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13月の解放区  作者: まつかく
4章 ある証明
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4-9b 流されるもの

どれくらい作業を続けたろうか。


仕事の成果はほとんど上がらず、コンクリート面に深さにして5センチほどの『くぼみ』が形成されただけだ。

それでも石工組合は金属を床にふるい、洗濯婦たちは汚れ物の処理に大忙しだ。


「誰か来た」

四季がドアの隙間に張り付いて言うが、周囲の反応は冷たい。

また、通り過ぎるだけだろ? そんな反応だ。通行人が横切るたびに作業が中断されるため、面倒に思うのだ。


「3人。イシイ・ハルカ。ハマノ・タカシ。コスガ・ヒロアキ」

四季は通り過ぎる人物の氏名をあげる。ここまで『わからない、知らない』は一件もなしだ。脳内にデータベースが実装されているに違いない。


「3人とも半村奴隷じゃん……」

洗濯物をパタパタやりながらエイミが言う。


「女が2人の男に追われてる。こっちに走ってくる」


「追われてるって? どういうこと?」


ここで『なにかあったな』と憂理の危険感受性が仕事をする。手にしていた掘削道具を床の窪みに置き、石工同士で目配せすると、皆が道具を窪みに投げ捨て汚れ物で蓋をする。

隙間に張り付いて外の状況を実況する四季の言葉に、場にいる全員の意識が集中した。


「石井が追われてる。近い……。石井が、こけた」


刹那、ライブ音声が憂理たちの耳に届いた。


「やめて!」


女の声。石井遥香の叫びだ。

これはただ事ではなさそうだ。すべての聴覚のみならず、視覚までもが四季の方へと集中する。

「倒れた石井遥香を2人が囲んだ」


「やめてよ!」


もう一度、ドアの隙間からライブ音声が届いた。


「黙ってヤらせろよ!」

これに四季の実況はなかった。その発言を吟味するかのように首をかしげ、やがて肩をすくめただけだ。


「諦めろよ! なぁッ!」


「絶対嫌ッ! 死んでもゴメンだわ!」


なるほど、と納得したワケではないが憂理は何が起こっているのか大体把握することができた。半村奴隷が敬愛する暴君の行為に倣おうとしているのか。


「倒れた石井遥香に、2人の男が言い寄ってる」


これは『言い寄っている』などと言える状況ではなかろう。今まさに暴行が行われんとしているのだ。


「なんでそんなに嫌がンだよ!」


「嫌にきまってんでしょ! クソ童貞のクセに色気づいて、キモイんだよ!」


「だ……黙れ! ヤリマンのくせに! キモクなんてねぇよ!」


これは思わず憂理も失笑してしまう。キモいキモくないの定義など知ったことではないが、当事者の口からの自己弁護が余りにも悲しい。


「キモイんだよ! いま施設がこんなんだからって、便乗して童貞捨てようなんて!」


「黙れ! そんなんじゃねぇよ!」


憂理は翔吾を見た。例によって、『タフな男の道』を行くべきかどうか、その道の草分け的存在である猫隊長に伺いを立てようと思ったわけであるが、その道の権威である猫隊長も眉間にしわを寄せて判断を決めかねている様子だ。

襲われている側である石井遥香のほうが、強いのではないか?


とりあえず、ということで憂理が床から腰を上げ、四季のいるドアの隙間へと歩み寄ると、翔吾やエイミもそれに従った。


「……おい、四季。ちょっとしゃがめよ」


一番上に憂理。その下に四季。エイミ、一番下には四つん這いの翔吾。例によって歪なトーテムポールだ。

みれば、倒れた石井の逃げ場を殺すようにハマノとコスガ少年が立ちふさがっている。

まさかこの場でおっぱじめようと言うのでもなかろうが、少年2人はわずかに前傾姿勢を取り、今にも飛びかからんとしているようにも見えた。

眼鏡の――コスガがぬめる舌で唇を濡らして言った。


「なぁ、いいじゃねぇか、減るモンじゃなし」


こんな台詞を吐く奴が本当にいるとは。憂理は驚きを隠せないが、ある意味では『襲う側』の儀礼に則した常套句なのかも知れない。『How are you』に『I'm fine, thank you』と返すような。

『いやよ』と言われれば、『減るモンじゃなし』はある意味で教科書的であるのかも知れない。


憂理がそんな事を考えている間にも、状況は悪化の一途をたどっている。


「クソ童貞は自分でオナってなさいよ! 便器に向かってさ! その方がお似合いよ!」


これは暴言である。石井遥香という人間を憂理は知らないが、助けを必要とする弱者にはとうてい思えない。


「うるせぇ、ヤリマンが! 半村様にもヤらせたんだろ!?」


「言うギムなんてない! あんたらはオナニーで充分! ホーケーが!」


「てめぇ!」


暴言は火種となった。

瞬間的に激情に駆られたハマノが、倒れたままの石井を蹴りつけた。靴の先端を突き刺すようなトーキックが、石井の横腹に刺さる。

少女は歯切れの良かった威勢を掻き消し、一転して少女らしい悲鳴を上げた。


「ヤリマンのクセにッ!」


コスガもハマノの発した激情の匂いに巻かれて、獣性を解放した。

二本の足から放たれる蹴りが、少女の細い体に突き刺さり、少女は体を丸めて悲鳴を上げる。

目の前に、暴力があった。


「勘弁してくれよ……まったく」


「男の道、いく?」


「男、杜倉憂理の目の前でこのショギョー……。さすがに見過ごせない」


「さすがに、だな」


翔吾と合意に達した憂理は、唖然とするエイミとフリーズした四季をドアから引き離し、隙間を一気に開いた。


「やめろ!」


腕を組んだ憂理と、アヒル口の上に鋭い目を置いた翔吾。その2人が突然に現れ、コスガとハマノは動きを止めた。

コスガの目にはおびえが、ハマノの目には恐れの色があった。


しかし、その色も一瞬で変化する。彼らの恐怖は半村にのみ向けられており、現れた者が畏怖すべき半村さまでないと解れば、恐れるべき何者もなくなる。


「なんだ! てめぇ!」


「俺を知らないのか? 超重要ダブル・インポータント人物のトクラ氏を」


「俺は? 俺は、ええと。スーパーロボ、ナナイマンZだ! チャッキーン!」


翔吾の名乗りに、洗濯室の奥から「ナナイマンZ、ヒュー!」と奇声が上がる。ケンタはこういうネタに弱い。

動きの止まったコスガたちの隙を縫い、石井が素早く立ち上がり、逃走を試みた。少女の体が半径数メートルの空間に微風を巻き起こす。

だが、機を見るに早い。それは慎重を欠いた行動であった。


逃げだそうとした石井はその長い髪をハマノにつかまれ、強い力で逃走を阻止された。

そしてハマノの代わりにコスガが憂理を睨み付ける。


「邪魔すんな! ザコが!」


その後ろに言葉を付け加えるのなら、『殺すぞ』だろう。こういう単純な輩はテンプレート的な発言に終始するらしい。

憂理は一歩踏み出して、威圧するように言った。


「ザコはお前だよ。オナニーマン」


「あぁ!?」


「俺に言わせりゃ、ボスは半村だけ。お前らはビビって従っただけのザコだ。なぁナナイマンZ?」


「うむ。お前らはザコってダケじゃなく、オナニー野郎で、包茎野郎でもあるし、負け犬でレイプマンで……。ケンタ以下だ」


「僕以下だぞ!」


からかわれたコスガたちは、怒りの感情を視線に変えて、憂理と翔吾を睨んだ。


「お前ら、自分の立場、わかってんの? 殺されたいのか? カガミみたいによ?」


どうにも迫力に欠けるように思えるのは、コスガなりハマノなりの風貌に問題があるせいだ。コスガは四角い眼鏡と平べったい顔。ハマノは黒髪をただセンターで分けただけの無個性の教科書である。

さすがに半村の圧倒的なオーラにさらされてきた憂理にとって、この程度の脅しは笑いの対象にしかなり得ない。


「あのな、お前らは流されてるだけなんだって。今は大変な時期だけど、こういう時にこそ自分をしっかりもってだな……」


生徒指導の教師がやるような、ほとんど諭すような言い方で憂理は説教を始めた。


「ここで自分を見失ったら、お前、今の時代を生き抜いていけないぜ? もうガキじゃ――」


陳腐ではあるが経験則に基づいた杜倉憂理による『ためになる話』はコスガのアクションにより中断された。コスガが身をよじり、握り拳を放ってきたのだ。

紙一重で憂理はかわしたが、危うく舌を噛みそうになる。

学長のような上手い説教をぶつには、まだまだ経験が足りない。


コスガは憂理の反撃を恐れたか、かわされると同時に後方へパッと退いた。

そして憎らしげに言う。

「おい、よけんなよ」


「は?」


「なんでよけるんだ?」


コスガの言わんとする事が、憂理にはまったく理解できない。

なぜ避けた事を咎められるのか。

不穏な雰囲気を察した遼やケンタ、菜瑠までもが洗濯室の奥から廊下に出てくると、コスガとハマノの顔色が変わった。

多勢に無勢なのは数字に弱くとも理解できるだろう。これは数学ではなく、算数の世界だ。


憂理は狼藉者の2人を交互に睨んだ。狼藉者の片割れは、狩人が仕留めた獲物を持つかのように乱暴に少女の髪を掴んだままだ。その少女もハマノの膝より低い位置でうずくまっている。


「もうさ、やめとけよ。その子を放してやれ。恥の上塗りする気か? どうせ上塗りするなら金箔にでもしろ。まだキレイだしよ」


憂理が言うと、翔吾がそれを混ぜ返す。


「金箔トカ意味ねーって。ウンコに金を塗ってもウンコはウンコ、だろ? 臭いだけはどうにも、だろ?」


古菅の眼、浜野の眼、憂理の眼に翔吾の眼。どの眼も金箔ならぬ緊迫があった。

凝視すれば見えるほどのザラついた空気が、渦を巻いては気流を作り、陣営の間に渦巻いていた。


「なめんなよ」


「別に舐めてない。舐めないよ、ウンコなんてよ」


憂理の憎まれ口に古菅が鼻のスロープにシワを寄せ、メガネを微震させる。

沸騰直前のヤカンでももう少し上品に震えるものだ。これは沸騰ではなく『爆発』寸前のヤカン、と比喩すべきかも知れない。内容物はニトロか火薬か。

危険物に引火させたのは、むろん杜倉憂理だった。


「もう、行けよ。どっか他に。……どっかって言うか、トイレに、流れに」


爆発的な怒りにコスガの顔面が醜く歪み、彼の手が素早くズボンのポケットに向かった。自分の言葉が挑発に属する事を理解していた憂理は、本能的に半歩ほど後ずさった。

コスガがポケットから取り出したもの。それは小刀だ。


刃渡りにして15センチほどの工作用小刀。コスガはその刃を守るプラスチックのサヤを通路に投げ捨てると、黒刃の切っ先を憂理に向けた。


「殺すぞ」


呼吸は荒かったが、言葉は落ち着いていた。少なくとも、図画工作を始めるつもりではなさそうだ。

しかし憂理は戦慄を感じたものの、恐怖にすくむことは無かった。心拍数の上昇を全身に感じる一方で不思議と思考は冷静を保っている。

自分が『彫刻』の素材になる事はない。そんな確証のない確信があった。


「ち、ちょっと! やめなさいよ!」


憂理の後方でエイミが騒ぐ。

――大丈夫、大丈夫。大丈夫だ、エイミ。


このメガネにそんな度胸はない。憂理はそう『思いたかった』のかも知れない。そう思いこむ事で、ようやく冷静を保っていたのかも知れない。


「なめやがって、見下しやがって。前から、お前らみたいな奴が気にくわなかったんだよ」


コスガの呼吸に合わせて、刃がゆっくり上下する。


「『俺は人気者だ』って態度でよ、『お前らはキモオタだ』って態度でよ。うるせーんだ、お前ら。休み時間もメシ時間も、自分が主役みたいに騒ぎやがって」


なんだかマズい方向に話が逸れていることは憂理にも理解できた。先ほど挑発した事が悔やまれる。憂理はコスガの個人的恨みを買うタイプであるらしかった。


「怖いか? なぁ、怖いか? 言えよ、怖いかどうか?」


一言の重みを考えると、憂理は何も言えない。自分の言うことなすことが全てコスガの感情を逆撫でするのではないか。


「やめなさいッ!」

助け舟を出したのは、菜瑠だった。

「刃物の持ち歩きは禁止されてるわ! いますぐ床に置きなさい!」


いかにも菜瑠が菜瑠らしい理由で行動を諫め、高い位置で腕を組み、憂理が見たこともないような怖い形相でコスガを睨んでいる。これは実際に『石にする魔力』があるのではないか。

しかし、魔力は魔の者には効かないらしい。コスガは鼻で笑うだけだ。


「ふん、お前も気にくわなかった。偉そうに命令ばっかしやがって……。昔は学長のオキニだったかもだけどな、今はゴミだよ、お前」


「早く刃物を置きなさい!」


「今はな、半村さまが正義なんだよ。お前の存在価値なんてゼロだ」


そう吐き捨ててから、コスガは目を細めて菜瑠をじっと見つめた。上から下まで、舐めるように。

「まぁ……ゼロじゃないかもな。ヤリマンよりはマシか。なぁハマン?」


「俺ら上品だからな。生活委員なら、公衆便所よりは品がある」


そう言って、握った髪をぎゅうと引っ張り上げ、痛がる『獲物少女』の顔を確認すると、一瞬の逡巡を見せてからハマノは獲物を放棄した。

臭いたつほどの獣性があった。深く息をすれば、むせてしまうほどの。


「なぁ、ヤらせろよ?」


「黙れッ!」その鋭い声は、意外にも菜瑠の口から割って出た。「お前らはッ! ウンコ以下だ! ウジムシ猿が!」


憂理は一瞬、自らの耳を疑い、目を疑い、最後に脳を疑った。

――ウンコ以下のウジムシザル!?


一番疑うべきは菜瑠の精神か。彼女の口からそんな言葉が飛び出すなど、宇宙の摂理がどうにかなってしまったのではないか。

周囲からの驚きの視線を浴びながら、菜瑠はぐいぐい前に出て、憂理の横に並んだ。


「はやく! 刃物を置きなさいッ! 今ならまだ大目にみてあげるわ! はやくしろ、グズっ!」


これほど激しい菜瑠を見たことがない――。それは親しいエイミとて同じであるようだ。ゆで卵が丸ごと入りそうなほどに口を開けて、目は皿のよう。


「なんだと……?」


憂理に向いていた刃物が菜瑠へ流れた。コスガの目は見開かれ、相対的に黒目が小さく見えた。

「てめぇ……調子のんじゃねぇぞ」


――あぁ、ナル子、面倒な奴。


憂理は思う。

――でも、サンキュ。


コスガの注意も、刃物の切っ先も、全てが菜瑠に対して向けられ『ダブル・インポータント』である杜倉憂理はフリーになった。こんなチャンスを逃すほど優柔不断ではない。


憂理はパッとノーモーションから左腕を伸ばし、コスガの腕に絡みつかせた。瞬発的にコスガの筋肉が反応し、刃物がヒュッと宙を切る。

コスガの上腕を脇にとらえ、刃物を持つ手首を右手で捕まえる。

そのまま引っ張り込むようにコスガのバランスを揺さぶり、警官がやる片羽締めの要領で床に倒した。

体感で、1秒。いやもっと短いかも知れない。


「くそッ!」


床に頬ずりしがらも、コスガは刃物を落とさない。彼にとって唯一の武器であり、まごうことなき切り札なのだ。コスガの肩を『曲がらない方』へ締め上げるが、コスガは狂ったように暴れるばかり。

憂理がフォローを求めるまでもなく、翔吾が動いていた。


風よりも早く地面に倒れた2人に駆け寄ると、コスガの切り札に対して蹴りが放たれた。しなる、鞭のようなしなやかさを見せた蹴りは、刃物を握る手を直撃し、切り札を通路の遠くまではじき飛ばした。

チャンスを見逃さない司令塔と、チャンスをモノにするフォワードによる絶妙のホットラインだ。やり手の監督が見ていたなら、迷わず代表入りを決めるところであろう。


「くそぉぉぉぉおッ」


大声で叫び、憂理の体の下で暴れるコスガ。憂理はトドメとばかりに脇をグイと締め上げてから言った。


「彫刻したいのか、料理したいのか知らねーケド、残念ながら俺らは完成品なんで。……なんか改造したいなら、まず自分のツラを直せ」


「切腹したいってなら、手伝うけど、な」


翔吾はコスガの手を押しつぶすかのように踏みにじった。

とたんに空気が柔らかくなり、誰かが「ふうう」と安堵のため息を聞かせた瞬間、第2幕が上がった。


「スガをッ! 放せ!」


あまりにも感情的な叫び。それを発したのはハマノだ。見ればハマノもコスガと同じように小刀を構えていた。

思想だけでなく、武器までお揃いとなると、コレは小さな軍隊じゃないか。


「放せ! 脅しじゃないぞ!」


しかし、ジャンヌ・ダルクは屈しない。

すこし乱れたボブを揺らし、ハマノに向かって一歩踏み出した。菜瑠のその目には正義を信じる光があったが、その唇には恐怖に怯える震えがあった。

「刃物を下ろしなさい!」


ほとんど伝説として語られるオルレアンの乙女は、致命傷の矢傷を受けながらも前線で戦い続けたという。致死量の血液を失いながらも戦い続けるその姿は兵士たちを奮い立たせ、大いに勇気づけた。おお、我らのジャンヌ、後に続け――と。


菜瑠はそれを再現するつもりでもなかろうが、少なくとも憂理たちの胸に鼓舞された兵士たちと同じような精神作用が働いた。小走りに菜瑠の横に駆け寄ったのはエイミだ。


「ナルの言うとおりよ! やめなさいよ!」


次に遼。これも最前線に参戦する。

「怖くない。少しもね」


ケンタものそのそと歩み寄り、エイミの脇から言った。

「あぶないよ」


四季が全く動かないのは、なんとなく彼女らしい。


こうなると、不思議と武器を持ったハマノのほうが精神的苦境に落とされてしまう。

刺さねば、武器の威力を見せつけねば、逆境を切り抜けられないのだ。


「下がれッ! 刺されたいのか!」


「できんのか?」翔吾が言った。


「ここにいる全員を刺さなきゃ、だぞ? おまえ全員刺せる気でいんの?」


それが不可能なことぐらい、誰にだって解る。

1人を刺せばその隙に誰かが飛びかかってくるに違いないのだ。武器の行使はそれすなわちハマノの敗北を意味する。

刺せば、やられる。そんな事を自分を睨んでくる複数の目から感じ取ったらしいハマノは、必至でそれぞれの表情に視線を投げかける。


場に、緊張があった。

誰だって本音で言えば刺されたくはない。だが一歩も後ろに下がりたくはない。


「どうせ、みんなやってるんだ! 半村様がこの施設の法律なんだ!」


「私たちは違うわ!」


「そんなの今だけだ! すぐに従う! だいたい、女とヤろうとしてんのは俺らだけじゃないぞ! みんな、だ! みんなヤろうとしてる! カネダだって!」


――俺は悪くない! とでも言いたいのか。

憂理の気分を害したいだけ害すると、ハマノはじりじりと後ずさった。事態の収束を察した翔吾が、コスガの落とした小刀をひろう。


それを確認した憂理は、ようやくコスガの腕をはなし、ゆっくりと立ち上がった。服の汚れを払い、咳払いをひとつ。


「お前ら、完全に『あっちがわ』の人間になったな。完全に半村系だ」


拘束から解放されたコスガも身をよじって立ち上がる、肩が痛むのか、片手を肩に添え、憎らしげに言う。


「なに格好つけてんだ? 好きにやればいいじゃねぇか。俺たちはいつ殺されるかわからねぇんだぞ? 心残りとかないのかよ。悔いなく生きろ、って学長も言ったたじゃねぇか」


これは『悔い』の拡大解釈ではないのか。憂理は不快感を禁じ得ない。


「消えろ。同じ空気を吸いたくねぇよ」


「覚えてろ……。お前殺してやる」


まさに、という言葉を枕にした捨て台詞を吐いて、ハマノが駆け去り、続いて肩を庇いながらコスガが去った。

残った石井遥香はやりきれない表情で立ち上がると、誰に言うでもなく言った。


「べつに……ヤリマンじゃないから」


弁明など、なんの意味もない。それが事実であろうとそうで無かろうと、憂理にはさほど意味があることとは思えなかった。


「もう、半村に従うのやめたら?」


アドバイスでも進言でもなく、ただ憂理はそう言った。状況が悪化しているのは確かな事実であり、それは半村に従っている者だって例外ではないのだ。


「ほっといてよ……。アイツらの事はユキエにチクるから。きっと半村様も……アイツらを……」


力なく、石井遥香は言った。

ユキエによる罰があるのかどうか、憂理には解らない。ただ半村奴隷の中にあってユキエの立ち位置は確固たるモノとなっているらしい。自他共に認めるナンバー2といったところか。


「アイツら……殺してやる……」


独白気味に吐き捨てて、石井はよたよたと歩き去ってゆく。壁に手を当て、一歩、また一歩。


「アホだ」

珍しく遼が冷たく言い放つ。

「それでも半村の力に頼ろうとするんだね」


「でも、これからは……トイレも安心して行けやしないわ……」


エイミは肘を抱き、不安そうだ。半村奴隷がその獣性を剥き出しにし始めた事により、女であると言う事がそれだけでハンディキャップとなると言っても過言ではない。


「俺がついて行ってやるよ」


そう言って、翔吾が護衛の騎士を買って出るが、エイミは顔を赤くして拒絶した。

――面倒なことに……。


掘削作業初日はこうしてほとんど成果が上がらぬまま暮れていった。

意識を失ったままの学長を看に菜瑠とエイミが医務室に戻り、ケンタと遼がその護衛について行った。


憂理と翔吾は洗濯室の床に座り込み、地道な掘削を続ける。

黙々と穴を掘る翔吾、洗濯機に座りじっとその様子を見つめる四季。会話もない室内を、コンクリートの欠ける音だけが満たしていた。


生徒たちの明らかな変化に戸惑いを隠せない。これから先、どうなってゆくのか不安だけが大きくなってゆく。コスガもハマノも、施設がこのような状況に陥らなければ、あんな卑劣な自分を再発見しなくて済んだのではないか。憂理はそう思う。


望まれざる自由が、好まれざる欲求の解放が、施設全体に暗い影を落としている。

誰もがその中に内包する欲望。それが最悪の形で発露されつつあった。


荒涼たる世界、人は周囲を宇宙の暗闇に囲まれた小さな星でしかない。

幾億の星々が秩序を持って動き、太古から現代に至るまで人々は夜空を見上げ、そのどれかに自分を重ねたりもした。


人生の多くが、星の運行がごとき秩序を持って動いていると考える人もいた。

それを運命と呼んで諦観する人もあった。

それを宿命と受け入れ、戦うものもあった。


だが、いま星々は規則性を失った。それぞれが迷走し、離れあい、時にはぶつかり合う。星のひとつひとつが、獣性という内燃機関に欲望という燃料をくべて、推進力を得ては暴走を始めていた。


この施設は星座を失った星空。

占星術師も未来が見えない。



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