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13月の解放区  作者: まつかく
3章 夜明けなき朝に
24/125

3-4a 路乃後ナルの場合

路乃後菜瑠は気づいている。

世の中が決して美しいものではないと。


そして、『正しい』事が必ずしも正解ではないということ。


『みんなが間違っても、アナタは正しい道を行きなさい』


尊敬してやまない母は、いつもそう言っていた。

不正を見て、貴女が心に痛みを感じる時。苦しむ人を見て、貴女が心を砕く時。

泣き濡れる人を見て、貴女が共に涙を流すとき。お母さんはいつも貴女を誇りに思うでしょう。


そう言って聞かせる母は美しかった。世界の多くが間違っていても、母だけは正しい。そんなふうに菜瑠は思う。

いつしか母の教えが菜瑠自身の規範となり、その存在が性格形成に大きく影響した。いつか、母に誇ってもらえる娘になれるように、母のような女性になれるように。


だが正しいことを追い求めれば、貴族だの、姫様だの、そんな風にからかわれる。

なぜ、そんな目で見られているのか理解できない。

貴族どころか、お姫様どころか、自分は貧しい家庭に育ったのに。


壁の薄い長屋暮らし。

隣の生活音は全て聞こえた。こちらの生活音だってほとんど聞こえているに違いない。

夏は暑く、冬は寒く。


親戚に貰った服。

同じ服に見えないように、と母が繕い続けた服。新しい服がガサガサの手から生み出されるたび、魔法を目の当たりにした気分だった。


漬け物や、煮物ばかりの彩りに欠ける弁当だって、おいしい。

『菜瑠ちゃんの弁当、いつも同じだね』当時の親友にそう言われてからは、隠れるように食べた。

貧しい事が珍しい事のように後ろ指をさされ、廊下の遠くや放課後の教室から笑い声が聞こえた。


『ほら、アノ服って……前の……』


これは、新しい服だ。お母ちゃんの作った新しい服だ!

そんな反論できるワケがない。ただ、聞こえなかったフリをして、ひたすらに無視をした。

母が頑張っているのに、自分だけが負けるわけにはいかなかった。


長屋の斜め隣に住む中年女性に紹介され、この施設にやってきた。母は都市部に出稼ぎに出て、繁華街の飲食店にて住み込みで働くのだという。


それだけではあるまい。飲食店の仕事の他に、アルバイトやらパートやらをするのだろう。それが自分の大学進学資金のためだと菜瑠は知っている。


「母ちゃん……」


部屋の隅で膝を抱き、呟いては頬を膝に埋める。

母に会いたい。寂しい。

『正しくある』事が辛くなったり、不安になったりすると、いつも母を想う。


大学なんていいから、また二人で大っきいハンバーグ作りたいよ。大学受験なんて、まだまだ先の事じゃない。まだ高校受験だってしばらく先なのに。


頭が良い、勉強ができる。そう評されるのは嫌いではない。しかし、水面下で努力する自分を誰か知っていてくれるのだろうか? そう思うと少しやるせない気持ちになる。


まるで、『生まれつき』頭が良くて、『生まれつき』勉強が出来るかのように見られている気がするのだ。

自分は人知れず努力している。生まれつきなのは、尊敬する母の子であることと、貧しい出自だけ。

――でも、いつかは。


こうして、ひとしきり弱音を吐いたあと、菜瑠はいつも無理やり元気を出す。


――私は、路乃後菜瑠。


――路乃後孝子の娘。


優しく、美しく、気高い、尊敬すべき母の娘。

この施設に来てから、貧しさに引け目を感じることは無くなった。皆が同じ服を着て、同じ物を食べ、同じ部屋で眠る。


親友だってできた。

エイミとはこの施設を出ても友達でいたい。エイミなら、あの長屋にきっと遊びに来てくれる。

簡素な造りにエイミは笑うかも知れない。でも、きっと目の前で笑うだけで、陰で笑ったりはしない。きっと、ずっと、友達でいてくれる。

この施設、嫌いではない。


だから、間違いを正したい。

菜瑠は壁に預けていた背中をゆっくり離して、そっと立ち上がった。


――母ちゃん、私、頑張るから。

前髪を横に流して、母に貰った髪留めを直して、涙の跡をこすって、菜瑠が菜瑠に戻る。


かくして世界一貧しい貴族の娘は、いつもそうしているように資材倉庫室の冷たいドアをそっとくぐった。

毅然たる足取りで、強い意志を秘めた瞳を輝かせて、まっすぐに歩き出す。

美しく、あるために。



 * * *


目が覚めると、枕に違和感があった。憂理が眠りやすい位置に直そうと枕を掴むと、なんだか生暖かい。

見れば遼の足ではないか。これは酷い詐欺にはめ込まれた気分だ。


「なんだよ」


寝苦しいのもそのはずだ。ポッと出のくせにベッドのほとんどを占拠する遼は、メガネを外して死んだように眠っていた。

なぜ自分がこんな所で寝ていたのか、一瞬だけ混乱してしまうが、すぐさまに眠る前の出来事が思い出された。


全てが悪夢であれば良かったのだが、現実はそうではない。

左隣のベッドで横になっている学長や、翔吾の姿は夢の続きというわけでもなかろう。

見れば、右隣のベッドでは『ワガママ女医』がうつ伏せで眠っている。シャツがずれて肌があらわになり、寝相も穏やかなモノではない。さすがの女医殿も激務に疲れたとみえる。


憂理は大きくアクビをして、ぐるりと医務室内を見回すが、ジンロクやタカユキの姿はなかった。ゆっくりとベッドから足を下ろし、だらしなくも爪先だけを靴に入れて、壁掛け時計の見える位置まで歩いた。


――午後7時30分。


10時間近く眠っていたらしい。それでもまだ眠いのは蓄積した疲労のなせるわざだろうか。

スリッパのごとく靴底をすりながら、憂理は翔吾のベッドへ歩み寄った。

包帯だらけではあるが、布団が上下しているところを見ると、ちゃんと生きていてくれているらしい。


隣の学長も同様に包帯の隙間から呼吸を漏らしていた。安堵した憂理は大きく体を傾け、2、3セットのストレッチで体を伸ばす。


――よし、体が軽い。


殴られたり、走り回ったダメージは感じない。皆を起こしてしまわないよう、そっと靴の踵を正し、ほとんど無音でフロートドアから通路へ出た。


半村の『支配宣言』から10時間。なにか状況に変化はないのだろうか。

誰かを捕まえて、この10時間の出来事を聞いておきたいところであるが、あいにくと廊下には人影がなかった。


――まず、ケンタか。


はぐれてから、時計の短針が丸一周した計算になるが、ケンタは戻ってきているのだろうか。

小太りの少年が、施設内をさまよっている可能性、施設外の山中でさまよっている可能性。あるいは警察がこちらに向かって来ている可能性。

どの可能性が高いのか、憂理には見当もつかない。


だが、ケンタが腹をすかせている可能性はかなり高いだろう。憂理だってそうなのだから。

――いつもなら……夕飯の時間か。


嫌な予感がしないでもないが、憂理の足は食堂へ向かう。『はい、どうぞ』と食事が出るなら、嫌いな煮魚でもオカワリしてやろう。


食堂に近づくと、ようやく人の気配が感じられた。一人や二人ではない、大勢の気配だ。

皆が食堂に集まっているのか。まさか朝のまま時間が止まっているワケでもなかろうが。憂理が訝りながらも食堂のドアを開くと、食堂ないに点在していた眼が、全て憂理に向いた。


数えるまでもなく30名は下らない。

憂理が一番近くのテーブルに歩み寄ると、アツシが声をかけてきた。座った椅子をギシギシと斜めに傾け、横着なことこの上ない。


「ユーリ。飯はないよ」


予想の範疇はんちゅうを超えるものではない。憂理は驚きもせず、肩をすくめた。


「じゃあ、なんのための食堂だ?」


「くそったれのハンムラーズが飯を食うための食堂さ」


「ハンムラーズってなんだよ」


「俺がつけたの。半村奴隷たちはハンムラーズ。半村ルールはハンムラビ法典。使っていいぜ」


「ありがとう」


「使わないクセに」


なんとも飄々《ひょうひょう》とした奴だと思う。殺人があった事実を忘れたんじゃないかと不安になってしまう。


「アツシはハンムラーズじゃないのか?」


わかりきった憂理の質問に、アツシはニヤリと笑って腕に付けた腕章を指差した。


「残念ながら、ハンムラーズはネーミングがダサすぎるんでね。センスの良い俺は、遠慮させてもらってる」


「名付けたのはお前だろ」


呆れて憂理は腕章を見た。例の黒地に『T.E.O.T』と書かれたモノだ。


「ておっと……ってなんだ?」


「テオットはテオットだよ」


「そのマークは?」


「テオットのマークだよ。眼を模してる」


「なるほど。眼か。で、テオットってなんだ?」


アツシはため息をついたあと、指で近くに来るように指示した。憂理が意味もわからずに近づくと、アツシが小声で囁く。


「The Eyes of Truth。頭文字がTEOT。真実の眼って意味」


「真実の眼?」


いつか耳にしたような響きだった。最近、どこかで……。


「誰にも言うなよ?」


「そのTEOTが流行ってるのか? それってブランドか何か?」


「秘密、だよ」


「なんだよ下らねえ。そんな事よりハンムラーズは飯を食ったのか?」


「ああ、さっきな。俺たちの目の前で。さも美味そうに。少しも分け与えたりもせず」


「食えばいい」憂理は調理室を指差した。「あんな奴ら無視して食えばいい。調理室には食い物があるんだろ?」


調理室には大型冷蔵庫が数機あり、そこには真空パックに加工された保存食が大量に備蓄されていた。

なにも、不当な『おあずけ』を強要されて、それに従う必要はない。半村による『オシオキ』は恐ろしいが、要はバレなければいいのだ。


「調理室にゃあ入れないぜ。鍵がかかってる」


「鍵?」


憂理の記憶にある限り、調理室のドアに鍵など存在していなかった。ドアにある金具はノブだけで、錠前やサムターンなど無かったはずだ。

憂理の表情から察したのか、アツシも肩をすくめた。


「不思議だよな。前は鍵なんてなかったのに……。今も鍵らしきモノは見あたらねぇんだけど……でも鍵がかかってる」


「なんで……」


「わかんね。半村の奴、魔法かなにかが使えるんじゃね?」


超常現象を引き合いに出すほど、アツシにとっても不可解であるらしい。

それがどれほど荒唐無稽であっても。


「で……その半村とムラーズはどこに?」


「なんか、半村サマの寝所? を作るとかで、教室をリフォームしてるよ」


「アイツ、教室で寝るのか」


「『元』教室だな。机とか椅子とか、色々と運び出してたぜ。王のためにちゃかちゃか動く奴隷どもを見てると気分が悪いんで、ここでダベってんだ」


「なるほど」


ユキエが指揮して奴隷たちを動かしているのが想像できる。

憂理はアツシの肩をポンポンと叩き、言った。


「飯は……なんとかなるかも知れない」


「マジ?」


「ああ。ちょっと様子を見てくる」


踵を返して去ろうとする憂理の背中をアツシの懇願が後押しした。


「頼むよ、ユーリ!」



 *  *  *


廊下に出て教室方面へ向かうが、やはり人影はない。

半村に従った者は寝所構築の労働に従事し、そうでない者はいずこかに引きこもっているのだろう。


足早に進みながら、憂理の脳は全力で回転していた。地下から食糧を運び上げ、半村にバレないように供給するには……。

深夜に数人で食糧を運び上げる。それに付随するリスクは深川。運び上げた食糧を置いておく場所は……。バレないように全員に配布するには……。

仮に憂理が脱走するにしても、5日はもつぐらいの食糧は取り置きしておいてやりたい。一人につき二食か、三食か。


考えを巡らせながら歩いていると、ようやく教室前に辿り着いた。

教室の引き戸が全開にされ、机や椅子、学習用具などが奴隷たちの手によって次々に運び出されている。考えようによっては、上階の運動室を除けば生活棟で一番広い部屋だ。トイレも水場も食堂も近い。


「あっ、なんか臭くない?」


奴隷の誰かが言った。


「臭い臭い」


奴隷の女子たちが憂理を見てはクスクス笑う。


「うるせーよ。人殺しの仲間が」


憂理は不快感だけを表明して、彼女たちの横を通り抜けた。開いた入り口から教室内を見れば、かなり大規模に改装されていることがわかる。

パーティションによって新たに作られた壁。

その奥が寝所となるのか。ビロード地のカーテンが新たな入り口にかけられ、手前のスペースはソファーやテーブルがあることから、さながら謁見室といったところか。


「ユーリ」


呼ぶ声に教室の隅を見れば、そこにジンロクがいた。


「ロク……なにしてる」


「壁にある余計な物を外してる」


「そうじゃなくて!」


「余計なものを外したら、娯楽室からテレビを持ってきて配線をキレイに通す」


「そうじゃない! なんでここで働いてる!」


ジンロクは憂理を見て、床を見て、しばらくの間ののちにもう一度憂理を見た。


「言わせるな。わかってるから」


「わかってねぇよ!」


「わかってる」


「わかってねぇって! 半村は人殺しだぞ! なのに、なんで……」


「俺には!」ジンロクが大声をあげた。「弟と妹がいる! 俺が意地を張ることで、なんでアイツらがツラい思いをしなきゃならん! 親父が居ないときは俺が親父だ!」


返す言葉もなかった。わかるような気もするが、そうじゃない気もする。

咎める事が正義ならば、守ることも正義。

だが、あまりにも、あまりにも信じがたい。気勢をそがれた憂理に、奴隷女子数人が歩み寄り、ジンロクとの間に壁を作った。


「カッコつけるのは勝手だけど、反抗が格好いいと思ってるの、アンタだけだから」


「自分以外のために我慢できるジンロク君の方が、よっぽど格好いいし、男らしいわ」


いわれなき非難。憂理は首を振った。


「格好いいトカじゃなくて! 半村は人殺しなんだぞ!」


しかし女子たちの目は冷たい。


「私たちは自分の命を守ってるだけ。邪魔しないでよね。迷惑だわ」


「違う! 迷惑とかじゃ……」


「出てってよ! 怒られるじゃない!」


「そうよ、出てってよ。アンタ臭いから。悪臭が部屋に染み付いちゃう」


教室内に笑い声が溢れた。笑っていないのはジンロクだけ――そんな憂理の考えは、あっさり裏切られた。ジンロクも、笑っていた。心からの笑いではない。

頬が引きつり、周囲を気にしながら無理やりに笑っているのがわかる。それが余計にショックだった。


後退り、逃げるようにして教室前から去ると、憂理はアテもなく廊下を進んだ。

全てがおかしい。掛け違えたボタンのように、最後の最後まで気がつかないのか。


そんなハズはない。こんな状況を受け入れるほうがどうかしている。『生きよう』とする姿は美しいと聞く。だが、この有り様はなんだ。生きるために他者を貶め、正義を黙殺する。


憂理自身は決してヒューマニストではなかったし、どちらかと言えば自身を『冷めた』人間だと思っていた。だが、冷めた心を熱くする何かが皮膚の下を行き交っている。


自分には力がない。だが暴力に屈したとあっては『男』がすたる。

警察でも検察でも、執行人でも裁判官でもないが、半村は有罪だ。間違いなく、疑いなく。



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