10-8b 13月の花嫁たち
これにはエイミが驚愕の表情を見せた。が、きっと菜瑠自身も同じような表情をしていたに違いない。エイミは驚愕のまま言う。
「あ、頭、おかしいの!?」
「ハーレムだよ。大奥だ。男の夢ってやつさ。君たちは、僕の子供を産む。いや、別に赤ちゃんを孕めって言うんじゃない。『作る行為』だけでもいいんだ」
安田は自分の言葉でブプと笑う。菜瑠は無意識に、先のエイミの言葉をそのまま引用した。
「あ、頭おかしい」
「ずっとね、憧れてたんだ。日本がこうなる前には、望むべくもなかったけど。妄想を現実化するチャンス。チャンス」
世界はどうなっている。菜瑠は現実を受け入れられず、ただ目を見開いて小さく首を振るしかない。こんな、異常者が伸び伸びと羽を伸ばす――この事実が世界の状況を如実に表しているのか。
菜瑠は、ほとんど独り言のような言葉を口にした。
「いったい……どうなって」
「君たちは名束に居たのかい? 三人とも見ない顔だけど」
菜瑠が答えないでいると、安田は四季やエイミにも再度おなじ質問をするが、空気を察した二人も答えない。
「追い出されたの? ん? あそこは、酷いよね。僕もね『反社会的行為』をした、とか言って追い出されたんだ」
「反社会的行為?」
「そうさ。ちょっと、女の子を……あーこれはいい。ともかく、タチバナの気に入らない奴は、イチャモン付けられて追い出されるのさ。君たちもそうなんだろう?」
「違う……。私たちは名束とか知らない」
「へぇ!」
安田の顔が、今までで一番輝いた。
これは、菜瑠たちに向けた『社会的な笑顔』でなく、純粋に喜びの笑顔に見えた。
「へーっ! へぇーっ! 名束から来たんじゃないのか」
「……違う」
「じゃあ! 誰も探しに来ないんだね!?」
マズい事を言った――。菜瑠は直感でそれを察した。
「君たちは純粋な難民か! じゃあ、誰にも邪魔されないね! 好きなだけ、好きな事ができる! 永遠に!」
菜瑠はすぐさま自分の失態に気がつくと、反射的に反論した。
「警察が来るわ!」
これは安田に鼻で笑われた。
「はん。どこから?」
「な、名古屋のあたりから……」
「へぇ? 壊滅してるのに? ちなみにね、名束には警察官もいるよ」
――警察官。
菜瑠の目に活力が宿った瞬間、安田が嘲る様子で言う。
「『避難民』としてね!」
「私たちの仲間がすぐに探しに来る!」
これは安田の笑みを殺す効果があった。
「仲間? どこにいる」
「この街にいるわ。私たちが帰らないと、探しに来る」
「女か?」
「女と……男」
「女と男……。ハァ……あれか、なんだ君ら、純難民かと思ったら……。クラシカ・テネカか?」
もう、菜瑠にはワケがわからない。施設にこもっている間に、外の世界には知らない単語が増えている。
だが、少なくとも『仲間が来る』というハッタリは引っ込めるワケにはいかない。
「……そう。私たちはクラシカ・テネカ」
「なんだ、なんで子供が雇われてるの? 君らの会社、また何か汚い儲けを企んでるのか。外資ってのは信用ならんね、まったく」
「それは……知らないけど、さっさと私たちを解放しないと仲間が来るわ」
「まぁ、いいよ。どうせ、探しに来るって言ってもあの二人だろう? 追い払ってやる。最初はね、あの君らのボスを狙ってたけど、あんな年増より……よっぽど君らの方が好みだ」
安田は順番に三人の体を見回し、唇を歪める。
「おかしいだろ? 昔は、ちょうど、君らぐらいの年齢から結婚して、子供を産んでたんだ。それが、今じゃ、やれ淫行条例だの、児童虐待だの。おかしいんだよ。中学生だってどんどんセックスすべきだ」
仮に、そうであっても、安田などと好きこのんで性交しようとする中高生はおるまい。少なくとも、菜瑠は考えただけで怖気がする。
そんな菜瑠の正論を待たず、安田は続ける。
「もっとも、俺は小学生でもいけるけどさ」
その発言を受けて菜瑠は言葉を失った。この男は、真性のペドフィリアか。
もしかしたら、自分たちはとんでもない男に身柄を拘束されているのではないか。
ここまで、ずっと口を閉ざしていた四季がようやく発言した。
「貴方。気持ち悪いわ」
その端的かつ率直な意見は、菜瑠やエイミの心中を過不足なく代弁するものだった。だが、そんな冷徹な罵倒を浴びても安田はショックを受ける様子もなく、むしろ愉悦の表情を浮かべた。
「四季ちゃんにそう言われると、なんだかゾクゾクして、興奮しちゃうねェ。その冷たい視線を向けながら、ケナしながら、君は『気持ち悪い』僕の精子を子宮に受けて、孕む……」
「孕まないわ」
「まぁまぁ、そう結論を急がずに、ね。責任もって妊娠するまでするから安心してよ。そのうち、おねだりするようになるから」
この男とは、議論するのも汚らわしい。四季やエイミも、きっと、こんな菜瑠の心情に同調してくれる。
この男は、汚い。すべてにおいて。
「被災したとき。最低の気分だったよ。家も職も全部失った。何が何だかわからないまま、逃げた」
安田の自分語りなど、微塵の興味すら湧かないが、これは聞かねばならない。聞いて、質問して、少しでも時間を稼がねばならない。
助けが来るまで――あるいは反撃の機会が訪れるまで。
菜瑠は恐る恐るに訊いた。
「被災って……いつから?」
「あの日、だよ。君らも知ってるだろう。あの日、全部が変わった。でもね、絶望はなかったなァ。どうせ、一時的なモノだって思ってた。災害保険も入ってたしね。一時の我慢だと。でも違った。全然違った」
安田は忌々しそうに眉間にシワを寄せ、ズレ落ちた眼鏡を上げる。
「待っても待っても、自衛隊の災害派遣は来ない。警察も機能してない。ようやくたどり着いた名束では『首都圏も壊滅』とか言われる」
「首都圏も……」
「そうだ。そこらじゅうが麻痺してる。しばらくは公的機関も再起不能なのさ。なのに、名束自治区は僕を追い出した。……でもね、今はこれで良かったと思える」
安田は椅子から立ち上がり、先ほどドアの横に置いたトートバッグまで歩み寄ると、それを携えて再び戻ってくる。
「『法』が生きていたら、こんな生活はできなかった。大富豪でもないのに性奴隷を持つなんて。それも三人も。しかもティーンズ! 世界がこうでなかったら、とうてい叶わない事だよね!」
きっと、この部屋に鏡があったなら、菜瑠は路乃後菜瑠史上、もっとも蒼ざめた自分の顔を見ていただろう。
だが、この部屋に鏡はなく、ただ菜瑠の後ろ手で手錠が鳴る。
法に犯罪を抑止する効果があるかどうか、菜瑠にはわからない。だが少なくとも目の前のこの男は、法の外に出たことにより自らの獣性を解放した。それも、最悪の形で。
法という規範は堅苦しいものだったかも知れない。『やってはいけないこと』をリストアップしたいささかバカバカしいモノだったからだ。だが、馬鹿馬鹿しいとはいえ、それがなければまともな社会性を確立できない無軌道な輩は確かに存在する。
「あのイケ好かない女――君らのボスを調教するために用意したモノで恐縮だけど」
安田は椅子に座ってトートバッグの中をゴソゴソと漁り、やがて一つの道具を取り出した。
それは透明のケースに入っており、そのパッケージの中には歪な形をした棒状のモノが見て取れる。
それを床に置いて、さらに安田はバックを漁る。
「アダルトショップって、なんに使うかわからないモノが沢山あるよねぇ。色々取ってきたから、順番に使ってみようね。君らが気にいるのがあるかも知れない」
なにやら、真珠の繋がったような棒状のもの。卓球ボールに穴が空いたようなもの。
エイミが「ヤダヤダ!」大声で喚き、バタバタとのたうち回る。だが、安田はその反応を楽しむように、どんどん異形のアイテムを取り出してゆく。
こうなって、はじめて菜瑠は施設から出たことを後悔していた。
なんだ、これは。なんだ、ここは。
なぜこんな事になったのか。
この世界は、なんなんだ、と。
「とりあえず……口からかな。奉仕……してもらっちゃおうかな?」
そう言って、安田は三人を見回す。
暴れまわるエイミ、半開きの目で敵意を刺す四季。そして蒼ざめた菜瑠。安田は値踏みするように三人を見比べて、やがてエイミに視線を止めた。
「最初は、エイミーちゃん、かな。君が僕の性奴隷になる瞬間を、二人にしっかり見てもらおうね」
エイミは凄まじい叫びを上げてのたうち回り、頬がコンクリート床で黒く汚れてしまっている。
むしろ、この過剰に嫌がる様が選考に寄与した事を菜瑠は薄っすらと感じとった。
「ヤダヤダ! 助けて! ヤダヤダヤダヤダ! 助けて!」
必死の叫びが部屋の中にこだまし、菜瑠の鼓膜を激しく刺激する。
安田は椅子から立ち上がると、モーニングのボタンを外し、上着を脱いだ。
そして上着を二つ折りにして椅子に置くと、ズボンのチャックを下ろした。
『地獄の蓋が開く』とはこの事か。安田は少し腰を曲げてチャックに指を忍び込ませると、中をまさぐり、やがて自分のモノを露出させた。
暴れていたエイミが止まり、絶句のまま、ただ視線だけが『ソレ』に釘付けになった。
安田は、少し呼吸を荒げ、『ソレ』を四季や菜瑠の方へも向ける。
「ど、どうだい?」
どう、と問われても、菜瑠には返す言葉がない。父親不在の家庭で育った菜瑠は、まじまじと男性のソレを見た事がなかった。
半村に襲われた時も、観察するどころではなかった。
安田は眼鏡が曇るんじゃないか、というほどに顔を上気させ、黄色い歯を見せる。
「いやぁ、な、なんだか、見られるの、すごく興奮するよ。ほらシキちゃん」
少しずつ、ソレが膨張してきているのがわかる。安田は四季に近寄ると、ソレを四季の眼前まで――近接まで寄せる。
「シキちゃん、もっと、見て」
「気持ち悪い。吐き気がするわ」
「この、気持ち悪いのを、この汚いのを、後で口に入れるんだよ? 受け入れるんだよ? ほら、ナルちゃんも見てごらん」
安田は半勃起状態になったソレを、今度は菜瑠の眼前まで持ってくる。
「ナルちゃん! その顔……! そそるなァ、いいなぁナルちゃん」
眼前、10数㎝の距離。いま少し勃起してしまえば、顔に触れる距離だ。
濃縮された饐えた臭いが菜瑠の鼻先にまで届く。菜瑠は身をよじって安田から逃れた。
「汚い!」
「臭いだろ? 燃料の節約のために、しばらく風呂に入ってないからね」
安田は恍惚とした表情で言った。
「今からこの汚いのを、エイミーちゃんの口で綺麗にしてもらいまーす、二人もちゃんと見ててね」
この言葉を受けて、絶句していたエイミが活動を再開した。
「ヤ……ヤダヤダヤダヤダ!」
吐き気がした。
同じ人間、同じ種族と思えない。菜瑠の目に、安田はあまりにも下等な生き物に見えた。この男は、獣にも劣る。
「やめなさい!」
菜瑠はほとんど反射的にそんな言葉を吐いたが、それは滑稽でしかなかった。
この状況を支配する安田に対し、なんの影響も効果も与えることが叶わない。
「君らはさ」安田の声、安田の表情、それらは穏やかで、どこか安らかですらあった。
「いつだか、君らみたいな女子中学生だか、高校生だかに、通り過ぎ際に『キモいオッサンいる』って笑われた事があるよ。傷ついたなぁ」
「実際! キモい!」
菜瑠が断ずると、安田は少しだけ表情を曇らせた。
「いまはさ、わかってるよ。ほとんど初対面で、下半身を露出してるんだ。キモいだろうさ。ねぇ、シキちゃん?」
「キモいどころか、おぞましいわ」
「へへ、言うねえ。でもね、あの時の僕は、きちんと服も着てた。別に彼女たちをじっとり見てたワケでもない。ただ、通り過ぎただけだ。なんの害もない、一般人だったさ。ひたむきに生きる、草の根の人間だったさ。なのに、彼女たちは僕をキモいと言った。ただ、見た目で」
「それは……」
「見た目だって、自分にできる範囲には気を使っていたさ。安物の服でも、きちんと洗濯して臭いにも気を使ってた。なのに、彼女たちは僕を指差し、笑った」
菜瑠は返す言葉に困った。安田に同情などできるハズもないが、『彼女たち』の行いも人としての品性に欠くものには違いない。
「たしかに、僕はイケてはないだろうさ。恋人だって居たことがない。童貞は30を過ぎてから、諦めて、風俗で捨てた。でもね、こうなる前は真面目に生きてたし、誰にも迷惑をかけてなかった。なのに、なぜそんな酷い事を言われなきゃいけなかったんだ?」
これには暴れていたエイミが直言する。
「でも実際にキモかったじゃない! その子たち、間違ってなかったのよ!」
「何もしちゃいなかったのに?」
「予言よ! 予言!」
「僕の収めた税金で運営されてた学校に通って、僕の収めた税金で運営される警察に守られ、僕の収めた税金で作られた道路を歩いて、どうして君たちはそんな事を言えるんだ? どうして見ず知らずの誰かへの『ありがとう』の気持ちもなく、見た目だけで他人を罵れるんだ?」
『君たち』という主語が大きい。安田を罵った少女たちも、菜瑠たちも、すべてがそれぞれの個性を持っている事に目が向かないのか。
少なくとも、菜瑠は見ず知らずの誰かを冗談半分で罵ったり、嘲笑した事はない。
だが今の安田は、罵倒されて当然の行為を行おうとしている。被害者ヅラをして『復讐』などとは聞いて呆れる。
エイミや四季がそれを非難するのは当然の権利だ。
そしてエイミが権利を行使する。
「なによ! 大した額の税金もおさめてないくせに! 偉そうな事言わないでよ! アタシの親だって、菜瑠の親だって、四季の親だって、税金を払ってる!」
「わからないかなぁ、そういう事じゃないだろう、エイミー? どうして、君たちガキは見ず知らずの誰かへの『配慮』ができないんだ、ってことさ。大人の庇護下で暮らしてるクセに大人をナメるなよ、ってことさ」
安田は、息を吐いた。それはまるで、今までの人生で溜め込んできた『ため息』を全て吐き出すかのような――清算するような、溜息だった。
「もう一度、聞かせてくれないか? 僕はキモいかい?」
「気持ち悪い」
「そうだね、そうだね。それでいい。その気持ち悪いオッサンに君たちは復讐されるんだ。これからの人生、ずっとね。そしてこんなにキモいオッサンを愛する事になる。快楽に負けて、僕との変態プレイを求めるようになる」
菜瑠の背中を悪寒が駆け巡った。
気持ち悪い、想像もしたくない――。だが、その安田のおぞましさに微かな興奮を覚えた自分を菜瑠は発見していた。
それは分子より、原子より、量子より小さな興奮だったかも知れない。だが確かに心の何処かが高揚した。
それが『救いがたい自分』をも再確認させる。
被虐嗜好なのか、自分は汚されたり、穢される事で興奮するのか。
だが安田は嫌だ。だが嫌だから興奮するのか。だが安田は嫌だ、途轍もなく汚い。だが途轍もなく汚いから興奮するのか――。
あの『薬』を盛られてから、自分は堕落の道を歩んでいる――。
『再発見』した自分に混乱する菜瑠を尻目に、安田は床で暴れまわるエイミの元へ歩み寄ると、エイミの両肩を押さえて仰向けに固定した。
そうして、エイミの上半身に馬乗りとなり、動きを封じる。
必死で身をよじるエイミだが、太った安田の体重を跳ね返す膂力など到底生み出せない。
「ヤ! ヤダヤダヤダヤダッ! 助けて! ヤダ!」
安田は馬乗りの姿勢から足を動かして、エイミ両肩に両膝を合わせる。
仰向けのエイミの目の前には安田の股間があった。
エイミの悲鳴はもはや日本語を超越している。
「暴れるのはやめてくれよ。また殴らなきゃわからないか?」
安田の目が暴力的な色を見せた瞬間、菜瑠は叫んだ。
「待って!」
菜瑠の声に反応して、獣性を帯びた安田の視線が菜瑠へ向く。
菜瑠は全身の勇気を総動員して、言った。
「わ、私が! 私がやる……! エイミじゃなく」
こうするしかなかった。
振り絞った勇気を言葉に変えた瞬間、急激にそれは『後悔』へと化学変化を起こした。
だが、後には引けない。
「へェ……積極的なんだねナルちゃんは。そういうの悪くないなぁ」
安田が馬乗りから立ち上がり、『ソレ』を堂々と見せながらエイミから離れた。
――やるしかない。
モーニングを脱いで上半身がカッターシャツ姿の安田。その胸元にはペンダントのような幾つかの鍵がぶら下がっていた。あれはこの部屋の鍵、そして手錠の鍵だ。
――あれを奪う。
菜瑠は身を震わせる恐怖心を、後悔を、微かな興奮を、闘志で塗りつぶした。
やるしかない。安田に反撃し、その隙をついて鍵を奪う。
もちろん、菜瑠の手には手錠が、足にはガムテープが巻かれ、反撃など容易な事ではない。
手足が使えない以上、胸元の鍵を奪うには自らの『口』を使うしかない。
そして、安田が床に倒れていなければならない。
消え切らない恐怖心が、心臓の辺りでわだかまり、鼓動を早くさせる。
――噛みちぎる。
一瞬でも、安田のモノを口にふくむ。
その行為に必要となる勇気の総量は、菜瑠の総身にある分では足りない。だが、一矢報いるには、足りない分には目を瞑るしかない。
「私がやるわ」唐突に四季が言った。
「菜瑠には触れないで。私がやる」
半開きの目で安田を見上げ、機械少女はそんな事を言う。
「おやおや、シキちゃんも積極的なんだねぇ。エイミーにも見習って欲しいね」
「菜瑠には触れさせないわ」
半開きながら、四季の目にも闘志があった。それは、対象を燃やし尽くす炎でなく、凍てつかせる冷気に思えた。
「ダメ、四季! 私がやる!」
菜瑠が叫ぶと、エイミも叫ぶ。
「ダメだって! 二人ともダメ! こいつ本気だよ!」
安田はそんなやりとりをニヤニヤと見つめ、嘲笑する。
「友情ってやつかなァ、これは。『女同士に友情は無い』って聞いたけど、そうじゃないんだねェ。まぁ、三人とも平等にヤってあげるから、安心しなよ。最初は……どうしようかなァ、シキちゃんも悪くないけど、やっぱナルちゃんかなァ。目がいいよ目が。高貴な感じがする」
選考に残されても、指名されても、褒められても、少しも嬉しくない。だが、この役目――『噛みちぎる』行為はエイミでも四季でもなく、自分がやるべきだと菜瑠は思う。
自分を汚してでも二人を守らなければ、自分の存在価値が消えてしまう、そんな気がする。
未遂だったとはいえ、半村の件で自分は他の二人より耐性があるはずだ。菜瑠はそう自負する。そして、闘志も。
「ナルちゃん。口に出すけどちゃんと飲める?」
唐突な質問に菜瑠は一瞬混乱した。
そして、ようやく質問の意味を理解すると、胸が悪くなった。
言葉だけでも汚されてゆく、そんな気がする。
「そ、そんなの……無理に決まってる」
「無理? じゃあやめとこ。シキちゃんは飲めるかな?」
その質問に四季が返事をするまで、数秒の間があった。
沈黙のあいだ、安田が四季をジットリ見つめ、口角を歪める。
やがて、いつもに増して冷徹な、半開きの目で四季が言った。
「飲めるわ」
「いいねぇ。じゃあ、全部飲んでもらおうかな。溜まったチンカスも含めてね」
込み上がった吐き気で反吐を吐くより先に、菜瑠は大声を吐いた。
「私がッ! 私がやる! 飲む!」
「あー。シラける。シラけるなぁ、菜瑠ちゃん。そうじゃないだろう? 『飲ませて下さい』だろう?」
「ふざけるなッ! 変態め!」
「ふーん。なーんだ。そういう態度なんだ? じゃあ、いいや。やっぱシキちゃんにしよ」
そう言って、安田は再び四季の方へと向く。
「待って! の、飲むから」
「あのさ、何度も言わせないでくれる? ちゃんと言ってよ。指示するのもシラけるんだからさァ」
「の、飲ませて……下さい」
安田は、黄色い歯を見せてニンマリ笑った。
「んー。まぁ合格点だね」
これにはエイミと四季が騒ぎ立てる。
「ダメダメダメ! ダメだって菜瑠ッ! それならアタシが!」
「いいの。大丈夫」
四季も今まで見せた事のないような、『怒り』の表情を見せている。
「菜瑠に触れたら殺すわ」
菜瑠はそんな四季に視線で、『大丈夫だよ』と伝え、歩み寄ってくる安田を睨み上げた。
――後悔させてやる。一生、悔やんでも悔やみきれない程の後悔を。そして、二度と、こんな下劣な事が出来ない体にしてやる。
安田のモノを噛みちぎり、倒れたところで、胸から鍵を奪う。
男の股間は『急所』だと聞いた事があった。
菜瑠の見立てでは、そこを噛みちぎられれば、おそらく立ってはおられず、しばらくは動けもしないはずだ。最悪の場合死んでしまうかも知れない――が、戸惑いはない。
その間になんとか手錠を外し、その手錠で安田を拘束する――。
成功確率は低いかも知れない。だが、望みは薄くとも、やるしかない。
菜瑠には勇気があった。
正義感も義務感もあった。だが菜瑠にはミスもあった。
叛意を隠さなかった事だ。そして知識も足りなかった。
安田は、そんな叛乱の色がある菜瑠の視線を受け、訝しげにアゴをさすった。
「なんか、ナルちゃん怖いなぁ。目力がすごい事になってるよ?」
目は口ほどに物を言う、きっとそれは正しい。
安田はきっちりと、菜瑠の意図を読んだ。
「んー。最初だし、用心しようかな」
そう言って、再びトートバッグへ歩み寄り、やがて中から奇妙な道具を取り出した。
黒いベルトのついた――なにか。
安田はベルトの両端をつまんで、それを両手で広げる。
ベルトの中央には、金属製の筒のようなモノが付いていた。
「ジャーン。開口器。開口半面マスク。知ってる?」
「か……開口器?」
「口枷みたいなモノさ。この金属の輪で歯をガードして、口を丸く開くんだ。ご主人サマのアレを噛まないように、ね」
「えっ、だって、そんな」
慌てた菜瑠に、安田がニンマリ笑った。
「これさえあれば、唇と歯の壁を突破して、舌の上にダイレクト・イン、ってワケ。SMマニアって、よく考えるよねェ。便利だろう? コレを装着したら、口がまさに、『ただの穴』になるんだ」
目の前が、真っ白になった。
闘志は、いま死んだ。
* * *