5-5 13月の解放区
食堂へ戻る道中、憂理とタカユキはほとんど何も喋らなかった。
だが気まずい雰囲気ではない。憂理は憂理、タカユキはタカユキで思索の世界に耽りこんでいたからだ。
――外の状況。
――深川。
「ユーリ。わかっただろう? 逃げ出しても仕方がないこと」
「いや。よくわからん」
「半村の話を聞いたろ。外は普通の状況じゃない」
「もし、それがホントなら、確認するために外に行かなきゃだし、もしウソならやっぱり外に行く。結局は外に出なきゃなんね。状況はなんも変わってねぇよ」
「なるほど。そうかも知れないね。だけど、今知り得た事を『みんな』に話さずにみんなで脱走するのはフェアじゃないよね。かといって話したら混乱を招くよ、きっと」
「うーん」
「半村は1つ、嘘をついてた」
「……どんな?」
「外の世界が破滅していない、とそんなわきゃあるか、と半村は言ったけど、あれはウソだ」
「どうして?」
「外が……少なくとも警察がまともに機能していない事は理解している。だからあんな暴虐ができるんだ」
「オクソクってやつだろうよ、それは」
「ユーリ。施設から出る予定だった者が数人いた。ちょうどこの半年の間にね。……だけど、彼らに出所の手続きは全くされず、『外』にいる家族からその件についてのアクションがない。普通なら家族が問い合わせてくるんじゃないか?」
「俺がケンタの親族なら、しらんぷりしてるけどな。あんなんが帰ってきたら、食費がかさむ」
「どうだろうね」
「お前は考え過ぎなんだよ。俺の推理を聞くか?」
「是非に」
「電話線が切れてんだな、これが」
タカユキはその推理を拝聴した直後、一瞬目を丸くした。だがすぐに涼しげな表情に戻る。
「無線は?」
「無線なんてあったの?」
「ここの連絡はほとんどが無線を使ってるそうだよ。電話線が生きてるなら、施設内でインターネットも可能で便利なんだろうけどね」
「無線は、あれだ。電源コードが切れてるんだな、これが」
「それは気付かなかったな。さすがだよユーリ」
「お前は複雑にネガティブに考えスギなんだよ。常識的に世界が終わるハズがないだろ。宇宙人が攻めてきたならともかくよ」
「宇宙人が攻めてくる、というのも決して『常識的』じゃないよね」
「それはお前が何も知らないだけだ。奴らはもう来ている」
「ユーリ」食堂のドアの前に立ち、タカユキは真剣な表情で言った。「文明は崩壊した。僕はそれを確信している。世界は失われたんだ。全ての常識は無意味になった。12月の次は1月? ちがう。13月だ。『脱文明第1日』13月32日なんだ。世界を制御していた常識は全て失われた」
――13月32日ね。
タカユキの言葉に憂理は訝ることしかできない。
「……それも常識的な考えじゃないって」
コイツは妄想症なのか。あきれた憂理が食堂のドアへと手をかけるが、ドアは開かない。引いても押してもガタガタ鳴るだけだ。
「なんだか、開かね」
すると、内部から声がした。
「暗号は!」
思わず、タカユキを見やるが、タカユキは怪訝な表情で肩をすくめるばかり。
――暗号?
いつの間に認証システムが?
憂理は思いつくまま、あてずっぽうに暗号を唱えた。
「あぶら……かたぶら?」
「違う!」
タカユキも言う。
「エンバウーラ?」
「違う!」
知らない間に暗号を設定されても困る。微かに苛立ちを感じ始めた憂理に、ドア向こうの門番からヒントが与えられた。
「答えは、『僕はアホの杜倉憂理です!』だ。大声で叫べ!」
ヒントでも何でもない。なんという卑劣な手段か。憂理は叫んだ。
「君はアホの七井翔吾です!」
「違う! アホはお前だ! アホはお前だけなんだ! 叫べ! はやく!」
「……僕はアホの杜倉憂理です」
「アホ良し! 隣は!」
「僕は……宇宙人だ」
ドア向こうからケラケラと笑い声が聞こえ、認証は成功した。ガコッとなにやらドアを塞いでいたモノが取り払われ、扉は開かれた。
隙間から現れた翔吾が、アヒル口をニヤリと歪め、肩をすくめる。
「いやー若干ウケたぜ。宇宙人、本当にいたんだな。地球へようこそ」
「どうも」
* * *
食堂には不穏な雰囲気が残っていたが、それでもある程度の秩序は保たれている。生活委員の指導力も捨てたモノではない。
奥へと進む憂理を翔吾たちが、タカユキをT.E.O.Tたちが取り囲んだ。
「なにを話してたんだ?」
翔吾から当然の質問が浴びせられた。
――話さないのはフェアじゃない、か。
タカユキの言葉が脳裡をよぎるが、憂理自身『仲間』には話すつもりであった。
「ちょっと、たてこんだ話でさ。端っこ行こう」
憂理を先頭に翔吾、ケンタ、遼、エイミ、菜瑠。四季はどこへ行った?
食堂の隅に5人が集まり、円陣を組むかのように顔を並べる。
「で、どんな話なのよ」
「どこから話せばいいか……」
「一番大事なトコから」
「ええっと、世界は終わった」
どの口もぽかんと開いた。
「えっ?」菜瑠が訝しげに腕を組んで、問いただすように聞き返す。「世界が?」
憂理は居心地悪く、頭を掻いて応じる。
「終わった、って言ってます。アイツ」
エイミも訝しそうに「どういう事よ?」
翔吾は確信を得たように「宇宙人だろ?」
遼は学者のように詳細を詰める。「世界の何が終わったの?」
ケンタは考え込んでいるように見えたが、その実なにも考えてないのかも知れない。
「何が、っておまえ。俺に聞くなよ。なんか、そう言ってる。半村にも確認しに行ってきた」
「半村はなんて言ってたの?」
「深川の悪口を言ってた」
「そーじゃなくて世界!」
「なんか良くわからんケドも、濁してた。少なくとも、この半年間、外と連絡が取れないらしい」
エイミは菜瑠、翔吾は遼と顔を見合わせた。懐疑の視線と怪訝の視線が狭い範囲でぶつかり合う。
だが言葉はない。次の発言を促すかのように、視線が憂理に集まった。
「世界が終わった、から脱走しても無意味。警察に駆け込むにしても警察がない、ってタカユキが言ってた。俺たちは豚だって。12月31日の次は13月32日だって」
「信じる……の?」高い位置で腕を組ながら菜瑠が問う。
「いや。アイツら信用できねぇもん」
「でも……」エイミは声をひそめた。「実家に帰るハズの子たち、ほら昼華ちゃん、家から連絡が無いってボヤいてた」
「電話線がどっかで切れてんじゃねーの?」
翔吾の推理を憂理は否定する。
「なんにも知らないんだな。この施設での連絡は無線が大半なんだよ」
「じゃあ無線機のコードか」
「かもな」
菜瑠にならったかのように全員が腕を組んだ。片腕を持て余した翔吾はだらしなく腹をかいた。
「でも」考え込んでいた遼がようやく口を開いた。「結局は外にでなきゃならないよね。永遠にここに居られるワケでもないし」
「そうなんだよ」
確実に言える事は、つい半時間まえと状況が違っているということだ。
脱走するにしても、外が『平時』でないならば、タカユキの言うように駆け込む先がない。となれば、皆が実家に帰るべきか。帰る先が『まだ』あれば、の話だが。
「どうすんの?」
答えを躊躇した憂理の代わりに、翔吾が答える。
「どうするもこうするも、とりあえず外へ出なきゃ、だろ。外へ出りゃあホントかどうかわかるしな。大体なんで12月の次が13月32日なんだよ。なぁ、遼」
「そうだね。12月32日ならわかるケド……」
「だろ? どうせなら8月が終わらない方がいいだろ? 8月32日なら夏休みが終わらないしな」
翔吾の言は正しい。だが正しくも不謹慎ではあった。菜瑠の視線が石化の魔力を秘めた。
「いまはそういうコト言ってる場合じゃないでしょう」
憂理も頭を掻くしかない。冗談ぐらい言っていないと、なんだか間が持たないではないか。
「とりあえず、俺らは『出る』方向でいいんだよな?」
全員がほぼ同時に頷いた。不思議な結束をこういう時に感じてしまう。
「問題は」遼が深刻な表情をメガネの下に浮かべた。「この話を広めるかどうかだよね。僕は黙ってた方が良いと思うんだけど」
「なんで?」
「パニックが起こっても困るし、第一事実かどうかの確認が取れてないのに騒ぎ立てるのも無責任だと思うんだ。ほら……」
遼がアゴで食堂の中央を指すと、そこには脱走に賛同した半村奴隷たちの姿があった。どの顔にも疑念の色があり、憂理たちへと視線を向けている。遼は彼らの方を見ないようにして、うつむいた。
「半村が健在だったときに……。あの人たちのやったことが忘れられないんだ。一番怖いのは半村じゃなくて、集団心理なのかなって思う。あの人たちがまた暴走しだしたら、歯止めがきかないよ、きっと」
「たしかにそうだわね」エイミの言葉にトゲがある。嫌悪だか防衛心という名のトゲだ。「アイツら信用できない。ハマノとかコスガとか、騒ぎに便乗して菜瑠を襲おうとしたのよ。あいつらもプチ半村よ。敵、敵」
「お前、自分が襲われなかったのをひがんでるんじゃないの?」
憂理はすぐに失言だと気がついた。冗談のつもりだがエイミの顔が……。「いや、見る目がナインだよな、あいつらも。俺なら真っ先にエイミを襲うけどな」
自己フォローにも失敗したことを、憂理は即座に感じ取った。これには遼のフォローが重なる。
「ともかく、ともかく、やっぱり、あの人たちには言わない方がいいよね。脱走とコレとは話が違うんだし……。最初は偵察を兼ねて、少人数で行くべきだよ」
遼の言葉は正しく思われた。大げさに翔吾が頷く。
「正しい。アイツらちょっとしたキッカケで暴走するからな。手にオエねぇ。こう言うのは秘密にしとくのがオトナ、だろ」
――政府だって宇宙人の秘密を隠している。憂理は心の中で頷いた。パニックを避けるためには情報の隠匿もしかたがない。
そうと決まれば話は早い。さっさとタカユキからドアのノブを――と憂理がタカユキの所在を目で探し始めたところ、聖者様は講壇の中央におわした。
そして、良く通る声で全員に呼びかけた。
「みんな聞いてくれ。大事な話がある」
――えっ!?
「いまトクラユーリと話した。脱走は中止だ」
食堂内の無数の視線が、タカユキと憂理を行ったり来たりする。ざわめきが人から人へ伝播してゆく。
「みんなも知るべきだと思うから、公表するよ。施設からは出られない」
無数のなぜ、どうして、がザワメキの主成分となった。
懐疑と猜疑と疑念。それらが壇上の聖者に集中する。タカユキは食堂全体を見回して、一呼吸置いてから、言った。
「世界は終わったんだ」
ザワメキが、どよめきへと形を変えた。そよ風は突風となったのだ。それに身をさらすタカユキは相変わらずの涼しげな表情だ。
「――アイツ!」
なんで! 憂理は思わず、舌打ちだ。
「テキトー言うなよ!」
群衆から上がった声。それはカネダのものだった。
「わけわかんねー」
これにタカユキは全く動揺しない。待ってましたと言わんばかりに『証拠』を説明し始めた。
身近にいる者たちと顔を見合わせて、話していた者。弟妹の頭に手をのせたジンロク。呆気にとられたままの憂理たち。T.E.O.T。
最初は散り散りだった視線は、説明が進むにつれタカユキに釘付けになっていった。
半村が暴虐を繰り返したのはなぜか?
深川が発狂したのはなぜか?
出所予定者がいつまでも予定者のままなのは?
倉庫への搬入が途絶えたのはいつからか?
なかには、深川に娘がいた事実をこの場で始めて聞いた者もいよう。そしてその死も。
「学長も、深川も、半村。3人とも知っていたんだ。この半年間、新しく施設にやってくる者もいなかったのはそのせいなんだ。半村が殺人を犯して、それでもふんぞり返ってるのは警察が来ないことを知っているから。警察なんて、ずっと、きっと来ない。それこそ永遠に。そして、食糧の搬入ももう無い。だから食糧に固執する」
――オクソクだろが!
壇上で述べられた『事実』それらからタカユキが導き出したものは、しょせん推理だの推測だの憶測でしかない。なのに!
「半村にも確認した! 僕らは文明を失った。同時に常識からも解放された! ここは、いや違う、ここだけじゃない全世界だ! 世界はいまや全体が解放区だ! 文明からの、常識からの解放区だ! 世界は、終わった!」
アジ演説に食堂内は凍り付いた。
誰もがタカユキの言葉を脳内で反芻し、その真偽を判断しようと思考回路をショート寸前まで酷使した。
憂理だって例外ではない。こうも断言されると、それがさも事実であるように錯覚してしまう。
――ようこそ、地球へ。人口はゼロ。
娯楽室のテレビで見た煽り文句が脳裡をよぎる。
――ゼロじゃない。ここに人間はいる。
100名にも満たない人類が。
全てを失ったとき、頼るべきものを失ったとき、人はどうなるのか。タカユキの言う『常識』が失われたとき、人はどうなるのか。
なにも変わりはしない。
相変わらず、なにかを信じるしかない。
太陽の周りを地球が回っている。しかし過去には動いているのは太陽だとされた。さらには地球は平らな大地だと信じられていた。
だが太陽の周りを地球が回っている――それが常識だ。だが、杜倉憂理はもはや天動説を否定できない。
銀河系があって、太陽系があって、その中をちっぽけな地球がぐるぐる回っている。
それを知識として知っていても、それを証明できない。証明してくれる、わかりやすく説明してくれる大人がいない。
蔵書室で知識を仕入れることはできる、だがその知識の真偽を判断することができない。
――人間は時代とともに賢くなってゆくワケではない。知識が増えてゆくだけ。
いつか学長の言った言葉が脳裡に蘇る。学長は知識が、歴史が宝だと言った。
いまや、その『宝』はたかだか数部屋ぶんの蔵書室と、70名ほどの小さな脳漿に蓄えられているだけなのか。
「うそだよ。あんなの。世界がおわったってなら……ハンバーガー食べられないじゃん」
脳天気にケンタが言う。脳天気ではあるが、重大なことであるように思われた。
憂理はピクルスの作り方も、パティのレシピも知らない。ケチャップはどうやって? マスタードは何でできてる? コーラはどうやって?
「バーガー屋とコンビニと……ゴキブリは不滅だよ」
憂理は自分の軽口を信じるしかない。
不滅を、信じたい。
* * *