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13月の解放区  作者: まつかく
2章 獣性の解放区
15/125

2-4 再起動

明らかに普段と違う寝心地だった。

まるで生まれたての雲の中で眠っているような安らぎ――。


しかし、憂理の浅い眠りを鈍痛が邪魔する。後頭部からアゴにかけて内部に染みこんでくるような痛みだ。そっと目を開き、一瞬軽い混乱をきたした。

ここは自分のベッドではない。そうしてすぐに気がつく。

――医務室か。


白いカーテンにベッドの四方を囲まれている。どうやら、自分は意識を失って医務室に運び込まれたらしいぞ、と。憂理は痛みを感じながら半身を起こし、カーテンをそっとめくった。

医務室の端に設けられた椅子には菜瑠が一人で座っていた。


――やべぇ、またナル子かよ。


手にかけたカーテンをそっと戻し、憂理は頭を触ったりアゴを動かしたりしてみる。側頭部が腫れてタンコブが出来ているが、たいした怪我ではない。もう一度カーテンをめくり、菜瑠を確認する。

白い顔を青ざめさせた少女は、唇を噛んで床を見据えていた。時折まばたきをするぐらいで彫像のようにほとんど動かない。


「おい、ナル子」


隙間から憂理が呼ぶと、白面の少女はビクリと身体を動かし、きょろきょろと周囲を見回す。数秒の後、菜瑠はようやくカーテンの隙間に気がつくと呆けた顔で椅子から立ち上がった。

そうして足早にベッドへと歩み寄ってくる。


きょとんとして憂理が菜瑠を観察するが、いつものキツイ表情はない。むしろ叱られている子供のような面持ちだ。


「……大丈夫?」


「たぶん」


「良かった……」


どうにも、やりづらい。継ぐ言葉が見つからない憂理は、いつもより高圧的に接することにした。自分は菜瑠の危機を救ったわけで、おおげさに言えば命の恩人なのだ。


「半村は?」


「知らない」


「お前は……まったく火に油を注ぎやがって」


憂理は生徒を(さと)す教師のように続けた。


「あのな、ああいったタイプは暴力にチューチョがないんだよ。カガミを殴るのだって見ただろう。一瞬の戸惑いもなかった。アイツは本当に俺たちを猿か何かだと思ってやがる。……そう言うところに注意しなきゃ、お前こんな時代を生き残っていけないぜ?」


菜瑠がいつものように反論しないので、余計にやりにくい。

――半村。あれは何者だろう。


突然にやってきて、あの暴虐。整然たる秩序を(むね)とする学長あたりと相容れる人柄のようには思えないが……。

それに、この施設は『学校の真似事』はしているが、実際の学校ではない。そんな場所に新任教師など……。

逡巡する憂理に菜瑠が問いかけてくる。


「なんで、助けたの?」


「そりゃあ、お前。俺が男だからだ」


「男は危険に飛び込むの?」


「そうさ、男だからな。だいたい女に手を上げるのはクズだって言うじゃないか。そう言うのは何としても阻止せんといかんわけよ、男として」


「ユーリは男だから勇気があるの?」


「そうさ、俺だけじゃない。翔吾も立ち向かってたろう? それはアイツも仁義をおもんじる男だからだ。男として俺のピンチを見過ごさないワケ。美学とかだいたいそんな感じ」


結果、男は二人して無様な姿をさらしたが……。気分は悪くない。

自分や翔吾は正しいことをして、男の道を貫いたのだ。これが美学というモノだ。


「んで、翔吾は? まだ授業中か?」


「授業はあのあと中止になったよ。みんな凄く混乱して……。翔吾はしらない」


これは思わぬラッキーだった。痛い思いをしたが、授業がエスケープ出来た上に十分な睡眠をとることができたのだ。しかし、喜ぶと同時にちょっとした不安がわき上がる。


「いまは……何時だ?」


菜瑠は開きかけのカーテンを一気にスライドさせた。圧迫感のあるコンクリートの壁には時計がかけられている。


「午後の6時」


一瞬耳を疑い、目で見てもう一度絶句する。


――6時だって!?

予想以上に長い時間を無駄にしてしまった。脱走に向けての段取りがまるで出来ていないのに、だ。驚愕する憂理に菜瑠が首を傾ける。


「罰なら……憂理は今日だけ免除だよ。でも今日だけ」


喜んで良いのか、よくわからない。時間拘束が無くなったのは喜ばしいことであるが、いまそれどころじゃない。


「そか、じゃあ俺は行くよ」


憂理は勢いよくベッドから飛び降りて、足に浮遊感を感じたまま外を目指した。そうして引き戸の前で立ち止まり、こちらに視線を向けたままの菜瑠に釘を刺した。


「ナル子、いいな。あの半村って奴はヤバい。あんな奴の言うこと気にすんなよ。言い返せばガツン、だ」


菜瑠は目を伏せて、小さく頷いた。


通路にでてみれば生徒たちが行き交い、慌ただしい喧噪けんそうがあった。

全ての壁からは貼り紙がはがされており、一見するといつもの日常に思われる。

だがその日常は、どこか不穏な雰囲気を内包していた。


『貼り紙』や『半村』の影響があることは明白だ。

口々に囁かれる噂や流言。異口同音とはこのことである。ほとんどの会話に『地下』や『半村』という要素が含まれている。


――合流しないと。


脱走の目星がついていないのは憂理だけで、翔吾たちはすでに違う計画に着手しているかも知れない。憂理はようやくの事で洗濯室へたどり着き、ドアを開いた。

だが誰もいない。


体育室へ行けば、少なくとも罰掃除に従事するケンタには会えるかも知れないが、カガミあたりに『免除』を咎められるのも気分が悪い。行く宛てを失った足で、憂理は通路をさまよった。


機動力の高い翔吾か、あるいは蝶のごとく花から花へのエイミに会えれば……。しかし、行き交う人波には見つからず、とうとう寝所へと戻ってしまった。

横になって対策でも、と憂理は薄暗いベッドルームに足を踏み入れる。


寝所は通路の喧騒とうって変わって静かなものだ。ドアを閉めると別世界に思える。

憂理が自分のベッドへ向かおうとすると、かすかな人の気配がする。薄闇に目をこらしてみれば、ノボルのベッドが膨らんでいた。


「おいノボル」


歩み寄り、布団の膨らみを揺らすと、ノボルの頭が布団からヒョイと出た。


「翔吾たちを知らないか?」


ノボルは無言で首を振る。眠いからベッドに入っているワケでは無さそうだ。その証拠に、目がギラギラしている。

「なんだ。まだ調子わるいのか? なんか、話す気にならないのか?」


ノボルはじっと憂理を見つめ、やがて布団に頭を引っ込めた。

自分の殻に閉じこもる、とはよく言うが、ノボルにとって布団が殻の役割を果たすらしい。


「そうだノボル。俺たち、今夜……脱走するかも知れない」


殻のなかの少年から反応はない。


「お前も来るか?」


返答をしばらく待つと、布団の中から例のダミ声が返ってきた。


「ハンムラ」


「半村? あの暴力教師か?」


「あいつ。地下に、いた」


猫にザラついた舌で背中を舐められたような悪寒。


「あいつ……地下から来たのか?」


「見た」


「もしかして……『大人』って」


憂理の問いかけにノボルは反応を返さなかった。ただ布団をかぶり込み、じっとしている。これ以上の問答を諦め、憂理は布団をポンポンと軽く二度叩いた。

刹那、寝所のドアが開かれ、通路の光とともに快活な声が入り込んできた。

エイミだ。


「ユーリ、いたね! アンタ何してんのよ!」


「みんなを捜してた」


「アタシも探してんの! みんなバラバラじゃない」


快活な少女は足早に憂理の元にやってきて、腕を掴んでは通路へと引っ張った。

大事な話があるのにみんなバラバラで捕まらない、などと腹立たしげに文句を呟き、どんどん通路を進んでゆく。


「段取りはどうなんだ?」


「それを話すのよ。なんでアンタたちはフリーダムに行動したがるの? 誰が何やってるかまるでわかんないわ! 危機感とかそういうのがないの!?」


連れて行かれた先は、やはり洗濯室。憂理たちの作戦本部である。エイミはドアを開放し、抵抗しない捕虜を中に押し込んだ。

そうして憂理の鼻先に人差し指を向けて、通路から念を押してくる。


「いいね! 全員集めるから、ここを動くんじゃないよ!」


「わかった、でも俺も……」


憂理の言葉を最後まで待たず、ドアはパタリと閉じられた。やれやれ、と洗濯室の奥へ行き、憂理は洗濯機に腰を乗せる。

精神的な落ち込み、失調からエイミは回復したように見える。

だがそれはどこか虚勢を張っているだけのようにも思われた。


『脱走』という大イベントに没頭することで、不安を拭い去ろうとしているのかも知れない。

彼女の心情はともかく、エイミが頑張ってくれるのは憂理としても歓迎すべき事だった。


今頃は生活棟のそこかしらで『いたね!』が繰り返されているのだろう。人捜しなり情報収集なり、エイミは探偵に向いているのではないか。

もっともゴシップ好きの探偵とあっては、クライアントもいつ情報が漏洩するかと眠れぬ日々だろうが――。


憂理は大きく深呼吸をし、空いた時間で推理を深めることにした。

知り得た情報の断片を全体の流れに当てはめてみる。まず、ノボルの言が正しければ、半村は地下からやって来た。

少なくともノボルはつまらない嘘をつくタイプではなく、この証言は信用していい。


だとすれば、痩せ女の死と半村の出現は何らかの関係があると考えるのが妥当に思われる。あの暴力的傾向からすれば、半村が痩せ女を殺したとしても素直に頷けるし、さして意外でもない。

となれば半村と繋がっている学長もその事実、痩せ女を殺めた罪を知っているのではないか。


その限りなくグレーに染まった半村をなぜ学長が生活棟に招き入れたのか……。

拙い積み木遊びのようなもの。仮定に仮定を重ね、そのたびに論理は脆弱になってゆく。


想像の域を脱せない推理に、胃のあたりがムカムカした。

こうして深く考察する経験に乏しく、憂理の思考はロクにまとまらない。


ここ2、3日で『考える力』が飛躍的についたような気はするが、それに比例して疲労の蓄積も感じる。考えるということは、かくも面倒なことか。

――よし。ボーっとするぜ、俺は。


憂理は心を決めると、疲れも考察も投げ出して、ぽかんと開けた口を天井に向けた。

――何も考えない。何も考えない。


しばらくの後、自身が『何も考えない』と意識的に考えている事に気付くと、憂理は更に何も考えないよう努力する。

ぼんやりと天井を眺め、意識をコンクリートと同化させてゆく。

まどろみに似た無我の境地に近づくにつれ、森羅万象との一体化を感じる。


「ユーリ、なぁってばユーリ」


不意に呼ぶ声。だが呼びかけに応えるのは杜倉憂理ではない。杜倉憂理という名の宇宙だ。


「なんだね」


「おい……お前大丈夫かよ」


目を丸くした翔吾が視界に飛び込むと、内なる宇宙や森羅万象は見る影もなく四散した。


「あれ、ん、なにが?」


「半村に殴られて、頭のどっかがチャレンジブルになったのか?」


真剣で、心配そうな翔吾。


「なに言ってんだよ。大丈夫だ」


「大丈夫じゃねーって! おまえ今の顔、マジヤバかったぞ! ガンギマリの顔だ! 医務室に戻れよ。学長にみてもらえ」


「大丈夫だって。ちょっと宇宙を感じてたんだ。宇宙のカイビャクと森羅万象、杜倉憂理はそれらと共にあってだな」


「お前、宇宙って……」


泣きそうな顔で訴えかける翔吾を、憂理は素早い言葉で遮った。


「で、翔吾もエーミに連れて来られたのか?」


「……ああ」

聞けば、翔吾はエレベーターの鍵を入手せんと、憂理が前後不覚に陥って以来半日、学長に張り付いていたらしい。

だが学長は半村とともに執務室に閉じこもりきりで、張り込みの成果はゼロだったという。


「遼は?」


「わかんね」


「ケンタは?」


「しらね」


これでは、エイミが腹を立てるのも頷ける。スタンドプレーにもホドがある。それに成果はゼロ。自分が監督なら、こんなフォワードにはベンチを温める仕事をあたえる。


「今晩、脱走だって言うのに……」

憂理の溜め息が終わる前に、突如としてドアが開いた。


「いーわね! ここを動くんじゃないわよ!」


「あ、ああ。でも……」


「いいねッ!」


エイミが遼の鼻先に人差し指を向け、駄目押しの威圧を見せた。

そうして、乱暴にドアは閉ざされる。


「よう、リョー」


「あっ、ユーリ。怪我大丈夫なの?」


「大丈夫、大丈夫。直撃はまぬがれてる。ほぼダメージ無し」


なんだか、横顔に感じる翔吾の視線が痛い。どうにも疑いの眼差しに感じられる。脳の損傷を態度で否定しようと、憂理は落ち着いた声色を出した。


「リョーは何してんだ?」


「蔵書室で地図を見てた」


「地図?」


「施設の外の地図だよ。どう行けば街にたどり着くか調べてたんだ」


「わかったのか?」


「大体は頭に入れたケド……」


珍しく遼はイタズラっぽく笑い、ポケットに手を入れた。そして折り畳まれた紙を取り出す。どうやら、破られた紙片らしい。


「憂理のやり方にならって、『借りて』きたよ」


ヒューと翔吾が口笛を鳴らし、満面の笑みを見せた。


「やるね、ボーイ。ルール無用だねぇ」


「やるようになったね、ボーイ。アウトローだねぇ」


翔吾と憂理にからかわれながら、遼は照れくさそうに破った地図をポケットに戻した。そこで再びドアが開かれた。オンナ名探偵の登場だ。


「全員いるわね!」


ケンタを連行してきたエイミが、厳しい視線を全員に配る。


「いるよ」


「いる」


少年たちが口々に点呼を返すと、エイミは満足げにため息を吐き、閉めたドアに背中を預けた。


「ホント、手を焼かせてくれるわ」


「ガキ扱いすんなよ」


そうだよ、だの、ちゃんとやってる、だのを口々に抗議するが、エイミはそれを振り払うようにして憂理を指差した。

真っ直ぐに伸ばされた腕、細い指。


「ユーリ」


「なんだよ」


「アンタ、医務室を出てから何してた?」


「みんなを探して、うろついてた」


「でも見つからず、そうそうに諦めて、寝ようとしたね!」


誤解だ、と反駁する隙もなくエイミの指はケンタに向かう。


「ケンタ。アンタは何してた?」


「罰掃除だよ」


「菜瑠の監視がないから、みんなでゴロゴロして……。体で床を拭いてたの? リョー!」


「うん。僕はちゃんと脱走に向けて、蔵書室で地図を……」


「あら、アタシが行った時には『エルマーの冒険』を読んでなかった? 探してたのは宝の地図かしら? ショーゴ!」


「んだよ」


「極めつけはアンタよ」


「俺はエレベーターの鍵のために学長の監視だよ。大変な仕事だ」


「学長は娯楽室には居なかったわ。ましてやテレビアニメの中にもね!」


糾弾された翔吾は、一瞬バツが悪そうに顔をしかめ、わざとらしく言った。


「あれ? じゃあアレは人違い?」


てっきりルピン三世を追いかけてるのが学長だと……。上手い言い逃れではない。


「アンタたちはバラけてると、ホント無秩序だわね」


「ちょっと待てよ」


憂理は返礼とばかりにエイミを指差した。


「エーミは何かやったのかよ」


しかし、彼女に動揺はない。むしろ胸を張り、どこか誇らしげに微笑むのだ。

待ってました、と言わんばかりに。


「アンタたちがフラフラしてる間に、色んな情報を掴んだわ」


エイミは憂理たちの輪を割って、洗濯機へと歩み寄ると、軽やかに腰を載せる。そうして、足を組み、腕を組み、深呼吸をひとつした。


「大階段、中央エレベーターのほかに、脱出口があったわ」


少年たちはエイミの言葉に目を丸くした。互いの表情に驚きが浮いているのを確認しあった後、全ての視線はエイミに戻される。


「アタシの読み通り、やっぱり、サイジョーは脱走の算段をしてたみたいね」


エイミは深い光を宿した瞳で続けた。

なぜ彼が脱走を企てたのかはわからないけれど、少なくとも自分たちと同様、あるいはそれ以上の動機付けがあって孤独に脱走を計画していた。

彼は、自分たちと同様に一番シンプルな解答として大階段や、中央エレベーターに着眼した。


「なぁエーミ。なんでそこまでわかるんだ?」


翔吾が訝しげにエイミの説明に割り込んだ。しかしそれには憂理が解答する。


「イツキ……だろ?」


サイジョーが好意を寄せていたという女子。


「ビンゴ。ちゃんと覚えてるじゃん。偉いねユーリ」


エイミは組んでいた腕を太ももの両脇に下ろし、身を乗り出した。順に、聞き入る少年たちへと視線を配り、続ける。


「なんか、イツキちゃんにはかなり綿密に知り得たことを伝えてたみたい」


だが、イツキ自身はサイジョーに信を置いておらず、彼の言葉のすべてを冗談の類と軽視し、聞き流していたという。その際にサイジョーの口から語られた話の内容は、今の憂理たちにとって笑えないモノであった。

それが冗談話などではなく、紛れもない事実であるとわかるからだ。


コンクリートで封鎖された大階段。『ヒト』が住む広大な地下階。

どこからか聞こえる『女』の叫び……。


「サイジョーの話を、イツキちゃんが覚えている限り聞き出したんだけど、その中にひとつ、気になる事があってさ」


真剣そのものの表情でエイミは続ける。


「サイジョーが言ってたらしいんだよ。地下に大きなエレベーターがあるって」


「中央エレベーター?」

口を挟んだ憂理に、エイミはゆっくり首を振る。


「違うの。なんでも車一台はゆうに入りそうな……。業務用って言うのかな」


ドアが左右に開くタイプではなく、上下に開く大型のケージであるらしい。ケージの内壁が柵、ないし網になっていると聞けば、その無骨さを憂理も想像する事ができた。


「その大型エレベーターから……外に出られるのか?」


たぶんね、とエイミは言葉を濁し断言を避けた。

サイジョーが外部へ脱出したというのなら、そこを置いて他にないが、それはサイジョー本人しか知り得ない。

翔吾の視線が、鋭くエイミに向かう。


「場所は?」


「エーミちゃんに任せなさいって」


調子よく少女は応じ、ポケットから何やら紙片を取り出した。

折り畳まれた葉書サイズの紙。それは開かれるたび倍々に大きくなり、やがて一枚の図面になった。地下の構造図だ。

大きな図面を洗濯機の上に広げ、エイミが全員を見回した。


「地図を写してる時にさ、意味が分からない場所があって……無視したのよね」


スッとエイミの指が紙面の一区画を指した。

そこには大きな正方形がひとつあり、対角線に引かれた直線がバツ印を描いていた。図面に描かれた他の部屋と比較しても、その広さは群を抜いている。


「部屋……にしてはデカいな」


憂理が呟くとエイミも意見を同じに頷く。


「でしょ。体育室の倍はあるわ」


エイミが大四角の四隅を指で数周なぞり、やがて大四角に寄り添う小さな四角に指先を止めた。

『小さな』と言っても、それでようやく普通の部屋ぐらいの大きさではあるが――。


「こっちの小さな四角もバツ印がしてあるんだけど。ここが怪しいわ」


この小さな四角こそが、エレベーターなのではないか。


「追加の工事だったのかもね」遼は図面を真っ直ぐに見下ろして、大四角を指差した。


「小さな四角が何かしらの『物流エレベーター』で、この大四角が倉庫かも。……エレベーターの大きさから考えれば、駐車場にだってできそうだけど」


「そればっかりは行ってみないとわからないわ。どうせ他に脱出のアテもないし、時間を無駄にしてるぐらいなら、行ってみるべきだと思う」


「何もしないよりかは、だな」


「じゃあ、就寝時間を……」


憂理は言葉を繰りながら、段取りを素早く考える。

地下の鍵を翔吾が……。と、その瞬間、何気に泳がせていた視線、視界のどこかに妙な違和感を感じた。


なにか、表現しがたい違和感。見慣れた洗濯室の風景が……なにか。

どこか……いつもと違うような。

違和感の原因を探して、憂理が部屋中に視線を配ると、『誰か』と視線がぶつかった。


――『誰か』


ドアの隙間から、じっとこちらをうかがう、『誰か』刹那、その『誰か』はスッと身を引き、ドアが音もなく閉まる。


「翔吾ッ!」憂理は叫んだ。同時にドアへと駆け寄る。「マズい! 誰かが盗み聞きしてたぞ!」


素早くドアを開き、憂理が通路へ出ると、何者かが数メートル先を逃走している。盗聴者は背中を見せ、凄まじい速さで遠ざかってゆく。


反射とも言うべき無意識で、憂理はその背を追いかけた。刹那、憂理の横をすり抜けた黒い人影が猛スピードで逃走者に迫り、体を投げ出すようなタックルを見せた。


「翔吾ッ! そのまま部屋に!」


指示など不必要だ。

翔吾は素早くタックルから体勢を立て直すと、逃走者の首を腕で固定し、洗濯室へと引きずり戻そうとした。

追いついた憂理は逃走者の口を手で覆い、さらに遼とケンタが足を持ち上げ、一気に洗濯室へと引きずり込んだ。


エイミが素早く通路を見回し、目撃者がいないことを確認すると重いドアを閉じる複数の手から逃れようとする盗聴者を押さえつけながら、憂理は奥歯を鳴らす。

――よりによってッ……!

敵意むき出しの眼が憂理を睨み、顔の中央にシワをよせては肉食獣のように暴れる。


地雷なら、踏まなきゃいい。いつか翔吾がそんな事を言っていた。――だが、踏んでしまったら?


盗聴者と視線をかち合わせながら、憂理はこの後の展望に不安を禁じ得ずにいた。

――よりによって……。


よりによって、ガクだ。



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