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13月の解放区  作者: まつかく
3章 夜明けなき朝に
26/125

3-5 電気仕掛けの魔法


いつものこの時間ならば、通路には活気がある。しかし、今はすれ違う人もなくどこか閑散としている。『いつも』など、遠い昔の話のように思える。


不思議な倦怠感が憂理の心を塞がせ、進む足取りも自然と遅々たるものになっていた。

――こんな事……いつまで……。


立てこもりに関して、半村は否定も肯定もしなかった。ただ『面白い』と評価しただけだ。煙に巻かれた形ではあるが、憂理は立てこもりの可能性に確信じみたものを感じていた。そうでなければ……。


「ユーリ!」


意識の外から呼ぶ声がする。コンクリートの壁に幾重にも反響して憂理に染み込んでくる。


「遼……」


「探したよ!」


眼鏡の少年は小走りで憂理に駆け寄ると、上がった息を整えないまま言った。


「行こうよユーリ」


「行くって……どこへ?」


とぼけた頭が、この程度の反応しか許さない。

起床から一時間たらず、その短時間に余りにも多くもたらされた情報に、脳の処理が滞っているのか。情報過多に困惑している憂理とは対象的に、遼はまっすぐな視線で言う。


「地下へ……はやく脱走しなきゃ」


そうだった。半村がどうであれ、憂理のなすべき事はシンプルだ。施設から脱走し、警察に頼る。

それがなされば、全てに幕が下りるのだから。

迷ったり、落ち込んだりしている間にも時間は過ぎてゆき、二度と戻らない。


「そうだよな、そうだよ」


「うん」遼の額には玉のような汗が浮かんでいる。「今の状況は酷すぎる。家に帰りたいトカ、反抗したいトカじゃなくて、みんなを助けなきゃ。痩せ女やカガミ、学長や翔吾みたくならないように……少しでも早く」


遼は視線を伏せて、これまでの出来事を思い出すように呟く。

今はみんな、おかしくなっている。半村も、半村に従った者も、深川も。

なにかしなくちゃ、ますます事態は悪い方向へ向かうんじゃないか。


眼鏡の向こうにある二つの瞳には、深刻な危惧の色があった。


「そうだよな。さっさと脱走しちまおう。警察が来れば、全部……全部解決するよな」


遼が頷いたのを確認するが、それと同時に一つの問題が憂理の心中に湧いた。


「鍵は……どこだ?」


バタバタと状況が変化し、すっかり忘れていたが、地下へ続くドアの鍵はどうなったのか?

いつもなら翔吾が学長の執務室から『借りて』、返却も行っていたが、機動力に優れた猫科の少年は今やベッドの上で明日をも知れぬ身だ。

深川に襲われ、その後もあやふやになっていたが、地下鍵はどこへ……。


「あるよ」遼がかすかに白い歯を見せた。そうしてポカンとする憂理を待たせ、ズボンのポケットから見覚えのある鍵を取り出した。「抜かりナシ。準備は万端だよ」


何処にあったのかと憂理が問うと、駆け出しの学者は、新発見を発表するかのような自信に満ちあふれた表情で、翔吾の服からと答えた。これには、なるほどと頷くしかない。


「エイミは?」


「医務室に残るって言ってたよ。氷を取り替えたりで大変みたい」


これはエイミなりの罪滅ぼしなのかも知れない。細い両肩に感じる責任を、義務へと転嫁しているのであろう。今は各人が各人なりに、気が済むようにするべきか。

憂理と遼は地下へと続く階段へ向かい、深川への懸念を確認しあった。


あれから、翔吾を襲ってから、たかだか十と数時間しか経過しておらず、彼女が『平静』を取り戻しているとは考えがたい。

遭遇すれば、また悲劇の再現があるに違いないのだ。


「武器……いるかな?」


不安そうに遼が言う。武器になるモノ……。憂理の脳が様々なモノを連想し、それはやがて金属バットに行き当たった。


「カガミの奴、体育準備室からバットを持ってきたんだよな?」


「たぶん」


あまり立派な先人とは言い難いが、身を守るための手段は倣うべきであろう。

ちょうど、中央階段から上がった上階に体育室があり、バットを入手してそのまま地下へと階段を下りれば半村やその奴隷たちに見とがめられることもない。


「よし、金属バットだ。何本かあったよな?」


「使った事はないけど……たぶん」


なら話は早い、と憂理は遼を連れ立って中央階段の方へと歩き始めた。そして残される者のために地下から食糧を運び上げるつもりである事を遼に告げた。


「わかった」


言葉少なく遼が応じ、その段取りについて小声で話しあった。目立たないようにするにはどうすれば良いか。バックパックはどうか、服の下に隠してはどうか、あるいは布団のシーツに包んで。

良案が浮かばず、モヤモヤした気持ちのまま先を急いでいると、人影のなかった通路前方に一人の少女がいるのが見えた。


蔵書室のドアの前で何をするでもなく、ただ立っている。胸まである長い髪の間にのぞく顔、気怠そうな表情。どこか不健康な瞳。彼女はじっとドアの上部を見つめ、中に入ろうとも立ち去ろうともしない。

半村系の者か、と憂理は会話を中断させる。聞かれては面倒だ。


しかし遼は警戒を面に出さない。ただ「四季だ」と何気なく呟いた。


「シキ?」


「うん、四季。あんなところで何をしてるんだろ?」


「あの女は半村奴隷か?」


「どうかな」


そう言って肩をすくめると、遼は小走りに数メートル先の少女に駆け寄った。

そして何か彼女に声をかけたが、その言葉は憂理のいる場所までは届かない。

いぶかりながらも遼に遅れて憂理が近づくと、四季と呼ばれた少女の返答だけが聞こえた。


「ドアが開かないの」


「蔵書室に何か用?」


この遼の言葉は蔵書室がまるで自分のオフィス、あるいは自室であるかのような物言いである。しかし遼と言えば蔵書室。図書委員と言うレベルではなく、蔵書室の『ヌシ』である。ほとんど違和感はない。


「娯楽室のPC、持って行かれちゃった」


「誰に?」


「知らない男子。半村が使うんだって。私も使うのに」


こちらは、なんとも淡々とした物言いである。話しかける遼に一瞥もせず、ただ蔵書室のフロートドアを見つめたまま言葉を返している。

憂理は、彼女がロボットかアンドロイドであると言われても驚かない。なんとも冷たい感じの女である。


「お前……半村奴隷か?」


憂理が彼女の側頭部に問うと、ようやく四季がドアから目を離し、憂理へ首だけを動かして顔を向けた。この年頃の少女に多い、『可愛い』というタイプではない。『美人』タイプだ。

整った顔立ち、半開きの瞳。不健康なほどに白い肌。だが、気怠そうで、冷たそうで……。


「違うわ」


薄い唇がそれだけ言った。そしてまたドアへと向き直る。

これは……妙な女だ。


憂理は思う。翔吾がいたなら、『ロボッ子』とアダ名を付けるに違いないぞ、と。あるいは『アンドロイ子』か。こんな妙な奴に構っている暇はない。ドアが開かないなら、鍵でもなんでも探せばいい。

憂理は遼を肘でつつき、首で『行こうぜ』と意思表示した。遼がきょとんとした表情を憂理に返した途端、ロボ子が言葉を発した。


「蔵書室、PCあったわよね」


遼がどもりながらも返答する。


「う、うん。蔵書検索用のやつだから……娯楽室のとは違うケド」


「一緒。結局は検索用のプログラムを走らせてるだけで、根本のシステムは一緒よ」


そして、また首だけを動かして今度は遼を見やる。


「いつも鍵が?」


「いや……普段は開いてるよ」


「じゃあ、なぜ鍵が? 誰が施錠を?」


「そんなこと、僕に言われても……」


いつの間にやら質問というよりも詰問のような状況である。いま写真をとれば、蛇に睨まれたカエルの図として図鑑ぐらいには載るかも知れない。

なんだか面倒な奴に捕まってしまった。憂理はため息だ。

しかし、心のどこかに引っかかるものを感じた。


デジャヴ、と言うほどではない微かな既視感。

――同じような……状況が……どこかで……。


しかし、その既視感の原因がどうにも思い当たらない。憂理は小さく切ったため息を吐いた。


「ああ、面倒くせ! 俺に任せろ」


ドアは開くために存在するのだ。開かないドアはドアじゃない。

男なら前進あるのみ。憂理は四季を押しのけて、フロートドアの前に立った。

そしてレバーノブに手を乗せると、力強くレバーを下げた。

そうして一呼吸置くと、ほとんど無の心で一気に左方向へと力を加えた。


開いた。

カラカラと歯車が微かな音をきかせ、フロートドアがスライドしたでなはいか。スッと開いたドアの向こうから、蔵書の重苦しい臭いがあふれ出てくる。


「あいた」


「あいた」


2人が間抜けにも同じセリフを吐き、呆気にとられた同じ表情で四季を見やると、機械少女も少しだけ驚いた様子だった。

半開きだった瞼が、数ミリだけ大きく開いていた。


「開いてるじゃんかよ」


憂理は思わず非難めいた言い方をしてしまう。最初から鍵などかかっていなかったんじゃ、という疑念が言外ににじむ。しかし四季はすぐに瞼を定位置に戻し、しれっと言った。


「開いてる、じゃなくて開いた、の。くだらない嘘はつかないわ」


「わかった、わかった。じゃあ俺たちは行くから、好きなだけ本を読んでくれよ」


これ以上、構ってはいられない。鍵がどうこうなど、今はどうでも良い。


「じゃあね、四季」


「ありがとう」


小さく、微かに頭を下げたのは、彼女なりのお辞儀だろう。なんとも人間味に欠ける女である。『四季』という名は『冬子』とでも変えたほうが良いのではないか。


「いくぞ、遼」


なかば強引に憂理に腕を引かれた遼は「じゃあね」とだけ四季の背中に別れを告げた。



通路を足早に進みながら憂理は先ほど感じた『既視感』の根源に思いを巡らせていた。

それが、『調理室へと続く食堂のドア』から起因するものだと気付いたのはバットを手にし、地下への階段を下っているときだった。


急に鍵がかかるドア。鍵穴やサムターンも見当たらないのに、だ。

アツシが『魔法』と表現した不可思議。それが蔵書室でも再現されたのではないか。


「なぁ、遼」憂理は足を止めぬまま隣の少年に呼びかけた。


「蔵書室のドアって……いままで鍵が閉まってることあったか?」


眼鏡の少年はムウと唸り、しばらく間を開ける。


「なかった……と思う。少なくとも、僕の知る限りは」


どうにも奇妙なことだ。これを偶然と片付けるのは余りにも楽観的であろう。

なにか裏があるに違いない。

しかし、その『裏』を推測するに現状では情報の不足が否めない。


「それに……」


無意識のうちに憂理の唇から言葉が漏れ、遼が不思議そうにしている。


「それに?」


それに、今は点と線を繋いでいる場合ではない。一刻も早く脱走し、みなの安全を確保すべきだ。


「いや、なんでもない。急ごう」


憂理はバットを握る力をより一層強くし、足早に階段を下る。今は魔法のドアよりも、深川だ。

二人して武器は握っているが、『殺す気』で襲ってくる中年女を撃退できるのだろうか。こちらには翔吾をやられた『恨み』こそあるが、それは殺意と呼ぶに程遠いものだ。


ようやくの事で広大な地下へと続くドアまでたどり着くと、憂理は深呼吸をひとつした。眼鏡の少年も落ち着きなく唇を噛んで、緊張を隠そうとはしない。

このドアの向こう、すべてが始まった薄暗き緑の世界。

そこには明確な殺意をもった深川が潜んでいる。


「よし……いこう」


憂理の言葉に遼が無言で頷いた。やるしかない。やれるだけ、やるしかない。

遼がポケットから鍵を探り当て、それをゆっくりとドアの鍵穴へ……。緊張の面もちでその動作を見つめていたが、ふと違和感を感じる。


――このドア……。


憂理が言葉にする前に、遼が小さく叫んだ。


「……ユーリ! ノブがないよ……!」


有るべきモノが見当たらない。ドアにドアノブがないのだ。


「嘘だろ!?」


12時間前には確かにあった。銀色のレバーノブが確かにあった。自分たちはそのノブを回して、地下へと侵入したのだ。

焦り、慌てて、『あるべき場所』へと目を凝らすと、そこには金具の付いていた痕跡だけが残っていた。


「なんで!?」


「ユーリ! これ!」


しゃがみ込んだ遼が、床から何かを拾い上げ、憂理の眼前に差し出した。円柱形の金属片。それはネジだ。


「誰かが……外したんだ!」


ノブのないドア。それは言ってしまえば、壁だ。ただの金属製の壁だ。

鍵があった所で、ノブが無ければ意味がない。


「誰が……」


眉間にシワをよせて遼が呟く。だがその疑問には答えるまでもない。半村の仕業に違いない。


――たしかに。


憂理は考える。

たしかに、自分が半村の立場ならそうする。地下には食糧があり、『立てこもり』が前提であれば、それはまさしく生命線となる。生活棟の人間に触られたくはないだろう。

学長が倒れた今、ただひとつしかないエレベーター鍵は半村が所有しているに違いなく、階段とエレベーターを殺すことは『食糧の温存』と『深川の封じ込め』という二つの利点を生む。


備蓄の食糧を補充するとき以外、地下には用はなく、用がないなら封鎖しても差し支えない。

差し支えないどころか、無軌道な深川や『地下の散歩者』である憂理たちの動きを殺すことができるのだ。


半村が施設内の事情をどれだけ把握しているかは憂理の知るところではなかったが、少なくとも憂理には『理のある行動』に思えた。


半村にとって理があるという事は、憂理たちには不都合である事とイコールである。支配体制が強固となれば付け入る隙も小さくなるのだ。


「ユーリ……どうしよう」


どうするも、こうするもない。憂理自身が誰かの指示をあおぎたい気分。

このドアが通れないとなると、少なくとも『脱走』『食糧の運び上げ』という二つのカードが手元から消え、半村に抗うすべが減る。

もっとも憂理に残されたカードなどたかが知れており、ほとんど本命を失った形だ。


「脱走が前提なんだ……脱走できなきゃ……」


なんとかならないものか。

失望なのか絶望なのかはわからないが、ひどく気が重い。たかだかドアノブひとつに計画を狂わされるとは考えもしなかった。

今後の事に思いを巡らせ始めた憂理の耳に、遼の呟きが届いた。ほとんど独り言のような呟きだ。


「でも……構造的に……ノブと引っかかり部分が一緒になってないとおかしい」


駆け出しの学者は、取り外されたノブの部分をまばたきもせずにじっと見つめている。


「だって……うん。ノブを回して、引っかかりを解除。それで開く……」


「どした?」


憂理が問うと、学者はようやく思考実験の世界から戻ってきた。


「えっと。このドア、開くんじゃないかな? ドアノブと引っかかりの金具は二つでひとつだから……。ノブを外したなら引っかかりもないし……」


「じゃあ、こうか」


憂理は遼の言葉を最後まで待たず、ドアノブのあった穴に指を突っ込んだ。

そしてドアの向こうまで指を貫通させると、まず押してみる。が、これは意味がなかった。

今度は引いてみる。

しかしドアは遊びの部分だけしか動かず、ガタガタと鳴るだけだ。


「開かないぞ」


「鍵を開けてないからじゃない? ユーリ、指ぬいて」


憂理が穴から指を抜くと、遼が施錠を解除した。ではもう一度、と憂理が指を突っ込み押し引きしてみるが、結果は変わらずだ。


「ダメだぞ」


「ダメだね」


「なんか、まだ金具が引っかかってるんじゃね?」


やはり遊びがある分だけガタガタなるだけ。


「なんか奥の方は……ヌメるんだけど、油?」


「グリス?」


「わかんね、ちょっとヌルい」


憂理は指を抜いて、今度は穴を覗いてみた。真っ暗で何も見えない。

今朝の脱走時に用意していた懐中電灯でもあればよかったのだが、ポケットにはなにもない。


「ダメだ。なんにも見えやしない」


「なにが引っかかってるんだろ……」


「さあな」穴の奥に憂理が目を凝らしていると、闇に変化があった。闇の黒に、かすかな緑色が混ざったのだ。

――地下の非常灯の色か。


何の疑問も覚えず、そのまま穴に目を近づけていると、緑色はどんどん強くなってゆく。それとは逆に、全面の黒は大きな円形になり、時折、まばたきを見せた。


黒目を覆う白目、通路の緑光。数秒がとんでもなく長く感じられた。

穴を通しての予想外の邂逅。


憂理がまばたきすると、向こうもまばたきをする。呼吸は浅くなり、バットを握る手が汗でぬめる。

憂理はゆっくりと、穴から顔を離した。爆弾処理班でもこれほど慎重には動くまい。


憂理の動作に合わせてか、ドア向こうの人物も穴から顔を離してゆく。病的に落ち窪んだ眼窩。ギラギラと血走った目。

――深川……。


それが翔吾を襲った中年教師だと気付いても、憂理は動けなかった。浅かった息は、とうとう喉につまり、今にも力が抜けそうな足が膝から微かに震えた。


これが幻ならばありがたい。

指一本がようやく入る穴、それが万華鏡のように幻想を作り出しているなら……。

だが、それは幻影でも幻覚でもない、次の瞬間、穴向こうの深川がフッと消えた。


同時に凄まじい音が憂理の鼓膜を刺激する。ガンッ、ガンッ、と金属同士がぶつかり合う音。

事態を掴めていない遼が、小動物のごとく体をビクリとさせた。


「な! なに!?」


――漏らすかと、思った!


正直な感想だ。

深川がドアを鉄パイプで叩いている――その説明をする前に、ドア向こうから叫びが響いてきた。


「アァアアアアアーッ」


深川の奇声、それはもう正気を感じさせるモノではない。苦痛か、怒りか、悲しみか。あるいはその全部。地獄の亡者でもこうはなるまい。


「ヤバい、無理だ!」


ドアが開かなくて、むしろ助かったのか。穴に指を突っ込んだ事が憂理は心底恐ろしい。

奥のほうがヌメったのは、深川の――なんだったのか。信じがたいが、脳裡に蘇る『ヌメリ』に触れた感覚は今となっては彼女の体に起因するいずれかの粘膜の感触だと断言できる。

そうこうしている間にも、金属同士の衝突音が不快な叫びを伴ってコンクリートに激しく反響する。


――無理だ!


二人は申し合わせることなく、逃げ出した。肉食獣に見つかった草食動物がごとく、全身のバネをはじけさせて階段を駆け戻ってゆく。


「深川だ!」


憂理が叫ぶと遼が怯えた表情で頷く。鉄パイプ程度でドアが破れるハズはない。そんなことは重々承知のうえであるが、恐ろしさが逃げ足を加速する。

時間の経過に比例して深川の正気も失われているように思われた。


上に大火事、下は洪水。コレはナゾナゾにもなりはしない。

この、施設だ。

半村と深川に挟まれ、常識外の出来事が日常になりつつある。


こんなところ、あと1日だっていられない。



 * * *


床を靴底で蹴りつけるようにして、二人は中央階段から抜け出した。


「ユーリ……どうしよう」


遼の目からは生気が失われている。自分だって、きっと同じになっている。憂理はそう思う。八方塞がりとはこのことか。脱走もできず、食糧の供給も断たれた。


――半村に従うなんて、まっぴらごめんだ。


「せめて食い物をなんとかしないと……」


「調理室に……少しはあるんじゃない?」


憂理は通路の壁に背中を預けて『魔法のドア』の説明をした。

なぜか開かなくなるドア。急に鍵がかかるドア。なんとも不可解な事実。遼は息を整えながら、真剣な表情で憂理の説明に耳を傾けていた。


「さっき四季が言ってたみたいに?」


「ああ、鍵とか錠前とかないのに……」


「調べてみようよ。なんだか『鍵』に足止めをされすぎてる」


ちょうど中央階段から蔵書室はほどない距離にある。遼の提案を受け入れ、2人は蔵書室の前に移動した。

普通のフロートドアだ。この施設内では珍しいものじゃない。

ベッドルームも、大浴場も教室の入り口も同じような横開きのフロートドアである。

遼はドアをゆっくりとスライドさせた。


「開くね」


「問題は、なんで急に開かなくなったり開いたりするかだ」


「閉めた衝撃で……鍵が掛かっちゃうとか?」


それなら、いままで同じような事態があってもおかしくはない。

だが、今までそんなことはなかったと先ほど遼が言ったばかりではないか。

憂理がそうやってその可能性を否定すると、遼は「そうだね」と、あっさり認めた。


ドアを開閉しながら様々な可能性を検討していると、蔵書室の奥にいた四季と目があった。PCが設置されたデスクに座り、こちらを見つめている。


「ロボ子が嘘をついた可能性もあるよな」


「それはないよ、きっと」


「信頼してんのか? 仲がいいのか?」


「うーん。信頼とかそういうのじゃなくて……尊敬だよ」


「尊敬?」


「うん。彼女はすごいんだ」


「どうすごい?」


「数字とか色々な才能。僕が文系脳だから余計に凄く感じるよ」


意味がわからない。

数字に才能があるのなら、憂理だって尊敬して貰えるんじゃないか。少なくとも、一億ぐらいまでの数え方は知っている。数えようとは思わないが。


「数字ねぇ……」


「言い方が悪かったかな? 数学とか理系とか……」


「人間電卓? テレビでやってたみたいな?」


「うーん、まぁそれでいいや」


なるほど。計算の才能ならば席を譲るしかない。


「やっぱ、機械女じゃん」


「やめなよ、そういうのは」


どうも遼は四季の肩を持ちたがる。


「まぁ、どうでもいいけど」


数学が出来たって、『脱走』できるわけじゃなく、ましてや『食糧』を生み出せるワケでもない。少なくとも、今は憂理にとって四季はただの変人でしかない。

そうして再びドアの調査に戻る。


「ねぇユーリ。地下のドアも、同じ『魔法』なのかな?」


「ありゃあ、ノブがないからだろ?」


「でも、理屈で言えば、あのドアは開いてもおかしくないんだけどな……」


「深川見ただろ……世の中は理屈じゃねぇよ、遼。臨機オーヘンにやらねぇと、お前こんな時代を生き抜いていけないぜ」


「うーん……。ねぇユーリ。あの上にあるの……ロックじゃない?」


ドアの上部を遼が指差した。見れば四角い穴があり、中には金属製の金具も見える。

向かい合わせとなるドアの枠組み部分にも、同じ高さに穴が設けてあり、こちらは中に金属の棒が見えた。


「ぽいな」


「ちょうど閉めたら、ぴったり合う」


「でも、この鍵はどうやってかけるんだ? 鍵穴も、手で回すやつもないぞ」


それは確かに鍵の構造をしている。だが、使用法がまるでわからない。

どこかに鍵穴か、サムターンが無いものかと憂理と遼が背伸びしたり這いつくばったりして調べていると、突如として声が上がった。


「ちょっと、いい?」


四季だ。

知らぬ間にドアの近くへ来ていたらしい。ナル子といいロボ子といい、どうして女は気配を消して近寄って来るのか。

訝しがる憂理と対照的に、遼は四つん這いの姿勢から素早く立ち上がり、食いついた。

なるほど尊敬というのは嘘ではないらしい。ただ尊敬の念だけなのかは怪しいものだが。


「どうしたの四季?」


「ワタシがウソをついてないって証拠を見せたいの。見て」


それだけ言うと、四季はPCデスクの方へと踵を返した。『来い』ということらしい。そそくさと遼が四季の後を追い、憂理も仕方なくPCデスクへと足を向けた。

椅子に細い腰を落とした四季は、キーボードのリターンキーを指先ではじき、待機画面を復帰させる。


「なんだよコレ」


画面には黒を背景として、様々な緑の線が入り混じっている。


「CAD」


「キャド?」


とうとう、機械語で話すようになったのか。訝る憂理を押しのけて、遼がモニターに張り付いた。


「すごい。本当に蔵書検索だけじゃないんだね。こんな画面も出せるんだ……」


遼は感心しきりだが、憂理には驚きは一つもない。そもそも『蔵書検索画面』すら見たことがないからだ。


「嘘はつかないわ」


意外とプライドは高いのかも知れない。しかし、これが何の証明になるのか。

ひとつずつの疑問符が憂理と遼の頭上に浮いたのが見えた、ワケでもあるまいが、四季が淡々と説明を始めた。


「CADと言うのは、設計支援ツールよ。これを施設内に存在する他のPCからダウンロードしたの。一つ下の階のPCだけど」


「設計支援ツール?」


「設計図を作る時に用いるツールよ。これに今私たちが居る生活棟の図面を読み込ませたのが、今表示されてる画面」


ああ、なるほどと言いたい所であるが、画面を見るかぎり複雑すぎて理解できない。


「理解する必要はないわ」


先を見越したように四季が続ける。


「わかりやすいように3Dモデル化しているだけだから」


「はぁ」


「これに……色を乗せれば」


複雑に走っていた線と線。四季がキーボードをカタカタやるたびに、線が面となり面が立体を形作った。こうなると憂理や遼にもわかりやすい。


「あ、通路か」


「ここ、食堂だね。ここが今いる蔵書室……。あ僕と憂理がいる!」


見れば、たしかに蔵書室に該当する部屋にミニチュアの憂理と遼がいるではないか。

三頭身にデフォルメされた、ぬいぐるみ人形のような憂理と遼が、楽しげに腕を上下させている。


「見てわかりやすいように、さっき作ったの」


ありがたいような、そうじゃないような。わかりやすいのは確かであるが、コレに何の意味があるのか。

四季はキーボードを再び叩き、なにやらメニューを呼び出すと、それを実行した。

モニターでは目まぐるしく窓が開き、複数のローディングが走り出した。


「おかしい、と思ったの。鍵穴がないのに鍵なんて」

どうやら、ここからが核心らしい。

モニターを見つめる四季、その半開きの瞳に、流れるデータの光が乱反射している。


「調べてわかったの。この施設内のドアは、コンピューター管理されてるわ」


「コンピューター管理?」


「ええ。リモートコントロールよ。蔵書室の開け方はわかったから、今から実践してみせるわ」


そうして四季がキーボードを手繰り寄せ、ピアノを弾くかのようにキーを叩いた。


『カッコー』

PCが鳴いた。どこか締まりのない鳥を模したような音。


「なんだ、今のは」


「認証成功の音。この音が好きで設定したの。……もうドアは閉まったわ」


「見てくるよ!」


遼が意気込んでパタパタと走り出した。20メートル、10メートル、5メートル。到着。


「凄い! ホントに閉まってる!」


リモートコントロール。これは憂理の発想にはなかった。外部から自在に鍵が操作できるなど、この施設に来てから初めて知った。


「今度は開けるわ」


また間抜けなカッコーのさえずりが響く。


「開いた! すごい!」


見れば画面内のミニ憂理やミニ遼が、腕を上下させながらドアを行き来していた。なんとも芸が細かいことだ。パタパタと戻ってきた遼は、画面内のミニ遼に負けないぐらい興奮していた。


「すごいね! さすが四季だ!」


「お前……これ自分で発見したのか?」


「だって、おかしかったから。納得できないもの」


理由になっているような、なっていないような。だが、これは憂理に確かな光明を感じさせた。『魔法』のトリックは機械少女により暴かれたのだ。

しかし、疑問も浮かび上がる。


「どうして……ここはさっき開いたんだ?」


リモートロックなのはわかった。だが、それならば何故この蔵書室が開いたのか。


「たぶん」四季は続けてキーボードを操作する。

モニターの図面では、ドアというドアにピンクの彩色がなされた。


「このピンクに着色したドアは全部一時的にロック解除されたはず。さっきここに入れたのは、ちょうど解除のタイミングに開けただけ……偶然だと思うわ」


「今も解除されたままか?」


「見るかぎり、ほとんどロックされてるわ」


「なんで一斉に解除されたんだ?」


我ながら質問ばかりで情けないが、わからない事だらけでは前にも進めない。


「……私も疑問に思ったけど……。一斉に解除されたのは、管理者権限の移譲があったから……だと思う」


良くわからない。

相槌も打てない憂理や遼の心情を汲んでか、四季は続ける。


「半村が娯楽室にあった『私の』PCをどこかに運んで……そのPCを管理者用に変更したんだと思う。その際にミスしたか、不具合かはわからないけど、移譲にかかった数分間は管理者空白の時間になったんでしょうね」


これでも良くわからないが、運がよかったというのは確からしい。


「なぁ、これって……他のドアも開けられるんだよな?」


四季は半開きの瞳を憂理に向け、ニコリともせずに言った。


「ええ、理論上は」


「なら、調理室のドアを開けてくれないか? 食い物が必要だ」


「すぐには無理」


「どうして? そこのドアはすぐに開いたじゃんか」


「パスワードがわからないもの。パスクラックにどれだけ時間がかかるかわからないわ」


「蔵書室はすぐに開いたんだろ?」


「たまたま4桁だったから早かったの。ここのパスワードは『book』よ。それでもクラックツールで総当たりにして15分かかったわ。PCの処理速度にもよるでしょうけど、それが5桁の場合、6桁の場合、あるいは100桁あったら? 0から9、AからZまでが何個あるかわかる? それを総当たりで組み合わせて、さらには記号、漢字まで組み合わされてたら? どのくらいかかるとおもう?」


「パソコンなんだから、すぐだろ?」


「すぐ? あなたは『すぐ』に破れるようなものに何か意味があると思ってるの? 『すぐ』にクラックされるパスワードなら、最初から意味がないんじゃないの? それでも総当たりで調べればいつかは割れるかも知れない。でもワタシがシステムの設計者なら、1日3回以上入力ミスがあれば、十数時間の入力凍結を組み込むけど? それでもやるなら想像して。どれぐらい時間がかかるか」


「さぁ……1ヶ月ぐらい?」


「宇宙が終わるまで、よ」


苛烈にではなく、淡々と問い詰められると、精神的にダメージが大きいことを憂理は初めて学んだ。これなら、菜瑠になじられているほうが数倍楽だ。


「わかった、わかったから苛めるのはやめてくれ」


「簡単に言うのはやめて、と言いたかったの」


「すまん」


「さっきのは言い過ぎたわ。この程度なら数十時間あればクラックできると思う。凍結もないから」


「なら……頼んでいい?」


「調理室ね。やってみる」


なんとも御しがたい女ではあるが、なんだか頼りにはなりそうだ。

パスワードのクラックが上手くいけば、差し当たっての食糧問題は解決しそうだ。

しかし、あくまでもそれは『差し当たり』であり、長期的な解決とは言い難い。ゆえに事態が『差し当たり』で済むように早急な対応が必要になる。

少しでも早く外部に……。

唐突に訪れたちょっとした閃きに、憂理はモニターと向き合う四季の後ろ髪に問いかけた。


「それって、さ。インターネット?」


艶やかな髪をパッと宙に舞わせて、四季が憂理に向き直った。半開きだった目が幾分にも大きく開かれ、「今、なんて?」

なにか、マズい事を言っただろうか?

憂理は動揺を隠して、もう一度言った。


「いや、これがインターネット?」


「どれが?」


「その……ドアを開けたり……図面を……」


四季だけでなく、遼の表情も固まってしまった。

これはインターネットとは言わないらしいぞ、と憂理の勘が働いた頃には、場の空気はすっかり気まずいものになってしまっている。

憂理は素早く本題に切り替えた。


「パソコンからさ、警察に通報とかできないのか?」


この切り替えは良かった。四季はようやく瞼を定位置に戻し、落ち着いた動作で首を左右に振る。


「施設内だけのネットワークだから」


つまりは外部への連絡手段にはなり得ない。四季の言外にはその意味が含まれていた。それもそうか、と憂理は軽く落胆する。パソコンで外部と通信できるなら、半村が見過ごすワケもなかろう。

――施設内だけ、ね……。


これにも閃きが訪れる。


「じゃあ、パソコンからエレベーターを動かせるか?」


『パソコンを介しての通報』の次に手っ取り早い解決法だ。

中央エレベーターさえ自由にできれば、地上へと戻り自分の足で警察へ駆け込める。


「どうかしら。わからないわ」


「やってみてくれよ」


解決の糸口となるパソコンが、今の憂理には魔法の箱に思えて仕方がない。しかし魔法の箱を使役する魔法使いは、冴えない表情でモニターの表示を見つめた。


「……駄目ね。電源が落ちてる」


「じゃあ電源を入れろよ」


単純な話じゃないか、と憂理などは思うが、四季の半開きの瞼は動かない。


「携帯電話」


「なに?」


「アナタがAという携帯電話に電話をかける」


新手の機械語かといぶかる憂理に、四季は淡々と言葉をかぶせた。


「電話は何故かかからない。何故なら携帯電話Aは電源が入っていないから。通話するには、誰かが携帯電話Aの電源を入れる必要がある」


「そりゃそうだろ」


「一緒よ。電源が入っていない以上、ネットワーク上にその端末は存在しないの。だからリモートコントロールなんてできない」


「つまり、だ。中央エレベーターの電源を入れたら操作できる……のか?」


「携帯電話Aの電源は入った。じゃあ電話番号は?」


なんだか、四季は『簡単な事じゃないのよ』と言いたいようだ。憂理は、ようやく彼女のやり口に慣れてきた。


「簡単な事じゃないのはわかってる。でも、いける……かな?」


「わからないわ」


ここまで黙って話を聞いていた遼が、ようやく会話に参加してきた。


「ユーリ。エレベーターの電源って……つまりは鍵が必要ってことだろう? エレベーターのコントロールパネルを開けて、スイッチをオンにするんだろうから」


この意見は正しい。

どのみちエレベーター鍵の入手が前提となるならば、憂理の閃きは現状を打開するものではない。なんとも徒労というほかない閃きに我ながら失望する。どうにも幸運という奴には、そっぽを向かれっぱなしだ。


ため息を胸から吐き出しながら、憂理はパソコンモニターを覗き込んだ。素人ながらも何かしらのプログラムがせわしなく走っているのはわかる。


「パスワードがわかるまで……まだ、時間がかかるのか?」


「あと1分かも知れないし、あと1ヶ月かも知れないわ」


ずいぶんと開きがある事だ。このまま、蔵書室で時間を潰していても仕方がない。


「開いたら教えてくれ」


脱走の段取りもつかず、これと言って出来ることがあるワケでもないが、じっとして居られる性分でもない。

なにか……出来ることは……。

PC前から立ち去りかけた憂理の足を、間抜けな鳥の声が引き止めた。


――カッコー。

反射的に振り向いてモニターを見やると、赤く走っていたプログラムが緑色に点滅していた。そうして、感慨なく、感動なく、四季が言った。


「割れたわ」


意外に早かったわね、とパソコンをねぎらうように四季が呟き、そのままキーボードを手元に寄せるとカタカタ叩いた。


「開いたわ」


これぐらいの幸運がないと、人生なんてやってられない。憂理はそう思う。



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