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13月の解放区  作者: まつかく
11章 箱庭の散歩者
118/125

11-6 亡国のなかの箱庭


――巷に雨の降るごとく、わが心にも涙ふる。

いつだか耳にした詩句の一部を、菜瑠はエイミに聞こえない程度の囁き声で諳んじた。


建設途中で放置されたビルの一階。にわかに降り始めた雨が、やがて思いがけない豪雨となり、菜瑠とエイミは逃げるようにこの場所へ逃げ込んできた。

置き去りにされたままの建材や道具、倒れた三角コーン、たたまれたブルーシート。


四角い形だけが完成している窓に窓枠はなく、正面玄関にドアもない。

全てを見回ったわけではないが、おそらくこれは分譲マンションだかの建築現場なのだろう。


作業員の詰め所らしき場所には幾つかのパイプ椅子や簡易的な手洗い場、様々な書類、吸い殻が溢れた灰皿、そして箱で積まれたペットボトルの緑茶があった。

その聞いたことも見たこともないメーカーの緑茶を片手に、菜瑠はマンションの外に降る雨を眺めていた。


四季はどこへ行ったのか。

散々探し回って得た成果は、『道に迷った』ということだけ。

不安ばかりが大きくなる中で迎える豪雨は、心まで蝕んでゆくような気がする。


巷に雨の降るごとく、わが心にも涙ふる。

――続きはなんだっけ……。


灰色の風景に注がれる雨が、外に置いてある一斗缶やブルーシートに当たっては様々な音を立て、詩の続きを思い出そうとする菜瑠の努力を邪魔する。

エイミもそうだ。


「なんかもう、無茶苦茶だね。外がこんなになってるなんて、アタシ、思いもしなかったよ」


フォークリフト用の平パレットの上に積み上げられたセメント袋に、だらしなく寝そべったまま、エイミはため息を吐いた。

正方形に積み上げられたセメント袋は床に寝そべるよりも寝心地はよさそうだ。


「灰まみれで、誰もいなくて、四季も見失って、チンパンジーは凶暴で、オッサンは変態で、アタシたちは走り回って、疲れて、怪しい緑茶を飲んでる。そんでまずい」


「うん」


「チンパンジーはまけたのかな? まだ近くにいるのかな?」


どうだろうか。この質問が不安を紛らわせるために発されたもので、エイミが明確な答えを求めていないことぐらいはわかる。

だが無責任に『大丈夫だ』と言える性格でもない菜瑠は、考え込んでしまう。


『安田の城』を出てから、四季を探してかなりの距離を移動したが、断続的にチンパンジーの気配は追ってきていた。咆哮や叫びが定期的に聞こえていた。


だが、雨が降り始めたとたんに、その気配はパタリと消えた。

雨音にまぎれたのかと注意深く耳をそばだてたが、まるで朝モヤが朝日に駆逐されるかのように、漂っていた気配は消えた。


奇妙であったし、不気味でもあった。だがありがたくもある。

この雨の中、凶暴チンパンジーと追いかけっこなど、考えただけで胸が悪くなる。


「少なくとも、いまは追ってきてないと思う」


「あのサルが山にいた『猛獣』なの?」


「わからないよ。でも、誰かが飼ってたペットみたい」


「ボロボロだけど、Tシャツ着てたもんね。捨てられたのかな」


「飼い主の人がどこかへ避難するときに逃がしたのかも」


エイミはセメント袋の上で仰向けのまま天井を罵倒した。


「クソよね。飼うんだったら責任持って最後まで飼え、って話よ。どーせアレでしょ、『変わったペットを飼ってる、人とは違う感性の自分が好き』ってタイプでしょ」


それはどうだかわからない。

飼い主のパーソナリティをいまさらとやかく言ったところで仕方がない。


だが少なくとも、こういった非常事態にあって、連れて行かなかった――という事実は『無責任!』のそしりを逃れられないモノであることは確かだ。

特に、アイちゃんの握力や牙は、充分に猛獣と呼ばれるだけの資格をもっている。その猛獣を解き放つというのは、災いを上乗せするようなものだ。


誰かのペットのエサにはなりたくないなと菜瑠は思う。


「なる。こんなコト言うと、ケンタみたいで嫌だから黙ってたけど……。アタシお腹すいたよ。へばりそう」


コンクリート袋の上でエイミがそんな事を言う。すでにへばってるじゃないか、と反射的に言いそうになる。

菜瑠などはこれまでずっと緊張状態に置かれていたせいか、空腹を感じない。否、忘れていたと言うべきか。


「ここ、食べ物は……ないねきっと」


菜瑠が言うと、エイミも言う。


「あっても食べられたモンじゃないよ、きっと」


「ちょっと探してくる。エイミは待ってて」



 * * *


完成より早く廃墟となった建物は菜瑠に不思議な感慨をおこさせる。

人間の暮らした廃墟にあった生活の痕跡はなく、ただ打ちっ放しのコンクリートがくすんだ灰色を見せている。

人びとが去った後に残る――『臭い』としか表現できない衰退の情緒はなく、ただ無為に広く、無駄に静かだ。

これは廃墟と呼ぶよりも、遺跡と表したほうが良いのかも知れない。


手すりすらない階段を上がり、各階を見て回る。

通路の外側にあたる壁面は一定間隔で凹凸を繰り返しており、まるで中世の城のようだった。

菜瑠はそっと歩み寄ってみるが、下を見れば足がすくむ。飛び降り自殺をせんとする者がいたなら、その歯止めとなるものは一切無い。


もちろん侵略者の矢や投石から身を隠すためにあつらえられた施工ではなく、この歯抜け部分にアルミサッシなどがハメ込まれるに違いない。


そして、入居者がいたマンションならともかく、この『遺跡』にあって食料は望めそうにない。

各部屋の入り口にドアすらないコンクリートの塊にそれを望むのが愚かと言うことか。

いっそ石棺であったなら、花束やお供え物を期待できたかも知れないが。


「いったん、あのホテルに戻れたらいいんだけど……。今どこにいるのかもわからないもんね……」


独り言と同時に、ふと菜瑠は閃きを得た。

そして味気ないコンクリート階段をゆっくり上る。


このマンションの最上階からこの街を見回せば、あの『ケバケバしい南国風』の建物が見えるかも知れない。

街の景観を乱す建物――つまりそれは目立つと言うこと。当初はそのセンスに胸焼けさえ感じたが、今となってはありがたい。


そうして階段を上がってゆくと、やがてポッカリと空いた出口に辿り着いた。ここも防火扉などが設置される前であるらしいが、これは幸いだ。

その出口には外から降灰が入り込んでおり、コンクリートの灰色と歪な調和を見せていた。


それを踏み越えて外に出てみれば、屋上は一面の灰景色だ。もちろん柵や手すりなどはない。


雨でぬかるんでいる足元に気をつけながら、菜瑠はなるべく遠くまで見渡せるビルの縁までゆっくりと進んだ。油断して足を滑らせれば、一気に転落する――そう考えると足がすくむ。


ひと組の足跡を灰の上に点々と残しながら縁近くまで来てみれば、雨で視界は悪いながらも遠くまで見渡せる。


屋根に灰をのせた立ち並ぶ家屋、信号の光らない交差点、まさに『死の街』と呼ぶに相応しい眺めだった。

そして『ケバケバしい建物』は見あたらない。

迷走する内にかなり遠くまで来てしまったのか。


だが、奇妙なモノは見えた。

それは壁だ。


家屋の2階分にも相当するであろう高さの壁が、まるで街を割るかのように不規則に走っている。


「なに……あれ」


菜瑠は濡れた髪を耳にかけ、目を細めて観察する。


その壁は、大通りを分断し、家の庭や公園なども分断し、『内と外』を明確に分けていた。

どうやらコンクリートブロックを積み上げた壁であるらしいが、一部はビルの側面や民家の壁面自体も『壁の一部』としてそのまま利用しており不格好である。


その混沌とした施工から、これが『13月』以後に建てられたものだと菜瑠は推察した。

立派な大通りを無粋に横断する壁など、役所が許すはずがない。民家だって勝手に庭を分断され――家屋も城壁の一部とされて黙ってはおるまい。


これは確実に、荒廃以後に作られた壁だ。


そして歪な壁は、その向こうにあるものを守るために建てられた――。そこまで考えて、ようやく菜瑠は気がついた。


「もしかして……あれがナツカ自治区?」


安田やキスミという女が言及していた、避難民のコミューンか。

しかしその規模は菜瑠の想像していた規模をはるかに超えるものだ。『避難民が集まっている場所』と言われて、仮設住宅や建ち並ぶテントなどを想像していたが、これは完全に砦――いや城塞都市といったおもむきだ。


高くそびえる壁が威圧感を持って侵入者を拒み、城門らしき入り口も幾つか見て取れる。視界が悪く、どこまで壁が続いているのか判然としないが、よくよく見れば壁の内側だけ降灰の処理がなされている。


「なんか……すごいな」


もしかしたら四季は安田の手を逃れ、あそこで保護されているかも知れない。これは訪問してみるべきだろう。

避難民のコミュニティであるから救援要請は望むべくもないが、少なくともあの壁の内には『秩序』があるだろう。

そして『答え』もあるかもしれない。


安田やキスミからは得られなかった、答え。数多くの疑問符の決着。それらがあの壁の内にはあるかも知れない。


菜瑠は意を決すると、小走りに屋上から階下へ向かった。



 * * *

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