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13月の解放区  作者: まつかく
11章 箱庭の散歩者
117/125

11-5 棄民の国


もしかしたら、第六感という物は、眼で見て耳で聞いてなお知覚できない程度のものの集大成なのかも知れない。

憂理が目の前にいる安田という中年男性に対して感じた微かな不快感。それは危険を訴える第六感による警報だったのかも知れない。


安田による周辺事情の説明によれば、ここは名守市の中心地であり、その名守市の南にある名束町という場所に数千人規模の避難民キャンプが作られているという事だった。


「へぇ避難民キャンプか……。やっぱヤバい事態なんだなぁ」


この市街地から人びとが退去している事、大規模な避難民キャンプが発生していること。それらから推察するに、やはり事態はタダゴトでなく、そして長期化をみているようだ。


「そうさ。その名束ってのも、酷い有様だけどね。タチバナっていう役所の職員が仕切ってるんだけど、もう独裁国家さ」


避難民キャンプで独裁などと言われても、憂理にはピンと来ない。自分が今まで経験してきた出来事に照らし合わせれば半村などが想起されるが、あれほどの暴君がそうそういるとは思いがたい。

憂理と同じく『独裁』という言葉の意味をはかりかねたらしいイツキが首を傾げる。


「そのタチバナって人が悪い人なんですか? ヒトラーみたく?」


「悪いなんてもんじゃないサ。最初は避難民をまとめ上げるだけの木っ端役人だったのに、いつのまにか自分に都合の良い法律まで作って、みんなを支配しはじめたんだ」


「法律ねぇ……」


「僕はネ、そんなタチバナの横暴に耐えかねて『決起』したんだ。この、みんなで頑張らなきゃいけない状況にあって、自分の権力欲のために避難民キャンプを利用するなんて許されない! そうだろ!?」


そうだろ? などと同意を求められても、憂理は「はぁ、まぁ」だのと歯切れの悪い返事を返すしかない。


タチバナという男を憂理は知らないし、この安田という男のことも良く知るわけではない。

肯定も否定もできない憂理は、やわらかく話の方向を変えた。


「よくわかんないけど、その肩のケガもその『決起』の時に?」


「そうさ。同じ志をもった同士を集め、団結してね。反タチバナ派を『ボク』率いてが戦ったんだ。自分でもよくやった方だと思うけど、やっぱり多勢に無勢だね。タチバナ政権を倒すには至らなかった。でもまだボクは諦めてないよ」


そう言って、安田はイツキにウインクして見せた。

いまどきウインクなどというのが憂理にはどこか薄ら寒く感じるが、その直撃を受けたイツキは背筋が凍ったのではないか。


「……えっと、私、良くわからないんですけど、安田さんのその『仲間』の方たちはどこに?」


イツキの質問を受けて安田は遠い目で街を見やった。


「……散り散りバラバラだよ。みんな無事に逃げていてくれればいいが……」


「じゃあ、今は1人なんですか?」


「うん、まぁ、そうだね。ただ、ひとりタチバナの元から救い出した女の子がいるんだけど……」


「女の子? その子はどこに?」


憂理もイツキも揃って周囲を見回すが、それらしき人影はない。


「どこにって? 言えるわけないだろう」


「どうして」


「きみたちがタチバナのスパイという可能性があるからね。あの子を連れ戻しに来た工作員という可能性……これはゼロじゃない。あの子の居場所は君たちが信用できると確信できるまで言うわけにはいかない」


「じゃあいいよ」憂理は言った。

名束がどうであれ、タチバナという男がどうであれ、現状の憂理は派閥闘争に首を突っ込む余裕はなかったし、余裕があったとしても遠慮したい。端的に言えば、興味がない。


「俺たち、人を探してるだけなんで。そういうのはいいよ。で、聞きたいんだけど、小デブな奴とメガネな奴と、茶髪の派手女、機械みたいな女と黒髪ボブの女、あと5歳ぐらいの女の子。――そういうやつら見なかった?」


憂理の言葉が終わる前に、安田の表情に微かな変化があった。

脂で汚れた奥に並ぶ二つの眼が、細められ、鼻の横の筋肉が微動したのに憂理は気付いた。


「おい、お前。言葉遣いには気をつけろよ」


安田の目頭から斜めに、小鼻あたりから斜めに、2本のシワが走っている。これはもう『微かな変化』ではなかった。

シワの中央にある唇が、尖り気味に言葉を発する。


「なんだその、ナメくさった態度は。大人に対して敬語も使えないのか」


「えーと、じゃあ……見なかったッス?」


「ふざけてるのか。お前。ボクをナメてるのか、おい」


一触即発を肌の一番浅い部分で感じる。確実に、安田の機嫌を損ねた。この大人は立場の上下にこだわる人物らしいぞ、と憂理は察するがもう手遅れだ。

だが、憂理はどこか懐かしくも感じる。大人に叱責されそうな雰囲気――そんな状況を久しく味わっていない。


繊細なまでに年齢の上下を気にする人物は世の中に一定数存在して、彼らはこうやって低次元の事で自尊心を発現し、それによって尊厳そのものをいくらか失う。憂理などはそう思う。


もちろん、尊敬すべき大人、立派だと思う人物を敬う気持ちは憂理にだってある。

だが、そういった『敬語を使うに値する大人』を見ることは、これまでの憂理の人生においてマレであった。


年齢など、生きてさえいれば誰だって重ねる事ができるじゃないか。それだけに、なんら偉大な功績もなく、地道な努力も怠ってきた者に関して言えば、年齢そのものが『無駄に時間を重ねた無能の証明』だとも言える。

少なくとも憂理は、年齢だけで相手を敬うという作法――敬えと強要する者に苦々しさを感じてしまう。


だが、今はこんな事でカドを立てる事が無意味であるばかりか、愚かな行為であることは理解できる。

安田という男は、少なくとも憂理やイツキよりはこの街の周辺事情に明るいのだ。こんなつまらない事で情報入手の差し障りになっても虚しい。

憂理は小さく頭を下げて、小さく謝罪した。


「すんません」


「ふん。わかればいいんだ。目上を敬えない奴は誰からも敬われないんだぞ?」


「気をつけます」


安田は憂理が謝った事で立場の上下が明確になったと思ったらしく、機嫌を直してニンマリ笑う。


「いや、いいんだ。気にしてないから。でも気をつけてね。……で、さっき人を探してると言ってたね? 幼女とか言ってたけど、君らナツカ自治区の人間じゃないんだよね? クラシカ・テネカの関係者?」


「ええっと、違います。メサイアズ・ファームから来たんですケド、先に救援を求めに出て行った仲間を探してます」


「ふーん」安田はしばらくのあいだ憂理とイツキを見比べて、やがて訝しげに片眉を上げた。

「その……団子ヘアーの女の子と、機械みたいな子、ボブの子って、君らの仲間なの? メサイアズ・フォーラムの寄宿児童?」


「そうですけど、知ってるんですか?」


「いや、知らないなぁ。この街には居ないんじゃないかな。もしかしたらナツカの方へ行ったのかも知れないけど、少なくとも僕が追放された時には居なかった」


ガッカリだ。

失望がため息となって抜けてゆく。


「ここがゴールだと思ったのに……」


「ゴール?」


「この車のワダチを追いかけて来たんすよ。だからてっきりこの街にいるだろうって」


ふうん、と安田は地面のワダチを目で追い、またしばらくの間を持たせてから言った。


「よし、僕も探すのを手伝ってあげよう」


自分はこの街に詳しい、だから一緒に探せば手がかりも得やすいはずだ――と安田は早口でまくしたて、憂理やイツキの合意を得ないままに車のワダチを追い始めた。


「トクラくん、なにをグズグズやってるんだ。急がなきゃ! 方向はこっちで合ってるんだよね?!」


「はぁ、まぁ。たぶん」


「じゃあ急ぎなさいよ、きみ!」


安田の態度には明らかに『焦り』が見てとれた。それを感じとったは良いが、その焦りをどう解釈すべきか憂理にはわからない。

足早にワダチを追ってゆく安田の背中を見つめていると、イツキがそっと耳打ちしてきた。


「なんか変わった人だね。……ちょっと怖いかも」


「ああ、さっきあの人と喋ってた時……なんか引っかかったんだけど、お前なんか違和感かんじなかった?」


そう問われてイツキは黒目でクイッと上を見て、小さく首を傾げて、アゴに人差し指を当てて、最後に肩をすくめた。


「ううん。別に。ただ少し……こんな事いうの嫌だけど――少し気持ち悪いなぁって思っただけ。あの人、憂理君と話してるときでも私をジロジロ……」


「んー。そか。まぁ思い過ごしかも」


いますこし憂理に注意深さがあったなら、安田の垂れ流した言葉の中に道理の合わない部分を見出せただろう。

あるいは外界に出て初めて会った人物でなければ。あるいは今のような非日常のワンシーンでなく日常のひとコマだったなら、矛盾を指摘できたかも知れない。


だが、憂理は気付かなかった。

ただ、『微かに臭うそれ』を違和感と表現した。



 * * *



ワダチを追って10分ほど歩いた頃、憂理は安田の背中に質問を投げかけた。


「安田さんはこの街に住んでるんすよね?」


安田はひたすらに地面と街並みの間で視線を行き来させ、質問者に振り向くこともなく答えた。


「ああ。ナツカ自治区を追い出されてから、ここがボクの城だよ」


「食いモンとかどうしてるんすか」


「非常食やレトルト、即席麺を大量にかき集めてある。さすがに最近は屋上で野菜も作り始めたけどね。個人商店に種が大量に置いてあったんだ。レタスもアスパラも果物もね。まぁ、屋上には太陽パネルを設置してあるから、今はまだぜんぜん畑の面積が取れないけどね」


健康に気を使う必要があるのは医者でない憂理でさえ安田の見た目から判断できる。

何かしらの栄養や成分が欠乏しているのか、肌は酷く荒れているし、眼球の白目は黄色がかって見える。


黙って話を聞いていたイツキが「こんな曇でも太陽発電できるんだ……」とボソッと呟くと、安田は立ち止まらないまでも顔だけはイツキに向けて答える。


「そうだよー。出力はまだまだ弱いけどネ。ナツカではマイクロ水力発電で電力を作ってるからココより安定してる。そのうち取り返すよ。アレはボクが見つけた物だ。ボクの物だ。ボクを追放したアイツらが使う権利なんて1ミリもない」


早口にまくし立てられ、イツキは引きつった笑顔で応じる。


「へ、へぇ……。凄いんですね、安田さん」


「そうかい? そうおもうかい?」


「ええ、そう思います」


「君は良い子だなぁ。お嫁さんにしたいぐらいだなぁー。なってくれる? お嫁さんに」


これには『良い子』を演じることに長けている――と言っていたイツキも苦笑いして視線を下げた。無理もない。イツキにだって相手を選ぶ権利があり、その選んだ相手は安田でなく真横にいるのだ。憂理も居心地が悪くなって、次の質問を繰り出した。


「救援とか来ないんすか?」


「さぁね。避難民が大量に出てることはわかってるだろうに、自衛隊の災害救助もずっ来てない。『それどころじゃない』んだってボクなんかは推理してるけど」


「それどころじゃない?」


「聞く話じゃ、首都圏も降灰と地震で壊滅だっていうじゃないか。もしかしたら、国という形すら危ういんじゃないかって。だからタチバナの奴――この国体の危機に乗じて自分が支配階級になって好き勝手やるつもりなんだ。クズめ。ザコの市役所勤めが偉くなったモンだ。国がなくなったとしても、公務員はまだ国から甘い汁を吸おうとしてるんだ」


「国がなくなるって……あるんすか? いまそうなんすか?」


「しらないよ。ボクに聞くな。どうせ救助にも来ないなら、ボクらは国に棄てられたようなモンさ」


国がなくなる――というのはどういう事だろう? 憂理が口を閉じて考え始めようとした瞬間、安田がソレを遮った。


「でね、君たちにだけ教えてあげよう。秘密の計画を!」


「秘密の計画?」


「そうさ。国を作るんだ」


「え? 国?」


「いまナツカ自治区はインフラも完備し始めて、自治警察なんかも組織して、国ごっこを始めてる。でもアレが――タチバナのクソが指導者なんて酷い結果しか生まないのは明らかだ。ディストピアだよ。だから、ボクたちもここに国を作るんだ。国を作って、軍事力をあげて、ナツカの人たちをタチバナの手から救う! 解放軍だ!」


そう言って、安田は大きく頷いた。


憂理などはこの中年男性の言っていることが理解できず、ただ呆然とまばたきをするだけだ。

国を作る――などと日曜大工で棚を作るようなノリで言われても、どう応じればよいのかわからない。

もちろんイツキも憂理と同じように、大きな眼をことさら大きく開いて、言葉なくただ睫毛を上下させている。


なんだかよくわからないが、巻き込まれるのは御免こうむりたい。憂理は呆然としたまま、小さく反抗した。


「いやでも、おれ、たぶん日本国民なんで。そういうのはちょっと」


それが可能だったとして――安田が建国するのは自由だ。別に止めようとも思わない。

だが、話の流れで安田国の戸籍に記載されても、住民票を発行されても困る。


「あー君、そう言う事じゃない。別に日本人を辞めろと言ってるワケじゃない。ただ言いたいのは、助かって元の日常に戻れるまでは、なんらかの集団が必要ってことさ」


そうだとしても、憂理は『ナツカ解放軍、ヤスダ国』に籍を置きたいとは思わない。


「まぁ、君たちは山から下りてきたばかりだから、右も左もわからないだろうけど、おいおいわかるさ。誰も助けに来ないなら、自分が立ち上がるしかない――ってね。鶏口となるも牛後となるなかれ、さ!」


ほとんど演説のような色を帯びてきた安田の言葉は、灰色の街の消音作用に負けもせず、小さな木霊を聞かせる。


「イツキちゃん、国だよ。ボクたちで国を作って、自分たちの好きなように繁栄するんだ! 子供も沢山作ろう! もう収入も税金も教育費も気にせず、作りたいだけ子供を作れるんだ! ボクはね――」


「ユーリ!」


唐突に降って来た声に、安田の演説は止まった。

憂理のモノでない、イツキのモノでもない声に、安田は姿勢を低くして小動物のように周囲をうかがう。

もちろん憂理も自分の名を呼んだ『声の主』を、灰色の中に探した。


探し物は高所にあった。

なにやら街の景観にそぐわない南国風のケバケバしい建物――そのスラリと高いビルの屋上には、明らかに場違いなヤシの木などが見える。

降灰に汚れた人工の樹木の数階下の窓から、見慣れた顔が満面の笑みをこちらに注ぎ、手を振っている。


憂理は見上げたまま、開いた口で呟いた。


「ケンタ……」



 * * *

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