんとみんなと和解すべきなんだッ! ウヤムヤにしちゃいけない……! コレは! エイミのためなんだッ!」
いつもの遼とは全く違う覇気があった。威圧的とも、暴力的とも言える怒声に思わず引っ込んでしまう。
――エイミのため……。そんな風に言われると口を出しにくくなる……。
いつもは人が良く穏やかで、駆け出しの学者然としている畑山遼が怒気を発している。それは近くにいた半村奴隷たちの気をも引いた。
視線が徐々に集まってくるが、遼はさらに続ける。
「『アタシは大丈夫?』よくもそんな事が言えるね! 君のその犯罪的な脳天気のおかげで翔吾の腕はこんなになったんだ! これでサッカーができなくなったら責任取れるの? 人の夢を、人の一生を台無しにして、それでも『アタシは大丈夫』って言えるの!? 自分の不注意のせいで誰かの希望を奪っても大丈夫だって言うのかッ! とんでもない女だ! 君には、失望したよ!」
エイミはとうとう泣き出した。下のまつげに溜めていた大粒の涙をとうとう頬に逃がした。
「うえぇぇええあ ごめんなざい しょうご ごめんなざい あだし あだしヒドイことしたぁぁー。ザッカーできないぃぃー」
「ちょっとッ!」
菜瑠が遼とエイミの間に立ち、追撃を阻もうとする。だが、遼は菜瑠を押しのけ、エイミの両肩を揺さぶった。
「あやまって済むと思ってるのか? そう思ってるなら、最低だよ! 自分は面白おかしく生きて、なにか問題が起これば謝ればいい? それで解決するのか!? それで翔吾の人生が、腕が元通りになるのかッ!?」
「ぅえうううぅぅぅ」
「少しでも誠意があるなら! 本当に、心から謝罪したいなら、今すぐ翔吾の腕を冷やす氷を持ってこい! 今すぐ! 手遅れにならないうちに!」
「ぅえうぅ、もってきます、ずぐもってきまず」
エイミが顔をぐしゃぐしゃにしながら去ろうとしたとき、遼が彼女の手のひらを掴んだ。そしてその両手を優しく包み、大きく息を吐いた。
「エイミ、ごめん」
涙まみれの顔が遼へ向く。茫然自失で生気に乏しい。
「これが、コントロールだよ。こうして操っていくんだ。本当にゴメン」
それでもエイミは呆然としている。
「これが、コントロールだよ。本当にゴメン」
同じ事を遼は繰り返した。それでもエイミは呆然としている。
「みんなもゴメン。本気で演技しなきゃ、意味がなかったんだ。本気でやらなきゃ、本当のヤバさを理解してもらえないと思って……」
そう言って、ポケットから折りたたんだハンカチを取り出すと、遼は優しくエイミの頬を拭く。
「これがマインド・コントロールの初歩だよ。こんなに上手くいくとは思ってなかったけど」
「まじかよ……」
憂理が言えたことはそれだけだった。気温が下がったかと身震いするが、両腕が鳥肌に覆われていた事に気付く。
「本気かと思った……怖かった」
菜瑠も唖然としている。
「本気、の演技だよ」
エイミはようやく状況を察すると、また「ぅえうう」と泣いて、遼の胸を叩いた。「ひどいよリョー」
「ああやって人を操るんだ。人の良心を利用してね。ちなみに……」遼はポカンとしている翔吾を指さした。
「翔吾の腕、実はヒビが入ってるだけで、完全に折れちゃいない。一ヶ月もすれば治っちゃうよ」
「え?」
「おまえ! 俺の秘密をバラすな!」
「怪我人だと色々と優遇されるからって、まだ大げさに吊ってるだけなんだ」
遼による暴露でエイミはキョトンとする。
「ほんろ?」
「うん。だからさっきの話は全部デッチ上げ」
エイミは脱力し、糸を断たれた操り人形がごとく膝からその場にへたり込んだ。
「みんなも驚かせてごめん。でもこういうモノだって知ってて欲しかったんだ。ちょっとした弱み、付けいる隙があったらどうとでも応用が利く。だから、『自分だけは大丈夫』なんて絶対に考えないで欲しい。今はエイミに「氷を持ってこい」と命令しただけだったけど、あの様子ならもっと違う要求、もっと悪辣な命令だって通ったと思う。エイミの良心がそうさせたんだ」
菜瑠がエイミの肩を抱き、眉をひそめた。
「すごく……卑怯。良心を利用するなんて」
「どうしょうもないよ、この手口は。善良な人ほど、『自分に非がある』と気に病んで、誰にも相談できない。本当に悪辣な手口だ」
たしかに胸を焼かれるような出来事だった。憂理自身、多少の引け目を感じていただけに、他人事ではない。
「それを……アイツがやる、ってのか?」
壇上のタカユキは講壇に腰を下ろし、瞑想するかのようにじっと目を閉じている。
「すくなくとも、手口は知っていると思う。赤黒ゲームを利用してたぐらいだから」
「自己啓発セミナーだっけか? 遼も詳しいよな」
「母さんが……ハマってたからね。助けようと思って色々調べたんだ」
「助けられたのか?」
「だったハズなんだけどね。結果、僕はいま、ここにいる」
壇上のタカユキがパッと目を開き、軽やかに講壇から飛び降りた。
「15分経った。さぁ、始めよう。僕たちには時間がない」
* * *