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13月の解放区  作者: まつかく
11章 箱庭の散歩者
121/125

11-9 静かな女王


過去に自分がいた場所がどこであったか。

神奈川県の――と住所は番地まで、まだ言える。電話番号も市外局番から言える。

だが、日本だったか?


雪が降った朝、家の窓から見える風景は――見慣れたそれとは違う。まるで別の世界に来たのかと一瞬の錯覚を覚える。いままさに菜瑠はその感覚を再体験していた。過去に自分がいた場所が、いまと同じ日本であるとは思えない。もっと日本は整然としていた。


数人の男たちに連行されながら、菜瑠は『ナツカ自治区』の内部をつぶさに観察していた。

壁の向こうと大きく違うのは『降灰』だ。壁の外で降り積もっていた灰、それらが家屋の屋根以外にはほとんど見当たらない。


住宅地の家屋は、『壁の一部』であったソレらとは違い、雨戸も板による封鎖もない。探せばベランダに布団や洗濯物を干している家もあるのではないか――。そんな、民家の二階を見上げれば、フワッとカーテンが動き、誰かがなかに居ることはわかる。

誰かがそこにいて、自分は見られている――。


「さっさと歩け! 短足かてめぇは」


歩みを遅めたとたん、菜瑠の後ろから『須藤』と呼ばれた若い男が罵声を飛ばしてくる。

そのあまりに無礼な態度に、菜瑠がムッとして立ち止まり、抗議しようとした瞬間――尻を蹴り上げられた。


「歩けって! 手間かけさせんな!」


警告の意味しか持たない蹴り、つまり痛くはない。だが腹は立つ。菜瑠は須藤へと白面を向け、いつだか『メデューサ』と評された『睨み』をきかせて言った。


「私たちをどこへ連れて行く気?」


なにか、隙をついて反撃できないか――。言葉を繰りながら、そんなふうにつけ込む隙を探す自分に嫌気がさす。最近はこんな事ばかりじゃないか。


「聞ける立場かよ、犯罪者が。さっさと歩け!」


須藤は菜瑠の肩をドン、と押して無理やり歩かせようとする。

須藤の背丈は菜瑠のそれより頭一つぶん高い――が、彼が手にしている武器は、伸縮する金属製の特殊警棒ひとつだけ。それを奪えば、あるいは――。

棒の扱いには少しばかり自信を持つようになっていた菜瑠は、考える。その特殊警棒でどう立ち回れば現状を打破できるのか――。


自分の後方で一触即発の事態となっている事に気がついたエイミが、やはり立ち止まって反抗的な言葉を吐く。


「ちょっと! オッサン! 菜瑠になにすんのよ!」


須藤と菜瑠が一団の最後尾に位置していたため、先頭を歩いていた初老の男たちと距離が離れている。逃げるなら――今しかない。菜瑠のシミュレーションはすでに『どうやって壁の向こうへ逃れるか』という段階まで進んでいた。


「聞いてんのか! ガキ!」


須藤が怒鳴り、再び肩を押そうとした瞬間、菜瑠は素早く彼の前腕に取付き、彼の関節を外側な締め上げた。

そうして『曲がらない方』へと力を強め、同時に須藤の足に自らの足を引っ掛けて、一気に力を加える。


腕力に勝るとはいえ、逆関節を極められた須藤は秒に満たない瞬間のなかで、驚いたような表情のまま、地面へと倒れ込んだ。

てこの原理だか、合気道の原理だか、そんなことは菜瑠にはわからない。すくなくとも、学校で習った記憶はなかった。『必要は発明の母』と人は言うが、それはきっと正しい。いま必要で、いま再発明された。


「エイミ!」


振り返り、親友の名を呼んだ瞬間にはエイミはこちらへ駆けてきていた。幾多のトラブルによって洗練された阿吽の呼吸というやつだった。

このまま、警棒を奪って、どこかに隠れ――。


「てめぇ!」


倒れた須藤が、倒れたまま、菜瑠の足首を狙って特殊警棒を横薙ぎにふる。

菜瑠はフワリと跳ねてそれをかわすと、そのまま須藤の腹に両足で着地した。

靴の裏に、ぐにゃりと須藤の内臓が四方へ押しやられる感触。どこから出たのかわからないような音が須藤の口腔から漏れた。とんでもなく、汚い音色をたれる楽器だ。楽譜があればマシなのかも知れないが、次の機会は遠慮したい。


エイミが菜瑠の脇を走り抜けたのと同時に、菜瑠は須藤の腹から飛び降りて、その背中を追う。

どこへ逃げれば良いのか、どれほど逃げればよいのか、まるでわからない。だが逃げることしかできない。


「エイミ! どこか路地に!」


瞬間、何かが耳の横をかすめた。遅れて銃声が知覚される。


「動くな。次は脅しじゃない」


エイミがピタリと止まり、菜瑠も止まってしまう。

最近は、なにかと『初体験』が多かったが、これも喜ばしくない初体験だ。銃弾が耳の横をかすめる経験など、こと日本でそうそうできるモノではない。


ただ、あんなものが頭を撃ち抜いたら、きっと、それに気づかぬまま死ぬのだろう、そう思う。いっそそれはそれで幸せなことかも知れないとも思うが、こんなところで死にたくもない。

本能的に両手を挙げた菜瑠とエイミに、男たちが駆け寄ってくる。口々に罵声を上げているようだが、なにを言っているのか聞き取れない。


ただ、背を向けながらも初老の男の言葉だけは聞き取れた。


「さっさと橘くんの所へ引き渡そう。……これは手がかかる」



 *  *  *


永良四季は君臨していた。

広くもないビジネスホテルの一室で、配下も玉座もない女王として。


情けなくもポリタンクから水洗トイレのタンクに水を足し、許しがたいほどカビ臭いベッドの端に鎮座する。

安田に閉じ込められてからというもの、女王はフラストレーションをため込んでいた。

板と釘とネジとによって封鎖された窓の隙間から差し込んでくる頼りない光。それだけが日付の移り変わりを告げてくれる。


この部屋は女王の寝所であり、閣議の間であり、食堂でもあり、謁見の間でもあった。とはいえ謁見室として機能したのは一度だけ。追加の――水の入ったポリタンクと食料を安田が持ってきたときだけだ。実質的には幽閉の間ないし牢獄と呼ぶべきなのかも知れない。

絶え間ない退屈、間延びした時間だけがあって、他には何もなかった。


部屋に備え付けられていたメモ用紙を使った折り紙のツル。ユキに折り方を教えてもらったソレが一羽、また一羽と増えてゆく。


彼ら――ダッシュボードに整列し、四季を見つめるツルたちが唯一の配下だった。そうしているうちにメモ用紙がなくなってしまい、女王はツルを開き直して、再びツルを折りあそばされた。いつだかユキと折った時よりかは少しだけ上手くなったように思う。


1日の大半が考える事に費やされた。仲間たち、とくに菜瑠はどうしているだろう。自分は菜瑠に「ついてゆく」と宣言したのに、それを果たせていない。それが遺憾で腹立たしくもある。もちろん義務感からではなく、個人的な感情から菜瑠のことばかり考えるのだが。

安田の説明では四季と同じように、このビジネスホテルの一室にいるという話だが、そうであるなら一緒の部屋に入れて欲しい。


「もう、殺すしかないわ」


右から左へ並んだ配下たちを睥睨し、女王は決意を固めた。このままでは度重なるアクビによりアゴの筋肉だけが発達してしまう。あの安田という小汚い中年男を殺し――菜瑠とエイミを助け――ケンタと遼の元へ戻ろう。


四季はベッドから腰をあげると、ダッシュボードに置かれていた卓上ランプを手に取った。持ち上げようとすると配線のせいで10センチそこらしか上がらない。

女王がはしたなくもダッシュボードに足をかけ、強引にランプを引っ張りあそばれると、壁の向こうで何かが壊れる音がした。気にせずさらに引くと、カラカラ、という音と共に千切れた配線が穴から姿を現した。


軽い。武器として用いるに、あまりにも貧弱きわまる。

投げつけても致命傷は望めそうもない。直接、鈍器のように使うしかない。ならば狙うは頭部。できれば後頭部が望ましい。


四季は両手にランプを持ち、ブンブンと上下に振り、武器としての感覚を掴もうと練習を重ねた。上手く――後頭部にランプの台座部分を当てれば、それなりの威力はあるかも知れない。

あるいはコンセント部分を持って、振り回したほうが――。


「四季ちゃん?」


唐突に声がして、四季が入り口を見やると、そこに安田がいた。


「なにしてるの? そんな物もってさ」


安田の目には警戒の色があって、今から飛びかかっても勝算は薄かった。正面きっての戦いでは体格に劣るぶん自分の不利は否めない。

四季は手にしていたランプを再びダッシュボードに置くと、小さなため息をひとつして、またベッドの縁に腰を下ろした。


「この部屋は暗いわ」


「だからランプを点けようとしてたの?」


四季がコクリと頷くと、安田は警戒心を緩めたようで、ニンマリと笑う。


「バカだなぁ、言ったじゃないか。前にいた『本拠地』と違って、ここには発電機がないって」


「なんとかするべきよ」


「そのうち、ね。いまは凶暴なチンパンジーがウロついてるから、ここの方が安全なんだよ。菜瑠ちゃんも、エイミーも納得してくれてるよ?」


ドアの近くにいた安田は、通路から新しいポリタンクを室内に入れて、空になったポリタンクを回収してゆく。


「菜瑠とエイミに会いたいわ」


「だめだめ、君たちはつるんだら悪さばかりするからね。しばらくは別々にして反省して貰わなきゃ、ね?」


「この建屋内に菜瑠とエイミがいる確証がない。その確認をさせて」


安田は食料の搬入を簡単に終えて、またニンマリと笑う。


「だめだめ。まだダメー。ところで四季ちゃんは『トクラ』という少年を知っているかい?」


「トクラ?」


「そうそう、トクラ・ユーリ君。あとイツキ……ちゃん?」


四季は『知っている』という意思表示を、コクリと頷くだけで済ませた。そしてそのまま安田に気づかれない程度に半開きの目に怪訝の色を滲ませた。トクラ、イツキ、なぜその名を安田が知っているのか。

そんな四季の視線に安田は慌てたように言い訳をはじめた。


「いやね、菜瑠ちゃんから聞いたんだよ。そのカップルのことをさ」


「カップル?」


「ああ、仲良しの恋人なんだろう? 若いっていいねぇ、きっとセックスとかもしてるんだろうねぇ。性に興味がわく年頃だもんねぇ。ん、四季ちゃんも興味ある? ん?」


不快なセクハラ発言のほとんどが四季の耳には届かず、女王の思考の妨げにはならない。

少なくとも四季が知る限り、杜倉とイツキは『カップル』などではない。四季が施設を出た時点でその様子はなかった。


「その二人がどうしたの」


「いや、菜瑠ちゃんに話を聞いてさ、どんな子たちなんだろうなぁ、って思ってさ。イツキちゃんはどんな子なの? 性格とか」


「私の知る限り」四季は半開きの目のまま、淡々とした口調で続けた。「イツキは――30歳にしては考え方が幼い。もう少し、年相応の落ち着きが必要だわ。染めた金髪も似合わない」


「えっ? 30歳? あのイツキちゃんが?」


冗談だろ、という安田の表情に四季は冷静にコクリと頷くだけにとどめた。


「いや四季ちゃん、人違いじゃない? 金髪とかじゃなくて、ロングの黒髪で肌の白い――幼い感じの女の子なんだけど」


「さぁ? 知らないわ。少なくとも、私の知っているイツキはそう」


「へぇ」安田は四季のそれよりも、もっと露骨に懐疑の色を表情に出した。それ自体が四季へさらなる情報を与えるとも気づかず、その表情のまま水の入ったポリタンクのほうへ歩み寄った。そうして靴の爪先でタンクの内容量を確認する。

「へぇ、四季ちゃん、置いといた水、全部は使わなかったんだねぇ。まだ満タンのタンクが二つあるじゃないか」


「次にアナタがいつ来るかわからない以上、使い切るワケにはいかないわ」


「いやはや賢明なことで」


安田が空になったポリタンクを次々に通路へ搬出し、そのぶん空いたポリタンク用スペースに内容物の詰まったタンクを搬入し始めた。右手、左手と、それぞれの手に持たれたタンクが、危なっかしい足取りで安田が歩くたび、たぽんたぽんと鳴る。

四季はもちろん手伝うこともなく、ただ女王らしくベッドの端に座し、使用人に要求を伝える。


「湯船に湯を」


安田は重量物を投げ出すように床に置くと、使用人らしからぬ不遜な態度で応じる。


「バカ言っちゃいけない。電気はないって言ったろう? だいたい湯船を満たすほどの水を運び込むなんてまっぴらごめんだよ。いまは体を拭くぶんだけで我慢しろ」


次のポリタンクを搬入するために安田が通路へ出て、ふたたび搬入作業に取りかからんとしている隙を見て、四季はスッとランプのコンセントを手に取った。

強引に引き千切られたそれは長さにして1メートルにも満たない。剥き出しになった銅線を含めても80センチあるかどうか。


これを振り回し、円運動の最高威力で安田の頭部を――。

ランプ本体を手に持って打撃するよりも、遙かに威力は高い。頭蓋骨を砕ければ良し、脳を破壊できればなお良し。すなわちそれは安田の死を意味するが、いっそ死んでしまった方が良いのだと四季などは思う。むしろ殺す気でかからないと、脱走などおぼつかないだろう。


「で、四季ちゃんはトクラ君と仲が良かったのかナ?」


安田は重量物の負荷に顔を真っ赤にしながらも、そんな事を聞いてくる。ヨタヨタと酔歩のごとき有様で、狙いの定めようがない。


「顔見知り程度」


「そうなの? ほかの子たちとも? ほら、小太りの男の子とか、眼鏡の子とか――。幼女のユキちゃんとか――」


最良の状態は、安田がポリタンクを床に置いた瞬間。前屈みになって、頭が、後頭部が低い位置に来た瞬間。その瞬間を逃すまいと四季の半開きの目が少しだけ大きく開く。天井はどうか。円運動の途中で天井にぶつかっては意味がない。70センチでは長すぎるか。60センチではどうか。50センチでは――。


四季が安田に悟られないよう、中年男に視線を固定したままコンセントをたぐり寄せていると、安田が『ポリタンクの定位置』に到達するよりも早く、ポリタンクを床に置いた。


「いやァ、手がイタイ。ハァ」


「はやくしなさい」


「キツいなァ、四季ちゃんはァ」


「きちんと定位置に」


「ここでもいいでしょ。あとは自分で運んでね」


あと1メートルの距離で安田は仕事を放棄した。両手を閉じて、開いて、『頑張った両手』そして『頑張った自分』をアピールする。


「僕ネ、ちょっと人を待たせてるからもう行かなきゃ。それが済んだらまた戻ってくるから。そのときにお待ちかねの――新婚初夜、だネ」


そう言って黄ばんだ歯を見せて笑うと安田は通路へ向かい、やがてドアは閉ざされた。


表情にこそ現さないものの、四季は腹立たしく思う。

水の搬入という、課せられた『義務』を放棄するとは、許しがたい男だと思う。安田の無責任、そして怠慢のおかげで脱走のチャンスを逃してしまった。

少しばかり大きく開いていた目を定位置に戻し、ささやかなため息を吐いた。次の機会には必ず――。


しかし、安田との会話で幾つかの『動き』が推測できた。――少なくとも、稲上ケンタと畑中リョウは杜倉ユーリと合流したらしい。T.E.O.Tの女が一緒にいる事情は良くわからないが。


菜瑠、そしてエイミと共にここを脱走し、杜倉憂理と合流するの当面の目標とすべきだろうと四季は思う。だが、憂理と菜瑠を引き合わせる事に――微かな抵抗を覚えたのも事実だった。



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