11-10 爆弾処理班
逢魔時、つまり夕刻になって憂理はケンタと散歩に出ていた。『魔物に逢う時間』などと言うが、連れて歩くとなると往魔時でも横魔時でもある。
「お前、施設にいた時より太ったんじゃないか」
横を歩く魔物はワザとらしく眉を上げ、口角を下げ、すこし煙たげに懐かしい反応を返してくる。
「蜃気楼だよ。実態はもっと細いんだけどね、こう空気がモヤってるから太ってみえるのさ」
「こんなに寒いのに蜃気楼?」
「バカだなぁユーリは。蜃気楼に寒さは関係ないんだよ」
「そうなのか」
「そうさ。ほら水気とか水蒸気? まぁ、そういうのがあれば大体イケる」
「それならわかる。じゃあ水蒸気は、お前の汗だろ。太ってるから寒さに強すぎて汗かくんだろな」
「偏見だよ。太ってても表面は寒いもん。むしろ表面積が広いぶん、余計に寒いかも」
「なるほど。そうかも」
ケンタとこうして二人きりで話すのも久しぶりだが、お互い、話の内容に成長は見られない。
見回せば灰まみれの街、重苦しくたちこめた雲。蓋をされたかのような空を少しのあいだ見上げているだけで、雲の複雑な移り変わりを観察することができる。鉛のワタでできたような雲。きっと天使たちも寝心地が悪かろう。
「ほらいるよ」
灰色の街のなか、ケンタが立ち止まり、ゆるりと手を伸ばしなにかを指差した。その先には、広大な駐車場がひろがっており、その片隅には大型の車が停車していた。
トレーラーと評するに小さすぎて、ワゴンと呼ぶには大きすぎる、そんな車だ。
憂理は、まるで『間違い探し』を出題されている気分になった。
答えは――間違いは、いくつある?
灰色の空に向く、ルーフに設置されたパラボラアンテナ?
車の周辺に立てられた場違いなパラソル?
あるいは日差しなき世界の太陽光パネル?
それとも荒涼とした景色の中にひときわ目立つ――。
「爆弾おっぱい」
そう、ケンタの表現は適切だった。施設では見られなかったスケール。その巨大なモノが申し訳程度にしか隠されてない。これは不道徳きわまる。荒涼とした景色の中で、もっとも違和感を感じさせる『間違い』だった。
「あの――あれは――なに?」
「だから、爆弾おっぱい姉さん。施設をでてようやくエンカウントした大人なのに、助けてくれないんだ。憂理もなんか言ってやってよ」
「なんか、って……?」
「あのでかい車のガソリンをわけて貰えたら、僕らまた車使えるんだけど、ケチなんだ爆弾おっぱい。くれるように言って」
「……ガソリンな。よし、まかせろ」
爆弾処理班というワケでもないが、せっかく会った大人だ。話さない手はない。少なくとも、自分やケンタよりは外の――街の――日本の状況に詳しいはずだ。
憂理はそれこそ爆発物処理に向かう決死の隊員がごとく、緊張感をもって『爆弾おっぱい姉さん』の方へと進んでいった。
逢魔がとき、たしかに魔と逢うじゃないか。この爆弾魔め――。
自己主張の強いビーチチェアの原色が、灰色の世界に映え、その上に優雅に転がる優美な肢体。あと数メートル近づいたら、こんにちは、と言う。挨拶は人間関係の基本――。
だが遅かった。
「はぁい? こんにちは?」
不意をついて、爆弾から仕掛けてきた。憂理は思わず歩みを止め、真顔で会釈などをしてしまう。
挨拶は人間関係の基本――その先手を突かれた。
そして女の言葉――そして表情にはすでに『あんたは誰で、ここで何してる』という次の会話ステップへのニュアンスがありありと含まれていた。
「あの、俺、杜倉っていう者なんですけど。いろいろ困ってて、ちょっと助けて欲しいんですけど、いいすか」
爆弾姉さんの視線が憂理の両目に直撃してくる。思わず下方へ目をそらせば、そこには爆弾おっぱい姉さんの爆弾がある。彼女を彼女たらしめる二つのメロン。
いつだか、菜瑠の胸を『どら焼き』だかと評したが、これはその比ではない。メロンパンをも超え、メロン――デカ・メロン――。
年の頃は20代後半か、30代前半といったところか。ここ最近、深川以上に若い女といえば、自分と同世代の女子しか関わりが無かった憂理にとって、このエンカウントはいささかに緊張するモノだった。
だいたい、彼女は胸前、フロントでしばられた薄手のワイシャツをブラジャーだか下着だかにしており、それがいまにもその役目を放棄して、はだけてしまいそうな――。
憂理自身、なぜ自分がパニック直前まで追い込まれているのか、不思議なほどだった。
――せめて、もう少し隠してくれ。
「助けて欲しいって? 具体的にどうぞ?」
「具体的にって、えっと、もう少し服をちゃんと着て欲しいかな、って」
爆弾姉さん――キスミはキョトンとして動かない。憂理はもっと動けない。1秒が長い、そのせいで間も長い。すると、後方からようやく支援の声が飛んできた。
「ガーソーリーン! ユーリ! ガーソーリーン!」
間の抜けたケンタの声だった。だが凍りついた場を溶かす、そして立ちすくんだ憂理を奮い立たせる声でもあった。
「そう! ガソリンください! ガソリン!」
キョトンとしたキスミが、キョトンとしまま憂理を見て、ケンタを見て、また憂理を見て、ようやく言葉を発した。
「イヤ、よ?」
短く、簡潔なだけでなく端的で明白な拒絶だった。冒頭に『もちろん』――がついていても不自然ではない言葉。
そんな姉さんの端的な返答が聞こえる距離でもないのに、状況を察したらしいケンタがまた遠くから声を上げる。
「くーだーさーいーガーソーリーン! ケーチー!」
ケンタの魂を消費したかのような叫びが、遠く灰色の街にこだまして、やがて消えて行く。
キスミはそんなケンタの叫びに動じる事なく、のんびりリクライニング・チェアに体を預けなおし、大きなアクビまで見せる。
「あの、ください、ガソリン」
憂理もなるべく端的に頼んだが、彼女はアクビを中断してさえくれない。
だが変化はあった。
「君、ガソリンが必要なのかい?」
車の後方、リヤドアから一人の男が姿を現した。
年の頃――半村と同じかそれより若い。量の多い、癖っ毛気味の柔らかそうな髪に、だらしなく着崩したスーツ。ゆるんだネクタイがブレスレットのように胸元を飾ってはいるが、汚れはほとんどなく、どこか清潔感すらあった。
憂理は爆弾姉さんから、その若い男へむき直し、挨拶代わりに小さく頭を下げた。
「はい。ガソリン、欲しいです」
若い男の細身の体。きっと爆弾姉さんの『爆弾』を、かわりにこの男の胸に付けでもしたら、きっと腰骨が折れてしまうにちがいない――。
「ガソリンを何につかうんだい? 失礼だけど、君、運転免許を持っている年齢には見えないけど」
「免許はないんすけど、車で――助けを呼びに行こうかな、って。ちょっと、色々あって」
この男は爆弾姉さんよりも、はるかに話がわかりそうだ。状況は――悪くない。そんな状況を察したのか、遠くにいたケンタも憂理の方へと駆け寄ってくる。
男は、憂理がほっとするような、柔らかい笑顔を見せ、言った。
「うん、いいよ。わけてあげよう。あんまり沢山は――」
その瞬間、爆弾が大声を上げた。
「竹田! 勝手なことしないで!」
竹田と呼ばれた若い男が反応するよりはやく、ケンタが間に入る。
「いいじゃないか、この人がくれるって言ってるんだから! 爆弾姉さんには頼んでないよ!」
「はぁ、爆弾姉さんってなによ」
「こっちの話! ね、竹田さん」
急にケンタから話を振られた竹田は、いささか面食らった様子ではあったが、ケンタを見て、憂理を見て、やがて爆弾姉さんを見て、言った。
「いいじゃないですか、室長。この子たち困ってるみたいですし。僕らも東京に戻るだけの燃料があれば充分なんですから。いまの量なら、2~3往復はできますよ。世の中がこんな時だからこそ助け合いの――」
「竹田。アンタは危機意識に欠けてるわ。その『分量』は東名高速を使った場合において――でしょう。高速の入り口が投棄車で塞がれて、かつ高架自体が倒壊、じゃあ下道? いや下道もマトモに機能してるか知れたモノじゃない。帰り着くまでにどのようなルートを経由するかまったく解らないのに、『余分』なんて悠長な言葉を使わないで」
一気にたたみかけられて、竹田は「えっと」だの「あー」だのと、頼りない言葉を漏らすだけ。
どうも、『室長』のほうが立場は上らしい。
憂理などはなんとか竹田に頑張って欲しいが、やりこめられた竹田の横顔には苦笑いが見てとれた。すでに敗戦濃厚だ。
――上司と部下か?
憂理とケンタから投げかけられる期待の視線に気がついた竹田は、奮起したのか、もう一度『室長』に食ってかかった。
「おっしゃるとおり――なんですが、こう、室長のシャワーを減らしたほうが、燃料消費は抑えられるんじゃないかな、と。せめて、1日2回まで――なり、髪を洗うのは2日に1回にするなり――」
「アンタね、なんで私がそんなミジメで、ひどい目に? だいたいね――」
憂理は、爆弾姉さんの苛烈な報復が始まることを察した。今度竹田がやりこめられてしまえば、もうガソリン入手は望めまい。
もとより、反権力志向の強い杜倉憂理としては、権力者になじられる被支配者を放ってはおけない。義を見てせざるは勇無きなり――。
「なんだよ、爆弾姉さん贅沢しすぎだろ! 俺なんて施設出てから、ほとんどマトモに風呂入ってないぞ! 1日2回とか多すぎるよ! なぁ、ケンタ」
「そうだよ、だいたいフロなんて入らなくても死なないんだから、臭ってから入れば良いんだよ! お姉さん全然におわない、むしろいい匂いする! 僕と憂理のが臭いよ! だから僕らがシャワーはいるのに必要な分のガソリンちょうだい! ガソリン、ガソリン!」
室長は肺の容量全てを排出するかのような――長く、深いため息を一つついた。
「君たちねぇ。燃料の用途は私が決めるの。どう使おうが自由。君たちが臭いのは、君たちの責任。自分でなんとかしなさい。いいね? それに竹田」
唐突に名を呼ばれた竹田は、表情を少しこわばらせて、姿勢を正した。
「あんたにも、問題がある。あんたが『いつまでかかるか判りません』とか情けないこと言うから、なるべく長く滞在――少しでも粘れるようになるべくガソリンをケチってるのよ? すぐ灰まみれのザラザラになるから、ホントは5回でも6回でも入りたいところを健気に我慢してるの。なのに私が浪費家みたいに」
「はい、申し訳ないです。配慮に欠けました」
「じゃあ、話はおしまい! トクラくんとケンタ君だっけ? 君たちも早くお風呂に入れると良いね。ささやかに祈ってるわ。じゃあね」
まるで犬を追い払うかのように――さっさと帰れ、とばかりに爆弾姉さんはシッシッと手の甲で宙を払った。
これは手強いなんてモノではない。唯一の大人、頼みの綱である竹田がしっかりしてくれない以上、この堅固な守りは崩せそうにない。
『室長』がサングラスを定位置に戻し、ふたたびリクライニングに背を預けなおすと、ようやく、竹田が憂理たちの方を向いて、情けない笑顔を見せ、片手で『すまない』と合図した
ケンタと憂理は、じとっとした視線を竹田に向け、『もっと』とジェスチャーする。『まだいける』『もういっかい』
そもそも、憂理もケンタも『譲ってもらう』という決して強くない立場なのであるが、一度、もらえると思ってしまった以上、立場うんぬんはどこへやら、それを権利だと勘違いしてしまう。
『いけるって、竹田』『竹田、もう一回』
『無理だよ』
『いける』『いって』
やがて、憂理とケンタに扇動された竹田が、頭をかいて、腕を組んで、上空を見たり、地面を見たりしてから――ようやく表情に光を宿した。
そして、煽ってくる二人の少年に、『いくぞ』と強い決意を表すうなずきを見せてから、おもむろに行動を起こした。
「あの、那野室長」
「話はおしまい」
「いえ、ちょっとした提案がありまして。端的に言えば、こう、全員の利益になるもので。我々も、彼らも納得できる――」
「具体的にどうぞ?」
「資料の回収を彼らに手伝ってもらい、その謝礼――バイト代としてガソリン20リットルを支払うというのはどうでしょう? そうすれば、我々も速やかに仕事を終わらせることができ、この場から撤収できます。彼らも20リッターあれば、150kmは移動できるでしょうし、難民キャンプだのコミュニティなどに辿りつくことができ、安心と安全を確保できると思うのですが」
「優しいねぇ、竹田は」
「恐れ入ります」
「でも却下」
「なんだよ!」憂理とケンタがようやく声を上げた。「ケチ!」「爆弾おっぱい!」
しかしこのような非難にも室長は動じない。
「大人を頼りたいなら、ナツカに行けばいいわ。『安心』の部分は補償しかねるけど、少なくともココよりはマシでしょ。だいたい、私たちの仕事に部外者を噛ませるワケにはいかないわ。リスクが大きすぎるでしょ」
――そういや、この人たち、ここで何をしてるんだ?
憂理の内に、いまさらになって素朴な疑問が浮上した。どこかへ避難するわけでもなく、復興を行っているワケでもなさそうだ。仕事とは何だろう? リスクとは?
「室長、では須藤を彼らに捜索してもらうのはどうでしょう? ええっと、須藤なら須藤自身も内実は把握していないわけですし、そこから彼らに話が漏れるということも無い」
「竹田、あなたホント、甘いよねぇ。まぁ、いいか」
室長――那野葵澄は、ようやくリクライニングからふわり両足を下ろし、サングラスを外した。そして、身構えた憂理とケンタに向かって、いかにも軽薄な調子で言い放った。
「竹田に免じて、A案を採用してあげる。君たちを雇うわ。我が社へようこそ」
「バ、バイトってこと?」
「そ、竹田の指示に従って、必要なモノをあの病院内から回収して欲しいの。いろいろ散らばってるから、大変かも知れないけど。何が必要かは――竹田に教えてもらって? ちゃんとできたら、ご褒美にガソリン10リットルと、お姉さんがおでこにチューしてあげる」
「20リットルって言ったじゃん!」
「嘘つき!」
「10リットルとおでこにチュー。ソレがイヤなら、この話はおしまい!」
憂理とケンタが相談の意味を持つ視線をかわしあっている内に、キスミによる次の指示が竹田に飛んだ。
「もし、この子たちが引き受けるなら、あとの面倒は全部竹田に一任するね。くれぐれも必要以上の情報を与えないように。いいね? 全部仕事が終わったら――病院の中庭に出て――誰にも見られないように、確実に2人を消してね。そうすれば、労働力まる儲け」――「冗談よ。じゃあ、あとのことよろしく」
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