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13月の解放区  作者: まつかく
5章 豚の行進
43/125

5-3 手負い

騒ぎの中心から避難する。

憂理もエイミもタカユキもその四肢を大きく動かしては全力で駆ける。そうして2つ目の角を曲がったところでバッタリ『援軍』と出くわした。

武装半村奴隷の別働隊、ユキエ組だ。まだ近くで深川を捜索していたらしい。


突然駆け寄ってきた憂理たちにユキエ組の視線が集中する。ユキエの細い目がことさら訝しげに三人に配られた。


「いるぞ! 深川が!」

憂理がユキエの間近で怒鳴ると、エイミが同じような声で補足する。


「アンラらのなはまが、おほわれてう」

これにはタカユキの同時通訳が入った。

「君らの仲間が襲われてる。――半村がやられかけているよ」


タカユキの落ち着いた声。ユキエは細い目をキッと見開いて、返事もせずに憂理たちのやって来た方へ駆け出した。


――半村もヤバいケド、深川よりは……!


暴れ回る深川が取り押さえられれば、状況は幾分かマシになろう。

今は地雷原で空から爆撃を受けているようなもの。せめて片方ぐらいは勘弁してもらわねば。

しかし、ふと気付けば、遠ざかってゆく背中は一つだけ。鬼気迫るユキエの背中だけだった。


憂理の正面には『ユキエ以外のユキエ組』が全員残っていた。マネキンのように立ち尽くし、一歩も動く雰囲気がない。


「おい、言ったろ! お前らの仲間が……!」


「仲間?」ハマノが肩をすくめた。「仲間って誰が?」


「半村に従った奴らだよ! カネダもロクも!」


「別に仲間じゃないし」


少女が嫌悪感丸出しで吐き捨てる。「ウチら、従いたくて従ってるワケじゃないし」


「お前ら……」皮肉家見習いの憂理とて、これには絶句した。

奴隷たちの口からはそれぞれの意見が述べられる。


「半村様がやられたら……おれら自由だしな」


「別に助ける義理もないし」


「今だって無理やり命令されて……テキトーにウロウロしてただけだし」


胃が油で満たされたような不快感を憂理を感じた。熱く重い胸焼け。なんと言葉を返せばよいのかわからない。

確かに半村は悪に属する存在である。

文字通り食糧を『餌』に人を集め、暴力をもって支配する。悪党の見本市があれば半村は目玉商品となりうる逸材だ。目の前の奴隷たちとてその半村の被害者なのだ。

けれど――。

この不快感はなんだ。この不愉快はなんだ。


たしかに被害者だが――。

憂理は何も言えなかった。


『半村を助けろ』だなんて口が裂けても言えはしない。だが言葉にならない違和感が腹の底にわだかまっている。

――ユキエ。

彼女の忠誠が悲しい。彼女はあの暴君に心から恭順している。裏表のない忠誠に、奇妙な清々しさすら憂理は覚えてしまう。


「裸のままの裸の王様のもとに、醜いままのアヒルの子、だけが残る」


タカユキが憂理の気持ちを察したように呟いた。


「言ったろうユーリ。これが『力』の末路さ。独裁者の椅子は『剥き出しの人間』が支えてる。好き好んで圧政者の重い尻を持ち上げてる人間はいないんだ。『理由』がなくなれば瓦解は一瞬……」


憂理に語りかけるタカユキに肩をすくめ、ハマノたちが去ってゆく。騒ぎから、遠いほうへ。


「悲しいぐらい弱い」去り行くハマノたちの背中を見つめタカユキが言う。「彼らも、誰かがユキエに続いたら半村の方へ行ったかも知れないね。つられて、流されて」


でも、駆け出さなかった。うかがい合い、読み合って、無言の結託に落ち着いた。


「いま見せた心の弱さが……これから彼らを苦しめることになるかもしれない。肉体的にも精神的にも」


タカユキは神秘的な瞳で予言にも似た言い方をする。


「上手く言えないケドさ。なんかモヤモヤする」


「はかはかっかし」


エイミの言葉をタカユキは訳さず、悲しげに微笑したりする。

「こんな人間ばかりだ。だから救わなきゃならない。……救済を急がないと」


「救う? 誰を?」


「みんな、さ。憂理。この時代に生きる全ての人間に、新しい秩序と価値観を与える。それが救済だよ。僕たちは古い価値観に縛られすぎているんだ」


なにか大それた事を言うが、タカユキの言葉は憂理には響かない。救済でも新秩序でもすきにやればいい。ほとんど無視するように憂理は呟いた。


「翔吾のバカ……どこにいるんだ」


この施設内にいる、確実に言えるのはそれだけだ。


「七井を探してるのか?」


「ああ、アイツ、深川に腕をヤられて復讐するつもりだ。小刀一本で何ができるって言うんだよ、まったく……。なぁ、お前」


憂理がタカユキへ視線を向けると、タカユキの真っ直ぐな視線とぶつかった。


「お前、暇なら探すの手伝って……」


そこまで言いかけた憂理の言葉を、物音が遮った。パタパタと通路をやってくる足音……。筋肉に指令がゆく――が一瞬の緊張は、すぐに解かれた。

通路を小走りにやってきたのは、T.E.O.Tのイツキとサマンサ・タバタだ。


「見つけた!」


「どこ行ってたんですか! いま大変な状況で危ないらしいですよ!」


黄色い二つの声がタカユキに浴びせられる。

「危ない?」


「なんか、深川先生がみんなを襲ってるらしくて! 怪我人が沢山でてるって」


「深川先生なら、さっき会ったよ。『元気そう』だった」


そう言ってタカユキは苦笑する。イツキとタバタは顔を見合わせ一瞬の混乱を確認しあった後、眉をしかめた。

「戻りましょ? ホントに危ないらしいですから」


「みんな待ってますから、ね、導師」


二人してタカユキに懇願する。

年齢もさして違わぬタカユキに敬語で接している事に憂理などは違和感を感じるが、これが『探求の徒』同士の関係を表しているのかも知れない。しかし、こんなコトは憂理にとって『先生と生徒』のごっこ遊びにしか見えない。


「そうだね。みんなを心配させても仕方がない。でも、この2人には助けが必要だ」


タカユキが言う『2人』は居心地悪く、肩をすくめた。


「いや、別に助けってワケじゃないけどよ。ヒマなら手伝えってだけで」

そんな憂理の言葉にムッとした表情をみせたエイミは、ここにきてようやく言葉らしい言葉を吐いた。


「あんら、なに格好つけてんのお。こういうときは人手がいた方がいいろ。ローシ、ショーコ探すのれつらって」


「困っているなら、『救い』が必要だね」タカユキは微笑んで、「僕は七井を捜す手伝いをするよ。タバタとイツキは上に帰った方が良い。深川先生はなにしろ『元気』すぎる」


「じゃあ、わたしも手伝います!」


「わたしも! みんなに手伝うよう頼んでくる!」


腕章組が捜索に手を貸してくれるとなると、発見もたやすい。憂理や導師の指示を待つこともなく、イツキとタバタは再びパタパタと走り去ってゆく。


「むやみやたらに走り回っても仕方がない。僕たちは中央階段から西のエリアを捜すことにするよ」


「ああ……頼んだ」

憂理の言葉に微笑を返し、タカユキも小走りで中央階段の方へと走り去ってゆく。


「便利だわね」

ニヤリとエイミが笑う。


「おれ、あんまりアイツらと絡みたくないんだよな……」


「あのねー。あのテオッターたちは、アタシらに無いものをもってるのよ。人手に組織力に、ご飯! 手を貸してくれるって言うんなら借りとけばいいのよ。返す返さないは別にして」


いささかずる賢くも思えたが、合理的ではある。

「じゃあ、俺らは東エリア……教室とか寝所か」


施設内は大混乱をきたしており、現状で捜索など火中の栗を拾うより困難かもしれない。しかし、だからこそ急がねばならない。焚き火が火事に、火事が大火災になるより前に。


先ほど深川に急襲された通路を迂回して東のほうへと向かう。

6人ほどいた半村奴隷は、武装していたにもかかわらず一瞬で壊滅させられた。

それを翔吾は小刀ひとつでどうしようというのだ。


肉を斬らせて骨も断たれる結果になるのは明白だ。

武術のこころえも戦闘訓練もしたことがないであろう中年女が、あそこまで圧倒的な破壊力を見せるのは『覚悟』に違いない。


『殺してやる』という、純然たる悪意。半村奴隷たちや自分に欠けているモノは間違いなくソレであろうと憂理は思う。そしてそれは間違いなく翔吾にも欠けているはずなのだ。



 * * *


どれほどの時間が経過しただろう。

施設がこんな事になってから、時間の感覚が薄れている。腹時計、などと人は言うが、常に空腹の状態では電池切れに等しい。


「いないね……」

エイミの声には焦りの色があった。


「半村たち、どうなったんだろな」


「わかんない」


ドアを開け、内部をうかがい、またドアを閉める。あれだけ少年少女に溢れていた施設内が、いまは廃墟のごとく閑散としていた。

みんな、どこへ行ったのだろう。

そう憂理が不安に思うほど人の気配が感じられない。

半村奴隷は半村奴隷で、TEOTがTEOTで集団行動をしているのはわかる。

だがそれ以外の者たちは?


「男のベッドルームって、なんでこんなに臭いのよ……。なんか鬱になるわ」


「女みたく他の匂いで誤魔化さないだけだ」


「いーえ、違うわ。なんか独特の臭いがするもん。くさいわ……鬱いわ」


「エーミの鼻がおかしいんだよ」


自分の寝ていた三段ベッドを見上げ、憂理は懐かしい気分に浸る。あの日、下の段から翔吾に蹴り上げられた記憶が蘇る。

あの夜、地下へ拷問部屋を探しに行かなければ、こんな事になっていなかったのかも知れない。

過度に感傷的で、無意味な回顧であったが、憂理はそんな後ろめたさに胸を痛める。

胸を焦がしながら寝所を見て回り、憂理は奇妙な事に気がついた。


「ノボルがいない」


「あの喋らないヒト?」


「ああ、ずっとベッドで布団にくるまってたのに……」


「トイレじゃない?」


「アイツもこのままじゃ危ないから、他に避難させないとな」


もう一度、あとで見回りにくる事にして憂理たちは通路へ戻った。探し始めて半時間は経過しており、苛立ちばかりがつのってゆく。


「東エリアの半分は見たわね」


翔吾自身も移動しているであろうから、探した面積は意味のある実績ではない。

焦りと、ため息だけが増え続けるなか、2人が通路を曲がると、そこにお目当ての人物がいた。

通路の真ん中に仁王立ちの翔吾。憂理の肩から一気に力が抜ける。


「翔吾っ!」


先に叫んだのはエイミだった。驚いて、きょとんとした表情でこちらを見た翔吾にエイミが突進し……。

おもむろにパチン、と平手打ちを見舞った。


憂理が駆け寄ったとき、打たれて逸れていた翔吾の顔がようやく正面を向いた。やはりきょとんとした表情だ。


「いてぇ。なんで?」


「アンタね! どんだけ心配したと思ってんのよ! 勝手なことして!」


「泣くこたぁねぇだろよ」


翔吾の胸元をバシバシ叩くエイミに翔吾は困惑した様子だ。

「悪かった、悪かった。でもコレ……」


翔吾が指差した先には2人の人物がいた。床に尻をつけ壁に背中を預ける人物、それに寄り添う人物。

翔吾に気を取られるあまり、他に人がいることに気がつかなかった憂理は思わず身構えてしまう。

これは半村だ。これが半村か。


果たして本当にあの暴君なのか。憂理が目の当たりにしている男は、酷く傷つき、まさに『ボロボロ』だ。

つい先ごろまで半村が見せていた威勢や威厳はまるで見あたらない。


そんな憂理の懐疑は彼の脇にいる少女によって晴れた。茶色に変色したタオルで甲斐甲斐しく半村の血を拭っている。

濡れたタオルをあてがわれた半村は意識が朦朧としているらしく、熱にうなされたかのように頭をゆっくりと揺らしていた。

「……深川にやられたらしい」

翔吾が肩をすくめて言う。


「助けたのか?」


「いや、ちょっと手を貸しただけ。手ってか肩を、だな」


どうも頭部を酷く負傷したらしく、どれだけユキエが拭っても生え際のあたりからツッと幾筋かの血液が流れ落ちてくる。

「あの女も無傷じゃない」


憂理を見上げようともせずユキエが言う。

ユキエが『騒ぎ』の場所へたどり着いた際、ほとんど決着はついていた――動ける者は逃げ出し、現場には倒れたままの数人と半村、深川だけがいた。

深川が半村にとどめを加えようとした瞬間、ユキエによる援護が入った。

深川の頭部を狙った一撃により中年女はひるみ、たてつづけの攻撃で受傷したはずだとユキエは言う。


「逃げたわ。でも死んでない。きっと戻ってくる」


「じゃあ、いまがチャンス、だよな?」


翔吾の目は怪しい光を湛え、猫科の獰猛を一瞬だけ表にだす。しかし、翔吾の二の句より早く、ユキエの返答より早く、エイミが逆上した。

「チャンスもクソもないわ! バカじゃない!? 絶っっっ対行かせないからね!」


「やられたままで黙ってられるかよ」


憂理は深刻にため息を吐き、ゆっくり首を振った。

「頼む……。頼むよ翔吾。気持ちはわかる、ホントわかるよ。でも今回だけは抑えてくれ。もうグチャグチャだ。気が済むなら土下座でもなんでもするから」


暗く、抑制のきいた声で憂理は懇願する。普段は軽口の応酬をやる仲だが、いまは真剣に、真摯に向き合いたかった。

やはり復讐などと言うのは余りにも馬鹿げていると憂理は思う。

「頼むよ」


再三の要請であるが翔吾は返事をしない。ただ憂理を見てエイミを見て、半村を見てから舌打ちをひとつ。

「殺しに行くなら今しかないわ」ユキエの目が細い。「でも、その前に半村様をそこの部屋へ運んで」


ユキエが指差したのはすぐ横のドアだ。空き部屋に逃げ込み、安全を確保するつもりなのだろう。


「血が止まらない。このままじゃ……」

確かに、見るからに酷い怪我である。このまま放っておけば『無事』では済むまい。だがユキエの頼みを快諾するのも躊躇してしまう。


「これ半村だろ……」


「そう」


「こんな奴ら! 助けることないよユーリ!」


エイミの視線はこの上なく厳しい。

憂理だって同様の所感である。目の前にいる男は殺人者であり、圧政者であり、異常者なのだ。それは『深川よりマシ』という程度でしかない。


「なんで俺たちが半村を助けなきゃならないんだ? 仲間だの部下だのが沢山いるだろ」


ユキエは憂理を見上げ、何かを言おうとした。だが言葉は出ない。薄い唇が微かに開閉しただけだ。

感情の読めない細い目が、じっと憂理を見つめ、つぎに翔吾を見つめ、やがてエイミを見つめる。

そして、ユキエがおもむろに床にひれ伏し、土下座を見せた。


「お願いします。このままじゃ、このひと、死んでしまいます。お願いします。どうか助けてください」


床から跳ね返ってきた声が憂理の鼓膜だけでなく感情までも刺激する。

半村が悪党である事は疑いのない事実であったが、だからと言ってそれを見殺しにするのも気後れがする。

そして、恥も外聞もなく土下座し、必死に懇願してくるユキエを無視できるほど憂理は強い人間ではなかった。


「どうか、どうかお願いします」


「仕方ない……」


憂理が一歩踏み出すと、怪訝な表情ではあるが翔吾も半村へ歩み寄った。


「なんで俺が……だよ。クソ」


エイミは腕を組んでソッポを向いて、断固拒絶の構えだ。ユキエは土下座の構えを解かず、ひたすらに言葉を重ねた。


「ありがとう、ありがとうございます」


「頭あげろよ。さっさと運ぶぞ」


半村の右側に憂理、左側に翔吾が滑り込み、左右から持ち上げる体勢を作ったが、重い。そもそも、憂理や翔吾だって体はボロボロなのだ。

見かねたユキエが足を持ち、ようやくのことで引きずる事ができた。


半村の腕を首に回す――その行為は憂理のなかにどうしようもない自己嫌悪を生み出した。自分を殴りつけた腕。カガミを殺した腕。ナル子を傷つけた腕。

自分はどうしてこんな事をしているのか。不快で腹立たしくて、なんだか悲しくもある。


「こいつ、クッソ重ぇ!」


「無駄に体がでけぇよ!」


「よし! ドアを開けろ!」


顔を引きつらせて憂理が指示を出すが、誰も動けない。作業者全員の両手は怪我人でふさがりノブを回すことができない。

3人の視線が一点に注がれ、ようやくエイミが動いた。

口をへの字に曲げたままドアへと足早に近づき、ノブを回して乱暴に開ける。


「アタシは! 助けたワケじゃないからね! ドアの調子を調べただけだからね! ドアの建て付け良好、ヨシ!」


どうにも素直ではない態度であるが、その気持ちは憂理にもわかる。自分たちを苦しめている相手を助ける。これほどバカバカしい事はない。

不本意ながらも部屋の中へ半村を引きずり込むと、一番奥の空きスペースに寝かせた。

相変わらず意識は朦朧としているらしく、感謝の言葉もない。


「ありがとう」


一番の奴隷がワザとらしいほど腰を曲げて、主人の代わりに礼を言う。そしてすぐに膝を床につけて半村へ寄り添うと、血を拭う仕事へと戻った。


「ちょっといいか」


声をひそめた翔吾が憂理の腕を掴み、出口となるドアへと引っ張った。そしてドアのそばで腕を組んでいたエイミも呼び寄せる。

エイミはふてぶてしい態度でドアを閉め、憂理たちのそばに来た。部屋内でユキエと一番距離のある場所だ。

翔吾が小声で始める。


「で……どうすんだ?」


翔吾の目は例の怪しい光に満ちている。憂理は翔吾の言わんとするところを本能で察した。だが言葉が出ない。

押し黙った憂理の代わりにエイミが応えた。


「帰るに決まってるじゃない。洗濯室でみんな心配してるわ。穴もまだだし」


憂理は苦々しく唇を噛み、首を振った。

「そうじゃない、エイミ。そういう事じゃない……」


意味が分からずキョトンとしたエイミ。彼女の口から疑問符が生み出される前に、と憂理は言葉を続けた。


「穴を掘る必要はなくなった」


翔吾が素早く訂正する。

「必要なくせる、だろ」


「えっ? どういうコト?」


どうにも、説明するのもためらわれるが憂理は言う。

「俺たちが脱走する『理由』がここにいる。ここにいて死にかけで、意識モーローで」


憂理が目配せを半村へやると、エイミの視線も続いた。

半村から逃げるために脱走を企て、穴を掘っている。その半村が権力をふるえないという事は逃げる意義は失われたに等しい。

ようやく憂理たちの言わんとする意味を理解したエイミが表情に緊張を見せた。


「そっか……」


「で、どうするか、だな」


「どうするって?」


間の抜けたエイミの疑問符に、翔吾が冷静に応えた。

「殺っちまうかどうか、だよ」


翔吾の提示した選択肢は余りにも少ない。恣意的、ないしは意識的に選択肢の幅を狭めたのではないか。


「殺すのは言い過ぎだろ」

憂理が過激な意見をたしなめると、翔吾はその言葉を予測していたかのように返す。


「ヌルいんだって。いま殺らなきゃ、いずれ殺られる」


この言葉は憂理の記憶を刺激、想起させた。蘇った記憶は断片的に映像となる。地下、緑色の光、床で痙攣する深川。

あの時、自分が深川にトドメを刺していれば――。今の状況は生まれなかったかも知れない。そう考えて憂理の気分は沈む。

翔吾の言った通り、狂った深川にトドメを刺しておけば――。


「そんなこと出来るワケない」

憂理は過去を脳裡から振り払うように頭を左右に動かした。

「殺す、なんて論外だろ」


翔吾の視線がますます険しさを増し、憂理に突き刺さる。


「なんで。殺されて同然だよアイツは。報い、だろ」


「とりあえず出ようよ。ここじゃマズいって」


エイミの提案を拒否する理由はないように思われる。場を濁す、というワケでもないが憂理は無言で出口へと向かう。

エイミがすぐ後に続き、少し遅れて翔吾も続いた。

傷ついた暴君とその従順なる従者を『封印』するかのようにドアが閉ざされ、ようやく一息ついた気分だ。


「チャンスなのは理解してる……」憂理は言った。

「でも殺す必要はない」


「そうよ、いま逃げれば解決でしょ?」


「どうやって?」


当然の質問である。『殺す』にかわる代案を提示した以上、説明する責任が生まれる。だがエイミは上手く言葉を作れない。

――どうやって、か。


穴はその動機を失った。今やコソコソと秘密裏に掘削をしなくとも、誰の目もはばからず堂々と脱出すればよい。だが、どうやって?

中央階段や地下階、エレベーター。どれにも障害がつきまとう。深川だってどこかに身を潜めているのだ。

憂理は考えた末に提案した。


「中央エレベーター。今なら動かせるんじゃないか。さすがに見張りも逃げただろうし、電源を入れて……一気に」


仮に電源が入らなくても、昇降路を降りれば地下階へ行ける。そうなればケンタの見つけた外部へと続くトンネルを通じて、外へ。

憂理の言葉に聞き入っていたエイミがパッと笑顔に変わる。


「そだね! それしかない!」


一方の翔吾は大きくため息を吐き、やれやれといった様子だ。

「だろうな。ソレが普通、だな。つい極端になっちまう……」


殺す殺される、という過激な状況に身をさらしすぎたのだ。いきすぎてしまう発想も仕方がないのかも知れない。


「よし!」気を取り直すためか、翔吾がわざとらしい気合いを入れた。「ドアを封鎖しちまおう。閉じ込めちまえば安心だ」


そうしたいのはやまやまであるが、今はその時間さえ惜しい。




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