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13月の解放区  作者: まつかく
2章 獣性の解放区
13/125

2-2 地上へ向かって


無我夢中で通路を駆け抜け、ドアをくぐり、また走る。視覚を満たす緑光、それは明瞭な思考を混濁(こんだく)させ、現実感を失わせる。

走っても、走っても終わりがないように続き、はたと気がつけばまた元の場所に戻っているのではあるまいか。


階上へのドアを開き、鍵をかける。封印だ。心もとない、取るに足らない封印。憂理たちは階段を駆け上がり、生活棟に戻りついた。一団はり所となる安全地帯、洗濯室へとなだれ込む。

優先的にエイミをパイプ椅子に座らせ、他のものは洗濯機や地面に倒れ込んだ。

乱れた呼吸が会話の余裕を奪い、落ち着きを取り戻すに今しばらくの時間が必要となった。


「鍵を、かけてくれ」


憂理が言うと、ドア近くでへばっている遼がおぼつかない動作で鍵を回した。空気が喉を通り抜ける音が、静かなコンクリートの部屋を満たしている。

もっと耳を澄ませば、まばたきの音だって聞こえるのではないか。

早々と体力の回復した翔吾が、大きく息を吐くと、ちょこんと洗濯機に腰を乗せた。


「……これから、どうする?」


翔吾の眼は、完全に次を見据えている眼だ。『どうやって、脱走する?』と言い換えた方が適切でるのではないか。

「エイミ、ケンタ。聞いてくれ」


憂理はかみしめるように、先ほど地下で翔吾や遼と交わした話を繰り返した。通報するには脱走せねばならず、脱走するならば少しでも早いほうがいい。

エイミは、憂理の言葉に目を伏せたまま呟いた。精神的な落ち込みからは回復していないようだ。


「……通報。……脱走。あたしも?」


「抜け出したら、ココには戻らないから、判断は自分でな」


憂理は一人一人の表情をうかがい、無言の多数決を見極めた。

翔吾、ケンタ、遼は目にギラギラした光がある。彼らは何としても脱走するつもりだろう。

だが、エイミの瞳には困惑の色がある。


「こんな事になるなんて、思ってなかった。……でも、人が死んだんだよね? 誰かが殺したんだよね?」


「ああ」


「アタシも……行きたい」


エイミはうわ言のように唇を動かした。何一つ本当のことがわからないけど、殺人があったのは事実。

学長が犯人であるなら、いや誰が犯人であろうと、みなに危険が迫っているならば、自分だって成すべきことがある。

エイミはそんなことを言う。


「決まり、だなユーリ」


「決まり、だ」


憂理は目一杯、タフな男を演じた。内心は不安で仕方なかったが、怯えていたところで事態はなんら好転しないのだ。

「出よう」


緊張の面持ちが抜けきらない遼や、ケンタも頷いた。


「お出かけだ」


全員の意見が統一されると、あとは行動に移すだけだ。一般に知られている外へ通じる場所は、大階段と中央エレベーターである。

手っ取り早いのは、当然エレベーターであろうが、普段はコントロールパネルが施錠されており稼働していない。


地下から物資を引き上げる際には稼働していたが、生活委員でもない憂理が、エレベーターを利用する機会はなかった。

施設にやってきた、その日を除いて。ならば、選択肢はひとつ。


「大階段か」


現在、自分たちがどれぐらい地下にいるのか憂理は知らない。

この生活棟が地下二階なら、運動室のある上階が地下一階であり、大階段を登ればすぐに外界へ脱出できるはずだ。

仮にそうじゃなくとも、上へ上へと進めば、いずれは地上である。


「ノボルが、バリケードがどうこう言ってたな」


翔吾が言うと、ケンタが補足する。


「うん。行けないって。机が積んであるって」


「机か」ノボルの言葉は憂理も覚えている。「机ぐらいなら、どかせばいい」


「じゃあ行こう」遼が腕時計に視線を落とす。「もう午前3時だ」

久々に、日の出を拝めるかも知れない。



洗濯室を出て、大階段へ向かう道中、ケンタが緊張感なく言った。「警察ってさ、施設の近くにあったっけ?」


「バっカ。警察とコンビニはドコにでもあるだろ」


「でも、ここ山の上だよ」


――たしかに。


憂理は、この施設にやって来た日を思い出す。ぐねぐねと山肌を舐めるような道を、車に乗せられて1時間は走った。

徒歩でその道を遡るとして、どれぐらいの時間がかかるのだろう。


「なんとかなる」


なるべく、考えないようにするしかない。大階段につくと、一団は上を目指した。一歩、また一歩と踏み込むたびに、地上が近づく。生活棟フロアから、運動室のあるフロアから更に上へ。


小さな非常灯の明かりを手がかりに、階段を登る。

どうやら、生活棟は『地下2階』程度ではないらしい。と憂理は考えを正した。運動棟からすでに、4階ぶんは登ってきている。

運動棟を過ぎてからは、各階に入り口などはなく、フロアは存在しないらしい。


膝から太ももにかけて疲労が蓄積したころ、ようやく階段の行き止まりに突き当たった。ノボルの言っていたバリケードだ。


階段の斜面に、間断なく机や椅子が積み上げられている。これではネズミぐらいしか通れまい。憂理は折れそうな心を無理やり奮起して、言った。


「よし。机を動かすぞ」


「これ、全部?」


「通れるだけでいい。俺と翔吾で机を動かす」


「うし。ケンタと遼は、抜いた机を脇にでも積んでくれ。危ないから、エイミは離れて休んでな。これは男の仕事だ」


「やろう」


役割が決まると、みんな黙々と働いた。積まれた机を憂理と翔吾が二人がかりで崩し、後方へ送る。

後方ではケンタと遼が整然とそれらを積み上げた。

そんな重労働を何度か繰り返すうちに、体が熱をおび、汗で手のひらがぬめる。


「なんで、こんなに」


バリケードの構築は高く、深く、執拗とも言える。それでも確実に作業をこなし、少しずつ通路を確保してゆく……。

握る手が痺れ、呼吸が荒くなった頃、作業は目的を達した。


机のバリケードに一筋の通路ができたのだ。しかし、憂理や翔吾は憮然と、ケンタやエイミは愕然として、その結果を見つめた。


バリケードの先には、壁しか無かったのだ。

淡い希望、甘い予測を完全に打ち砕く、灰色のコンクリートが、通路を塞いでいた。

これは最初から、設計段階から存在した壁ではあるまい。階段の途中で突然壁になるのだ。こんな設計が当初からなされていたとは考えがたい。

施工の杜撰(ずさん)さから、それが素人による仕事であることもうかがえる。


ここは通さないぞ。――そんなバリケート作成者の意志が、塗り込められたコンクリートから滲んでいるように思える。


「駄目だな……」


翔吾のつぶやきに疲労の色がある。

当然だ。睡眠も休息もまるで足りないまま、今日一日走り回ったのだ。それは翔吾だけではなく、全員に言える事だ。ケンタも遼も、エイミだって心身ともに『ボロボロ』であろう。

憂理は段差に腰を下ろした。


「他に……探さないと」


悲観的な空気が5人の間を行き来した。数少ない選択肢の一つが、完全に失われたのだ。


「朝まで3時間だね。それまでに何か……なんとか……出来ればいいんだけど」


遼が時計を見下ろしながらため息を吐いた。本人も八方塞がりであることを充分に理解しているのだろう。その声に活力はない。

逃げ出せないならば、朝までに執務室に鍵を戻さなければならない。

それは、敗北宣言だ。

そういえば、と憂理は何の気なしに問うた。


「エレベーターの鍵は? 執務室にあるのか?」


翔吾に視線を送るが、猫科の少年は肩をすくめばかりだ。


「知らね。鍵の形すらわかんねぇよ」


遼も、ケンタも同じく肩をすくめたが、エイミだけは違う。じっと考え込み、言葉を繋ぐ。


「1ヶ月に2回はエレベーターを動かすよね。菜瑠は生活委員だから……荷物の積みおろしを手伝ってると思う……。だったら、知ってるんじゃ」


今の時間、間違いなく眠っているであろう菜瑠を叩き起こし、情報を引き出すべきか。

その議論には前提があり、その前提ですら意見の相違がみられた。そもそも、『菜瑠が協力してくれるかどうか』である。


憂理や翔吾、ケンタは菜瑠が『脱走』に手を貸してくれるなどとは到底思えなかったし、むしろ障害になるとまで考える。

一方のエイミや遼は、事情を話せば分かってくれる。協力してくれると言う。

だが、どうだろう。

全ての事情を菜瑠に伝え、彼女が『いつものように』自分たちを信用してくれなければどうなる。菜瑠はすぐさま学長に密告し、自分たちはあらぬ罪や、犯した罪の清算を迫られるのではないか。


これは、ある種の博打であろう。

方向性も定まらぬまま、一団が無為に言葉を交わしていると、不意に階下から物音が聞こえた。憂理がドキリとして言葉を切ったのと同じく、全員が口をつぐみ、会話はパタリと止まった。


そして視線の通らぬ階下へ、聴覚を集中する。

――足音。

「誰か……起きてる」


床面と靴が軽快にぶつかり合い、一定のリズムを聞かせる。


「上がって、くる、のか!?」


声や、息までも潜めじっと様子をうかがう。

学長や深川が起き出してくるには早すぎ、他児童たちの夜更かしにしては遅すぎた。足音はコンクリートに反響して、近づいているのか遠ざかっているのか判らない。


憂理の額に浮き出した汗が、前髪を不快に捕らえる。唇から吸い込む空気が舌先を乾かし、歯の裏側がザラザラした。

緊張のまま身体を固めていると、やがて足音は止まる。


足音の反響が闇に飲み込まれ、シンと静まった空間。まるで時間が滞ったかのような、奇妙な感覚がある。

皆が神妙な面持ちでただ息を潜めていると、ようやく次の音が鼓膜に届いた。

ガシャ、ガシャと乱暴にノブを回す音。


――地下か。


一瞬の安堵。しかしそれを打ち消す不安が憂理の心を揺さぶる。鍵は翔吾が持っているのだ。足音が学長ならば、鍵が無くなっていることに気づいているはず……。

憂理の不安を遼が後押しした。

「鍵が……」


回りもしないノブを回す音が、突然に一変した。鉄扉を叩く音が、乱暴にドン、ドンと重い響きを聞かせる。

翔吾が険しい顔で悪態をつく。クソが、開きゃあしねぇよ、と。


叩いて開くならば、苦労しない。だが、そんな憂理の認識は、すぐに正された。

ドアの蝶番が甲高い悲鳴をあげ、開いたのだ。

開いたわ、開いたぞと唖然としたまま潜めた声を交わし、一同は顔を見合わせた。


「鍵はかけた、間違いなく」


翔吾が自問気味に呟くが、ならばどうしてと反問がわき上がる。その解答は、遼によって成された。


「中から開けたんだろうね。それが『大人』か『車椅子』かはわからないけど。……学長か深川が地下の誰かと繋がってることは確実になったけど」


「アタシ、バカだからよくわかんないケド。あれが学長なら、鍵が無いことに気付いたって事でいいよね?」


憂理は頷いた。


「そのはずだ。最悪なのは――」


最悪なのは、学長なり深川なりが活動を始めたこと。この状況にあっては、脱走のために四方八方を駆け回るワケにもいくまい。

どうするべきか、と思案する憂理にエイミが提案した。


「じゃあ、さ。脱走は今晩に変更しようよ」


「バッカ。そんな時間あるかよ」


論外だと言わんばかりに手をヒラヒラさせる翔吾。だがエイミは譲らない。


「どうせ八方塞がりじゃない。階段は封鎖されてるし、エレベーターは鍵がない。アタシたちは動けない」


エイミは真剣そのもの。横槍を認めない勢いで続ける。

今日の夜までの20時間近くを全て情報収集に費やせば、脱走の糸口が見つかるかも知れない。

菜瑠にエレベーターの鍵の形状や置き場を聞き出し、サイジョーが知っていたとされる地下からの脱出口も調べたい。


そんなエイミの言葉に反論はなかった。

今は脱出口を確保せねば、ただ虚しく時間を浪費するだけなのは皆が理解しているのだ。憂理は同意し、言った。


「脱走は、今晩だ」


「アタシ、頑張って情報あつめる。翔吾は鍵を返してきなよ」


「なんで?」翔吾は不思議そうに問う。「バレたんだから返す意味なくね?」


これには遼が説明した。


「鍵置き場の近くに落としておけば、『誰かが持ち出したんじゃなく、ただ落ちただけ』って思うかも知れない。あくまでも『かも』だけど」


幸運なのは、まだ自分たちが持ち出したと特定されていないこと。ならば極力波風を立たせないようにするべきだ。

遼はそんな主旨のことを言い、最後に付け足した。


「70名もいるんだ、特定は簡単じゃない」


「決まり、だな。そうと決まりゃ、行動は最速に、だよな。俺は鍵を返しに行く」


「思うだけどさ」ケンタが動き出そうとする翔吾の出鼻をくじいた。「人殺しがあった事をみんなに伝えたら良いんじゃない? それで学長をみんなでやっつければいい」


言葉の最後はいささか短絡的にも思えたが、ケンタの言にも聞くべき価値がある。


「学長が犯人ならそれでもいいけど」


憂理は言葉を濁した。現状では誰が犯人なのか解らないのだ。

誰が敵なのかすら明確ではない。

その状況にあって、殺人があったと声高に叫べば、どういう事態を巻き起こすか想像できない。

自分たちが地下に行ったことが公になる。それだけは確実であったが。


「どうせ、夜にはオサラバ、だろ? 掲示板に貼り紙かなんかして、みんなに知らせりゃいい。そうすれば俺たちのことはバレない」


地下への関心と、学長たちへの不信は煽れるかも知れない。否定する要素もなく、憂理は頷いた。


「よし、そうしよう。それがいい」


エイミは情報収集。翔吾が学長の監視と脱走に向けての段取り。遼が貼り紙での注意喚起。うまく罰掃除をサボれたら、憂理やケンタもいずれかを手伝う。

役割が決まると、憂理が5人の輪の中央に手を伸ばした。


広げた手の甲に、すぐに翔吾が手を乗せる。次にケンタ、戸惑いながらも遼。最後にエイミが手を重ねた。


「しっかりな、バレて殺されんなよ? 仲間のピンチは死ぬ気で助ける。いいな!」


声を合わせての号令。良くわからないが、自分たちは『戦って』いる。そんな感情を共有して、絆の高まりを感じる。

少なくとも、幽霊ではない。今、自分は『生きて』いる。憂理はそんな事を考えていた。


起床時刻まで、あと2時間を切っている。




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