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13月の解放区  作者: まつかく
3章 夜明けなき朝に
25/125

3-4b 暴君の獣欲  


フラつく足取り、夢と現を行き来しているかのような浮遊感覚があった。

これが夢であるなら、相当な悪夢であったし、これが現実であるならば、救いがたい悪夢である。


憂理が廊下を進んでゆくと、前方の人混みに目がとまった。

こんな倉庫ばかりの寂しい場所に人混みとは珍しい。しかし、それは普通の人混みではないらしい。近付くにつれてその奇妙さに違和感が仕事を始める。整然と、二列。倉庫の一室、そのドアの前。

ドアを中央にして右に四人、左に四人。

憂理は訝りながらも近づき、ひとりの『奴隷』を見た。かすかに面識のある男子だ。

直立不動の姿勢で真っ直ぐ前を見て、私語は一つもない。


「なにしてるんだ?」


「あっちいけ」


「質問に答えろよ」


「黙れ」


ジンロクによってもたらされたショックから立ち直っていないためか、この対応には酷く腹が立った。


「ここさ、俺の部屋なんだけど」


「嘘をつくな。ここは倉庫だ」


「知ってんじゃんか。でもコレは知らないみたいだな。じつは俺、倉庫委員長なんだよね。倉庫は全部、俺の管理下だ」


「あっちいけよ」


「ドアを開く秘密の合言葉も知ってるぜ? ソコはソーコ」


直立不動がため息をついた……その一瞬。1秒にも満たない不意をついて、憂理はドアにすがった。すぐに衛兵よろしく奴隷たちが飛びかかってくる。

絡みつくような手が、憂理の髪を引っ張り、腕を掴み、首を絞める。


妨害をものともせずレバーノブを目一杯に下げると、フワリとドアが開いた。突然の無重力感。憂理と衛兵たちはなだれ込むようにしてドアの向こうへ倒れた。


決して広くはない部屋。無骨な造りの金属棚が左右に連なり、空いたスペースにはダンボールが積まれている。長細い部屋の奥。そこに半村がいた。

一つのダンボールに腰を落とし、リラックスの極みといった印象を受ける。


だが部屋には暴君ひとりではない。

ゆったりと腰を下ろす半村の下半身に誰かがすがりついていた。つやのない長い黒髪、か細い腕。あれはユキエだ。

すっかり下ろされた半村のパンツが、君臨する暴君の足首のあたりにとどまっている。

ユキエは必死に首を上下させており、黒髪がそのたびに揺れた。恍惚とした半村の吐息が部屋中を満たしていた。


「なんだ、彼氏じゃないか」


半村が笑うと歯の隙間から醜悪が溢れ出るような気がする。

憂理が言葉を失って立ち尽くしている間にも、ユキエの奉仕は止まる気配がない。むせながらも必死で首を動かしている。一方の半村は突然の来訪者に驚いたふうもなく、ニヤニヤと笑ったままだ。


「彼氏もさせるか? 上手くはないが、使えなくもない」


憂理が黙って首を左右させると、半村は股間に顔を埋めるユキエを乱暴にはねのけた。そして、ゆっくりと中腰になると膝下まで下げていたズボンやパンツを腰まで上げる。

驚きはあれど、納得はできた。

暴君が暴君らしい振る舞いをしていただけだ。たかだか半日たらずで、半村はすっかり支配者としての振る舞いを身につけたらしい。

押しのけられたユキエはキッと憂理に視線を刺し、片手で濡れた口元を拭った。


「なんか用か?」


用などない。むしろ会いたくもなかった。気にくわない奴隷に、少しばかり迷惑をかけてやろうと思っただけ。

だが、その悪戯の代償は大きかった。

半村の手の届く位置には例の凶行を引き起こしたバットがあり、彼の不興を買えば、翔吾や学長のように空きベッドを埋めることになるか……最悪の場合カガミのように『ゴミ』として処理されることになる。


言葉が出ない憂理に、半村が言った。

「ああ、わかった。謝りに来たんだな? そうだろ?」


何を謝罪する必要があるのか。半村に。謝罪されたいのはこちらである。しかし半村はニヤニヤと唇を歪め、歯を見せては言葉を続けた。


「逆らった事を反省したんだな? お前も俺に従うって決めたんだろ? さっきの……骨太みたいによ。なんて名前だったか、あのブザマな骨太クンはよ?」


半村に問いかけられたユキエは、ボソリと呟く。


「サカモト・ジンロク」


「あぁ、そんなんだった。そんな感じだ。俺はよ、初めて見たね。ガチの土下座をさ。あんだけ無様で情けない姿をさらして、よくも恥ずかしくないモンだ。そうまでして飯を食いたいモンかねぇ。なぁユキエよ?」


土下座をしたのか。憂理は胃の底に重圧を感じた。

菜瑠や憂理やタカユキならまだしも、『反抗』と言えるほどの行為をジンロクがしたとは思えない。

怪我をした憂理を気遣い、タカユキのためにその身を危険にさらし、学長を救うために奔走した。それが反抗といえるのか。

『弟妹がいる!』と怒鳴ったジンロクの姿。それが今では悲しく思い出される。


――半村の奴隷になる。

それがジンロクにとって苦渋の決断だったかどうかは憂理にはわからない。ただ『わかってる!』『わかってない!』という問答を繰り返した自分を呪った。


「……あの人、悪い人じゃないんですが」


意外なことにユキエのフォローが入った。半村に対し、申し訳なさそうに頭を垂れている。


「悪い奴じゃなくても、情けない奴だわな」


暴力によって人を傷つけ、その尊厳を貶め支配する。こんな事が長く続こうハズがない。半村は、稀代の暴君は、それを理解しているのだろうか。

外部との連絡を遮断されたこの施設内なればこそ、この専横も成り立っているのだ。それは砂上の楼閣よりも脆く、蜃気楼の街よりも儚い。


ひとたび情報が外に漏れれば、半村は救いがたい犯罪者として処罰されることぐらい、憂理にだって分かる。

――もしかして。


考えを巡らせていた憂理は、暴君の一言によって思索の世界から引き戻された。


「おい彼氏。土下座しに来たんなら、さっさと床にデコをすり付けろよ。俺は取り込み中なんだ。しばらく女っ気のない所に押し込められてたんでな。さっさとハイセツしたいんだわ」



土下座を急かす半村の目には、苛立ちが微かにうかがえる。

苛立ちは、現状において即暴力となる場合が多い。特に半村を相手にすればイコールと言っても過言ではない。


その不穏を察したか、あるいは主の意向に盲従しているだけか、憂理と共にナダレ込んできた見張り奴隷が背中を押して土下座を急かしてくる。

嫌な汗。粘性の強い汗が毛穴という毛穴から噴き出してくる。


「なぁ!?」


凄む半村の言葉を引き金にして、憂理はようやく口を開いた。


「……こんな事。長く続くワケない。アンタもしかして、ここに……立てこもるつもりか?」


憂理の考えた様々な推論や憶測。それが帰結する先は、この結論しか有り得なかった。

警察や社会にあらがい、多数の少年少女を人質に籠城する構え。

そうでなければ、この暴挙の説明がつかない。


あるいは半村が前後関係を意識できないほどの……タカユキの言を借りれば『愚か者』であるならば、この推論自体が虚しいモノであるが、これまでの彼の言葉をつぶさに拾えばそれほど短絡的な『愚か者』であるとも思いがたい。


「ははッ」半村が軽薄に笑った。


「立てこもり? お前らを人質に? お前は、まだ自分らに価値があると思ってんのか」


「価値?」


「そうだ価値だ。ハッキリいうけどな、お前らにゃあ価値なんて、ない。まったくのゼロだ。――なぁ、彼氏よ。お前らなんてそこいらの石ころと変わらんぞ。そんなゴミが人質とは、まったく自意識過剰も良いとこだ」


半村は機嫌よく笑うが、彼が笑えば笑うほど憂理の猜疑心は強くなる。コイツは、頭がどうかした狂人なのかも知れないぞ、と。


「まったく、お嬢といい彼氏といい、まったくウケるよ」


「俺はナル子の彼氏じゃない」


「そんな事はどうでもいい。まぁお前やお嬢は面白いから、もう少しだけ泳がせてやる」


そう言うと、半村は手のひらで『出ていけ』というジェスチャーを見せた。土下座を強要したと思えば、機嫌よく笑い、果てには飽きて出ていけという。

脈絡のない行動である。

だが、それが憂理の背中に更なる汗をにじませた。自由すぎる。あまりにも。


その振る舞いは自分たちが半村にとって、いかに取るに足らない存在であるかを象徴しているように思える。

こちらの感情や心情など、まったく意に介さず、ただ自らの望むままに命じ、屈服させ、専横を振るう。

憂理は見張り奴隷に両腕を掴まれながら、『虫』の事を考えていた。


アリやバッタ、トンボにカナブン。自分が昆虫たちの感情を存在しないものとして、オモチャにした幼い日。飛ばせ、歩かせ、閉じ込め、それにも飽きれば殺す。

今の自分が、昆虫たちに重なる。

半村にとって、憂理たちは昆虫のようなモノなのか。

それは『サル』よりは下で、『小石』よりは上という程度。


「モタモタするな!」


奴隷に小突かれ、無理やりに通路に投げ出された。憂理がバランスを崩し、通路の床に倒れると、背後で冷たくドアが閉まった。命拾いしたという安堵と、どうしようもない敗北感。

打ちのめされた憂理に、キチンと並んだ見張り奴隷の一人が言う。


「無駄なことすんなよ」


「……無駄?」


あまり面識はないが、名前だけは知っている。カネダとか何とか。


「無駄だ。どうせ、こんな事は長く続かないんだ。なら、流れに身を任せてりゃいい」


カネダは眼だけを憂理に向け、見下したように続けた。


「警察が来れば終わり。それまでこうして従ってりゃいい。どうせ俺たちは罪に問われない。これが一番賢い選択なんだ」


その言葉に並んだ奴隷たちの頭がいっせいに頷いた。


「そうだよ。事を荒立てるなよ」


「逆らわなけりゃ、誰も被害をくわないんだから」


「お前も大人しくしろ。迷惑だ」


寝所にいた奴隷たちも同じような事を言っていた。彼らの言わんとする事は理解できる。流れに逆らわず、暴力の傘の下で身を固め、一番安全な道を行く。今はそれが一番賢い選択なのだという。

しかし、憂理は思う。


――その先は?


もし、半村の暴虐がエスカレートしたら?

もし、従う奴隷にも攻撃的になったら?

もし、警察が来なかったら?


「お前ら」憂理はゆっくりと立ち上がった。「汚ねぇよ」

カネダの目を真っ直ぐに見つめる。


「自分じゃ何もしないで、勝ち組を気取んな。お前らはビビって逃げただけだろ。半村に従うのが賢い選択だと思うなら、とんだマヌケだよ、お前らは」


カネダは不愉快そうに憂理を睨み、右に左に奴隷仲間を見やり、やがて大袈裟に鼻をつまんだ。


「あぁ……クセぇ。こいつバカなうえにクセぇよ。たまんねぇ」


クスクスと、かすかな笑いが奴隷たちの間を行き来する。こんな事でしか対抗できないのか。むしろ憂理のほうが笑えて仕方がない。


「そのうち警察が来たとき……。全員が半村の奴隷じゃなかったら、どうするよ? 『脅されて、仕方なく』って泣いて見せるか? 全力で反抗した俺やナル子や、タカユキの前で」


確かに法律上は罪に問われない。これは緊急避難。カルネアデスの舟板と呼ばれる状況に近しい。


自らの生命を守るため、やむなく他者の生命を犠牲にする。たしかに、カガミの一件を例に挙げれば彼らに過失はなかろう。だが、彼ら奴隷たちには必ず舟板を掴むときが来る。目に見えるような、すぐ先の事だ。


それでも、被害者を気取れるのか?

自分から望んで『狂気』の舞台に上がったにも関わらず……。


もし施設に居る半数以上が半村に従わないまま、暴君に終幕のときがきたら?

従わなくとも、生き延びられたとしたら?

言葉少なく憂理がまとめると、奴隷たちの表情は静かに曇った。


「俺は言うよ。お前らは人殺しだって」


カネダはジトっとした視線を憂理に投げかけ、噛んでいた唇を上下の歯から解放した。


「……どうせ、みんな従う」


「言ったろ? 俺は絶対に折れない。俺だけじゃない。俺のダチも、きっとナル子だって半村には従わない」


カネダは忌々しさを表情ににじませ、眉間に深い谷を作った。しかし、すぐさま余裕のある表情を取り戻し、口角を歪める。


「死ぬぞ? お前」


「俺が?」


「反抗する奴ら……お前らが死ねば……。俺たちは完璧な被害者ってワケだ。俺たちが半村さまに、お前らバカな跳ねっ返りを殺すに充分な理由を告げれば万事安泰だ」


死人に口無し。これは明らかに脅迫であった。それも『虎の威を借る』たぐいの脅しである。思わず憂理は失笑した。


「冗談で言ってるなら笑えなくもない。でも本気で言ってるなら、知れたオツムだな」


「クソが、死ねよ、お前」


「汚い言葉を使うと、半村サマに怒られるぜ?」


半村に従う。それが現時点で比較的安全な選択肢であろうことは憂理も否定できない。

暴力から回避し、食事にもありつける。少なくとも憂理たちのような反抗する者がいる間は、手下のように重宝がられるのだろう。

だが、その選択を『賢い選択』だとは絶対に言わせない。

恐怖心から奴隷になった者。意志に乏しく流されて奴隷になった者。

あるいはジンロクのように苦渋の決断の末に奴隷になった者もいる。

憂理だって、その全てを否定する気はない。だが、『賢い選択』がゆえに殺人者の奴隷になった――などと明言する者の肩を持つ気にはサラサラなれない。

これは信念の問題だ。


「ウゼぇ、消えろよ」


カネダは言い争うエネルギーに枯渇したらしく、ただ丸いアゴで通路の先をさした。

――たった1日。


たった1日で、二つの勢力に二分されてしまった。

カネダに強気で対応してみたものの、奴隷が日を追うにつれ増加してゆくのは明白に思える。

憂理は倉庫のドア前から離れ、アテもなく歩き始めた。


鈍い動きで足を進めるが、それに反比例するかのように思考がフル回転している。半村がどうであれ、三日もすれば空腹に投降する者が続出するに違いない。

それまでに食糧の手配をし、脱走の段取りもつけねばならない。


半村が今後どのようにしたいのか、憂理にはまるで見当がつかないが、暴君が名君になる可能性は絶無といっていい。どう足掻いたって、ライオンは草食にはなれないのだ。

彼は殺人者で、もう引き返せない。それは本人が一番理解しているハズである。


後戻り出来ない一方通行の道を、暴力という名のアクセルを目一杯に踏み込んで疾走してゆくのみ。憂理は様々な可能性を思いつくかぎりに挙げてみた。


半村の暴走が帰結する先はいくつあるだろう?

思いつくいくつもの終幕。


そのなかの一つだけは、誰にも言えやしない。もし、問われても憂理は『気付いていない』フリをするだろう。有り得ない、とは言えない。

あってはならない可能性。


一方通行の果てにある無数の選択肢のなかで、一番選ばれて欲しくない終幕の脚本。それを選べば、誰が従順で、誰が反抗したかなど取るに足らない事実となる。いや、事実であった事すら意味を無くす。


憂理はひとり呟いた。


「……皆殺し」


証人も、目撃者も奴隷も反逆者も学長も、施設内にいる者、全て。目撃者を、一人の例外もなく。そうすれば、すべて無に帰する。




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