知る者たちと知らぬ者たち〜預言予感〜
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「預言者システムに反応有り! ア、アポストロクスですっ!」
緊急事態サイレンが鳴り響く中、管制オペレーターの女性が動揺した表情で、場の人員にそう知らせた。動揺は人員たちにも広がり、場はどよめき始める。その人員たちの中には、シズルの姿もあった。
ここは島の地下のある施設。島を管理する者たちと研究者たちによって構成される組織の基地だ。本来ならば、青白く光る照明とディスプレイ、モニターの光で足元がある程度見えるくらいの明るさがあるこの空間だが、今は緊急事態のサイレンと共に赤のランプが点滅して辺りを周期的に照らしている。周囲は見渡す限り機械や機器、装置ばかりで自然的なものは何も見当たらない。それらの周りに立つ人員は、シズルのように組織の制服を着た者と作業服を着た者の二通りのみだ。
「サチカさん、情報が足りません。預言者の預言の内容は迅速に必要なことをすべて伝えて下さい」
「あ、すいません! ええと、アポストロクスの数は一体、階級は大天使です! 島の存在には気づいていないようですが、西方からこちらに向かって一直線に低空、低速で飛行しているようです。距離と敵の移動速度から、光学シールド接触まで一時間と一〇分と推測されます。……これくらいで良いですか」
女性オペレーターは、真剣そのものなのだが慣れていないのがよく分かる。シズルが頷くと、少しだけほっとした表情を浮かべた。彼女はケンヤの姉で、シズルより五つも年上なのだが、ここでの立場ではシズルの方が上だ。いや、それどころか、シズルは今自身の隣にいる最高司令官を除けば、最も権力の高い立場にあるのだ。
「島全域に第一級緊急避難命令を発令! 地上にいる構成員には、島民のシェルターへの避難誘導を迅速に行わせて下さい。技術構成員は、ILシステムチームは防衛装置システム制御の配置につき、メカニックチームは―――
板に付いている口調で、シズルは構成員たちに次々と指示を出していく。思考・五感といった情報の『入力』を並列に高速処理し、複数の答えを的確に言葉や文字で『出力』することが出来る、それがシズルの特別な能力であり、まさに指揮官向けの力と言える。
しかしそんなシズルでも、不安や躊躇いといった感情まで殺せるわけではない。一瞬の間を置いてから強い眼差しを向けて、言う。
「ファフニールの点検及び整備、武器の確認等、急いで下さい。搭乗者は……俺がすぐに連れて行きます」
いかにもメカニックチームのチーフであろう屈強な肉体を持った中年男性が、その指示を受けて、何とも言えない複雑そうな顔をする。
「……MK.γ(マークガンマ)を出すんだな? シオンを乗せて」
メカニックチーフは、シズルとその隣の最高司令官に、念を押すように言う。迫られた二人とも、迷わず首を縦に振った。
「……わかった。出すと決めたからにはしっかり整備して、パイロットを必ず生きて帰らせてやる」
「はい、お願いします、タケシさん」
メカニックチーフはそう強い意志を言い残し「行くぜ野郎共!」と男部下を引き連れて司令室を後にした。意志の強い、どっしりとした男気溢れるその姿は、やはりレンジの父親なのだなと思える。
「オペレーターチームは何か有ったら逐一情報を報告して下さい」
「了解。まあ、私しかいないんだけどね……」
サチカは引きつった苦笑いを浮かべ、目の前の画面とキーボードに向かう。
一通り指示を出し終わり、シズルは深く息を吐いた。が、緊張の糸は緩めず険しい顔つきのまま、隣に座している最高司令官に聞こえるように呟く。
「まさか、防衛システムの本格始動を決定した今日この日に襲来してくるとは……」
しかし、司令官はシズルの呟きに反応を見せず、未だに黙している。
シズルはそれを気に留める様子もなく、続ける。
「これまで私たちは徹底して逃げと潜伏を行ってきた。多大な犠牲を払って手に入れた平穏を、ただ維持するためだけに動いていた。その理由は、ファフニールの起動により奴らに島の存在を感知されるおそれがあるからだ。なんとか、ファフニール自体は理論上の完成を見たが、パイロットを乗せて起動してみないことには性能を十分に発揮できるのか分からず、専用の兵器の開発・試験を行うことも出来ない。それ故、やむなく奴らの脅威がこの島に及ぶリスクが高まってきたその時からファフニールの試験・実験に取り掛かることにした。そして、私たちは今まさにその時を迎えた。それも考えられる最悪のシチュエーションで。……正直、絶望的ですね」
ここまで述べて、シズルはやっと司令官に身体ごと顔を向けた。そして返事を望むような眼差しで、じっと司令官を見つめる。
「しかし、それでも抗わなければならない」
声が返ってきた。低い女性の声だった。
すると、司令官は椅子から立ち上がり、シズルを見つめ返した。猛禽類を思わせる切れ長の鋭い目に、シズルは少し怯んでしまう。
司令官は、他の構成員とは違って、スーツにタイトなスカートで白衣を羽織っていた。ウェーブがかかったような癖っ毛を左肩の上でシュシュで括り前に流している。身長はシズルより高く、それが鋭い目と合わさって凄まじい威圧感を放っている。しかし、体型はスレンダーで遠目から見るとそこまでプレッシャーは感じないのだが……。
そもそもシズルは彼女の仕事中の姿と普段の姿の大層なギャップを知っているので、彼女から恐怖など感じない。
それでも今の彼女の表情、雰囲気は、これまで見た中でも類を見ない真剣さだった。覚悟や決意がその目からはっきりと感じ取れる。
―――これが『仕事』と『任務』の違いなのか。
「……成海司令もシオンのところへ?」
「私の説得が必要になるかもしれない。それに……母親が自分の子を心配するのはいけないことか?」
「いえ……」
その言葉にシズルは表情を曇らせ、少し俯きがちに目を逸らしてしまう。
「まぁ、俺の説得よりは確実だと思います」
「そうか、なら、行くぞ」
最高司令官―――成海リツカは、微笑を浮かべるとシズルの肩をトンと叩きながら通り過ぎ、通路へと歩いていった。空圧シリンダー駆動の自動ドアが開閉で二度音を上げる。
シズルは数秒の間、立ち尽くしていたが、やがて深呼吸をすると意志の強い表情に戻り、その場で体を反転させ、リツカの後を追った。自動ドアが音を立てて開く。
そしておもむろに、呟いた。
「俺が心配するべきは、まず自分か……」
――――――
「ねぇ。サクラ、少し太ったんじゃない? 重いよ〜」
「失礼だなぁ。お母さんの食事管理は完璧だから、そうそう太ったりなんかしないよ。ハルちゃんがよわいだけです」
「まだそれ引っ張るのか……」
島中にけたたましいサイレンが鳴り響いている。今、二人は災害用シェルターへ向かっているところだ。サクラは心拍数の上昇を極力避けなければならないので、ハルがサクラをおぶる形で移動している。のだが……、
「これ、わたし歩いても同じじゃないかな?」
「……そうだね」
妥協した。二人でゆっくり歩いても同じだ。ハルはすっかり汗だくで、シャツの裾を引っ張り豪快に顔を拭う。お腹周りの健康的な素肌が丸見えだ。
「でも、早く避難しないと」
「このサイレン、結構大きい災害のだもんね。いつもは西堂さんにおぶってもらってたんだけど」
「ええ!? あの呑んだくれが!?」
「信用ないなぁ西堂さん。でも、あれでももともと軍人さんなんだよ?」
サクラの住む家は療養の為に景色の良い、町から少し外れた海抜の低い場所にあるため、災害用シェルターまで結構な距離がある。町や学校まではいつも車で行き来しているのだが、避難訓練や災害時―――この島では大抵台風か津波を指す―――など、町は避難する人々の関係で車が走れないのでこの問題が生じていた。ちなみにハルは自転車でサクラの家に通っている。
そして、二人の話に出てきた西堂さんというのは、町中で居酒屋を経営している中年の男性だ。飄々としていて掴み所のない性格をしており、経営しているとは言ったものの、売上が良くないのか店の酒を自分で呑んでは酔っ払って、よく下校中のハルたちに絡んでいる。結構迷惑なひとだ。
そんな呑んだくれ男が元軍人だなんて。確かに、細身ながら非常に鍛え抜かれた身体をしていたとは思うが、あのお気楽思考の酔っ払いが戦闘服を着てビシビシッと動く姿など想像もつかない。ハルは腕を組み眉間に皺を寄せて唸る。
防波堤沿いの道路を足並みを揃えて歩み進める。今日のサクラは早足こそさせられないものの、足取りはしっかりとしていた。身体の調子はいいらしい。
しばらくの間、他愛ない会話を交えながら歩いていた。やっと軒並みが安定して続いている場所までたどり着けたところに、どこからともなく二人を呼ぶ声が聞こえてきた。声のした方を見ると、石段を駆け下りてくる人物の姿を捉えた。
「あ、マサヒコくん」
ハルにマサヒコくんと呼ばれたのは、一人の少年だった。緩い天然パーマの茶髪を揺らしながら、二人の元へと駆け寄ってくる。細身で背も低いが、サッカーで培われた健脚が躍動しているところを見ていると、非常にたくましい印象を受ける。二人のそばまで来ると、切らした息を整えるために両膝に手を立てて体を上下させた。
「ああ、やっぱりまだこんなところにいたのか」
「うん。ごめんね、方波見くん。心配かけちゃって」
方波見マサヒコという名前の少年が顔を上げてサクラを見つめた。目の下に広がるそばかすが悪い意味でなく特徴的だ。瞬きを繰り返しながら少し惚けた顔をしていたが、突然はっとサクラから目を背けて口を動かした。
「本当に心配した……してたんだぞ、みんな。ほら、俺がおぶってやるから。早くシェルターへ避難しよう。サクラの親御さんもそこにいるから」
サクラはうんと頷いて体をマサヒコの背中に預けた。マサヒコはひょいと軽くサクラを背負い上げると、ハルの方を向いた。
「サクラにここまで付いててくれてありがとな。さて、急がないと。走るぞ。ハルはついてこられるよな」
「とーぜんっす。伊達に今もゴールの丘を登っちゃいないよ」
そう言いながらハルは自信たっぷりの表情で膝の屈伸を繰り返す。
「ゴールの丘……か」
ハルの言葉にマサヒコは眉をひそめた。
「サクラ……聞いたか? あの『空からの声』を」
アキレス腱を伸ばす動きに移っていたハルの瞳孔がこれでもかと開く。すると、突然睨むような怒りの形相をマサヒコに向けた。もちろん、彼に対する怒りではないのでマサヒコは大した反応は見せなかった。
「聞いたよ。一気に気分悪くなった」
声も憤りのそれだ。
「わたしも聞いたよ。やっぱり、聞き間違いじゃあないんだね」
耳元からのサクラの声にマサヒコは小さく身体を跳ね上げた。
「さ、サクラは他人より耳が良いからな。聞き間違いなんてことはないだろ」
そうかなぁ、とサクラは複雑そうな笑みを浮かべる。マサヒコには見えていないだろうが、ハルにはしっかりと見えていた。怒りをそっと沈めて、ため息を吐く。
「とにかく、だ」
マサヒコは言って、進行方向に身体を向ける。そして防波堤の向こうの大海原を横目で見据えた。
「もしかしたらこれ、災害なんかじゃあないかもしれないな……」
――――――
「これは……?」
広いシェルターで座り込んでいたところを学校の職員に呼び出され、言われるがまま立入禁止表示の扉をいくつもくぐり連れて来られたシオンは、目的地と思われる場所に到着するやいなや、その光景に唖然とした。
広大な工場のような空間。機械や産業用ロボットに、組み上げられた高い足場や大小の工具を持って動き回る汚れた作業服の人々、油や塗料などの少し不快な臭いや耳を支配するやかましい騒音。
そして―――その中に、巨人が佇んでいた。
光沢を放つコバルトブルーの塗装が施された、巨大な人型の機械が―――
「搭乗型自在戦闘機動巨人。通称『ファフニール』だ」
「!!」
突如耳に入ってきた知っている声にシオンは即座に反応し、首を回した。トリコロールカラーを基調とした制服を着た栗色の髪の少年と、スーツの上に白衣を羽織った女性を視界に捉え、さらに驚く。
「シズル……? お前も、呼ばれたのか? それに……母さんも、どうしてここに?」
シズルはシオンの問いに対して、首を左右に振る。
「俺がお前を呼んだんだ、シオン。そして、成海司令はこの施設―――島の総責任者だ」
「……?」
状況が急過ぎて理解が全く追いつかない。シオンは、戸惑いを隠せずに周囲に目を泳がせている。
そんなシオンに、シズルは近づきながら少し語気を強くして言う。
「悪いが説明している時間がない。お前をここに呼んだ理由は、頼みがあるからだ」
「頼み……? シズルが、俺に?」
「俺からだけではない。成海司令、及びこの島の大人たち全員からの、頼みだ」
「全……!」
大人には出来ないことなのか?
「シオン、お前にしか出来ない」
俺にしか出来ないことなのか?
「あの『声』を、お前も聞いたはずだ」
―――『道中の数々の立入禁止表示』『成海司令』『島という施設』『島民の避難』『シェルター』『個人への頼み』『大人は事情を知っている』『空からの声』『搭乗型自在戦闘機動巨人・ファフニール』―――
「――――――!!」
思考を巡らせ頼みの見当がついたシオンは、その役割の重さに息を飲んだ。心音が早くなっていくのを感じ、冷や汗が出る。しかし、シズルと母の真剣な眼差しに気づくと、意を決して真剣な目で見つめ返した。
シズルは頷くと、ついにその頼みを口にした。
「このファフニールに乗って、島を守って欲しい」