2-8 大エレベーター
「こっちにくるッ!」
「はやく、隠れて!」
声を潜めたエイミの指示は、ほとんど悲鳴になっていた。
憂理は操作盤の前を素早く離れ、飛ぶようにして数メートル走ると、一番近くにあったコンテナの陰にそっと身を潜めた。コンテナビルの谷間、1メートルにも満たない隙間。その物陰に憂理、エイミ、遼が体を横にして滑り込ませる。
聴覚を不快に刺激する足音は、ますますテンポを速めすぐ近くまで迫っていた。
――ヤバい!
憂理がコンテナの陰からエレベーターの方をうかがうと、ケージから脱出した翔吾が憂理達とは別方向のコンテナへと逃げ込むところが見えた。
しかし、ケンタが蛇腹格子の隙間でもがいている。
服が引っかかったのか、あるいは体か。
「ケンタ! 早く! こっち!」
憂理は声を殺して叫ぶが、その声はケンタまで届かない。ちょうどケンタの右半身が格子から抜けた瞬間、同時に足音も止まった。
憂理がケンタから通路の方へ視線を移すと――。もがく太った少年のすぐ近くに、誰かが立っていた。
回転するパトランプの赤色光を浴び、仁王立ちでケンタを見つめる人物。それは女だ。
胸まである髪をスダレのように垂らし、片手には枯れ木のように折れ曲がった棒。
どうやらそれは鉄パイプらしい。
――深川!
授業をしていた頃の面影は微塵にも残っていない。乱れ髪が脂でしっとりと光り、乱れた呼吸にゆっくり肩を上下させ、ただ覇気無く立ちすくんでいた。
格子の隙間から抜け出せないケンタが、ようやく深川の存在に気付き、彼女を見やる。
深川が懐中電灯をケンタに向けないせいで、2人の表情は読めない。時折廻ってくるパトランプの赤が、不吉に一瞬を切り取るだけだ。
「……が、地下を……ウロついてた生徒。アンタが……ろした」
深川が何かを言ったが、憂理が聞き取れたのはコレだけだった。刹那、深川が動いた。手にしていた懐中電灯を床に落とし、両手に握った鉄パイプを大きく振りかぶり、頭より高い位置に持ち上げた。
憂理は全身から汗が噴き出すのを感じた。
その汗が冷えてしまうより早く、深川が身動きの取れないケンタに鉄パイプを振り下ろした。
空気を切り裂いた鉄パイプは、パトランプの赤に微かな残像だけを残し、ケンタの肩に直撃する。重く、鈍い音。
凄まじい悲鳴がケンタから発せられ、その痛みの数パーセントが悲鳴を聞くもの全てに分配された。
一撃の勢いとともに鉄パイプはケンタと格子の隙間に挟まり、遠目に見ればまるでケンタに刺さっているかのように見えた。
深川は蛇腹格子と太った少年との隙間に挟まれた鉄パイプを、酷く緩慢な動きで抜き去り、再び上段に構えた。
あんなものがもし頭部を捉えれば、恐怖と苦痛に歪むケンタの表情ごと弾け飛ぶに違いない。熟れたザクロのごとく、破裂し、飛び散り……。
――マジかよ!
ケンタの危機に憂理が物陰から救いに向かおうとした瞬間、別のコンテナから凄い勢いで人影が飛び出した。
まるで黒い風のようになった翔吾。例によって猫科のしなやかな動き。
翔吾はほぼ全力疾走で深川に急接近し、勢いを殺さないまま中年女に跳び蹴りを見舞った。
スカウトマンが見ていたなら、猫科の少年は欧州のフットボールクラブへ有無を言わせず連れ去られたであろう。不意を突かれた深川は翔吾の強烈な一撃を腰に受け、派手に転倒した。
手にしていた鉄パイプが冷たい音を立ててコンクリートに転がってゆく。翔吾は素早くケンタに向かい、引っ張り出そうと手を伸ばした。
しかし、深川の一撃で肩を壊されたケンタは引っ張られるたび悲鳴を上げる。腕を引っ引かれれば激痛が走るらしい。
一瞬の出来事に体を凍結させていた憂理が、ハッとして助けに向かおうとした瞬間、翔吾がケージ内へケンタを無理やりに押し込んだ。
そうして叫ぶ。
「閉めろ!」
一方的な指示を出して翔吾が深川へと向き直った。だが遅い。深川はすでに鉄パイプを拾い上げている。
「ショーゴ!」エイミが大声で叫んだ。
憂理は袖を握るエイミの手を引きはがし、怯える少女と、眼鏡の少年に囁いた。
「お前らは、ここにいろ! ヤバくなったら俺らを捨てて逃げろ! いいな!」
そうして、全身をバネのように跳ねさせ、憂理は物陰から飛び出した。
翔吾を呼んだエイミの声。その叫声に深川が反応し、狂乱の中年女が、憂理たちのいる方向へと顔を向けた。どこか動物的な動き。
バサバサに乱れた髪の隙間から、敵意を滲ませた二つの目がのぞく。
まるで別人のようになった深川が、突進してくる憂理に反応し、奇声をあげて武器を横なぎに振った。折れ曲がった凶悪な鉄棒により、美しい弧が描かれ空気が切れる。
自分でも驚くぐらいの俊敏さで姿勢を低めたおかげで、憂理はその一閃から免れた。が、皮一枚でかすった頭部から衝撃が首まで伝わる。
直撃していれば、ザクロ破裂だったろう。
痛みなど捨て置き、憂理は夢中で深川にタックルを敢行した。
痩せた深川の腰はぶつかってくる肉弾の威力に耐えきれず、そのまま床に倒れる。勢いに任せて馬乗りになった憂理は、素早く深川の手首を握り締め、鉄パイプを引き剥がそうと渾身の力で締め上げた。
汗と脂が混じり合ってはぬめり、思うように掴めない。その刹那、ガシャン、と響いた金属的な音とともに、パトランプが消灯する。
突然に訪れた闇。
ケージ近くの床に転がっていた懐中電灯が、締め切られた蛇腹格子を照らす。
翔吾が閉めたのか、ケンタが閉めたのか、あるいは二人で閉めたのか。蛇腹格子は完全に締め切られている。
ケージ内に閉じ込められたケンタが、右肩をかばいながら操作盤の前にヨタヨタと移動するのが見えた。
「動かせ! 逃げろ!」
会話など成立しない。
――今は逃げることが……。
憂理の一瞬の思考は痛みによって遮られた。痛みに遅れて、呼吸が。憂理に組み敷かれた深川が、下から憂理の首を絞めてくる。
暗闇で表情はわからない。だがきっと恐ろしい形相に違いない。爪を立て、物凄い力だ。もし首がガラスで出来ていたなら、はかなく砕け散ったところだろう。
憂理は閉塞の隙間に小さく呼吸をして、それこそ闇雲に固めた拳を振り下ろした。
どこかには当たる。闇のなかにあっては、拳がどこに命中したのかわからない。
深川の苦痛が声となって憂理に届いた。当たった。だが、顔面ではない。
渾身の力で再び拳を振り下ろす。
直撃の感触。
自分の拳が深川の歯に当たり、裂けるような痛みが拳を焼く。痛みを無視し、憂理は闇中に狙いを定め深川の顔面へと何度も拳を振り下ろした。
一撃、また一撃。攻撃のたびに首を絞めてくる力が弱まるのを感じる。
『シャッターロックを確認しました』
電子音声が憂理の動きを止める。ぶつ切り気味で発音もおかしい女性の声。見れば、操作盤の前にいたケンタがデタラメにボタンを押しているではないか。
――動く、のか!
偶然か、必然か。そんなことはこの際どうでもいい。
一番シンプルな理由が、たぶん一番正しい。――蛇腹が開いていた、だから操作を受け付けなかった。
これが正解ならば、思考節約であるオッカムの剃刀という原理は正しい。ボタン操作を受け付けたエレベーターは、即座に動き始めた。
うねるような駆動音が区画の闇全体に響き渡り、ケンタを乗せたケージがゆっくりと上昇してゆく。
すると、ケージを照らしていた懐中電灯が、突如として憂理を照らした。視界の全てが白に染まり、目がくらむ。
翔吾が懐中電灯を拾い上げたのだ。
光はすぐ憂理の側までやってきて、憂理の下でぐったりする深川を照らした。動きを止めた深川の顔面には様々な色があった。
青や紫、そして赤。折れてはいないだろうが、鼻血の量が尋常ではない。
「死んだ……のか」
翔吾が尋ねてくる。
「いや……」
馬乗りになっていると、呼吸により胸郭が動くのがわかる。死んではいない。憂理はゆっくりと膝を立てて馬乗りから立ち上がると、自らの傷を検分した。
締められた首は腫れ上がっており、触ると痛む……が出血はしていない。
鉄パイプがかすった頭は、指先で触れるとぬめる。ここは出血しているようだ。しかし治療より先にケンタを追わないと。憂理と同じことを翔吾も考えたらしく、懐中電灯がエレベーターの操作盤を照らした。
稼動中に呼び戻すのは可能なのであろうか。可能であったとして、どのような手順で……。
つぎの一瞬フワリ、頬に風を感じた。ささやかな空気の移動だ。
すぐさま危険を感じて憂理は本能的な動きで身を低めた。
――後ろ!
憂理に遅れて気付いた翔吾。彼のライトが背後に向いた時には、手遅れだった。
憂理は見た。
音もなく立ち上がっていた深川が、上段に構えた鉄パイプを翔吾に振り下ろした瞬間を。反射的に頭を庇った翔吾の腕。
ほとんど十字架を作るような形で交差した腕と鉄パイプ。
衝撃を吸収しながら翔吾の腕はグイと下がり、握られた翔吾の拳は制御を失って花のように開いた。影絵の花だ。頭部への直撃は避けられたが、腕には――。
翔吾は絶叫し、右腕を抱きかかえるようにして崩れ落ちた。
深川は――荒れた大地に渾身のクワを入れる農民がごとくゆっくりと大上段に鉄パイプを再度構えた。ただでさえ頼りない懐中電灯の光が、床に転がっては見当違いの場所を照らし、深川の表情は見えない。
憂理は無意識に汚い言葉を口走って、翔吾を庇うために、動いた。
しかし、遅い。
高い位置から直下してきた鉄の棒は、まるで磁石が引き合うかのごとく、うずくまる翔吾の背中を打った。
一秒がその数倍にも感じられる。流れが滞ったような時間のなかで、憂理は拳を握り深川の顔面に狙いを定めた。
爪が突き刺さるほど強く、固く拳を握り、凶悪な中年女の顎を粉砕する決意で殴りかかる。身長差の不利は否めない。
今、急速に成長できればどれだけいいか。
深川の頭部は高い位置にあり、打撃の効果が薄れるかも知れない。
五分五分の体格でなくてもいい。ただ翔吾を救うに充分な威力を生み出すほど、体が成長していますように――。
頭ひとつ違う深川に、憂理は下から突き上げるようにして殴りかかった。
深川の顎骨と憂理の拳骨が触れ合い、少年の放った全身全霊の一撃が中年女の骨格に伝わってゆく。その衝撃は充分ではなかったかも知れない。だが、角度は正解だった。
下方向からアゴを打ち抜かれた深川が、大きくバランスを崩したのだ。
骨を伝わった衝撃が脳を揺らし、破壊には至らないが少なくとも深刻な脳震盪の誘因となった。
脳からの指令が断たれ、自らの体重を支えきれなくなった深川は、軟体動物がごとく体を歪めて後方へと倒れた。
拳に残る痛み。だがそんなものを気にしていられる状況ではない。
ほとんど呪詛のような咆哮を上げる深川から遠ざかり、憂理は床に転がった懐中電灯を拾い上げた。そして亀のような格好でうずくまる翔吾へと足早に近づき、負傷の程度を素早く検分する。
抱かれている右手は、折れているに違いない。
背中に受けた一撃はどうか。憂理が翔吾のそばに片膝を立てて様子をうかがうと、翔吾は急性の喘息に陥ったかのように苦しそうに呼吸をついでいた。
丸まった猫科を照らす光、憂理の方を見もせず翔吾は強く目を閉じたまま言葉を吐いた。
「いてぇ、いてぇよ、ユーリ。アイツ、アイツ、ヤバいじゃんか、普通じゃねぇよ、本気だ、あのババア。いまのうちにヤってくれ、いまのうちに!」
脂汗を床に落としながら猫科の少年はそんな事を懇願する。
――まさか、殺せというのか。
まごついた憂理が呆然として翔吾を見つめると、亀の状態で体を揺らしてさらに翔吾が呟く。
「見たろ、アイツ普通じゃねぇ。殺られるトコだった、死ぬトコだった。ヤらなきゃヤられる、ヤらなきゃ……」
翔吾は脂汗に顔中を光らせながら必死で痛みに耐えている。
――殺らなきゃ、殺られる。
そんな、あまりにも暴力的な理屈。シンプルで直情的で、原始的、根源的で最終的でもある。
だが、正しく思われた。
それが妥当で、それが正解だと。そう納得せざるを得ないこわばった空気があった。
そして憂理は恐怖した。
『殺される』という状況。さらには『殺さなきゃならない』という状況。自分はいつの間にか、誰かと命のやりとりをせねばならない一線を越えていたのか。
数日前までは『生きている』という実感に乏しかった憂理だが、本人に自覚がないまま今こうしてどうしょうもない岐路に立たされている。
こうなると、死に対面する……正対することが『生』なのではないかと思えてくる。
深川は三半規管の失調から抜け出せず床面に這いつくばったままだ。転がり、のたうち回る様は、憂理の恐怖心を更に煽った。
殺すなら、今しかない。そうして自分は生きるのだ。
憂理は目を閉じた。
――でも。
目を閉じて、ぬるい空気を静かに吸い込んだ。
――誤解されている。
それだけは確信していた。
深川は娘を、痩せ女を殺したのが自分たちだと思い込んでいる。それは誤解。救いがたい誤解。
「深川センセー……」憂理は中年女を見据えて言った。
「閉じ込められてた女の子を殺したのは……俺たちじゃない。こんなこと、こんな……無意味だ」
これで状況が劇的に変化するなどとは思わない。ただ、誤解の上に成り立った無意味な殺意を少しでも解消できればいい。
深川の嗚咽はピタリとやんだ。
返答に時があった。
深川の息づかいと、翔吾の唸り。その音だけが混ざり合って暗中にあった。
「ヌルイことやってんじゃねぇ! コイツは狂ってる! 頭がいかれてんだ! さっさとッ……! 今のうちに!」
感情的な翔吾の非難が憂理の心を焼く。
しかし、どれだけ尻を蹴られようと、憂理は深川を殺害する気になどなれない。
深川だって被害者で、このままでは被害者同士が食い合う……負の連鎖でしかない。
憂理は懐中電灯を強く握り、床面を舐めるようして光線を進ませ、離れた場所にいる深川を照らした。仰向けに倒れた深川は両肘をコンクリートに押しつけ、ほとんど無理矢理に半身を起こそうとしていた。まるで出来損ないの腹筋運動だ。
膝が痙攣気味に震えており、依然として脳機能が失調をきたしている事がうかがえる。乱れ、スダレのように顔面を覆い隠す黒髪の隙間から、カッと見開かれた二つの眼が光を直視してくる。
スダレ髪を吹き動かして、深川が叫んだ。
「だからってどうすればいい!? 後戻りなんて出来ない! こぼれた水は二度と元には戻らないの! 誰かがやった! 誰かが殺した! だから誰かを殺してやる!」
その声に冷静はなく、向かうべき方向を見失った激情と憤怒、怨念と邪気が滲んでいる。純然たる悪意がそこにあった。
「あの子は、こんな所で死ぬ運命じゃなかった! 誰かが摂理をねじ曲げた! 殺してやるんだ!」
圧倒され、憂理が言葉に窮していると、深川がニイと唇をゆがめた。
「どうせ、みんな死ぬんだ。どうせ、みんな死ぬしかないんだ。罪人も聖者も、クズもゴミも同じように死ぬんだ! アンタらも殺してやる! どうせもう、この世界はおしまいだ!」
人の命は終わりあるもの。
だが、そうであっても、その時を深川が決める権利はない。これは完全に常軌を逸している。深川自身、確信犯的に無実の翔吾やケンタを襲ったのか。
それは狂気と言うよりほかなく、完全に『一線』を超えた行動原理に思われた。
しかし、どれほど深川が危険因子であっても、憂理は加害者にも被害者にもなりたくはなかった。だからこそ、今なすべき事のビジョンは明確だ。
逃げる――加害者も被害者も増やさないために。
エレベーターはまだ稼働しているらしく、戻ってくるまで悠長に待っている時間はない。ケンタの身が気がかりではあったが、ケンタには自分の判断で行動してもらうしかない。
深川がまだ起き上がれない事を確認すると、憂理はコンテナの陰に戻り、怯えた表情のエイミと、眼鏡を曇らせた遼に小さな声で手短に指示を出した。
「……生活棟に戻る。エイミと遼は深川の目につかないように、戻ってくれ」
深川の前に姿を晒すリスクを理解した二人は無言でコンテナ通路の奥へと進んでいった。そうして翔吾の元へ戻った憂理は、翔吾の腕を肩に回し、無理矢理に抱き起こした。
微かな振動にも激痛が走るらしく、翔吾は脂汗を滝のようにな流し、ときおり罵倒や悲鳴を口から漏らした。
折れた腕に添え木でも当てるべきなのだろうが、今はそんな余裕はない。
憂理は翔吾を伴って大区画の出口へと向かった。
絶え間ない翔吾の汗で二人の着衣はじっとりと湿り、憂理が握っている懐中電灯もぬめる。
翔吾に負担をかけないよう気遣いながら大区画を進んでゆくと、深川から離れた場所でエイミと遼が合流してきた。
「大丈夫!? 翔吾、大丈夫なの!?」
エイミの声に翔吾は反応しない。普段見せる強がりも軽口も翔吾からは消えている。
憂理は手にしていた懐中電灯を遼に手渡し、ただ痛みに耐え、浅い呼吸を繰り返す翔吾をなるべくに早く歩かせる。
「ショーゴ、ごめんな」
憂理は言葉短くそれだけ言った。いかに深川が自分たちに殺意を持っていようが『殺す』などどうしてできよう。
自分は間違った事はしていないという自負が憂理にはあったが、その一方で翔吾への不義理を働いたような心残りがあった。
「……逃げるなら、さ……。絶対に逃げ切れよ。判断の正しさ、証明しろ、よ」
脂汗に濡れたアヒル口がそれだけ返した。重くのしかかる責任感に、憂理の中が熱くなる。
――証明するさ。
グレーチングの階段を半ばぐらいまで昇ると、憂理は不安からエレベーターのある方向へ視線を戻した。不穏な闇の奥に懐中電灯の光線が見える。深川はまだ倒れているらしい。
ケンタはどうなったのだろうか。外部へと続く最上部へケージは着いただろうか。
もしかしたら、と憂理は希望を繋ぐ。
ケンタが単身で脱出し、警察へ駆け込んでくれれば……。
地図に目を通していなかったケンタのことだ。街へたどり着くのに時間はかかるかも知れない。
しかし、たどり着いてさえくれれば、今日、明日中には警察官がこの施設へと……。
異常。その単語ひとつが現状の全てを現していた。
ようやくの事でグレーチング階段を上がりきり、再度深川のいる闇へと憂理は視線を向けた。そこでは懐中電灯が動いていた。夜光虫のごとく暗闇の中をうごめき、こちらへ向かって来ているのがわかる。
「急げ!」
緑光の通路へと戻り、できる限りの速さで逆戻りだ。
脂汗に光るのは翔吾だけではない。遼やエイミ、憂理だって奇妙な汗に濡れていた。