4-3b ある帰還
医務室に着くまで、誰も一言も口をきかなかった。ただ四季よりも機械的に歩を進め、疲労感に床だけを見つめていた。
そうして医務室の近くまでやってくると、通路の先に誰かがいた。
それは、どこか懐かしい感じのする人影で、憂理は霞む疲れ目で凝視する。
そして、つぶやいた。
「ケンタ?」
「ユーリ!」人影が叫んだ。
あれは間違いなくケンタ。福々しい、小太りの友人だ。憂理が駆け寄るのと同じように、ケンタも憂理に駆け寄ってきた。
ほとんど衝突するような形で2人は重なり、その無事に奇声を上げた。暑苦しくもケンタと抱き合い、その体を揺らす。
なんだか、泣けてきた。
凄く嬉しくて、凄く疲れて、凄く安心した。遼やエイミも2人に駆け寄り、肩を掴んではぐいぐい揺らす。
「ちくしょう、お前、どうなったかって心配してたんだぞ!」
「心配したのよ!」
「良かった!」
ケンタも泣いていた。その肉付きの良い両手は、真っ黒に汚れ、顔から足に至るまで全体が薄汚れている。
「大変だったんだ」
「とにかく、医務室に入ろう。今はこっちも大変だ」
憂理がフロートドアを開き、中へケンタを連れ込むと、ケンタはベッドの上を指差した。
「翔吾!」
そして素早くベッドへ駆け寄り、叫んだ。
「僕が大変だったってのに! コイツ、寝てる場合か!」
まず、その肩を揺らし、そして平手で頬をパチリと叩いた。
「起きろ! 悪魔め!」
憂理は慌ててケンタに飛びかかり、その太い腕を羽交い締めにした。それでも機関車の暴走には勝てない。
見かねた遼が、次にエイミがケンタに飛びかかり、ようやく暴走を止めた。
「やめろケンタ! 翔吾は……」
「……ケガ人にこんな対応ってあり?」
ハッとして、憂理がケンタの肩越しに翔吾を見やると、猫科の少年が薄目で一同を睨んでいた。そして唖然とする一同に対し、アヒル口を尖らせる。
「腕のアイシングがぬるいぞ。もっと氷を入れてくれよ。カリカリ君ぐらいキンキンに冷えたやつ。あと腹も減った。イベリコ以外の肉がいい」
ボロボロでも、腹が減っても、口だけは減らない奴だ。でも、それでこそ七井翔吾だ。憂理はそう思う。
遼は泣いたし、エイミは奇声を上げて飛びついた。
* * *
憂理と遼、エイミ。それにケンタと翔吾。
オリジナルの脱走メンバーが揃うと、なにか懐かしい感じがする。
しかし、歓喜の表情ばかりではない。翔吾は腕が痛むらしく、しきりに唸り、エイミは部屋の片隅をみて青ざめた。
「菜瑠……」
エイミの視線の先にはナルがいた。両膝に顔を埋め、世界から隔離されたかのように部屋の隅で三角座りをしている。昨晩の半村による暴行未遂が憂理の脳裡に蘇った。
「私……大丈夫だから、今は……」
三角座りの横には氷袋。どうやら学長や翔吾の世話を焼いていたらしい。
「ナル子がいたらマズいよ……」
ケンタが憂理に耳打ちするが、憂理は「大丈夫だ」と強く言った。
ショック状態であるのは仕方がないし、菜瑠が隠れるようにして医務室にいてくれる方が憂理も安心できる。施設内を出歩いて、半村に出くわしたりしたら目も当てられない。
第一、もはや菜瑠に聞かれて困ることは一つもない。
「ナル子には……地下の事を話してある」
憂理の言葉にケンタと翔吾の目が大きく開いた。言葉はなくとも『マジで!?』の意味を表していることぐらいわかる。
「ナル子とロクには全部話したんだ」
ケンタと翔吾は顔を見合わせ、理解できない、意味がわからない、といった風に首を傾げた。エイミは部屋の隅へ足を運び、壁際で三角座りをしたままの菜瑠に寄り添った。
何か小声でやりとりをしたが憂理の耳には届かなかった。きっと、優しい言葉をかけたんだと思う。
「ナル子……どうしたの?」
いつもと様子が違う菜瑠を見て疑問に思ったのだろう。ケンタの言外には菜瑠を心配する響きがある。
威勢の良かった天敵が、こう大人しくては逆に心配になるのかも知れない。
「どこから話せばいいか……」
「深川のババァは? あいつドコにいるんだ? ブッ殺してやる。腕が……ひでぇ」
一方の翔吾は雄々しく眉間から鼻筋にかけてシワを寄せている。腕が酷く痛むらしい。
「待ってくれ。どこから話せばいいか……」
地下の大エレベーター前からの出来事を思い出していると、遼がテキパキと話しはじめた。
「大型エレベーターで深川に襲われて、ケンタと別れた」
「うん」
「僕たちは深川に終われて、生活棟に逃げ込んだんだけど、深川が寝所まで追ってきて……翔吾がやられた」
「ああ」
「意識不明になった翔吾を学長とナル子が看病してくれたんだ。このときナル子に憂理が地下の事を話した」
「その学長……なんか凄い事になってるよ」
ケンタがベッドの学長を指差した。一見するだけなら翔吾よりも重傷に見える。
「ちゃんと順を追って話すよ」
一連の流れは遼の口頭により正確に再現された。食堂での朝食禁止令、半村奴隷の誕生、カガミの死。
翔吾もケンタもカガミ殺害の下りは茶々も入れず真剣な面持ちで聞き入っていた。
眉を寄せ、唇を噛み、目を細め。
「ユキエって……あのユーレイ子か?」
「ああ」
「世界で一番大人しいと思ってたケド……」
遼の説明は淡々と続き、ようやく今朝の状況まで追いついた。だが、翔吾とケンタの疑問は晴れない。
「ナル子はなんで?」
これは遼の知らない事情だ。憂理はなるべく当たり障りなく答えた。半村に襲われて、と。
「アイツ、クソだよ!」
エイミが汚い言葉を吐く。どうあっても許せない。そんなエイミの所感には憂理も賛同する。
だが、もはや『クソ』で収まるような人物では無くなっているのが事実なのだ。
そしてその『最悪』の人物に自分たちの運命を握られているという救いがたい状況でもあった。
「これが……翔吾とケンタがいない間にあったコト」
細やかに時系列のメモでも取っているかのような説明で、翔吾とケンタも納得したようだった。
「ケンタは?」憂理は小太りの少年に問う。「ケンタはいままでどうしてた?」
どうやって生活棟に上がってきたか。深川はどうした。あの大エレベーターはどうだった。
口々に様々な質問が浴びせられ、ケンタは頭をかいた。
「ええと、僕も順番に話すよ」
思い出しながらのケンタの説明が、のらりくらりと始まる。
「あの大エレベーターは、多分、地上まで続いてるよ」
「多分? なんで多分なんだよ」
「窓まで行ったからだよ」
「窓?」
「あー。もう。話すから黙って聞いててよ。ワケがわからなくなる!」
ケンタは周囲を黙らせると、再び説明を始めた。大エレベーターを上がりきった先は、真っ直ぐに伸びたトンネルになっていた。
生活棟の壁とまったく違う、岩を削ったような洞窟のようなトンネルだった。
「窓は?」
「黙って聞いて!」
酷く薄暗くて、高い天井に這うテープライトのような物しか光源がなかった。
2~3メートル先までしか見通せず、ケンタはザラザラゴツゴツの壁にそって前進したのだと言う。
距離にして、たぶん200メートル。でも良くわからない。もっと短いかも知れないし、もっと長いかも知れない。
「窓はよ?」
しつこく訊ねる翔吾をケンタは無視した。薄暗いトンネルの先には、ガレージのような部屋があった。
バスなら2台は入りそうなガレージ。そのガレージの向こうは外だった。
しかし、シャッターの開け方がどうしてもわからなかった。ボタンを押しても作動せず、叩いてもだめ、揺らしてもだめ。
しかしシャッターに設けられた長方形の覗き窓から外は見えた。
「窓から出りゃあ良かったんじゃないか?」
自分ならそうする、とばかりに憂理は主張した。
せっかく脱走の一歩手前まで迫りながら諦めるなんて余りにも不甲斐ないではないか。翔吾なども「デブだから出られなかったんだろ」などと非難を始める。
だがケンタは両手で『コの字』を作り、それを双眼鏡でも覗くように目に当てた。
「これぐらいの窓だよ。僕の体型は関係ない!」
なるほど。そのサイズでは小人でも脱出に苦労しそうだ。これには憂理も納得せざるを得ない。
「でも、大発見だよね」遼は言う。「外に繋がるルートがあるなら脱走できる」
たしかに一筋の光明ではある。外界と鉄板一枚の距離までは行けるのだ。
「でもなぁ……」
ケンタの歯切れの悪い言葉が水を差した。
「でも、なんだよ?」
「なんて言うか……変な感じだったんだよ」
「なにが」
「外が」
「どう変なんだ?」
「上手く言えないんだけど、変な暗さだった」
「夜だろ?」
「うーん。夜というか……。どう言えばいいんだろ」
なんともスッキリしない奴である。見たものを見たままに表現すれば済む話じゃあないか。憂理は話の先をせかした。
「で、どうやって生活棟まで戻ったんだ? ドアは壊されてたろ?」
「ええと。まず大エレベーターで大区画まで降りて……。コンテナの中でご飯たべて、寝た。竜田揚げと真空パックのシチュー。温めないと不味い」
要るような、要らないような情報だ。
「んで起きてから……隠れながらゆっくり、ゆっくり、階段のドアまで行ったんだ。けど、ドアノブがなくて開かなかった。コレはさっきのリョーの話と一致するね」
「うん」
「なんだか凄く怖くなって、食料のある部屋に閉じこもったりして時間を潰した」
「ああ」
「それで、思い出したんだ。中央エレベーターがあるじゃないかって」
そうして隠れ隠れに中央エレベーターのある場所まで移動した。
エレベーターの電源は落とされており、稼動はしなかったが、ドア自体にロックはなされておらず、こじ開けることは出来た。
カゴの中に入っても、やはり電源は落ちたままで、どう触ってみても動く気配はなかった。しかし、カゴの上部にあった整備用の穴を見つけた。
「他の部屋から椅子とか机とか運び込んで、土台にして、エレベーターの上に出たんだ。それから……コレだよ」
そう言って、ケンタは真っ黒な両手を皆に広げて見せた。
「壁をよじ登ってきたんだ。一流のスパイみたいだろ?」
誇らしげなケンタに憂理は再度光明を見た。
「ソレだ!」
同時に遼も叫ぶ。
「ソレ!」
ようやく脱走の脱出のルートが定まった。エレベーターは動かなくとも、地下と繋がってはいるのだ。
エレベーターの昇降路を使い、脱出。
まるで安っぽいアクション映画のような話ではある。しかし実際にケンタはそのルートで帰還したのだ。八方塞がりの現状において、これを試さない手はない。
「あの穴って、ずっと上まで繋がってるのよね」とエイミが言った。「ずっと上まで……地上まで」
それは、そうに違いない。だが、降下ならともかく、よじ登ってゆくのは現実的には思えなかった。閉鎖された中央階段の段数から推察すれば、すくなくとも『三階ぶん』の高さはあろう。
経験の豊富なロッククライマーならともかく、憂理に三階分の高さをよじ登る自信はない。
「登れるようなら……それが一番手っ取り早いけどな」
「今日中に警察に行けるかな」
遼が生気の蘇った目で言う。それは希望的観測ではあるが、可能性はゼロではない。
上手く事が運べば、今日中には警察が施設内に踏み込んでくるかも知れない。
そして、半村に適切な裁きが下される。
警察が現れた瞬間に、半村の魔法は解かれ『王』ではなくただの『凶悪犯』へとなるのだ。
しかし、安心したせいか、急激な睡魔が憂理を襲った。まぶたが重く、疲労に足の感覚が鈍い。朝まで壁と面談していた疲労は確実に正常な判断力と、適切な行動力を奪っていた。
善は急げと言う。だが果報は寝て待てとも言う。
とりあえず、憂理は後者を選んだ。
そして『しばしの休息』という提案に、仲間たちからの反対意見はなかった。遼が賛同し、翔吾とケンタが賛成し、エイミが受け入れた。
憂理は空いているベッドに体ごと投げ出すと、シーツに顔をこすりつけた。
今は、このシーツの感覚が何よりも愛おしい。
ケンタも空いているベッドへ体を投げ出し、真っ白なシーツを黒く汚す。
遼は事務机に腰を下ろして、ポケットから小さなノートを取り出した。――勉強か?
エイミは菜瑠のそばに。翔吾はそのままに。
憂理は考えるのをやめた。脳がコトコト煮込んだシチューのようになって、思考がまとまらない。
いまは、眠ろう。
* * *