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13月の解放区  作者: まつかく
4章 ある証明
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4-6 半開きのパンク


蔵書室では四季がテーブルの上にあぐらをかき、濡れ髪を乾かしていた。


何ともだらしない光景ではあるが、蔵書室の新たなヌシとしての貫禄は充分といったところか。

「やぁ四季」前任者のヌシが親しげに挨拶する。


「よう、アンドロイ子。さっきはありがとな。あの本、全然わかりやすくなかったぜ!」

四季は例の半開きの瞳で遼を見て、翔吾を見て、小さく頷いた。


そして、あぐらをかいたまま再び髪にタオルをあて始める。自動乾燥装置は実装されていないようだ。憂理たちは四季が陣取る隣のテーブルを囲み、好き勝手に椅子を引いた。


「さぁ……」憂理は議長よろしく両肘をテーブルに置き、テーブルを囲む仲間を見回す。「どうしよう?」


エレベーターにケンタの手形が残っていたせいで、エレベーター前に見張りを置かれてしまい、脱走への道筋は再び閉ざされた。

加速度的に悪化する状況に、吐く息の全てがため息となってしまいそうだ。


「ナル子。この際だから聞くけど……。脱走できる道を知らないか? 俺達は何が何でも警察に通報したい。外部への連絡手段とか脱出口とか……知ってたら教えてくれよ」


菜瑠はちょこんと椅子に座ったままテーブルに視線を落としている。

「脱走……」


「ああ。もう限界だ。こんなヤバいトコ1秒だって居られない。外に出られそうなとこ学長からなにか聞いてないか?」


生活委員であるならば、何かしら情報を持っているのではないか――。こんな淡い希望。憂理自身、あさはかな考えと思わぬでもない。

しかし、溺れる者はワラをも掴む。どんな些細な事にでも希望を持たねばやっていられない。

しかし、やはり現実は甘くはなかった。


「知らない」


ナル子は申し訳なさそうにうつむくばかりだ。

エレベーターも駄目、中央階段も駄目、生活委員も知らないとなると、これはいよいよ八方塞がりである。


重苦しい雰囲気が漂い始めて、憂理の耳に入るのはため息ばかりだ。すると、椅子をギシギシやっていた猫科の少年が、ひとつの思いつきを口にした。

「見張りをやっつけちゃえば良くね?」


テーブルを囲む面々の視線を集めて、翔吾がさらに付け加える。

「あの見張りのドレーを縛るなりなんなりして、その間に穴から降りれば解決、だろ?」


つまりは強行突破しろと翔吾は言う。

悪く言えば短絡的、良く言えばシンプルなアイデアに、エイミ、ケンタあたりの表情がパッと明るくなった。


「いいね! いいじゃん、ソレ」


「やっぱ翔吾さんは違う」


2人に賛同されて気を良くした翔吾は、傾けていた椅子をカタンと元に戻し、憂理に不敵な笑みを見せた。

「これで問題解決、だろ?」


たしかにシンプルな手だ。

見張りがついたとはいえ、しょせんは少年少女。屈強な大人がエレベーター前に陣取るならいざ知らず、あの程度のガードマンなら、こちらが数に頼ればいかようにもできよう。


彼らを襲い、縛り上げ、穴を下る。シンプルな計画だ。だが、ひとつの懸念が憂理の胸中に渦巻いていた。

たしかに、それが一番手っ取り早い解法であるのだが……。不定形であった憂理の懸念は、菜瑠によって形を明確にされた。


「そんな事をしたら……。あとで見張りの2人が酷い目にあうと思う」


簡単な話だ。強行突破などきっと造作もない事。

だが、憂理たちが見張りを縛り上げて脱走したなら、羽田たちはタダではすまない。今よりむごい、まさに悪夢のような処遇が下されるに違いない。

菜瑠はそう断じたし、憂理もそう思う。


自分たちを虐待した奴隷たちに、憂理や菜瑠が気を遣うというのも妙な話であったが、その配慮は菜瑠の正義感に則したものであったし、憂理自身『男の道』に反するように感じた。

しかし、翔吾はめんどくさそうに頭を掻く。


「あのなぁ。アイツらがどんな目にあおうが、自分で選んだ道だろがよ。俺らが脱走してアイツらが酷い目にあうってなら、アイツらも脱走すりゃいいだけの話じゃね?」


率直な意見である。翔吾の言う事ももっともであるのだが、憂理は賛成できない。

自分の行動が誰かを傷つける事を知っていて、知らんフリできるほど心が強くないのだ。


「あたし、菜瑠に賛成。羽田とかヤな女だけど、後味が悪いのも嫌」


エイミが翔吾の反対意見に票を投じると、ケンタもそれに追従した。ぼんやりと低い天井を見上げながら、小太りの少年は言う。


「言われてみればそうかも。可哀想だよね」


強行突破への反対意見が大勢を占め、それに遼がとどめを刺した。

「また死人が出たら……。誰も責任取れないよね」


こうして強行突破の線は消えた。

見張りの居ない時間、ないし眠っている時間を見計らって……などと憂理は考えてしまうがそれもきっと空しい。

見張りの2人は半村の命令を守るため必死で警戒するだろうし、運良くそれをスリ抜けても、結局は彼らに酷薄な罰が下るだけに違いないのだ。


「じゃあ、どうする?」憂理は自らのあおぐ旗色を見せず、まるで中立の司会者のように満座の論客たちを見回した。


「やっぱ、地下のドアノブを探すか……作る方がいいんじゃね?」


順当に考えれば、当然の帰結である。

そもそも人間はエレベーターの昇降路を行き来できるように作られていないのだ。ちゃんと階段を下りて、ドアをくぐるのが人間らしい行動というモノだ。


「本当に……脱走しかないのかな」

菜瑠がエイミに尋ねた。「他にもっと違う、誰も酷い目にあわないような解決ってないのかな」


「ないよ、たぶん。あたしたちにできる事って、通報しかないと思う」


エイミは即答だ。すると、遼が駆け出しの学者よろしく眼鏡をクイっと上げ、ため息を吐いた。


「やっぱり、地下のドアをどうにかするしかないね」


ここで憂理はようやく『忘れ物』に気がついた。

――あの本は。『建設用語の基礎知識』はどこに行った?


周囲を見回してみるが、見あたらない。どうにも下手を打ったらしく、ストリップショーの現場に忘れてきてしまったらしい。

「やべ。エレベーター前に本を忘れて来ちまった」


「おま! 俺の希望を!」


翔吾は机をドンドン叩き、憂理の失態をなじった。俺の本、俺の本、などと子供のようにわめくが、自分で管理しない程度のモノを無くしたからと言って、なじられるのも気分が良い物ではない。


「落ち着きなさいよ。なんの本よ?」


エイミが翔吾をなだめると、翔吾は首をブンブン振った。


「ドアノブの構造が書かれた本だよ。俺は腕がこんなだから、地下ドアから脱出する予定だったのに。ああ、俺の本、図解入りでわかりやすいやつ。俺でもわかる俺の本」


すると、黙って髪を拭いていた四季が、予想外に口を挟んだ。

「貴方たち。脱走するつもりなの」


全員の目が機械少女に向けられた。彼女は相変わらずの半開きの瞼で一同を見回している。

そういえば、四季に『通報』したい旨は伝えたが、具体的な脱走計画については説明していなかった。

これまでの経緯を一から十まで説明するのも面倒に思え、憂理はなんの隠し立てもせず認めた。

「ああ。脱走して警察に駆け込む」


四季は与えられた情報を分析しているのか、あるいは処理しているのか、まったく反応しない。相変わらずの半開きの瞳に、憂理は投げるように言葉を続けた。

「お前、スリーディーの図面もってんだろ? どっか抜け穴とか抜け道とかないか?」


じっと見つめてくる四季。すわフリーズか、と憂理が不安に思った頃、アンドロイ子はようやく唇を作動させた。

「探せば、あるかも知れないわ」


「あるの?」遼が思わず発した言葉は、全員の胸中に浮かんだモノである。


「探せば、あるかも知れないってだけ」


「よし、探せ」

翔吾がPCデスクを指さして、偉そうに命じた。ロボットの主人にでもなった気分らしい。しかし四季は髪を乾かす作業に戻り、呟くだけだ。


「システムには多少の自信があるけど、図面を読むのは得意じゃないわ」


なんともやる気のない事だ。この女は自分の興味がある事にしか食指を動かさないのかも知れない。システムの分析や、シャワー室、ドアのロック……。

憂理の脳裡に閃きが訪れた。


「なぁ、四季。外部と繋がってるシャッターがあるらしいんだけど、鍵かなんかで開かないらしいんだよ」


ケンタが辿り着いたという大型のシャッター。それを得意のリモートコントロールで開けないか。いや、無理かもだな。

憂理が彼女を試すような口ぶりで言うと、四季は瞼を動かした。



「シャッター?」


「でっかいよ」四季と初対面のケンタが、怖じ気の色を見せながら説明した。


大エレベーターから繋がる洞窟のようなトンネル。幅にして5メートルほどの通路をたどった先にある車庫のような場所とガレージ型のシャッター。


「そこが開けば外に出られるんだ」


説明を聞き終えると、四季はゆっくりとした動作でテーブルから降り、『仕事場』であるPCデスク前まで戻った。

そうして待機状態にあったPCを稼働させるとカタカタとキーボードを叩き始めた。


これは、何とかなるんじゃないか。憂理は機械少女に一筋の光明を見た気がした。


「ユーリ。本拾って来いよな! 俺の本!」


しつこい事である。それほど大事にしていなかったのに、無くしてしまったが故に執着するのかと訝ってしまう。

「あとで拾いに行くよ。今は……あれだから」


ストリップショーがその後どういった状況になっているか興味はあるが、どうにも後ろめたい気持ちがある。どちらに味方するでもなく、エイミが言う。


「半村に見つかったらやばくない?」


「蔵書の持ち出しは禁止されてるから……」


菜瑠の発言はいささか的外れではあった。もはや数日前の秩序やルールなど誰も守る者はいないのだ。


「わかった、わかったよ。あとで取りに行くって」


確かに落とした書籍が半村やその奴隷たちに見つかれば面倒にならないとも限らない。

「俺のほんー」


「わかったって」


翔吾をなだめて立ち上がろうとすると、背後に気配を感じた。

驚いて、すぐさま憂理が振り返ると間近に四季が立っており、さらに驚いてしまう。


「うおぅ! ビックリさせんなよ!」


近い。顔と顔とが20センチも離れていない。しかし四季はまるで動じず、憂理のほうがのけぞってしまう。

――これは、距離センサーが故障してるんじゃないか。

「おまえ、まさかシャワーの水で……」


言いかけた憂理の言葉を四季が遮った。

「ないわ」


「え? センサーが?」


「違う。ないの」


意味がわかりかねた憂理は、助け船を求めて隣にいたケンタを見た。ケンタは目があった瞬間、憂理から目をそらした。


つぎに憂理はエイミを見た。エイミは口をポカンと開けている。こいつは自分以上に事態を把握していないと憂理は気付く。


エイミの隣に座る菜瑠は、憂理と視線が合うと、キチンと閉じていた唇を動かして、発音せずに『ないって』

――だから、なにが。


混乱をきたした憂理が翔吾をみやると、猫科の少年はアヒル口を音もなく動かして『おれのほん、じゃね?』と言った。被害妄想でなければ、たぶんそう言ったと思う。


頼みの綱は遼。――リョーならきっと故障した四季を……。憂理の視線を受けた遼はゆっくりと頷き四季に向いた。

「えっと。何がないの?」


四季は半開きのまぶたの奥で黒目をキョロリと遼へ向けた。

「シャッターがないわ」


「シャッターって……洞窟の?」


「そう」


これにはケンタが反応した。「えっ? あるよ」

すると半月の黒目がケンタに向く。


「ないわ。データが存在しない」


「データがなくても、あるモンはあるよ」


ケンタは眉根を寄せ、腕を組み、徹底抗戦の構えを見せた。が、四季はニベもなく言う。

「つまらない議論をするつもりはないわ。データが存在しない以上、遠隔操作するのは不可能ということを言いたいだけ」

憂理は淡々と語る四季を見つめながら椅子に腰を下ろした。


「データがないって、あの3Dのか?」


「ええ。そもそもエレベーターらしきモノすらないわ。大型エレベーターの施工図はあったけど。図面上にはエレベーターは存在しない」


これには憂理が腕を組んだ。

「あるよ」


「ないわ」


「あるって」


「つまらない議論をするつもりはないわ」

ああ、そうかよ。と憂理がヘソと唇を曲げると、遼が割り込んできた。

「ケンカはやめなよ」


すると翔吾も偉そうにウンウン頷く。

「そうだ。ツマラナい議論はやめろ。ある、ないの話をしても仕方ないだろ。エレベーターはあるんだから」


「ないわ」


「あるよ」


「ないわ」


憂理はため息を吐いて、頭をかいた。

「ツマラナい議論はやめろ」


翔吾もケンタも大人げないが、四季も強情が過ぎる。そう言って憂理が自分を棚に上げながらなだめると、エイミが四季に尋ねた。

「どこまでの図面があるの? 大区画まで?」


「大区画がどこを表すのかわからないわ」


「えっとね、体育室の二倍ぐらいある部屋で……。柱とかコンテナがいっぱいあって……」


「来て」


四季はクルリと向きを変え、PCデスクへ戻って行った。肩をすくめたエイミがスッと席を立ち、その後を追う。


「ないわきゃねーよ」


ぶつくさと言う翔吾もPCデスクへ向かい、他のメンツもゾロゾロと集合してゆく。


モニター前に四季が座り、その周囲を憂理たちが囲む。エイミと菜瑠がちょこんと両肘をデスクに乗せ、憂理やケンタは立ったまま組んだ腕を崩さない。

行儀のよい遼と対照的に、翔吾はデスクに腰を乗せている。


「これが、地下二階の全体。平面図よ」


例によって、複雑な緑線が画面を走り回っている。だが平面図だとある程度は読める。

おそらく、菜瑠を除く全員が憂理と同じように図面の判読に集中した。


ここが、管理室。ここは、上階と繋がる階段。ガクを監禁した痩せ女部屋がここで……。深川が泣いていた部屋はここ。


「広いんだね」


感心したように菜瑠がつぶやいた。エイミは画面を見つめたまま「でっしょ? めちゃ怖いんだから」と返す。

「あっ。ここわかるよエイミ。学長先生と生活用品取りに行った」


憂理はそんなやりとりを横耳にしながら図面に集中する。


この通路をまっすぐ。ここを曲がって、さらにまっすぐ……。

「あれ……?」


憂理がつぶやくのと同時に、遼や翔吾、ケンタまでもが同じように疑問符つきの言葉を発した。

「あれ?」

「なくね?」


「通路が途切れてる?」


大区画へと繋がる通路が図面上では存在しない。憂理は目を疑い、何度も図面を読み直した。だが結果は何も変わらない。

この図面上には大区画自体が存在しないのだ。


「嘘だろ?」


「これが全データよ」


「なんでなんで」エイミが慌ただしく言葉を吐く。「アタシたちの持ってる紙の図面にはちゃんと書いてあるのに!」


そう言って、お団子ヘアーの少女はポケットから折り畳まれた紙を取り出した。

開いて、開いて、開いて。

ようやく新聞紙大まで戻された図面がPCデスクに広げられた。

「ほら、ここが大区画だよ!」


見比べてみれば一目瞭然だ。PCモニターの図面にはあるべき大区画が存在していない。

「こちらのデータでは壁になってるわ」


四季がモニターを指差した。

「アナタたちの図面ではドアに……防火扉になってるみたいだけど。データでは壁だわ」


「なんで?」憂理が問うと四季は器用にも紙図面の上からカタカタとキーボードを叩きデータを操作しはじめた。

そうして何度か画面と図面を見比べたあと、ぼそりと四季が呟いた。

「……理屈に合わない」


「リクツ?」


「待って」


素っ気なくそれだけ言うと、四季は図面データを切り替えて、なにやらアクションを起こし始めた。憂理のもつイメージでの『パソコンらしい画面』が開いては閉じられる。


憂理が肩をすくめ。エイミが肩をすくめ。菜瑠が眉をひそめ。翔吾が四季の指を興味深げに見つめ。遼が眼鏡を拭いて。ケンタがアクビを見せた頃、ようやく四季の指が止まった。


「わかった」


「何が?」


「アナタたちの言う大区画は、この施設じゃない」


意味がわからない。翔吾が片眉を上げて、憂理の気持ちを代弁する。

「なにが『わかった』んだよ。俺はなんもわかんねーぞ」


四季の首が水平方向に稼動して、怪訝な表情の翔吾へ向いた。

憂理なら意味不明の圧迫感を感じるところだが、翔吾はまるで動じず、四季に言った。

「そんなツラしてもな、わかんねぇモンはわかんねぇよ? バカな俺でもわかるように説明しろよ」


「アナタは自分をバカだと言うけど、それは違うわ。本当のバカは『理解していない』事すら理解できない」


「じゃあ頭のイイ俺にもわかるように説明しな?」


まるで動じない翔吾が男らしく見える。翔吾は世界のどこへ行っても七井翔吾なのだろう。

「頭が良いと言ったつもりもないけど、なるべく端的に説明するわ」


迎え撃つ四季も堂々たる淡泊さである。彼女は様々な画像やテキストを画面に呼び出し、その一つに指先をあてた。

「見て。この施設の完成した時期と、大区画の完成した時期が大幅に違うの」


「大幅に違う?」


翔吾がつぶやき、憂理が続く。

「どのくらい?」


「80年」


これには全員の眉が動いた。エイミやケンタは眉を上に。その他は全員が眉を下げた。一番深く眉を下げた菜瑠が、いかにも菜瑠らしく腕を組んだ。


「それはおかしいわ。差が開きすぎよ。この施設が出来たのは5年前だって『ミチビキ』にも書いてあったわ」


四季は菜瑠の方へ向き、整った横顔を憂理に見せる。

「それも正しい。私たちが居る生活棟は5年前に完成してる。でも一部……いえ大部分は80年前に完成していたの。大区画もそう」

翔吾が天井を見て、床を見て、言った。


「マジで?」


「マジよ」


「マジにマジ? 大部分が80年前ってお前本気で言ってるのか、だぞ」


「本気もなにも、事実だもの。ここは80年前、軍部……正確には陸軍参謀本部直轄の施設として作られたの」


陸軍参謀本部などと言われても、憂理にはピンと来ない。それは何も憂理だけに言える事ではなさそうだ。

今、皆の頭上で虫取り網を振り回せば、疑問符を大量に捕らえられるに違いない。

憂理は眉を上げないままに尋ねた。

「日本軍がここを作ったってのか?」


四季の表情に変化はない。相変わらず『冬子』のままだ。

「そう。大部分は陸軍が作ったの」


「ええっと、さ。もし四季が俺の立場なら……その話を信じられると思う?」


「私が杜倉憂理なら。事実に基づいた話なら何も疑わないわ」


「いや、俺は杜倉ってモンだけど、とうてい信じられねぇよ。意味がわからん」


「じゃあ、こう言えば理解が進むかも知れないわ。こんな大掛かりな施設を、中堅の新興宗教でしかないメサイアズ・フォーラムがどうして作れたのかしら?」


「そりゃあ、金があったんじゃねぇの?」


「10億、20億の話じゃないわ。地下に何らかの施設を作るというのは、常識外れの資金が必要になるの。100億、いやもっと大きな資金が」


「大きな資金って……どこから……」


「国家予算よ」


すると四季の脇からモニターをのぞきこんだ菜瑠が、目を細めて言った。

「ホントだ……字が難しくて全部は読めないけど……。帝國、陸軍って部分は読める」


「昔の資料をPDF化したモノよ。文字は時代がかって読みにくいけど、図面自体は読める」


こうなってくると、信じる他なくなってくる。

「ここ……そんな昔からあったのか」


本土爆撃を想定して作られたのか。詳しく読まないと意図はわからない、と四季は言う。軍の中枢をここに移転させる計画があったのかも知れないし、何らかの極秘作戦活動や研究がなされていたのかも知れない。

だが放棄された。


その理由もさだかではない。

誰からも忘れられ、長い年月を経て、80年後に改修され再利用。それがこの施設。


「つまり、大区画は5年前に改修の手が入っていないのよ。だから新しいフォーマットの図面が存在しない。施工図があるからエレベーターだけは新調したかも知れないけど」


「なるほどなぁ」翔吾が何度も頷いた。「完璧にわかりやすい説明だったぜ。納得だわ、ロボ子よ。けど、脱走には何のプラスにもならねー情報だな」


これは正しい。

この地下施設の歴史を知ったところで、脱走がなんら容易になるわけではなかろう。

あるいは、その長きに渡る歴史に『秘密の出入り口』や『緊急脱出口』に絡んだエピソードのひとつでもあれば、ロマンだけでなく実利もあったのだが。

憂理自身、自らの置かれた現状において、施設が歴史的建造物であることに重大な意味は見いだせなかった。

そうして憂理は提案する。


「もういいよ。シャッターの話は置いとこう。遠隔操作が無理なら、今あれこれ悩んでも仕方ない」


超えるべきハードルは多く、高い。

今はゴールテープ直前に置かれたハードルより、目の前の障害物をひとつひとつ確実にこえるほうがより建設的というものだ。

これには皆が賛成した。

そうして間近のハードルは何かと考えたとき、それは間違いなく『地下への移動方法』であろう。少なくとも憂理はそう考えた。

しかし、小太りの少年は、深刻な顔をして言う。


「食べ物だよね……」


「お前はドングリでも食ってろ」


「ユーリ。わかってないな。地下に行く方法がないなら、とりあえずは食べ物を確保しとかないと脱走の前に飢え死にするよ」


「飢え死にとかする前に、それこそ死ぬ気で地下に行くんだよ!」


地下へさえ降りる事がかなえば、備蓄の食糧が大量にあるのだ。しかし、意外な事にケンタの意見に賛同する者がいた。翔吾だ。


「ケンタの言う事ももっともだぜ? 俺だって正直、腹が減ってへばりそうだもん。いつから食ってないかわからねーぐらいだもんなぁ」


「僕も……」と遼が控えめに手を挙げる。エイミと菜瑠も同時に互いを見やって、うつむいた。


「過剰なダイエットって、リバウンドするのよ……。ねぇ菜瑠?」


「……うん」


どいつもこいつも意識が低いんじゃないか。憂理は憤りに頭を掻いた。

だが憂理自身、空腹を感じないでもなく、ほとんど『忍耐』によって根源的な欲望を抑えている状況ではあった。


しかし食糧の手配となるとイコール地下となる。

どのみち生活棟から出られない限り、できる事などたかが知れているのだ。

様々な意見が面々の口から飛び出すものの、それらはその根本的な問題の解法となるものではない。

食事中の半村派を襲撃し、食糧を奪う――などといういささか物騒なアイデアも現実的とは言い難い。


「おいナル子」中身のない議論に業を煮やし、憂理は言った。「お前、生活委員なんだから、飯を何とかしてくれよ」

これはほとんど言いがかりであり、あてつけである。

しかし憂理の意地の悪い一言に、菜瑠は申し訳なさそうに眉を下げる。


「ごめん……私――」


「アンタね、無茶言わないでよ! 生活委員は神とか政治家とかじゃないのよ!」

エイミが正しい。


「そうだよなぁ……じゃあ、結局地下へ行くしかないじゃんか」


「どうやって?」


これは見事なまでの堂々巡りというやつだ。こうなってくると気分は沈み、ため息ばかりが増えてくる。

「やっぱ地下か」


PCに向かう四季。カタカタとキーボードを叩く音が秒針よりも早く時間を刻んでいた。しかし失われるのは時間とエネルギーばかりで、方向性すら定まらない。

翔吾はだらしなく机の上に座ったまま、四季を見つめた。


「ロボ子よう。どうにかならね? 21世紀の未来道具とか持ってねぇの?」


時を刻んでいたキーボードの音がぱたりとやみ、半開きの瞳が翔吾に向けられた。

「今がすでに21世紀」


「かー。つまんね-奴だな、おい。俺が聞きたいのはそう言うのじゃなくて、地下へ行く方法だよ」


四季は睨むように翔吾を見据えたまま、PCのモニターを指さした。


「なに? 見ろっての?」


体の位置を変えて翔吾がPCをのぞき込み、憂理もつられて画面を見た。相変わらずの立体図面だ。

「何コレ? 説明しな?」


どうも翔吾は四季に強い。ひるむことなくズケズケと言う。


「掘ればいいのよ」


どういう事かと面々が首をかしげていると、四季がキーボードを再び操作し始めた。

無機質な画面の緑線が、青や赤、ピンクや紫に彩られてゆく。


「生活棟と地下階の図面を重ねてみたの」


「うん」翔吾は素直に頷く。


「そっか……」遼は上半身をモニターに近づけて、グイと眼鏡を上げた。

憂理は頭を掻き、エイミは肩をすくめ、菜瑠は唇に指を当て、ケンタはぼんやりしていた。

そうして四季は画面の一部分に指先を添えた。


「北の女子トイレ」


すっと指が滑り、次の部分を指す。

「大浴場更衣室」


再び指が滑る。

「洗濯室。この3部屋は地下階の部屋と上手く重なってるわ」


そうして、機械少女は威張るわけでもなく、興奮するでもなく、ただ抑揚無く、人差し指で画面上の部屋を強く押した。液晶が虹色に発色して四方へ散ってゆく。


「エレベーターもドアも必要ないわ。地下階へ直通する穴を掘ればいい」


この女は……途轍もなくパンクかも知れない。




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