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13月の解放区  作者: まつかく
10章 百匹目のヒツジ
101/125

10-2 商業モールへの進入


雪の積もった朝がそうであるように、灰の積もった朝も静かだった。

どこかで生まれた音。それを食べる不思議な生き物でもいるのではないか――そう思えるほどに。


菜瑠が目をさますと、すでにベッドにはエイミも四季もおらず、開け放された窓から朝が入ってきている。

淀んだ街の濁った朝だ。それでも、分厚い雲の向こうに朝日があるのだと思えば、少しは心強いものだ。

菜瑠はベッドから起き上がり、目をこすり、洗面所へ行くと、ペットボトルの水を使って歯を磨き、顔を洗う。


――無駄遣い……できないな。


音の全てが『不思議な生き物』に食い尽くされたかといえば、そうでもなかった。耳をすませば微かに話し声が聞こえた。

洗面所をあとにして、部屋を出て、その『食べ残し』に導かれるまま階下へ。

下った先のロビーでは丸テーブルを囲むソファーに、四季とエイミと遼がいる。


「水はどうすんのよ、水は」


ソファーの上であぐらをかいたエイミが、テーブルに向かう遼に言う。遼はテーブルの上の紙にペンを立てながら、いかにも官僚的な対応をする。


「僕に言われても困るよ」


「困るだけならアタシにもできんのよ。なんとか考えなさいよね」


水の問題はかなり重要である。菜瑠は日に日にその重要性に気付かされている。

トイレにしても、シャワーにしても、歯を磨こうにも、水がなければ始まらない。

蛇口を捻れば水が出る――そんな当たり前の文明の恩恵が失われた今、何をするにも蹴つまずかされる。


『官僚』は眼鏡をクイと上げて、食料大臣に返答する。


「ホームセンターがあるなら、どこかの売り場に10リットルクラスの簡易タンクがあると思う」


「あの、キャンプとかで使うやつ?」


「んー。まぁそうだね。そのタンクを大量に『借りて』きて、綺麗な水を汲むのがシンプルな解決ではあるんだけど」


「綺麗な水はどこにあるのよ?」


「僕に言われても困るよ」


「アンタね、困るだけならケンタにだってできんのよ?」


菜瑠がその会話を横耳にしながら、ソファーに歩み寄ると、四季がスッと座る場所を用意してくれる。エイミは官僚への糾弾を中断し、菜瑠に微笑みかけた。


「おはよ、菜瑠」


「おはよう。水の問題?」


「そーよ。遼が責任転嫁ばっかするの」


「もう勘弁してよ。考えなきゃいけないことだらけで、頭がパンクしそうだ」


――綺麗な水、か。

山奥にいた時は、湧き水の直下にある小川があった。

だがこの都会にあっては、清流は望めず、井戸だってそうはあるまい。雨水など灰まみれで、もしかしたら、そのまま絵画の顔料に使えるかもしれないレベルで論外だ。

菜瑠は隣に座る四季にアイデアを求めた。


「ねぇ四季。なんとかならない?」


水を呼ぶ雨乞い巫女というわけでもないだろうが、困った時は四季頼みだ。

何を見るでもなく、前方に視線を固定していた四季がポツリと言う。


「掘ればいい」


「すぐ掘りたがる……」


「いくつか掘ればいつかは水脈にあたるわ」


「んー。でも現実的じゃないかなぁ……」


「ともかく」遼がペンを机上に置き、話を区切った。

「憂理たちと合流するのが、いつになるかわからない以上、備えはしておくべきだね。水の確保は最優先で考えておくよ。四季の提案も含めて、ね」


結局、確たる方針も決まらないまま、ミーティングは終了し、そのまま『探索』の準備が始まった。

バックパックに詰め込んでいた荷物をそっくり取り出して、空にする。そしてバックパック一杯まで食料品を……詰められたら良いのだが。


ロビーの片隅に固めて置かれた『中身』は菜瑠が想定していたより少ない。

かなり早いペースで食料品を消耗しているようだ。そしてペットボトルの水も。

これが尽きれば、どうなるか――。菜瑠は考えたくもない。


ちょうど、準備が整った頃に、ケンタとユキがロビーへ現れた。


「おはよ。朝ご飯は?」


このような、たるんだ態度は食料大臣による叱咤で応じられる。


「なし! NOワーク、NOイート!」


「ほほほ、これはこれは。耳に痛いですなぁ、エイミ先生。しかし、それは果たして正しい行いと言えるのでしょうか。我々は地球という……」


「その手には乗らないわよ! だいたい、アタシたちも食べてないの! 節約よ、節約!」


「いや、しかしね」


「ダメ!」


エイミの断固たる態度に言葉による応戦を諦めたか、ケンタは横にいたユキに指示を出した。


「ユキ……あれを」


ユキはケンタを見上げて小さく頷くと、すぐさま泣きそうな顔を作った。

そして涙が出る数秒前といった表情をエイミに向ける。

エイミは怯み、とたんに勢いを無くす。


これは、うまくユキを手なずけたモノだ。よく訓練されている、と菜瑠は感心すらしてしまう。だが、ダメだ。


「ダメ」菜瑠はエイミに加勢する。「思ったより食料の消費が激しいの。村から出るとき、慌ててたのもあるけど、思ってたより少ない。みんな我慢してるから……ユキも我慢して?」


ユキは菜瑠に諭されて、ケンタを見上げる。

黒幕であるケンタは、ここでようやく小さく溜息を吐いて、「仕方ないね……。頑張って探そう」



 *  *  *


前日に食料班、つまりはエイミたちが見つけたというショッピング・モールまでの道すがら、菜瑠たちは付かず離れずの距離で固まり、あまり会話はなかった。


空は依然として重金属のような重苦しい色に染まり、街は朝の訪れに気付かず、深く眠ったままだ。

きっと、灰が降る以前の、いつかの日。この時間、この場所は通勤通学による往来で賑わっていたはずだ。

だが、いまや道路に車はなく、歩道に人はない。


世界中から全ての人類が消滅した――。今ならそう言われても、信じてしまう気がする。


もし、そうなら。

菜瑠は思う。もし本当にそうなら、自分たちはどうやって生きて行けばいいのだろうか。

細々と、失われた文明の残滓で食いつなぎ、それを食べ尽くした時に、むなしく死に絶えてしまうのか。


せめて、最後にはなりたくないな、と菜瑠は自分勝手な妄想に耽る。

息をひきとる最後の時、誰にも看取られず、「ありがとう」も「ごめんなさい」もなく死んでゆくのは、あまりにも寂しい。


だが真隣を歩く四季を見て、なんとなく菜瑠は安心する。四季は自分より長く生きそうな、そんな気がする。

菜瑠の視線を受けて、四季が薄い唇を動かした。


「水道管理局へ行きたいわ」


唐突にこんな事を言う。


「水道管理局?」


おうむ返しの言葉に四季はコクリと頷き、また薄い唇を封鎖する。

おそらく今、宇宙のように複雑怪奇な四季の頭の中のなかのその一角には『水問題』がわだかまっているに違いない。


「あとで、行ってみる?」


菜瑠がいうと、四季は半開きの瞳のままゆっくりと頷く。

村を出てから入浴していない。時間にして40時間は経過していないはずだが、灰まみれの街と埃まみれのホテルで過ごしていると、ひどく汚れたように思える。


菜瑠でさえこう思うのだから、四季などは実は発狂寸前まで追い込まれているのかも知れない。

やがて先行していたエイミが、立ち止まり、大声をあげた。


「ついたよ! ここ!」


菜瑠の第一印象で言えば、とにかく大きい。

4階建て、ないし5階。高さでこそラブホテルには譲るがその敷地面積では比較することすら馬鹿らしい。

ケンタが巨大な建物の外壁を指差して、目を細める。


「えーと? スサミOCCモール名守。だって」


エイミはふうん、と興味なさげに聞く。


「OCCってナニ?」


これを受けてケンタは微笑む。


「いい質問だね。OCCは『お母さん、ちゃんと、チーズ入れてよ!』だよ」


「なんの料理なの?」


「チーズフォンデュ」


「チーズなかったら、ただのパンじゃん! ちっともフォンデュじゃない!」


「だから怒ったのさ、OCC、と」


そんな軽薄な会話をよそに、遼が怪訝そうに片眉を下げ、腕を組む。


「なんか……聞いたことない?……スサミOCC……? どっかで……」


ケンタは肩をすくめ、真面目に取り合わない。


「だから、スサ美のお母さんがチーズ嫌いって話さ。人生損してるよね。ともかくさっさと入ろうよ」


「どっから?」


その疑問符とともに、全員の目が入り口を探す。だが、正面入り口はいかにも頑丈なシャッターが侵入を阻んでいる。

菜瑠の視界に幾つか無骨な非常ドアが見えるが、ちょうど指差したところでエイミによる注釈が入った。


「あのドア無理よ。てか、建物の周囲は昨日ぐるっと調べたし。普通には入れない。あーもう、ケンタのせいでチーズフォンデュ食べたくなったじゃない!」


「僕のせいじゃない。スサ美のせい。もっといえば、スサ美のお母さんのせい」


これは、どうしたものだろうか。菜瑠はボンヤリと建屋を眺める遼に打開策を求めた。


「遼くん。入れそうなとこあるかな」


名を呼ばれた遼は、ハッとして虚ろな自分の世界から帰ってきた。


「えっ? ああ、これ難攻不落ってやつだね。でも不幸中の幸いなのが――」


「なのが?」


「簡単に入れないからこそ、中は荒らされてなくて、色々手に入りそう」


たしかに。それは正しい。

だが、入れなければ『すっぱい葡萄』でしかないではないか。遼は続ける。


「ほら、あそこ。立体駐車場がある。あそこから入れないかな?」


これには、またエイミの注釈が入る。


「無理。ここの立体って、地下から入るんだけど、その地下の入り口がシャッターされてるもん」


そして、立体一階には採光窓すらない。防犯を重視した設計なのだろう。


「だから、あの二階からなんとか内部に侵入できないかな?」


二階部分は、コンクリート造りの柱が規則正しく並び、手すりも見える。

高さにして、少なくとも3.5メートルはあろう。

この高所へ登るために、主にエイミとケンタから様々な案が出されたが、どれも現実的とは言えない案ばかりだった。


遼は何やらボンヤリとしているし、四季は目を開けたまま眠っているのかと言うぐらい動かない。そうして無為な時間を過ごしたのち、幾つか目のケンタの提案が全会一致で採用された。


そうして持ってこられた軽トラが建屋の壁横につけられる。


「ケンタ! 横当たってる!」


「言われなくても聞こえてるよ!」


サイドミラーが壊れた以外は計画通りだ。

菜瑠は仲間に先んじて軽トラの荷台に飛び乗ると、そのまま運転席の天井へと登った。


「なるー。どう?」


エイミが下界から聞いてくる。


「駄目。まだ……届かない」


手を伸ばしても、ギリギリ指先が手摺に触れない。

もしかしたら、自分より少しばかり身長の高い四季ならあるいは――と菜瑠は下界の四季を見やるが、彼女は目が合った瞬間に小さく首を振る。

これは、『やらないわ』だ。

菜瑠は少し考え、やがてケンタを呼んだ。


「ケンタ。登ってきて」


「いやね、ナル子さん。僕なんかは、このメンツの中では、どちらかというと重量級に分類されるワケで。こういうのはメガネ界にその名を知られる人にやってもら――」


「メガネ界を代表して言わせてもらえば、僕は無理だね。医者に、『くれぐれもショッピングモール名守の壁だけは登るな』って止められてる。ケンタがやるべきだね。似合うし」


「いいから、ケンタ、早く!」


菜瑠が天上界から睨みつけ、腕を組むと、ようやく怠惰な少年は荷台に登る。

これには遼がニヤリとする。

「ほら、似合う。『出荷』される時みたいだ」


なんとも辛辣な冗談ではあるが、エイミがゲラゲラ笑い、遼がケラケラ笑い、あろうことかケンタもゲラゲラ笑う。

そうしてケンタがノソノソと運転席上まで上がって来た。2人並ぶと、少しだけケンタの方が背丈が高い。小太りの少年は、『目標』である高さを見上げ、菜瑠に言った。


「無理だよナル子。自慢じゃないケド、僕は懸垂の最高記録がゼロ回なんだ」


「いいの。ケンタは私を肩車して」


この役目は仲間内で最重量級ケンタが適任である。なんてったって安定性が違う。菜瑠はケンタを壁側に行かせ、急かした。


「ほら、しゃがんで」


「これ、危なくない? 僕がコケたら、ナル子はこの高さから、バックドロップみたくなるよ? ヤオじゃなく、ガチのやつ」


「コケなきゃいいの」


渋々といった顔でケンタが壁際でしゃがんだが、これには下界から反対の声が上がった。


「ダメよ。それは」


四季だ。

機械少女はいつになく、強い口調で否定してくる。半開きのままの目の奥に、強い光がある。


「ダメよ。ありえないわ」


「だって四季、こうしないと届かないもん」


「他の手を考えるべきよ」


「ないもん」


「じゃあ、私が肩車するわ」


四季による予想外の宣言を受けて、ケンタは「ウェーイ!」と喜ぶ。

しかし、菜瑠は立ち上がろうとしたケンタを無理やり押さえつけて、再び屈ませる。

この役目は体重、体格ともにケンタが適役だ。

四季の体は均整が取れたものであるが、これは美でなく、体力を基準に考えるべき問題であるからだ。


「四季。私、結構重いかもだから……」


「どうであろうと、私がやるわ。ケンタにはやらせない」


「四季、聞き分けなさい」


菜瑠が言うと、エイミも加勢してくれる。


「そうよ。ハードな仕事はケンタにやらせりゃいいのよ」


菜瑠は「ケンタ。変なこと考えないでよね」と釘を刺し、しゃがんだケンタの首に股をかけた。

四季の視線が、半ば殺気を伴って突き刺さってくる。あの眼窩に高圧ビームが実装されていなくて、本当に良かったと思う。

股を首にかけると、なんだか変な気分だ。菜瑠自身、変なことは考えないよう努める。


「よし、ケンタ。ゆっくり立ち上がって。どう?」


「すごく……重いです」


「そんなに重くない!」


「すごく……デカケツです」


「黙って立ちなさい!」


それでもゆっくり、ゆっくり、ケンタの膝がのびて、菜瑠を高みへと運んで行く。


「こ、コケないでね」


「動かないで、まじ、やばいから」


咆哮になりきれない唸りと共に、やがてケンタの膝も腰も、垂直に立った。


「ケンタ、動かないでね!」


「早く、早くして!」


菜瑠は手摺を両手で持ち、壁に足の爪先で微かな足掛かりを取りながら、上を目指す。


体育の成績は悪くなかった。本当は勉強よりも、体を動かしている方が好きだった。長い施設生活で、鈍ったかと思っていたが、まだ腕力は体を引き上げるだけの力を有していた。

両手、両足を無駄なく使い、最初に掴んだ場所から、少し高い位置へ手掛かりを移す。眠っていた筋肉が、皮膚の下でエネルギーを生み出し、少しずつ、体を引き上げてゆく。


「ナル! あと少し! 頑張って!」


エイミが応援してくれるが、反応する余力はない。少しずつ、少しずつ、手摺を登り、やがて2階の縁に足が乗った。


「ナル! やった!」


――登った。


下界では、エイミやユキが大騒ぎしている。菜瑠は手摺を乗り越えて、立体駐車場へと侵入した。そこで地面に座り込んでしまう。

両手のひらは白く汚れ、じんわりと感覚が麻痺しているのがわかる。


菜瑠は深呼吸を何度も繰り返し、やがて落ち着くと立ち上がり、下界へ顔を見せた。冷静になってみると、とにかく高い。よく登ったモノだと思う。

そして天の声で下界へ通達する。


「いまから中に入って、どこかのドアの鍵を開けてくる。待ってて」


ヘリコプターを見つけた子供のように、何人かが手を振ってくる。菜瑠は小さく手を振って返す。すると、遼に名を呼ばれた。


「ナル子、懐中電灯! 持って行って」


そして、下界から投げられた懐中電灯をキャッチすると、菜瑠は遼に礼を言い、立体駐車場内部へ進んだ。


広い。

駐車場でありながら、車の一台もない。

菜瑠が侵入したような、柱と柱の間から差し込む朧げな光以外、光源はない。

天井にならぶ蛍光灯は、その役目を果たさず、非常口も、消火設備も、完全に停止していた。

言うまでもなく電力が供給されていない証だ。光がないのは心細くもあるが、防犯設備も稼働を停止しているであろうから、悪いことばかりでもない。


菜瑠は懐中電灯をつけると、闇の奥を照らす。そして、床面に書かれている『店内入口』の表示を頼りに、先を急いだ。


おそらく、店内入口にたどり着いても施錠されているだろう。

だが、ベニヤやシャッターで封鎖されてはいないと思う。おそらく、ガラス戸だけ。

――破るのは容易い。

そう考えている自分に気付くと、菜瑠は暗闇の中で苦笑いした。

自分もいよいよ犯罪行為に抵抗がなくなってきている、と。




 *  *  *

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