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13月の解放区  作者: まつかく
11章 箱庭の散歩者
123/125

11-11 タチバナ


私は夢を見た。

真っ赤な地獄で眠っていた怪鳥が、苦しみのたうち、救いを求めていた。それは悪夢を見ているようだった。

私が優しく起こすと、鳥は羽がうまく動かないといった。羽ばたき方をわすれ、たたんだままの大きな羽は、生きたまま腐っていた。

私がじっと見ていると、やがて鳥は無理矢理に羽を広げた。地獄の炎が巻き上げる上昇気流を、異形の翼でとらえ、鳥は飛んだ。全身に、燃え移った炎をまとい、腐った羽を燃やしながら天を目指した。高く上がれば上がるほど、その姿は44回も崩れた。

時計は49分22秒をさしていた。


――――マギーの見た夢、火の鳥



朽ちた建物を人は廃墟と呼ぶ。

過去、それが建てられたときからどれほど時間が経過しているのかはわからない。ただ風雨にさらされ、内外の壁面には崩壊の兆しと補修の痕跡があり、『静か』になってしまった世界に相応のたたずまいではあった。


細長く天に向かってそびえ立つ5階だか6階建ての雑居ビル。その中の薄暗い階段を菜瑠とエイミは上っていた。

階段の踊り場にやってくるたびに、高い位置にいある窓から仄かな光が差し込んで来て、菜瑠などはそれを数えることによって自分のいる階を把握する。

――3.5階。


全く会話のない一団の先頭には、銃を所持した初老の男。その男にエイミ、菜瑠が続き、最後尾には若い――須藤と呼ばれた男がやはり銃を持って菜瑠を移動をせっついてくる。


やがて、菜瑠の観察が正しければ、『4階』にたどり着いた。

窓からの光が頼りないためか、この通路には光源が用意されていた。通路の端に転々と転がされた暖色むき出しの電球が、低い位置から菜瑠たちを照らしてくる。

工事現場で使用するものか――どうかはわからない。ただ通路の天井にもともと備え付けられていた照明は機能していない――ないし使用していないのは確かだった。


無骨に床に転がされ、踏んでしまわないように端に寄せられている照明。こんなモノを見せられると、自分の暮らしていた施設がいかに『マシ』だったか、と苦笑さえしてしまう。


ドアのある部屋、ドアのない部屋、無規則なそれらの前を通り、やがてドアのある部屋にたどり着いた。

立ち止まった一団の先頭で、初老の男は菜瑠とエイミを見比べるように見て、見定めるように見て、やがてドアの方へ向きなおすと、小さくノックした。


「トキムネです。侵入者を連れてきました」


少ししわがれた声で初老の男性がドアの向こうに声を投げると、まもなく、短く、「どうぞ」とだけ返事が返ってきた。


初老の男性はもう一度菜瑠とエイミを見比べて、やがてドアを開けた。

重苦しい通路にふわりと空気が動いて、室内からの白っぽい光が通路の光源と混ざり合って、菜瑠の緊張を極限にまで高める。


「さっさと入れ!」と須藤が後からせかしてくる。


初老の男が入室し、それに続いて、エイミ。そして菜瑠は拳を強く握りしめて、部屋へ足を踏み入れた。


そこに1人の男がいた。


ほとんど何もない部屋。『家具』と呼べるモノは3つ。壁際に無数の引き出しのある金属製のキャビネットと、窓際に置かれた大きくもないテーブルとくたびれた椅子。テーブルの上にはホルダーに入った紙コップがあり、ほのかに湯気が上がっていた。


窓といっても、壁面を大きく占有する『ソレ』にはガラスもサッシもなく、ただの大きな――四角い穴とも表現できる。そこから入り込んでくる光を頼りに椅子に座った男が新聞らしきモノに目を落としていた。


ドアの近くに位置する菜瑠からは、窓際にいる男は『逆光』ともいえる位置にいたが、光自体が強くはないのでただ影がちな横顔だけが見えた。

年の頃は、初老の男と須藤の間ぐらいか。30代後半といった印象がある。スーツを身につけ、ネクタイなども締めており、廃墟然としたビルの一室にあってその存在感だけが妙に浮いている。


男は来客を部屋に招き入れたにも関わらず、新聞らしき紙束から目を上げようとも、菜瑠たちの方へ目を向けようともせず、ただ言った。


「『南向きの部屋』でも、良い位置取りとも言えない時代になったね」


そう言って、新聞を小さなテーブルに投げ置くと、その代わりに湯気の上がるカップを取って唇に近づけた。

そうしてカップから液体をすすると、それをテーブルに戻し、ようやく菜瑠たちの方へ顔をむけて、言った。


「タチバナです。初めまして――お嬢さんたち」


予想もしていなかった丁寧な挨拶に、こちらこそ、と返すべきなのかどうなのか、菜瑠が、そしておそらくエイミも戸惑っているうちに、タチバナは次の言葉を始めた。


「私はこの自治区で責任者のような事をやらせてもらっています。もっとも『トップ』というワケでもなく、議会による決定の周知徹底と、提案。問題の処理――など、だけどね」


問題の処理。

エイミともども自分たちがその『問題』であることぐらいは菜瑠にだってわかる。しかし、この男は、仏頂面の『初老の男』や、無礼な『須藤』よりも、はるかに紳士的な物腰――話の分かる男に思えた。ようやく『ゴール』にたどり着いたのかも知れない。

菜瑠は意を決して、声を上げた。


「あの! 私たち!」


言えたのはそこまでだった。タチバナは菜瑠の言葉を遮るようにして手を挙げ、やがて挙げた手の指を曲げ、人差し指だけ立てたまま残し、それを唇近くに持っていった。いたって穏やかな、黙れ、という意思表示だった。


「申し訳ないが、質問はこちらから、だよ? まず、君たちにではなく、トキムネさん」


はい、と初老の男が仏頂面の唇から返事を吐くと、タチバナは多少厳しい視線で彼に問うた。


「さきほど、銃声が聞こえましたが、あれは貴方たちが?」


「そうです」


「理由は?」


「この小娘が連行中に逃げようとしたから、ですね。区内に入っていましたし、あのまま逃げられたら面倒なことになりそうだったので、威嚇として」


「必要だった、と?」


「はい。以外にこの小娘たちは暴力的でして。須藤がやられたモノですから」


「なるほど。だけど、2回――それも大きく時間をおいて2度銃声が聞こえましたが、2度ともその理由で?」


「ええ、まぁ……そんなところですな」


嘘だ。1度目は壁の外、民家の庭先で自分たちに発砲した。この時は暴力など振るうはるか以前だった。菜瑠が反論のために口を開く直前――タチバナは特に反応も見せず、ただ小さく頷いて「わかりました」とだけ返した。「トキムネさんとスドウ君の連名で、詳細な報告書の提出をお願いします」


「では」タチバナは菜瑠とエイミを見比べ、言った。

「『暴力娘』たちの話を聞かせてもらいましょうか。いくつかの質問をさせてください。まず、君たちは何者ですか? どこから来て、何をしようとしたのか」


トキムネがスッと後方に下がり、菜瑠とエイミを最前列に押し出した。並べられたエイミが、肘で菜瑠の横腹を押す。これは「菜瑠が言って」だ。


菜瑠は大きく息を吸って、心を落ち着かせると、まっすぐにタチバナを見て、質問に答えた。


「私たちは、山の上の施設から来ました。助けが欲しいんです」


タチバナは「待て」と言わんばかりにもう一度手を挙げて菜瑠の言葉を止めた。そうして胸ポケットから小さなメモ帳とペンを取り出すと、テーブルにソレを置いて、菜瑠を直視する。


「まず、『私たち』は君たち2人でいいのかな?」


「えっと、今は……そうです」


「今は? ……よしまず、君たち2人の名前を聞かせて欲しい」


「私が、道乃後 菜瑠で、こちらが芹澤 エイミ、です」


タチバナは素早くペンを走らせて、メモ帳に情報を書き取っていった。その『記入』が自分たちの名前だけではないことは遠目にみる文量からも明らかで、タチバナによるなんらかの観察も含まれている事がわかる。


はやく、救助要請まで話を進めたいが、このタチバナによる記入が終わるのを菜瑠はじっと待った。きっと、まずはこの人物から信頼を得ることが最優先だと、菜瑠の経験則がそう囁いたからだ。

キチンと伝えること。相手が信用しようと思ってくれるまで、それに付き合うこと。それこそが、きっと一番の早道になる。


「『施設』とは?」


メモ帳のページを換え、真っさらな紙面にペンを向き立てたタチバナが、鋭い視線で細部を詰めてくる。


「えっと。メサイアズ・ファームという施設で……えっと、ご存じですか?」


「メサイアズ・フォーラムの下部組織。数年前の設立以後、フォーラムの信者子息を中心に全国の支部から子供を集めて集団生活を強要し、義務教育の真似事を行っていた。表面上は、ね。管轄する名守市にとっては、クラシカ・テネカと並んで住民との軋轢が生じていた『2大 頭の痛い懸案事項』――という程度の知識はある」


引っかかる部分はあるものの、はじめて『話の出来る大人』と出会った気がする。菜瑠はなるべく気を落ち着かせて、ゆっくりとタチバナの認識を認めた。


「そう……です」


タチバナはペンを走らせながら、さらに質問を重ねた。


「私の知るかぎり、あそこはもう無人になっていたという報告があるんだが、君たちは『無人化』以前にあそこにいたということかな?」


「わかりません。少なくとも、私たちが逃げてきた――3週間ぐらい前までは沢山人がいました」


「3週間? それは確かだね? 君も?」


タチバナがエイミに視線を投げると、エイミが少し姿勢を正して首肯した。


「たぶん、間違いないです!」


「たぶん……では困るけど、まぁ報告は半年ほど前だから、君たちが正しいのかも知れないな……。詳しくはあとで。……それで、逃げてきたと言っていたけど、どうして」


「人が死んで、殺されて……警察に届けたくて」


そこから端的なタチバナの質問が繰り返され、そのたびに菜瑠とエイミが答えた。質問は細部――日付けや人物にまで及んだが、わからないモノはわからないと答えた。

母のおつかい――菜瑠が夜に独りでスーパーに買い出しに行った時に受けた警察の職務質問でもここまで詳細には訊かれなかったと記憶している。


だがおかげで、この場、この状況に至るまでの経過をほぼ正確にタチバナに伝えることができた。メモ帳のページにして20枚ほど、時間にして1時間は質問攻めだった。


「助けが欲しいんです。施設のみんなを保護して欲しいんです。このままじゃ、きっとまた……」


一番言いたかったこと。誰かにこれを伝えるために、何日もかけて灰まみれの世界をやって来た。ようやくそれを口にできた菜瑠だったが、タチバナは物わかり良さそうに何度も頷いたあと、サラリと言い放った。


「申し訳ないが、断らせてもらう」


無慈悲が形になればタチバナという名がつくに違いない。彼は申し訳ないなどと言いつつも、彼の表情にはその感情のひと欠片すら浮かび上がっていなかった。

拒絶の言葉を何度も脳内で反芻し、菜瑠は絶望と徒労に泣き出しそうになってしまう。ここまで来た。様々な苦労を乗り越えて、ここまでやって来た。なのにこの大人は、人道的な救援を断るという。


「ここはね」タチバナは続ける。

「難民キャンプじゃないんだ。コミュニティなんだ。だから、このナツカ区『内部』のことが最優先される。よそで起こった犯罪に首を突っ込むような余力もないし、余裕もない。ここには400名からの人間がいるが、ボランティアはひとりもいない。全員が社会、つまりは『自治区』のために何らかの役割を担っている。当然、反社会的な者――たとえば先ほど話にでた安田のような男は、議会の承認を得て壁外に追放される。きけば君たちの『施設』には反社会的な者が多いようだ。社会と何度も衝突してきたMFが母体なのだから、当然と言えば当然ではあるが」


「でも! 悪い人ばかりじゃないんです!」


菜瑠が抗弁するも、タチバナの表情は崩れない。


「それはそうだろうね。世の中には様々な人がいる。君も『良い子』のようだ。だがね、『だからとりあえず全員を受け入れて、ダメなヤツは排除してゆこう』という楽観的なシステムを採用できるほど、我々は裕福じゃない。人を受け入れるには食糧がいる。そして国や団体による『人道支援』が行われていた時代は過去になり、いまや自分の食い扶持は自分で確保しなきゃいけない時代になった。『選別』にかかるコストは我々が負担しなきゃならない。我々はここで野菜の生産から家畜の育成などを行っているが、現状でもギリギリの生産量なんだ。そこにあって『カルトとして有名なMFの人間を50名ほど受け入れるから、食糧の配給を70%減らす』などという提言が議会に――ひいては自治区民たちに歓迎されると思うかい?」


感情的になるわけでもなく、ただ淡々と説明を続けるタチバナに、エイミが食ってかかった。


「冷たすぎ! 歓迎とかそういうのじゃなくって! 困ったときはお互い様、って言葉知らないの?! 自分たちだけ良ければいいの!?」


「そうだ」と、タチバナはアッサリと認める。

「内部の生活が最優先だ、と言っただろう。君たちからもたらされた情報には感謝するが、だからといって他でのトラブルに首を突っ込むことはできない」


確固たる信念からか、タチバナの表情は崩れない。


「じゃあ……私たち、どうすれば……」


「それは君たちが決めることだ。『通報』したいなら、よそをあたるべきだね」


タチバナはメモ帳を閉じ、ペンと一緒にスーツの胸元にそれをしまうと、またカップをテーブルから取り、一口やった。


「……しかし、まぁ、色々と聞かせてもらったお礼に、これだけは教えてあげよう。通報などバカなことは諦めるべき――だとね」


「バカなこと……」


「ああ、きっと日本中を探し回っても、通報先は見つからんと思うよ。少なくとも――いつからかは定かじゃないが現時点で警察だの消防などの公的機関はほとんど機能していない。母体である『国』もね」


うっすらと感じていた不安が、ようやくハッキリとした言葉となって菜瑠にもたらされた。国が機能を停止している。


「日本がダメになった……ってそれは、事実なんですか?」


「『日本が』、というのは語弊があるかも知れない。おそらくアメリカ、EU、アジア諸国。ほとんどの国が機能不全に陥っている――と考えるのが妥当だろう。でなければ現状の説明がつかない。はじめは日本だけが壊滅的打撃を受けた――と誰もが考えたが、災害救助は稼働の気配すら見せず、通信も断絶されたまま。東京方面から避難して来た者の話では、静岡県東部では御殿場、神奈川県西部では箱根だの小田原だのあたりから向こう――が、海になったとかいう事だ。クラシカ・テネカの人間が調査が終わりしだい東京に戻ると言っていたが、おそらく無駄足に終わるだろうな。高速道路は高架が倒壊していると聞くし、それを乗り越えて進んだところで新東名も東名も御殿場ジャンクションを経由し『神奈川海』へ向かうことになる」


小田原以東――ぼんやりとした地図を思い描いた菜瑠に強烈な悪寒がやってくる。菜瑠の実家はまさに神奈川県小田原の東に位置する横浜市。海に沈んだ――などとはにわかに信じがたい話ではあるが、本当だとすれば、母は――。


「そもそも……なにが起こっているんですか」


根源的なエイミの問いに、タチバナはようやく表情を曇らせ、小さくため息を吐いて、やがて首を振った。


「この灰、そして『海になった』という話からすれば、なんらかの地殻変動と活発化した火山活動の影響を考えるべきなんだろうが……被害規模が桁外れすぎる。日本以外にも壊滅的打撃を与えるほどの災害があったのは確からしいが、正直、お手上げだ。わからない」


火山の破局的噴火という可能性に対し、四季などが「納得できない」と評していたが、どうも同じような所感の者は少なくないらしい。

世界中が『13月』の渦中にあるならば、自分はどこに助けを求めれば良いのだろう。


「ともかく、『救援』を早々に諦めた我々は、こうして生きるためにコミュニティを作った。もう、救助を持って時間を無駄にしてはいられない。我々も生きるのに必死だ。だから君たちに手を貸してやれないことを恨まないで欲しい。我々も『難民』なんだ。もしかしたら、『国』というものはこうやって、必要に駆られて生み出されたモノかも知れないね。そして、今の日本には、同じようなコミュニティが多数生まれているだろう。誰もが、誰かに頼れない時なんだよ」


ここまで来て、無駄足だったのか、そうでなかったのか、菜瑠にはわからない。



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