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13月の解放区  作者: まつかく
2章 獣性の解放区
14/125

2-3 暴君の誕生

起床時刻の到来とともに通路には生徒たちが溢れ出てくる。


洗面所へ向かうもの、トイレへ向かうもの。それぞれがそれぞれに眠そうにまぶたを上下させている。

そうして、一人、また一人と違和感を感じた者から足を止め、壁に貼られた紙に目を向ける。


『人殺しがこの施設にいる。学長に気をつけろ』


『地下で監禁され、殺された女子がいる』


『地下は倉庫じゃない』


『用心しろ。次に死ぬのはお前だ』


どよめきが通路からベッドまで届く。

我ながら派手にやったモノだ。いささか煽動的ではあったが、それだけに高い効果が得られそうだ。憂理がゆっくりと起き出して通路に出てみると、貼り紙から貼り紙へと人だかりが点々と続いている。


「こっちには違うことが書いてある!」

興奮気味の生徒が、別の貼り紙を指差しては叫ぶ。

数十枚の紙に、別々の文句。これはエイミのアイデアであったが、なかなかどうして生徒たちの好奇心を存分に刺激しているらしい。


「成功、だな」


背後からの声に振り向くと、翔吾が真剣な表情で廊下の騒ぎを見つめていた。誰が貼りだしたかわからない、ある種のミステリーが否が応にも熱狂を煽っている。

これは憂理たちにとってマイナスではない。混乱すればするほど、『秩序』は失われるのだ。『秩序』が失われれば、脱走の段取りも人知れずできよう。


「おい。ユーリ、ショーゴ。これは、なんの騒ぎなんだ?」


唐突な質問に、憂理が声の方を見やるとジンロクがぼんやりと人だかりを眺めていた。


「さあね」憂理は白々しくも肩をすくめる。「よくわからない。なぁ翔吾?」


「ああ、ガクが死んだとか?」


ジンロクは右を見て、左を見て、少し間を空けてから首をかしげた。


「ん。まぁ、それなら大歓迎だ」


洗面所へ行ってもトイレへ寄っても、人がいる所では『地下』の話でもちきりだ。当然、教室も例外ではない。

地下へ行った経験が知られている生活委員は、にわかに人気者になる。菜瑠も机の周囲を女子囲まれ、困惑している様子だ。様々な質問を浴びせかけられ、同じ返答のループで応じている。


――エレベーターでちょこっと行っただけだから……。


――わからないわ。


それでも菜瑠に食らいつく女子達を見て、なんとなく菜瑠に申し訳なく思う。学長付き添いの元での物資搬入だ。見られてはマズいモノを生活委員たちに見せるはずがない。

とはいえ、何も知らない者からすれば、生活委員が一番真相に近いと考えるのも道理。仕方がないことだ。


「なんだか、悲惨だね」遼が憂理に耳打ちしてくる。


「ナル子がか?」


「それもそうだけど、ほら、あんなに菜瑠が囲まれてるのに、ガクには誰も近寄らない。同じ生活委員なのに」


そんなに嫌われてるのかな、とノンキなことを言う。


「面倒だからな」


「面倒だからだよ」


憂理とケンタが腕を組んで頷き合うと、遼も納得したようだった。「面倒なのか」

横耳にかする会話を聞くだけでも、噂が噂を呼んでいるのがわかる。

当然、消えたサイジョーの件も掘り返され、有ること無いこと有耶無耶だ。


真剣に話す者、面白半分に尾ひれを付ける者。ただ黙って頷く者もいれば、興味なさげにアクビをしている者もいる。

そんな光景を漫然と憂理が眺めていると、エイミがグループからグループへ小回りをきかせている。


話を広めているのか、あるいは情報を収集しているのかは判然としないが、たぶんその両方なのだろうと憂理は思う。混乱と興奮が渦を巻いている教室内をぐるりと見回すが、翔吾の姿がない。

憂理は横にいる二人に訊ねた。


「翔吾は?」


「さぁ?」


「見てない」


脱走の段取りで走り回っているのだろうか。どうにも機動力の高い奴だ。


「もうすぐ、授業が始まるんじゃ……」


何気なしに壁掛け時計へ目をやると、すでに授業の開始時刻を過ぎていた。興奮している児童たちが気付かないのはともかく、学長と深川はどうしたのか。


「なぁ、始まってるじゃないか」


憂理の言葉に、ケンタはホクホクの笑みを漏らす。


「ホントだ。ラッキーだね。授業が短くなる。やったね」


なんとも緊張感のない奴だ。憂理は呆れて、遼に視線を送った。

「十五分も過ぎてるね……。たぶん、貼り紙を回収してるんじゃないかな」


「じゃあさ、じゃあさ、これから毎朝貼り紙しようよ」


「馬鹿言うなよ。俺たちは明日の今頃には脱走して警察にいる予定だ。授業とかどうでも良い」


――脱走できれば。

ケンタの脳天気と対照的に、憂理の胸中には常に緊張感があった。

夜までに脱走の糸口を見つけねばならない。それは、努力で何とかなるという類のものではなく、多分に『運』の要素も絡むはずだ。


数名の児童が『大人の遅刻』に気付くと、教室の騒ぎは熱を増す。たかだか数分の遅れではあるが、それが『噂』を裏付ける一つの要素のように思われるのだ。


「……ぜったいそうだって」


「おかしいもん……」


「ホントなんだ……」


学長や深川への疑念が決定的になり始めた頃、ようやくエイミが三人のところへやってきた。


「エレベータは駄目っぽいわ」


三者三様の『どうして』の声に、エイミは目を閉じて首を振った。


「気軽には動かさないみたいで、鍵を学長が持ち歩いてるみたい……。そりゃあ、地上へ直通だもんね」


「奪えばいい」


きっと、翔吾ならこう言う。いささか乱暴な発想であるが、シンプルではある。憂理の発言にエイミはため息を吐いた。


「アンタね、翔吾じゃあるまいし……」


憂理に翔吾、ケンタに遼。それにエイミやノボルという総出で学長を襲撃すれば、あるいは奪えるかもしれない。だが、学長が持ち歩いていなかった場合は……。

やはり自分は翔吾にはなれない。考えては足を止めてしまう。憂理は別の方法に解決を求めた。


「他は?」


「『他』が本題なのよ。おもしろい情報があって……」


エイミが一呼吸を置いた瞬間、教室の引き戸が開かれた。

露骨に不機嫌そうな学長が、乱痴気騒ぎ気味の教室を一瞥して、教壇へ歩み寄った。


「静かに。席につきなさい」


ザラつくような緊張が走り、全ての視線が学長に向けられる。


「席につきなさい」


他の生徒たちが順に席へと戻ると、憂理たちもそれにならった。ガタガタ、バタバタと椅子が引かれ、秩序が取り戻されてゆく。

音が途絶える間際、翔吾が後方の入り口から駆け込んできて、椅子に腰を落とした。

滑り込みセーフというやつだ。


「全員、揃いましたね」


誰も返事はしない。

騙されないぞ、と疑念の色をありありと浮かべ、生徒たちは学長の一挙手一投足を見つめている。


「朝から騒ぎがありましたが……。貼り紙の件は詳しく調べて夕食の時に話をします」


微かなざわめきが教室内を右から左へ。囁くような悪態や、暴言が憂理の耳に触れた。学長は生徒の反応を無視するように言葉を継ぐ。


「急な話ですが、今日から新しい先生に来ていただきます。今日は深川先生が体調不良でお休みなので、新しい先生に勉強を見てもらいましょう」


予想もしていない事態だった。新任教師が来るなど初耳である。憂理が動揺するのと同じく、ざわめきは困惑の色を含んで、一層大きくなった。


「半村先生、どうぞ」


学長の招きに従って、入り口から一人の男が現れた。若い男だ。

憂理には20代とか10代だのの年齢区分はわからない。ただ青年という表現がしっくり来るようにも思える。


確実に言えるのは、学長よりは年下で、学長よりは体格がよく、学長より視線が鋭いということだけだ。

半村は広い歩幅で教壇までやって来ると、頭も下げずに言った。


「半村です。よろしく」


それだけだ。

新任の教師としては短すぎる挨拶であったが、児童たちは混沌とした精神状態にあり、質問したりヤジを飛ばしたりはしない。

ただ顔を見合わせるばかりだ。

むしろ、自らでアクションを取るよりも流れに身をゆだね事の成り行きを眺めていたい……少なくとも憂理はそうであった。


このタイミングで新任教師というのは、あまりにもキナ臭い。なにかしら裏があるんじゃないかと、ついつい勘ぐってしまうが、あながち邪推というわけでもないだろう。


「じゃあ半村君、あとはよろしく」


学長は半村の肩に手を乗せてそう言うと、児童たちの視線を浴びながら足早に教室を出て行った。

そうして学長が去ると、視線は否応なく半村に集中する。

半村は指導要領らしき冊子をパラパラとめくり、しばらくの後にそれを閉じた。そうして興味なさげに冊子を教壇に置く。


「自習だ」


半分の生徒は何が起こっているのかわからず呆けている。もう半分の生徒は目を開き、口を閉じ、ただ半村の動向をうかがっていた。


「言ったろう。自習だ」


そう指示されたところで、どうすれば良いのかわからない。普段とは違う、明らかに不穏な空気に憂理は周囲の様子を見回した。

二人、三人ずつで耳打ちし合っている者。意味もわからず、無為にノートを開く者。

翔吾は机に伏せる形で、組んだ腕にアゴを乗せじっとしている。

ケンタは眠いのか半開きの瞳で地蔵のように固まっている。


この状況が何を意味するのか憂理にはよくわからないが、今自分は自分に出来ることをするべきだ、と流れに身を任せることにした。


――よし寝よう。

自習なら自習で、睡眠学習というわけだ。ちょうど睡眠時間も足りておらず、連日の地下調査のおかげで疲労も蓄積している。

憂理が机に伏せようとした刹那、誰かの声があがった。


「自習なんて意味ないからさ、自由時間にしてくれない? ココにいても退屈なだけだし」


言いたいことを言う奴が居る。見れば、カガミが気怠そうに手を上げていた。


反射的に上がったザワメキは、おおむねカガミの提言を支持しているようで、『そうだよ』だの『そうしてよ』だの、匿名の声がほうぼうから沸き上がった。

いけ好かない奴ではあるが、欲望に忠実であることはこの際好ましい。

教室から解放されれば好き勝手に動き回れるのだ。

今夜の脱走に向けて十分な睡眠も取れるだろう。


カガミが挙げた手を下げると、半村は足早に反逆児の元に歩み寄った。

目の前まできた半村をカガミが座ったまま見上げるが、世論の支持を受けたせいか、その表情は自信に満ちている。さぁ、さっさと解放しろよ、とでも言いたげだ。


次の瞬間、大きくスイングされた半村の拳が、反逆児の横顔を直撃した。

頭部への衝撃に抗えないままカガミは首を妙な方向へ向け吹き飛んだ。


肉弾となって飛んだカガミの身体は、他児童の机をも巻き込んで派手に着地する。机や椅子、他児童までもが床に転がった。


ざわめきは一瞬で消し飛び、女子の悲鳴が教室内の空気を一変させた。

――な、殴りやがった!


半村はじっと倒れたカガミを見下ろし、やがて背を向ける。そうして教壇へ戻りながら誰に言うでもなく話し始めた。


「お前らは、猿だ」


不安や恐怖、混乱。そういった様々な色を宿した視線が、半村に向けられる。


「お前らは、ロクに躾もされず、自意識ばかり肥大した猿。あるいは豚だ」


メシを食って、奇声を上げて、欲望に忠実で、それでいて責任感は希薄。自分の背後には大人がいて、何かあってもケツを拭いてくれる。何があっても大丈夫。大人が何とかしてくれる。

そんな甘ったれた安心感に育った猿だ。

半村は教壇に両手をつくと、威嚇いかくするように全体を睥睨へいげいする。


「勉強なんてしたくないか? 社会に出ても役にたたんか? 大人の押しつけか?」


そう思うのは、お前らがどうしょうもない猿で、とんでもないマヌケだからだ。

いいか、社会に『出る』のに勉強が必要なんだ。


基礎学力もない猿を誰が雇いたい? どうせ会社に雇われても今と同じ、『休みたい』『サボりたい』お前らは間違いなくそうなる。猿以下の生産性を持った消費人類だ。

社会に害をなすゴミだ。


それでも勉強したくないなら、それでいいさ。だがな、それはお前らが、自身を猿だと言うことを自認した事に他ならない。


「俺は、動物愛護主義者じゃないんでね。猿に対しての寛容さは持ち合わせていない。猿が俺の授業を邪魔するなら、痛めつけて黙らせるだけだ」


これは酷い暴論である。社会の『ある一面』はとらえているように思われるが、観念や偏見に凝り固まった思想だと言えた。

しかし憂理をはじめ、他の生徒たちには反論することはできない。


このような価値観に触れたことはいままでなかったし、だいいち反論すれば『猿』の烙印(らくいん)を押されてしまうかも知れないではないか。

だからといって、授業を放棄した教師に全否定されるのは気分の良いものではない。


カガミが半身を起こして咳き込むと、教室内にはますます緊張が走った。ちらりと半村の視線がカガミに向いた瞬間、生徒の一人が起立した。


「体罰は許されません!」


突如として隣席から通る声、立ち上がった菜瑠が毅然とした態度で抗議する。正義を信じる瞳には強い光があったが、震える唇には恐怖があった。

半村は立ちすくむ菜瑠を下から上に眺めると、スッと教壇を離れた。


仏頂面に感情は読めず、半村が菜瑠に一歩、また一歩と近づくたび、嫌が応にも緊張が高まった。

――ああ、ちくしょう。ナル子、面倒な奴。


憂理が手に汗を握っていると、半村は菜瑠の正面に立ち、ボブヘアーの少女に問いただした。

「体罰と言ったか?」


菜瑠は軽く下唇を噛み、非難の眼差しを半村に向けている。


「体罰と言ったか?」

もう一度、半村が訊いた。


「……アナタのやったことは体罰です!」


――ああ、ナル子。勘弁してくれ。


半村が左腕を振り上げた。

ほんの一瞬のはず、だが憂理にはそれが途轍もなくスローに見えた。


半村の指が、その一本一本が、集まり、凶悪な固まりを形成してゆく。

十分なスイングが出来る位置で静止した拳が、美しい弧を描いて菜瑠の白面へと飛んでゆく。


マジかよだの、クソだの、汚い言葉が言葉にならないまま憂理の脳内を飛び交い、反射的に椅子から腰が上がる。

――隣席でなければ……。

などと愚痴に近しい考えが刹那によぎり、消える。


跳ねるようにして半村と菜瑠の間に割り込んだ時には、凶悪きわまりない拳が憂理の眼前まで迫っていた。

後悔。

これがケンタの拳ならば、易々とかわせるものを……。


側頭部への激しい衝撃。憂理はピンボールのごとく弾き飛ばされ、周囲の机を巻き込んで床に倒れた。

遅れてやってくる痛みに意識は朦朧とする。

出来ることなら、格好良く立ち上がりたい。素早く、ダメージを感じさせないタフさで……。


しかし、立ち上がろうと手足を動かしたところで力が入らない。全身が自分ではない誰かのモノになったかのような浮遊感。

もがいても、ひっくり返された亀のように無様に足掻くだけだ。


――ああ、畜生。


憂理の無力感はシンとした教室の空気と自然な化学変化を起こし、恥辱感へとかわる。情けなくて、恥ずかしくて、なんだか泣きたい気分にまでなる。

憂理が定まらない視線をようやく半村へ戻すと、翔吾がはね飛ばされる瞬間が見えた。菜瑠を中心として集まった女子たちが、半村に何か抗議している。


言葉も声も、意思表示もなく、憂理の意識は白霧に飲まれていった。



 * * *




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