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13月の解放区  作者: まつかく
10章 百匹目のヒツジ
110/125

10-9 棄村にて


ひどく肌寒く感じるのは、山にいるせいか。あるいは、空を覆う黒雲に起因するものか。憂理には検討もつかない。

施設から出て、2度目の夜がやって来ようとしていた。


初日は道路から外れた場所で焚き火を囲んで野営したが、どうやら今夜もそれ以上の待遇は望めそうにない。点々と続く菜瑠たちの足跡を追って、ひたすらに道を下る。


「おい、翔吾」


一行の最後尾にいた憂理が呼ぶと、先頭で台車を引く翔吾が振り向かないまま応じた。


「なんだよ」


「ナル子たちが待機してた廃屋って、まだなのか?」


「ああ、あれな。初日のうちに通り過ぎた」


「えっ?」


「気付けよ」


憂理などは、てっきり、2日目は廃屋で夜を明かすものだと思っていたが、これには完全に脳内プランを崩された。


「なんだよ。また野宿かよ……」


「いや、さっき山の間から、村みたいのがチラッと見えた。そろそろつくんじゃね?」


「ナル子たちもそこにいる?」


「さーな。とりあえず、そこまで行ってみようぜ」


「野宿よりはマシ……か」


歩き詰めで、明らかに皆の元気がない。

憂理やジンロクは怪我のために荷物を免除されてはいるが、台車を引くツカサやナオ、そして憂理の隣を歩く行商スタイルのイツキなどは、明らかに発言が少ない。


「じゃあ、その村まで頑張ろう。運がよけりゃ、そこがゴールかも。イツキも頑張れよ」


「うん。大丈夫だよ、わたしは」


かくして、無言のままで行軍は続く。


灰色の景色に飽きた憂理が、ふと道路に隣接する斜面に目をやると、そこに古びた看板があった。

片足が折れ、灰に埋もれつつあったが、書いてある文字は判読できる。

『カルトは出て行け! カルトはいらない!』


なるほど反対運動の名残というわけか。山間に見えた村落の者たちが立てたのだろう。


「カルト……ねぇ」


その『カルト』が憂理たちが生活していたメサイアズ・フォーラムの施設を指す事は明白だった。

しかし憂理自身、施設で暮らしていたなかでカルト臭を感じる事は少なく、本人の意識としては『寄宿学校』程度のものだった。『出て行かざるを得ない』ような事に手を染めた覚えもない。


もっとも、自分の知らないところで大人たちが何をやっていたかは知る由もなく、情報も統制されていたのかも知れないが。

そんな事を考えながら道路を下って行くと、他にも幾つかの看板が倒れているのが目に付いた。


『メサイアズ・ファーム。8キロ先』


『保安林』


『クラシカ・テネカ。東海科学研究センター左折』


『山火事注意。ポイ捨て厳禁』


『鹿 飛び出し注意』


『この先、板ヶ谷地区』


「板ヶ谷?」


憂理がつぶやくと、看板の見えない位置を歩くイツキが不思議そうに憂理を見た。


「どうしたの?」


「いや、もうすぐ板ヶ谷地区だってさ。あの集落か?」


「たぶん、そうじゃないかな? 誰かいるといいね。菜瑠ちゃんとか……」


「うん」


菜瑠がいれば――ひとまずこの旅の目的は一つ達成される。彼女に母親の死を――学長から預かった言葉を伝えねば。


「会いたい?」


考え込んでいた憂理の顔をイツキが覗き込んでくる。やはり近い。


「会いたいとか、そういうなんじゃなくてさ。ちょっと学長から伝言があるんだよ、。この場合は遺言なのか? わからんけど」


「伝言の内容って?」


「あー。あれだよ。『杜倉くんは正しかった。罰を与えた我々が間違っていた。これからは社倉くんを神とあおぎ、崇め讃えなさい』って」


「またそんな。わたしに言えない事?」


「んー」憂理は口ごもって、やがて頭を掻いた。


「ともかく、さっさと追いつかないと、ケンタが心配なんだよ。四六時中ナル子に見張られてたら、あいつストレスで痩せちまって、デブキャラが台無しになる。せっかく手塩にかけて育ててきたのに」


「大丈夫だよ。痩せる、って簡単じゃないから。……でも菜瑠ちゃん、男子に厳しかったもんね」


「特に『俺ら』にな。まぁケンタが痩せたら、代わりに遼でもデブらせるわ」


「誰か太ってないとダメなの?」


「必須」


「じゃあ憂理くんが太ったらいいよ。わたし、憂理くんなら太っても大丈夫だよ」


「考えとく」


やがて、先頭を行く翔吾が『到着』を宣言した。


「ついたぞ! ここだろ、ここ村の入り口だろ! 下界!」


「やりましたね、七井さん! 道路の足跡も途切れてます! みんな、この村にいるんですね!」


たしかに、村の入り口に差し掛かったらしい。

ガードレールが途切れ、集落へと下る道と、今まで降ってきた山道とに岐れている。そして、山道には今まで続いてきた数人分の足跡がない。


その代わり、矢印があった。灰の積もった道路に、ひときわ大きな矢印が描かれている。

――なんだこれ。


翔吾とツカサとナオが三人してそれぞれ奇妙な踊りを見せて、喜びを体現する。

「いえーい!」

「ヒョー! ついたー」

「行きましょう!」


先ほどまでの消耗具合はどこへやら、三人が台車を勢いよく引いて集落へとなだれ込んで行った。

ジンロクも天を仰いでため息をひとつ聞かせる。


「思ったより、長かったな。傷は大丈夫か、ユーリ」


「ああ」


憂理は生返事だけを返して、矢印を観察した。

この矢印がなんらかの意図を持って描かれた『メッセージ』であることは疑いない。


憂理はその矢印を目で追って、矢印の指し示す先に目ざとく紙片を見つけた。

ガードレールの終点部にテープで乱雑に貼り付けてある。

憂理は一挙手一投足を見つめてくるジンロクとイツキに肩をすくめて見せてから、ガードレールへ歩み寄り、その紙片を剥がし取った。


「ん。ユーリ。なんだそれは?」


「わかんね」


憂理は折りたたまれた紙片を開き、そこに文字を見た。字は乱れ、書いた者の慌てた様子が文面から伺えた。


――憂理、翔吾へ。

この集落に入っちゃいけない。休憩なり、泊まったりするのは、この集落以外にして。

時間がないから端的に。


・集落内、よくわからない病気に感染する恐れ。高熱、最悪死亡。

・未知の動物。腹をすかせてる。食料が狙われる。君らが食料になる恐れ。


僕たちはもう山を下った先にある街へ向かってる。車。

――遼。


「遼だ。あいつ、眼鏡のクセに字が汚いな」


「ん。乱視で視界が歪んでるんじゃないのか。で、なんて書いてあるんだ」


「この集落に入るな、って」


「翔吾たち、もう、入ったぞ」


「ああ」


ジンロクの表情がこわばり、憂理を詰問するように言う。


「なんで、入っちゃいけないんだ?」


「なんか――病気になる、かも。変な動物が腹を空かせてる、かもって」


「ナオ!」ジンロクが集落に向き叫んだ。その声はどこまでも静かな山村の奥まで響き、やがて小さな反響を幾重にも聞かせる。


「ナオ! 戻れ!」


鬼気迫る表情を見せるジンロクと対照的に、イツキは眉を寄せて、その不安げな表情のまま憂理の服をつまんでくる。


「ユーリくん……病気って……どんな?」


「高熱、最悪死ぬ、って書いてるな」


遼が手の込んだ冗談をわざわざ書き残したとも思えない。憂理は手紙の文面から、幾つかの推測をする。

おそらく、菜瑠グループに死者は出ていない。だが死亡について言及して居るとなると、その根拠があるはずだ。それはおそらく菜瑠グループ以外の状況から判断されたものだろう。


静かだった。周囲に響くのは幼い弟を呼ぶジンロクの声とその反響だけ。


――静かすぎる山村。誰もいない集落。

憂理は明確にもなっていない推測をポツリと呟いた。


「村の中が死体だらけ……とか?」


「えっ?」


「いや、とにかく入らない方がよさそうだな。動物ってのも気になる」


「動物って……」イツキが憂理の袖を離し、地面を指さした。


「この足跡がそう?」


イツキの指し示した地面には、点々と足跡があった。降り積もった灰の上に、大型動物のものとおぼしき足跡が残されている。


「う。そうかも」


「ねぇ、ユーリくん。菜瑠やエイミたちの足跡がないけど……」


「これだろ」憂理は足跡に隣接するワダチを小さく指さした。「手紙の最後に、『車』って書いてる。あいつらいつの間に免許取ったんだよ」


「ほんとだ……。なんか……」


「ん?」


「この足跡。車を追っかけて行った……のかな?」


まもなく、ジンロクの呼ぶ声に引かれたか、最初にツカサが戻ってきた。

中性的な少年が道路まで20メートルほどの距離まで駆けてくると、ジンロクはまるで新兵を叱責する熟練兵のごとく声を張った。


「ツカサ! 出ろ! その村は危ない! ナオはどこだ!」


「えっ!? 危ないって、なにがです!?」


これには憂理が応じた。遼の書置きを宙に泳がせ、ジンロクに負けないほどの声を上げる。


「病原菌かなにかがあるかもなんだよ! 遼の手紙があった!」


イツキも憂理の脇から言う。


「ダメ! そこで止まって!」


それを聞いた瞬間、ツカサの足は憂理たちまで10メートルの位置で止まり、表情は青ざめた。


「び、病原菌?! や、やばいんですか」


憂理はイツキの判断力に関心しながら、ツカサに首を振って見せた。


「最悪、死ぬってよ。いいか、村の中で何も触るなよ……!」


「な、『なにも』って、『水』とかも含まれます? 物だけじゃなく?」


「モノも、水もだ!」


この憂理の言葉に、ツカサの表情は青ざめを通り越して凍りついた。


「あの、『水』って、井戸水も含まれます?」


「当然だろ! お前、まさか……」


「いや、そのまさかです、ハイ。七井さんが井戸見つけて……ポンプをキコキコやったら、水がドバーっとですね、出てですね、すごい冷たくて……七井さんは」


ツカサが強張った表情で説明すると、集落の奥から桶を小脇に抱えた翔吾がナオを伴って現れた。

ほがらかな表情で、片手にはペットボトルを掲げている。


「新鮮な水最高ー! おーユーリ、お前らも飲め!」


「えっと、七井さんが、あんな風に言うので、僕もガブガブと……」


翔吾はペットボトルの水をグイと飲み、あろうことか残った分を頭上から自分の頭にかけた。まるでリーグ優勝を決めたあとの祝勝会のように。

なんというアホがいたことだろうか。

憂理は唖然として、少し怒って、なかば呆れて、最後にはため息を吐いた。

ジンロクは例の軍人の声でペットボトルを掲げるナオに怒鳴った。


「ナオ! その水はやめろ!」


「えっ? なんで」


ツカサが慌ててナオの手からペットボトルを奪い、泣き顔と笑顔の中間の顔で翔吾に言う。


「な、なんか、これ、病原菌が入ってるかも、だそうです。ぼ、僕たち、たらふく飲んじゃいましたよね?」


ツカサの師匠はまず怪訝な表情を見せた。


「はぁ? 病原菌? ドコ情報よ、それ」


「翔吾」憂理はツカサにやったように、手紙をパタパタと宙に洗い、言う。

「遼だよ。遼が書置きを残してた」


その名を聞いて、ある程度の信憑性が確保されたのか、翔吾の顔がみるみる引きつった。


「いや、マジかよ」


これがケンタの書き置きなら、翔吾も憂理も程度の低い冗談だと、『病気なのはお前だろ』と笑えたろう。だが遼の発信となると話は別だ。

固まった翔吾を、さらに硬化させるようなことをツカサが言う。


「さ、最悪死ぬそうで」


硬直する翔吾とツカサ。ポカンと2人を見比べるナオが一番落ち着いて見える。

ジンロクは顔を片手で覆い、イツキは不安そうに憂理を見つめ、その憂理はただ途方にくれた。


「七井翔吾、お前はなんというアホなのだろうか……。飲むだけならまだしも、この寒いのに頭からかぶるなんて……」


「いや、頭も顔も灰だらけで気持ちわりい……じゃん?」


「結構飲んだ?」


「俺はともかく、ツカサは大量に」


「う、うそです! 七井さんの方が飲んでましたよ! 七井さん、桶に顔浸けて飲んでたじゃないですか!」


「いや、おれ顔浸けただけで、実はちょびっとしか飲んでねぇもん。お前、ペットボトルに汲んで一本半はグビグビ飲んだよな? 『冷たくていくらでもいける、ミネラルの宝石箱や!』って言ってたもんな?」


「ひどい! 言ってないです! 僕をはめたんですか!」


飲んだ量による責任と恐怖のなすりつけ合いにジンロクが割って入った。


「ナオ! たくさん飲んだのか!」


ナオは翔吾とツカサを見比べたあと、ジンロクへ顔を向け首を振った。

幼子の代弁をツカサが行う。


「生水だから、ナオくんには飲ませてません……」


「翔吾、ツカサ、体に異変は」


「なんもない」


「お腹が少し冷えた感じはしますけど、特には」


おそらく、その報告に偽りはない。

遼によれば、症状は「高熱」とある。何らかの異変が起こるとしても、飲んで10分や20分の話ではあるまい。


「なぁイツキ。水飲んで高熱って……思い当たる病気ある?」


「わからないけど、井戸水って管理がずさんだと凄く汚染されるって聞いたことある。動物のフンとかが流入したら細菌が繁殖するんだって」


「うーん」


対応に困った憂理だが、感染被疑者の代表はすっかり落ち着きを取り戻し、非難の色さえ浮かべている。


「おいユーリ! どうすんだよ! 水がヤバイとか聞いてないぞ!」


「俺もさっき知った。これは遼が悪い。あいつの字が綺麗なら、あと20秒は早く読めたしな」


「よし、悪いのは遼だ」


「まぁ、とりあえず様子を見るしかないな……。でも、俺とロクとイツキが村に入ったら感染するかもだよなぁ」


仮になんらかの病気に感染していたとして、症状が出始めるのはいつ頃からか。

感染ルートもわからず、そもそも感染しているのかすらわからない。


もし、空気感染なり飛沫感染するなら翔吾たちに近寄るのも危険ということになる。

かといって、このまま進退に迷ったまま時間を浪費するのもどうか。症状が出るまで何日も、何週間も待つのか?


憂理がそんなことを考えていると、やがて唐突にジンロクが村と道路の境界を超えた。


「おい、ロク!」


憂理が呼び止めるも、ジンロクはそのままナオの元に歩み寄り、幼ない弟の頭に手を乗せた。そして言う。


「ユーリ。イツキと街を目指せ。このまま全員で移動して、途中で症状が出始めたらお手上げだ。感染の疑いがある奴はこのままここで待機して、大丈夫だと確認できてから大急ぎで後を追う。すまんがナオは置いていけんから、俺はこいつらと待機させてもらう」


「……なるほど」


「遼と合流できたら、病気とやらの詳しい話も聞けるだろ」


2、3日、村で過ごし、体に変調をきたさなければそのまま山を下る。憂理が菜瑠たちと合流できたなら、彼女たちの『車』で迎えに戻る――。


正直、憂理は気が進まなかった。

どうも、時間の経過とともに『社倉グループ』が散り散りバラバラになって、そのうち全員の合流が困難になる――そして二度と会えず――そんな気がする。


携帯電話にはじまる通信機器は、精神的にも物理的にも人類を繋ぎ、結びつけていたのかも知れない。

だが、それらを持ち合わせない今、その気のない別れが永遠の別れになる可能性だってあるのだ。


とはいえ、街への途上で倒れられても対応のしようがないのも確かだった。

そして、気が進まない二つ目の理由が、憂理のすぐ隣にいる。


――イツキと2人かよ……。


集団行動ならまだしも、2人きりとなるといつだかの再現が起こるのではないか。

そして誰も来ない、誰もいない場所で、自分は『かっこつけ』でいられるのか。


「んじゃ、そういう事で。よろしくなー」


翔吾は無責任にもジンロク案を決定事項にし、軽薄に手を振ると小脇に桶を抱えたまま集落の奥へ踵を返した。


「杜倉さん、応援してます!」


ツカサもぺこりと頭を下げて、師匠のあとを追う。


「ツカサ、さっきの玄関が開いてた家に入ってみようぜ」


「寝泊まりできそうでしたもんね! なんだかワクワクします!」


2人が行ってしまうとジンロクが深々と憂理に頭を下げて言う。


「すまんな。負担をかける。イツキも、憂理を頼む」


「私は大丈夫! 私たち2人で、すぐに助けを呼んでくる。ね、ユーリ君?」


もう、完全に『NO』と言える状況ではなかった。

脱走の苦楽を共にした杜倉グループは分解。そして敵対グループT.E.O.Tの幹部――イツキと2人きり。


少し以前なら考えもしなかった、否、数分前まで考えもしなかった状況に杜倉憂理はあった。

荒廃した世界を、イツキなる少女と――施設が荒れ果てる前には口も聞いたことがなかった少女と2人……。


憂理は村と道路の境目に放置されていた台車から、ひとつのバックパックを拾い上げると、それを担いだ。


「ロク。貸しだからな。杜倉ファイナンスの利子はトゴだかんな。10日で5割だぞ」


「ひどく……暴利だな。ナオが何ともないなら俺が行くところだが……万が一がある。すまん」


「いいよ。気にすんな。広域暴言団、七井組の世話はロクにまかせて、俺はT.E.O.T幹部――じゃなく同級生とデートって考える……ようにする」


「頼む」


「次に落ち合う場所がココになるのか、街なのかはわかんねぇけど、ロクもくれぐれも油断するなよ。なんか動物もいるらしいし」


「ああ。憂理もな」


そうして、休む間もなく再び憂理はイツキと自動車のワダチを辿って道を下り始めた。

憂理の不安を形にしたかのような重苦しい灰色の雲。それが低く、あるいは高く、薄紫の稲妻に輝く。


この空の下で杜倉憂理は立ち止まり、遠く――なかば風景と同化しつつある板ヶ谷集落を見返した。


『世間は狭い』と、人は言う。誰かと誰かは意外なところで繋がっているという。

だがそれは、人間が多すぎたからではないのか。

この閑散だの荒涼だのという印象を受ける世界で、この広くなった印象を受ける世間で、もう一度仲間たち全員と肩を並べることがあるのだろうか。


『一期一会』と人は言う。サヨナラばかりが人生だ、そんな事を言う。

だがせめて、最後の会話ぐらいは気付いて――言葉を選ばせて欲しい。憂理はそう思う。


「トゴじゃ返しきれねぇだろ。ロク」


なんだか、少し後悔した。



 * * *



夕暮れになっても菜瑠たちは戻らなかった。

遼はロビーのテーブルに様々な資料を広げ、漫然とその『帰宅』を待っていた。


電話帳から見つけた『三英ガスサービス』は遼の記憶が正しければ、ホテルから4kmほどの距離だった。


人間の歩行が時速5km前後、エイミ主導による寄り道、並んで現地での休憩が取られたと仮定しても、遅すぎた。

彼女たちが出立してから、すでに4時間は経過している。


なすべきこともわからず、ただ資料にため息を吐いた遼の元へケンタやって来た。


「遼。そろそろ夕食の時間じゃない? ラーメン作ろうよ」


「うーん。勝手に食べたらエイミに殺されるよ?」


「殺るか、殺られるか、さ。どのみちこのままじゃ僕らは餓死する」


「帰ってくるまで待とうよ。それにしても遅すぎるけど……」


「僕ら、捨てられたんじゃない? 足手まといだ、って」


その可能性を検討するのも馬鹿馬鹿しい。生き延びるに必要な物品は丸々ここに残されているのだから。


「ユキは?」


「遊び疲れて寝た」


「今寝たら、夜眠れなくなるんじゃない? いいのかな」


「いいんじゃない? んで、遼は何やってるのさ」


ケンタがテーブルの上に広げられたメモ書きなどの資料のひとつを興味なさげに手に取る。


「色々ね、得られた情報を整理してる」


「ふうん? なにかわかった?」


「憶測でしかないけど……。さっきの『お姉さん』」


「あの、パイオツ、カイデーの? キスミとか言ってた?」


「そうそう。あの人。僕たちがいた集落に来てたのって、あの人なんじゃないかなって」


彼女の口から出た『もう一度板ヶ谷集落へ行こう』という言葉。どうやら病院を家探ししている事。そして、なんらかの目的を持ってこの街に滞在していること。

自分たちが集落で知った『感染症』となんらかの繋がりがあるのではないか。

薄弱な根拠と自覚しながらも、畑山遼はそんな推測に辿り着いていた。


そして彼女が口にした『ヤナミ統合監督部長』とは誰なのか。

施設が混沌とする以前、遼の知る限りでも20人は下らない数の職員が出入りしていた。そのうち8人は施設が最低限でも『学校』という体裁を保つために従事していたと記憶している。


少なくとも、その8名の中に『ヤナミ』という名の人物――キスミの評による『タヌキみたいなオッサン』はいなかった。


この事実が畑山遼に底知れぬ何かを感じさせる。あの女は、少なくともMFの――大層な肩書きを持つ男と――繋がっている。

自分たちの知らないところで何か起こっていたのは間違いない。ただそれが――感染症と関係なければよいが。


ケンタはケンタなりに考えを巡らせたらしく、ポッカリと口を開けて天井を仰ぎ、やがて肩をすくめた。


「あの集落に、何しに来てたんだろ。そういえば人を探してるっぽかったけど」


「うん。そして、こんな被災地にあって病院を家捜ししてる。なにかあるよね」


「七井師匠がつねひごろ『女は信用するな!』って言ってたなぁ。ああいうタイプの人は特に、なんだろうなぁ。パイオツ・カイデーのチャンネーなんて、最高に『女』だ」


「そうおもうよ。ギロッポンでシースーだろうしね」


「外に出たら何かわかるかなって思ってたケド、余計ワケがわからないね。憂理たちも来ないし」


「ワケがわからない、って事はわかるんだけどね。『ナツカ自治区』っていうのも、なんだか嫌な感じがする」


「なんで」


「被災者がコミュニティーを作ってる、ってかなり絶望的な状況だと……思わない? 救援がかなり長い間来ていないって事の裏返しじゃないのかな」


「言われてみればそうなのかもなー。でもまぁ、そう深く考えず、どっかでガソリンをゲットして名古屋か東京まで行けば何とかなるっしょ。それより腹が減ったよ。菜瑠たち遅すぎない? 門限作った方が良いんじゃない?」


「かもね。でも地図はエイミが破って持って行ったし……場所がわからなきゃ探すに探せないしなぁ」


そうして、夜は更けてゆく。


上階に上がり、窓を開ければ、外は闇。空と街との境界が曖昧になった景色が恒星のない宇宙のようにただ静かに広がっていた。


いままで『決断』を憂理なり菜瑠なりに丸投げしてきた畑山遼は、結局動けなかった。何かするべきだと、アクションを起こすべきだと気がついていても、どうしても独断ができない――つくづく指導者向きの性格ではないと再確認させられてしまう。


あるいはケンタのように、何事にも動じず、のんびりと構えていられれば、気持ちだけは楽なのだろうけど。

そんな沈んだため息だけが、窓の外の『宇宙』に溶けていった。星にも、星雲にもならず、ただ闇に飲まれていった。


翌日になっても、菜瑠たちは戻らなかった。



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