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13月の解放区  作者: まつかく
11章 箱庭の散歩者
116/125

11-4 鳥の歌いまは絶え


空一面が暗雲に覆われていては、どれが雨雲なのか判別できない。目視しうる雲の全てが雨雲か、あるいは憂理とイツキの上に居座っている雲だけが雨雲なのか。


バス停を出立してから『今にも振り出さんがばかり』が続いていたが、とうとう一粒の雨粒が憂理の鼻先に落ちてきた。

気の滅入るような曇天を見上げ、手のひらを広げてみれば、すぐに幾粒かの雨を受けることができた。


イツキも憂理と同じく雨を感じ、眉を寄せては不安げに空を見上げていた。


「降って……きちゃったね」


あいにく、相合傘をするにも傘を持ち合わせておらず、このままでは濡れるに任せるだけになる。

先を急ぎたいところではあるが、身体を冷やして風邪でも引けば、面倒なことになる可能性が高い。病院に行けば医者がいる――そんな常識を期待できる状況ではなかろう。


翔吾たちの残った集落から、かなりの距離を下って来てはいたが、まだ憂理たちは市街地へは到達しておらず、周囲を見回しても雨宿りできそうな家屋は見当たらない。


道路を挟むように切り立つ山の斜面は、法面保護のコンクリートで固められており、その遥か上には樹々が見えるが、これを登るのは名うてのクライマーでも苦労しそうだ。


薄く灰の積もった道路にポツリ、ポツリと小さな水玉模様を作り始めていた雨粒だったが、それは時間の経過とともに加速度的に粒を大きくしはじめた。


「憂理くん! あれ、車じゃないかな?」


雨音にかき消されそうになりながらも、イツキが声をあげ、道路前方の灰色世界その一角を指差した。

見れば、確かに車らしきものが停まっている。

降り積もった灰に埋もれ、一見しただけでは灰の小山のようだが、よくよく観察すればナンバープレートが見て取れる。


これはまさに渡りに船、道路に車、だ。

2人は顔を見合わせて、ぬかるみ始めた地面を駆けた。


近くにつれて、路側帯にひっそりと停められたそれが5ドアのSUVだとわかった。

この際、SUVでも軽でもトラックでもいい。雨から身を守る屋根があること――そして鍵がかかっていないこと――。


「イツキ! 助手席に!」


憂理は運転席のドアに駆け寄ると、ドアノブを探す。側面に降り積もった灰が雨に濡れて泥濘化し、探す指が埋もれる。どれだけ放置すればこんなに灰が積もるのか。

目に入った雨で視界を奪われながらも、ようやくでドアノブを探り当て、祈るような気持ちで引いた。


それは軽い手応えを伝えたあと、一気に重くなる。だがいける。憂理が勢いよく引くと、ドアは開いた。

「開いてるぞ!」


憂理は車の向こう側にいるイツキにさけび、開いたドアから車内に飛び込んだ。

数秒後には憂理の補助を得て、イツキも車内へなだれ込んできた。


「開いてて良かった!」


「ラッキーだ、まじ」


そうして運転席と助手席のドアが閉じられると――途端に車内は暗くなる。窓があるとはいえ灰に埋もれた小山の中だ。こればかりは文句を言っても仕方がない。

その小山の中にいても、雨脚が強まるのが音でわかる。これはしばらく身動きが取れなさそうだ。


「きっついな」憂理はハンドルに両腕をのせて言った。「これ雨が止んでも地面が沼みたくなるよな」


もっと言えば、ここまで辿ってきたワダチが消えてしまう可能性もあった。

あとどれぐらいで菜瑠たちに追いつけるのかわからないが、彼女たちの痕跡を追うことが出来なければ、気付かず追い越して――通り過ぎてしまう可能性もある。


「すこし……寒いね」


イツキが助手席で自らの肩に手をのせて不安げに言った。突然の雨に打たれた肩は、じっとり濡れ、彼女の体温を急速に奪っている。

これは暖を取るべきだ。だが車内で焚き火というワケにもいくまい。


憂理はハンドルから手を下ろすと、刺さり放しになっていた鍵を薄暗闇の中で指先につまんだ。


ガソリンが残っていたら、エンジンがかかるかもしれない。エンジンがかかれば、エアコンで暖が取れる。さらに、そのまま麓へと車で下って行けるかの知れない。


そんな期待をもって、使い方もよくわからないまま憂理は鍵を回した。

だが、何も起こらない。手順が悪いのかと訝って、何度も試してみるがウンともスンとも言わない。


「……動かないな。壊れてんのかな」


「動かないから放置されたのかもね」


ダッシュボードを確認してみれば、燃料は半分以上残っているように見える。

なのになぜエンジンがかからないのか。バッテリーという概念を知らないワケでもないが、すくなくとも現状の憂理からにはその可能性に気付ける余裕がなかった。

もっとも、気付いたとしても何が出来るわけでもないが。


車に積もった灰の向こうで雨が降り続き、五感のほぼ全てが聴覚に注がれる。雨粒がどこかの金属を叩く音、水たまりに混ざる音。どうにも退屈極まるオーケストラだった。


観客としては褒められた態度ではないが、憂理は車のシートを限界まで倒し、天井にため息を吐いた。これはしばらく足止めを食いそうだ。


「なぁ、イツキ」憂理はフッと湧いてでた疑問をそのまま言葉にした。「お前さ、これからどうすんの?」


これから。それは憂理自身、自らに問いかけていた事でもある。菜瑠に伝言し、それからどうすればよいのか。


脱走計画の初期に目的としていた『警察への通報』は半村体勢が瓦解したいま、それほど強いモチベーションを生み出さなかったし、だいいち『この世界』を見れば警察がまとも機能しているかも怪しい。


そこにあって、憂理自身、菜瑠への伝言を終えた後の自らの身の振り方を決めかねていた。自分がそのような宙ぶらりんの状況である以上、その宙ぶらりんに『ついてきた』イツキなどは四次元へでも迷い込むのではないか。


そんな憂理の質問に、イツキはじっと憂理を見つめ、やがて小さく微笑んだ。


「わかんないよ。君が行くところへ付いていくだけだから」


「お前は主体性がないなぁ。もっとこう、『内なる自分』を見つめてだな、こう、なんていうか、やりたいことを追求しなきゃだぞ。そんな他人任せじゃ、こんな時代を――」


「生き抜いていけない?」


「ああ。うん」


イツキは憂理に倣って助手席シートを限界まで倒すと、横向きに体を倒した。もちろん憂理の方へ体を向けて。


「これでいいよ、私。いまが一番楽しい」


「いや、楽しいだけじゃ駄目だぞ?」


「いいんだ、これで。絶対後悔しない、ってわかるもん。いままでね私、後悔しっぱなしだった」


イツキは憂理を見つめながらポツポツと言葉を漏らした。

今まで、自分は『良い子』でいようとしてきた。父親や母親、果ては教師や降屋タカユキ、友人にまで『良い子』に見られようとしてきた。それは『媚び』と言い換えてもいい。

仲間はずれが怖いから、積極的ではないにせよ、間接的にイジメに荷担したこともある。

良い子を演じるとき、人を傷つけるとき。そんな時に感じた心の痛み、やるせない痛み。


「憂理君はバカにするけど、T.E.O.Tのみんなはきっと、私と同じように感じてた人たち。やるせない気持ち、どうしょうもない気持ちを何かに変えたかった人たち」


「あのパンク女も?」


「パンク女? ああ、アヤカ?」


「うん、それだ。サトリ・アヤカ。あのパンク女もそうだってのか? おれ、そのうちアイツに殺されるかもってビビってたんだけども」


イツキはクスクスと楽しそうに笑って、言う。

「あの娘は、特に。だよ」


ずっと探してた『変える方法』をようやく見つけた――。だから人一倍頑張っちゃうのかも。人一倍純粋だから、人一倍傷ついたのかも。だから盲目的に新しい世界を求めちゃうのかも。そんな事をイツキは言う。


「私もね、そうやって誤魔化してたのかもしれない。少なくともあのグループにいたら自分は必要とされてるって感じるから、疑問とか不安とか、見て見ぬふりしてたのかも」


「タカユキに騙されてんだ――って俺なんかは思うけどなぁ」


「それでもいいんだよ。全部変えてくれるなら。全部取っ払ってくれるなら。でもね、私はいま、痛みも不安も疑問もないよ? 君とならずっと山の中を彷徨っててもいいって思える。凄いよね。君が全部取っ払っちゃった」


「そうだろう、そうだろう。崇めよ讃えよ」


「それ以上だよ。だからこれから先の事はなにも考えてないの。パパやママに会いたいとも思わないし、導師も『いつでも憂理を連れて戻ってきたらいい』って言ってたし、いまは私の人生で一番『主体的』に行動してるよ?」


イツキの依存的な性格が憂理などはむしろ羨ましく感じる。

依存する対象を見つける――ということ自体が自分には難しいと思う。タカユキが言っていた言葉『憂理は壁を作ってしまう』という評を認めるつもりはないが、独りでいるときも、誰かといるときも、心のどこかで孤独感は感じていたと思う。

――1120億の孤独か……。


変調も移調も転調もないままに交響曲は続き、楽章と無為な思索ばかりが積み重なった。

そして、2時間だか3時間だか経過したころ、ようやく最終楽章がフェードアウトしていった。もう1人の観客――イツキは、憂理の方を向いたまま寝息を聞かせていた。



 * * *



菜瑠たちをたどる手がかりであるワダチは、豪雨のあとでもしっかりと形を残していた。ワダチの凹面に雨水がたまり、ちょっとした『運河』を作り出している。


足を滑らせないよう、憂理とイツキがぬかるんだ灰の上をゆっくり進んで行くと、やがて澄んだ空気の向こうに家屋がポツポツと現れ、それらも過ぎると街が見えた。

灰に汚れた道路標識をイツキが指さす。


「名守市街地 3㎞だって」


「そこがゴールならいいんだけどな。疲れたか? だいじょぶか?」


「大丈夫。ホントは進みたくないけど」


そう言ってイツキが肩をすくめる。

あと3㎞。大した距離じゃない。もう目と鼻の先だ。そこに菜瑠たちがいれば、このピクニックも終了だ。


休憩もとらないまま先を急ぐと、やがて右に左に『灰色の街』が憂理を挟み込んでくる。

――ひでえなコレ。

毒々しいネオンも、けばけばしい看板も、白すぎる街灯も――ない。良くも悪くも街を彩っていた色彩という色彩が全て失われていた。すべて灰色だ。遙か上空から大量のペンキをぶちまけたのだとしても、もうすこし『塗り残し』が目立つはずだ。


「これ……」イツキが憂理のシャツをぎゅっと握って言う。「駄目じゃないかな」


色々と足りない言葉だったが、足りないままで良かった。何がどう駄目なのか、眼前に広がっている状況を見れば誰にだってわかる。



菜瑠たちが救援を求めて施設を後にした事を考慮すれば、少なくともここにはいない――救援してくれる人物も、菜瑠たちも。

失望に伴う脱力が、憂理のため息を深くする。


菜瑠たちがここを去ったなら、もう追いつけないのではないか。そう思う。そもそも車で移動する相手を徒歩で追おうというのが間違いだったんじゃないか。そう思う。


追っているはずが、実のところどんどん距離は離れていて、やがて雨風でワダチが消え、全てが徒労に帰するのではないか。


そんな風に考えながらも、憂理は猟犬の如くワダチを睨み、歩みを進めた。

帰るところも行くところもない自分が、いま唯一没頭できる仕事。それを続けるしかなかった。


使命感だとか義務感だとか、人はモチベーションに様々な名前をつける。今の憂理がそれらへ命名権を授かっていたなら、それは存在意義だったろう。

無言で歩きはじめたそんな憂理に少し遅れてイツキも付いてくる。


廃墟なら廃墟なりの佇まいがあって良い。だがワダチを追って街の中心地に向かうにつれ、廃墟と呼ぶにはあまりにも真新しい建築物が廃墟然として存在感を主張していた。

ただ灰を被せただけ――そんな印象があった。


「これ」憂理はテナントビルの谷間を歩きながら、言った。「誰が掃除すんだろ?」


「憂理くんじゃない――とは思うよ? 消防団の人とか? 自衛隊の人かな?」


郊外都市らしく中層のビルが不揃いに立ち並び、大通りに交差する商店街は軒並みシャッターを下ろして来客を拒んでいる。

いつだか、憂理はケンタに『コンビニとハンバーガー屋は永遠に不滅だ』と言ったことがある。だが、この荒涼たる風景を目の前にしてしまうと、その断言を撤回せざるを得ない。


静かだった。

雪の降った朝とはまた違う、不吉な静けさがあった。ただ降り積もった灰は積雪と違い、光を反射しない。ただ貪欲に光を吸い取っている――そんな気がする。


「あとでさ、雪だるまならぬ、灰ダルマを――」そこまで言って、憂理は言葉をのんだ。


灰色の街の灰色の街角で、何か動く物があった。


それは憂理たちの歩く大通りに交差する脇道から現れた。


「おい、イツキ。あれ」


立ち止まって憂理が指さすと、イツキもその方向を見て、パッと表情を明るくし、その屈託のない笑顔をすぐに憂理に向ける。


「憂理くん! ひと! ひとだ!」


「ああ。人間だ。久々に――『普通の人間』だわ」


イツキの笑顔に安堵の色が混ざって、やがて少女は街角に現れた人物に大声で呼びかけた。


「すみません! あの、ちょっといいですか!?」


脇道から出てきたその人物は、イツキの声にビクリと肩を上げ、一瞬怯えたような表情を見せたが、憂理とイツキをジッと見つめやがて小さく頭を下げた。


「いこう、憂理くん」


イツキが先立って駆けだし、憂理も少し遅れてその人物の元へ向かった。

駆け寄りながら観察すると、憂理は躍る心と裏腹に、なにやらつかみ所のない違和感を感じる。

灰色の世界に現れた『ひと』。憂理自身が灰色に慣れすぎたせいか、彼は色彩のない世界の特異点に見えた。


だが、外に出てから初めて遭遇する大人――彼は自分たちに多くの情報と正しい道筋を示してくれるに違いない――。そんな気持ちが違和感を押し流してしまう。


「すみません!」


先に彼の元へついたイツキがぺこりと頭を下げて言う。

「私たち、人を探してるんです! あと、救援も!」


すぐに追いついた憂理も、その男性に小さく頭を下げた。

その中年男性は、イツキを見て、憂理を見て、少し間を置いてから言った。


「君たち、どこから来たの?」


彼から憂理たちに向けられる視線は、あからさまに不審者を見るソレだった。

これには憂理が返答する。


「俺たち、山の中腹にある施設に住んでたんだけど、そこでちょっとトラブルが起きちゃって、警察に通報するために下りてきたんすよ」


「トラブルだって?」


「ええっと、どう話せばいいのかわかんないけど、端的に言うと殺人です。通報するために先に施設から出た仲間もいるんだけど、そいつらも探して――」


「そりゃあ、たいへんだ。まったく、世の中どうしたんだろうね。灰が降ってから、みんなおかしくなって、どこまかしこも無法地帯だ」


中年男性は深い憂いをあらわすように、ため息をひとつして、憂理たちに再度問うた。


「君たち。名前は?」


「トクラ。トクラ・ユーリ」


「ヤナミ・イツキです」


「ふうん。何歳? 中学生かな? まだ若いのに苦労したんだね。可哀想に」

中年男性の言葉に頷き、耳を傾けながら、憂理はふと気がついた。中年男性の肩が赤い。

黒いモーニングのような背広に袖を通さず羽織っているが、チラチラ見えるワイシャツの肩口が赤い。これは出血か?


「あの、オジさん。それ、ケガ?」


憂理が指摘すると、中年男性は小さく頷いた。


「ああ、ちょっと無軌道な生き物に襲われてね。まぁ、ソレはともかく、イツキちゃんは何歳? 中学生?」


イツキは中年男性のケガに気をとられていたらしく、返事が遅い。彼女は話しすら聞いていなかったらしく、数秒遅れて「えっ?」とだけ。

中年は男性はケガを隠すように背広を羽織りなおし、優しそうな笑顔で言う。


「僕のことは大丈夫。で、自己紹介が遅れたね。僕ね、安田って言います。安田アキノリ。大変だったろうけど、もう心配要らないよ」




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