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13月の解放区  作者: まつかく
4章 ある証明
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4-9a 石を打つもの

タカユキが去って、部屋には失意のT.E.O.Tたち。

ただでさえ暗い照明をなおさら暗くするかのようなT.E.O.Tたちの雰囲気に、胃がもたれてしまいそうだ。

ケンタが足早に電子レンジへ歩み寄ると、真空パックを確認する。


「角煮がいいひとー。ソーセージがいいひとー。あと……ハンバーグと」


「とりあえず、全部温めろよ。みんなでつまめばいいじゃん」


「わかたよー」


やはりケンタに緊張感はない。嬉々として電子レンジへ食材を放り込み始める。

憂理は祭壇に腰をのせて大きく深呼吸すると、四季に訊ねた。


「なぁ、四季。最初から『オール黒』だってわかってたのか?」


四季が頷いたのと同時に、遼が答えた。


「『赤』を出し続けるのが攻略法だなんて、馬鹿馬鹿しすぎるよ。最初の時点から、A対Bじゃなくて、(A+B)対(主催側)のゲームだったんだ」


どうやらBチームで『黒』を主張した人物は遼であるようだ。

これは四季と同じに、ゲーム全体を俯瞰していたのだろう。四季は遼の言葉に二度目の頷きを見せ、ボソボソと呟いた。


「『高ポイント』を得るなら、両チームが黒を出し続けるしかないわ。でも、これは不可能に近かったと思う。最初の時点から『勝つ』『負けない』って声が上がっていたから。意図的にかどうかは解らないけど、ゲームの趣旨がすり替えられてた。こんなゲーム、遊びとして成り立たないわ」


チーム同士の信頼関係がしっかりと構築されていて、はじめて両チームがプラス圏にゲームを終えることができる。


「私……気付くべきだった……」タバタの表情は暗い。「導師の言う通りよ。対立を作ってるのは私たちで……。なのに……それでいて被害者のような気さえしてた」


「いや」憂理は首を振った。「あんなのゲームのミスリードじゃねーか。気にすんなよ」

励ましの言葉にもアツシの表情も晴れない。


「最後の方のフレームで、『ホントは、お互い黒でコツコツ稼ぐ方がいいんじゃねぇか』って思った。でも、できなかった」


手遅れだと思ったし、相手チームもそう考えてくれるとは思えなかった――。アツシの独白には聞くべき価値がある。


「私たち」イツキも言う。「引き返せるポイントを通り過ぎて……そのままズルズル行っちゃった……。これって、今の施設の状況にも言えるんじゃないかな?」


いささかに象徴的ではあったが、憂理は考えざるを得ない。

「俺たちにも原因があるってのか?」


「わからない。解らないけど……これって凄く大事なことのように思えるの。最後の数フレームだけでも『黒』を出し合えば、お互いプラスで終われたんじゃないかな? わたし、導師に聞いてくる!」


そう言うと、イツキは部屋の外へと駆けだした。タバタも、アツシも、ナナコもそれに遅れじと部屋のドアへと殺到する。取り残された非T.E.O.Tたちは、呆然とするしかない。

「どー師ってなに?」


エイミの質問に、翔吾が答えた。


「タカユキの事らしいぜ」


「なんか……よく解らないけど、何をやりたいんだろ?」


「新しい秩序を作るんだと」憂理は肩をすくめるしかない。「新しい正義と、新しい社会と新しい正義。それを目指してるらしい」


「はぁ。秩序を」


「ワケわかんねーケド……。暇なんだろな」


電子レンジで加熱された食材が、香ばしい匂いを発散しながら運ばれてきた。ケンタが運ぶと、より美味そうに思える。

「できたよー」


憂理たちは車座に座って、その中央に食材を並べる。真空パックの皿では、いささか彩りに乏しいが、レストランでもあるまいし文句を言う相手もいない。

しかし用意の良いことにスプーンは人数分揃えてあった。


「うまそ」


「いただきまーす」


めいめいが、好き好きの食材にアプローチをかけた。憂理はソーセージをつまみ、かじる。パリッと割れて、中から熱い肉汁があふれてくる。

泣けるほど、美味かった。



「ソーセージを発明した奴は神!」


呟いて横を見れば、菜瑠がスプーンにのせたハンバーグの破片をハフハフ冷やして、食べた。

うつむいて、小さく笑って、「おいしい」。ニッコリの笑顔を憂理に向けてもう一度言う「おいしいね」。


菜瑠のこんな笑顔をみたのは、はじめてかも知れない。

けっこう可愛いモンだな、と憂理は思う。――大人しくしてりゃ悪くないのに。


遼は角煮、四季も角煮。

ケンタはソーセージで、翔吾とエイミはパックのビニールの上でハンバーグを切り分けて、それぞれ口に運んでいる。


「あたし、さ」エイミがハンバーグを咀嚼しながら話し始めた。これは行儀の悪い事この上ない。「思うんだけどー。あの人たちに、穴掘るの、手伝わせたら……良いんじゃない? こんなトコで、あんなワケ解らない事やってても、時間の、無駄、でしょ?」


「駄目」

翔吾は言葉少なく否定する。


「なんで?」


「信用できね。なんか、気持ち悪ぃんだよアイツら。目が、目がぁ、ってアホと違うか」


「あんたねー。さっきの、ゲームで、何を、まなんだ、の? 信頼が、お互いの利益に、なるのよ。それが正しい、のよ」


「きたねぇなーお前は。飲み込んでから言えよ。」


菜瑠がスプーンにのせたハンバーグを見つめながら言う。

「でも、正しいことって……なんだろ。わたし……最近わからなくなってきた」


憂理は菜瑠の横顔を見つめたまま、考え込んでしまう。

正義の規範など憂理にはわからない。きっと菜瑠には菜瑠の規範があって、彼女はずっとそれに従ってきたのだろう。

ユキエの件、半村の件、奴隷たちの件。あるいはT.E.O.T。そのいずれかが菜瑠の信念に少なからず影響を与えたのか。


こうして菜瑠と憂理たちが供だって行動していることだって、数日前までは想像できなかったのだ。

あの規則に小うるさいナル子が、脱走の手助けをしているなんて、冗談のような話だ。ガクが聞いたら、驚愕するに違いない。

だが少なくとも、いまは『脱走して通報』することが憂理にも菜瑠にも正義であって、それを目指して行動を供にしている。


『新しい秩序』も『新しい正義』も『真実を見つめる目』も必要ない。ただ自分の培ってきた正義感の命ずるまま行動するのみだ。


脱走して通報する。

それまでは……この場にいる全員の正義が『ともに黒』であることを信じて――。




この日の出来事を記した畑山遼の手記には、以下のようにある。

――タカユキが持ちかけたゲーム……。


あれを僕は知っていた。

翔吾は、僕と四季を『頭の切れる奴だ』って絶賛してくれてたけど、違う。

少なくとも僕は『知っていた』だけで、四季みたいにゲームの本質を看破したわけじゃない。あれって、自己啓発セミナーで使われてた手口だ。


参加者にさんざんな結果を出させておいて、『貴方たちは、思いやりに欠ける人間だ! 自分本位だ!』となじり、説教するための。

最初から『黒と黒』を出し合うことなんてほとんどあり得ない。あのT.E.O.T人員の配置も仕組まれていたんじゃないかと思ってしまう。


だから、タカユキの言っていた『ゲームが台無し』は大嘘も良いとこで、タカユキにとってあの結果は『大成功』だったはずだ。

あれは、なじって、非難を浴びせかけて、相手の価値観や自信を失わせる……人の心に強引に隙間を作るマインドコントロールの初歩だ。


過去の母さんをみてるから、僕は引っかからなかったけど、T.E.O.Tの人たちはひどく落ち込んだり、感銘をうけたみたい。

菜瑠だってショックを受けていたみたいだし、エイミも食事の間中『ゲームで学んだ』とか言いまくってた。


ユーリもぼけーっと考え込んでいたし、なにか影響があったのかも知れない。タカユキが何をしたいのか、おぼろげにだけど解った気がする。

あの人の言うことは支離滅裂で論理が破綻しているけど、奇妙な説得力があって、人を惹きつける。


一番気をつけなきゃいけないのは、彼かも知れない。

彼の言ったことで、一番印象に残ったのは、『人が死んだのに、人が殺されてるのに、どこか他人事のように過ごしてるんじゃないか?』だ。


これだけは確かにそうだと思う。

麻痺、だなんて言葉は使いたくないけど、僕たちは人が死んだのに冗談を言ったり、明るく振る舞ったりしている。

ふと立ち返ると、吐き気がするほど怖い事が身近に起こってるけど、僕たちは不思議と平常心を保ってる。


強いのか弱いのかわからない。

人間って、なんだろう。


 * * *



真空パックが全て空になると、奇妙な達成感が憂理の全身にあふれた。食材の残り香が薄暗い部屋を満たして、心地よい。


「15分ぐらい休憩してから、穴を掘るか」


それぞれの口から、それぞれの合意がこぼれる。

今回の食事がどれほどのエネルギーを生むのか解らないが、願わくば警察に駆け込むまで燃料切れを起こさないよう、と憂理は願う。


「僕、少し寝るから、後で起こして」

ケンタはごろりと床に寝そべった。


「端っこで寝ろよ、端っこで! お前が寝たら面積取るだろ!」


憂理がケンタの横腹を膝で押すと、小太りの少年はめんどくさそうに寝たままでゴロゴロ転がってゆく。彼にもっとも適した移動手段であろう。


「僕も少し横になるよ。凄く眠い……」

遼は眼鏡を外し、ケンタの近くへ行って身を横たえる。


「しっかし、食べたねー。もー太っていいやー」

ご満悦のエイミ。


「おい、四季」アヒル口を有する少年の視線が四季に突き刺さる。「お前、いまゲップしただろ」


「してないわ」


「した。ゲプってなったじゃねーか」


これにはエイミの擁護が入った。


「あんたねー! レディに対して失礼なこと言うんじゃないわよ! ゲップぐらい見て見ぬふりするのが紳士ってモンなのよ!」


「してないわ。そもそもゲップなんてしてない」


「アンタも可愛くないわねー!」


「しただろ、臭ってくるような、汁っぽいやつをよ! おい! 電源切るな」


なんとも、気だるい、まさに休憩時間と言った雰囲気だ。

空腹を満たしただけで、これほど心に余裕が生まれるとは思わなかった。心地よい一瞬が、1秒が、蓄積していた疲労感を溶かしてゆく。


みれば菜瑠が祭壇の前に立ち、T.E.O.T旗を見つめている。憂理は何気なく起き上がると、その横に立った。なんとなく、このマークの説明をしてみたくなったのだ。

しかし、知識をひけらかさんとする憂理より先に、菜瑠が口を開いた。旗を見つめながら、言う。


「食堂以外での飲食。食事時間外での飲食。規則違反だねトクラ・ユーリ。わたし、みたよ」

さすがのナル子だ。憂理も旗を見上げたまま肩をすくめる。


「ついつい出来心でね。で……罰はなんにするんだ?」


「そうね。情状を酌量して、今回は穴を掘ってもらいます」


「そりゃ、ひどい」


「穴を掘って、外に出て、警察に行って、苦しんでるみんなを助ける。それが今回の罰内容です。すごく大変な仕事よ」


「俺にできっかなぁ」


「諦めると、さらに罰が増えるの」


「そりゃ、ひでぇオーボーだよ」


「でも罰則者はあなただけじゃない。みんな、そうよ。わたしも今回は罰則者。みんなでやれば、きっと……」


「そかそか。じゃあ、やれるだけやってみよう」


憂理が旗の前から去ろうとすると、クイと菜瑠の顔が憂理へ向いた。


「でも」


立ち止まった憂理に、ナル子が微笑みかけた。

「でも、今回の罰が成功したら、あと1日残ってる『体育室の罰掃除』は免除してあげる。わたしの権限で」


「そりゃあ、なにより」


「わたし、タカユキくんたちに、シャワー室のこと教えてあげたいんだけど……いい?」


一瞬の逡巡が憂理の動作を停止させた。しばらく考え、少し悩み、やがて憂理はそのアイデアを認めた。

「黒と黒、だな。全員の利益を考えよう。いけよ」


「ありがとう」


ぺこりと頭を下げた菜瑠が、足早にドアへ向かい、出て行った。

あまり楽しいとはいえないゲームであったが、全否定することもない。ナル子が言い出さなきゃ、自分が言い出していただろうと憂理は思う。


おおきくアクビをして、車座の一角に戻った憂理に、エイミが肘を刺してきた。


「おやおや、なかなか楽しそうにやっとりますなぁ、トクラ氏。ええ?」

なんとも下世話な感情が見え隠れしている。


「楽しくなんかねぇよ」


「またまたぁ。アタシのこの超カワイイお団子ヘアにはね、超高性能センサーが仕込まれてて、そーゆーのは全てお見通しなんだよ?」


なるほど事情通の秘密はそれか。センサーを実装しているのは四季ばかりと思っていたが、事色恋に関してはエイミのセンサーが最高精度であるようだ。

薄暗い部屋の雰囲気も相まって、いつかの修学旅行を憂理は思い出した。

『好きな奴いうから、お前も言えよ』の会だ。


「あのなぁ。今はそれどころじゃないだろ」


「今だから、よ。愛は世界を救うの!」


視界の端で四季が微かに動くのが見えた。

――地味に聞き耳をたててやがる!

菜瑠に対して、以前とは違う印象を持っているのは認めざるを得ないが、憂理自身がそれを恋愛感情だと考えていないからだ。

『世話の焼ける妹』と表現する者がいれば、「それだ!」と胸のすく思いもできたろうが。

「それより」憂理は非難をかわすため、アゴで寝ている遼を指した。


「アレがだな」遼に視線が集まるのを待って、次にアゴで四季を指す。「コレにタダならぬアレをいだいてる」


「うっそ! マジで!」


「かー。良かったな四季!」


「そんな事、言われても、なんだか困るわ」


「ね、ね。じゃあ四季は好きな人いるの?」


「わからない。あなたは?」


「アタシわぁ……」


なんとも危機感のない会話であったが、緊張感はあった。

本来、憂理たちの年代は、『社会秩序』や『真実』、『正義』などではなく、こういう話で盛り上がるべきなのであろう。


エイミが核心に迫った瞬間、ドアが開いた。菜瑠だ。

半笑いの顔が2つ。無表情な顔がひとつ。意識的にそらされた顔がひとつ。

菜瑠は集まる視線を不思議そうに受け、やがてそらされた顔に向かって、言った。


「シャワー室の事、言ってきたよ。みんな喜んでた」


「うん。ご苦労」


憂理は体を伸ばして休憩モードの血液に活を入れるとゆっくり立ち上がった。

「さぁ、やるか」


地下へ直通の縦穴を掘らねばならない。これは一世一代の罰作業だ。

やれると信じて、やるしかない。

自分がまず信じなければ、誰が信じてくれよう。



 * * *


T.E.O.T部屋から退去して、ひとつ階を下ると、そこには現実がある。


行き交う生徒の消えた通路。笑い声の途絶えた学習室。ここは廃墟かと見紛うばかりの寂寥せきりょうがあった。

半村に従う者は仕事にでも従事させられ、そうでない者は何処かの部屋に身を隠しているのだろう。


賑やかな通路の往来がもはや『懐かしい』という感覚に変わりつつある。

あるいは、自分以外がすべて透明人間になって、気付かないうちに行き交っているのか。声も、姿も憂理に見せない何気ない日常が、憂理の見えない世界で続いているんじゃないか。

そんな非現実とも言える異世界妄想まで脳裡に沸き上がってくる。


洗濯室へ着くと、そこに秩序はなかった。

「うわ、ひでぇ……」


菜瑠が床面に広がる洗濯物を拾い上げながら言った。

「コレでも少し片付けたの」


どうやら『失、秩序』以来、洗濯という文化風習も失われてしまったようだ。皆がゴミを放り込むかのように、洗濯室へ汚れた着衣を捨てているのだろう。


「臭う……な」


「やなかんじ」


この状況を見て、憂理は思い出したくもない記憶を喚起されていた。囚われていた少女の部屋……痩せ女部屋だ。

痩せ女も、自分たちも大量のゴミを生み出し、床に混沌模様を作り出す。

臭いものには蓋などとは言うが、今の時代それは蓋ではなくドアなのだろう。


床の混沌を気にする様子もなく、四季が相変わらずの表情で洗濯室の奥へと進んでいった。

大股と小股のちょうど間ほどの歩幅で進み、やがて最奥へ達すると、くるりとこちらへむき直り、洗濯物を踏みながら戻ってくる。

一歩、二歩、三歩。

皆の視線を足元に浴びながら、やがて五歩目で四季が立ち止まった。


「ここ」


四季の立つ場所。そこが突貫工事の予定地となるらしい。可愛げのある犬だとは言えないが、ここ掘れワンワンというわけだ。

「約1メートル下に」


どうにも気が進む仕事ではないが、やるしかない。

半村奴隷にならず、テオットのようにタカユキを崇めるつもりがない以上、第三の男である社倉憂理は掘るしかないのだ。


汚れた洗濯物を右に左に投げ散らし、ようやくのことで冷たいコンクリートと対面する。触れば指先を白くする人造の石である。それが汚れた洗濯物よりも幾分か以上に清潔に思えるのは不思議なモノだ。


ほとんど円陣のような形でめいめいが腕を組み、これから多大な苦難を与えてくれるであろうコンクリート床を見下ろしている。

真っ先に動き出したのは、言うまでもなく猫特攻隊長だ。


「やったらぁぁぁぁぁぁ! ぎゃおうす!」


片腕のきかない猫科の少年は、パッとしゃがみ込むと動く方の手に持ったヘラをコンクリートに刺した。カツン、と無機質どうしが簡素に挨拶し、戦端は開かれた。


「見ろ、ユーリ! ちょっと掘れたぜ」


翔吾はそう評価するが、憂理の所感で言えばそれは掘削痕というよりは、傷でしかない。

「1ミリな」

あと『ぎゃおうす』を何度繰り返せば、地下階に到達する?


「ほら、お前らもやれよ!」


特攻隊長が促すと、エイミやケンタがしゃがみ込み、ドライバーを床と挨拶させ始める。カツン、カツンと不定期なリズムが部屋中を満たし、床に傷が増えてゆく。


道具が振り上げられ、振り下ろされ、成果の上がらない仕事が積み重なってゆく。

『まるで歯が立たない』ワケではない。だが想像以上にコンクリートは課せられた任務に忠実であった。


「貸せよ」


ひったくるようにしてエイミからドライバーを取り上げると、憂理はハンマーを用意した。

床にドライバーを垂直に立て、ハンマーでその尻を打つ。十分なインパクトがドライバーからハンマーを経由して憂理の手のひらに到達した。


「成果……3ミリかな」


「さすがじゃんー。それでいこう、それ」


かくして、ドライバーとハンマーは一対の道具となった。熟練の石工とまではいかないが、確実にコンクリートに成果を与え続ける。


「これは男の仕事だわね」エイミが言う。「アタシは管理監督にまわるわ」


ぺたりとコンクリートに座り込み、格好良いことを言う。こいつ、飽きたな、と憂理は思う。エイミの代わりに遼が石工見習いになり、扱い慣れないヘラを使い始めた。


そうして石工たちが熱心に作業している一方、四季はじっと床を見つめるばかりでロクに仕事もせず、菜瑠はせっせと洗濯物を片付け、あろうことか洗濯機まで回し始めた。

さすが生活委員は違う……。とケンタと顔を見合わせ感心する憂理だったが、これには猫隊長が苦情を申し立てた。


「おいナル子! 気が散るだろ。洗濯とかやめろ。散らかってる方が雰囲気でるんだからよ。カオスで」


「でも、みんな着るモノがなくなったら困るでしょう。こんな時でも、こんな時だから、みんなにはいつも綺麗な服を着てちゃんとしてて欲しいの」


「そうよ、どうせ道具もないんだし、こうして洗濯してる方が誰かが来ちゃった時に言い訳できるじゃない。アタシたちは生活委員の指示で、率先して洗濯してあげてるの、って!」


これは理にかなった意見であった。掘削作業を半村に気付かれたら、ただでは済まない。翔吾だってベッドに逆戻りだ。最悪の場合、学長の隣ではなく、カガミやハラダユカの隣で寝ることもあり得るのだ。

憂理がその正しさを認め、ケンタがその意見に賛同し、遼が丁寧に説明すると、ようやく翔吾もしぶしぶ了承し、石工組合の意見は統一された。


「でも」遼が砂礫に汚れた指でずり落ちた眼鏡を上げた。「穴周辺の洗濯物は残しておこうよ。誰か来たときに隠せるし」


かくして男は掘削、女は洗濯という分業制が敷かれた。それでも四季が動こうとしないのは、性別を超えた存在であるからか。


「おい四季、なんかしろ」


憂理の苦情に四季が半開きの瞼の中の瞳を動かした。苦情を呈したものの、一瞬たじろいでしまう。あの目から灼熱の高圧縮ビームでも飛んでくるんじゃないか。


「いや、別にアレなんだけど。もし、手が空いてたら、なんか、してくださいよ。マジで」


へりくだるような言い方になってしまう。しかし石工組合の特攻隊長は違う。あくまでも七井翔吾だ。


「さぼんなロボ子! お前は見張りでもしてろ。ドアんとこでよ。誰か来たら知らせるんだぞ? オーライ?」


さすがに『オーライ』とは返さないものの、四季は小さく頷き、洗濯物を踏みながらドアへと向かった。


「結構、きついね、これ」

遼が弱音らしきものを吐くと、ケンタが熟れた柿のような紅潮した顔を、くしゃくしゃにする。


「無理かもー」

余りにも諦めがよいことだ。憂理はハンマーを打ち下ろしながら言った。


「黙ってやれよ干し柿が」

干し柿は意味もわからぬまま肩をすくめ、渋柿となってヘラで床を削る。


「黙ってやるなんて、面白くないよ」


「キツイ仕事だね。3Kってこういう仕事のことを言うのかも」


「サンケー?」


問うたケンタに、黙々と作業していた翔吾が作業を続けながら言う。


「アレだよ、キツイのK、キタナイのK……んで」


「ケンタのK」


憂理が言うと、遼までもが笑った。なぜかケンタも「僕かぁ」などと笑っている。

こうして掘削作業は遅々として進まない。



 *  *  *

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